紙の本
21世紀に正義はあるのか
2022/06/01 14:50
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジョン・ロールズの「正義論」そこは人種やジェンダーによる差別がない社会、家庭の貧富の差が進路が大きく左右する社会、生まれつきの才能の違いが著しい格差につながる社会は正義にかなったものではないと書かれている。当たり前のことを言っているようで、それを実践できることは難しいことはトランプが大統領になってしまう世の中であることが残念ながら証明している
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
互いを自由かつ平等な存在とみなすなら社会の制度やルールはいかなるものであるべきか。半世紀前に出版された『正義論』において、正義にかなった社会は同時に安定した持続可能な社会であると論じているのに、今なお実現されていない現状をただただ悲愴感と相互のしかるべき敬意をもって我々は迎えている。
紙の本
政治哲学
2022/06/16 18:33
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
この書を読もうとした理由がもう、定かでない。しかし、政治哲学という分野での著名人であろうジョン・ロールズに敬意を表して読み終えた。価値観や生き方の違いに対する不寛容は、社会に亀裂を走らせる。経済的格差の拡大により市民間の平等な関係が損なわれる事態、多元的な価値観が互いに排他的なものに転じることにより安定した共存が掘り崩される事態を彼は想定していたが、現代ではその事態が顕著になっている。社会の制度は規範が合理性ではなく「理にかなっている」か否かを問う姿勢を持ち続けなくてはいけない。
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70年代、「公正としての正義」がようやく議論の俎上にのぼり、主として方角(法哲学・憲法学)の視点からの論議が行われた頃に「正義論」が出版されたことが伝わってきた。まだ翻訳は出ておらず、アマゾンもない時代で、まだ高価な緑色の表紙の原書(初版)を大手町ビルの紀伊國屋書店で目にして求めた。結構高かったと記憶しているが、やっと給料をもらえる身分になっていたので、独身寮で辞書を引き引き読みついだ。
本書第2章「『正義論』は何を説いたか」、新書判50頁ほどでエッセンスを要約しているが、ロールズ入門には向いていないかもしれない。これだけの頁数で色んな話を詰め込みすぎてしまっている。私にとっては、50年ほど前の記憶を取り戻すには役立った面もあるが。
第3章の『政治的理バラリズム』、第4章の『万民の法」は未読故に、どんな内容なのかの概要はつかめる。
各章の扉の裏に示された年表は、時代背景と誰がどういう著作を度のタイミングで発表したがわかって、実に参考になる。
もう少し体力があったら、『正義論』を再読して第2章と読み比べてみたいが、もう無理だろう。
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みんな大好き無知のヴェールで有名なロールズだけれども、その生涯はほとんど知らなかった。リベラル・コミュニタリアン論争の印象に比して若い頃は神学を修めていたというのは意外だったけれど、従軍含めた戦争体験を通じて神の完全性を掲げるキリスト教から離れたというのは納得。
相対主義からの決断主義が跋扈する時代に公正や社会的正義というものを正面から論じたということの意義は、格差の拡大が進む現代人においてますます大きくなっているように思う。
ボードゲーマーとしては無知のヴェールあたりの議論がボードゲームデザインの話にも通ずるというかこの辺からもう少し親しみやすい論じ方を自分なりにできないものかと思う
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『正義論』のとこまで読んだけどたいへん立派だと思う。ロールズについていままで読んだなかで一番すっきりしている。
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自由で平等な社会とはどんなものなのか、今一度確認したいと思い読みました。
「自由で平等な市民であり続けたければ、われわれは私的生活へ総退却するわけにはいかない。」という言葉が印象的でした。
公的、社会的な問題に対して我々一人ひとりが問題意識を持ちながら議論し続けることが重要であると認識しました。
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ロールズ
・正義論は3つの原理の明確な優先順位で構成されている。これがあらゆる人/社会にとって前提にできるかが問題になった。
1.自由な平等の原理(ただし、あらゆる自由ではなく、道徳的能力実現の要請と過去の歴史から選ばれた限定列挙された自由)
