紙の本
社会にはびこる「論理」への異議申し立て
2022/01/27 09:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作の「少女を埋める」など文学界掲載作品に、書き下ろしも加えた単行本。
「少女を~」は、作家の私小説とおぼしき物語。地方の因習や家父長制、母子密着など、社会(共同体)の論理が、個人の幸せ(私にとっての「正論」)より上にあることの異議申し立てを、過去といまを行き来しつつ表明している作品であると読み取った。
好き嫌いはあると思うが、共感できる。
この作品が発表された後、ネット上で議論になっていたのを知っていたので、ほかの作品も、そうした経緯を踏まえて読めば、著者が書きたかったことが伝わってくる気がした。
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【少女たちは出ていかないし、従わない】父を看取るため、作家は故郷を訪れた。因習的な土地、家父長制、メディア…共同体の理不尽に苦しみ、抗う姿を真摯に記す自伝的小説。
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社会は世界は良き方に変わってると実感するひとつと、社会に世界に押し潰されるひとつ
仮面を無くして素顔で生きることはどうしたって難しいしきっと不可能でも、仮面は素顔にはりつくなら、その仮面は自分で選択していきたい
とここまでは「少女を埋める」
論争に関しては、文学論にまで話が及ぶと難しくてなかなか理解できないけど、実在する人物を想像で補完して論ずることへの批判をしながら、C氏の個人的背景を自身の想像で書いてしまうの、同じことしてない?と
主観と客観を分けて書いてるから良いのか?それは小説の中で実在するニュースを実名を挙げてそのままに書いてあるのからちょっと違和感ではあった
私小説を武器に好き勝手してるのはお互い様な気がする(作者があくまで想像だと明記してるのはもちろん了承の上で)
まあC氏のあらすじにかんしてはどう考えてもどうやったらそう読めた?って感じで、この人が有名な文学批評家なの?大丈夫?とは思う
「少女を埋める」は小説ではなく作者が自分を癒すための治療にすぎなかったんだな
それにしても作者の周りの友人が嘘みたいに素晴らしい人格者でそれもちょっと呆気なかった
なんせ私小説とはみたいな話は今月の文藝の重なり、フィクションとノンフィクションの境界について考える本でした
とある対談で宇佐見りんが「読み方に正解はないけど間違いはあると思う」とはっきり言い切っていたのを思い出した
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「夜が明ける」や「82年生まれ、キムジヨン」のメッセージ性と同じような感じ。
だけど、話が全く入ってこなくて途中で読み終えてしまった。
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ピンとこなかった…
ただの作家の日常と
コロナ生活の記録としてしか読めず
物語として楽しめなかった。
「自伝的小説」って何?
その言葉に最後まで戸惑わされる。
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普通の小説と思って読み始めたものだから、後の展開に影響ありそうなキーワードが、伏線でもなんでもなく置き去りになっていて戸惑う。
ネットで調べて自伝的な小説だと分かり、同時に著者が女性だと初めて知って驚く。
作中、著者による批判の対象が、まさに私の事かと何度もドキっとする。それでいて、著者の考えとの違いがわからなかったり。その差異に気付けない私の鈍感さが憎い。傷つきやすいだけで、繊細さに欠ける人だなんて、痛すぎやしないか。
標準的な考え方は、決して正解なんかでないのだ。普遍的な考え方なんて旧態然。社会で生きるって、誰しも常に更新続けなければならないのだ。そんな訓示の多い本でした。
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父を亡くされた時期の日々を克明に記したエッセイとその作品に対して発表された書評に抗議したときの戦いの記録。
戦いのほうは正直読むのがしんどかったな。言葉が重いし、相手とのディスコミュニケーションが著しく、Twitter上の不毛な議論が苦手な身としては読むのがつらかった。
表題作はじめっと温かくて(ほめてます)良かったです。
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表題作の『少女を埋める』と『キメラ』は雑誌 文学界掲載時から含めて何度も読み返していますが、毎回違った側面が見えてスルメみたいです。社会の状況と密接なところもあるので、今後ITやAIの進歩とともに監視社会や遠隔のコミュニケーションがより進んでいった時に続編を読んでみたいと思いました。書き下ろしの『夏の終わり』は雑誌の入稿期限に書ききれなかった、作者の思いがつまった小品ですが、一種の清涼剤的な爽やかな読後感を与えてくれました。
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田舎に実家がある身としては、件の騒動については作者の気持ちが痛いほど伝わるようで、Twitterで眺めてたあの夏に、作者批判を繰り返す書評家側の人の書き込みを見て、私には絶対にわからない理論で生きてる人たちなのだなぁと感じたことを思い出す。
純文学とか文壇とか書評とかめんどくせぇな。私は読書は娯楽でしかないやという思いを強くした。
ところで『明らかに嘘とわかる事象(P137)』ってなんだろう?名前のことかな?冬子と作者が赤と青の線で重なって立体映像みたいで変な感じがした。
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鳥取で橋を作る時に埋められた人柱は猿廻しだった。「朝一番にここを通った者を人柱にする」と決めた後、土地の者にはそのことをこっそり伝えて朝そこを通らないようにし、よそ者が人柱になるように根回しされていたのだ。猿廻し、絶世の美少女、そうした普通とは違うはずれ者たちが犠牲にされることで、共同体は平和を保ってきた。
