紙の本
全ては相対的
2022/04/21 22:39
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
量子論で観測した時に起きるとされるコペンハーゲン解釈による波の収束や多世界解釈がいまいちピンと来なかったのに対して本書では関係論という捉え方をしていて腑に落ちる気がした。絶対的な「物」などこの世界には存在せず全ては相互作用による相対的なものであるというが本書の理論である。思えば速度や長さ、高さなどの物の性質とされたものは相対的なものだし、時間や空間さえ相対性理論で絶対のものではなくなった延長線上に全ての物質も絶対的なものは存在せずに周りとの関係性に依存しているという解釈が出てくるのも自然だと思った。
紙の本
物理と哲学
2022/02/24 09:22
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
量子論についての流れが紹介されたうえで、人間の意識や文化なんかとの関わりまで話が及びます。ブライアン グリーンの「時間の終わりまで」と合わせて読むと、話が重なっている部分と、それぞれの観点のちがいなんかがあって、おもしろいと思います。
むかし、物理学と哲学は、同じ人物の中で、真剣に考えられていたということもわかります。(「むかし」だけではなくて、「いま」 も同じでしょうね)
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世界は対象によってできているのではなく,関係によって対象が存在しているというコペルニクス的転換によって量子論を解釈する関係論的解釈に基づいている。本書は物理学の範疇を華麗に抜け出し、哲学、心理学、生物学の範囲を駆け抜けてゆく。関係論的解釈によって二元論など先入観に囚われた世界を新たな記述によって再解釈し、観測することが可能になる。
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量子論は確率、観測可能、粒状性
位置や速度は「行列」で示される
量子 重ね合わせ どちらでもない状態
ハイゼンベルグの「観測」オブザーベイション
観察によって手持ちの情報が変わる
二つの物理的対象物のすべての総合作用を「観測」と見なすことができる。
あらゆる対象物のあらゆる属性が速度のように相対的
量子もつれ エンタングルメント
遠く離れた二つの対象物が同じ振る舞いとなる 第三の対象物との関係
ナーガールジュナの「空」 独立した存在がありえない ≒量子力学論
究極の実態の追求 ⇔ 相互依存と偶発的な出来事の世界
意味とは、生命の外側と内側の妥当な「相対情報」
概念の更新
脳は見えそうなものを予期し、自分の予測に反する情報の入力、確認をしている
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著者はループ量子重力理論の人で、内容は哲学というか宗教というか、そういうものだった。
古典力学だと多体問題にならなければ、わりと明瞭な世界で、精神性など入り込む余地はあまりないように思う。
一方、量子力学になると途端に曖昧でぼやけた確率の世界になる。そういう点で、哲学とか宗教とかと重なる部分が出てくるのだろう。
量子力学の振る舞いと人の営みとのアナロジーがいろいろと語られている。それはそれで面白く、なるほどなあと思うところが多くある。が、だからといってそれ以上のものはない。量子力学を持ち出さなくても語れるところではある。
著者はとても賢い人で、哲学や宗教などについても造形が深いと思う。本書で触れられていることを(物理方面は問題ないが)私はあまり知らないし理解も浅いと思う。それぞれ本を読んでみたいなあ、読まなくては、と感じた。
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奇妙に美しい内側を垣間見る
極端な思いつきを集めた奇妙な動物画集
みなさんにとっては現実、でもわたしにとっては現実でない事柄とは?
現実を織りなす関係の網
立ち現れる相手なくして、明瞭な記述はない
「自然にとっては、すでに解決済みの問いだ」;でも、それはほんとうに可能なのか
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解説竹内氏の「ルネサンス的な知性による本」まさにその通り!!
量子物理学のテーマからこんな哲学の話につながっていくとは思わなかった。たしかに世界の真理を解き明かそうとする学問という根っこは同じか。
竹内薫氏の解説、冨永星氏の訳者あとがきから読んでもいいかもしれない。本文で迷子にならないようガイドになってくれる感じ。
正直、量子物理学の現象の詳細やら過去の物理学者のアレコレは斜め読みですっ飛ばしていたが(とはいえシュレーディンガーのスキャンダラスな私生活には思わず目をみはる)、哲学的思索へとつながっていく流れに引き込まれていき、じっくり読み耽ってしまった。
量子物理学では、対象物と測定装置との相互作用を無視することができない。絶対かと思える実験結果も、あくまでその観測者の視点で像を結んだ見え方にすぎない。それは観測者と対象との「関係」によって実現されたもの。現象とは、この世界の一つの部分からほかの部分への働きかけなのだ。
ほかの要素との関係において他の要素のありようが決まる、というのは、受精卵から細胞が分化していくときに隣の細胞がどの組織になるかによって自分も何の組織になるか決まる…「細胞は空気が読める!」という話と既視感を覚えた。出典は福岡伸一氏。『動的平衡』だったか?
