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  3. 燕石さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年4月)

燕石さんのレビュー一覧

投稿者:燕石

15 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本唐牛伝 敗者の戦後漂流

2016/12/25 12:59

歴史が人を伝説にし、捨てる

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

60年安保ブント系全学連で委員長を務め、華々しい「伝説」となった唐牛(かろうじ)健太郎の評伝。とかく、60年安保の対立構図を、当時の首相岸信介=右翼 対 全学連=左翼と単純化し勝ちだが、著者は、根本を米国駐留軍の力を借りない自国軍による防備を目指したナショナリスト岸信介と、当時のソ連に追随する日本共産党に反旗を翻したナショナリスト全学連の、「ナショナリスト同士の対立」と捉える。それゆえ、田中清玄等の右翼勢力が全学連に資金援助を行ったことも、ある意味必然だった。更には、経済界でも、レッドパージされた戦前のエスタブリッシュメント勢力が岸信介との結び付きて復活の兆しを見せ始めたことを背景に、これら旧勢力と、戦後の復興を目指して自信をつけつつあった新興勢力との対立が、あった。そして、彼らが、米国の軍事力の傘に入ることと引き換えに経済成長重視路線を志向し、岸内閣に替えて池田勇人内閣を誕生させ、高度経済成長を実現させるのだが、60年安保にも「すべての政治変動の背景には、必ず経済的な原理が働いている」と言える。こういった文脈の中で辿られる唐牛健太郎の人生の軌跡は、時代に押し上げられ、文字通り捨て去られ、忘れられた。そして、私生児という出自ゆえに、常に孤独であり、それゆえに人懐こく、男性・女性双方を魅了する好漢だった。橋本徹に対するヒステリックな誹謗中傷記事を書き、私を含め多くの佐野ファンを失望させ、ジャ-ナリストとしては葬り去られるはだった佐野眞一が、なぜ唐牛の評伝を書いたのか?その答えは、正に時代と真正面から向き合うことにより、もう一度歴史に誠実に立ち会うことを、佐野自身が宣言するために他ならないと、私には思える。

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鴎外もまた素晴らしい

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『普請中』の、築地の西洋料理店での渡辺と独逸人の若い女性との食事場面が、先日亡くなった谷口ジローの漫画『坊ちゃんの時代第2部 秋の舞姫』に効果的に使われている(原作は関川夏央だが)。漫画の主人公である鴎外は、エリスに対して、外国人と結婚することに関して「日本はそんなに進んでいない。まだまだ普請中だ(だから、お前とは結婚できない)」と呟く。
確か、三島由紀夫だったと思う。『追儺』の、外の細い雨が折々落ちて来る「灰色の空」と料亭「新喜楽」で会食の時間を待っている主人公の部屋の「座敷の真中まで」「豆を蒔」くために「ずん/\」「出る」「赤いちやん/\こを著てゐる」「小さい萎びたお婆あさん」との鮮やかな色の対比を激賞している文章を読んでから、この文章を思い浮かべずには、『追儺』を読めなくなり、(「諸国物語」等の翻訳は別として)ひたすら「素っ気ない」との印象だった鴎外の愛読者になった。
今でも、近代最高の作家は漱石であるとの思いは変わらず、正字旧カナ総ルビの岩波旧版全集を愛読するが、鴎外も、また素晴らしい作家であると思う。

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紙の本美術の物語 ポケット版

2017/02/21 15:18

退屈な「美術の歴史」よさらば!

