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面白かった。こういうことを考えながら生きている方なのだな…と。日記みたいな。その日にあったことを書くんじゃなくて、その時考えたことを書き連ねていくような。
デジタルネイチャーについてはその言葉くらいしか知らなくて、どういう意味なのかも知ろうともしなかったけれど、魔法の世紀から読んでみようかなと興味が沸いた。
「忙しいのに暇だよね」が一番印象的だったかな。
そんなん言われたい…というかそういう余裕ってどうやったら出るのかな?という一つの可能性を見た。私はあんな高速では雑談できないと思うが。
写真も文章もキレイというか、なんか心地良くて読んでいて「忙しいのに暇」がなんとなくわかる気がした。これを読む限り落合さんって多分相当優しいというか、真面目でフラットな方なんじゃないかなと思った。メディアで見ていると顔色が悪いなと、いつも大丈夫なのか?思うが…本人がそのくらい疲労していたいということが分かった。それならまぁ…。
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誰もが体験する日常を独自の観点で知覚して表現される、そんな日記。
時に数値でロジカルに考えるかたわら、うまくロジックで説明できない感覚的な言葉が入り混じる、いかにも人間だなぁと思う本だった。
本書には多くテクニカルタームが登場するので、スムーズに理解できない方や、諦めてさらっと読み流せない方には苦痛かもしれない。
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落合陽一氏の著作の中でも内省が際立つ作品だと感じた。
ビフォアコロナの時期にそれが顕著で、「子供」に纏わる話は幼い子どもを持つ者としては心動かされるものだった。
ポスト・ウィズコロナの世界は、氏が提唱していたデジタルネイチャーと呼応する変化が多分にある。しかしそれ以上に、人の心に変化がおきており、そこへの戸惑いも感じられた。
そういう点からも「人間・落合陽一」を感じられる一冊だ。
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理解するのが難しくて、サラッと読んだ。
子どもたちをどう見ているのか、
そういう親視点は共感できる部分もあった。
サンフランシスコで、Uberにスマホを忘れてしまったドタバタ劇がおもしろかった。
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落合陽一氏のことは、たまに WEEKLY OCHIAI をみるくらいで詳しくは知らない。変わった人だなとは思っていたが、それと同時に社会が良くなるためにを常に考えている姿勢に好感を持っていた。最近彼の著書(本書)が出版されたと知り、興味をもったので読んでみた。
独特の文章で少し読むのに苦労したが、情報の密度が非常に濃くこんな文章を書く人がいるのかと驚いた。著者がどんなことを考えて研究やメディアへの露出を行っているのか僅かながら理解できた気がする。しかし、より理解を深めるには他の著作も読んでみる必要があると感じている。
私は睡眠を充分にとらないとダメなので、真似をすることは出来ないが落合氏の研究に取り組む姿勢は参考になった。
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思い込む力は研究に必要とあったが、何しても大事だなと感じた。
根拠のない自信を持って行動して上手くいくと根拠になるそういう姿勢が大切なんだなと感じた。
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noteの連載を抜粋、加筆修正したもの。
ウェブで読むよりもゆっくりと、咀嚼しながら読みたくて購入。
コロナ禍継続中の今読むからこそ感じられるものがあり、自分の在り方を見直すことができる。
先が見えない中で刻々と変化していく生活と世の中をどう捉え、どう思考するかを自分で決めるための思考の見本集のような本。
落合さんの思考を辿らせてもらうことで、見えなかった視点でものごとを見せてもらえる。
●SNSの炎上について(p42〜)
情報発信とそれにまつわる人々の構図と解説がわかりやすい。モヤっとするツイートに感じる違和感の出どころの分類ができて腹落ちした。
