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「自分と同じ職業軍人のために書いていたのであって、大学の政治学部で講義をするような学者ではなかった。(途中大幅省略)クラウゼヴィッツは実用性と簡潔性をを優先し、普遍性を犠牲にしている。」とあるが現在まで受け継がれているのには訳がある。この本はそれを読みとくためのもの。
とにかく「言葉」がヤバい。ビンビンくる。クラウゼヴィッツ自身に芸術の心得も遭ったらしく、戦争軍人が行うことと芸術家が行うことに類似性を感じていたフシがある。
以下はそのビンビン来る言葉を列挙してみた。
戦争は「他の手段を交えた政治的交渉の継続である」。あらゆる術(アート)の唯一最大の狙いは「可能な手段(Mittel)をあらかじめ定められた目的(Zweck)のために用いること」。「それを知っている」という「wissen」(なにかについて知る)問題ではなく、「どのようにするか知っている」という「kuennen」(できる)という問題である。戦争はそれ自身の「論理」(logic)を持つという考えを否定しており、もつことができるのはそれ自身の「文法」(grammar)のみだと述べている。戦争はカメレオンの様に規模・形態・情勢が変化していく。
・主に国民による憎悪や暴力性をもたらす傾向
・主に軍隊による自由な精神活動としての傾向
・主に政府による従属的傾向
の3つから三位一体が成り立っているとまとめている。この三位一体の各要素はそれぞれに固有の役割を持っており、これらの主体や相互の関係を無視して現実の戦争を見ることは不可能であると論じている。
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クラウゼヴィッツの体験や当時の歴史などを紐解き、その戦争観がまとめてあります。
ただ、前知識が必要かなと思いました。
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ずっと読みたいと思いつつ時間がなくて読めていないクラウゼヴィッツのまず解説本を読んでみた。
クラウゼヴィッツの原本(日本語訳)はレクラム版でもなかなかの文量があり、とっつきにくさを感じていたところ、本書は要素を絞って解説されており、特筆すべきこととして、脚注で原本における該当ページを示してくれているのが素晴らしい。ページ数はメモったので、そこに重点を置いて原本にチャレンジしたい。
・【p.40】戦争を「独特な三位一体」とし、政府の政策指導、軍隊の専門性、そして国民の態度は、すべてが等しく重要な役割を果たす(レp47)
・【p.45】クラウゼヴィッツは「博学」な将校を〔おそらく個人的に〕軽蔑
・【p.48】クラウゼヴィッツのライバル的な存在であったジョミニは、「戦場の決定的地点に対して自軍の大部分を次々に投入すること、そして自軍の補給線を混乱させることなく、敵の補給線に対して可能な限り自軍を仕向けること」が勝利の秘訣と主張。これを達成するには「内線」を支配すべき。他方、クラウゼヴィッツは同論を否定
・【p.49】不確実性という要素が生じるのは、主に敵の意図と反応を正確に判断するのが不可能であるから。とくに敵の軍事行動を決定する圧倒的な政治的動機が存在しない場合、さらに困難
・【p.50】「戦争は危険」。戦争は危険であるがゆえに、それに参加したことがなければ戦争がどのようなものか想像できない。
・【同上】戦争は不確実性と確率の領域に属するものだが、それよりも苦難、混乱、疲労、恐怖に属する。これらが組み合わさって、クラウゼヴィッツが摩擦と呼んだ要素が形成(レpp.97-101)
・【p.54】軍事的天才(レ第1編第3章)
・【p.55】「軍事的天才」の資質のひとつとして、「クゥ・ドゥイユ」(「戦場の霧」の中で何が起こってるか、何を為すべきか認識できる直感的能力)
・【p.61】芸術と同じように、戦争を学べるのは、理論ではなく、過去の戦争から学びとることのみ(レp.164)
・【p.62】歴史的データは次のプロセスを経る必要あり。第一に、歴史のリサーチ〔ファクトチェック〕。第二に、原因と結果との関連付け(何が起こったかを説明してから、次になぜそれが起こったのか説明)
