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【1回目】戦後社会に放り出され、宙ぶらりんになってしまった三島の姿と重ね合わせた平野氏の読解は説得力を持ち、原著の鑑賞の手引きとなると言える。ただ、私は本作を先に読むという「禁じ手」と使ってしまったので、「平野説」からどれくらい自由に読めるかが心許ない。一貫して平野氏が述べているのは、現実と理念(または観念)の乖離・分裂。戦後社会の到来が、必ずしも解放を意味したわけではないことを、念頭においておくべきだとする解説は、優れていると思った。
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三島由紀夫は今まで手に取ることはなかったが、読んでみたくなった。絶対性、天皇制、悪、今の時代の閉塞感と同じ雰囲気を感じさせる。
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4回分を1回分ずつ分けて読むつもりが、一気に通読してしまった。
一般的には「金閣寺」は難解だとされている。その理由は文体もさることながら、主人公の心理が極端から極端へと思われるような複雑怪奇な変化をたどるからではないだろうか?
平野さんは冒頭で、「金閣寺」は実際に起きた放火事件を題材としつつも、主人公の心理に関しては実在のモデルに必ずしも忠実ではないと書く。では何がモデルなのか?
平野さんは「金閣寺」の主人公の心理のなかに、三島自身の心理の投影を見ている。つまり平野さんは、三島の精神世界が最も正確にトレースされた作品として「金閣寺」を高く評価しているのである。
もう少し詳しく言うと、吃音などを原因として外界からの距離感を意識する主人公の記述は、すべて三島自身が戦後に痛感した、終戦を機に天皇の神格化や贅沢を敵とすることやアメリカへの敵視などの一切合切を忘却したかのように振舞う大多数の日本人との距離感を示している、というのである。
平野さんはこの距離感に相対する三島や主人公について、三島自身の創作ノートから「絶対性を滅ぼす」という主題を引き出している。
こういう作中人物と作者を一致させることは、解釈を狭めてしまう危険があるが、平野さんはさすが作家だけあって、三島の物語としての構成力を過小評価することなく、細部にわたる丁寧な叙述で、主人公と三島とのパラレルな関係性を最後まで持続させている。だからまるで平野さんの新作短編を読むかのように通読してしまったのだ。
そして、「金閣寺」のあまりにも有名な作品の末尾。睡眠薬や短刀を携行して金閣に火を放ったはずの主人公が最後に放つ一言-
-「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」
これについても平野さんは、三島の心理に踏み入って、なぜ三島がこう作品を締め括ったかについて大胆な仮説を展開する。
さらに平野さんは、三島が「金閣寺」で戦後小説界において金字塔を打ち立てたかに見えたにもかかわらず、次の大作「鏡子の家」での三島の“挫折”が、巡り巡って三島が生を終えたあの事件へ結びついた関係性を推理している。
つまり三島の人生とは、「生きようと思った」ところまでは「金閣寺」の主人公と同じ道をたどり、それ以降は「金閣寺」には書かれていないがその後日譚として三島は人生を歩み続け、あの人生の結末を迎えざるをえなかった、というのである。
いやはや、三島由紀夫の精神世界の深遠さを改めて平野さんによって見せられたような気分。
言わずもがなだけど、小説家とは、ここまで“深い”ものなのだ。
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三島由紀夫に限らず、古典的名著は敷居が高かったが事前に解説を読んでから読み始めたので原作をしっかり理解して読み進めることができた。
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金閣寺はある意味では難解ではなく分量としても中編程度なので当然読んでから臨みたいと思っていたがそれ以上に番組が殊の外よくできていて資料映像なども含め非常に立体的に読むことができた。
そもそもこの小説は時代性と人間の内部葛藤と中二病に代表されるような成長物語と家族の物語とホモセクシャルを含むエロティシズムと、そしてもちろん三島由紀夫本人の投影と、とにかく驚くべき多相性が特徴なのだと思う。そしてそういうものこそが歴史的名作であるのだろう。
平野啓一郎の解釈はこの家のある一面を切り取ったものでしかないにせよ、本質的でかつ大変にエンターテイメント性に富んでいる。
もう一度読み返そうとすら思うぐらいだ。とにかく疲れる原作なんだけどね。
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・戦前と戦後の価値観の違いに翻弄される
・金閣寺を美しいと考えているが実物と想像の金閣のギャップを感じる
・禅海との出会いがもう少し早ければ金閣寺への放火はなかったと思う
・人との関わりによって人の価値観が変わっていくところ、変わらないところがあると思った
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本書の前に「金閣寺」を読了。
面白いが、理解のできない点が多々あったが、本書を読んで解釈のひとつとして納得できた。
