紙の本
新九郎の苦労は続く。
2021/05/14 13:50
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投稿者:氷狼 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前巻終わりからのつる姫とのことが...しかし、最後にそう来たかと言う展開も。
世は乱がダラダラ続き、厭戦ムードに?
両陣営のトップも幕引きに頭を悩ませる。
そして、都では立て続けに疫病が蔓延し...
コロナ禍のこの状況と被る部分があるなと。
その影響は京の伊勢家にも...
唐突に訪れる別れに人は。
翻弄される新九郎。
国を想い、領地を想い、肉親を想い。
我が儘な父上にも振り回され、結局...
次巻、更なる新展開か。
文字多めですが、なかなかに面白い。
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いろんな障害を乗り越えて
2021/10/03 19:57
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
新九郎がちょっとづつ成長していく様子、そして、世の中が動いていく様子がおもしろくてたまりません。続きも楽しみです。
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応仁の乱終盤
2021/08/28 17:28
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
応仁の乱の終盤に疫病が流行り厭戦気分が巻き起こっている様がよく描写されていて面白い。新九郎が今後どうなっていくかがたのしみ。
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流行り病
2021/06/07 13:11
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投稿者:ZATO - この投稿者のレビュー一覧を見る
公家や武家では当たり前のようにあったであろう政略結婚で、新九郎の初恋はあっという間に強制終了となります。
京では疱瘡が流行、さらに麻疹、赤痢と流行り病のオンパレードです。昨今の武漢ウイルス騒動をこのマンガでも反映させたのかは作者に聞いてみないとわかりませんが、京の都は度々疫病や飢饉で人口減少となっており、戦国大名が台頭する契機の一つとなっていたとも言えるかもしれません。将軍・足利義政に「生き死には仏神の裁量なのだ。世の中は運よく生き延びた者でできておるのだよ」と語らせていますが、含蓄あるセリフだと思います。
細川聡明丸の家督相続、伊勢貞親他界、おそらく次集では山名宗全、細川勝元も他界すると思われ、急激に世代交代となります。そうした世代交代が、新九郎にどう影響してくのかが楽しみです。
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投稿者:レッド - この投稿者のレビュー一覧を見る
この巻から太田道灌が登場!今後、どのように新九郎に絡むのか楽しみです。
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「お前の命は母上とこうがくれたものだ。これからは大事に使うのだ」
2021/06/30 11:16
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投稿者:きん☆ぎん☆すなご - この投稿者のレビュー一覧を見る
あっさり諦めるんだ…、まぁ武家のしきたりには抗し得ないか…。領地経営的な話は、お終いでしょうか、京での仕事が増えそうで、更に話が東の方へ向きそうな展開に…。
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新九郎、東奔西走
2021/06/13 21:56
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投稿者:とりこま - この投稿者のレビュー一覧を見る
あっさりと初恋が破れた新九郎だが、領国経営に奔走する。その最中、感染症が猛威をふるう京から凶報が届く。
京に上った新九郎は政争にも巻き込まれ(首を突っ込み?)、でも将軍嫡男の覚えはめでたく憎めない性格を発揮している。
収束しない大乱は、細川勝元が家督を譲り、山名宗全も病篤く、局面が大きく動きそうな展開で次巻へ・・・。
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新九郎が荏原にいる間は面白いのだけれど、京都に帰るとイマイチになってしまう。
応仁の乱は複雑すぎて、何故こういう経緯なのかを、京都の中心的人物(義政、富子、細川勝元、山名宗全など)の動きや思惑だけでは、説明できない。地方が中央の統制を離れていくことが、応仁の乱の本質とも言える。京都と荏原の話を並行して描くことで、そこのところを表現するのかなと期待しているのだが。
京都編になるとどうしてもあらすじみたいになってしまうのよね。
応仁の乱はよく分からないので、漫画で顔がついたら人間関係が覚えられるかなと思っていたけど、やっぱりダメだった。
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今まで積み重ねた物がようやく動き出した。
