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    3月のライオン(1)

    3月のライオン(1)

    羽海野 チカ(著),先崎 学 (将棋監修)

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    はらぺこあおむし 改訂

    はらぺこあおむし 改訂

    エリック=カール (さく),もり ひさし (やく)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

テトラさんのレビュー一覧

投稿者:テトラ

17 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本シャイニング 新装版 上

2017/01/01 18:04

読んでいる最中、頭の中で「ゴゴゴゴゴゴッ」と音が鳴ってました。

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もはやキングの代名詞とも云える本書。スタンリー・キューブリックで映画化され、世界中で大ヒットしたのはもう誰もが知っている事実だろう。

とにかく読み終えた今、思わず大きな息を吐いてしまった。何とも息詰まる恐怖の物語であった。これぞキング!と思わず云わずにいられないほどの濃密な読書体験だった。
物語は訪れるべきカタストロフィへ徐々に向かうよう、恐怖の片鱗を覗かせながら進むが、冒頭からいきなりキングは“その兆候”を仄めかす。

誰もが『シャイニング』という題名を観て連想するのは狂えるジャック・ニコルスンが斧で扉を叩き割り、その隙間から狂人の顔を差し入れ「ハロー」と呟くシーンだろう。とうとうジャックは悪霊たちに支配され、ダニーを手に入れるのに障害となるウェンディへと襲い掛かる。それがまさにあの有名なシーンであった。従ってこの緊迫した恐ろしい一部始終では頭の中にキューブリックの映画が渦巻いていた。そして本書を私の脳裏に映像として浮かび上がらせたキューブリックの映画もまた観たいと思った。この恐ろしい怪奇譚がどのように味付けされているのか非常に興味深い。キング本人はその出来栄えに不満があるようだが、それを判った上で観るのもまた一興だろう。
映画ではジャックの武器は斧だったが原作ではロークという球技に使われる木槌である。またウィキペディアによれば映画はかなり原作の改編が成されているとも書かれている。

≪オーバールック≫という忌まわしい歴史を持つ、屋敷それ自体が何らかの意思を持ってトランス一家の精神を脅かす。それもじわりじわりと。特に禁断の間217号室でジャックが第3者の存在を暴こうとする件は既視感を覚えた。この得体のしれない何かを探ろうとする感覚はそう、荒木飛呂彦のマンガを、『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいるような感覚だ。頭の中で何度「ゴゴゴゴゴゴッ」というあの擬音が鳴っていたことか。荒木飛呂彦氏は自著でキングのファンでキングの影響を受けていると述べているが、まさにこの『シャイニング』は荒木氏のスタイルを決定づけた作品であると云えるだろう。

幽霊屋敷と超能力者とホラーとしては実に典型的で普遍的なテーマを扱いながらそれを見事に現代風にアレンジしているキング。本書もまた癇癪もちで大酒呑みの性癖を持つ父親という現代的なテーマを絡めて単なる幽霊屋敷の物語にしていない。怪物は屋敷の中のみならず人の心にもいる、そんな恐怖感を煽るのが実に上手い。つまり誰もが“怪物”を抱えていると知らしめることで空想物語を読者の身近な恐怖にしているところがキングの素晴らしさだろう。

本書が怖いのは古いホテルに住まう悪霊たちではない。父親という家族の一員が突然憑りつかれて狂気の殺人鬼となるのが怖いのだ。
それまではちょっとお酒にだらしなく、時々癇癪も起こすけど、それでも大好きな父親が、大好きな夫だった存在が一転して狂人と化し、凶器を持って家族を殺そうとする存在に変わってしまう。そのことが本書における最大の恐怖なのだ。
やはりキングのもたらす怖さというのは読者にいつ起きてもおかしくない恐怖を描いているところだろう。上下巻合わせて830ページは決して長く感じない。それだけの物語が、恐怖が本書には詰まっている。

