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  3. 親譲りの無鉄砲さんのレビュー一覧

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先月(2017年1月)

親譲りの無鉄砲さんのレビュー一覧

投稿者:親譲りの無鉄砲

34 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本武家の女性

2017/02/17 00:11

栗林忠道も読んだ名著(たぶん)

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山川菊栄の母、千世は幕末期の水戸藩士(水戸藩校弘道館教授も務めた儒学者・青山延寿)の娘であった。瓦解後一家で上京し、千世はお茶の水女子大学の前身・東京女子師範学校の第一期生となった。高い教育を受けた千世が、娘・菊栄に及ぼした感化とはどんなものだっただろう?そんな想像を逞しくさせるのが本書である。
 まず、水戸家中の武家の婦女に関わる日常、慣習、文化、歳時などについて、平易な語り口をもってその雰囲気をよく伝えている。歴史的資料として一級の価値がある。例えば、千世が稽古に通ったお裁縫の師匠の旦那である石川という老藩士は、サービス精神旺盛で、少女たちを楽しませるために、夜具を着て関寺小町を踊ったり、興が乗って人物評を始めれば、「何のあの古着屋が」などと吐き捨て、権勢を誇った藤田東湖も形無しの陰口を叩いたり。非常に魅力に満ちた人柄が伝わっている。このような巷の人々の息吹が伝わる例は、本書において枚挙がない。時代の空気を伝える意義深い証言でもある。
 しかし、この聞き書きの中で特筆すべきは、やはり幕末の水戸藩の特殊な立場にあるといえるであろう。常府とされ参勤交代の負担はなかったものの表高に比べ低かったと思われる実高を背景とする逼迫した藩財政、幕政に対し江戸表で良くも悪くも強烈な個性を発揮した藩主斉昭、藩主不在の中で進められる国許の政治。国許の実権を佐幕・開国派の諸生党が握り、追い落としを食った攘夷派が筑波で挙兵した事件は、天狗党騒動と呼ばれる他藩を巻き込む大事件に発展した。慶喜への嘆願空しく天狗党は福井で降参、科刑は苛烈を極めた。その後、時代の波は、攘夷運動より倒幕運動へと転換、維新に際し負け組となった諸政党藩政は、今度は天狗党残党たちの復讐の餌食となった。この復讐の連鎖は、人材を磨滅させた。攘夷の震源地だったにもかかわらず、水戸出身者は国家の要職を得ることがなかった。最も悲劇的な側面は、男たちの争いの巻き添えを食った政治には無縁だったはずの女性たちだった。例えば、武田耕雲斎の一門は、女まで首を刎ねられた。その後、諸政党の家の女も同様に暴力の餌食になった。この書には、耕雲斎の妻の辞世の歌が添えられている。
 かねてみは なしと思へど 山吹の 花もにほはで 散るぞかなしき
これは、太田道灌にまつわる逸話が書かれた常山紀談にある歌
 七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
を本歌としている可能性が高い。水戸藩では女性の教育に冷淡な家風であったが、なかなかどうして、耕雲斎の妻女は立派な教養人であったことがこの一事からも判る。この歌の採録を決めたのは、千世の話を聞いた菊栄である。このあたりからも、母千世の感化が、娘菊栄の婦人運動への目を開かせる素地にあったような気がしてならない。
 ところで余談だが、この「散るぞかなしき」、太平洋戦争の硫黄島守備の軍司令官・栗林忠道の辞世の歌
 国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
に不思議に呼応している。この歌が女々しいと判断されたためであろう、大本営発表は、「散るぞ口惜し」と改竄した。梯久美子氏の著書「散るぞ悲しき」では耕雲斎の妻の辞世には言及していない。しかし私は、刊行が昭和18年であることと合わせ、栗林忠道は本書を読んでいた可能性が高い、と考えたい。菊栄と夫は社会主義者だったが、本書執筆に際しては柳田國男の薫陶も受けており、反社会的な書物とはみなされなかった。栗林は、幕末の水戸藩家老の妻女が味わった無常をわが身に引き寄せたのだ。

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紙の本貧乏物語 改版

2016/05/28 01:00

ピケティの「21世紀の資本」に先立つこと百年前の書

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

河上肇は、所得・資産格差の問題に真面目に取り組んだ我が国の大先達経済学者ですが、なかなか楽しめました。名著です。今話題のピケティの視点が決して目新しいものでないことがわかります。ピケティの場合は、近年、大量の各種統計や各国国税等のデータにアクセスできるようになり、かのアプローチが可能になったわけで、時の利を得ているわけです。それにしても、当時の社会構造からして既に、貧富格差を拡大しつつあることを、データを駆使して実証的に証明しているところは、その先駆性に脱帽です。
 河上は、その問題となっている貧富格差解消のためには、富者は贅沢を慎め、と結論づけています。それは、富者向けの贅沢品生産が圧迫して、貧者のための生活必需品の生産力がそがれてしまい、これが貧富の格差を拡大してしまうから、というものです。これは江戸時代の贅沢禁止令のセンスに近く、現代の経済学の常識からすると受け入れがたいものです。当時のような、モノのない時代なら、格差問題の解消のために富裕層は贅沢を慎め、という主張にも何らかのリアリティを伴った説得力があったのかもしれません。まあ、その部分は、現代においては、明らかにそぐわないとした上で、それでもこの瑕疵が、この本の高い価値を貶めるものでは決してありません。巻末の大内兵衛による解題を読むだけでも楽しいです。
 なお、宇沢弘文氏は本書に大いに影響を受けた、とのことです。