恋愛話は何かの伏線なんだろうなと
感じていたけどまあそうなるわなぁ。
高い所で無常感を意味無く醸し出す義政w
富子に愛想尽かされるカウントダウン
入りました~
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新九郎が弥次郎にかけた言葉がよかった。
その後の盛定父さんのしょんぼり&駄々こねも。
どこも世代交代
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室町パンデミック。しかも病は複数で、衛生面は21世紀に遠く及ばず。家族を病に奪われ将軍家も病に倒れ、都に足止めを食らう中、待ったなしで進む政争劇の渦中に果敢に飛び込む新九郎。
今回、様々な事件を経た上に、7巻だけで1年半以上の時間が経過しているので、最終頁の新九郎が最初の頁と比べてかなり大人になっています。大人の駆け引きあり、アクションありと、物語はより一層面白くなってきているのですが、登場人物の名前と関係が相変わらず覚えきれないのが難です。
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7巻なので基本構造は割愛。
勿論、時期を合わせたわけではないだろうが、疫病が蔓延った時期を描く。
細かな性格で、領地・領民を大事にしながら、家のことも考えねばならない。
様々なことに考えを巡らせねばならないが、若さも持ち合わせてしまっている…そんな絶妙な時期の話。
戦国のゲームで北条氏を選択すると、重臣として登場する武将の名字がちらほら登場するようになる。
氏康周りの時代がゲームになることが多いので、彼らの子孫がゲームの武将になるんだろうな…と。
応仁の乱。
名前は有名だが、こんなにも酷い…いろんな意味で酷い感じだったんだなと。
最近、某アイドルの「歴史のじかん」で勉強した日野富子なんかも興味深く読めた。
小田原の人間として、早く小田原に・・・早雲なら韮山か・・・来て欲しい。
人気があれば、五代全員奔ってくれると信じて・・・。
・・・何巻まで買ったかすぐ忘れて、新刊で数冊ずつ買っているんだから・・・。
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史上最速で梅雨明けになった当日、私は「新九郎奔る」の青年時代の在任地である岡山県井原市荏原(えばら)に赴いた。マンガの描かれた地を訪れるのは聖地めぐりというらしいが、私の関心は同じアングルで描かれた絵を探すというようなところにはいかない。むしろ古代遺跡めぐりの感覚である。
この場合、最初に行くところは決まっている。資料探しである。「早雲の里荏原駅」の北側入り口にある「早雲の里交流センター」に行くと、期待通り簡単な観光地図と無料パンフが置いてあった。「荏原周辺案内図」「荏原で生まれた先輩偉人北条早雲公」「戦国の魁北条早雲の里を訪ねて(ゆかりの地の5つの町説明)」「北条五代を大河ドラマに」チラシ「生誕の地井原市 北条早雲」「那須氏史跡案内図」チラシ。これで、早雲テーマの遺跡めぐりは目こぼし無く回れそうだ。インターネットではなかなか拾えない情報である。
交流館の主みたいな人から資料を貰った時、ここぞとばかり、1番聞きたかったことを聞いてみた。
「新九郎が荏原に来る前、ここは東荏原と西荏原に分かれていて、新九郎のお爺さんが盛景・盛定兄弟に仲良く三百貫で分けたとありました。この二つの領地の境目を巡って新九郎は西の伊勢盛景と協議紛糾していたと聞いています。でも、井原市の大きな平野は西荏原の西側にある現在の市街地なのではないですか?だとすると西荏原の領地は、三百貫どころではないはず。現在の市街地はどうなっていたんでしょう?」
答は、「よくわからない。勉強します」とのことでした。
ダメ元で、「当時領地の境目争いをしていた境目とはどこなんでしょう?」
当然「わかりません」でした。
私はつい「早雲88歳死亡説はとらない」
と話してしまいました(マンガが採ってないから)。
ちょっと前まで、北条早雲は中高年になってから活躍する「高齢化時代の期待の星」だったのです。
交流館の主は(従来説が覆ったのは仕方ないとしても)「荏原が早雲生誕の地である」
ということの方に、かなりこだわっていました。
「たとえ、幼少時育ったのが京都だとしても、生まれるときにはお里に帰すのが自然でしょう」と根拠を言っていました。
それは早雲の生母が荏原出身だった場合であり、ゆうきまさみが描いたように、生誕・成長は京都洛南あたりだったというのが自然だと思う。
とは、流石に主には言えませんでした。
資料を見ると、ちょっと前の井原市がつくった資料は88歳死亡説をとっていて、令和3年発行の資料では64歳(88歳も捨て切っていない)死亡説をとっていました。どちらにせよ、新九郎が荏原経営に努めたのは確かでしょう。でも地元人間としては、「早雲生誕の地」というか、「早雲ゆかりの地」というかでは、「雲泥の差」があるということなのでしょう。私は、ゆうきまさみ原作で大河ドラマ化しても、十二分井原市にも観光効果のある作品になるとは思うのです(ここまで荏原時代をフィーチャーした早雲像は他にないのではないか?「鎌倉殿」がヒットしたなら、「北条早雲」も必ずヒットする、と思う)。
閑話休題。
伊勢新九郎の住んでいた高越��跡に車で赴く。かなりの急斜面を4キロほど車で走った。徒歩の場合は山道コースがあるらしい。城主新九郎の場合はおそらく馬を使ったろうが、里に住む武士たちは急な山道を歩いただろう。マンガのように毎日のように里に下りるのは、馬や部下の負担になり、やめた方がいいのではないか?とも思った。城(お屋敷)からは、東荏原、小田川、山陽道が一望できて、山城としては最高の場所にある。城の周りには五の郭まであり、堀割跡もあり、思ったよりも城としての格好ができていた。