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紙の本陽だまりの偽り

2016/08/28 23:30

貴方の周りにありそうなミステリ譚

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今や現代を代表する短編の名手ともされる長岡弘樹。彼のデビュー作は読者の町にもいるであろう人々が出くわした事件、もしくは事件とも呼べない出来事をテーマにした日常の謎系ミステリの宝箱である。
物忘れがひどくなった老人が必死にそれを隠そうとする。
自身のキャリアを高めるために必死に働くがために一人息子を問題児にしてしまったキャリアウーマン。
卒なく業務をこなし、出世の道を順調に上がろうとする公務員。
同僚にケガをさせたことで自責の念から職を辞し、実家の写真屋を受け継ぐが資金難に四苦八苦する元報道カメラマン。
ある事件から息子との関係が悪くなった荒物屋の店主。
全て特別な人たちではなく、我々が町ですれ違い、また見かける市井の人々である。そしてそんな人たちでも大なり小なり問題を抱えており、それぞれに隠された事件や出来事があるのだ。
これら事件や出来事を通じてお互いが抱いていた誤解が氷解するハートウォーミングな話を主にしたのがこれらの短編集。中に「プレイヤー」のような思わぬ悪意に気付かされる毒のある話もあるが。
気付いてみると5編中4編はハートウォーミング系の物語であり、しかもそれらが全て親子の関係を扱っているのが興味深い。
「陽だまりの偽り」はどことなくぎこちない嫁と義父の、「淡い青のなかに」と「写心」は母と子の、そして「重い扉が」はと父と子の関係がそれぞれ作品のテーマとなっている。
それはお互いがどこか嫌われたくないと思っているからこそ無理に気を遣う状況が逆に確執を生む、どこの家庭にもあるような人間関係の綾が隠されていることに気付かされる。逆に正直に話せばお互いの気持ちが解り、笑顔になるような些末な事でもある。
人は大人になるにつれ、なかなか本心を話さなくなる。むしろ思いをそのまま口にすることが大人げないと誹りを受けたりもするようになり、次第に口数が少なくなり、相手の表情や行動から推測するようになってくる。そしてそれが誤解を生むのだ。実はなんとも思っていないのに一方では嫌われているのではと勘違いしたり、良かれと思ってやったことが迷惑だと思われたり。逆に本心を正直に云えなくなっていることで大人は子供時代よりも退化しているかもしれない。
作者長岡弘樹はそんな物云わぬ人々に自然発生する確執を汲み取り、ミステリに仕立て上げる。恐らくはこの中の作品に自分や身の回りの人々に当て嵌まるシチュエーションがある読者もいるのではないだろうか。
私は特に中学生の息子を持つがゆえに「重い扉が」が印象に残った。いつか来るであろう会話のない親子関係。その時どのように対応し、大人になった時に良好な関係になることができるのか。我が事のように思った。
しかしこのような作品を読むと我々は実に詰まらないことに悩んで自滅しているのだなと思う。ちょっと一息ついて考えれば、そこまで固執する必要がないのに、なぜかこだわりを捨てきれずに走ってしまう。歪みを直そうとして無理をするがゆえにさらに歪んでしまい、状況を悪化させる。他人から見れば大したことのないことを実に大きく考える。本書にはそんな人生喜劇のようなミステリが収められている。
全5作の水準は実に高い。正直ベストは選べない。どれもが意外性に富み、そして登場人物たちの意外な真意に気付かされた。実に無駄のない洗練された文体に物語運び。デビュー作にして高水準。今これほど評価されているのもあながち偽りではない。また一人良質のミステリマインドを持った作家が出てきた。これからも読んでいこう。

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紙の本墓場への切符

2016/08/28 19:41

倒錯三部作の記念すべき第1作目

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マット・スカダーシリーズが人気と高評価を持って迎えられるようになったのはシリーズの転機となった『八百万の死にざま』と本書から始まるいわゆる“倒錯三部作”と呼ばれる、陰惨な事件に立ち向かう“動”のマットが描かれる諸作があったからだというのは的外れな意見ではないだろう。
本書が今までのシリーズと違うのはマットの前に明確な“敵”が現れたことだ。彼の昔からの友人である高級娼婦エレイン・マーデルをかつて苦しめたジェイムズ・レオ・モットリー。錬鉄のような鋼の肉体を持ち、人のツボを強力な指の力で抑えることで動けなくする、相手の心をすくませる蛇のような目を持ち、何よりも女性を貶め、降伏させ、そして死に至らしめることを至上の歓びとするシリアル・キラー。刑務所で鋼の肉体にさらに磨きをかけ、スカダー達の前に現れる。
これほどまでにキャラ立ちした敵の存在は今までのシリーズにはなかった。確かにシリアル・キラーをテーマにした作品はあった。『暗闇にひと突き』に登場するルイス・ピネルがそうだ。しかしこの作品ではそれは過去の事件を調べるモチーフでしかなかった。
しかし本書ではリアルタイムにマットを、エレインをモットリーがじわりじわりと追い詰めていく。つまりそれは自身の過去に溺れ、ペシミスティックに人の過去をあてどもなく便宜を図るために探る後ろ向きのマットではなく、今の困難に対峙する前向きなマットの姿なのだ。
それはやはり酒との訣別が大きな要素となっているのだろう。過去の過ちを悔い、それを酒を飲むことで癒し、いや逃げ場としていたマットから、酒と訣別してAAの集会に出て新たな人脈を築いていく姿へ変わったマットがここにはいる。警察時代には敵の1人であった殺し屋ミック・バルーも今や心を通わす友人の1人だ。
平穏と云う水面に石を投げ込んでさざ波を、波紋を起こすのが物語の常であり、その役割はマットが果たしていた。事件に関わった人物たちがどうにか忌まわしい過去を隠蔽して平穏な日々を過ごしているところに彼に人捜しや死の真相を探る人が現れ、彼ら彼女らに便宜を図るためにマットが眠っていた傷を掘り起こすのがそれまでのシリーズの常だった。しかし本書ではさざ波を起こすのがモットリーと云う敵であり、平穏を、忌まわしい過去を掘り起こされるのがマットであるという逆転の構図を見せる。マットは自分に関わった女性を全て殺害するというモットリーの毒牙から関係者を守るために否応なく過去と対峙せざるを得なくなる。
じわりじわりとマットに少しでも関わった女性たちを惨たらしい方法で殺害していくモットリー。そしてマット自身もまたモットリーに完膚なきまでに叩きのめされる。さらには法的に人的被害を訴えることでスカダーを孤立無援にさせる邪悪的なまでな狡猾さまで備えている。そんなスリル溢れる物語なのにもかかわらず、シリーズの持ち味である叙情性が損なわれないのだから畏れ入る。
そして追い詰められたスカダーはとうとうアルコールを購入してしまう。自ら望むがままに。果たしてマットは再びアルコールに手を出すのか?この緊張感こそがシリーズの白眉だと云っても過言ではないだろう。そしてこのアルコールこそがまた彼の決意を左右するトリガーの役割を果たす。酒を飲めば元の負け犬のような生活に戻ってしまう。しかしそれを振り切れば、正義を揮う一人の男が目覚めるのだ。この辺の小道具の使い方がブロックは非常に上手い。
困難に立ち向かい、己の信念と正義を貫いたマット。今後彼にどんな事件が悲劇が起こっていくのだろうか。