2.公正な機会平等の原理
3.格差原理
これには、本質的な矛盾がある。多元的な善を構想することが目的なのに、唯一の正義を必要としてしまう。
この問題について、唯一の正義を前提にするためカントの議論に深化していったのが初期、政治的転回で政治的の問題として、かさなりあうコンセサスにシフトしていったのが後期という説明はクリアで分かりやすかった。
万民の法でも、同じように各国が満たすべき法をいくつか挙げているようなスキームになっているが、やはり、なぜそれが前提にできるか、それぞれの項目を見ても
西欧中心主義に感じるところで、合意が得られにくいように感じるので同じ問題を抱えていると思われた(西側諸国の協定としてなら有効そうだが、万民ではない)
まとめのなかで、ロールズの理論は理想世界の議論で現実にやくにたたないといったものもあるようである。
もちろん、このように影響が大きかった理論が、(単純に現実社会で)役に立たないというのは乱暴に思うが、
ロールズの問題意識は、現代的なグローバルを意識した一般性というより、
平等や公正がいまよりも未熟であった50年代のアメリカを対象(アメリカにおける正義の構想)なのではないかという指摘はなるほどと思った。
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社会の基盤となる正義について、普遍的な視点から探った正義論の前半から、社会の成員の重なり合うコンセサスとして合意可能な正義を探った、政治的リベラリズムを含む後半を、社会で合意される正義を巡る共通のテーマであることの視点から解説してあり、たいへん分かりやすい。サンデル、等についてロールズの問題意識を軸に自身の理解や議論の位置づけができる。
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ロールズの考え方の全体像をザクッと把握することができたように思います。
「ヒロシマから50年」読み直してみようと思います。
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ロールズについて全く知らない人にとっては訳が分からないかもしれない。大学生で初めてロールズという名前を聞いた学生ならばなおさらである。
しかし、ロールズの著書を読んで理解できず、ロールズについて少しは知りたいという人にとっては役に立つと思われる。
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個別事例に功利主義を直接適用することは、カテゴリーミステイク(行為功利主義)
個々の事例を意味づける制度やルールの評価にこそ功利主義は有効(規則功利主義)
ロールズにとってあるべき社会とは、個人を超えた有機体や、個人をパーツとする機会ではなく「公正なゲーム」とのアナロジーで捉えられる。
各人に自己実現のチャンスを公正な仕方で与える場合、社会は理にかなったものになる
ロールズは功利主義の擁護者から批判者に
「無知のヴェール」
「コミットメントの負荷」
「功利主義は諸個人のあいだの違いを真剣に受け止めていない」
どのような善の構想を持つ人であっても受容可能な「公正としての正義」
実際の市民が正義のルールを自分自身の価値観にもとづいて支持すること「正と善の合致」
市民が備えるべき道徳的能力
「合理性」=特定の価値観を持ち、それを修正し、合理的に追求する能力
つまり合理性を持つ市民は、外部からの命令に縛られるのではなく、自分で自分の生き方を選ぶことができる。
「道理性」=「正義感覚」への能力、すなわち他者を配慮して公正な社会的協働のルールを受け入れる能力であり、これによって市民は平等な存在になる
「運の平等主義」=各人が自分で選択した事柄については各人の責任を問うことができ、逆に各人が選択したのではない事柄については責任を問うことができない。したがってそれに起因する不利は社会が保障すべき
ロールズの政治哲学全体をみちびく方法論
「反照的均衡」=一定の前提から導かれた「原理」と「熟慮された判断」を相互に照らし合わせ、互いの間に食い違いがないかどうかを検討し、それらの均衡を探るもの
正義の構想は既に完結したものとして提示されるのではなく、さらなる問題発見と修正にひらかれたものとして位置付けられている
自由の優先性の論証は、原初状態の当事者がそれを選択するだろう、ということによって示されていた。
すなわち、無知のヴェールを被っているため、当事者は「経済的利益がとても大きいが基本的自由が侵害されている社会」ではなく、「経済的利益ぐそこまで大きくないが基本的自由が保障されている社会」を合理的な好きなの推論によって選択するだろう。
しかしこれは必ずしも成り立たない。
近代化や社会的発展が十分すすんでいない状況では、後者ではなく前者のような社会を選択することが合理的であるかもしれないから。
まずは「富国」しかるのちに「民権」
政治権力とは、共通善のために公平に行使されるべき公共的権力である