絶対不変の現実は存在せず、ほかの視点と相互に関係することで、その事象への理解が深まっていく。
真実はいつも一つ?それはどうかな??
人がものを見るとき、目から脳に信号が送られて像を結んでいるのではなく、実際は脳から目へ信号の大部分が送られている。脳はすでに知っていることに基づいて見えそうなものを予期し、予測した像を作る。そして予測と違いがある場合に限って、目から脳に信号が送られる。それがもっとも効率的なやり方だから。
色眼鏡をかけてものを見ると、予測との違いを脳は受け取らないんじゃないだろうか。それが認知バイアス。
ダイヤの原石を磨けるのはダイヤモンドだけ。テーゼとアンチテーゼからのアウフヘーベン。多様性の中で生み出されたアイディアはよりイノベーティブ。
自分だけの視点、あるいは同質的な視点ばかりでものを考えるのではなく、異なる視点と交わることでより高みへ行ける。ダイバーシティの重要性とはそういうことだろうと思い至った。著者がそんなことを伝えたいのかはわからないが!
最後の最後、シェイクスピア『テンペスト』からのプロスペロの一節の引用が沁み入る。いやはや、著者の教養には恐れ入る。
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新聞の書評を読んで面白そうだったので読んでみたけど、量子については1mmも理解できなかった。現代物理学は哲学という認識は得た。
冨永星さんが翻訳を担当された「素数の音楽」を読んだ時も思ったけど、この解明に関わってきた人物たちのエピソードが破天荒で面白すぎる。ボグダーノフが初めて口にした言葉が生後18か月の「パパはばかだ!」に笑ってしまった。
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量子理論の本かとおもいきや、ゴリゴリの哲学本だった。
量子の理解不能な振る舞い(観察の有無で結果が変わる)についての解釈はまだ結論が出ておらず、いろいろあるみたいだが、この本の解釈は面白いし、分かりやすかった。
その解釈の説明が前半を占め、後半はその解釈を踏まえて、この世界をどう捉えるかという哲学的な話になっていく。
そこからはかなり難しかった。
何となく分かったような分からんような感じだったが、物理学と哲学の近さは感じた。
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【はじめに】
カルロ・ロヴェッリは以前『すごい物理学講義』と『時間は存在しない』を読んでいた。『すごい物理学講義』は著者が重力と量子力学を統合する究極の理論として追究するループ量子重力理論の一般向け解説であり、『時間は存在しない』は時間の矢がなぜ流れるのかをエントロピーの観点から考察したものである。いずれも、非常に抽象度が高く難しい理論を、一般向けにとても分かりやすく興味を惹くように書かれていた。
本書は、世界は空間と粒子の前にそれらも含めてまずは「関係」から生まれくる、とする考えを量子力学の理論から説明し、その上で生物の志向性とわれわれが認識する「意味」も同じく関係から生まれてくるという著者の考え方を示したものである。
なお原題は、ハイゼンベルグがすべての始まりとなる量子行列力学の構想を得た場所であるヘルゴランド島から取られている。自分は一般論として原題を尊重するべきだという考えを持っているが、邦題で付けられた『世界は関係でできている』の方が、さすがに内容を的確に示しているし、分かりやすく、また売りやすいだろう。
【概要】
本書の構成は、以下の三部構成となる。第一部はイントロダクションで、第二部と第三部がメインとなる。
第一部の量子力学の誕生期のエピソードとして、ハイゼンベルグによる量子力学の構想とそれに続くシュレディンガーの波動方程式の話に触れられる。時代を画することとなったハイゼンベルグの論文の最初には「もっぱらオブザーバブルな量の間の関係のみに依拠する量子力学の理論に基礎を与えることが、この論文の目的である」と書かれている。この「オブザーバブルな量の間の関係」という概念がこの本の鍵となる。
第二部は、量子力学の解釈に関する章となる。いわゆるコペンハーゲン解釈の先にある「量子論は、自然の一部が別の一部に対してどのように立ち現れるかを記述する」 ― これが量子論の「関係論的(Relational)解釈」と呼ばれるものの紹介である。量子もつれや光の量子実験など量子力学から導かれるが人間の直観には反する事象がいくつか紹介される。本書の対象となる読者が科学者ではなく一般向けであることから数学的な厳密な理論はほとんどない。しかしいくつかの量子力学の結論の結果、著者としては「この世界が属性を持つ実体で構成されているという見方を飛び越えて、あらゆるものを関係という観点から考えるしかない」と結論つけるのである。基本的に相互作用から切り離された孤立した実体というものや状態というものはない。対象物の属性は、他の対象物に対してのみそのような属性として存在する。量子力学におけるこの考え方を「状況依存性(Contextuality)」と呼ぶ。
ここから導出される著者の結論の中に、多世界宇宙論の否定がある。なぜなら多世界の前提として、世界を独立した事実とみなし、外部の独立した観察者を前提としているからだ。量子力学の観点からは独立した事実というものはなく、相互作用したときに発生する関係のみが世界なのだ。「事物の総体には「外側」がない。外側からの視点は、存在しない視点なのだ」と説くのだ。