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この「美術の物語」は、世界の美術の歴史を、原始時代の壁画から現代までの広い範囲を通して説明している。もちろん、ジャンルも、絵だけではなくて、彫刻・建築も含めて、幅広い範囲の美術を紹介しており、原始、ギリシャ、エジプト、ローマ、中世、ルネサンス、バロック、近代、印象派、現代、と時代も洋の東西も超え、これらが豊富な図版とわかりやすい文章によって紹介されている。
この本の魅力は、第一に図版が豊富なこと。約400のフルカラー図版で、パルテノン神殿、ミロのビーナス、モナ・リザ等々時代が分かる様々な美術作品が掲載されている。お陰で、とにかく沢山の美術に触れることができ、その変遷を知ることができる。
そしてこの本の第二の魅力は、文章がわかりやすく、読ませること。
「その時代や社会において、作品がどのような位置を占めていたか」に焦点が合わせられている。今でこそ美術館や博物館に陳列されている作品は、儀式を執り行うための呪術具であったり、文字の読めない人々に教義を説く舞台装置だったり、視覚効果の実験場として扱われていた。このように、「美術だけの歴史」として語ってるわけではなく、様々な歴史的な要素と絡み合って美術が発展してきたことをわかりやすく説明しており、キリスト教のローマ帝国での公認後における美術作品の多くは宗教の教えや聖書の内容を説明するために作られたこととか、その後も様々な要請を受けて作られたこととか、ルネサンス後の美術の停滞と再生の繰り返しとか、時代と美術の密接な関係を、正に「物語」として語っている。
時代や当時の社会という文脈から切り離されたところで、美術を語ることはできないという。つまり、それぞれの要請に対して、画家や彫刻家たちが、置かれている状況や前提、制度、そして流行に則ってきた応答こそが、「美術の物語」足り得るというのだ。「これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。男女を問わず、彼らは形と色を扱うすばらしい才能に恵まれていて、『これで決まり』と言えるところまでバランスを追求する」。
訳も良い。訳者の一人に長谷川宏氏が加わっている。なるほど、と思う。
★5つでは足りない。6つか7つをつけたいくらいだ。

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「経済」とは「経世済民」であることを改めて思い出させる「熱い」本

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今「最も熱い経済学者」井手英策 慶応大教授による、提言の書。一言で言えば、「この生きづらい分断社会を終わらせるためにどうするか?」を述べている。
この本では、まず、現在の日本で、なぜ「格差社会」が作られたのかを分析している。理由は、財政悪化の名のもとにサービスの削減ばかりが議論され、ムダ使いの犯人捜し、弱者の袋叩きを行う社会の風潮になっているから。余裕を失った社会では、格差是正への反発が大きくなる。「誰かが得をすれば、誰かが損をする」からだ。
一方、日本では、「税への抵抗」が他の先進国と比べても群を抜いて強いが、それは、殆どの人に「受益感」がないから。日本の政府は、世界でも最も「小さい政府」になっているため、生活に欠くべからざる必要なサービスについても、すべて自己負担で確保することが求められている。例えば、医療も介護も教育も、すべて「自己責任原則」。
では、どうすれば良いか?ここからが、井手さんのスゴいところ。「貧困層に限った救済ではなく、子育てや教育、医療など全ての人に共通して必要なサービスを、全ての人々に対して無償で保障する社会をつくるべき」と提言する。そして、その費用は、全員が所得に比例して負担するべきだ、と。
高所得者でも、医療費、介護費、子育ての費用が無料になるなら、公的サービスに対する「受益感」があるので、税金を払うことに抵抗がなくなる。そのかわり、低所得者にも、所得税を負担してもらい、また消費税の税率を欧州並みにアップして税収を大きく増やす。こうすれば、税は、政府から一方的に取られる負担から、暮らしのための分かち合いへと転換され、格差も縮小して、すべての人々が受益者となり、お互いが、いがみ合う必要はなくなる。
医療も介護も住宅も、公的サービスで殆どがまかなわれるならば、中間層も含めて、老後生活の将来不安がなくなる、と本書では主張している。
「経済」とは「経世済民」の略であり、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意味である。この100ページ足らず(イラストが多いので、それを除くとせいぜい数十ページか?)の本には、その熱い思いが漲っている。
若者のみならず、将来の日本の社会の行く末に責任のある社会人こそが読むべき本だ。

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紙の本昭和史 下 1945−89

2017/02/01 16:00

政治・経済・産業・社会・文化などバランスのとれた昭和通史

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上巻では大正デモクラシー後から敗戦まで、下巻では1945年の敗戦から1989年の昭和天皇の崩御までを扱う。日本経済史の第一人者による通史だが、経済に偏らず政治・産業・社会・国民生活・文化などバランスの取れた記述となっている。
上巻から下巻途中(高成長前のいわゆる「戦後」)までが特に興味深い。

明治憲法のもとでは、内閣、陸海軍、帝国議会、枢密院などの機関は天皇と直接結びついて固有の権限を持っていたため、「最後の元老」西園寺公望亡き後、内閣は国家を運営する力を持ち得なかった。このため、権力が分散して統一的な意志決定力を欠き、なし崩し的な現状追認が勝ち目のない戦争突入を引き起こした。

