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    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

Makiさんのレビュー一覧

投稿者:Maki

18 件中 1 件~ 15 件を表示

ネタばれあり

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

上巻に引き続き、ワルシャワ蜂起の記録と、その後の圧政が描かれている。

なぜ、ワルシャワ蜂起とワルシャワゲットー蜂起が混在されて記憶されるようになったのか?が、書かれている。
ポーランド亡命政府が、亡命ポーランド政府となり、スターリンの意のままに復讐が行われていく。

戦後の、ワルシャワ蜂起後の、ポーランドの悲劇の闘い。

「歴史は勝者によって作られるもの」
この言葉を思い出さずにはいられない内容だ。

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紙の本帰ってきたヒトラー 上

2014/03/27 20:57

ヒトラー

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

面白い!

2012年にドイツで発表され、「我が闘争」は発禁、ナチスの礼賛は禁止されている国で、またたく間にベストセラーになり、映画化まで決定した事が納得できる内容だった。
主人公はヒトラーであるが、ドイツ人がドイツ人の目線で書いた風刺小説であるから、受け入れられたのであろう。

原書については、早くから、インターネット等で取り上げられていたから、大体のあらすじはご存じの方も多いかと思うが・・・。

2011年8月30日、ヒトラーが突然ベルリンで目覚める。
彼には、敗戦直前に自殺した記憶がない。

人々は、彼を”ヒトラー”そっくりの芸人と思い込み、彼の発言を、強烈なブラックジョークだと解釈する。
勘違いが、勘違いを呼び、彼はTVのコメディー番組に出演し、人気を博し、ついには、YouTubeでアクセス数70万回を超える・・・・。

というところまでが上巻であるが。

ヒトラーや、ナチスの戦略、ナチス内の人間関係を知っていれば、周囲とのことばのやり取りや、ヒトラーのひとり言をより面白く感じると思うが、例え知らなくても、彼がTV番組や、街の様子を、現代人を、敗戦前の状況と比較し、斬っていくさまは痛快に感じるとともに、現代生活の便利さが果たして本当に必要なものなのか・・・・と考えるきっかけになるのでは・・・と感じた。
いや、”Wikipedia” をエンサイクロペディア(百科事典)とヴァイキングをかけ合わせた造語と考えたり・・・等々、彼の”勘違い”を読んでいるだけでも、充分、楽しめる。

ただ、これは、著者がドイツ人だからこそ、書けた小説だ・・・と思う。
ヒトラー政権を体感した人々にとっては、ドイツでも論争があったように、「Er ist wieder da」は、未だ受け入れがたいことなのだろうと感じた。

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ナチス

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ワルシャワ・ゲットー、人間が人間に対して行った非人道的な行為の―人間精神の英雄的抵抗の―記憶。
この本の中に保存されているのは、正しくその記憶である。
彼は信念によって、ゲットーでの日々を記録していく。

この本は、日々の出来事の目撃証言であり、それを書きとめた人物、リンゲルブルムは社会科学者である。

たとえユダヤ人が滅んでも、このゲットーでの日々、抵抗の精神を後世に伝えるために。

彼らが残した記録は、計3回、3か所に地下深く埋められた。
最初の部分のありかが判明したのは、1946年、第二の部分は1950年に発見された。
(残念ながら、3回目の部分は未発見のままとなっているようだ)
保存記録は、彼らの望み通り、記録保持者の死後も生き延びた。

これは日記では無い。
覚書と言うべき、記録である。
だからこそ、ゲットーでの日々をより感じる事が出来るのかもしれない。

ユダヤ人評議員会の横暴、ユダヤ人同士の確執、ポーランド人との関係等々、日々の記録の中で、明らかにされていく。

迫害や虐殺のユダヤの歴史の中でも、大人には何がされようとも、子供は行かしておかれた。
だが、ヒトラーは、ナチスは、ます子供を殲滅しようとした。

子供たちと共に、収容所へ向かうコルチャック博士の姿が、淡々と記録されている。

ワルシャワが、
ポーランドが、
ユダヤ人が、
大国の利益のために、見殺しにされていく。

その記録でもあるのだ。

せめてもの救いは、ワルシャワ蜂起のようにその行為自体を抹殺されることなく、戦争終結とともに、早くから、その存在を世に知られたことであろうか。

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紙の本帰ってきたヒトラー 下

2014/03/27 20:56

ヒトラー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

上巻で、勘違いが、勘違いを呼び、ついには、YouTubeでアクセス数70万回を超えるほどの超人気者となった”ヒトラー”が、現代生活や最新技術に奮闘しながら、周囲の人々に頼りつつ、支持を集め、もう一度政治の世界に踏みこもうとする・・・・ところまでを、下巻では描いている。