●伝えることについて(p94〜)
「できるだけ包み隠さず、変な変換を入れず、自分の中では最大限わかりやすいが、最大公約数は取りに行かない。あえて薄めない。僕が言われてわかる事は僕より賢い人は言われずともわかることであって、お客さんをナメてはいけない、と思いながら。」(p95)
わかりやすく簡略化することでこぼれ落ちる繊細な部分をどう扱うか悩むときに、指針となるような言葉だ。
●チームについて(p250〜)
「自分より優秀な人としか仕事しない/採用しない/チームを組まないと決めている。」
「ついつい自分でやってしまいたくなるタイプである自分にとって何を人とコラボするのか、何を任せるのかと言う選択においてとても重要」(p250)
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落合陽一さんの随筆のような形式の本となっています。落合さんについてはどちらかというとネットの討論番組というか何かの議題についてディスカッションしているところを見ることが多いのですが、いつもすごいと思うのは議論における具体性です。何かの課題についていい、悪いを伝えたり、こうなったらいいと思う(逆にこうだからだめだと思う)ということを伝えるときには、常に理由が求められるわけですが、その付加的に伝えられる情報密度が高い。基本的に一言が長いのですが、その際自分にとっては理解できない単語がひとつ、ふたつ含まれていることが多いです。
この本でも当然自分の知らない単語や組織の名前がいくつかでてきていました。
おおよそ2019年から2021年の間における内容となっているのですが、コロナ前後で書かれている内容が違うなということは感じました。具体的に言うと、コロナ前のほうがおもしろいことを書いています。コロナ後はどうしても課題が内向きになるというか、自由とは逆の監視社会、自粛の方向の議論になるため、それを避けるためにどうしたらよいかというアイディアはもちろん書かれてはいるのですが答えに限界があるので読んでいてなかなか難しい課題だなと感じて終わってしまいました。
人は祝祭を求めている、祝祭とはある意味人が集まるところで発生する、今、人が集まることは難しいとなると、祝祭のない日常がずっと続いていて、人はこの1年半ずっとディスプレイと向き合うしかなかったという状況です。
いくつか素敵な考え方だと感じたところをメモしておきます。
20191220
-発信者として心掛けているシンプルなことがある。コアメッセージを疲れさせないことだと思う。手法論やレトリックは疲れる。体も疲れるし精神も疲弊する。しかし体や精神から切り離されてたメッセージ、つまりアーティストステートメントやコアメッセージは磨かれるほど輝きを増すし、新しい側面が見えてくることも多い。それは接するコミュニティの粒度や密度をいくつか掛け合わせてみて改めて発見することもある。つまり自分の中の光らせておきたいものをちゃんと疲弊する体から切り離して愛でておくということが大切なのかもしれないな、と思うようになった-
落合陽一さんは多忙なので、身体や心が疲れることを前提にこの考え方を持たれているのだと思います。人に疲労はつきものだが、理念のようなものはそういうところから切り離して疲れを帯びてしまわないように気をつけること、それが大事だと言っています。これはなかなか難しいことで、疲れていると自分の考えが揺らぐことは往々にしてあると思うのですが、理念はそことは一段違うところにおいてキラキラと輝かせておかないといけないということだと思います。素晴らしいメッセージというものは、一度発してしまえば輝き続けることができるものと言い換えることもできるでしょう。
20191013
-「社会批評性を持つことのダサさ」に息ができなくなって、「疲弊で眼に映るすべてのものに興味がなくなってから」がモノづくりの時間の始まりだと思い始めた話-
ここは社会批評性を含んだアート作品に対���る忌避のようなことが言われていました。ソーシャルアクション風アートという言い方もしています。テクノロジーを濫用したらGAFAのようなものが生まれて多くの人は不幸になったみたいなことをアートで表現するとかそういうのが嫌みたいで、そういうものに興味がなくなってからがスタートだと言っています。
