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戎棋夷説さんのレビュー一覧

投稿者:戎棋夷説

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本無限 その哲学と数学

2014/01/30 17:44

便利な概説書

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まづ30頁くらいの序文と序章がある。そして、第一部では無限に関する学説の歴史を追う。範囲はソクラテス以前の古代ギリシャから、だいたいヴィトゲンシュタインまでだ。ここだけで300頁もある。そのなかでも、カントールからゲーデルにいたる話題が、第二部の前半でさらにくわしく扱われる。それに90頁をかける。最後に以上の記述をもとにして、第二部後半では著者の無限論が語られる。これが100頁強。注や索引も加えれば、全部で600頁の大冊だ。
 無限の理論を紹介する本なのに、非ユークリッド幾何学に関しては一言も触れられない。触れてないことにさえ触れないのは異様である。第二部後半に明らかなとおり、著者の関心は人間の有限性にある。特に、人間の認識できることの有限性や限界である。だから、リーマンを無視してゲーデルにこだわったのだろう。下村寅太郎『無限論の形成と構造』との大きな違いだ。ほか、文学や芸術もほとんど議論されていない。
 解説がくわしいことと、そのわかりやすさは別の問題である。著者の解説は、すでにライプニッツやカント、ゲーデルなどを読んだことのある者には、よく整理された哲学史として読める。反面、たとえばボルツァーノを読んだことの無い私には、彼の章は無意味だった。無限論に関心のある者として、私はこの便利な概説書を座右に備えておこうと思う。けれど、入門書として人に薦めることはすまい。
 著者自身の無限論には不満を感じる。キリスト教的な部分とそれに反する部分も含めてキリスト教的だ。著者にとってつねに、無限とはひとつの観点から統一された全体である。もうひとつ、こまかいことを付け加えておく。最後の最後に近い箇所だ。著者が「私の死が、私の有限性の中核を成すものではない」と提案するとき、この引用部自体は私も承認できる。ただ、その直前に「こうした考察の下に」とあって、それがどうだろう。もし人間が不死であるなら、その人間は現実的に無限の時間を生きていることになるだろうか。筆者はその種の考えをあらゆるところで否定している。それは正しい。ところが、不死に関する限りそれをしないのが奇異なのである。代わりに、かなり的外れな、「私が不死である場合、私の生がより意味深くなるなどということは定かではない」という論点からの「考察」があって、そして上記の「提案」がなされる。これは、それまでの膨大な記述を無にしているに等しいのではなかろうか。

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信じていいんだろか。

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こんな本があることを子供の頃に聞いて、ヨーロッパ人とかキリスト教文明とか、ろくでもないものだ、と思った。それは大人になってからの西洋観や宗教観に大きく影響している。店でこの本を見て、そんなことを思い出し、買ってみた。
 どうなんだろう。私が連想したのは、南京大虐殺の、どれが真実かわからない、いろんな報告のうちでも、特に信用ならない極端な主張である。
 「われわれが確信し、正真正銘の事実だと判断しているところでは、この四〇年間に、男女、子ども合わせて一二〇〇万を超える人たちがキリスト教徒の行った暴虐的かつ極悪無惨な所業の犠牲となって残虐非道にも生命を奪われたのである。それどころか、誤解を恐れずに言うなら、真実、その数は一五〇〇万を下らないであろう。」
 どうやって数えたんだろう?ここまで大がかりに殺すには、よほどの利益が見込まれるはずだけど、それは、生かす場合よりも莫大な利益だったんだろうか。
 「彼らは生け捕りにしたインディオたちの両手を斬りつけ、両手が辛うじて皮一枚で腕につながっている状態にしておいて、「手紙を持っていけ」と命じた。つまり、山へ逃げ込んで身を隠したインディオのところへ見せしめとしてことの次第を知らせに行かせたのである。」
 このインディオたちは全員、数歩歩いて出血で死んだと思うのだけど、本当に山にたどりついたのだろうか。
 私と同様の疑問を抱いた読者は昔からたくさんいたようで、 「解説」はそれらについて、本書には誇張された記述が存在することを認めつつも、本書を擁護する立場でこう答えている。
 「誇張表現で重要なのは、否定できない真実と、『報告』に頻出する単なる修辞的数値にすぎない擬似的な誇張とを明確に区別することである。」
 たしかにそうだろうが、それは歴史家の仕事であって、われわれ一般読者が次から次へと繰り出される誇張表現の方を強く意識するのは当然のことだ。そして、私が思うのは、著者にとって重要なのは、本書のわづかな真実ではなく、嗜虐的な妄想を、正義の名のもとに存分に書き連ねることのできる愉悦だったのではないか、ということである。

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