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頭が下がります。
2021/06/20 22:42
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が、マスクが買えないとか、外出できず買い物もままならないなどがしんどいとボヤいていた日々、こんなにも壮絶な闘いをしていた人がいたとは。
困難な状況でも投げ出さず、自身の能力を最大限に活かす人たちに感激しました。
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コロナウィルス感染拡大初期に奔走した専門家会議メンバーの葛藤を描いたノンフィクション
2022/12/14 17:46
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ対策に関する提言で頻繁にマスコミに登場した「専門家会議」。3密とか、人との接触7割減とか、さまざまな提言を発信されました。その専門家会議は発足から約半年を経て、後継の組織へと引き継がれたのですが、その半年間に政権や厚労省などとどのようなやり取りがあったのかを追ったドキュメントです。
感染症の専門家であっても新型コロナは初めて遭遇する感染症で、”サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違いということになる。そういう積み重ねが科学であり、公衆衛生はエビデンスが出そろう前に経験、直感、論理で動かざるを得ない部分がある(本書より尾身先生の発言を抜粋)”という姿勢で臨まれたのに対し、政権や厚労省は”間違いたくない。誤ってはならない(無謬性の原則)”という姿勢で臨むため、どうしても両者の考え方には溝ができてしまう様子が克明に記録されています。
あくまで政権に科学的なアドバイスを与えるという立場で関わるはずだった”専門家会議”が、あたかも政策を決定している当事者と勘違いされるほどに前面に出ざるを得なかった事情、疲弊する経済界や自粛疲れの市民からのいわれのない誹謗・中傷を受けながらも”コロナ禍の収束に向けて何かできないか”と粉骨砕身で臨まれた様子が伝わってきます。
学者として譲れない部分と政権や行政とのすり合わせの中で妥協を強いらる状況への葛藤、感染症の専門家としての責任感や、どこまで政策決定に責任を持つのかという迷いとか、さまざまに変化していく状況下での専門家の皆さんの動きが鮮明に描かれています。コロナ禍がいまだ収束せず、多忙を極める専門家の方々の姿を、よく取材できたなぁ、と驚きを禁じ得ない印象です。
記者会見でよくお見掛けする尾身先生はかつてWHOで感染症対策の最前線を経験された方で、記者会見などでは一見クールな印象を受けますが、本書からは責任感の強さや使命感に燃える熱さが伝わってきて、この方が日本のコロナ対策の中枢にいて下さったこと、今も責任ある立場で関わって下さっていることが日本にとっての幸運ではないかとさえ感じさせられました。
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コロナ禍のひとつの検証
2021/08/12 12:23
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ禍としっかりと対峙してきた専門家会議の始まりから終わりまでを、丁寧に追ったルポルタージュである。専門家会議や行政側の視点を取り上げているので、読者の視点とは異なるが、そこに記録としての重要性は大きい。専門知のあり方や、政治と科学との葛藤は、専門家だけに任せておく問題ではなく、私たちが主体的に問い続けていくものである。専門家会議とはいえ、専門知も異なれば、社会観も異なる人たちで構成され、必ずしも統一のとれた集団ではなかったが、それ故に、大いに議論が盛り上がっただろう。
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検証するための重要な記録
2022/02/27 16:18
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
新型コロナウイルスが確認されてからの政府とコロナ対策専門家会議の緊迫した日々を綴るノンフィクション。
2020年に雑誌『世界』に連載され、この単行本の観光は2021年春。
すでに1年が経過しており、さすがに遠い昔を回顧する感があり、もっと早く読んでおけばと言う感じがした。(つまりルポルタージュだけに時間が経過すると読むほうも冷めてしまっている)
しかし専門家会議の面々に綿密で丁寧な取材がなされており、コロナ対策を検証していく上では非常に重要な記録だと思う。
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時の経過に耐える作品、という、尾身氏の望みをも果たすためにも。。。
2021/05/11 21:46
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投稿者:IYIY - この投稿者のレビュー一覧を見る
岩波「世界」への連載をベースとした一冊。
あとがきに、「時の経過に耐える作品が残ることを期待しています」という、尾身茂氏の言葉があるが、
まさにそれを目指していただくために、もし増補版などが検討されるならば、以下の点の工夫があるとよいと感じた。
○巻末の関連事項カレンダーに、本文該当頁を挿入(→時系列がよりクリアになる)
○人物索引的なもの (お名前を出せない、厚労省の関係者の方々も含め。。。→どの時期にどなたの活躍が大きかったのか、がより分かりやすくなる)
○用語索引(&解説)的なもの (→特に、本文から用語解説が分離されると、ストーリーがより締まった形で読めるように感じます)
