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レビューアーランキング
先月(2017年4月)

愚犬転助さんのレビュー一覧

投稿者:愚犬転助

45 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本呆韓論

2014/01/02 19:51

売れてはいけない本

30人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

室谷氏の著書は、いつも新たな事実呈示があり、驚かされる。他国事情として読むかぎりは、じつにおもしろい。
ただ、これは売れていい本ではない。隣国の惨状と日本への意識を知るにつけ、悲しくなる。人間同士激しくぶつかればぶつかるほど、どこか互い似てくる側面がある。国も同じ。韓国にあまりに深入りすると、韓国に似てくる。それは、気持ちのいいものではない。
ただ、韓国を知らなければ、国際的に日本はやられ放題になる。それもマズく、やはり韓国を知っておくことも必要と、ジレンマに陥る。
それにしても、自分が○○なら、相手もつい○○なところがあると思いがち。これが、日韓の誤解の深層にある。

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紙の本1964年のジャイアント馬場

2014/12/02 20:20

馬場が猪木に勝てない理由

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これまでのジャイアント馬場本の中で、もっとも秀逸だと思う。ブロレスの謎明かし本としても、読みごたえがある。さすがに著者の「1976年のアントニオ猪木」や「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」ほどの熱量、凄味はない。どこかで見たようなネタを引き出している箇所も多々あるが、冷徹な目でジャイアント馬場を見通している。
タイトルには「1964年」とあるものの、1964年にかかる分量はさほどではない。それよりも、1960年代に絶頂にあったアメリカン・プロレスがどういうものであったかという種明かしに分量が使われている。要は、客を興奮させるレスラーこそが、会場をいっぱいにするというもので、レスラー仲間や興行師から尊敬されるという話。そこに実力云々はない。実力云々が取り沙汰された昔のアメリカのプロレスがいかにつまらなかったかも、明かされる。馬場は、その華やかな時代に生き、学び、大金を稼ぎ、そして頑迷化していった。
このことが、日本ではなかなか理解されなかった。なにしろ、日本にプロレスをつくり出した力道山は、アメリカのプロレスを理解したとは言い難く、彼はプロレスにリアルっぽい装飾を施そうとしつづけた。日本のプロレス・ファンは、そんな土壌の中でプロレス観を形成していく。だからこそ、真剣勝負をうたったUWFが、1980年代に一世を風靡できたのだ、ここに、アントニオ猪木が馬場を超越する根源があり、馬場は日本マットの異端でしかなく、いや老化してのち世界でも異種として存在したことになる。
また、著者 の馬場論、猪木論から進めていくと、猪木の馬場超えは必然だし、レスラーの全盛期は10年もないことになる。馬場は1960年代に全盛期を築き、1970年代には脆弱な巨人化していった。1970年代に全盛期を築いた猪木に、どうあがいても集客から実力から勝ちようがない。その猪木も1980年代から勘違いオジサン化し、手垢のついたギミックをやっ てはファンの怒りを買った。ただ、ファンの失笑が馬場には直接、鋭い形で向かったのに、 ファンの失望は猪木に直接は向かわなかっただけだ。結局、2人とも時代に捨てられたわけだが、それでも馬場と猪木の対立劇は、ファンに長く何かを語らせつづけてきた。その歴史は、猪木対前田の歴史よりはるかに長く、その意味で馬場の頑迷がプロレスを長生きさせたという逆説も成り立つ。
同書の最後の数章は、頑迷なる経営者・馬場正平の物語である。馬場の無策に対して著者は辛辣であり、猪木に対抗すべく、馬場は大金をドブに捨てつづけたことになる。それでも、晩年 の馬場がファンに慕われたくだりは、救いである。
また、冒頭、もっともハッとさせられるのは、読売巨人の投手・馬場の能力である。まだ20歳にもならない馬場が2軍で勝ちまくっている。2年目、3年目では、合計25勝3敗程度と圧倒的な数字である。にもかかわらず、なぜ、読売巨人は馬場を一軍で起用しなかったのか。これは、個人的に長く謎であった。しょせん馬場の能力では一軍は無理だったのかと茫漠と思ってさえいたが、ベテランからの嫉妬が起用を妨げていたと著者は推理する。大きな馬場はそれだけで観客の視線を一身に集め、忘れ去られていくロートル選手を惨めにする。彼が活躍すれば、中堅でさえも安閑とはしていられない。そんな嫉妬社会で馬場に生き残る目はなく、結局、アメリカ・プロレスで華咲くしかなかったことになる。あの時代の野球村、いや巨人の社会がもうちょいまともだったら、馬場は100勝くらいはあげ、プロレスの歴史も また変わったものになったやもしれない。