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紙の本深夜勤務 ナイトシフト 1

2017/01/01 23:29

溢れんばかりのアイデアの迸り

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キング初の短編集。日本では本書と『トウモロコシ畑の子供たち』の二分冊で刊行された。

はしがきにも書かれているようにデビュー作『キャリー』以来、『呪われた町』、『シャイニング』と立て続けにベストセラーのヒットを叩き出した当時新進気鋭のキングが、その溢れんばかりに表出する創作の泉から紡ぎ出したのが本書と次の『トウモロコシ畑の子供たち』に分冊された初の短編集である。
今まで自分の頭の中で膨らませてきた空想の世界が世に受け入れられたことがさらに彼の創作意欲を駆り立て、兎にも角にも書かずにいられない状態だったのではないだろうか。
その滾々と湧き出る創作の泉によって語られる題材ははしがきで語っているように恐怖についてのお話の数々だ。

古い工場の地下室に巣食う巨大ネズミの群れ。
突如発生した新型ウィルスによって死滅しつつある世界。
宇宙飛行士が憑りつかれた無数の目が体表に現れる奇病。
人の生き血を吸ったことで殺戮マシーンと化した圧搾機。
子取り鬼に子供を連れ去られた男の奇妙な話。
腐ったビールがもとでゼリー状の怪物へと変わっていく父親。
殺し屋を襲う箱から現れた一個小隊の軍隊。
突然意志を持ち、人間に襲い掛かるトラック達。
かつて兄を殺した不良グループが数年の時を経て再び現れる。
忌まわしき歴史を持つ廃れた村に宿る先祖の怨霊。

これらは昔からホラー映画やホラー小説、パニック映画に親しんできたキングの原初体験に材を採ったもので題材としては決して珍しいものではない。ただ当時は『エクソシスト』やゾンビ映画の『ナイト・オブ・リビングデッド』といったホラー映画全盛期であり、とにかく今でもその名が残る名作が発表されていた頃でもあった。
そんなまさにホラーが旬を迎えている時期に根っからの物語作家であるキングが同じような恐怖小説を書かずにいられるだろうか。
その溢れ出る衝動の赴くままにここでは物語が綴られている。

しかしこの着想のヴァラエティには驚かされる。今ではマンガや映画のモチーフにもされている化け物や怪異もあるが、1978年に発表された本書がそれらのオリジナルではないかと思うくらいだ。

本書の個人的ベストは「やつらはときどき帰ってくる」だ。この作品は少年時代にトラウマを植え付けられた不良グループたちが教師になった主人公の前に再びそのままの姿で現れ、悪夢の日々が甦るという作品だが、扱っているテーマが不良たちによる虐めという誰もが持っている嫌な思い出を扱っているところに怖さを感じる。無数の目が体に現れたり、小さな兵隊が襲ってきたり、トラック達が突然人を襲うようになったりと、テーマとしては面白いがどこか寓話的な他の作品よりもこの作品は誰もが体験した恐怖を扱っているところが卓越している。
また最後の短編「呪われた村<ジェルサレムズ・ロット>」は長編とは設定が全く異なることに驚いた。一応長編の方も再度確認したが特にリンクはしていないようだ。ただ後者は全編手記によって構成されるという短編ゆえの意欲的な冒険がなされ、最後の一行に至るまでのサプライズに富んでおり、長編の忍び来る恐怖とはまた違った味わいがあって興味深い。

さて本書は最初に述べたようにキング初の短編集でありながら、次の『トウモロコシ畑の子供たち』と分冊して刊行された。いわば前哨戦と云ってもいいかもしれない。それでいて現在高評価されている漫画家へも影響を与えたほどの作品集。次作もキングの若さゆえのアイデアの迸りを期待したい。

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ヴァラエティに富んでます。

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キング初の短編集『ナイト・シフト』の後半に当たる本書は前半にも増してヴァラエティに富んだ短編が揃っている。

未来に賭けて超高層ビルの手摺を一周回ることに同意した男。
奇妙な雰囲気を漂わせた芝刈り業者の男。
98%の確率で禁煙が成功する禁煙を専門に扱う会社。
常に自分の望むものを叶えてくれる不思議な学生。
バネ足ジャックと呼ばれた連続殺人鬼。
生い茂ったトウモロコシ畑を持つゴーストタウン。
幼い頃、共に干し草の上にダイブして遊んだ美しい妹の末路。
恋人に会いに行く幸せそうな男。
豪雪で忌まわしき村に迷い込んだニュージャージーから来た家族。
死の間際にいる母親を看る息子の胸に去来するある思い。

前巻も含めて共通するのは奇妙な味わいだ。特段恐怖を煽るわけではないが、どこか不穏な気持ちにさせてくれる作品が揃っている。
個人的ベストは「禁煙挫折者救済有限会社」か。次点では「死のスワンダイブ」を挙げたい。