伊勢氏の家臣だった平井氏が早雲200年忌に掘った供養碑を観た。おそらくたまたま、供養碑にぴったりの大岩があったからそこに掘ったのではあろうが、場所は領地争いをしていた伊勢盛景の居城趾(米持城)の直ぐ北。何故東荏原に城がある?直ぐ近くに盛時神社(新九郎を祀った神社?)もある。
法泉寺はそこから少し北に走った、山谷のどん詰まり。父・盛定が建てた伊勢氏の菩提寺(←その金はどっから出たのだ?)。大きすぎず小さすぎず、寺が地域の要(かなめ)であることが、なんとなくわかる。早雲と盛定の墓と伝えられている墓があった。小さい。丸い頭の五輪塔式。もちろんこの大きさが戦国以前の世の習いだとしても、本当にここに遺体を埋めた(埋めることができた)のだろうか?とは思った(←多分違う。でも盛定は可能性ありそう。発掘したい!)。法泉寺所蔵の盛時(新九郎)16歳時の「禁制」の触書きを写真で見た。マンガの通り、少年らしい私たちでも読める楷書文字。これが備中出自説の決め手となったらしいが、上に書いたようにそれは違うだろ、と私は言いたい。
遅い昼食を食べた後に、念のために井原市内の「古代まほろば館」に行ってみた。思いもかけないことが2つあった。ひとつは昨年「井原の山城を歩く」という図録(100円)が出版されていたこと。ひとつは、学芸員に質問できたこと。図録を見ると、高越城と小菅城(那須一族の城)とほか四城が解説されていた。なんと井原市だけで33の城跡があるらしい。いろいろ書かれていて参考になった。また、学芸員に「早雲の里交流センター」と同じ質問をしたところ、さすが、直ぐに答えてくれた。どうやら井原市と荏原は全く違う所としては記録されており、井原市街地は細川氏が治める相国寺荘園地だったらしい。さらにいえば、荏原が東西に分かれていたという記録はないらしい。まぁ早雲が法泉寺の改修・造営を行ったとか、神代町に薬師如来を祀ったというエピソードはマンガでは描かれないので、ゆうきまさみの構想力ということなのだろう。
3時半から小田川を渡り、那須一族の里に向かう。行く途中、左手に発掘されたばかりの青陰城跡の山を眺める。ここは那須一族の1人大山氏が14世紀に居城していた所だということが最近明らかになった。那須一族は、小菅城だけでなく、平地居館の中堀城(西江原町今市)、十倉城(西江原戸倉)も構えたとの伝承があり、単なる那須与一伝説ではなく、確実に鎌倉時代から室町時代初期までは荏原地域を経営していたのだ。つまり、新九郎の時代には、那須一族は、振興の伊勢一族によって追いやられた一族だったのである(どうやら承久の乱あたりで勝ち馬に乗れなかったようだ)。
この後、伝承那須与��墓と、那須一族墓を尋ねる。もう何回「迷ってしまったのではないか?」と思ったか知れない。「車でこの細い道を行っているけど、Uターン出来なかったら2度と帰れないのではないか」と思ったか知れない。井原市観光協会の「那須氏史跡案内図」チラシがどれほど役に立ったか!!これがなかったら、山から降りられなかったかもしれない。ホントに怖かった。今現在でも、こんなところによくもまぁ建てていると思えるような家がポツンポツンと多くあった。まるで那須一族隠れ里!迷路のような道を形成していた。天然自然の要塞と言っていいだろう(現在は有名な葡萄産地である)。
興味深かったのは那須一族の墓である。高さ1m長さ10mの須弥壇状の石垣の上に、印塔一基と五輪塔六基が乗っている。印塔には天文15年(1546)の銘がある。これは新九郎のいた時代から約80年後だ。場所は小菅城からかなり奥まったところであり、那須一族は最早平地には降りず、ずっと山の生活をしていたことが窺われる。しかし、もしかしたら案外気楽で平和ないい生活だったのかもしれない。※この印塔を、新九郎初恋の相手那須つるの墓だとすると、つるは90歳以上生きたことになる。あ、あり得ないことではないか‥‥。
もう一つ、第四巻に山の上に高越のお屋敷(お城)がでんとそびえ立っている場面があるが、あれは東荏原の領民からは見えない。唯一、旧山陽道を歩いているときに隣の神代地区から見える風景だった。
これで「新九郎奔る」が立体的に読める!
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失恋→京での疱瘡、麻疹、赤痢の流行病→義母の死→細川勝元の隠居と山名宗全の病気により応仁の乱の終りどころが決められず→新九郎も所領が火の車で政務どころては無い
私見ではあるが、当時の野心的な立ち回りと個人的な問題解決のバランス取り等が新鮮に感じ、面白いし学びも深い。
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応仁の乱を引き起こした首魁二人・細川勝元と山名宗全が、揃いも揃って「どうしたもんかねえ」と、終結のさせ方に悩んだ結果が、この先百年の戦国時代を招くんだから始末に悪いよね。聡明丸って、あの細川政元やろ?そして若き新九郎は、瞬殺された初恋を悼む間も無く、疫病が蔓延する京へと戻り、更には備中との往復を月1ペースでこなす生活に。若き領主様にして、京の便利屋さんと化す。今のところ、今後の人生の基盤となる東海地方には、姉との細い縁しか無いけど、まだまだこれからやね。これ2年前の刊行だし、もう少し歳食ってるだろうけど。