10年経っても、読み次がれる一冊になるためにも、ぜひ。
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旧専門家会議は、特措法の下に無かったので、法律上立場が曖昧だったので廃止されて、その後に分科会に再編されたようです。(この辺の事情知らなかった)
普段メディアで目にするコロナニュースだと、扇動的だったりして見る度に右往左往だけしてしまいがち。
この本で昨年の6月まで活動していたコロナの専門家会議の中が、どう動いていたかが描かれていたので、これ読むとニュースから受ける印象が変わると思う。
SNSでは、批判一本槍な風潮も目につくけど、それぞれの組織の仕事のやり方や専門性の違い。
または、法律との兼ね合いが絡まって、これを普通の人が解きほぐして、運営を行うのは至難の業だという事が痛い程よく分かった。
どの組織についても顔が見えないと批判的に見がちになる。
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間違いを認める所は認める専門家と、間違いをしない事を目的とする役所と政権。
この間の丁々発止のやり取りは、言葉では表し切れないと思うが、どちら側に重心をおくでもなく、フラットな立場で描かれてるので、それぞれの立場の違いや当事者の覚悟が伝わり、臨場感が感じられた。
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対策案の考案、厚労省等の関係各所との調整、国民への情報発信などを、凄まじいスピード感で実行していった専門家の先生方に、敬意を表したい。
もどかしく感じたのは、省庁内部や、国と地方など、縦割りに伴う信頼関係の薄さ、連携不足であった。
特に、感染状況のシミュレーションに用いる感染者数等のデータを、地方自治体の発表資料から手作業で引っ張ってきていたことには衝撃を受けた。
最近になって、科学的には徐々に解明されてきているにも関わらず、ワクチン接種や医療体制拡充などの対策がなかなか進まないのも、各組織間の連携がうまく行っていないことも原因にあるように思う。
専門家会議に参加されていた先生自身による振り返りの著書等もあるようなので、読んでみたい。
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西浦先生の本を先に読んでいたが、こちらの本の方がより多様な関係者の思いをキレイに整理してくれています。人間ドラマとして面白いです。
主に専門家側の視点から書かれ、政治、行政批判のトーンが随所に滲んでいますが、政治、行政サイドも色々考えがあり、そう簡単な話ではないんだろうと推察します。
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アドバイザリーボードが発足して専門家が集まり、未知のウイルスへの対策に奮闘する緊迫感、そして発足から2週間あまりで、専門家会議独自の「見解」で具体的な対策を発表した。発表までの厚労省、内閣官房とのやり取り、なんとしてでも市民に呼びかけたい、感染爆発を防ぎたいという専門家の強い気持ちが伝わってきた。しかし、これを境に、「専門家会議」のイメージは実態を離れて一人歩きを始める。
出過ぎてはいけない、言いたいことを伝えるためには、官僚や政治家と対立してはいけない、理不尽な要求や扱いにも我慢しなければならない、頭が下がる以外の何物でもない。
安倍首相、最近では菅首相が、何かと専門家会議に責任を負わせるような印象操作、何度も繰り返されたように感じる。それでも、それぞれの信念で責任を全うしようと働く専門家の方々を忘れないようにしよう。
解散発表ですら、専門家会議からの発表は、西村大臣が同じタイミングで先んじて発表、見栄とプライド?、主導権をアピール?くだらない。
冒頭で専門家会議メンバーの押谷さんのコメント
「日本は何度もチャンスがあった。それを幾度も逃してしまった。」
「この感染症がパンデミックになったのは、人間の傲慢さが背景にある。」人と自然が距離を失い、効率化を追求し、足元を見ないままのグローバリズム。
「(新型コロナの)苦しみに耐えるだけで終わってほしくありません。これが社会が変わることができる、最後のチャンスだと思っています。」「まだ日本は戻ることができる、分水嶺に立っている。」
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コロナ対策専門家会議の発足から解散までを追ったノンフィクション。メンバーの中でも微妙に立ち位置が違うのが興味深いですね。
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新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は政府に対し状況分析や科学的根拠を持って対策を提案するため2020年2月に設立された。同年6月、西村大臣からの唐突な廃止発表まで約5ヶ月間、「3密の回避」、「人との接触8割減」、「新しい生活様式」などを打ち出してきた。
本書は専門家会議の議論や葛藤の様子を会議メンバーや関係者の証言で振り返るノンフィクションである。議論の内容、政治や行政との溝と連携のあり方、市民生活への影響などについて、どのように考えていたかが生々しく伝わってくる貴重な一冊だ。
未知のウイルスに対して、手探りながらも高所大所からレベルの高い議論がなされ、庶民目線ではなかなか難解なところもあったが、いくつかのポイントは理解できた。それを以下に示す。