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松原久子の再来

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本人にはいまなおドイツ好きがいる。私もその一人だが、日本人の片思いがつづいている。要は、ドイツ人は日本をさして好きではなく、マスコミともなると、日本のアラをあげつらうのを好む。 その一方、ナチス・ドイツの昔から、中国とドイツの親和性は高い。尖閣問題一つとっても、ドイツでは中国寄りの意見がほとんどという現実を読ませられると、どうしようもない無力感にさえ陥る。
そもそも、日本、いや東アジアのお話になぞ、ドイツは興味がないのだ。かつて、ドイツでは東アジア史を世界史で扱わず、地理で扱っていたというが、いまもって多くのドイツ人は東ユーラシアの歴史は中国の歴史くらいにしか思っていないのだろう。日本人がヨーロッパ史をそこそこに勉強、関心を示していても、その逆があると思ったら、大間違い。
このままでは、ヨーロッパの東アジアに対する根拠のない思い込み、誤解は定着し、ますます日本の肩身は狭くなる。かつてドイツにあった松原久子は「宇宙船日本(邦題・驕れる白人と闘うための日本現代史)」をドイツ語で著し、孤軍奮闘した。従軍慰安婦、南京事件以外は、きわめて良識的に扱われていた。川口氏なら、松原久子氏以上の仕事ができるやもしれない。他人任せにしてはいけないのだが。

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紙の本マッカーサーは慰安婦がお好き

2013/12/28 00:13

溜飲を下げるだけではねえ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

週刊新潮のもっともおもろしろいところが詰まった本。ただ、週刊新潮の近年のネタがありきたりで、つまらなくなっていくなか、小生には週刊新潮は買うのもばかばかしい。単行本を待っていた。中身は高山節炸裂。いつもどおり納得がいく。
たた、そればっかしでは、先がない。日本の先人たちは、従軍慰安婦、靖国問題をはじめ、さまざまな問題を半ばでっちあげ、国際外交問題に仕立てあげてきた。これは、国内問題でもあれば、日本の外交宣伝問題でもある。高山氏一人の奮闘には限りがあり、本書は英訳、支那訳されてはじめて大きな価値を持つと思う。先人たちのご意見の退場は、新たな世代の仕事になる。まあ、便所掃除と同じ、報いの少ない作業だが、やるしかなかろう。