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僕はチェルノブイリを知らない

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史教科書でも何でもよいが、「1986年にチェルノブイリの事故が起きた」というような記述があったとしたても、それはチェルノブイリのことを何も伝えていないに等しい、ということに我々は気づかなくてはならない。
 僕はチェルノブイリのことを知らない。いや、知っているつもりではいた、この本を読むまでは。一々詳細かつ客観的な事故経過が頭の中に入っていなかったとしても、そういう情報の断片は他の本を読めば辿ることができる。事故後間もない壊滅的な状態の原発に入り込んだ果敢なクルー(撮影部隊)がいて、その時のショッキングな映像を数年後に見ることもできた。しかし、逆にそれら(文字情報と映像)によってわかった気になってしまった。ディテールのよく作りこまれた映画を観た、といった薄っぺらな感想しか自分の体内から絞り出すことが出来なかったにも拘らず、だ。そこに気づく必要があった。
 「チェルノブイリの事故のようなことは、最新鋭の科学技術の粋を集めた日本の原発には当てはまらない」当時の日本の政府、学者・技術者、財界人やそれを取り巻くマスコミたちの声を伝えた原発関係報道は、そう口を揃えた。確かに彼の国の原発は、巨大コンピュータで一元集中管理されているわけでもなく、事故後の対応についての対策や周知徹底もなかった。だが311後、彼らは、フクシマについて「津波さえなければこういう事態にならなかった、二重三重の安全対策をのり越えた想定外のことが起きてしまった」と異口同音に口にした。彼らは僕と同じようにチェルノブイリのことを何も知らなかった。
 多くの兵がアフガニスタン侵攻に参加しその後チェルノブイリにも行った。放射能除染、治安維持など多くの仕事が彼らを待っていた。志願者もおり強制的に彼の地に連れて行かれた者もいる。ある兵士は、戦場から戻ったら戦争は終わりだが、チェルノブイリから戻ったら、それからが始まりだ、と証言する。チェルノブイリで着ていた衣類は全部ごみ箱に捨てたが、息子にせがまれて帽子だけはくれてやってしまう。その子は2年後に脳浮腫を発症した。女の子をナンパしようとした別の帰還兵は、あんたの子を産みたいとは思わない、あんたはチェルノブイリ人よ、と差別的言葉を浴びせられてしまう。サマショールたちは、今も線量が高いにも関わらず、「我が家」に住み続ける。他の選択肢はない。国内紛争を避けたタジクの難民が、彼の地にたどりつき、誰のものとも知らない空き家を終の棲家と決め込んでいる。
 名もなき、しかしチェルノブイリと真剣に向き合わなければならない膨大な数の人たちの声を、スベトラーナ・アレクシエービッチは丹念に採集して、織り上げていく。それは生きる人の声であるが、そこには彼らを取り巻く死者の嘆きも通奏低音のように響く。彼女は、チェルノブイリとはそれまでなかった新しい形の戦争だという。原発事故が起きその数年後にソ連は崩壊した。それらは別々の事象ではない。そして人はソ連崩壊のことは気にするがチェルノブイリのことは語りたがらない、知ろうと思わない。だから、この証言集は読み手にその無知を指摘してやまぬ。これは、国や形態を越えてなお続く戦争へのレクイエムであり、地球人への警告の書だ。チェルノブイリは終わっていない。1986年の出来事ではなく、チェルノブイリは今もそこにあり今後何百年何千年にわたって続いていく。そしてその変奏曲はフクシマにも受け継がれた。最後の一人の死者の声が聞こえなくなるまで、僕はその織り上げられたタペストリーの前に跪き、祈りをささげ続けるしかない。

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贅沢な対談集

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とっても贅沢な対談集。とにかく対談相手がすごい。丸山眞男、湯川秀樹、久野収、渡辺一夫、笠原芳光、サルトル、西嶋定生・・・加藤周一は「私は座談を好んで、演説を好まない」とあとがきで告白しているものの、彼の対談集としてまとまっている本は少なく、本書をもって嚆矢とするようだが、それだけに、珠玉の輝きをなす一冊となっている。個人的なお勧めは、丸山、湯川、サルトル。サルトルの場合は、白井浩司が司会的に参加しており、鼎談といった方が正確だろうか。
 湯川は、加藤の土俵で、富永仲基の「出定後語」をとっかかりに、仏教教義の「加上説」に近代科学の体系進化との類似性を見出す。富永仲基は時代のときどきに、歴史に埋もれてしまうタイプの巨人であるが、明治時代に内藤湖南が再発見し、戦後、加藤により再々発見された。まごう事なき「天才」であるが、当然のことながら、湯川の富永に対する評価も極めて高く、興味深い。
 サルトルは、わずか2週間の日本滞在の中に、例えば能の本質を喝破する。「能は演劇の精髄であるように思えるつまり、何かが起ころうとしている。劇の興味とは大団円そのものではなくて、そのクライマックスを待ちに待っている観客が味わう緊張だから。あの長い橋懸りとそれからカーン、カーン、カーンという鼓の音、クライマックスまでのゆるやかな運び、そして結末の速いテンポの音楽。それは私にとって、ある意味劇の真髄であり、劇の美そのものなのです。」古典的な日本美術や能などの芸能に対する理解の深度は現代の普通の日本人は、サルトルに及ぶであろうか?少し心配にもなる。
 丸山との対談で面白いのは歴史主義の箇所。長くなるが、少し端折りながら引用する。丸山「1933年に(ドイツで)ナチが天下を取って、授権法を出したわけです。このとき、唯一授権法に反対した社会民主党党首のオットー・ウェルスの反対演説はすごかった。国会の回りは武装した突撃隊員がぐるりと囲んでいる、傍聴席もほとんどナチ党員で、彼らの野次と怒号で演説は殆ど聞き取れない・・・『この歴史的時間において、私は自由と平和と正義の理念への帰依を告白する』・・・『いかなる授権法もこの永遠にして不壊なる理念を滅ぼすことはできない』・・・戦前最後のマルクス主義の世界観政党の首領(オットー・ウェルス)が「歴史」に追い詰められた絶体絶命の場で、「永遠にして不壊なる理念」へのコミットメントをうめくように洩らしたのは強烈な印象だった」「個人が「周囲」の動向に抗して立ちつづけられるだろうか、ということです」加藤「マルクス主義の歴史的相対主義を徹底していくと、マルクス主義自身はどうなるかという事。マルクス主義は、もちろんマルクス主義を相対化していない。しからば、如何にマルクス主義を正当化するかというときには、結局歴史に超越するものが出てくると思う」丸山「追いつめられた状況でのギリギリの本音と思うな」加藤「最後は信仰告白なんでね、それがヨーロッパの文化でしょう。信念があるということが。それがないと、日本式の「転向」雪崩現象がおこる」。・・・うーん、国政シーンが機能不全に陥っている現代、私も含めて実に耳に痛い話だ。