本書と『深夜勤務』は『キャリー』でデビューするまでに書き溜められていた彼の物語を世に出すために編まれた短編集だと考えるのが妥当だろう。とするとこのヴァラエティの豊かさは逆にキングがプロ作家となるためにたゆまなき試行錯誤を行っていたことを示しているとも云える。単純に好きなモンスター映画やSF、オカルト物に傾倒するのではなく、あらゆる場所やあらゆる土地を舞台に人間の心が作り出す怪物や悪意、そして人は何に恐怖するのかをデビューするまでに色々と案を練ってきたことが本書で解る。つまり本書と『深夜勤務』には彼の発想の根源が詰まっているといえよう。特に『呪われた町』の舞台となるジェルサレムズ・ロットを舞台にした異なる設定の2つの短編がそのいい証拠になるだろう。あの傑作をものにするためにキングはドルイド教をモチーフにするのか、吸血鬼をモチーフにするのか、いずれかを検討し、最終的に吸血鬼譚にすることを選んだ、その発想の道筋が本書では追うことが出来る。そんなパイロット版を惜しみなく提供してくれる本書は今後のキング作品を読み解いていく上で羅針盤となりうるのではないかと考えている。

しかし本書を手に入れるのには実に時間と手間が掛かった。なぜなら絶版ではないにせよ置かれている書店が圧倒的に少ないからだ。2016年現在でも精力的に新たな作風を開拓しているこの稀有な大作家が存命中であるにも関わらず過去の作品が入手困難であるのはなんとも残念な状況だ。既に絶版されている諸作品も含めて今後どうにか状況改善されることを祈るばかりである。

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シリーズではこれが一番好きかも

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相も変わらず語られる内容は荒唐無稽のナンセンスギャグが横溢している。今回アーサーが恋に落ちる女性フェンチャーチも謎めいた女性であるが、それ以外にもいつも雨に追われているトラック運転手ロブ・マッケナに家の中が外で家の外が部屋になっている奇妙な家に住む真実を知る男ジョン・ワトソンと読者を軽く酩酊感に誘うストーリー運びは健在だが、フォード・プリーフェクトのエピソードが幕間に挟まれるものの、前3作に比べるとストーリーの起伏はむしろ穏やかで、アーサーの地球復活の謎を探るメインストーリーが主になっているために実にスムーズに進むように感じられた。これはそう感じるのは私だけでなく、解説によれば刊行当時の評価もそうだったらしい。SFを期待したファンには失望感を、批評家筋では好評だったとあり、私はやはり後者の側の人間のようだ。

これは今までが広大な宇宙を舞台に色んな星の色んな星人の奇妙な生態や習慣、そして環境がどんどん放り込まれていたのに対し、今回は地球を舞台にしていることもあるのかもしれないが、特徴的なのは他のメインキャラクターであるゼイフォードやトリシアたちが全く出てこないことだ。私は今までアダムスのストーリー展開の取り留めのなさに面食らい、煙に巻かれたような読後感にどうも相性の合わなさを覚えていたものだが、本書のようにはっきりとしたストーリー展開をされると逆に味気なさを感じる自分がいて正直驚いた。3作読むことで実はアダムスマジックにかかっていたのかもしれない。
今までのシリーズでさんざん語られたように宇宙空間では時間も一つのベクトルであり、それを遡ることが出来る。この概念を理解するとアーサーが地球に戻ってくるのも時間軸を遡っただけであり、何ら不思議ではない。
しかし全てが元通りと思われた地球において何かがやはり違っていたのだ。
それはイルカが地球上からすべていなくなっていたことだ。ここでおさらいしておくと、地球上で最も高度な知性を持つ生命体はねずみであり、地球はねずみによって創られ、その次はイルカでありそして人間と続く。つまり人間よりも優れた生命体が地球上から消え去っているのだ。
アーサーとフェンチャーチこのイルカ消失の謎を知る男ジョン・ワトソンを訪ねてカリフォルニアへと向かい、彼からある事実が語られる。

とここまでは実に明確な物語の筋道が出来ており、実に解りやすく展開するのだが、実はここから再び物語はカオス化する。
今に始まった話ではないが、なんとも人を食った話だと改めて思わされた。神の最後のメッセージが実に皮肉なユーモアであり、一度読んだときはあまりのしょうもなさに壁に投げつけようかと思ったが、二度目に読むとその深い意味合いに思わずニヤリとしてしまう。神が創った世界は完璧ではなかった。この世界が不安定であることをこの言葉が象徴していると云う風に受け取れる。実にありきたりな言葉を使いながら意味深な皮肉を感じさせるダグラスのセンスに感じ入ってしまった。

この地球が復活した本書は新たなシリーズの幕開けという位置づけとなるのではないか。『銀河ヒッチハイク・ガイド』第2章とでも云おうか(と思っていたらやはり解説にも作者が3作まででシリーズ完結と云っていたと書かれていた)。

毎度毎度先の読めないナンセンスSFギャグオデッセイ。次は図らずも作者の急逝で最終巻となった物語。決着がつくわけではないだろうが、新たな幸せを得たアーサーとフェンチャーチの2人にどんな冒険が待っているのか、正直不安である。

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コージ苑再び?

