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allblue300さんのレビュー一覧

投稿者:allblue300

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本猿まわし被差別の民俗学

2013/11/17 13:19

被差別を考える新しい視点を与えてくれる良書です。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

被差別の根源には呪的能力者の凋落があった。

興味深い一冊でした。今年の初め、被差別に関する本を何冊か読みました。関連する書籍は久しぶり。記憶にないだけかもしれませんけれども、年初に読んだ本にはない視点がとても面白かった。冒頭の指摘は著者の私見です。

著者の筒井功さんは、共同通信社で記者をしていた民俗研究者。正史に登場しない非定住民の生態や民俗の調査を続けている。関連する著書も多い。第20回「旅の文化賞」を受賞している。こんな賞があるんですね。

被差別に関しては、穢れと清めをキーワードとする説が最も有力視されている。しかしながら、それに対してどうにもしっくりしないものを感じている筒井さん。そこにはどうしても説明しきれない事実があるのではないかと疑問を抱く。

本書では、猿まわしの起源やそれが発展した地域、戦国大名との関係、また信仰や肉食の対象としての猿まで、猿と人間との関係が味わいつくせる。猿まわしとは、牛馬舎とくに厩(うまや)の祈祷が本来の仕事だった。猿に芸をさせて見物料を取るのは、あくまで本職から派生した芸能だった。そして、猿まわしを業としていた人々は、江戸時代までそのほとんどが賤民に位置づけられていた。

最終章の「第一○章 なぜ差別されたか」は読みごたえがあります。神と人、その境界線にいる「イチ」と呼ばれた神と人とをつなぐ人。動物と人間、その境界線にいて多くの地域で神と仰がれた猿。この「イチ」と猿に共通するものはなんであったか。

古代の人々と神との関係は、人知の進化とともに変わっていく。天変地異や病気の原因に人類が知見を得ていくとともに、神の地位は軽くなっていく。しかしながら、神はあくまで神、徹底的に落ちることはない。観念上の存在を軽んじつづけることは容易ではない。

ところが、実在する「イチ」や猿は別。神と人との境界線、動物と人間との境界線にいた彼らの身に及んだものはとても厳しいものだった。畏敬の念は、それが消えた時に軽侮に転化しやすい。この畏敬と軽侮が入りまじった感情がやがて差別につながる。部落などの社会的差別の根源はここにあるというのが、筒井さんの見かた。

被差別を考える新しい視点を与えてくれる良書です。中盤は面白くもありながらやや中だるみ感があった。けれども、後半で持ってきた主張で最後はぐっと持ち上げてくれた。視点の斬新さに敬意を表して★五つ。被差別に関心がある人なら興味を持って読んでもらえると思います。

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紙の本おっぱいの科学

2013/11/17 13:15

汝のおっぱいを知れ。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「汝の乳房を知れ。」

おっぱい、大好きだ。おっぱいが嫌いな男性なんていない。もしいたら、そいつは嘘つきだ。朝からおっぱいを連発してしまった、失礼。本書『おっぱいの科学』は、おっぱいという身体器官が環境とどのように関わってきたのかをひもとく歴史物語である。

環境によりおっぱいがどのように磨き上げられ、そしてまたいかに損なわれてきたか。大きなテーマは乳がん。これを女性特有のものと侮ることなかれ。男性にも乳がんはある。まるまる一章を割いて書かれている。女性患者100人に対して男性1人の割合であるという。思っていたよりも高い確立だった。

著者のフローレンス・ウィリアムズさんが、乳がんの有力な犯人候補として上げているのが身の回りの化学物質。冒頭の「汝の乳房を知れ。」はフローレンスさんから読者への熱いメッセージ。乳がんについて、自身のおっぱいについてもっと知ることが重要。いかにわれわれの大切なおっぱいが汚染されているかを知る必要がある。

本書を読めば、あなたも今日からおっぱいのエキスパートになれる。おっぱいの構造と働き、その究極の不自然史というべき豊胸手術、母乳にまつわるあれこれ、乳がんと化学物質の関係などなど、現状と研究の最前線を紹介している。フローレンスさん、よくぞここまで研究された。彼女のおっぱいに対するあふれんばかりの愛情が胸いっぱいに感じられる。女性は必読。もちろん、おっぱいが大好きな男性諸氏も読んでおくべき一冊である。

女性の皆さん、もしご存知であれば余計な話になるけれども、このことを知っていますか? おっぱいの乳腺密度が高いことは、乳がんの最大のリスク要因になっている。そして、これは最も知名度が低いリスク要因でもある。女性の九割が自分のおっぱいの密度を知らないという。フローレンスさんの友人は医者に密度が高いことを指摘されて大喜びしてしまった。知っておくことの大切さを感じさせるエピソード。

乳がんはまだ原因がはっきりしていない未知の病い。それはおっぱいがそれだけ深遠なものということの裏返し。乳がんの環境要因の中で原因として立証されているのは放射線だけ。授乳という言葉にかけて、おっぱいがさらされている現状を端的に表している。われわれは乳を授けるのではなく、乳に何かを(おそろしい何かを)授けてしまっている。