人気者となったヒトラーが、下巻では、さらに、人間味あふれ、魅力的な人物として描かれていく。

ユダヤ人を祖母にもつ女性とのやり取りは、生前の、いや、かつてのヒトラーもそう考え、発言をし、人々の支持を集め、その結果、政権を掌握したのであろうと思えるものであった。

「ユダヤ人の事は冗談に出来ない」
正しく、彼にとっては、真実そうなのだから・・・。


読み進めるにつれ、彼に共感し、彼と同じ目線で見ている自分に気がつき、我に返って考えさせられる。

これこそが、著者が、ヒトラーを人間味あふれる、魅力的な人物として描いた理由なのであるが。


著者は言う
「人々の多くは、自分の精神衛生のため、彼(ヒトラー)を一種の怪物として解釈してきた。
 (中略)だがそこには、人間アドルフ・ヒトラーに人を引き付ける力があきらかにあったという視点が欠けている。
 人々は気の狂った男を選んだりしない。
 人々は、自分にとって魅力的に見えたり、すばらしいと思えたりする人物をこそを選ぶはずだ」
と。

「ヒトラーを怪物に仕上げるだけでは、なぜあの恐るべき出来事が起きたかの真の理由はわからない」
というのが、著者ヴェルメッシュの見解だ。

実は、私は著者と同じ見方をしている。
真の理由を知りたく、真の理由に少しでも近づきたく思い、ヒトラーやナチス関連の本を多く読む。

この本は、あくまでも小説なので、真の理由はわからない。
が、読みながら、彼に共感し、彼と同じ目線で見ていたことにより、かつての支持者たちの感情を、心情を、
感じることが出来た様に思う。

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ネタばれあり

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ワルシャワ蜂起前のポーランド亡命政府と、連合国との関係。
ソ連と連合国との思惑が描かれている。

そして、ワルシャワ蜂起の記録へと進む。

自国の利益優先の大国の倫理。
それは、結果として同盟国であるポーランドを、ポーランドの人々を、見捨てることへと繋がっていく。

ここには、悲劇の闘いが描かれている。

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歴史

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近衛文麿―その人物像は、往々にして「弱い人間」「すぐに投げ出す」「逃げだす・・」といったイメージで描かれる。

果たして、五摂家筆頭という理由だけで、そのような人物に三度も総理大臣を任せるだろうか
要職を任せるのだろうか
蒋介石や、ルーズベルト等々、各国主要人物との交渉を任せようとするのだろうか

なにかが心にひっかかり、疑問を持ち続けていた・・・・。

偶然、本書を書店で見たとき、著者の名前を見て思わず手に取った。
『大野 芳』
以前、著作「8月17日ソ連軍上陸する―占守島攻防記」を読んで、丹念な調査に基づいているという印象を受け、
また、疑問や多説ある場合は、それらを論証しようとする姿勢を感じた作家だ。

この人の描く、いや感じた『近衛文麿』を読んでみたいと思った。

本書を読み、読者の近衛文麿のイメージが変わるかどうか・・・は、わからない。

ただ内外情勢が混沌とし、閉塞感を強める今、私たちに必要なのは彼の様な人物なのではないか。

日本の未来を憂い、行動しようとした多くの人が、彼の周囲にも、軍の中にも存在した。

果たして、現在の日本には・・・・。


私は、彼が旧憲法改正に関わっていた事、憲法改正に対する思想を初めて知った。

彼の自死に関しては、多くの批判、意見があると思う。
が、私は、近衛文麿という人の信念を貫くには、そうせざる終えなかったのだと感じている。

先人たちの想いを感じることで、現在の日本を考えるきっかけになれば・・・と思う。

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ホロコースト

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忘却の彼方に追いやられていた、「私はホロコーストを見た」の著者ヤン・カルスキ(本名ヤン・コジェレフスキ)が、長い間の沈黙を破ったあと、クロード・ランズマン監督の映画「ショアー」が公開され、再びカルスキの存在が注目を浴び始めた頃、二人の小説家が彼に着想を得た作品を発表した。
そのうちの一冊が、本書である。

この本が発表されると、ランズマン監督は「歴史を捏造するものだ」と噛みついたらしい。
(ランズマン監督は、映画「シンドラーのリスト」や「ライフイズビューティフル」に関しても、批判的であるらしいが・・・)