・【p.71】クラウゼヴィッツは戦争の理論化そのものは有用と認めていた。ただ、それは理論家が自らの限界を認識し、「定量化できない精神的要素」を「定量化できる物理的要素」と同じくらい重要と考慮してればという条件付き。
・【p.73】「戦争は他の手段をもってする国家政策の継続に他ならない」(レp.14)、戦争は「他の手段を交えた政治的交渉の継続」(レp.338)
・【同上】戦争のタイプは「敵の撃滅を目的とする戦争」と「無条件講和を余儀なくさせる戦争」のどちらか(レp.14)
・【p.74】クラウゼヴィッツ自身の戦略と戦術の定義は、「戦術とは、戦闘における戦闘力の使用に関する規範であり、戦略とは、戦争目的を達成するための戦闘の使用に関する規範」(レp.108)
・【p.75】戦争の目的は広範の可能性があるが、クラウゼヴィッツによれば、それを達成する手段は「戦闘」のみ。兵士には「戦闘」以外の目的なし(レp.58)
・���p.77】戦術は交戦、つまり交戦の計画と実行に関することで、戦略はこうした交戦をうまく調整して戦争の目的を達成すること。(レp.128-129)
・【p.106】それぞれの時代に、その時代独特な戦争があり、その時代独特な制約条件があり、またその時代独特な拘束あり。戦争が限定される要素は文化的な状況による(制限戦争)(レp.319-320)
・【同上】絶対戦争は、クラウゼヴィッツによるとプラトン哲学のイデアのようなもの(レp.25)
・【p.107】戦争の目的は、自らの意思を相手に押し付けること、つまり「相手に我が意志を強要するために行う力の行使」(レp.22)
・【p.108】戦争は「政治的な動機によってのみ引き起こされる。したがって、戦争は、政治的行為である」(レp.43)
・【p.111-112】軍事行動には休止状態があるという戦争の現実は「摩擦」(レp.97)と同じ、現実と理想の戦争を明確に区別するもの。
・【p.112】攻撃側と防御側の双方が同時に先手を打とうとする強い動機をもつことは極めて珍しい(例外は一次大戦)。クラウゼヴィッツは、これが人間の本質であるため、この状態が生じるのは当然と論じる。敵に関する情報は不確実性であり、敵の力は過小評価でなく常に過大評価しがち。だからこそ「精神世界を圧迫する一種の重力」のようになる(清水上314)
・【p.112-114】「軍事精神」がなく、大衆の圧力や大目標がない場合、軍事行動は次第に停滞する可能性が高い。(清水上316)危険や運といった要素が全ての戦争を賭け事のようにしてきた例を見てきたが、政治や国民にやる気がなく、勇敢な指揮官がいない場合には、戦争は大きな賭け事ではなく「銅貨による小博打」に似てくる(清水上317)
・【p.114】戦争は人間の弱さや本質的要素である「摩擦」によって制限される。制限戦争における目的を達成する場合でも「絶対戦争」というモデルを目標に注力せねばならない(レ300)しかし、ビスマルクのように、政治指導者は軍人が度を越した行動をとって制限戦争を絶対戦争に拡大させないよう十分注意する必要があると後世では捉えられる。
・【p.116】防御に関する議論において、防御の目的は消極的であるが、戦争においては防御は攻撃よりも強力な戦い方である。(レ229)しかし、防御は純粋に受け身というわけではなく、防御とは本質的に敵の攻撃を待ち受けて、さらに反撃するという2段階構成。軍隊が防御態勢をとるのは、そこから戦闘を行うため。防御は盾のようなものだが、「攻撃的要素も巧みに組み合わせた」能動的な盾
・【p.118】反撃のタイミングは主に2つ。即座の反撃か敵を自陣にまで引き摺り込むもの(ナポレオン戦争時の露)。クラウゼヴィッツは後者の戦略は防御側に有利と考え、攻撃側の求心力の低下と防御側の蓄積が逆転するタイミングを「限界点」と表現(レ276)
・【p.141-142】第一次世界大戦があのように悲惨になったのは、軍人らがクラウゼヴィッツを読んだからではなく、当時の社会的・政治的な構造に原因(レ320)。この教義は、マルクス・エンゲルスに感銘を与え、レーニン・トロツキーにも影響。(中略)レーニンはクラウゼヴィッツを頻繁に言及し過度に賞賛
・【p.147】クラウゼヴィッツの重心に関する言及(レ322)