われわれは工業が生み出した化学物質に囲まれて暮らしている。おっぱいはその現実を映し出す鏡。おっぱいはスポンジのように化学物質を吸い上げる。消費者文化の基準に照らして綺麗になることは、おっぱいを汚染させてしまうということでもある。個人でこれらからおっぱいを守るには限界がある。国と企業がその姿勢を改めてくれない限り、おっぱいの汚染は続いていく。われわれがどんなに情報武装をしても限界がある。規制をかけて取り締まることが必要だ。

おっぱいによって育まれてきた人類。われわれの身体の見張り番をしてくれているおっぱい。おっぱいを守ることはわれわれ自身を守ること。個人の意識も当然に必要。しかしながら、より求められるのは社会レベルでの予防である。フローレンスさんはそこを強く訴えかけている。

これほどまでに期待以上だった本はない。おっぱいを徹底的に科学することの期待に応えながら、乳がんを通して社会に訴えかける声が胸いっぱいに広がる。惜しいのは、多くの人が手に取りにくいかもしれないタイトル、表紙、そして2,940円という価格。しかしね、この価格は高くない。居酒屋で一杯ひっかけることを考えたら安いもの。一杯よりもおっぱいである。汝のおっぱいを知れ。

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小説家H・G・ウェルズは、いまの世に再び驚嘆をもたらすことになるのだろうか?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小説家H・G・ウェルズは、いまの世に再び驚嘆をもたらすことになるのだろうか?

イギリスの作家H・G・ウェルズ、実はその著書を一度も読んだことがない。それでも『タイム・マシン』や『宇宙戦争』など知っているタイトルはいくつかある。この『絶倫の人』を読むと、その人物像が大きく変わることになる。

原題は「A Man of Parts」である。

『絶倫の人』とは良くも名付けたものだ。このタイトルにやられて手に取ったようなものだから。これは「多才な人」と訳すこともできる。そして、このpartsはprivate partsの短縮形でもあるらしい。その意味は、陰部。

エイジーことH・G・ウェルズには、偉大な作家というイメージしか持っていなかった。凡人ではないと思っていたがこれほどまでの人物だったとは... 生涯で100人以上の女性と関係を持ち、うち半ダースは真剣だったという。

とにかく時間がかかったのは次から次へと登場する女性たちを把握するのが大変だったから。人物相関図を片手に読まないと読み始めはとにかく大変だ。ただし、一度読み通してから読み返すとまた違った味わいが楽しめる。

エイジーの世界観はまったく理解できない。小説家としての彼を支え続けた妻のジェイン。彼女の存在がなければ小説家H・G・ウェルズの成功はなかったに違いない。そもそも、彼にとってセックスとは何だったのか?

「彼にとってセックスとは、理想的には、テニスやバドミントンのような気晴らしだった。」

小説を書き上げた後、満足のいく仕事を終えた時に、余分な精力を発散させるために何かが必要だった。しばらくの間、精神ではなく肉体を行使する何かがエイジーには必用だった。それが彼にとってのセックス。

単なるエロ親父にしか見えなくもない。それにしても、なぜこうも女性が寄ってくるのか。寄ってくることが決して気持ちの良いことばかりではないにしても。こんな一節が出てくる。おそらく、こういうことなんだろう。

「あそこで、いわば知的に誘惑したのだ、そして、肉体的にそうするのは、この世で最もたやすいことだろう」

妻のジェインは平気だったのか? エイジー自身はこう語る。われわれは自由恋愛の信奉者だ。われわれは互いに嫉妬心を克服したんだ。秘書然と対応するジェイン。これもまた、ひとつの愛の形なのだろうか?

いずれにせよ、ジェインの献身があってこそエイジーの作品が後世に遺されたのは間違いない。理解しがたい世界観ではあっても、エイジーはジェインを愛していた。いや、それとも必要としていたということなのか。

「約束しよう。僕はほかの女は諦めるが、君は僕がジェインを諦めないのを認めてほしい」

もちろん、これは嘘。嘘というのは「ほかの女は諦める」というところ。語り部に「あんたは懲りないのかね?」と問われて返す言葉は「女に関する限り、懲りないようだ。」とは。ここまでくると芸術的かもしれない。

評価を★五つにしたのには理由がある。締めがなかなか美しいと思ったから。デイヴィッド・ロッジは、エイジーの一生を「彗星のようだった」と例える。多くの人に啓蒙的な影響を与えながら、いまや視界から消え去った。

「蒼穹を周回する鬼才「H・G」の軌跡を追う。」

デイヴィッド・ロッジはこう予言する。いつかある日、エイジーは再び蒼穹で光を放つであろうと。その著作に当たって、当時の人々が受けたであろう解放的な、想像的な、知的な驚嘆を体感してみるとしよう。

小説家H・G・ウェルズは、いまの世に再び驚嘆をもたらすことになるのだろうか?