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紙の本まなざし

2017/01/31 19:04

姉・鶴見和子とのとの愛情溢れる心の交流

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本書は、鶴見俊輔の死去に伴って急遽編まれたアンソロジーである。鶴見の場合、自身および他者により生前より多くのアンソロジーが編まれているが、本書は、故人と縁の深かった藤原書店(本書の出版社)の季刊誌「環」等に寄稿されたエッセイを中心に集められているのが特徴である。当然ながら他書のエッセイとの重複も少なくない。が、本書は一種の追悼文集であり、それなりの趣と特徴がある。鶴見ファンには、個別の既読のエッセイばかりだから読む必要なし、と早計されることなく、ぜひ一読されることをおすすめする。必見は、巻頭の「話の好きな姉をもって―「山百合忌」へのメッセージ」(山百合忌は鶴見和子の命日であり、同文は鶴見の死の約1週間前のまさに絶筆だった)と「跋にかえて」として掲載された鶴見和子による「おなじ母のもとで」(鶴見俊輔全集の月報に寄稿されたもの)である。特に、後者は、読む者の胸を打つ珠玉のエッセイである。
 鶴見は、自身の少年期を振り返るとき、「不良少年」をキーワードとすることが多かったが、それには多分の誇張があったのではないか、と私などは疑念を挟んだものだ。しかし、実母からの多大な精神的な圧迫を受けたことは事実で、これにより少年の鶴見は何度か自殺未遂をしている。なぜ母は鶴見を折檻したのか、その動機に対する解釈については、姉と弟で若干ニュアンスが違うように思われるが、それでも実の姉である和子がその事実を認めていることは、やはり衝撃であった。もうひとつ、鶴見は、18歳でハーバード大を卒業している。極めて異例で、並大抵の努力ではなかったことは忍ばれるが、日本に居場所を無くしている鶴見のその時の決死の勉強の様子は、同時期にやはりアメリカのコロンビア大に学んでいた和子自身の目で確認していることを、この姉はやはり証言しているのである。このことが、姉にして弟に対し心から尊敬の念を抱かしめた大きな理由なのであろう。
 極めて知性レベルの高い姉弟が終生をかけて尊敬しあい、啓発し合い続けた、この奇跡のような姉弟愛を読者は大いにうらやむべきであろう。

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紙の本限界芸術論

2017/01/31 18:47

芸術の定義

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何気なく「芸術」という言葉を我々は使う。高価な絵画、焼き物、クラシック音楽・・・一部の目利きが鑑賞空間で高尚さを愛でるべきもの、あいまいな定義の下で使われる「芸術」という言葉によって連想されるのは、多かれ少なかれそういったところだろう。鶴見はこれをとりあえず「純粋芸術」と定義する。一方、あまり高尚とはみなされていないもので、既に人口にも膾炙されているものを「大衆芸術」と位置づける。さらにこれらのいずれにも該当しないとされてきたものに、やはりなんらかの芸術的要素を認めざるをえないカテゴリーがあるのではないか、と考え、とりあえずこれに「限界芸術」(marginal art)という名前を付けた。今でこそサブカルチャー論は華やかであるが、鶴見がこの概念について考え始めたときには、先駆者はいなかった。なぜそこに行きついたのか、憶測を様々巡らせることは可能であるが、いずれにせよ、鶴見のパーソナリティーに厳然と存在する、未知或いは不案内な情報知識に対する雑食性ともいうべき旺盛な吸収欲求が原動力となっていたのはほぼ間違いないだろう。
 ただ、「限界芸術」概念そのものではなかったが、もう少し限定された学問や運動を推進した人たちはあった。民俗学の柳田國男、民芸運動の柳宗悦である。鶴見はこれに限界芸術創作実践家としての宮澤賢治を加える。限界芸術論を考え始めたときに、鶴見の射程には明確に彼らの存在が捉えられていた。だから、民俗学が考究する民衆の風俗における芸術的要素の片鱗、民衆が生活雑貨として拵えていく民芸品を、芸術的視点から取りこぼさないように確保するには、芸術の定義としてより「広範囲」に網をかける必要性があった。宮澤賢治のかつてはポピュラーではなかった童話類も、芸術作品として襟を正す態度が現代の我々読み手に定着しているために、宮澤賢治と限界芸術の接点を見いだせない人も多いだろう。が、「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉の考えに共鳴して自身童話を書き始めたにもかかわらず、当の鈴木には全く評価されなかった強い土俗性には限界芸術の匂いが確かにする。そして評価されなかったといっても決して「赤い鳥」調の童話書きに変節しないところに、「限界芸術的」なぶれなさがある。賢治本人には限界芸術実践者としての自覚がなかっただけのことだ。鶴見は、賢治のことを、「聖者」との認識を示している。聖者は人生そのものが、芸術的な輝きを発し始める。これには、鈴木大拙により世間に広く知られるようになった妙好人・浅原才市らを連想する向きも多かろう。浅原才市もまた念仏を唱え、念仏と同化しながら限界芸術の「下駄」と「口あい」を作り続けた。本書には妙好人への言及はないが、鈴木大拙は柳宗悦の師でもあるから、実はこれも踏まえていた可能性は高い。鶴見は、まだ賢治が創作活動に入る前の「修学旅行復命書」にすら、その芸術性を発掘する。芸術とは、芸術の発信者のみによって完成するのではなく、優れた受信者がいることによってはじめて成立することを、読者は理解するであろう。
 「『鞍馬天狗』の進化」、「円朝における身ぶりと象徴」、「一つの日本映画論―「振袖狂女」について」は、別のエッセイ集「ことばと創造」でも採録されている。しかし、これらが本書に収められることにより、芸術論としての別の意味合いも出てくる。少し異色に思われたのは、万朝報創刊者で知られる「黒岩涙香」の評伝であった。都々逸、五目並べ(連珠)普及など芸道としてあまり評価の高くなかった遊びやゲームに対して注ぐ愛情に、鶴見が共感した部分も大きかったように思う。