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高校生の時だったと思うが、当時書店でコージ苑なる奇妙な箱入りの漫画が気になりジャケ買いした。1ページに4コマ漫画1つという実に贅沢な作りで当時1冊1,000円ぐらいしたと思うが、高校生の私にとって非常に高価であった。しかしその内容は今まで読んだ4コマ漫画のそれとは全く違い、ナンセンスギャグの走りだったと思う。それが私と相原作品との最初の出逢いだった。
特に斬新だと思ったのは4コマ漫画でありながらストーリーが続くこと。4コマでオチをつけながら、その後も同じ登場人物のその後が描かれ、一連のストーリーとなって連続しているところに驚いた。今となっては全く珍しくもない手法だが、初めてこのような4コマ漫画に出会った当時は新しいマンガ形式だとビックリしたものだった。
その後コージ苑は3巻(正式な呼び方は3版)まで刊行され、完結したのだが、このたびコージジ苑と名を変え、新たに蘇った。
原典と違い、コージ苑ではなくコージ“ジ”苑であるのがポイント。全シリーズではまさしく辞書のとおり、単語の意味に即した4コマ漫画が付せられていたが、本書では時事にまつわる4コマ漫画が付せられている。従って政治家にまつわるエピソードが多く、現首相をとことん揶揄した作品多かった。
大人になった今では高校生の時のように無邪気にギャグにのめり込んでゲラゲラ笑うことは無くなり、作者のギャグセンスもかつてほどの勢いは感じられないものの、痛烈に社会を批判する不条理4コマ漫画としてこのまま巻を重ねることを期待したい。

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紙の本マラコット深海

2016/08/29 14:30

ドイル最後の小説

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ドイル晩年のSF冒険譚。ウィキペディアで調べる限り、これがドイル最後の小説のようだ。空想冒険小説ではチャレンジャー教授がシリーズキャラクターとして有名であるが、本書では海洋学者マラコット博士が主人公を務め、冒険の行き先は大西洋の深海だ。
潜降函なる金属の箱でカナリア諸島西にある、自身の名が付いたマラコット海淵から深海調査に乗り出したマラコット博士とオックスフォード大学の研究生サイアラス・ヘッドリーとアメリカ人の機械工ビル・スキャンランの3人が大蟹に潜好函が襲われてそのまま海底に遭難してしまうが、なんと独自の科学技術で深海で生活しているアトランティス人たちに助けられるという、ジュヴナイル小説のような作品だ。
もともとドイルは海に関する短編を数多く発表しており、新潮文庫で海洋奇談編として1冊編まれているくらいだ。そして深海の怪物に関する短編もあり、もともと未知なる世界である海底にはヴェルヌなどのSF作家と同じように興味を抱いていたようだ。
そしてそれを証明するかのようにマラコット博士一行が海底でアトランティス人たちと暮らす生活が恐らく当時の深海生物に関する資料に基づいてイマジネーション豊かに描かれている。
しかし物語のクライマックスと云える邪神バアル・シーパとの戦いは果たして必要だったのか、はなはだ疑問だ。
この戦いをクライマックスに持ってくるよりもやはり物語の中盤で描かれる、彼らの生還を詳細に書いた方がよかったのではないか。
しかし最後の作品でも子供心をくすぐる冒険小説を書いていることが率直に嬉しいではないか。読者を愉しませるためには貪欲なまでに色んなことを吸収して想像力を巡らせて嬉々としながら筆を走らせるドイルの姿が目に浮かぶようだ。翌年ドイルはその生涯を終えた。
最後の最後まで空想の翼を広げた少年のような心を持っていた作家であった。合掌。