自分はアートを生み出せるタイプではないのでアートの世界で否定される内容なのかどうかは正直わかりませんでしたが、テクノロジーの濫用を非難する次のステージにわくわくするものが待っているような気はします。わくわくしないから人は批判的になってしまうようなところはあると思います。テクノロジーだけに執着するのはよくないですが、テクノロジーとの距離を狭めてよく見て考えて見えてくるものを待つというのは空虚な論争にふけったりろくに理解しないで批判するよりは正しいあり方だと思います。
コロナ後の内容は面白くないと書きましたがそれはコロナ前に比べてということであってつまらないという意味ではないです。どのように表現していったらいいかということについて具体的に考えている以下の部分はとても秀逸です。
20200419
-マスが動けない社内をどう考えるか。ーーー
クラスタ型でいることのメリットは、密密密な一体感やエンターテインメント感を楽しめることだったと思う。流行に乗っている感覚とか待ち行列やムーブメントの一部になっている感覚にも近いかもしれない。グリッド型の社会は時空間分割されているので一体感はないが、カスタム性の高い社会だ。このグリッド型社会にデジタルが偏在するのが今の状態かもしれない。
-
抜粋が難しかったのだがコロナ社会においては以下のように分類されるはずですが、移動に関する大きな制限を課されたエコノミークラス(マス)向けとなる2,3の在り方はもっと改善の余地があるということを言っていいます。
1.ファーストクラス向けに超少人数のリアルなサービス
2.エコノミークラス向けの仕切り壁、マスク必須のグリッド型サービス
3.オンライン(デジタル)を使った不特定多数・リビング向けサービス
そしてコロナ後、世の中は一斉に3へ舵を切りましたが、それによりイベントは祝祭性を失い、日常の一部に組み込まれてしまったということが納得の分析でした。逆にいうと3のようなイベントにおいて祝祭性を演出できれば大きな成功となるということでしょう。自分はそこについては「参加している感覚」が重要だと思っています。ホストが話し続けるタイプのイベントはホストに希少性があれば成り立つがそれはもはやイベントではないでしょう。参加者はイベントに一体感を求めます。オンラインの空間であってもそこに皆が集まってきたという感覚を得られるような仕掛けがあれば祝祭そのものとならなくても特別な感情を起こさせることができるはずです。
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思い込む力というのは没頭して何かにのめり込むという意味でも大切なのは改めて考えさせられた。何か画期的なアイデアら思考法を得られる内容というよりは、落合さん自身が過去の自分の思考を振り返っていま考え思うこと。が詰まった一冊。子供と接している部分が書かれているのは新鮮だった。
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一時期ハイペースで本を出していたが、結構久々な落合陽一さんの作品。noteで連載の記事を加筆修正したもので、2019年~2020年にかけての落合さんの日常及び、その時々に感じた思考が語られた一冊。連載中にコロナ騒動が起こったので、2020年3月くらいから書く内容がコロナに合わせてガラッと変わっている。横文字が大量にあったりと、読むのは時間がかかると思う。海外でUberの中にスマホを忘れた話があったが、それが一番面白かった。
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言語感覚も半歩先へっていう本。
思考は言語から始まるので、この独特の言語感覚を持ってして独特の思考に至っているんだろうなー、と。
デジタルネイチャーが少しわかった気がする。
noteに書いた文章を編集した本。
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著者は天才過ぎてついていけないときがある。
デジタルアートを語りだされると、私のボキャブラの少なさに嫌気が刺してしまう。
だけど、こういう人が未来を見ているのでしょうね。
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落合氏の本の中で1番理解しやすいと思った。