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紙の本加藤周一 二十世紀を問う

2017/01/31 18:31

質の高い加藤周一ガイド

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加藤周一は、多くの日本人が獲得しえなかった視点から、20世紀の日本を見つめ続けた観察者だった。原爆投下後2か月にして、占領軍とともに「原子爆弾影響合同調査団」の一員として医学研修者の立場から広島入りした。昭和26年には「西洋見物」と称して、欧州各地を巡り、中世美術をみて、そこから故国にそして京都に思いを馳せた。昭和33年には、第2回アジアアフリカ作家会議に参加した折に、日本人の中でいち早く社会主義圏の周辺地帯(ウズベク共和国、クロアチア、ケララ(インド国内の地方政府としてケララ州は共産党が政権を取った)を見聞した。「続 羊の歌」にこれらの経緯が語られているが、前作「羊の歌」に比べ、自己の内面との向き合いの記述は少なく、読者としては物足りない。昭和35年は安保改定の年であり、大衆による「安保闘争」は盛り上がったが、加藤は新安保条約批准に反対の意見をもっていて、論壇で一定の活動をするものの、大衆運動の挫折感を共有することの少ない冷めた観察者でもあった。ただ、従来の観察者の立場からの意図的脱皮を試みるのを契機に、カナダのブリティッシュ・コロンビア大の教職を皮切りに(15年後の上智大教授職を得たのちも引き続き)、海外各地の大学で日本文学教師としての足場を築くことになる。「続 羊の歌」は、その辺りにまで触れることなく、1960年時点をもって自身の足跡の回想を打ち切り、「審議未了」とした。
 本書は、「続 羊の歌」読了後の隔靴掻痒感を補う上でも、是非とも読んでおきたい副読本である。いやむしろ、本書を先に読んで、読者の興味に応じて、本書が紹介している雑種文化論に関する諸著作や「日本文学史序説」「言葉と戦車を見すえて」「(正・続)羊の歌」等を読み進む方がよいのかもしれない。加藤の諸作品を広範囲に読みこなしている著者なればこその深い洞察や指摘が随所に見られ、あまり加藤の作品に慣れ親しんでいない私のような初心者には心強い味方だ。ところで、「羊の歌」に描かれる、太平洋戦争開戦の日に、暗い戦争の見通しの予感のままに、加藤が新橋演芸場に行き文楽を観に行くシーンを著者・海老坂武自身驚嘆した好きな箇所だという。この感覚は、私自身共有できるものとして、著者に親近感を感じた。
 ところで、若干年若い鶴見俊輔は、加藤が新橋で文楽を観劇した時点で、アメリカのハーバード大に在籍していた。その後、敵性在米人かつ無政府主義者として、米当局に逮捕拘禁され、獄中で卒論を仕上げる。釈放後そのままアメリカに残ることもできたが、同大で教職を得ていた都留重人とともに、日米戦の見通しとして「日本の負け」を確信しながらも「勝ち馬」に乗ることを潔しとせず、敗者に寄り添いたいとの心情から、日米交換船にて帰国。その後、海軍軍属に志願して南方の戦場に赴いた。全く、加藤とはタイプの異なる行動家的な思想家であるが、戦後日本を冷徹に見る目を持っていたという共通性、晩年は九条の会の呼びかけ人として行動を共にしている等の信条の近さもあってからか、なぜか、見比べてしまいたくなる。残念ながら、本書では、鶴見への言及は殆どない。序文に、「加藤ほど、多岐な分野にわたって文章を書き、発言してきた物書きはないのではないか。・・・鶴見俊輔にしても、この点では加藤に一歩譲る」とある程度だ。一方、憲法学者の樋口陽一は、丸山眞男と加藤の思索から、戦後70年の総括をしようとした(樋口著・「加藤周一と丸山眞男」)。どうも丸山との比較はし易いようだ。個人的には、加藤と鶴見の人と思想についての本格的な比較研究の著作を読んでみたいと思うのだが、如何だろうか?

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搾取の構造をまず知ること

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先ごろ読んだ玉木俊明著「ヨーロッパ覇権史」からは欧米覇権国(帝国主義国)による植民地支配におけるミクロ的視点からの描像がすっぽり抜け落ちていたことに若干のフラストレーションを感じていた私が次に手に取ったのが本書である。日本人の大好きな、しかしすでに少し食傷気味でもあるバナナが、どのようにつくられてどのように取引されて日本の食卓に乗るようになっているのか、その仕組みを余すところなく活写している。そしてバナナに特化にすることにより、却って、先進国(本書においてはアメリカ資本グループ)による新たな「植民地支配」の実態の基本的原理パターンを暴くことに成功している。(本書は実はアバカ麻の記述も多いのだが、これは外見がバナナによく似たバショウ科の植物であるし、また、戦前のフィリピンの経済においても重要な産品ということで、歴史的にも重要なアイテムとして、著者は多くの紙数を割いている。)
 ミンダナオ島のプランテーションによるバナナはほぼ日本への輸出に限定されて、さらに日本のバナナのほとんどのシェアを握っている。米資本の戦略による。従って、此処のバナナは日本人の嗜好に合わせるように作られている。実は、味覚的には濃厚でクリーミーな他品種のバナナの方がおいしいらしく、現地の人たちは日本向けのキャベンディッシュ種は食べない。しかも、味覚の良さより、輸送中の衝撃での外観的いたみや熟成の指標でもある外皮の黒ずみ等を、日本人が嫌うために、青いで収穫して日本国内で追い熟させるなどのカスタマイズ化が図られているのである。従って、日本人に向けた強いメッセージ性が本書を貫くモティーフになっている。
 本書の発行は1982年といささか古い。従って、扱われているデータ類も、現状を知るには大幅なアップデートが必要である。しかし、搾取の基本構図はそんなに変わっていない。そこに、本書が古びない、名著の資質を備えている証拠があるといえる。本書公刊ののち「エビと日本人」などの類書もあらわれたが、後者も名著の誉れが高い。勿論、フェアトレード等のコンセプトなども標榜され始めている現在、数十年前と全く同じ状態というわけではない。しかし、衆人の注目の集まらないところでは、密かに或いは堂々と現地農家・労働者に対する経済的束縛や農園から安い労働力が逃げない手立て講じられているのだ。安い労働力といえば、「チキータ」は多くの囚人が労働作業に携わっている事実は注目に値する。同音異曲といえどもこのような話は今後も語り続けなければならないのだ。
 さらに近年は、西アフリカにおけるカカオ農園の労働搾取の実態、しかも極めて悪質で暴力的な労働環境に非難の声も上がり始めているところでもある。そういう実態を知ってしまうと、チョコレートを食べる気がしなくなる、という素朴な感想を漏らす人も多々出てくる。しかし、この流れでの不買運動は、まずは西アフリカの労働者の生活を最初に直撃するであろう事も考慮しなければならない。本著者も浅薄な「バナナ不買運度」など推奨していない。こたえは容易に見つからないが、まず、「みんなが真実を知ること」、これが真っ先に必要なことである。その意味では本書は十分に読者に対する説得力を持っているといえる。折しも、本年はTPP問題に翻弄された年であった。グローバリズムの名を借りた新しい形の帝国主義を良いものと単純に思い込んでいる(思い込まされている)人々があまりにも多すぎることも実感された。本書は今こそ多くの日本人に読まれるべき本だと痛感した次第である。