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紙の本復讐者たち 新版

2016/08/29 00:57

終わりなき復讐の連鎖

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第二次大戦にヒトラーと云う1人の男の狂気から始まった世界的なユダヤ人大虐殺は本書によれば最終的に570万人以上もの犠牲者を生み出した。
しかし第二次大戦ナチスによって大虐殺と迫害の日々を強いられたユダヤ人は、黙って虐待に耐える民族ではなかった。彼らはその借りを返しに、屈辱を晴らすためにナチスの残党狩りを世界規模で始めたのだった。
日本人ならば第二次大戦でアメリカに原爆まで落とされ、国家を揺るがされる大打撃を受けながらも、かつての敵に復讐しようとはせず、寧ろ国の復興に精を出し、驚異的な高度経済成長によって奇跡的とも云える復興を成し得たが、ユダヤ人やムスリムは過去の遺恨をそのままにはせず、「目には目を、歯には歯を」の精神で執拗な仕返しを行うのだ。
それによって最終的に報復に成功したナチス残党の数は1000~2000人に上った。しかしそれは上に書いたユダヤ人犠牲者の数とは全く収支が合わない。やられたらやり返すの精神であるユダヤ人にしては実に少ない数だ。しかしそれこそユダヤ人社会が文化的になった証拠だと作者は述べる。そしてこれらの復讐を少なくしたのはイスラエル建国があったからだと作者は指摘する。イスラエル建国が苦難と苦闘の産物であることは同じ作者の『モサド・ファイル』やフランク・シェッツィングの『緊急速報』で語られた通りだ。この障害の多さこそがユダヤ人に復讐に没頭する機会を奪ったと作者は見ている。しかしこの建国もまた周辺諸国との戦いの日々であったことを知る今では単にターゲットがナチスから周辺のアラブ諸国になったに過ぎないと思うのは私だけだろうか。
そしてこれら俎上に挙げられた復讐譚が果たして是なのかと云えば甚だ疑問だ。それは正義や道徳心から起こる疑問ではない。それぞれの国に様々な民族がおり、彼ら彼女らのDNAに刻まれた価値観は一民族である日本人の尺度で測るのは寧ろおこがましいと云えるだろう。
私が疑問に思うのは上に書いたように過去に生きるのではなく、未来に目を向け、民族の復興と更なる繁栄を目指すべきではなかったかということだ。暴力が生むのは暴力しかなく、復讐もまた然りである。そんな人的資源の消耗戦としか思えない復讐の螺旋に固執することでこの民族の復興はかなり遅れたのではないかと思えてならない。
本書は世界で隠密裏に起きた暗殺の歴史を綴ったものであるが、大規模に行われたテロの歴史でもある。つまりこれはテロ側から自分たちの行為の正当性を語ったドキュメンタリーでもあるのだ。
ここに書かれているユダヤ人達へのナチスの陰惨な迫害は筆舌に尽くしがたい物があるのは認めよう。アドルフ・アイヒマン、ヨーゼフ・メンゲレらが行った想像を絶する、もはや悪魔の所業としか思えない数々の残虐行為は自分の家族が同じような方法で殺されたならば、私も一生拭いきれない恨みを抱く事だろう。それでも私は上に書いたように納得できない。いわれのない大量虐殺を強いられた民族の復讐心は解るが、「やられたらやり返す」では蛮族たちの理論であり、近代国家のやるべき方法ではないからだ。
今韓国や中国で反日感情を植え付ける教育が学校でなされており、今の若者に日本に対する抵抗心を持たせているが、これもドイツ人がユダヤ人に抱いた思想に重なる物を感じ、戦慄を覚えざるを得ない。
ドイツ人がユダヤ人を虐殺し、戦争終結後、今度はユダヤ人がドイツ人を追って暗殺する。そして今度はアジアでも同じことが起きようとするのかもしれない。残念ながらマイケル・バー=ゾウハーが本書を綴った60年代から世界は何も進歩していない。

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これで打ち止め

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映画化もされ、相原氏にとっては異例のヒット作になったと思いきや、あえなく3巻で打切りだった。
個人的にはゾンビと主人公の戦いに終始しないオムニバス形式の群像劇の構成がよかっただけに残念ではあった。
ゾンビが蔓延る世界で果たして人間として生きることに意味があるのか?そんなことも考えさせられるパニック漫画ではあった。
初の映画化もB級ホラーのようでまずキャストが全く認知度が低い俳優さんばかりだったので恐らく低予算で作られたのだろう。
次作からはもっと情報量を減らして不特定多数の人々が手に取れる漫画を描いてほしいものだ。

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紙の本キャリー 改版

2016/08/29 00:00

単純だからこそ万人受けするモダンホラー

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本書が好評を持って受け入れられたのは普遍的なテーマを扱っていることだろう。いわゆるスクールカーストにおける最下層に位置する女生徒が虐められる日々の中でふとしたことからプロムに誘われるという光栄に浴する。しかし彼女はそこでも屈辱的な扱いを受ける。ただ彼女には念動能力という秘密があった。
この単純至極なシンデレラ・ストーリーに念動能力を持つ女子高生の復讐というカタルシスとカタストロフィを混在させた物語を、事件を後追いするかのような文献や手記、関係者のインタビューなどの記録を交えて語る手法が当時は斬新で広く受けたのではないだろうか。
さてとにもかくにも主人公キャリーの生き様の哀しさに尽きる。狂信的な母親に育てられ、過剰なまでの清廉潔白ぶりを強要され、日に何度もお祈りを捧げる日々を送らされ、母の意志にそぐわなければ即刻クローゼットに閉じ込められる。そんな家庭環境であるがために一般常識的な知識さえもまっとうに与えられず、初潮という生理現象さえも知らないために自身の陰部から血が出ることでパニックになり、学校でクラスメートからタンポンを投げつけられる始末。従って幼少の頃はまるで人形のような整った顔立ちだったのが今ではニキビと艶のない髪の毛で、作中の表現を借りれば「白鳥の群れに紛れ込んだ蛙」のような有様だ。
そしてとにかく主人公キャリーの母親の狂信ぶりが凄まじい。姦通することを何よりも忌み嫌い、自分が妊娠したことすらも穢れとする。そして自身の娘キャリーを男たちの誘惑の手から遠ざけるため、キャリーに他者との関わりを絶つことを強いる。もし自分の意志に背こうものならば、折檻をした上でクローゼットに何時間も、時には一日中閉じ込めて悔い改めさせる。とても親とは思えない所業だ。
ここでやはり注目したいのはキャリーの親の束縛からの自立だろう。異様なまでの執着心で母親の支配を受けていた彼女が抵抗し、ついに自由を得る困難さは途轍もない大きな壁だっただろう。彼女に念動能力が無ければ叶わなかったことではないだろうか。親という大きな壁への抵抗というこの非常に身近な人生の障害もまた万人に受け入れられた要素なのかもしれない。
さらに本書が特異なのは女性色が非常に濃いことだ。それは主人公キャリーが女性であることから来ているのだろうが、キャリーを虐めているのは男子生徒ではなく女子生徒ばかりでキャリーの生活の障壁となっているのも前述のように狂信的な母親だ。
さらに生理という女性特有の生理現象がキャリーの念動能力の発動を助長させ、またキャリーの死を看取ったスージー・スネルがその直後生理になっているのも新たなる物語という生命の誕生を連想させ興味深い。
今では実にありふれた物語であろう。が、しかし物語にちりばめられたギミックや小道具はやはりキングのオリジナリティが見いだせる。“to rip off a Carrie”などという俗語まで案出しているアイデアには思わずニヤリとした。
識者によればキングの物語にはあるミッシングリンクがあるという。本書を皮切りにそのリンクにも注意を払いながら読んでいくことにしよう。