①政府、官僚組織には「国民の不安を煽ってはならない」という考え方と「間違うことがないという前提で物事を進める無謬性の原則」がある。対して、専門家会議の立場は「サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、間違っていたことを反省し、次に生かす。100%のエビデンスがなくても見解や提案として出せるものは出す」ということでスタンスが違う。
②政治家に求められるのは専門家の意見を聞いた上で最終的に国の責任で判断すること。今回課題になったのは、ある場合は専門家に意見を聞き、ある時は聞かないで決めてしまうという一貫性の欠如(尾身氏)
③国も大事だが、前線に立つキープレーヤーとなる知事の意見を聞かないと、暴走集団になってしまう(尾身氏)
④専門家の文章は論理的に見えて情緒的なところもあり、そのまま政策には使えない。一方、役人の文章はできないことを隠しがち。
⑤役所はパターナリスティック(父権的。強い立場にあるものが弱い立場にあるものの利益のためだとして、本人の意志を問わずに介入・干渉・支援する)な考え方なのに対し、西浦氏はベネフィットとリスクの情報を双方が共有するインフォ―ムドデシジョンを促すべきだという立場を取った。
⑥日本モデルはその都度アジャストすること。基本的な考え方は一貫しながらもその時々の状況や相手に応じて作成を変えていく柔軟さは中国やロシア、トランプ政権にはないよさ(尾身氏)
⑦専門家会議は特措法に紐付いていない法的に極めて不安定な組織であり危うい立場を余儀なくされた。対策の歪みや不満の矛先が彼らに向かい、脅迫されたり、警護がついたり、訴訟を起こされたり、一時的な入院生活を送ったメンバーもいた。政府が頼りなく「前のめり」にならざるを得なかったため、責められる立場になった。
⑧専門家会議の「卒業論文」で尾身氏は「前のめり」だったと認め、反省した。
全体を通して、専門家の方々のご苦労がよくわかり、それに比して「専門家の意見を聞いて考える」という決まり文句で巧妙に責任を回避してきた政府への憤りが再燃した。
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コロナ対策に関する提言で頻繁にマスコミに登場した「専門家会議」。3密とか、人との接触7割減とか、さまざまな提言を発信されました。その専門家会議は発足から約半年を経て、後継の組織へと引き継がれたのですが、その半年間に政権や厚労省などとどのようなやり取りがあったのかを追ったドキュメントです。
感染症の専門家であっても新型コロナは初めて遭遇する感染症で、”サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違いということになる。そういう積み重ねが科学であり、公衆衛生はエビデンスが出そろう前に経験、直感、論理で動かざるを得ない部分がある(本書より尾身先生の発言を抜粋)”という姿勢で臨まれたのに対し、政権や厚労省は”間違いたくない。誤ってはならない(無謬性の原則)”という姿勢で臨むため、どうしても両者の考え方には溝ができてしまう様子が克明に記録されています。
あくまで政権に科学的なアドバイスを与えるという立場で関わるはずだった”専門家会議”が、あたかも政策を決定している当事者と勘違いされるほどに前面に出ざるを得なかった事情、疲弊する経済界や自粛疲れの市民からのいわれのない誹謗・中傷を受けながらも”コロナ禍の収束に向けて何かできないか”と粉骨砕身で臨まれた様子が伝わってきます。
学者として譲れない部分と政権や行政とのすり合わせの中で妥協を強いらる状況への葛藤、感染症の専門家としての責任感や、どこまで政策決定に責任を持つのかという迷いとか、さまざまに変化していく状況下での専門家の皆さんの動きが鮮明に描かれています。コロナ禍がいまだ収束せず、多忙を極める専門家の方々の姿を、よく取材できたなぁ、と驚きを禁じ得ない印象です。
記者会見でよくお見掛けする尾身先生はかつてWHOで感染症対策の最前線を経験された方で、記者会見などでは一見クールな印象を受けますが、本書からは責任感の強さや使命感に燃える熱さが伝わってきて、この方が日本のコロナ対策の中枢にいて下さったこと、今も責任ある立場で関わって下さっていることが日本にとっての幸運ではないかとさえ感じさせられました。
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未だ治まることのないコロナ禍の中、連日、総理大臣や関係閣僚・官僚が会見を行う。その中で「専門家の意見も参考にしながら、検討した」といった言葉を何度も聞いてきた。
その専門家たちがどんな面々で、どんなことを話し合いながら政府に提言し、どのような形で反映されてきたのか。「コロナ対策専門家会議」が発足して、解散するまでに五か月間の動きを追った作品。
専門家会議の提言、それを受けた関係閣僚・官僚の会見。現場が見えてないんじゃないかと憤る人も多かったのではないかと思う。かくいう私もその一人だ。だが、この作品を読むとそのカラクリの裏側が見えてくる。
状況に応じた提言をしてそのつど修正を図っていけばいいとする専門家、省庁は間違ってはいけないとする官僚、手柄を我が物にしたい閣僚―。「専門家会議」はほぼそのままの形で「分科会」として現在も政府に提言する立場をとっている。そんな中、私たちはいったい何を信用すればいいのか。この国の危機管理を大きく問う一冊だ。
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新型コロナウィルス感染症対策専門家会議の発足から廃止まで、約5ヶ月間を追ったノンフィクション。招集されたチームの微妙な立ち位置や劣悪な作業環境など、政府の本気度を疑う。厚労省の役人や政治家の態度は想定内だったが、きちんと話を聴ける人がいたことに希望をもてた。たった1年半ほどのことなのに、どれだけ日本が、世界が変わってしまったかに驚く。収束したとしても終わりではない。このウィルスとは長い付き合いになりそうである。