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紙の本苦海浄土 わが水俣病 新装版

2016/10/31 20:29

地球の呻き声

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水俣病の「公式」確認から60年過ぎた。特措法に基づく患者の認定申請は2012年に行政により締め切られたが、その後も新たな水俣病患者が発見されている。今なお水俣病は社会問題として厳然と存在しているのが現状だ。患者認定に期限を切って平気な人の感覚とは一体何なのか?さらには法的な措置としての金銭的・行政的な補償が、意図せず水俣病に罹った人たちの真の救済になっているのかという根源的な問いは消えることがない。一方、生存している水俣病患者も高齢化している。彼らがこの世から消えるのは時間の問題かもしれない。そして、この世から水俣病と認定されている患者の生存が確認されなくなったら、水俣病は解決した、と胸を張る人たちが現れるかもしれない。しかし、本当にそうなのか?
 石牟礼道子は、代償としての「救済」から落ちこぼれてしまうものがあるのをみた。それが彼女を執筆に駆り立てている。陸に打ち上げられた一根の流木のようなぐあいで病院ベッドわきの床の上に仰向けに転がって、形容しがたいおめき声しか上げられない人たちに対して、どのようにコミュニケーションがとれるのか、と私などは途方に暮れるだろう。しかし、彼女は、本能あるいは脳の奥深くの古層で振動している部分で、彼らの言葉がわかるような気がした。例えば、漁婦・坂上ゆきのきき書きからは、石牟礼道子の筆から我々現代人にもわかる言葉として、それも詩のようなリズムのある日本語として、ゆき女の言葉を立ち上がらせた。ゆき女の言いたかったことは「(昔の)海の上はほんによかった」ということである。
 ゆき女は、三つ子の頃から船の上で育ったので、誰よりも豊饒な漁場を知っていた。夫の茂平よりも、である。だから「うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で」の夫婦船。「エベスさまは女ごを乗せとる舟にゃ情けの深かちゅうでしょ」。タコ漁の情景はまるで遊びである。タコの入っている壺を舟に揚げ籠に収めると、タコは急いで逃げようとする。舟がひっくり返るくらいにバタバタと追いかけて再び籠に収めて、もうお前はうちの家の者だから、ちゃんと入っとれ、と諭すと、タコはよそむく目つきして、すねてあまえる。「わが食う魚にも海のものには煩悩のわく」。
 入院してから、ゆき女は堕胎させられた。そのときの病院食には「お膳に、魚の一匹ついてきとったもん」。(本当のことだったかどうかわからない。しかし、石牟礼は、その言葉を聞きとった。)
 石牟礼は、大学病院である患者の死亡解剖にたちあった。そのとき、ゆき女の声が聞こえてくる。「大学病院の医学部はおとろしか。ふとかマナ板のあるとじゃもん。人間ばこさえるマナ板のあっとばい」。「死ねばうちも解剖さすとよ」。「うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる」。
 ゆき女が昔の海はよかった、と懐かしむ漁村風景を、我々も想像してみるがいい。小魚が網にかかったら、海にお返しする。魚は天のくれらすもので、人間の好きにしてよいものではない。真っ先に症状のあらわれた猫たちは、そんな漁村の港でおこぼれを待っていた共同体の一員だった。猫たちに救済措置はない。水俣病は人間だけの問題ではないのに。すべての生き物が連関している地球上で、その連環を迷うことなく断ち切る人間に対して、人間を生んだ地球自身がおめいている。石牟礼はそのおめき声をじっと聞いている。改稿版のあとがきに、この作品を誰よりも自分自身に語り聞かせる浄瑠璃ごときもの、と位置付けていることを告白している。地球の呻き声が再び高まれば、彼女は「決定稿」にも筆を入れるだろう。

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紙の本羊の歌 わが回想 改版 正

2016/10/29 16:18

羊の群れとしての日本人

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戦後日本の代表的知識人の一人である加藤周一氏による、自己の思索を辿る回想の旅。読者は、一般人より優れた知性の持ち主(或いはトレーニングを経た知的エリート)と目される、青少年期の著者が、如何に激動の戦前の日本に対峙したか、興味を持つであろう。そして本書は、その期待にたがわぬ多くの示唆に満ちている。蓮っ葉な若者の思索の跡がどれほどの意味があろうか、と思う向きもあるかもしれない。しかし、ここまで客観的に自己を見つめ、社会を観察した若者が世にいかほどいたであろうか。さらに、若さゆえに、社会或いは時代の束縛にがんじがらめになるほどには条件付けされていなかったであろう、というその一点において、彼の時代証言に十分な価値を置くことができるのではないかと、私は感じるのである。知性が高い、というのは、単に受験エリートだったことを意味しない。それは、芥川の「侏儒の言葉」の「軍人は小児に似ている・・・」の引用からも推し量れる。この軍人とは、陸軍士官学校や海軍兵学校の狭き門を通ったエリート軍人のことである。同レベルの受験競争をくぐっていた加藤にとって、この言葉はそれまで築いた価値観を一気に崩れおとした一撃となった。こういう経験を得たのは、ごく一握りの知的エリートしかいなかったはずである。一般人と彼らの違いは何なのか、読者は多くを学ぶことができる。
 また、二・二六事件後、軍部大臣の現役武官制が議会制民主主義にとって決定的禍根を残すことになるとし、軍部独裁への道を予言した矢内原忠雄に、多くの学生の蒙が啓かれる。一方、西洋の科学主義に対して日本の歴史ある精神主義を対立させた小説の神様・横光利一を、招待講演の後の座談会で、加藤らが吊し上げる。このシーンは本書のクライマックスの一つである。彼らにそれだけの弁舌の能力はあった。しかし、本当に吊し上げるべきは、横光ではなかった。その本丸に闘いを挑むことは出来なかったのだ。この正直な告白もすがすがしい。なお、蛇足だが、物質至上主義が行き過ぎた今の世なれば、横光の提唱する精神主義への回帰も一定の説得力を持つようにも、個人的には感じる。しかし、その精神主義は当時の物質の欠乏した軍部の言い訳に利用された事実も押さえておきたい。
 日米開戦の日、加藤は、この「いくさ」に勝ち目がないことをみてとる。そこで、客のいない新橋演舞場で古靭大夫の義太夫を聴いた。浮かれた世の中の反応とは正反対である。東大の仏文の俊英たちも、言葉にはあまり出さずとも、同様の共通認識を持っていた。そのうちに、一人二人と、友人たちがいくさにかり出され、帰ってこなかった。法学部の学生だった中西哲良氏もその一人であった。余人に代えがたい友の死に向き合い、「私が生きのこり、中西が死んだということに、何らの正当な理由もありえない」という考えがつきまとうようになる。八月十五日は、疎開先上田の結核診療所で迎えた。そして日米開戦時の自分の予想が当たってしまったことに驚く。同時に、軍国日本のお先棒を担いだ御用学者・文士・詩人たちが跡形もなく消えていたところで、本書は終わる。
 なお、本書の執筆動機が、自分が現代日本人の平均に近いことに思い至ったことにあるという。著者にエリート意識の自覚はあまり無いようだ。ただ、著者の冷徹なまなざしは、もし戦前の軍部の台頭のような事態が再びおきたら、多くの日本国民は、ひつじ年生まれの著者自身に引き寄せた羊の群れに似て、きっと唯々諾々と羊飼い(軍事国家指導層)の笛に従順に従ってしまう習性を相変わらずもっていることを見抜いている。声高ではない警鐘として心に刻みたい。

