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横溝正史原作、市川崑監督で製作された1976年の映画「犬神家の一族」で、信州財界の大物犬神佐兵衛が、若いころ那須神社の神官野々宮大弐さんと「衆道の契り(男色関係)」を結ぶことが描かれ、同性愛の事を知った。当時は、車で後方から追突されると「御釜(おかま)を掘(ほ)られる」など、男色のことを変態性に捉える傾向が強かった。その後、バブルのころは「おかまバー」で楽しむ友人の声を聞き、最近では性同一性障害などの医学的診断基準など病気として捉える向きもあったが、最近は性の多様性として捉えるようになった。
本書は、日本とアジアの性の多様性を多面的に捉え、西欧の宗教の教義で戒められてきた同性愛が、産業革命の波で西欧文化の影響で変容していく経過を丹念に検証する。
日本における年齢階梯制などによる男色文化は、藤原頼長「台記」にみる男色関係、江戸の湯島天神内隠間(いんげん・江戸時代の職業的な女装少年)などの隠間茶屋、薩摩の兵児二才(へこにせ)も文明開化とともに西洋文化の影響で同性愛の抑圧は強まりつつも、明治期には男性が男性を襲う鶏姦罪(肛門性交罪)が適用されるなど、男色文化は続いた。戦前・戦後を通じて男装や女装文化は続き、戦後は様々な様態の同性愛が続き、徐々に社会的に認知されて現代に至る日本。
一方で、アジアでは、インドの第3の性としての「ヒジュラ」、中国の美少年「相公(シャンコン)」、朝鮮半島の芸能集団「男寺党(ナルチダン)」や世界各地の同性愛、もしくは第3の性を歴史的に検証していく。
自民党の一部議員をはじめ同性婚の法制化に反対する動きも根強いが、その理由は単純なホモフォビア(同性愛嫌悪)を除けば、①少子化が加速する、②日本伝統にそぐわない、の二つのパターンに整理できる。この2点を、見事に喝破する巻末は、胸がすく思いである。古代のヒーロー「ヤマトタケルは女装して熊襲(九州南部)征伐を行った。」これが日本の歴史であり、性の多様性は日本の伝統文化であることが心底わかる書籍となった。
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LGBTQに対する関心が国内外で高まる中、日本ないしアジアのセクシュアリティの考え方に焦点を当てた作品。
個人的には、近世以前は非常に流動的であった日本のジェンダー・セクシュアリティの考え方が、明治時代以降に近代化の名の下で極めて画一的なものになっていき、現在再び欧米からの影響により多様化しつつあるという過程は不思議に感じる。この点において、欧米由来のLGBTQという言葉の使い方に慎重な筆者の姿勢には共感できる。
日本史の知識がある程度あった方が読みやすいが、筆者の丹念な検証によって初心者でも比較的理解できる内容にはなっていると思うので、ジェンダー・クィア論に関心のある人には強くおすすめしたい。
(K.Y)
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国会でLGBTを論じる前にこの作品を読んで欲しい。
江戸時代まで日本ほほど性に寛容な国はなかった。
明治になり西洋化(=キリスト教化)後閉鎖的になった。
性に関しては自由であるべきで人様にとやかく言われる筋合いのものではない。
自分の責任の世界。
誰だって心の中まで除かれることなんて嫌に決まっている。
人間同士が尊重しあうことが重要なんだ。
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とても面白かった。
日本文化の中に埋もれ、いまだ注目されていない性の多様性、というよりも越境性の記録を細かく辿る。
男色や鶏姦。藤原頼長の性豪すぎる日記。
「若衆」の存在。
そもそも、性の多様性やLGBTQという言葉はアメリカナイズされたもの。ゆえにその概念や仕組みを直接日本に導入すると、どこかで歪みや反発を招くことになる。その主張が正当だとしても、必ず後ろ指をさされ、不和を生み出す。
歴史の中に確実に「あった」ことを直視できるなら、日本らしい多様で越境性の豊かな社会に繋がるかもしれない。
錦絵新聞の表紙には面食らった。
海外の論文を読む機会があったが目を覚まされた思い。