紙の本
大学生は文学には、あまり興味がない
2022/05/01 20:36
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある番組で、「東大生、京大生に聞いた、名作とよべる日本文学は」というコーナーがあった。名前があがった作品は、「羅生門」、「走れメロス」、「こころ」、そう、教科書に載っている作品ばかり、つまり、大学生はあまり文学には興味がない
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教職や、それを目指している人向けの本だとは思うけれど、一般人でもわかりやすいように書かれている。国語教育の変遷とこれから。
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戦後の国語教育は何を教えてきたのか、特に文学の扱われ方に着目しながら、上からの要請と現場の実情との間で揺れ動く国語教育の姿を描く本。特に小学校での『ごんぎつね』や中学校での『羅生門』といった「定番教材」が生まれた過程が分かりやすい。
おれは英語教育に関係するので(と言っても「英語教育史」となると実はそんなに勉強してないかもしれない)、英語の教え方とか教材とかは多少分かるけれども、国語は全然知らなかった。けれども、言葉を教えるという点では共通する部分もあり、割と面白く読めた。例えば今おれは中1を教えているが、リーディング教材の定番?「がまくんとかえるくん」とか、淡々と教えてしまう。今使っている教科書の最後にThe Golden Dipperという、調べてみると小学校の道徳の定番?らしいが、おれは初めて聞いた。けどこれ全くおれの趣味に合わないというか、本当こういう教材のメッセージを味わわせるのは苦手。その意味では時枝の信条とする「惚れさせない国語教育」(p.32)というものに賛成。「民主主義思想を語る教材を読ませてその内容に感化させるのでは、やっているのは同じことだ。だから時枝は、メッセージの正しさではなく、理解・表現の仕方の正しさに目を向ける。(略)言語技能の訓練をするという、『惚れさせない国語教育』を主張した」(p.36)というのが、すごく共感できる。広島や沖縄の修学旅行に関連させて、何か戦争の悲惨な物語とかを読ますというのが、否定は全くしないけど(英語を読むきっかけが増えるのはいいことだし)、あんまり悲惨すぎるものを教えるのは苦手。
次に戦後初期の話で、「難解な文章の注釈を行うことが国語の授業のほとんどすべてだった教師にとっては」(p.47)、という部分があるが、英語でもそういう教師のビリーフってあるよなあ。おれを含めて。いちいち色んな単語について語源とか他の意味とか、注釈をいかにたくさん施すか、みたいなことを信条にする先生…。そこから驚くのは学習指導要領の「昭和二六年版(試案)」の国語教科書。現代文と古文が関連するように配慮され、「ラジオの聞き方、編集の仕方」(p.72)とか、「映画のみかた」とか、「話すこと」、「聞くこと」にも目配りして本以外のメディアも入れるという、戦後なのに画期的すぎる。時代を何歩も先に行っている感じがして、すごい。「今日から見ても、言語表現への着目とメディアの中での言語のぬりょくをこれだけ網羅しているというのは、相当の先進性を持っていたといっていいだろう。」(pp.73-4)というのはまさしくその通りだと思った。そしてこれが、現場では不評で全く浸透しなかった、というのも、予定調和。「具体的にどのような学習活動を展開すれば、各単元の目標とする言語技能や方法知が身に付くのかが見えなかった。つまり、具体的な学習指導については使用する教師に丸投げされていたのだ。そもそも中等教育の国語教師はほとんどが元国文学徒であり、その拠り所はやはり文学にあった。」(p.77)というのはリアルだ。前半部分は、今でこそ指導書というものが充実しているが、そんなものが全くないという当時の状況がリアルなことと、そして後半部分については国語の先生になったのは文学が好きだからであって、��法の分析とか会議の進め方?とかそういうものが得意とか興味があるとかそういうことではない、という先生の実質的な部分が明らかになるという意味でリアルだった。今はどうなんだろう。例えば言語学畑の人で文学に疎いとなると、やっぱり中高の国語教育はやりにくいのかな。中高の英語教育だったら、やっぱり言語学方面に強い方が文学よりも向いている感じがするのだけれど。そして分冊ではなく「総合編」という教科書になり、p.79には光村図書の教科書の目次があるが、すごく面白い。こういう感じで英語の教科書も編集できないのかなあ。例えば「映画への理解」という章で、「幸福のりんご」というのを(何かよく分からんけど)読ませて、その後「シナリオ」とか「映画の見かた」に続くという、内容を統一させて、その中で色んな形態の教材を扱うというのは面白いと思う。