私自身も自分が腐ってしまわぬように、何かをやめてみたり、知的好奇心に刺激を与える事を常に追い求めて社会貢献に結びつけたい。
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2019年1月から2021年3月までの2年間にnoteで書き記した文章を編集・時系列に掲載
「ちょっと先の時間」、つまり「半歩先の未来」について考えることが好き
半歩先の未来は五感に接続されているように感じる手触りのある時間→半歩先にある現実感を持った未来を想定し続けることがその先の未来へ繋がる。
①SNSは時々「換気」が必要/暴言や陰口ばかりのアカウントはアンフォロー→気持ちのいいコミュニティを作る努力をすべきだ。
②世の中には「分かりやすいコンテンツ」が溢れている。しかし、思考のスイッチが入るのは「分かりにくいもの」だ。
③ウィズコロナによりデジタルとアナログの乖離が進んでいる。キャッシュポイントの変更やデジタルの付加価値の再検討が必要だ。
④社会システムに監視の目が組み込まれる「ディストピア」が現実になりつつある。個人の権利と集団の利益を共存させる世界の構築が課題である。
SNS上で文脈にそぐわない切り取られ方をされて叩かれる人が増えている。
炎上の構造
ⅰ発信者が情報を発信する/「Aという業界・文脈の人」で「Aの業界ではよく知られるBという事例」を知った上で「Cだ!」と発言をする。Aを知るには体系だった知識が必要でBは検索すればすぐ出る事例
ⅱ Aを知る人ならBとCの区別はつくがそうでなければ見分けるのが難しい→ABCをよく知る「理解者」たちは日々考えながらAを練り上げており、さらにDまで知る詳しい人たちは新しい切り口や情報を提供してくれる。
ⅲ フォロワーが少ないうちは建設的に話が進むが徐々にCを知ったことを誇りたい「自称情報感度の高い人」たちが増えてくる→彼らは自分の中で考えを反芻しないためABを無視してCに飛びつく。
ⅳ この動きが顕著になるとそれを快く思わない「意識高い嫌い」やAに疎くBとCの区別がつかない「エセインテリ」が出現
本を一冊読めばわかるようなメッセージがSNSで炎上するきっかけは、「意識高い嫌い」がネタとして喋り始めるか「エセインテリ」の誤解のあるマウンティングであることが多い。
良い情報発信者になる秘訣は、「理解者」「詳しい人」の仲間を増やしていくこと
学校や会社の集まりで暴言・陰口→「空気悪くなる・そういうことはやめよう」と誰かが注意
当たり前のことがTwitterやFacebookでどのくらいできているのか?→ミュート・アンフォロー・友達から削除で平和になる。
世の中のコンテンツは、分かりやすく作りすぎているものが多い。何の予習も考えることもなく、「楽しかった」と思い出が残るものが大多数
それらに一定の価値を認めるが、出来るだけ一緒に考えられるコンテンツを作りたい→可能な限り薄めず変に変換せずに最大公約数を取りに行かない。
思考のスイッチを入れるのは大変だ。説明過多なコンテンツに慣れすぎていると、「考えさせるポイント」自体を提案されることにも慣れてしまう。映画は「考えさせる事」自体をコンテンツにしている。
考えていることを分かりやすく提示しようと思わない→もっと違う化学反応を見たい(個展でお客さんの解釈の中に新鮮な解釈を発見・「そんな風に考えて��なかったが、それも新しい発見だ」と思う瞬間を出来るだけ味わいたい)
「分かりにくいもの」は「分かりにくいから考えるところから一緒にやりましょう」と伝えたい。
研究に限らず、「分野や領域を変えて同じところに何周か立ち戻る」ことを繰り返す→これをしながら独自の視点を探していかなければ腐ってしまう。
価値観が固定されると、指標を作った人の指標を満たすゲームになってしまう。
指標化されているものにも価値はある。しかし指標化されないものを探し続けることに重きを置きたい。
武道で言うところの「守破離」(しゅはり)を続けていくこと
ウイルスが訪れ、優しいディストピアの足音が近づいている。ペストに限らず、疾病は常に新しい文化を連れてくる→今起こりつつある優しいディストピアは、善意による管理社会・社会保障とデータ追跡の訪れ
コンピュータによって管理された情報社会・スマホ・マイナンバーであらゆる情報を紐づけることで健康維持→コロナ対策→個人の自由or孤独な連帯感によるディストピア
