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あなたから生まれるなんでやねんという言葉が、心に残った。それを私達に期待しているし、私達は、実践しなければいけないのだろう。彼を学長に選んだ精華大は、偉い!
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わかりやすかった。
その手の専門書では、おそらく、わかるようなわからない、たくさんの専門用語やカタカナの言葉に埋め尽くされて、ググるだけで進まないだろうから。
自分の経験からの考察、提案でわかりやすい。
地域とか個人で限定的な気はするけれど。
にぎやかでよろしいね。京都ならでは、かな。
生徒に「今俺にメチャクチャ迷惑かけてるやんっ」て言ったのかな?相手は何て言って、結局変えたのか、そのままなのか、結果からどうしたがベストとか感想があったのかとあ。
「僕はコーヒー」というのが納得いかないって、母国語なりを日本語にして発言したらどうだろう、とか。コーヒーを一杯ください、とはならないのかな。とか。
おもてなししようとするホストファミリーとうまくいかなかったって、夕飯食べてきますっって言ったのかなとか。
機能が増えると、活用するための知識が必要で、それがない人間には困る。トイレやお風呂を観光客や留学生用に別に作るのも大変だろうし。違う国に行けば使い方が違うのは当たり前だと思うんだけど、これまでに行かれた国では母国と同じ様式だったのかな、とか。
保育所のご飯と味噌汁信仰とか、布オムツ信仰とか、親のイベントとかは同じ日本人でも笑うけど。食事は年相応の栄養素が必要と思うけど。親がヴィーガンだと、とかネットで見た気するし。
でも、暗黙の了解を見える化とか、良いと思う。はっきりして欲しい。
ルールへの執着が強いってのは、よくわかる。車も人もいない赤信号は罪悪感で渡れない、とか。
良いか悪いか、理想の日本人に育てる、育てられた成果なのかも。
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朝ごはんと茶釜のエピソードが印象的。
そして、
ーー対話は、相手のことを知らなければ知らないほど、効果的です。(p.180)
このフレーズは、今春、久々の転勤となる私にとって、励みになる言葉だった。
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アフリカ、マリから日本にやってきて、今では日本国籍を取得、京都精華大学の学長を努める著者の日本で体験したカルチャーショックやコミュニケーションの取り方の違い、そしてこれからの日本はどのように世界に向き合っていくか等を著した本だ。
マリという国は日本にとってはアフリカ大陸の中の国でもあまり知られていないだろう。その文化の違いもお互い知らず、日本での生活を続けていくことに色々苦労しただろうことは、この本の中でユーモアを交えて描かれている。
他国から見た日本の、日本人の姿をオブラートに包まず、「外国人」としてどう感じたか、そこからこれからの日本がどのように世界と関わっていくかを提示している。
やはり日本人は良くも悪くも、「阿吽の呼吸」「言わずともわかる」「雰囲気で感じる」といった文化的特徴が今でも続いているのだということを痛感した。
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著者は京都精華大学学長でマリ人。
日本人は外国に行って、たくさんの異文化体験をするんだけど、なるほど日本へ来た外国人もまた、当然なんだけどとんでもない異文化体験=日本文化体験をしている。
日本とは異なる文化をルーツに持つ人々にとっての日本文化、日本人の行動様式は摩訶不思議なものであった、ということ。僕らは日常すぎて言語化も出来ていないことが、言語化されて、なるほどと理解する。僕らが日本文化を客観的に理解するための優れた一冊。
でも、著者の住んでいる京都に日本を代表させることはできない。京都人以外にとって、京都人の「空気」は絶対に読めないだろう。
著者は書く「日本では「にぎやかでよろしいね」が、場合によっては「うるさくて迷惑です」を意味する暗号になっている」というのも、京都だけだろ! と、思ってしまうのである。日本中そうなのかな〜。もしかしたら、僕も「空気が読めていない」のかもしれない。
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サコさんの説明がとてもわかりやすく、日本には暗黙のルールがたくさんあることに気付かされました。
察すること、相手が察してくれることを期待すること等、日本で生まれ育った私にとっても未だ難しく感じることも紹介されていて、「言葉にするって大事だな」と思いました。
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著者は、京都精華大学の学長。アフリカ・マリ出身で日本在住30年。著者が感じた日本の不思議な習慣を「なんでやねん」と突っ込みながら比較考察する。
読んでみて、日本人の暗黙の了解の事柄(説明しなくても判る習慣など)が、外国人には判り難いものであること。日本人は言う事とやる事が違っていたり、理屈が通らない慣習があったりして、外国人が理解するには時間が掛かる。著者が体験したエピソードが色々紹介されていて、とても面白かった。
しかし、タイトルの「空気が読めない」のは、外国人に限ったことではない。日本人だって「空気が読めない」人はたくさん居る。かく言う自分も、九州の田舎から東京に来た時、場の空気が読めず、本音と建て前を普通に使い分ける東京人と付き合うのに大変苦労した。空気を読むのには、知識と時間と失敗体験が必要だ。況してや、著者が住む京都は、気質や言葉遣いが独特で「濃密な空気感」があるので難しいと思う。自分は住めない、、。