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ユーチューブの衝撃

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

力道山対木村という、一時は風化しつつあった対決の底にあった凄味、せめぎあいを初めて世に出してくれた本といっていい。日本にあっては、「1976年のアントニオ猪木 」、ミスター高橋本とともに、格闘とプロレスを語るうえで不可欠の傑作だ。
力道山対木村に関しては、これを機に日本人同士の対決が長く封印されたといわれてきた。その戦い模様があまりに凄惨だったからというのが理由だが、日本テレビのプロレス回顧番組を見るかぎり、それはわからない。あたりさわりのない一部のみを見せるにとどまっているので、ぬるい試合にしか見えない。この本を読み、ユーチューブで問題の一戦を見たとき、衝撃を受けた。いまどきの格闘戦でもそうはないエグい攻撃がなされ、力道山が一方的に勝っている。力道山、格闘をやらせても強いんだなと思う。著者は木村を弁護しているが、この試合の木村は明らかにやる気に欠けて、コンディションもよさそうに思えない。体格差は明らかだから、木村に隙があれば、力道山に食われてもしかたなかったと見る。
ただ、力道山の約束破りが日本のプロレスに長く影を落としたのもたしかだろう。馬場のみがプロレスの掟を守ったが、猪木や大木らはときとして掟を破った。それがおかしな緊張感を生み出し、日本のプロレスを格闘技っぽく、もっともらしく見せてきたのだが、フェイクの根本を変えたわけではない。そのありようが中途半端でありつづけたため、馬場の死後に混乱と衰退が訪れる。フェイクを公然と認めたアメリカ・プロレスのような進化を遂げられず、いまに至っている。
本書のもう一つの大きな価値は、日本の格闘史、柔術史がうまくまとめられているところだ。いまでこそ嘉納治五郎に発する講道館柔道がすべてのような印象だが、戦前は違った。寝ワザを中心とする高専柔術というもう一方の雄があり、彼らがいまに連なる格闘系の決め技を編み出してきたとは、初めて知った。
高専柔術を担った若者らは、筋肉でかためられた猛者ではなく、勉学・学問を志す者としての側面があった。彼らは体力に劣り、立ち技ではかないっこない。そんな彼らが生き残り、いや勝ち抜き戦略として寝ワザを磨いていったこところに、驚嘆すべき独自性を感じる。どんな時代にも、頭さえ使えば、凄い若者が出るんだという希望にさえなる。
その一方、敗戦後、講道館柔道のみがスポーツ性をGHQに訴えて存続、武道色のある高専柔術は廃絶する。このあたり、敗戦後、外務省や大蔵省がたくみに生き残り、旧海軍が善玉化、陸軍を悪玉とした過程とよく似ていて、やりきれないものを感じる。

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世界史と東アジア、日本がわかる

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世界の歴史シリーズの番外編的な1冊だが、じつは一番よくできている、というか、わかりやすい。世界史を大ざっぱに俯瞰し、ヨーロッパ拡大史の中に東アジア史、日本史を落としこもうとした労作でもある。
岡田英弘氏が指摘するように、世界史というものはありえない。ヨーロッパ史と東アジア、中央ユーラシア史、日本史はじつは接着しようのないものなのだが、ヨーロッパ史を軸にしながらもたくみに貼り合わせている。多少なりとも、世界史がわかった気になる。
とかく評判の悪い末期徳川幕府にも、一定の評価を与えているところが、興味深い。後世の日本人から、日米条約を結んだ徳川幕府は弱腰、無定見に扱われがちだ。小説やマンガでもたいていそんな目で見ているのだが、ヨーロッパ史から見れば、まずまずの処理といえそうだ。それは、清帝国の対応のまずさからも補強できる。

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こんな本を待っていた

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テレビがないもので、韓国の歴史ドラマや映画を見たことはないが、宣伝写真や惹句くらいは目にする。色彩のない国、食の伝統が薄い国なのだが、たいそうな文化力を誇ったようにつくられている。高句麗を朝鮮半島国家と断じるのもねえ、ともどかしく思っていたところに、この本の登場となった。韓国の歴史ドラマ、映画のやりすぎがわかりやすく語られ、かつ朝鮮史が少しだけわかった。
だいたい日本人の感覚で、朝鮮史はつかみにくい。中国大陸王朝に影響された国家なのか、 意外に満州・モンゴル系の王朝の圧力を受け続けたのか、どうやって自立の道を歩んだのか、わかりにくい。この本では、その一端がわかる。
にしても、日本の歴史ドラマや小説もほめられたものではない。さすがに水戸黄門は消滅したが、坂本龍馬や織田信長を超人のごとくつくってもねえとは思う。零戦に対抗して、アメリカはグラマン「ヘル・キャット」を開発したなんて噴飯物の話をインテリが真面目そうに語っていた。いまの韓国のあり方をもって他山の石としたい。