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紙の本ブッダが説いたこと

2016/10/27 19:16

吟味すべきブッダの教え

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著者のラーフラ師は、クリシュナムルティと対談を行っている。その対談において、クリシュナムルティが、自分が言っていることは仏教とは関係ない、と再三主張しているにも関わらず、ラーフラ師は、本人に向かいクリシュナムルティとブッダの説いていることの類似性を主張してやまない。この齟齬が面白く、著者の名は印象に残った。本原著は1959年に英語で出版された。57年経た今、日本語訳が出版されたわけだが、それだけに、内容が古びていない、逆に、旬の本だということなのだろう。
 さて、ブッダが説いたとしている「教え」とは、ブッダの死後百年以上経て成立している経典に基づいているものであり、ブッダの考えとは違うものが含まれている可能性がある。また本書は、経典の引用と著者による地の文の区別がつきにくいところがあり、著者の見解がブッダが説いたことのように見える箇所が目につく。読者は注意して読み進めなければならない。ただし、パーリ語による初期仏典が、ブッダの教えの原型を出来うる限り忠実に残そうとしたものであることは否定できない。北伝の大乗経典に馴染んだ日本人にとっては、テーラワーダの経典からブッダの言葉を探し求める事は十分な意味がある。
 日本人には、仏教伝来以来、漢訳されたものを日本語脳で解読しなければならなかったという歴史的ハンデがある。従って、スリランカ出身である著者は、パーリ語を母国語のように扱える強みがあり、その著者による仏教の入門書(原著は英文)は、他の言語を母国語としている仏教研究者による成書とは異なる価値を有しているといえる。また教えのエッセンスが極めて見通し良く、コンパクトに表現されているもの本書の魅力だ。言葉の意味・定義については、できるだけブッダが語ったその本質を損なわないように、という著者の強い意欲が垣間見られる。しかし、その意欲がちゃんと効果を発揮しているかどうかについては、議論の余地がある。例えば、著者が安易に英訳したくないというパーリ語の「ドゥッカ」は、漢訳仏典では「苦」という言葉が当てられる。本訳書では、著者の意図に基づき、カタカナ表記の「ドゥッカ」をそのまま使っている。しかし、日本人にはこの言葉に馴染みがないので、著者の意図を汲み切れるのかという問題も出てくる。「ドゥッカ」=「苦」ではない、別のニュアンスがあることが事実だとしても、中村元の著書のように、「苦」をそのまま当てても良いように思う。個人的には、仏教文化を歴史的に受け入れてきた日本においては「苦」という言葉における意味の多様性、哲学的深淵性は十分に存在していると感じている。
 もう一点指摘したい。本書に、ダンマパタ(法句経)の偈
「条件づけられたものはすべて無常である」 
「条件づけられたものはすべてドゥッカである」
「すべてものごと(ダルマ)は、無我である」
が引用されている。それぞれ「諸行無常」「一切皆苦」「諸法非我」と漢訳されているものである。例えば「ニルヴァーナ」という条件づけられていない「絶対のもの」も含めて、無我である、だから「すべてのもの」と「条件づけられたもの」はこの偈で厳密に区分けされている、と本書は主張している。しかし、逆に、「ニルヴァーナ」も「無常」なのではないのか、という素人ならではの疑念が湧いた。本書によれば、疑いは「罪」ではない。疑わずに、信じるべきというのは的を射ていない。もちろん、疑いを除去すべく、精進を重ねるというのが、仏教の基本スタンスである。従って、本書の内容も、仏教の基本精神に従って、読者自ら大いに吟味すべきなのである。

