紙の本
仏教の死生観
2023/09/06 18:40
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投稿者:いずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教の考え方というものを、この本ではじめて知りました。
6章の道元の「仏性論」は、手ごわいですが少しずつ読んでいます。
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佐伯啓思(1949年~)は、東大経済学部卒、東大大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、滋賀大学経済学部教授、京大大学院人間・環境学研究科教授等を経て、京大名誉教授。京大こころの未来研究センター特任教授。専攻は社会経済学、社会思想史。一般向けを含めて多数の著書あり。
本書は、月刊誌『新潮45』に連載された「反・幸福論」(2018年6~9月)(同誌はその後廃刊)に、書下ろしを加えて出版されたもの。同連載は、2010年12月から、その時々の時流を勘案したテーマを論じ、いずれも後に書籍化されているが、死生観的な論考がまとまっているのは『反・幸福論』(2012年)、『死と生』(2018年)で、本書はその続編になる。(私は『死と生』は読んだ)
本書は、「安楽死」を導入に、日本的死生観、特に仏教に関わる死生観がメインに書かれているが、著者の他の著書同様、古今東西の先人の思想や著書が引用されており、本書をきっかけに思考を広めるのに大変役に立つ。
「死」、「死にかた」について様々な示唆を与えてくれる一冊である。
(2021年6月了)
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人生の後半戦に突入した自分の今後を考える参考になれば、と思い手に取る。著者が冒頭で述べている通り、「これ」という結論が容易に出せる問いではないが、末尾で述べている通り、解を模索する試行錯誤の過程を辿ることで、いろいろと考えさせられた。
西洋的な近代合理主義では、二律背反となってしまう「死に方の自己決定」について、古代日本あるいは日本仏教の中に解の手がかりを求めようとすることは、やはり日本人である自分には響いた。
特に心に残った箇所は以下の通り。
●「人格」とは、人を社会的存在として形成する接着剤であり、結節点である。人は相互に、それぞれの「人」の「格」を測定し、評価し、それによって、様々な共感のレベルを作り出し、多様な層をもった社会を生み出す。(中略)社会的存在としての他者に対する共感があってはじめて他者を「人格」として尊重できるのである。(P.51-52)
●われわれは常に「いずれ死ぬ」と思っている。しかし、よくよく考えてみれば、われわれは常に「いつでも死ぬ」可能性に取り囲まれている。だからこの一瞬の生は、常にその奥底に死をもっているというべきであろう。「生」は「死」によって支えられてある、といってよい。(P.79)
●「死」とは、最後の「生」であり、「生」の頂点であり、その到達点ともいえる。「よい生」にこだわる者が、「よい死に方」へと生の最後の精神の緊張を向けるのは当然のことであった。「生の尊重」というなら「死に方」も尊重されなければならない。(P.196)
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第一章 安楽死という難問
家族だけはダメなんだよ!/ワシラコロセ/日本の家族主義/確定していない近代社会の死生観/「生」と「死」の境界線
第二章 安楽死と「あいまいさ」
安楽死の容認/尊重とは何か/健常者の「生」とそうでない「生」/共感と人格/ひとつの答えはない
第三章 「死」が「生」を支える
尊厳とは「生」の側の論理/「生」の拡張と「死」の忘却/「生」も「苦」/浄土はこの世にある/AはAでなくしてAである/水面の月
第四章 日本人の「魂」の行方
無駄な問いが気になる者/死は救済なのか/死者の霊は山にゆく/死生観なき死生観/魂は「ここに」いる/「自然」からでて「自然」に戻る/「荒ぶる神」であり「恵みの神」である/万象を貫く「根源的な生命」
第五章 仏教の死生観とは何か
仏教は死を歓迎するのか/確かな実体など存在しない/大きな因果に組み込まれているだけ/「生」は煩悩そのもの/死んでも「苦」は残る/蓮には泥水が必要/釈迦の覚りの普遍性/釈迦は死しても法は受け継がれた/「縁起・無自性・空」
第六章 道元の「仏性」論
生も死も同じ/覚りは現実世界にある/誰でも「仏性」をもっている/なぜ衆生は苦痛にあえぐのか/心の二重性/世界はそのまま仏性である/一瞬一瞬が修行/日本独特の死生観
第七章 「生と死の間」にあるもの
生もよし、死もよし/「間」は「無」であり「空」/生と死の間に無常/生や死をそのまま受けとめる/生者は死者から何かを受け取る
第八章 「死」とは最後の「生」である
人間だけが死ぬことができる/不条理となってしまった現代の死/もどきの死生観/深層に生死一如/死生観を掘り起こす