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私自身もアファンタジアである。
本書は、アファンタジア傾向者たちの数々ある質問に対する回答を載せて作られている。
アファンタジアはスペクトラムであり、回答はある程度の傾向はあるものの正反対な回答もある。当事者として、実確かにそうだよなと感じ回答もあればそうか?と思うものもある。
具体的に挙げると、家族なと親しい人の顔を思い浮かべられない、視覚情報だけでなく、音や嗅覚情報などもイメージできない。嗅覚情報などイメージ出来ると知ってむしろそちらを驚いたくらいだ。
私がアファンタジアだと理解したのはイメージ想起瞑想をした時だ。自分を俯瞰してみてください。黄色い睡蓮がうんぬんと言われても全く出来ず、最初はまだ努力ご足りないのだと思って。しかし、本書の回答者同様に私がアファンタジアだったからだった。
アファンタジア自身は自らがアファンタジアである事を困っていると考えるものは少ないようで、私も同じく困ってはいない。前述した瞑想の際には困るが笑。逆にメリットと感じる人は多いようだ。しかし、私にはメリットと感じたことがない。私に人より秀でたところがあったとしても、それがアファンタジアであることに起因してるとは思えないからだ。ただ、このように考えられること自体がアファンタジア的なところかもしれないと本書を読んで感じた。
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学生のとき、試験中にどうやって答えを導くのか、友人と話したことを思い出した。
友人は自分のノートのどこに何が書いてあるのか、イメージとして思い出すらしく、試験勉強はノートを絵としてそのまま覚えることに時間を使い、試験中はノートを思いこすのだと言った。
一方、私はノート内容をもう一度、別紙に文字で起こして、ノートに書いてあることが完璧に描き起こせるまで反復するタイプだった。試験中は反復作業の一つだった。
アファンタジアの人たちは、おそらく友人のように問題を解くのは不可能だ。
でも、アファンタジアではないけれど、私も、友人のようにはできない。
それはいいことなのだろうか?悪いことなのだろうか?
この本はアファンタジアを体験させてくれる。
読みやすいかとか読みづらいとかではない。
良くも悪くも、読者がアファンタジアを体験したときの反応が評価になる本だと思った。
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アファンタジアのことを知りたくて読みました。
「あなたは心でイメージを視覚化できますか」
「誰でもイメージできる」と思い込んできた私にとって、今まで出会っていたかもしれないアファンタジアの方に対し、申し訳なく思う気持ちが湧き上がってきました。
アファンタジアの方の声が集められていて、「スペクトラムである」ことが具体的に伝わってくる本でした。