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紙の本なぜ時代劇は滅びるのか

2014/12/18 19:27

熱い想いのレクィエム

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著者の時代劇に対する思い入れがよく伝わってくるが、いくら熱く語っても、もはや流れを変えるのは至難だろう。現実には、時代劇はつづくだろう。でも、かつての緊張、迫力、興奮がなくなるだけだ。それって、演歌やプロレスが過去の栄光に戻れないのと同じだろう。いまのプロレスが少ない人的資源のなか、新たなスタイルを築いていくしかないように、時代劇も乏しい資本、人材から突破口を見いだしていくしかない。本書を読んで、突破口になろうという若者が出てくれば、凄い話なるが。
著者は悪役の不在を嘆くが、それは世界的傾向だろう。政治の世界でも、いまは毛沢東やスターリンらのいない時代、日本の政治家でも「妖怪」「黒幕」「フィクサー」と呼ばれる人たちはいない。プロレスでも、ブッチャーやシン、シークはいない。結局、ないものねだりになっている。
帯を見ると、毒舌をウリにしている本のようだ。ただ、それほど辛辣ではない。実名で批判されている人もいるが、しかたのないことだろう。「水戸黄門」のウラ話は、秀逸。スポンサーの力が時代劇を変えてしまったとは。
一つ釈然としないのは、著者の時代劇観。昔の時代劇は、そんなにレベルが高かったのだろうか。小生からすれば、「切腹」はくどいし、五社の切ったはったものは、最後が尻尾切れ。典型なのは、大河ドラマの評価。著者はかつての大河ドラマを高く評価するが、小生からすればデキの悪い歴史劇にすぎない。ステロタイプの革命児・織田信長、狸爺の徳川家康に1年間つきあいたいとは思わない。もっといえば、チャンバラがそんなにおもしろいの、騎馬武者の合戦がそんなに凄いの、ということ。戦場の主役は、弓と槍、歩兵なのに、なんかうわっすべりな時代劇と思う。
とはいえ、よくできた内容である。

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文化大革命、林彪失脚の同時代考察が秀逸

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著者の現代中国論、それも1960年代から1980年代の中国論の寄せ集めだが、いまなお古びた感じはしない。むしろ、いまもって刺激的だ。当時、「中国は巨大すぎて、日本人には理解できない」などと逃げ腰のマスコミ論調が多かったなか、明快に中国に斬り込んでいる。著者のさめた見解にようやく日本の一部のマスコミが追いつきつつあるといったところで、著者の世界観、中国観には驚嘆の一言だ。まったく媚びないところが、畏敬に値する。
とくに秀逸だったのは、文化大革命の混乱、林彪墜死事件、とう小平の台頭のあたりを考察したくだりだ。当時、中国で起きた事実をもとに、同時代にあって著者は大胆に推理を試みている。それが間違っているかどうかは、いまだわからない。なにしろ、林彪事件をはじめ文革中の事件は、いまだ秘密のヴェールに覆われているからだ。そんななか、手さぐりながら、中国権力闘争の本質を射抜こうとしているのだ。
とりわけ感嘆したのは、毛沢東の権力さえ失墜寸前であったことだ。毛沢東は軍を掌握できず、林彪に軍掌握を託したが、その林彪も軍を掌握しきれない。そこに軍の実力者とパイプを持った周恩来が、軍をかろうじてつなぎとめることで逆襲、林彪は追い込まれる。権力闘争のなか、一部では、毛沢東批判がはじまり、毛沢東の地位はダモクレスの剣下にあったとは。権力闘争にあって、毛沢東も例外的な超越者ではなかったのだ。
もう一つ、中国の権力闘争は、大国とのパイプが絡んでいるとの話も秀逸。林彪を支えたのは、ソ連のベリヤ、ほう徳懐と太いパイプを持っていたのが、同じくソ連のジューコフ。ベリヤ、ジューコフの失脚が、林彪、ほう徳懐の失脚につながっているという考察は、炯眼としか言いようがない。悪名高い田中角栄訪中も、周恩来、毛沢東の生き残りに重要であった。いかに今世紀、中国が大国化しても、なお大国とのパイプが内部の権力闘争を左右するのだと思う。
また、架空のシンガポール人になりすまし、日本と中国を語るところは、おもしろい。大国を憎むのは小国の権利であり、大国はそんな小国の憎悪にじたばたする必要はないとの見方は、じつに外交の本質をついている。いまなおそれができないのが、日本の問題なのだが。