このエネルの小説は、三部構成からなり
第一部が「ショアー」でインタビューされるカルスキの証言をダイジェストしたもの
第二部は、カルスキの手記、すなわち「私はホロコーストを見た」の史実な要約
そして第三部では、「私はホロコーストを見た」の最終章で書かれたルーズベルト大統領との会見のあと、ホテルへ徒歩で向かうカルスキの心情をフィクションで物語っていく。

第一部、第二部とドキュメンタリーの手法を使い、第三部のみフィクションの技法を用いた独創的な構成になっており、多くの文学賞を受賞した作品である。

史実とフィクションを混ぜた故の論争は、当然のように起こった。
だが、著者エネルは言う「フィクションは自明の権利であり、カルスキに関して書こうとするなら必然だ」と。
なぜなら、「彼は、1945年から35年もの間、沈黙してしまったから・・」

カルスキが沈黙した理由、それは彼本人しかわからない。
が、カルスキ自身を知る上で、また、彼が35年間沈黙した事実を推測する上で、著者が言うように第三部は必要だったと思う。

カルスキの証言のみならず、そのほかの情報を得ながらも、戦争が終結した時、各国政府や首脳者たちが口をそろえて
「ユダヤ人の虐殺を知らなかった・・・」と言い、知らなかったことにした事実。
大国の保身、利益優先に、カルスキならずとも、絶望感を・・・無力感を・・・そして、沈黙に埋もれるに違いない。

この本をより楽しむ上で、また、カルスキを知る上で、是非とも「私はホロコーストを見た」を併せて読まれる事をお勧めする。

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社会情勢

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この本は、”ジェノサイド”という人道に対する究極の罪を、二度と繰り返さないために、どうすればいいのか、止めるために私たちには何が出来るのかを考え、答えを導き出すために書かれた本である。

ジェノサイドは「ひとりの邪悪な人間」のせいで起こったわけではなく、確かに扇動者、キーパーソンとなる人物の存在はあっても、それに手を貸す何千、何万という人々が存在したから引き起こされた。
それは人々の「見て見ぬふり」であったり「否定」でもあったりする。

ジェノサイドは8つの段階に分けて考えられ、前半から後半へと進んで行く。
そしてそのどの段階でも食い止めることが出来、次の段階を予想することが出来る。
ニーメラーの有名なことばの様に、傍観者が無関心であったり、何も行動を起こさなかったら、ジェノサイドは延々と続いて行き、最終段階を迎えることになる。

ヒトラーが「だれがアルメニアの虐殺を覚えているだろうか・・・」と言ったように、ジェノサイドは罰せられない、罰せることが難しいといった認識や、核兵器の投下が、戦争犯罪であっても、虐殺と認識されないように、どこまでを"ジェノサイド”として、どう裁くのかといった国際法定の問題や、勝者と敗者といった位置づけも、ジェノサイドの審理に影響を及ぼし、ジェノサイドを行う側の心理、発生に影響を及ぼしているとていると思う。
が、我々各個人が、そして傍観者である世界が、無関心でない事、「否定」しない事によって、ジェノサイドを阻止しまた各段階で、食い止めることが出来る思う。

最後に、私自身への戒めとして、ニーメラーの有名なことばを改めて書きたい。

最初に彼らは共産主義者を攻撃したが、私は共産主義者ではないので――黙っていた。
続いて社会主義者を攻撃したが、私は社会主義者ではないので――何もしなかった。
それから労働組合員を攻撃したが、私は労働組合員ではなかった。
やがてユダヤ人を攻撃したが、私はユダヤ人ではないので――ほとんど何もしなかった。
とうとう彼らは私を攻撃したが、私の味方になってくれそうな人は、もう誰も残っていなかった。

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ノンフィクション

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占守島の攻防に関しては、恥ずかしながら数年前に遊就館を見学するまで、その島の存在すら知りませんでした。
以前から、読みたいと思いつつも手にする機会がなかったのですが、昨年夏、この本を手にする機会を得て、ソ連が攻め込んできた正にその8月17日に読むことに。

日本軍の対応には、賛否両論が有ると思います。
特に、この攻防戦で命を落とされた方々のご遺族には、複雑な感情があると察します。
が、私は、先人達が命をかけて闘ってくれたからこそ、北海道を守ることが出来、ソ連の侵攻を食い止めてくれたからこそ、日本が2分割されずに、今日の日本という国があるのだと考えています。