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紙の本冷泉家八〇〇年の「守る力」

2013/11/17 13:18

伝えていかなければならないもの。残していかなければならないこと。

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伝えていかなければならないもの。残していかなければならないこと。

Gunosy経由の書評で拾った一冊。良くぞアンテナに引っ掛かってくれました。時たま拾った本をFacebookで紹介しています。本書は反応が良く、冷泉家いいよね! と盛り上がる友達たち。それに付いていくことができませんでした... 教養のなさを恥ずかしく思いながらも、知る楽しみが沢山あるではないかと開き直り。知ることの喜びを満たしてくれる一冊でした。著者の優しい語り口がありがたい。伝えていかなければという強い意志を感じます。

冷泉家(れいぜいけ)とは、大歌人「歌聖」藤原定家(ていか)を祖先に持つ一族。定家の子である藤原為家(ためいえ)と『十六夜日記』を記した阿仏尼(あぶつに)との間に生まれた為相(ためすけ)が興した家。著者の冷泉貴実子さんは、冷泉家二十四代為任の長女、二十五代当主為人の妻である人。

冷泉家の家業は和歌。和歌の根本にあるのは「和の文化」そのもの。それは「私とあなたは一緒」ということ。全ての人の心の中に「私とあなたの感覚は一緒」という季節感を前提とした心の通い合いを持つもの。その「型」や「約束」が美しい季節感を持つ言葉。その美しい日本語の型で詠むものこそが和の歌である和歌。冷泉家が代々伝承してきたものは日本の文化そのものなのです。

なんというか...「意地」を感じました。冷泉家が守ってきたもの、日本から失われつつあるもの、残していくべき、残していかなければならないもの。貴実子さんの苛立ちを感じます。明治維新以降、この「和の文化」を必死で否定してきた日本人に対する憤りが伝わってくる。そして、日本人を信じてもいる。いや、信じなければならないし、そうしないと救われない。

冷泉家が、明治の文明開化以降にさらされてきた荒波。戦争によって直系跡継ぎ男子が途絶えてしまう。そのような危機を乗り越えて守り続けてきた和の文化。その歴史物語に感動する。そして、出てくるのは「感謝」の一言。読んで下さい。そして、伝えて下さい。日本人の心を、和の文化を、日本人ひとりひとりが受け継いでいくために。

最後に、貴実子さんの想いが凝縮された言葉を引いて結びます。

「世界はますます狭くなっていく。経済戦争は激しさを増す。そのなかで、尊敬される国でいることは、いかに文化の伝統を大切に守っているかである。衣食足りたのであるから、次は文化へ移ろう。いま、そんなときがきていると思う。」

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紙の本能はこんなに面白い!

2013/11/17 13:09

能は意外と面白い!

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「芸能はもっと自由にやるべきです。」

武道家、思想家である内田樹さんと、観阿弥、世阿弥の子孫である二十六世観世宗家の観世清和さんとの対談。日本の伝統芸能、現存する最古の演劇、日本人の心の原点である「能」を語り尽くす。

とはいっても、堅苦しい話ではありません。タイトル「能はこんなに面白い!」の言葉に偽りなし。それが冒頭の引用によく表れている。観世さんは「構えすぎ」だと嘆きます。特に江戸(東京)では。もっと素直に観てほしいと。関西のほうが芸事にあたる反応が圧倒的によいとも。江戸のほうが「こうでなければならない」という型にはめられてしまっているようですね。

「能楽とはこれこれのものであるというふうに一意的な定義に居着くことよりもずっと生産的なことですし、能楽にとって幸福なことではないかと思っております。」

内田さんがここで語っているのはあくまで個人的な解釈。能楽の素晴らしさを伝えたいと思う内田さん。でも、解釈は人それぞれでよいという。それぞれが違う手触りや感動を経験して、それをその人自身の言葉で語り継いてゆく。それが能楽にとっても幸せなことではないかといいます。

「一武道家として言わせてもらえれば、能は「鑑賞するもの」であるよりむしろ「経験するもの」である。それ「について語るもの」であるよりむしろ(見所にあっても)それ「を生きるもの」である。」

あくまで内田さんの所感。でも、観世さんも能はぜひやってほしい、稽古をしてみることで能を観る目が変わってくるといっている。

能が生まれた背景やその歴史。能を生んだ観阿弥、世阿弥と彼らの考えたこと。また、能とはどのような演劇であるのか。能に集約されている日本人の美意識。どれもこれも、いちいち勉強になります。能への興味をかき立てます。

それでも、何が最も心に響いたかといえば、能にあたる姿勢、気軽に入っていらっしゃいなという構え。本書の中盤にある凱風館(内田さんが建てた道場)での対談は、それをよく感じさせてくれる。まず観にいってみないと。寝てしまっても構わない。内田さんもこうだったんですから(笑)

「「先生は私が出ていた間、ずっと寝ていましたね」と冷たい眼で言われた。それが最初の観能経験。」

観世さんは繰り返す。お能は観るものではなく、やるものだと。やってこそ能の深さが分かってくるのだと。そこまでいけるか自信はありません。でも、観世さんらが主催する「能楽講座」もあるようです。少なくとも、ここまではいってみたい。

いやいや、能は意外と面白い! おすすめです。

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