それから「一九六〇年代までの国語教科書は文学教材について、今よりも広く多様な視点から考えられるラインナップだった」(p.156)ということで、シェイクスピアやゲーテみたいな翻訳教材もあったというのは、意外。国語の授業でシェイクスピアの戯曲を読むなんて、想像できない。
そして大学入試。「客観テストの名の下に、マークシートを用いた選択肢による解答は、開始前から強い反対、批判の声が上がっていた。」(p.161)けれど、今となっては少なくとも当たり前のこと、という感じがする。そんな批判があったんだ、と思うくらい。ただこれはたぶん「妥当性」に関する批判なので、今の英語の四技能評価の話は「実行可能性」の話だから、将来的に解決されるのはやっぱり難しいのか。そして、今の教科書ではどんなラインナップがあるのか、という話が面白かった。「中学・高校の国語教科書の評論教材としては、内田樹、内山節、鷲田清一、福岡伸一といった書き手のものはひっぱりだこになっている。文化論や哲学、自然科学、環境論、生命論等、筆者の独自の視点から事象を切り取って、現代社会の諸問題や現代思想を考える入り口を提供しており、これらの書き手の文章は大学入試問題にも頻出している。このことは教科書の教材選択基準として当然、各社の念頭に置かれている。現場の教師の教科書選択の中心的な規準となるのがこの評論のラインナップだ。採択する教師からすれば、定番教材があるのはどの社も同じ。とすれば、後は評論の品ぞろえ次第、そこに一つでも新鮮で扱いやすい現代小説があればなお良い、といったところだろう。」(p.183)というのが、分かりやすい。そして「水の東西」という1977年に出た評論が未だに採択され続けるのは、とてもコンパクトであるという「その分量の適切さ」(p.184)で、「編集側からいえば教科書のコンテンツとして評論は数多く収録したいし、現場の側も短時間で扱えて、二項対立や対比関係といった目印に着目した評論の読み方を教えられる」(p.185)という、確かに評論の授業で「しかし」に▽印をつけて、みたいな授業をおれも受けたことがあるけど、ああいう感じだろうか。どんな教材が選ばれるか、という話で他に分かりやすかった部分は、「入試問題でも教科書でも、評論には『論理の飛躍と曖昧さ』や『難解な観念的言語』がほどよくあることが必要だ。論理展開に隙間無く、論証の道筋が明確な研究論文や、誰が読んでもひっ��かりなく理解されるように書かれている説明文等は、大学入試問題や教科書の評論文としては向かない。問うことや教えることがなくなってしまうからだ。一回読めばわかるような文章は、読解の授業では扱われてこなかった。」(p.228)というのは、リアルだなあ。英語なんかは逆に1パラグラフ1アイデアで書かれている文は問題が作りやすい、とか論理が飛躍しているものは避けられる、ように思うけれど。
他の定番教材の話として面白いのは小学校の「キツネ読本」。「現代の子どもたちの生活においては身近な動物とは言えないキツネが、なぜ国語教科書には多く登場するのかは、一度しっかりと考えてみる価値があるだろう。」(p.201)という部分は思わず笑ってしまう。そして、その分析も面白かったが、この本だけではよく分からない部分もあったので(「戦争平和教材が『戦争の記憶』が薄れかけた高度経済成長後に増加したのと同様に、同時期に進行した『生命性の歴史』の衰弱によって共同体から失われてつつあったものを、国語教科書はキツネに仮託して顕在化させている」(p.205)という部分は分かったような分からないような(つまり実生活でキツネ(自然)とつながらなくなったせい?)、ここの引用文献になっている『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という新書を読まないと。)ちなみに今おれが使っている中1の英語教科書でもFox and Tigerという物語が載っているが、「虎の威を借る狐」の話で、「ごんぎつね」とは違った、イソップ的な高度経済成長期前の国語教科書のキツネである感じがする。1961年の「ごんぎつね」が全然違う?結末になっている、なんて本当、この本の中で最も驚いた部分だった。
そして最近(と言ってももうだいぶ前からだろうけど)、「言語活動だけがひとり歩きし、手段であるはずの活動が自己目的化され、『その言語活動がどのような<読み>を生み出したのかは問題とされない(略)手段であるはずの活動にばかり腐心し、結局何が学ばれたのか、どんな力が身に付いたのかがわからないような実践も少なくなく、『文学教材を扱いながら活動させているだけで、子どもの文学体験がないがしろにされている』」(pp.223-4)という部分は、まさしく英語教育の陥る危険と同じだよなあと思う。
「英語教育は文学をどう扱ってきたのか」という趣旨で英語教育を網羅的に扱う本は、ありそうだけれど、あんまり知らないなあ。そもそも英語教育史というのがそんなにメジャーな分野ではないだけに。キツネの本と合わせて、探索してみたい。(22/02/13)