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最後4ページにかかった謎

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ハンネスさんは食われ、エルヴィン隊長の腕はもげ、ひさかたぶりの大乱戦だ。8巻にはじまった巨人侵攻の緊張と、謎が一つ解けたかと思うとさらなる謎の急速展開は、この12巻でいったん完結する。その意味で、物語の折り返しと思われる10巻と並ぶ、圧倒的な引き込み力のある巻だ。
エレンの「叫び」の力がすべてを終わらせたが、その「叫び」の力がまた謎の中の謎。ライナーらは、これを「座標」といい、ますますわからなくなる。エレンは巨人化能力ともう一つ大きな力を持ったことになり、こんな中二病に「なぜ」ともなる。
最大の謎は、ラストの4ページだ。ライナー、ベルトルト、ユミルの3人は生き残り、会話をしているが、連載雑誌にはこの4ページはない。コミック化時点での付け足しであり、こんな重要なシーンをなぜ付け足したのか深読みしたくなる。予想される彼らの大反攻にむけて、彼ら3人の立ち位置をはっきりさせるためか。もう、ベルトルトはユミルを見捨てることはできないだろう。
それにしても、ベルトルトこそはこの12巻の陰の主役だ。アニに対するほのかな想いはライナーに指摘され、同期のジャンやコニーからは人間性を難詰される。ベルトルトの苦悩がいっぱいに詰まっていて、彼がかつて「自分がない」とぼやいていたワケがわかってくる。彼には、未来が見えないのだ。超大型巨人でもあるベルトルトには地獄の大釜が待っていて、おそらくアニとは結ばれない。そんな不幸なキャラにともに生きるライナーにもまた、自己破壊的な末路が待っているだろう。 未来がないのは、ユミルとして同じ。3人の若者のありようが、せつなくなるエンディングである。

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朴女史の歴史は、韓国の歴史

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2010年代に突入して、韓国の対中傾斜はあからさまだ。そのうち中国に吸収されるのではないかと、一部の日本人は危惧しているが、どうやら両国の接近は歴史的宿命のようだ。著者によれば、冷戦が終わり、日本のバブルがはじけた1990年代にはじまっている。1960年代以後、国際的突出をつねに気にしていた日本は、迂闊で、やられっぱなしだった。
この本のおもしろいところは、朴大統領の歴史が韓国のあり方そのものであることを突いている点だ。彼女は、駆け出しのころから、中国にひたすら接近している。中華帝国を尊敬してやまない政治家が、ついに一国のトップに立ったということだ。巨大化する経済を背景にした中国の政治家の吸引力を恐るべしというべきか、韓国人の歴史的な業というべきか。いずれにせよ、対中接近の裏には、日本弱しという韓国人の見方がある 。
著者は、中国と朝鮮半島の関係は、朝鮮半島にとってかならずしも恵みのあるものではなかったと指摘している。にもかかわらず、だ。時代は日清戦争以前に戻りつつある。

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やっぱ、ワーグナーは悪魔だった

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ベートーヴェンの第9の受容史だが、第9の凡俗な礼賛論とは完全に一線を画し、事実の羅列から、これまでにない第9像が見えてくる。最初の驚きは、第9が4半世紀、へんてこりんな交響曲扱いされてきたこと。音楽史の常識では、第9の初演にあって、ウィーンの観客は熱狂したことになっている。これは事実のようだが、曲に感動してものではないようだ。すでに大家であったベートーヴェンに敬意は払っても、曲への理解はなかったようだと、著書は分析する。
未熟なオーケストラと指揮者によって、第9は長くけったいな大曲扱いされてきたが、すべてを変えたのは、リヒャルト・ワーグナーだったというのが、この本の最大の特色。彼は譜面でこの曲の魅力に気づき、パリの公演でキモが何かに気づきはじめたという。彼の指揮による演奏で、第9は怪物になる。ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」作曲時、「リヒャルト、お前は悪魔か」と自分に酔ったらしいが、やはり悪魔だった。ワーグナーのオペラが、ベートーヴェンの交響曲をエログロたっぷりにネチネ飾りたてし、ベートーヴェン世界を巨大化させたものであることが、よくわかった。
このあとの第9にまつわる政治家、音楽家の軋轢と対立の歴史分析も秀逸だ。フルトヴェングラーが第9をドイツ精神の精華扱いしているあたり、長く第9はドイツを呪縛していたことを感じる。