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前半傑作、後半凡作の評論集

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第47回日本推理作家協会賞の評論その他の部門賞を受賞した北上次郎氏渾身の評論集。あとがきに書かれているがミステリ・マガジン誌上で1986年2月号から1992年12月号まで足掛け約7年半かけて連載された物を纏めたのが本書だ。
しかし連載していた評論の編集版と云えども、単なる寄せ集めになっていない。内容は大きく分けて海外編と国内編に分かれている。
この海外編は実に素晴らしい。19世紀の小説から幕を開けるが、その流れは欧米の経済発展、特に産業革命後の新しい世界の幕明けと冒険活劇小説が連動して発展していく様子を実作を並べて述べており、小説が時代を映す鏡であり、またその時代に生きた人々の勢いや息吹さえも感じさせることを教えてくれる。
例えば大航海時代を経たヨーロッパの国でハガードのような秘境冒険小説が発展したこと、アメリカでは西部小説が発展し、フロンティア精神が冒険小説を発展させていったこと、産業革命が人々に科学への関心を向けさせ、ヴェルヌの小説がそれまで未開の領域だった海底や大空を当時の最新科学の知識で行けることを知らしめ、新たな世界への進出を夢見させたことなど、冒険小説が時代時代の分岐点を契機に発展し、また変化していたことを詳らかに述べる。
またバローズのターザンが実は全26作にも上る超大作であることを本書で初めて知った。また今読んでいるマクリーンについての項は非常に興味深く読んだ。当時『女王陛下のユリシーズ号』で鮮烈なデビューをし、世界的ベストセラー作家となった一冒険小説家の栄華と衰退の顛末。冒険小説家が直面した政治的原理が大きく転換した“70年代の壁”をある作家はマクリーンのように頑なに自分の作風に固執し、埋没していった者もいれば、新たな敵を発掘することで乗り越え、また作風を転換することで乗り越え、今に至る作家たちもいる。今なお新作映画が作られ、作者の死後も他の作家で新作が作られる“007”シリーズの独自性。それぞれの作家の描く“正義”の形。単に冒険小説家としてジャンル分けされている作家たちにもそれぞれの特色と苦闘の歴史があり、また工夫があったことを詳細に語ってくれる。この子細な分類は非常に参考になった。
特に作者は“70年代の壁”をどう乗り切ったかについてそれぞれの作家の実作を以て繰り返し語る。米ソの対立が緩和されたこの時代の大転換である者は自然の厳しさに敵を見出し、ある者は時代を遡り、明確な敵のいる第二次大戦に題材を掘り起こす。またある者は“現代の秘境”を題材に作風を敢えて変えないことで乗り越えた者もいれば、己の恐怖心こそ最大の敵と見出し、長きスランプを脱した作家もいる。この辺りの流れは毎日読んでいて非常に楽しかった。それを裏打ちする北上氏の膨大な読書量にも驚かされた。
この海外編を読んで意気昂揚して臨んだ国内編の落差には正直非常に失望した。
なんと全30章で構成される同編の内、27編が時代小説、時代伝奇小説の掘り下げに終始するのだ。私が非常に愉しみしていた70年代から始まる日本の冒険小説の流れは最後のたった3章で駆け足程度でしか語られない。これはあまりにひどすぎる。非常にバランスの欠いた内容となってしまっているのだ。
正直海外編を読んでいる最中は大傑作だと確信していた。しかし後半に至ってのこの失速感。後半の国内編はぜひとも改稿すべきだと思う。
舌鋒鋭い感想になってしまったが、大変惜しい評論集である。稀代の読書家であり書評家である北上氏の仕事としては竜頭蛇尾の如き作品になってしまった。

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紙の本Z~ゼット~ 2

2016/08/28 23:41

作者なりの味付けがなされたゾンビ漫画

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ゾンビ物を作者独自の解釈で描いた作品。映画“World War Z”でもそうだったが、本書に出てくるゾンビはよたよた歩くのではなく、走るのである。主軸となる物語はあるものの、恋人、家族など身近な人々がゾンビになった時の人々の反応や行為を断片的に描いているオムニバス形式の作品となっている。
作者の生々しい描写は女性の方にとってはあまり心地いいものではないのでお勧めできないが、日常にゾンビがはびこった時のシミュレーションとして読むとなかなかに興味深い。

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紙の本ほとんど無害

2017/01/01 23:08

フェンチャーチ不在が痛いです。

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4作目の『さようなら、いままで魚をありがとう』で新展開を見せた本シリーズでは同作ではなおざりになっていたかつてのキャラクターが登場する。しかし今回の舞台は並行宇宙での話のようで1~4作までの世界とは異なる次元を舞台にしている。幸せの証が四葉のクローバーではなく三つ葉のクローバーである世界が舞台だ。

