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紙の本
ちいさきもの、とは敗者のことか。
2022/11/06 09:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「一身二生」とは、幕末から明治を生きた福澤諭吉の言葉だ。一度きりの人生でありながら、二度も人生を経験したという意味になる。この二度の人生とは明治維新を指すが、幕末、海外を見聞した福澤でさえ、驚きの大変革の時代だった。福澤が「親の仇」とまで言い切った封建的身分制度だったが、明治になればなったで官僚制度という新しい身分制度が誕生した。その新しい時代を迎えたのは旧武士階級だけではない。果たして、庶民はこの明治維新という大変革をどのように迎えたのか。近代に取りこぼされた人々を「ちいさきもの」として、「熊本日日新聞」に連載されたものを全九章に渡って述べている。その中で、第六章「幕臣たち」、第七章に「敗者たち」という章がある。いわゆる旧徳川幕府を支援した佐幕派の人々だが、明治新政府の時代においては冷や飯食いの人々である。
本書は、全体として、「敗者」の側にある人々が描かれている。特に、会津藩に対する異常ともいうべき扱いは、現代においても深い溝を遺したままだ。その溝の特異な例として薩摩の大山巌に嫁いだ山川捨松がいる。例外的な溝の代表としては勝海舟がいる。冷静に時代の趨勢を見ると、勝海舟にも言い分があり、優劣はつけがたい。第一、勝海舟自身も、根っからの武士の家柄ではない。武士の株を買っただけの家であり、徳川家に恩顧があるわけでもない。それこそ、「封建制度は親の仇」と言い切った福澤が、武士の論理で勝海舟を批判するのも、矛盾に満ちている。「一身二生」とは、矛盾という意味合いもある。
会津に代表されるように、東北諸藩が九州人を忌避し、卑下する喩えとして、著者は村上一郎と接した場面を出している。「僕は九州人は一切信用しません」と言われて著者は面喰った。(206ページ)しかし、その村上一郎の海軍時代の戦友である小島直記は根っからの九州人(福岡県)である。村上が三島由紀夫の後を追って自決する前、今生の暇乞いに出向いたのも小島の家であり、互いの墓所も小平霊園である。村上に師事した詩評家の岡田哲也氏は、九州は九州でも鹿児島の出身である。それを考えれば、著者の村上との遭遇を東北と九州との対立構造の引き合いに出すのは無理がある。
いずれにしても、過去に刊行された幕末維新の書物を読み返しているかの如く、繰り言を聞いているかのようだった。ゆえに、今一つの物足りなさを感じる。「一身二生」が内包する矛盾の解消が近代ということか。まずは、本書を土台に、次作から深い洞察が加わるということなのだろう。
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