ロールズの考える秩序だった社会においては、カント的な価値観のみが完全に認められるということになる。
つまり、カントの言う自律(正しい道徳に常に心から従って行為すること)を支持できるような人だけが正と善の合致を実現できる。これは明らかに多様な価値観の肯定というそもそもの前提に矛盾する
市民は一群の「政治的価値」を共有することによって、「包括的価値」への��ミットメントにおいては互いに分たれながらも、安定した政治社会を築き、維持することができるというものである。
ロールズのいう「政治的リベラリズム」とは、多元的な価値観のいずれかに依拠するのではなく、さまざまな価値観からまさしく多元的に支持されうる政治的価値にもとづいて制度を編成し生じうる抗争を扱う思想と実践をさす。
「政治的リベラリズム」と「平等主義的リベラリズム」が擁護される政体を「立憲デモクラシー」と表現する
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『正義論』で有名なロールズの新書での解説本。著者は、「ロールズの議論のもつアクチュアルな魅力をあらためて伝えたい」という思いから書いたと言う。もし、ロールズの議論が今必要とすれば、それは格差社会において公平とは何か、そして経済成長の最大化は目指すべき目標であるのかといった社会全体の道理に関する問題が立ち現れているからだろう。本書でも取り上げられている通り、批判も多かったロールズだが、改めてその理論を確認することで見えてくるものがあるのかもしれない。
ロールズの正義論でもっとも有名なものと言えば、「無知のヴェール」の議論だろう。自分の立場を知らない無知のヴェールをかぶった人たちが社会契約を結ぶとするとどのようなルールとなるか。ここから、もっとも不利な立場になったとしても引き受けることができるようなルールこそがあるべき公正なルールであるとする「マキシミン・ルール」につながる。『正義論』で掲げられた原理は次の通りだ。
○第一原理 「平等な自由の原理」: 各人は、平等な基本的な諸自由からなる十分に適切な枠組みへの同一の侵すことのできない請求権をもっており、しかも、その枠組みは、諸自由からなる全員にとって同一の体系と両立するものである。
○第二原理 「公正な機会平等の原理」と「格差原理」: 社会的・経済的不平等は、次の二つの条件を満たさなければならない。第一に、社会的・経済的不平等は、公正な機会の平等という条件のもとで全員にひらかれた職務と地位にともなうものであるということ。第二に、社会的・経済的不平等は、社会のなかでもっとも不利な立場におかれる成員にとって最大の利益になるということ。
本書の最初にロールズがヴィトゲンシュタインの系譜につながっているということが書かれていて、この辺りの理想理論の考え方はヴィトゲンシュタインに似ていなくもないと感じた。また、『正義論』から『政治的リベラリズム』への「転回」についても同じくヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』から『哲学探究』へと「転回」したのともちろんその内容は違うのだろうが、突き詰めたその先により現実的な問題と解決に移行したというように見える点でも相似性があるようにも思う。
一方で、「道理性は合理性を前提するとともにそれを従属させる」ということが鍵となっているが、本書ではロールズがそのように結論づけたという以上の、そこに至る道筋が必ずしも明確ではないように思われる。それこそが『正義論』を難解な書物だと言わしめているものなのではなかろうかと思う。
また、ロールズが「正義のルールに従い、自律を達成することを通じてのみ、人間はその本性を完全に表現することができる」というきわめてカント的な考えに依拠していたと解説しているのも興味深い。多くの人がデカルトでもなく、またヘーゲルでもなく、カントを取り上げるのはとても示唆的である。カントが論理の上ではもっとも踏み込んでその理論を構築したからだと言えるのかもしれない。
■ 国際社会について
ロールズは、国際的な万民の法について次のように整理したという。
① 各��民は自由かつ独立であり、その自由と独立は、他の人民からも尊重されなければならない[自由と独立の尊重]
② 各人民は条約や協定を遵守しなければならない [条約・協定の遵守]
③ 各人民は平等であり、拘束力をもつ取り決めの当事者となる [対等な地位の承認]
④ 各人民は不干渉の義務を遵守しなければならない [不干渉の義務]
⑤ 各人民は自衛権をもつが、自衛以外の理由のために戦争を開始するいかなる権利ももたない [開戦の正義]
⑥ 各人民は諸々の人権を尊重しなければならない [人権の尊重]
⑦ 各人民は戦争の遂行方法に関して、一定の制限事項を遵守しなければならない [交戦の正義]
⑧ 各人民は、正義にかなったないしはまともな政治・社会体制を営むことができないほどの、不利な条件のもとに暮らすほかの人民に対して、援助の手を差し伸べる義務を負う [援助の義務]