戦後は、1955年が昭和史の大きな転換点だった、と著者は言う。戦後の荒廃から戦前レベルに復興するまでの間は、米ソ冷戦を背景にして政治的に混乱するが、55年体制が成立して以降、政治的な争いよりも経済成長が重視され、驚異的なスピードで成長していく。

また、こういった「通史」がとかく無味乾燥になりがちだが、さまざまなエピソードや自らの体験を交えることにより、飽きさせない。

平成以降バブル崩壊により、「日本経済の迷走」は未だ続き、国際情勢も混沌としている。今日、我々一人一人が過去の歴史を振り返る必要性は益々高くなっている。

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紙の本昭和史 上 1926−45

2017/02/01 15:46

政治・経済・産業・社会・文化などバランスのとれた昭和通史

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上巻では大正デモクラシー後から敗戦まで、下巻では1945年の敗戦から1989年の昭和天皇の崩御までを扱う。日本経済史の第一人者による通史だが、経済に偏らず政治・産業・社会・国民生活・文化などバランスの取れた記述となっている。
上巻から下巻途中(高成長前のいわゆる「戦後」)までが特に興味深い。

明治憲法のもとでは、内閣、陸海軍、帝国議会、枢密院などの機関は天皇と直接結びついて固有の権限を持っていたため、「最後の元老」西園寺公望亡き後、内閣は国家を運営する力を持ち得なかった。このため、権力が分散して統一的な意志決定力を欠き、なし崩し的な現状追認が勝ち目のない戦争突入を引き起こした。

戦後は、1955年が昭和史の大きな転換点だった、と著者は言う。戦後の荒廃から戦前レベルに復興するまでの間は、米ソ冷戦を背景にして政治的に混乱するが、55年体制が成立して以降、政治的な争いよりも経済成長が重視され、驚異的なスピードで成長していく。

また、こういった「通史」がとかく無味乾燥になりがちだが、さまざまなエピソードや自らの体験を交えることにより、飽きさせない。

平成以降バブル崩壊により、「日本経済の迷走」は未だ続き、国際情勢も混沌としている。今日、我々一人一人が過去の歴史を振り返る必要性は益々高くなっている。

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バブルとは何だったのか?

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一般的に、日本の「バブル景気」は、1986年12月から1991年2月までの51ヵ月間だったと言われている。著者は経済専門紙記者として、この只中に身を置いた経験を持つ。
それでは、「バブル」とは一体どういう「物語」だったのか?著者はこう定義付ける。「何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。そして変えるべき制度を変えないで先送りしておきながら利益や出世に敏感な官僚やサラリーマンたちの、欲と出世がからんだ『いいとこ取り』の物語である。そして最後には、国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である」と。
そして、これらの物語を支えたのが、「全ては『土地は上がり続ける』という『土地神話』」と、強力な大蔵省の監督行政のもと作られた「銀行不倒神話」だった。
「昭和末」とも言うべき時期に就職した私自身は、この時期文字通りのペイペイ社員であり、しかも、入社と同時に地方の工場配属となったため、「いいとこ取り」をした記憶が全くない。それでも、地方都市に黒服が接客する店が出現したり、仕事が終わると、そういった店に会社の先輩に連れられ奢ってもらったり(「お小言付き」だったが)したのは、バブルゆえだったかとも思う。
では、誰が「バブル」を演出したのか?
戦後も生き続けた「渋沢資本主義」―「日本資本主義の父」と言われる渋沢敬一流の、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本独自のエリートシステム―の担い手たちである、大蔵省をはじめとする霞ヶ関官庁や、日本興行銀行を頂点とする銀行が、「土地と株のバブル」を先導したのである。
著者は、これら「バブル」の演出者たちを厳しく断罪する一方で、旧来型の権威に挑戦した「成り上がり者たち」―本格的なM&Aの先駆けであるミネビアの高橋高見、可能性としては孫正義より前に日本の通信事業の顔となり得たかも知れない 江副浩正、その他、EIEの高橋治則、秀和の小林茂、麻布建物グループの渡辺喜太郎、光進グループの小谷光浩等のバブル紳士たち―を、完全には否定していない。
バブル崩壊後「失われた20年」と呼ばれた長い空白期が訪れることになったが、「92年8月はバブル崩壊後の日本が復活する最後のチャンスだった」と、著者は書く。当時の宮沢首相と三重野日銀総裁は、「すべての問題は土地から生じているため、土地に立脚した信用秩序を維持するため」「土地の買い上げ機関をつくり、これに公的資金を投入」し、土地の価格を維持する構想を持っていた。この構想を潰した犯人も、自らの責任追及を恐れた大蔵省であり、都市銀行トップであった。
結局、バブルとは、自己保身のための呆れるほどの無責任さがもたらした「日本迷走」だった。しかし、同じことが今後決して起こらないなどと、誰が断言できるだろうか?