途轍もないナンセンスギャグで始まったこのシリーズの結末はなんとも云いようのない虚無感に襲われるようになるとは誰が想像しただろうか?つまり第1作目の地球が消失する発端がここで繰り返され、そこから物語が始まったシリーズが、本書では全く同じ現象でフィナーレとなる。喜劇で始まったシリーズがかくも空しい悲劇に終わろうとは全く言葉が出ない。

前作並びに本書の解説に書かれているが、著者のアダムスは非常に自由奔放な性格で前作も当初予告した内容とは全く異なった恋愛SF物語になったとのこと。それも作者自身が執筆時に後の奥さんとなる相手と恋愛中だったことが色濃く物語に反映されたとのことで、本書の実に虚無的な物語もまた執筆中に会計士の横領と義父の死という不幸が重なったためにそれが作品に出てしまったようだ。このように自身の私生活が否応なく物語に影響を与えてしまう作家なのだ。そして本書は書かれるわけではない続編だったようで、それがゆえに逆に悲劇的な物語の決着の付け方をしてしまったようだ。

本書はそれまでのシリーズに見られたようにナンセンスな装置と物語展開、そして並行宇宙を利用した重層的な仕掛けがきちんとなされ、単に筆を滑らせて書かれた作品ではないことは確かだ。しかし、どうしてこんな結末にしてしまったのだろうかと残念でならない。訳者あとがきにも書かれているように片や「最高傑作」、片や「シリーズ最低最悪の作品」と本書の世評は賛否両論真っ二つに分かれたようだ。そして訳者自身は両方とも納得できるとしており、私も傑作とまではいかないまでも上に書いたように実に計算されて書かれているとは認めるものの、物語の結末に非常に納得のいかない思いが残っている。
特に前作で鮮烈な印象を残したアーサーの恋人フェンチャーチがたった1行で退場し、全く物語に出てこないのが非常に残念だ。前作が個人的には最も楽しかった作品だっただけにフェンチャーチ不在はなんとも心残りである。

アダムスはこの後の作品を書かずに急逝してしまうのだが、無念だったのかどうかは今となっては不明だ。オーエン・コルファーによる続編も書かれているが私としてはこれでこのシリーズは終わりにしたいと思う。アダムスによって生み出された作品はやはりアダムス自身で閉じられた物語が真の結末だと思うからだ。しかしそれがなんとも寂しく感じるのが重ね重ね残念でならない。

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紙の本宇宙クリケット大戦争

2016/08/29 14:23

ブリティッシュギャグを理解するにはまだまだ修行が必要?

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相変わらず破天荒な物語である。粗筋を纏めるのさえ困難なナンセンスに満ち溢れて、アダムス特有の不条理理論が爆発する。
とにかく1巻から続く脱線に次ぐ脱線の物語は本書も健在。いやはやとにもかくにも作者のダグラス・アダムスは相当な捻くれ者らしい。全てがおふさげの産物だ。子供たちに人気の『かいけつゾロリ』のキャッチフレーズは「まじめにふまじめ」だが、このシリーズの神髄もまさにそれ。3作目にしてどうにかこのふざけを愉しむイギリス人独特のユーモアセンスが見えてきた。
宇宙では時間軸が容易に反転する事、空間もまた容易に移動できること、そして思考がそれらを凌駕する事。これらの事は本書のエピローグでも次のように語られている。

(前略)時間と距離はひとつであり、精神と宇宙はひとつであり、認識と現実はひとつであり(後略)

これらを頭に入れて読むとアダムスの描くこのシリーズの不条理なストーリー展開も以前よりはすんなり頭に入るようになってきた。
あと本書には短編「若きゼイフォードの安全第一」が収録されている。ゼイフォードが若い頃、安全防災管理局の役人たちとロブスターの先祖たちが生まれた星の海深くに沈没した宇宙船に積まれていたある物を探しに行く物語。役人たちの云う「副生成物」は1986年発表当初で恐らく痛烈なジョークだっただろう―それは「レーガン」という名の合成人間。そしてその宇宙船にはアオリスト棒なる装置が積まれており、それは資源不足に悩んでいる未来人が過去からその資源を得て生み出すエネルギー源を算出する装置であり、これは大量に未来に残されている核廃棄物を暗喩的に皮肉った原子力発電所のことではないかと云われている―。この辺のジョークはしかし今では解説がないと理解できないかなぁ。
本書は今までの内容に比べて宇宙の存続を賭けた戦いと云う実にSFらしいテーマが描かれるが、その重々しいテーマに比べて内容は軽みに富んでいる。何しろ宇宙戦争を仕掛ける戦闘民族クリキット人を解き放つ鍵がクリケットで使用されるウィキット・ゲートであり、そのパーツは鬱病ロボット、マーヴィンの義足や<黄金の心>号の動力である無限不可能ドライヴの心臓部などで構成されているし、結局解放されたクリキット人たちは何のために戦いたいのかが解らない実は平和的な民族だったことが判明する。つまりこれは冷戦喧しい当時の一触即発の世界に対して、噂や情報で実体のない恐怖を煽る世相を皮肉ったアダムスの痛烈なジョークだったのではないだろうか。
とにかくようやく3作目に至ってアダムスのジョークのテイストが解ってきた。前2作に比べてはるかに愉しんで読める自分がいた。さてようやく準備が整った、のか?

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