ロールズは、グローバルなリソースの再分配については積極的に推進するものではなかったようだ。国際的な正義の構想として、功利主義的な正義を前提としない。他の社会の福利厚生の向上のために自らの社会を犠牲にすることをよしとするような人民はいないであろうというのがその理由である。ロールズは国際社会においては経済的な不平等を是正するような分配原理は適用されないとする。
一方で、ロールズは脱成長を積極的に肯定しているようだ。人びとは必ずしも社会の経済成長を望んでいるわけではなく、「他者との自由なアソシエーションにおける意義のある仕事」をこそ望むものだと言うとき、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を連想する。この辺りは、ネオリベ的な成長がすべてを解決するかのような主張が主流になった時代を経て、格差社会やサステナビリティがより問題として先鋭化された現代の議論を先取りしているのかもしれない。
■ 戦争について
ロールズは、「開戦の正義」と「交戦の正義」を次のように定義している。
① 正しい戦争の目標: 諸人民のあいだに成立すべき平和
② 敵国と認定しうる政情: 非民主的で侵略主義的な国家
③ 戦争責任の軽重: 指導者、軍人、民間人の三つの集団で区別がなされる
④ 人権の尊重: 相手国の兵士と民間人、双方の人権をできるかぎり尊重する
⑤ 戦争目標の公示: 自分たちが求める平和がいかなるものなのかを公示する
⑥目的と手段の選択: 右の五つの条件が満たされるかぎりで、目的は手段を正当化しうる
上記の正義に照らした場合、やはりウクライナ戦争はロシアに「正義」はないと言えるのではないか。
ひとつ改めて認識をしたのは、ロールズが戦争が絶対的に避けられなければならないものだという前提に立ってはいないところが、ある意味では意外だけれど、一方では戦争が外交の延長であるというクラウゼビッツの言に従っているとも言える。一方で戦争にも正義のそれがあるというのは一種の危険をはらんでいるようにも思える。この辺りはロールズもきっと深く読み込んでいたであろうカントの『永遠平和について』と比べてみるのも一興かもしれない。
■ 所感
このロールズの入門書は東大生協でとてもよく売れているという。確かに利益を追い求めること��社会の厚生が最大化し、社会構成員の全員が幸福になるという完全な功利主義的な考え方は格差の拡大につながり、必ずしも社会の幸福を最大化しないのではないかという空気が徐々に大勢を占めるようになってきたようにも思う。しかし、多くの東大生がこの本を手に取るのは意外でもあった。と思って、その理由を知るべく少し検索を掛けたところ次のような記事が見つかった。
https://www.mens-ex.jp/archives/1087291
「東大生が「幅広い教養を身につけるため」に読んでいる本BEST20をランキング化!」という2019年の記事だが、何とそのリストの1位が『正義論』だという。
改めて本書は、「ロールズの議論のもつアクチュアルな魅力をあらためて伝えたい」という著者らの思いから書かれたものである。確かに公正に関するロールズが提議した議論は、ポピュリズムの問題しかり、ウクライナ戦争の問題しかり、地球温暖化の問題しかり、ベーシックインカムの問題しかり、現代的課題にも当てはめて考えるフレームワークを提供することができ、いまだ一定の今日的意義は持っているのだと言えるのかもしれない。それこそが、もしかしたら東大生協で『正義論』が売れる理由にもなっているのかもしれない。
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正義論や政治的リベラリズムを紐解くのは荷が重いなか、功利主義以外の妥当な政治哲学のオプションとして外せないジョンロールズを一旦俯瞰することができた。
読んでみると、上記に該当するロールズの試みは特に正義論という感じであり、射程の長い基礎理論として、分析哲学的道具立てからアプローチしているように思える。
他方、実際の政治的複雑さは当然にシンプルな前提から導出される正義論の範疇には収まらず、以後の著作で射程を限定したなかで立憲デモクラシーを擁護することになったと解される。
リベラリズムというイデオロギーの擁護(もちろん、リベラリズムがその性質上特定のイデオロギーの擁護を所与とせず、ロールズ流に言えば「合理的理性」により多元的な価値観のなかの共通する部分を以って正義となすのだとは承知するとして)に特に関心のない私にとっては、本書で説明されるロールズがたとえいかほどにアクチュアルだと説かれても、正義論より後のロールズには強い関心を持てなかった。
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2023.04.17 予想通り、難しかった。一回で、一冊で理解できるような代物ではないので、色々とアプローチしたいと思う。