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紙の本戦争と一人の作家 坂口安吾論

2016/11/03 18:44

「安吾らしさ」に魅入られる

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坂口安吾というと、本業の小説よりも、『堕落論』等のエッセイの方が有名で、小説の代表作がなかなか思い浮かばない。私にとっては苦手な作家だ。

そういった中で、牧野信一に激賞された『風博士』が代表作とされているが、この作品は『「ファルス』(笑劇)とも言われている。安吾自身は、「ファルスとは、最も微妙に、この人間の『「観念』の中に踊りを踊る妖精である」「現実としての空想のーここまでは紛れも無く現実であるが、ここから先へ一歩を踏み外せば本当の「ナンセンス」になるといふ、斯様な、喜びや悲しみや欺きや夢や嚔やムニャムニャや、あらゆる物の混沌の、あらゆる物の矛盾の、それら全ての最頂天に於て、羽目を外して乱痴気騒ぎを演ずるところの愛すべき怪物が、愛すべき王様が、すなわち紛れなくファルスである」と書いている。安吾は、この自分の定義を、生涯をかけて実作の上に反映させようとした作家であるとも言えるが、ここで、著者は問う。「果たして、坂口安吾はファルスを書き得たのか」。

結局、著者は、安吾の多くの作品を全集から引用することにより、実は、安吾はファルスを希求する、その強い思いとは裏腹に矛盾を重ね、失敗を繰り返し続けたことを論証する。

そして、彼の汚点とも言える戦争との関係を、「特攻隊に捧ぐ」と題された小文に注目することにより、安吾の戦争観とりわけその特攻隊賛美に宿る矛盾と亀裂を抉り出していく。

完膚なきまでに安吾を批判して終わるのかと思いきや、最後の最後で、安吾は「ファルスを書き得た」と評価し、そのファルス作品についての言及によって幕を閉じる。

試行錯誤をする安吾の人生に寄り添い、その人間らしさを愛する著者の思いが伝わる。そして、著者に導かれ、教えられた「安吾らしさ」に、読者もいつの間にやら魅入られていることだろう。

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大谷崎は、やはり大変態だ!!

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森欧外の短篇小説「追儺」の冒頭に、作者自身の独白として「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」と書かれている。この「細雪」は、大谷崎が、自らの文学生活の集大成として、それを具体化した作品に思える。 
                        
ただし、「細雪」には劇的なエピソードはほとんどどなくー阪神大水害で、四女妙子が命を危険にさらす、妙子の恋人の板倉が中耳炎の手術の失敗で急逝する、妙子の妊娠と死産、といった程度-、物語の中心は、三女雪子のなかなか成立しない複数の見合い話の経過と、その成り行きや様々な世間体、本家との関係に盛んに気を働かせる次女幸子の内面独白であり、それに、(かつての)関西上流階級の生活ぶり―毎年一家総出が恒例の京都の花見旅行、五代目菊五郎をひいきにする歌舞伎見物、阪神間の和食・中華・洋食の会食風景等々―が華麗に描かれる。それら、どちらかと言うと平凡な日常の瑣事の長大な連なりを、なぜ読者に飽きもさせずに読み通させるのかと言うと、それこそは、大谷崎の名文ゆえとしか言いようがない。句点に辿りつくまで異様に長いセンテンス、にも関わらず、極めて明晰な文章。これこそが、大谷崎が若い時から原文で親しんだ英文の明晰性と、源氏物語の現代語訳で自家薬籠中のものとした伝統的な和文脈とを融合させた文体の特長だ。読者は、この大谷崎の芸-というと誤解を与えかねないので、芸術と言うべきか?―の心地良さに身を委ねるだけで、いつの間にやら物語の結末に至るのだ。