続く第三部は、第二部を受けた形で、われわれに生物にとって「意味」や「志向性」がどのようにして生まれるのかを語る。新しい第三部の冒頭に、唐突にマッハの思想を受け、組織化という概念を推し進めた旧ソ連のボルダーノフや、空の概念を論じたナーガールジュナ(龍樹)の話が置かれる。その後、心的現象もまた量子の世界のように何か実体や土台があるのではなく、関係性があって初めて実体や属性が現れるというように論を進める。
著者は、最終的に相関情報と進化論を世界に共通する原則として措定する。そして、次のように宣言する。
「意味や志向性は、至るところに存在する相関の特別な例でしかない。わたしたちの心的生活における意味の世界と物理世界はつながっている。ともに、関係なのだ」
【所感】
第二部の終りに著者は次のように書いている。
「思うに、わたしたちは科学に哲学を順応させるべきなのであって、その逆ではない」
その通りであると思う。「われ思うゆえにわれあり」と宣言したデカルトが起源とも呼ばれる現象学や実存主義などの西洋哲学も量子力学や宇宙論に順応されるべきであるし、精神分析や心理学も含めた哲学全体も脳神経科学の観点に順応されるべきである。ここで著者が試みている「世界」の把握に関してもその通りである。その意味でマルクス・ガブリエルのような哲学に関しても科学に順応させるべきであるからこそ、彼の哲学観には個人的に違和感を持っている。この観点で著者の試みはひとつの試みとして重要だとは思う。まず量子力学によって開かれた状況依存性の議論はとても納得感がある。エントロピーとしての情報と進化論によるエントロピー増加に対抗する動力についての考察も、その重要な二つの理論の交差点に生物があるという構造論もその通りだと思う。
一方で、量子力学の関係性が存在に先立つという概念を、「意味」や「志向性」のレイヤにも適用する論に関しては個人的には正しさを欠いている部分があるのではと感じた。量子の世界と同様に、相互作用によって心的現象が生じ、相互作用がない孤立した心的現象というものはないというのはアナロジー・比喩としては有効であるように思われる。しかし、そのロジックは、あくまでアナロジーとして成立しているだけであって、量子の世界の構造がそうであるから心的世界の構造が同様であることを証明するものではない。この点は重要であるように思う。
著者は「心の働き方を量子力学を用いて説明する試みは、まったく説得力に欠けている」と書いている。これもまたその通りである。心の作用、特に自由意志の存在、を量子力学の不確定性理論やコペンハーゲン解釈をもとにして説明しようとする理論は明白なレイヤ侵害によって失敗している。しかしながら、同じく量子力学の状況依存性の議論から心的現象を説明することもまた説得力に欠けるように思われるのである。
「この世界に関するわたしの知識は、まさに意味ある情報を作り出す相互作用の結果の一例にほかならない。それは、外側の世界とわたしの記憶の相関なのだ」と書くときに、その正しさの根拠として量子の世界を持ち出すこともまた論理的な誠実さに欠けるように思う。
「過程や出来事、ひいては関係論的な属性や関係が織り��す世界の観点に立つと、物理的現象と心的現象の隔たりも、それほど深刻には見えなくなる。なぜならどちらも、相互作用が織りなす複雑な構造から生じる自然現象と見なせるようになるからだ」
どちらも相互作用が織りなす自然現象であるかもしれない。繰り返しだが、ただ心的現象がそうであることを、物理的現象がそうであることが保証しないと認識するべきなのだ。また、そうであるがゆえに、量子の世界が関係から出来上がっていることによって、何か心的現象が説明されることはないのではないのか。
もちろん、量子力学的世界観は、世界をどのように把握するのかに関する哲学的思考にとって欠くことができないものであると思う。ただし、心的現象に関してはそこから演繹することは何か重要なステップを飛ばしてしまっているように感じる。
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【カルロ・ロヴェッリの本】
『すごい物理学講義』 (カルロ・ロヴェッリ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309467059
『時間は存在しない』 (カルロ・ロヴェッリ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4140817909
【量子力学黎明期の本】
『そして世界に不確定性がもたらされた―ハイゼンベルクの物理学革命』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152088648
『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4105064312
【量子もつれの本】
『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000295799
『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062579812
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世界の見方が少し変わるとても面白い本だった。 量子力学の専門的な話と言うよりも、「世界について理解する」というような哲学的な本であった。