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僕を文学の世界に導いてくれた金閣寺
あの初読の時の感動がよみ上がるような感覚だった
勉強すればするほど、三島由紀夫の世界は奥が深い
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「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01
97p ¥600 C9493 (2021.06.12読了)(2021.04.26購入)
【目次】
【はじめに】三島の問いを受け止めなおす
第1回 美と劣等感のはざまで
第2回 引き裂かれた魂
第3回 悪はいかに可能か
第4回 永遠を滅ぼすもの
☆関連図書(既読)
「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20
「仮面の告白」三島由紀夫著、新潮文庫、1950.06.25
「愛の渇き」三島由紀夫著、新潮文庫、1952.03.31
「潮騒」三島由紀夫著、新潮文庫、1955.12.25
「金閣寺」三島由紀夫著、新潮文庫、1960.09.15
「午後の曳航」三島由紀夫著、新潮文庫、1968.07.15
「青の時代」三島由紀夫著、新潮文庫、1971.07.15
「癩王のテラス」三島由紀夫著、中公文庫、1975.08.10
「春の雪 豊饒の海(一)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.07.30
「奔馬 豊饒の海(二)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.08.30
「暁の寺 豊饒の海(三)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.10.30
「天人五衰 豊饒の海(四)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.11.30
「美と共同体と東大闘争」三島由紀夫・東大全共闘著、角川文庫、2000.07.25
「三島由紀夫「以後」」宮崎正弘著、並木書房、1999.10.01
(アマゾンより)
彼が焼いたのは、何か。
若き学僧は、破滅を夢見て金閣に火をつけた――。
実際に起きた事件に材を取り、三島が自身の戦中体験を重ねあわせて書き上げた『金閣寺』は、まぎれもなく日本近代文学の最高峰。
なぜ金閣でなければならないのか。美を破壊する行為が意味するものとは。
作家・平野啓一郎が、三島ならではの文学表現を味わいながら、大胆かつ精緻に作品の深層へと迫る。
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何となく難しそうなので、こちらから入りました。素晴らしい解説で一気に読みました。この小説のエッセンスが良く分かりました。こんなに奥深い小説は最近はないと思いました。間違いなく日本文学の最高傑作の一つだと思います。
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三島の再来と言われた平野啓一郎が読み解く、金閣寺、であります。敗戦後の新しい世界を前にして、認識か行動かという間で揺れ動く30代の三島の想いや思考の在り方等、詳細に解説されております。そういう風に読むのね、と改めて知る、金閣寺の奥の深さ、であります。三島作品の最高峰ではないか、という平野啓一郎のコメントには、納得です。
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小説の少し難解な部分と、三島の戦争体験を中心とした著者の背景を照らし合わせてわかりやすく解説してある。
溝口=三島自身の戦後社会に自分だけが囚われていて、疎外されていると言う感覚は、現代でも多くの人が興味があるとされている俗世的な物事に関心を抱けない人は共感できると思った。このような場合、現実的には認識の変容が最適解に近いが、行動による変革の結果が小説には描かれている。
この小説のテーマは映画『タクシードライバー』、『JOKER』など繰り返し描かれていると思う。
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NDC 028
「彼が焼いたのは、何か。
若き学僧は、破滅を夢見て金閣に火をつけた――。実際に起きた事件を材に取り、三島が自身の戦中体験を重ねあわせて書き上げた『金閣寺』は、まぎれもなく日本近代文学の最高峰。なぜ金閣でなければならないのか。美を破壊する行為が意味するものとは。作家・平野啓一郎が、三島ならではの文学表現を味わいながら、大胆かつ精緻に作品の深層へと迫る。」
「金閣寺を見たことがあるだろうか。金色に輝く今の舎利殿(金閣)は、1955年に再建されたものだ。再建前の金閣は50年7月、寺に住む若い僧が放火し、焼失した。衝撃的な事件を基に、三島由紀夫は56年、小説『金閣寺』を発表する。なぜ火をつけるにいたったのか、まるで僧が告白しているような文章だ。ーよく練られた構成と、濃厚で優雅な文章で、社会の枠組みから外れて生きざるをえなかった異端者の孤独な魂を描く。小説は三島が作り上げた世界で事実とは異なる。だが、そこには人間の真実がある。」
(『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介より)