構成にも仕掛けがある。人見知りが強く・自分の意志を明確に言わない・典型的な「娘さん」タイプの三女雪子と旺盛な生活力を持ち・奔放に恋愛経験を重ね・時には自分を恋する男に金品を貢がせる・現代的な「こいさん」の四女妙子の対比。尚且つ、雪子は皆から祝福される華族の庶子との結婚が決まり、妙子はバーテンダとの間に出来た子供も死産し、密かに身の回りの品のみを纏めて芦屋の姉夫婦の家を出る。「しっかり」タイプの次女雪子と「おっとり」タイプの長女鶴子の対比―芦屋で優雅に暮らす雪子一家と、子沢山で(当時は場末の)渋谷でつつましい借家暮らしの鶴子一家-を鮮やかに書き分けることにより、物語に膨らみを持たせている。

そして、大谷崎らしいエピソードを、そっと忍び込ませている。 
一つは、幸子の夫の貞之助が、妙子が雪子の足の爪を切る光景を襖の陰から盗み見るシーン。一つは、大腸カタルに罹った妙子の執拗な排泄描写。そして、もう一つは、結婚を決意した雪子が挙式のために東京に向う際の描写。「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」。しかも、これが、400字詰め原稿用紙約1600枚に及ぶ大長篇小説の最後の一文なのだ!              

大谷崎は、やはり大変態だ!!

最後に、苦言を一つ。やはり、旧版全集のように「細雪」は一巻に収めてもらいたかった。

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普通の人間の生活の重み

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本書は、小熊英二氏の父君にあたる謙二氏の人生の全期間-昭和初年から平成の現在に至るまでの聴き取りである。
多くの「オーラルストーリー」に、その当事者が著名な政治家に限らず、一般市民であっても、おうおうにして記憶違いや思い込み、あるいは自己弁護のための意識的な事実改ざんが潜り込んでいることを勘案すると、この「普通の人間」の記憶の確かさと率直さは驚嘆に値する。
また、様々な映画やテレビ番組で繰り返し流され、ステレオタイプ化されている太平洋戦争中の様々な光景(たとえば、「出征兵士の見送り風景も実際には、数が増えるごとに行われなくなった」「戦争末期には、物資が欠乏し、前線に移送される兵士に銃すら与えられなかった」など)も、つい70数年前のことながら、既に事実と異なった姿で後世に伝えられていることにも驚く。
謙二氏は、シベリア抑留後、帰国してから結核に冒され、療養生活を経験し、後半生は生活に追われる日々が続く。そういった中でも、「戦犯」であった岸信介の首相就任への違和感を小さな声で語り、自らのシベリア抑留生活と重ね合わせて、浩瀚な「収容所群島」を読み上げる。  
そして、生活が安定すると、自らの人生の軌跡を追うかのように、「不戦兵士の会」へ参加し、「朝鮮人皇軍兵士」との共同戦後補償訴訟に関わって行く。リタイア後は、地域での自然保護活動などにも関係し、あくまで一市民としての、バランスの良い社会との関わりを生涯にわたって続ける姿勢を貫く。
巻を措くと、地に足のついた「普通の人間の生活の重み」がひしひしと伝わってくる。