ただ、序盤の量子力学の解説に関しては少し背景知識がないと理解が難しい。
とはいえ文系の私でも理解出来て、楽しめたので、わかりやすい本だと思う。
古典物理学では説明不可能な量子現象に対する解釈として「関係」という概念を用いて説明している。そして、その考え方が哲学的にも特異でなく、先例のある考え方であることを解説している。
題名のような過激さは本の中にはない。表紙のデザインとタイトルだけだろう。 非常に読んで楽しかった。
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なんか、面白いんだけど、理解できないところも多く、だけど面白いと感じる、面白い本。
原題は「Helgoland」で、これは量子力学の発祥に関連がある島の名前である。
この島から始まる量子物理学の系譜から始まり、不確定性、量子もつれ、相対情報などの話に至る。途中、レーニンとボグダーノフの議論や、ナーガールジュナの空の概念まで入ってくるのが、面白い。
日本語版のタイトルである「世界は「関係」でできている」は本書の内容を端的に表しており、結論としてはこのタイトルに尽きる。
以前、仏教関係の書籍を読んでいた時に、物体を見るときに、我々の目に光子が飛び込んでくるのと同時に、我々も見る対象に影響を与えているという趣旨の話があった記憶があるのだが、相互作用により世界が形作られているという話と頭の中でリンクした。
書籍の最後の方では、心理世界と物理世界の関連についても話が及んだが、この辺はほぼ内容についていけず。
全体としては、同じ著者の「時間は存在しない」よりは理解できた気がする。
何度か読み直してみると少しづつ理解が進むかもしれないので本棚に入れておこうと。
本論とは関係ないのだが、脳が見るときの信号の流れも興味深かった。目に光が入り、信号が脳に達すると思われがちだが、実際には脳から目に向かって信号が出ているとか。脳は先に予想される映像を描き、目から入ってくる情報と整合させ、両者に違いがる場合、その違いの分を補正して「見て」いるらしい。
文章の誤字脱字に気づかないことがあるが、脳の中では予測の段階で誤字脱字がない映像を描いているのかもしれない。その映像で意味的に問題がなければそのまま理解してしまうのかも。
また、同じ文章を読むにしても、ディスプレイに映されたそれと、紙面に印刷されたそれでは誤字に気づく頻度が異なる気がする(数えたことはないが)。どちらも脳が予測してから差を補正するということに違いはないのだろうが、ディスプレイに移った情報の方がより予測との差を認識しづらいということなのかもしれない。
文章を読む行為について、脳がどこまでを予測して、補正してということを行っているかも興味が湧くところ。文章が目に入る段階で、字面を予測しているとしても、意識上ではその場で意味を認識はしていない。でも無意識の部分ではなんとなく意味を認識していて、ちゃんと意味が通る文章か予測を始めているのだろうか。
「プルーストとイカ」をもう一回読んでみたくなった。
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「量子重力理論」の研究を専門とする著者が、量子物理学が生まれた背景や、古典物理学の常識を覆すその特徴的な概念、さらには量子論を事物の「関係性」から捉えるアプローチを解説した一冊。
著者は、量子論の基本概念である「量子飛躍」が、単純な方程式ではなく、観測された結果のみを用いて、確率論を前提とした「行列」によって記述された経緯や、量子論に特有な、対象物は「ここ」にも「あそこ」にも存在する「量子重ね合わせ」の状態にあり、我々が目にするのは「量子干渉」がもたらす一つの状態だけであるという考え方、さらにそれを発展させると、「観測」とは我々が対象物を世界の外側から見ているのではなく、我々自身と対象物との相互作用であるという「関係論」に行き着くと主張する。
「この世界が属性を持つ実体で構成されているという見方を飛び越えて、あらゆるものを関係という観点から考える」べきだという著者の「過激な結論」は、本書後半でナーガールジュナという古代インド哲学者の「空(くう)」の概念との対比をふまえ、これまで絶対と思われていたものが相対であったという発見が、心的世界と物理的世界の境界を消し、双方とも自然現象として捉えるという地点にまで昇華される。難解な内容ではあるが、物理学のイメージが(良い意味で)変わることは間違いない。
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前作の「時間は存在しない」が相当面白かったので期待して読んだのだが、前作ほどのインパクトはなかった。
前作は時間とは何かというシンプルそうで難しい問題に焦点があたっていたので読みやすかったが、今回は量子力学の歴史から始まり、何について議論を展開したいのか少し読者を置いていってしまった印象。
ただし、知的好奇心をくすぐるには十分な内容で、読んでいて新しい世界が開けるような感覚もあった。
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量子論を、その歴史と思想の観点から書いた本。
ハイゼンベルクやシュレーディンガーだけではなく、レーニンやナーガールジュナまで登場する。
原書は文学的にも美しい文章らしいけれど、日本語訳はそうでもない。