だから地元では目立たないように過ごし、東京に出てきた冬子が、父の危篤の報で帰郷する。故郷では知らず知らずのうちに、周囲の心情を慮り、期待に沿うように振る舞う。世界は単純な出来事の連続をどのように選択して線で結ぶか、という解釈からできている。個人と共同体の話。
続く「キメラ」は、「少女を埋める」のテキストを曲解して朝日新聞の文芸評論欄に載せられた作者が、その評論から誤解されて母が「病人を虐待した妻」のレッテルを貼られないために奔走するエッセイ。こちらも、自由な読みと間違った解釈は違うこと、点と点を結んでどのような物語を了解するかは個人に左右されていることが語られている。朝日新聞という大きな組織を前に、和を乱さないために沈黙するか?そうして集団の前に個人が沈黙する事で保ってきた事なかれな平和が日本の常識となっているのだと思う。
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少女を埋める 自伝的随想
直木賞作家 冬子 7年ぶりの鳥取帰省、40代後半。
入院中の父親とリモート面会するが亡くなる
母の暴力 母の連れてくる疑似家族 母のいちばんの親友はおばあちゃん
血縁者とは拡大された自己:「私の男」のテーマ
母と娘の暴力を伴う愛:「ファミリーポートレイト」のテーマ
キメラ(合成獣) 朝日新聞 C氏の文芸時評
「虐めたね」母の怒りの発作=父への虐待 と解釈
小説の読み方と批評の書き方(読解の自由 解釈は不可分)
「家父長制社会」≒批評 向き合わず自分のコントロール下に
「少女」=異能者、異分子
「埋める」=郷の共同体の掟:出ていけ、もしくは従え
社会でどう作用するか までが文学
★「いじめる」(ある地域の会社の 工業用語としての)
部品をいじめる=改善するために、もう一歩、部品に負荷を加える。
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学生時代文学部のゼミで教授から
「それはどこに書いてありますか?」としつこいくらい聞かれたのを思い出した。
こんな感じ…ではだめで、テキストを読み込むのが基本中の基本だと叩き込まれたなぁ。
まぁ、今はそんな読み方はしませんが。
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この著者の本は初めてだったが、「少女を埋める」はいっきに読み終えた。
そして「キメラ」。
今は何でも検索できるので、朝日新聞で書評した当事者がすぐに特定できてしまうのだが、その手ごわさにビックリ。
「少女を・・・」を読んだ直後と言うこともあり、完全に桜庭一樹さんの味方的位置から読んではいるのだが、朝日新聞・そして評論家、ほんっとめんどくさいね~。
そもそも評論した人の「読み違い」が原因でしょ?と思っていたが、そこに着地するのがラストの「夏の終わり」って、ほんとにどんだけめんどくさいんだ!
これを読みつつ思ったのが、現在毎日新聞日曜版で連載中の、山田詠美さんの「私の言霊漂流記」。
作家としての評価は盤石なのに、過去に言われたことをそこまで恨みに思ってるのか~。
と内容そのものより、そのことに気を取られてしまう。
黒人と付き合う女性を昭和のオトコ(主に)たちはそんなふうに解釈するのか、と勉強にはなったけど。
さらに思ったのは、このところシリーズで読んでいる「〇〇員××日記」。
高齢者となった著者が、現在の職業についてリアルに語っているところがとても面白いのだが、かつて
「上司や客、親会社の担当者からひどいこと言われた、された」
うらみを晴らしてるだけ?と読める著書もある。
似たような境遇にありながら、現在の仕事から得られるものをきっちり書いている人もいて、そっちは読後感爽やかなのだが。
結局これは書く人の人間性の問題なのか・・・と、今は思っている。
結局、その人にとって忘れることのできない恨みを文章にして人に読ませ、かつ嫌な気分にさせない、ってホントに難しいことなんだ、というふうに思い至った。
私自身ここまで生きて来て@高齢者です 死んでも許せない!と思ことはいくつかあるのだが、だからと言ってこれを衆人が読める環境で書き記すことはあえりえん!(きっぱり)。
どっちにしても書く力量はないけどね チャンチャン。
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7年ぶりに聞く母の声。
自宅療養中の父の容態が悪化したと言う。
コロナ禍のため、すぐに帰省することができず
リモート面会で父と話す。
父親が体調を崩してからの二十年、幸せだったという母。
娘は驚いて声を飲み込む。
P 46〈病気という敵と一緒に闘っていて、関係が変わったとか〉
娘の問いかけに母は〈そう、その通りだ〉と大きくうなずいた。
母は、子供に暴力をふるうこともあった。
P93
〈高三の時、母方の祖母の前で殴られ、祖母が慌てて止めに入った〉
そう記憶しているが
母は「記憶は、その人によって違う」という。
母親と娘の間には齟齬がある。
『キメラ』
『夏の終わり』は
作者から投げられたブラックな何かを受け止めすぎて疲れた。
いろいろなことがあったのは承知で読み始めたが
何も知らず、真っ白な気持ちで自伝的小説集として
読んだ方が断然おもしろかったと思う。
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Amazonで購入。
桜庭一樹のTwitterをフォローしているので、「少女を埋める」の朝日新聞に掲載された書評に関して何らかのトラブルがあったことはなんとなくは知っていた。
ことが落ち着いたようなので改めて読むことにした。
著者の小説や、日記とは趣を異にした文体。
全体としてはトラブルの全貌がわかる構成になっていた。
私は桜庭一樹の小説が好きだが、この本に関しては作家の舞台裏を見てしまったという印象。気になっていたので読んだが、やはり新しい小説を早く読みたい。