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共鳴によって繋がっていく思想

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黒川創編による鶴見俊輔コレクション1。表面的には、鶴見による人物評伝を集めたもの、という感じ。ただし、巻末の坪内祐三の解説にもあるように、金子ふみ子から末尾のホワイトヘッドへの連環の妙は、黒川に帰される作品性がみられる。ただのアンソロジーと侮ってはいけない。一冊の本として通して読むことによって、個別のエッセイをそれぞれ読むのとは明らかに異なる、鶴見の思想を立体的に把握できるような読後感を持つことになる。そこに編集の意義があるといえる。
 鶴見の長編の評伝には、本書には収まりきらないような「高野長英」といった長編作品もあるが、個人的には、短めのものの方が鶴見の良さが出ている、と感じる。何よりも、圧巻は、「金子ふみ子―無籍者として生きる」である。朴烈大逆事件で不当検挙され獄中縊死した金子ふみ子には、「何が私をこうさせたか」という自伝がある。(鈴木重吉監督の映画の原作でプロレタリア作家・藤森成吉著「何が彼女をそうさせたか」はこれにインスパイアされたものと思われる。)これは、獄中で書かれた。この(自伝に書かれた)彼女の苛烈な前半生が、彼女の精神を強靭にし、そして抵抗者としての人生を選択させた。そこには鶴見が信頼するクロポトキンの思想と共鳴した彼女の哲学がある。鶴見はその点に共鳴(彼の言葉で言えば同情)した。
 普通の人はあまり思いつかないのだが、「亡命」という言葉から、新島襄の生涯を考える。それと似たパターンで、エイケンの「ウシャント」を読み、石原吉郎のシベリア抑留体験に思いを致す。石原は語っている。「苦痛そのものより、苦痛の記憶を取りもどして行く過程の方が、はるかに重く苦しい・・・」だから、似たパターンを繰り返しつつ、同じ場所に戻ってくることはない。記憶の暴力性は鶴見自身も体験した事である。そこで、難破が次の難破に繋がる人生として、鶴見はさらに田中正造を思い出す。その中で、自らの精神の中に、繰り返し抵抗するものを見出す。ただし、鶴見は安易にカルマというような言葉を使わない。個人のなかでの繰り返しだけでなく、人から人への共鳴によって、歴史的に、空間的につながっていく部分があるからだ。ただ、金子ふみ子とホワイトヘッドを結び付けられるのは鶴見ぐらいのものだろう。そう思ってこの本を読むと、バラバラの人物評伝が、鶴見を媒介として、大きな思想の流れの中で生き生きと立ち上がってくるのを感じる。鶴見の視座を通して、一般の人は哲学者とはみなさないであろう金子ふみ子、加藤芳郎、南伸坊や、知名度のあまり高くないであろう、仁木靖武、ヤング夫人、能登恵美子らの生き様を、かけがえのない哲学そのものとしてみる。鶴見は、彼らの生き様の系譜を、読者が受け継ぐことを期待しているのかもしれない。(内村鑑三がいうように、人の生き様こそ後世への最大遺物なのである。)ここに、自身が共感した有名無名の人々の評伝を鶴見が書き続けた真の意味があるのであろう。
 蛇足だが、鶴見がゲーリー・スナイダーとの仁義上、彼の導きでLSDによる幻覚体験をしたことがあることを、本書を読んで初めて知った。ただし、鶴見は、クエイカーとは別流の霊震の経験を既にしていたはずである。だからかもしれない。かような神秘的体験を絶対視しないで相対化できる心の余裕度を感じる。葬式仏教から得るものは少ないだろうが、ティク・ナット・ハンの唱える上座部仏教や、ゲーリー・スナイダーの仏教に向き合う姿勢に対する共鳴は十分あるものとみた。

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数奇な人生

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何という劇的で数奇な人生であろう。太平洋戦争時の日本にあって劈頭の真珠湾攻撃の飛行隊長を任され、歴史的打電「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)を行った人が、戦後キリスト教に入信、その上、渡米して伝道活動を長期にわたって行った。本書はその淵田氏による戦前戦後の個人史である。本書が良質であるのは、氏の「夏は近い」と題した未完の草稿を編集した中田整一氏の功績も大きいといえる。章末ごとに付け加えられた中田氏の解説文は、自伝とより一般的な戦中戦後史の橋渡しとして、読者の理解を助けるものである。
 歴史には、教科書的な記述で構成されるマクロな視点と実際に歴史事実に関わった人々の記憶・証言に基づくミクロな視点からのものがある。本書は後者に属す文献だが、著者が、当時の日本の置かれた国際的な状況等を調べなおしている努力の跡がしっかり見られ、バランスのとれた記述となっている。
 海軍高級将校としては、真珠湾攻撃以後も、ミッドウェイ海戦で負傷、レイテ戦での小沢艦隊囮作戦の実質的立案、原爆投下直後の調査団参加による広島・長崎入市、終戦直後の厚木航空基地反乱、戦艦ミズーリにおける降伏調印、東京裁判への出廷など、数々の重要な場面に直接立ち会っている氏の証言はそのまま歴史の一級資料になっている。だが、キリスト教伝道者として渡米したときに出会った、アイゼンハワー、トルーマン、ニクソン、ニミッツ、マッカーサー、ドゥリトル、ビリー・グラハムなど綺羅星のごときアメリカの著名人との交遊はさらに圧巻である。立派な民間外交大使である。なお、淵田氏に劣らず、彼らも一様に、戦争時の恩讐をあっさり超えて、フランクに淵田氏を遇し得た場面では、彼らの精神空間の自由度の高さに感心した。ただ、氏の生来の心根の明るさに起因するものなのであろうか。「回心」に至る心の葛藤については、本人の筆になると意外とさらりと書かれてしまっており、読者には今一伝わりにくい感じがする。が、それは氏が文章稼業を生業としていない分、割り引く必要がある。確かに、関東学院等で英語教師兼チャプレンだった宣教師コヴェル夫妻が、フィリピンで日本兵により惨殺されたにもかかわらず、その娘マーガレットが、アメリカの日系人収容所で献身的ボランティア活動を行ったということを聞き知り感動した事、ドゥリトル隊の爆撃手だったディシェイザー氏との邂逅を果たしたことが如何に宗教的に重い事実だったかについては、説得力がある気もする。公言はしていないが、例えば、戦時中のこととはいえ、真珠湾攻撃では約三千人のアメリカ人の命を奪ったという歴史事実があるわけで、これについて個人の人間が如何に対峙できるか、という精神的危機が、恐らくは淵田氏を苛んだことは間違いないからである。
 淵田氏は、パウロ的「回心」を果たしたにもかかわらず、海軍将校だった自分の「輝かしい」キャリアを全否定しているわけではない。だから、渡米伝道は、アメリカ人に対する謝罪の旅ではなかった。日米両国民とも、ルカ書「父よ、彼らを許し給え。その為す処を知らざればなり。」の「彼ら」に他ならず、お互いに神に許しを請わなければならない、という存在だから、という信念によるものであろう。つまり、氏は、密かにキリスト信仰という精神的武装をしての第二のアメリカ奇襲を敢行したともいえる。まことに、本書が次世代につなぐ平和啓蒙の書として広く読まれることを希望する。