私の様に、占守島の戦いを知らなかった方や、日本が終戦を受け入れた後のソ連の対応を、一人でも多くの方に知って頂けたら・・・と願っています。

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ノンフィクション

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この本は、クロード・ランズマンの映画「ショアー」の中で証言する、著者ヤン・カルスキ(本名ヤン・コジェレフスキ)の半生、映画の中で証言した「彼が実際に見た事」を見るにいたった経緯を、1944年に世界に知らせるために書いた報告書「世界に向っての証言」に全面的な修正と注訳が加えられた再刊である。


下巻では、上巻でゲシュタポから救出された著者が、再度、密使としてポーランドの状況を報告する命を受けて、祖国を出発する。
出発前、ユダヤ人レジスタンス組織の要人に会い、ワルシャワ・ゲットーに、その後は収容所にも潜入し、その実情を目の当たりにする。
カルスキは「これこそが自分が世界に伝えなければならない事だ」と感じる。

彼は、イギリスの要人や、ルーズベルトにも会い、連合諸国に訴える。
ポーランドの実情を、今、正に地上から抹殺されようとしているユダヤ人の事を。

カルスキは、この本の中で、自分が体験した事、知りえた事だけを書いている。
全世界の自由な人々に、ナチズムに征服された日々を、いかにしてポーランドの同士が行動を起こしたかを知ってもらうために。

再刊されるにあたり、カルスキが書いてから、60年を経てわかりえた事、その当時は、当事者の安全のため書けなかった事が、注釈として見事なまでに書き加えられている。

それらを読むつれ、
大国の利益の前には、ユダヤ人の命、運命など、取るに足りないものだったというのだろうか?
人命よりも優先すべき、大国の”利益”とは・・・・。
絶えず頭によぎった。

忘却の彼方に忘れ去られていたカルスキが、ホロコースト記念会議の呼び掛けに応じ、また「ショアー」の証言者として
スクリーンに登場するまで、ジョージタウン大学の一教授として生活し、体験した詳細は家族にさえ沈黙した。

彼を長い沈黙へといざなった感情とは。
彼が感じたであろう無力感。
世界のポーランドに対する無関心。
絶望は、察するに余りある。

今だからこそ、再び読まれるべき本だと感じた。

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ノンフィクション

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大国の利益の前には、ユダヤ人の運命など、取るに足りないものだったというのだろうか?
人命よりも優先すべき”利益”とは・・・・。

この本は、クロード・ランズマンの映画「ショアー」の中で証言する、著者ヤン・カルスキ(本名ヤン・コジェレフスキ)の半生、映画の中で証言した「彼が実際に見た事」を見るにいたった経緯を、1944年に世界に知らせるために書いた報告書「世界に向っての証言」に全面的な修正と注訳が加えられた再刊である。

映画の中では、一証人でしかなかった彼の壮絶な経験、ポーランドという国の置かれた状況を、この本は描き出す。

著者は戦わずしてソ連の捕虜となるが、祖国ポーランドのために戦いたいと脱走し、(一緒に捕虜となった多くの同僚は、カチン森の地中へと消えていった)ポーランド地下組織の密使となり、暗躍する。
が、焦る気持ちから、注意を怠りゲシュタポに捕まり、このままでは拷問に耐えかねて、仲間を、祖国を裏切る・・・と、自身の教義に反する自殺を試みる。
看守により命を助けられ、その収容先の病院から、地下組織のメンバーによって救出されるまでを、上巻では描いている。

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偉大なるDr

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後世には「近代医学の父」「実験医学の父」と呼ばれ、ダーウィンの「種の起源」より70年も前に進化論を見出していた外科医ジョン・ハンターの生涯を綴った伝記である。

ただ「伝記」と一言では片付けられない、ありきたりでない人物像、畸人慣れしたロンドンっ子もびっくりの畸人ぶりである。

実験による論証を信念としているため、解剖実習の遺体を確保するために、墓泥棒と手を組んだり、飽くなき探求心は、人体のみならずあらゆる生物(ミミズから巨人、クジラやキリンetc)へと向けられていく。

人類の記録史上初の人工授精を行ったかと思えば、外科医としての仕事が無かった時期は、生体間歯牙移植を行い、その方法論は人体臓器移植へと引き継がれていった。
彼が、歯の分類に小臼歯を加え、4種類としたとは、正直、記憶になかった。
彼の緻密な研究と判断によって、歯科の職業は地位を向上させたため、近代歯科の父と呼ぶ者さえいるとは・・・。