先行きが読めない世界を右往左往する時間は、大きな精神的負担を課してくる→ほぼ全ての社会の人々が太陽と雨によって意のままに支配される状態
この災禍時の感覚から距離をとって平常を目指すのは難しい→メディアやSNSが発達した今、目と耳を閉ざすことも困難
ウィズコロナの時代 N人がN通りの方法でそのコンテンツを楽しむ→今後はNtoNの価値を高めていく方法を考えていかなければならない。
ウィズコロナを内包した社会構造では、集団から分散へ、密集から過疎へ、クローズからオープンへとさまざまな変化が見られるだろう。
身体性を伴う大きなものは分解して小さくする。小さな身体を支える大きなデジタルリソースを懐柔できれば、ウイルスという自然の脅威とも向き合えるかもしれない。
ウィズコロナの社会変化
「マスが動けない・集まれない・触れ合えない社会」→従来の社会ではメディアを通じてマスを動かしてお金を集めていたがそのモデルは変化しつつある。
イベントなどを通じた課金システムは変更を迫られている。デジタルでアートを鑑賞したり作ったりというところに価値基準を置かなければならない。今までの価値観ではうまくいかないものが増えている。キャッシュポイントの変更やデジタル上でのアートのあり方などの再検討が必要
デジタルとアナログの乖離も進んでいる。これまでは体験価値をデジタルで拡散して付加価値を高めてきたが、「自宅への流刑」によって断絶されている。経済的にはキャッシュポイントが減ってきているため、顧客との紐付け、中長期の戦略策定が急務である。今、実社会志向のサービスを提供する全ての個人・会社が、同じ問題にぶつかっている。
人は移動しにくい。しかしモノは動き、デジタルはより動いている。しかしその紐付けが適切にされていない。急成長するデリバリーサービスのように、動きにくい人と動きやすいモノをつなぐ点を考えなければいけない。
Webはスマホからデスクトップへと移行している/Instagramを使ったソーシャルマーケティング+リアルイベントの機軸は大きくずれデリバリー+ソーシャルマーケティングが主��になるかもしれない。
社会はクラスタ型から、枠にはまったグリッド型へ移行する
クラスタ型のメリット(密な一体感やエンターテインメント感・流行に乗っている感覚やムーブメントの一部になっている感覚)
グリッド型(マスは時間軸・空間軸のグリッドに分割・分配される/社会に一体感はないがカスタム性は高い/このグリッド型社会にデジタルが偏在しているのがコロナ禍の今の状態)
ディストピアの設計論を考える社会実験が全世界で進行中→個人の権利と集団の利益が共存する世界をどうやって構築していくかが肝心
ウィズコロナにおけるITのあり方はそのまま原義的なスマートシティのあり方に繋がっている。
スマートシティ=経済活動と雇用機会の面で持続可能性を提供する社会インフラ
コロナ対策とマイナンバーの紐付けやメガアプリとの連携はスマートシティ構築の基盤となるだろう。
スマホで動きをトラッキングした後は、それを社会システムに組み込んでいく→スマホ、都市、行政サービスや交通の中に監視の目が入っていく→私たち市民はディストピアの足音を監視しなければならない/実装者は人間の自由を保つ方向にうまく設計していかなければならない。
システムの制定は人間の仕事だ。格差を広げたり一部の人間の意思決定だけで社会を維持するシステムであったりしてはならない。
ある時点での自分のスナップショットに引っ張られすぎてはいけない→誰しも過去に若気の至りや間違っていたと後悔するようなことがあり→それを正当化せずにキッパリ自己否定し、次に進む柔軟さが大切/変わり続ける世界では常に思考をアップデートし続けることが何より求められる。
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落合さんのnoteを加筆修正してまとめた本。圧倒的に読みやすいのは小話として差し込まれている海外でケータイをUber に置いてきてなんとか乗り切る話です。
が、それ以外も全部が全部理解できるわけではないけれどなるべく平易に表現してくれていると感じます(注釈も多いですし、デジタルネイチャーについて色々なところで使用した説明を引用して説明してくれるところもあります)
1話1話も短いので、少しずつ噛み砕きながら読むことをお勧めします。
個人的には第6章、ウィズコロナで日常を生きている落合さんが考えていることを覗けたのは面白かったです。