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紙の本罪の声

2017/02/21 14:20

「事件の真相」は、依然「闇に消えた」まま

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1984年に実際に起き日本中を震撼させた「グリコ・森永事件(かい人21面相事件)」を下敷きとしたミステリー。本作では「ギンガ・萬堂事件(ギン萬事件)」とされている。
物語の舞台を現代の2015年に設定し、「ギン萬事件」の再取材を命じられた、ろくに休みも取れないことを嘆く現代的な中堅の新聞記者と、父の遺品の中から「グリ森事件」で恐喝に使われた録音テープを発見し、「これは、自分が子供の頃の声だ」と気づいた青年の二人を主人公として、ストーリーは展開する。一方は事件の真相を、地を這うような取材で追い、もう一方は事件の犯人だったかもしれない父の足跡を辿り、二人の軌跡が重なり合うことになる。
事件の日時・場所・犯行内容・事件報道など「グリコ・森永事件」とほぼ同じ内容となっており、ノンフィクション・ノベルのように読め、戦後最大と言っても良い未解決事件の真犯人に迫り、真相を明らかにしていくかのようで、読み始めると本を手放せないほど引き込まれる。
実際の「グリコ・森永事件」は、登場人物の言葉として述べられているように、「時代が味方した面は確かにある」。「ローラー作戦が不発に終わったのは、都市化のせいで隣近所の不審人物にも気付かない社会になってしまったからで」あり、今だったら「監視カメラやら通信記録やらで、もっと早くに追い詰められて」いたはずだから。また、警察が犯人のひとりであろう人物に肉薄しながら、犯人一味を「一網打尽」にするために、あえて泳がせ、結果的に事件解決の糸口を失ってしまった、という犯人側にとっての「僥倖」もあった。
尚、一部の売り文句では、「事件の真相・犯人に辿り着いた」かのように言われているが、あくまでも、事件をモチーフにした「もう一つのグリコ・森永事件」に過ぎないし、当時の社会情勢に照らし合わせると、このような動機で事件が起きたかも?とは思わせるが、私には、最後まで犯人たちの本当の動機がつかみきれなかった。
「事件の真相」は、依然「闇に消えた」ままである。

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谷中、花と墓地

2017/02/28 12:10

アメリカ人による日本語の名文を堪能

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「源氏物語」、川端康成や谷崎潤一郎の名翻訳を残した日本文学研究家のサイデンステッカー氏のエッセー集。彼が一番好きだったのは永井荷風だったと言われる。なるほど、エッセーのいくつかは、荷風の「偏屈さ」を彷彿とさせる。
もちろん、日本を愛し、最晩年は日本に定住を決意するほどの日本好きだが、決して日本礼賛者ではない。時には、日本人に対して手厳しい批判も加えている。おそらく、古い東京、古い日本の習慣を愛してやまなかったので、現代の日本と日本人に許せない点を見出したのだろう。荷風が好きだった理由も、荷風が近代文明を痛烈に批判したためだろう。
それにしても、いくら日本文学研究家と言っても、これほどの日本語の名文を認めることの出来る日本語能力に驚嘆!

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紙の本蠕動で渉れ、汚泥の川を

2016/09/21 08:53

相変わらずの『西村ぶり』

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マンネリ感のきらいはあるが、やはり購入・一読してしまうのは、そのギャップ(一種の「平成擬古文」とも言えるリズム感ある文体と、それで表現されたお下劣な内容との)と、徹底的に自らを嗤い者にする冷めた視点ゆえだ。「中卒」「性犯罪者の息子」「その日暮らしのアルバイト生活」等々全てがマイナスばかりの「北町貫多」の、「自尊心の高さ」「常に自己を正当化する自己愛の強さ」は、ある意味、現在のワーキング・プアの若者のヒーローではないか?

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紙の本芝公園六角堂跡

2017/03/13 14:54

「北町貫多」の行く末は?

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この著者の持ち味とも言えるお下劣ぶりは影をひそめ、藤澤清造や田中英光への敬愛を機縁に小説を書き始めた頃の「初心」に立ち返る決意を述べた、マジメな短篇連作。
芥川賞受賞後の宴のような日々の後に訪れた、「本が売れない」やるせない現実に揺れる作者本人の心の迷いを切々と訴えることは、自称「スタイリスト」の作者には堪え難いものがあるだろう。にもかかわらず、書かざるを得ないのは、やはり「そろそろネタ切れか?」という感を強くする。
狷介な己を持ち続けようとする姿は、文字通り「藤澤清造の没後弟子」そのままだが、師匠清造の行く末は狂凍死だった。さて、「北町貫多」の行く末は?

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紙の本父の生きる

2016/12/19 16:21

自分の親が老いる時

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自分の親が老いる姿は、できれば見たくない―子は誰でもそう思う。しかし、本来喜ばしいはずの「長生き」が、残酷な親の「老い」を子供の前に突きつける。その「老い」は、気分屋で自己中心的であり、詮無いことの繰り返しであり、そばに居る子供をひたすら苛立たせ、憂鬱にさせる。まして、尊敬していた親の老いる姿は、哀しさを通り越して、怒りさえ覚えさせる。
「だけど退屈だよ。ほんとうに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」。いや、老いた親自身が、どうしようもなく、自分を持て余しているのだろう。親が居なくなったとき、そのことに思い至り、子供も自らの「老い」を意識する時を迎える。

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