勿論、彼の研究、理解が全て正しかったわけではない。
梅毒と淋病が同じ病原であると誤ったり、倫理的に失策と思われることも多々ある。
が、古典的な療法(有害な薬物や胃腸洗浄)、寫血、手足の切断が主流な治療法であったその時代、動物実験や生理学をとりいれたハンターの治療は、一歩も二歩も先を行く。
受け入れられず、その功績は、当時のエスタブリッシュメントや義理の弟達によって抹殺されかかっていたが、彼の真の弟子たちである、エドワード・ジェンナーや伝統のくびきのないアメリカで開花していく。

まさに、「近代医学の父」だと思う。

「ドリトル先生」のモデルと言われているだけあって、子供の頃に「ドリトル先生」を読んだ時の様な、次になにが起こるのだろうか、というワクワク感やスリリングな感情を、物語では無く人物伝で、久々に感じる事が出来た。

医学の知識がさほど無くても、スリリングな感情を十分感じることが出来る一冊だと思う。

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戦士たちの遺書

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「戦士たちの遺書」― 28人の「戦士」と3人の婦人、4人の子供たちの「死にざま」が書いてある。

あるものは、自らの責任を感じ自決し
あるものは、自らの信念に基づいて死を迎える

壮絶な戦死をとげたもの
志半ばにして、死を迎えたもの
戦犯として刑死したもの
・・等々

其々の「死にざま」は異なる。
そして「遺書」に込めた思いも異なる。

ここに書かれた「死にざま」の中には、私が肯定することも賛成することもは出来ない「死にざま」がある。
が、肯定できないまま、不賛成のまま、考えさせられる。

其々が、国を愛し、ひとを愛し、
其々の想いを、思想を胸に、死んでいったのだと。

彼らは、確実に存在し、そして散っていった。
彼らだけでなく、何百万もの人々が、其々の想いを胸に死んでいった。

戦後70年近くが経ち、
この中に書かれている人の名はもとより、その存在をも知らぬひとが多いと思う。

彼らの「遺書」を通して
彼らの存在を通して
「戦争」を
「平和」を
そして「日本という国」の現状を
「考えてごらん」
と言われている気がした。

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歴史

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「歴史には、光と影がある」

評論家の金美齢氏のことばだ。

日本の未来を信じ、父母のため、祖国のため・・・とその礎になった多くの先人がいた。
日本を愛し、その行く末を案じる人々がいる。

いまの日本は、その人たちの目に、どう映っているのであろうか・・・。

読みながら、何度、熱いものが頬を伝ったことか。

「勝者によってつくられた歴史」「与えられた歴史」では無く、歴史の「光」と「影」両方を見聞きし、考える。

いま、私たちに必要な事を改めて考えさせられた本である。

「自分の国を愛さずして、どうして他人や他国を愛す事は出来るというのか」と老台北は言う。

「戦史はただ過去の戦争の歴史では無い。
 戦史は、現在を知り、そして将来を占う確かな道しるべである」

明治以降の歴史を、お座なりにしている現在の教育で、日本に確かな道しるべはあるのだろうか。

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死にざまとは

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

死―生けるもの全てが、避けて通れぬものだ。

この本は、題名のごとく、昭和を生きた有名、無名の8人の「死にざま」を書いている。

なぜ「生きざま」ではなく、「死にざま」なのか。

著者は言う。
「わたしの主題は『ひとの死に方、死なせ方』」だと。
「社会生活を営むひとは、勝手に死ぬのではない。
 死ぬには理由がある。また、死後は自分で選択できるものではない。
 だから私は、『生きざま』ではなく『死にざま』に、より強い関心をもつ」と。

「ひとには其々、必ず歴史がある。
 百人いれば、百人の歴史がある、
 ひとり人の人物を百人が書けば、百種類の歴史が残る。」と。

つまり『歴史的事実』は『真実』を意味していないと。

記録は、周りの人が作るため、正確に伝えることは困難だ。
だが、誰かが書かなければ、歴史として残らない。

志半ばにして病に倒れたもの。
虚偽の証言によって活動の場を奪われたもの。
終戦とともに、部下の後を追った者。
いずれのひとも、昭和という激動の時代を生きた人だ。

大西瀧次郎などは、証言をもとに、通説とは異なった解釈となっている。
だが、彼の遺書を読み、また、「特攻などというものは、統率の外道の外道だ」という言葉を聞けば、
通説よりも、著者の解釈の方がより大西瀧次郎という人物を表しているように感じるのだが。

「棺を蓋いて事定まる」
 
果たして、この8人のうち何人が、『真価』を、『真実』を、後世に伝えられているのだろうか。

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