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クリシュナムルティから仏教を探る

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クリシュナムルティの紡ぎだす言葉は美しい。私も、その美しさに惹き込まれて、何冊も彼の本を読んだ口である。いずれの本においても、彼が説き続けたことは非常にシンプルである。囚われることなく思考をみつめること、ほぼこれに尽きる。しかし、あまりにシンプルすぎて、その先におとずれるであろう変容の実体(恐らくは多くの読者が宗教的な解脱や悟りと想定するであろうもの)が何ものであるか、わからない。思考を見つめるその方法も漠然として掴めない。
 なぜ彼は変容の実体や方法論を意図的に語ろうとしなかったのか? それは、変容に対して何らかのイメージを持ってしまえば、即ちイメージするという思考に囚われてしまうことになるから。その危険性を注意深く避けるために、その変容が何であるかを、彼は容易に語ろうとはしなかった。また、方法についても、一人ひとり異なりうるわけで、それを教条化した凡百の宗教指導者たちと同じ轍を踏むことをよしとしなかった。しかし、ヒントは、対談する相手とかわす言葉の中にしっかりあることに、今更ながら気づいた。つまり、あの会話の中身こそ、瞑想に誘導していくそのプロセスそのものだったのである。ということは、彼はずっと、瞑想の中に対話を行い、瞑想の中に瞑想を語り、相手や聴衆ひいては読者を瞑想に導こうと苦闘してきたわけだ。(苦闘という表現は適切ではないのだろうが。)彼は、座禅のようなスタイルから入る瞑想を否定する。外界の雑音に煩わされるのは瞑想の妨げにはなるので、目を瞑る等はあってもよいかもしれない。しかし、それは印を結んだり形に囚われたりするものでもないのだ。それを飽くことなくくりかえし繰り返し語り、会話の中で実践してきたのだ。シンプルなのになんとわかりにくいことか。しかし、それは仏教にしても同じことだ。ブッダ入滅後、多くの覚者となった弟子たちは残っていたにもかかわらず、彼が説いたことはただちに仏教という宗教形態をとるや否や変質してしまったのだ。恐らくは、ブッダ存命中のときにあっても、弟子たちの誤解を解き切ることすらできていなかったのかもしれない。だから、クリシュナムルティは、仏教、キリスト教、イスラム教等一切の既存宗教を否定したのだ。
 一方、仏教学者ラーフラ氏は、彼の立場から、クリシュナムルティの説く言葉がブッダのそれとほぼ同じ内容であることを指摘し続ける。クリシュナムルティに闘いを挑んでいるかのようだ。クリシュナムルティは否定する。自分は「仏教徒」の崇拝するブッダではないのだ。でも、説いている内容は、驚くほど近い。逆に歴史的時間の中で歪められてきたテーラワーダ仏教の中に伝承された「ヴィパッサナ瞑想」の正体(ブッダが真に教えたところの)が、今に伝わる足の裏の感覚を知覚し言語化し続ける「エクササイズ」などではなく、クリシュナムルティの語り続けた瞑想そのものであることが明らかになる。なお、クリシュナムルティ自身が図らずも隠し通せなかった、大乗仏教経典の説く不二法門における「維摩の沈黙」に対して示した共鳴には、正直驚いた。こんなに「無防備」なクリシュナムルティを初めて知った。やはり沈黙の中に真実があるのだ。(クリシュナムルティが変容の中身を語らぬ理由がここにある。)大乗だの小乗だのという分節化に大した意味はないのだ。クリシュナムルティの言葉を上っ面だけ舐めたのでは彼の真意を誤解する。

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抵抗者・鶴見俊輔

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鶴見俊輔は、行動する思想家だった。本書は、社会的発言の一環としての「行動」、とくに抵抗運動にまつわる鶴見のエッセイを集めたものである。特に「五十年・九十年・五千年」は、鶴見自身が自身の業績としてあまり言及することがなかったハンセン病回復者の社会復帰への思いを語った重要なエッセイとして、我々は認識するべきである。ハンセン病回復者の社会復帰は、病気に対する無知や偏見によって維持されてしまった「らい予防法」の1996年の廃止まで、長らく妨げられてきた。鶴見がその問題を最初に自覚したトロチェフさんとの出会いからみても、実に50年の年月が過ぎていた。もちろん、このような件で国が自発的に法律を改定することはない。多数の理解者が寄せた善意にもとづく「むすびの家」のような、外の人間の人との交流の場を作るための努力が営々と積み重ねられてきた背景があってのことだ。また、鶴見がすべてを仕切ったわけではない。彼の教え子たちが自主的に行動に移したことを、見守ってきた部分が大きいのかもしれない。さらに、この運動には各方面から思わぬ協力が集まったり、出会いがあった。鶴見にとって忘れられないのは、柴地則之、白石芳弘、那須正尚、矢追日聖、大江満雄、杉山龍丸、谷川雁、といった面々である。不思議なことに、鶴見の周りには有能な実務家がよく集まる。天の配剤というべきか。
 鶴見は、60年安保での運動以降、ベトナム戦争反対運動などで、中核的な役割を果たした。それも、組織至上主義ではない、一つ一つの案件ごとに緩くつながり、終わったら自然解散するような形で時の権力に対峙してきた。それがべ平連であり、米兵脱走支援活動である。それは昨今のSEALDsのような若者の運動の先取りであり、彼らがお手本にしたであろう台湾の「ひまわり運動」の学生たちが採った戦略のひな形ともなっていた。この歴史的事実は我々もきっちり押さえておく必要はあると思う。「日付を帯びた行動」、「脱走者たちの横顔」の章には、鶴見の視点から見た当時の運動の様子がよくわかるエッセイが並ぶ。
 もうひとつ、鶴見の評論家としての特徴がよく表れているのが、「隣人としてのコリアン」の章において示される、金石範、金時鐘、金芝河ら「抵抗文学者」たちに寄せる共感であり、共振である。それは戦後の韓国、朴正煕軍事政権下における金芝河解放運動の行動への協力という形になっても現れる。一方、日本人の被統治国・朝鮮人に対する気まずきコンプレックスを吐露した田中英光の小説に対し高い評価を与える。その両側面を、鶴見自身の内部に有していた。
 鶴見の抵抗の精神の源流には、足尾鉱毒事件において、国会議員を辞し、在野の運動家として生涯を貫いた田中正造、そして木下尚江の系譜があった。田中正造の価値観は、江戸時代の庄屋のせがれとしての精神基盤の上にすでに形成されていた。つまりそれは西洋の思想家に習わなくても、自発的に日本人が獲得できるはずのものである。そこには鶴見が指摘するように、「大勢はきまったと判断され、その判断が現状にあたっていると思われる時に、その後は大勢に身をまかせるのではなく、いくらかの原則をたてて異議申したてをつづけることには意味がある」、と、内省しながら行動に移す習慣があった。しかし鶴見は、明治以降の日本に欠けているのはこの習慣である、とも指摘する。足尾鉱毒事件は、昔の過ぎ去りし事件ではない。表面的な体裁は違うが、水俣病、森永ヒ素ミルク事件、在沖米軍に関わる暴行事件や基地問題、今もなくならない多数の冤罪事件などの形として執拗に日本人に気づきを迫ってくるのである。

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