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戦後日本の食の移り変わりがわかる労作

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増田悦佐氏の推奨ということで購入したが、労作である。ファッションフードというのは、流行した食べ物のことと思えばいい。それも、手っとり早い系の食い物。紅茶キノコやナタデココといったものが登場すると、なんでこんなモノが流行ったんだろと思うが、それこそ流行という奴の妖しさである。だから、ファッションフードなのだろう。
著者は女性ということもあって、女性誌と絡ませながら、流行にアプローチしている。女性誌の威力に日々ピンとこない身でも、読ませてくれる。著者の視点からすれば、すべてはアメリカのファストフードの上陸ラッシュから変わったという。加えて、大阪の万国博覧会。マクドナルドとケンタッキーは、怪物的な仕事をしたことになる。70年代というと、暗い時代だったと記憶するが、食の世界は明るさに満ちていたようだ。
それにしても、90年代のティラミス拡大に大きな力を貸したのは、「マスカルポーネ」ならぬ「マスカポーネ」という疑似チーズだったという話には、驚いた。いま、こんな「もどき系」をやったら、やはりマスコミの餌食になるのかなと思わないでもない。
著者は、いまや日本を世界一のファッションフード先進国になったと説く。ファッションフードの爆発期間はバブルまでだったとも述懐するが、どうしてまだまだ日本の食は変わりつづけるような気がする。江戸時代から、そうだったもの。 それも、中世に東アジアの大陸ですたれた食文化を残しながら。

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そうか、商業ベースから見れば、こんな解釈が

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著者の作品の中でも、最大級の傑作だろう。とくに、シューベルトの第8交響曲についての謎解きは、秀逸だ。これまでシューベルトの第8交響曲が未完成に終わってしまった理由についてはさまざまな推理がなされてきた。すでに芸術的には完成しきっているとか、シューベルト個人の悲しい事情とか、数多の議論があったなか、著者はビジネスベースから迫っている。
シューベルトの第8交響曲は、2楽章までで30分近くを要している。4楽章の交響曲として完成するなら、1時間近い長大曲になってしまう。第8交響曲がつくられた時代、まだベートーベンの第9交響曲は存在しない。第3番のみが長大な交響曲としてあるだけだ。もちろん長いオペラは腐るほどあるとはいえ、オペラほどの人気が確立されていない交響曲で、長大な作品となると、観客は耐えきれない。ベートーベンでさえ、長大な交響曲には挑戦しきれていない。 となると、完成しても上演される見込みは薄く、シューベルトは創作を断念したという論は、説得力がある。
作品について、時間と人間の忍耐力から迫ろうという著者のアプローチは、コロンブスの卵的だ。現代の映画上映を考えれば、納得がいく。プルックナーの第9交響曲がほぼ完成しているにもかかわらず、3楽章までの未完成扱いされているのも、同じく商業的な理由からというのも、うまい理屈だ。
プッチーニの「トゥランドット」となると、今度は作曲家が台本の料理に限界を感じての未完成となる。これまた「なるほど」である。ただ、あのド派手な終わり方は、ウソくさいが、嫌いではない。

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ローカル鉄道の経営努力のわかる労作

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いったい誰がこんな本を読むのだろとは思うが、労作である。タイトルどおり赤字ローカル線の酷い現実がわかる。沿線人口、とくに通学需要が減っていくと、少々の経営努力では挽回できない。
ローカル鉄道会社は、真似を厭わない。1社が枕木オーナー制をはじめれば、他社も真似、アテンダントを導入すれば、他社も同様に。企画列車の新手が登場すれば、同じような列車を走らせる。たいていの経営努力は、やってきた。ただ、客が乗ってくれないだけだ。
じつにていねい調べている本でもある。とくに一つひとつの駅について、それぞれコメントが付されているのには、感嘆した。続編も期待したい。

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