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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

karakuchiさんのレビュー一覧

投稿者:karakuchi

10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本その名は101 1

2016/09/17 15:39

その名は101

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

CIAのコンピューター登録番号101、国籍は日本、本名は山野浩一、別名バビル2世、年齢16歳。
そう、これはディープなファンにはたまらない、あの不朽の名作「バビル2世」の後日譚である。しかも単なる外伝ではない。新たな構想で作られた、前作に劣らない逸品だ。

今回の相手は世界征服をたくらむ悪の秘密組織ではない。アメリカ中央情報局CIAである。しかし戦う相手はまたもや超能力者、バビル2世の血液を輸血されて生み出された分身達である。

さて、前作での作品の焦点は、もっぱら、ヨミとの対決であった。ヨミが生み出す超科学兵器や人造人間、宇宙ビールス、そしてなにより、強大なヨミの超能力、そういった空想科学的ストーリーにワクワクしつつ読み進めたものである。
これに対し、今作はCIAという現実に存在する組織(いささか誇張はされていようが)が相手であり、そのストーリーは人間ドラマの色彩が強い。戦いに巻き込まれて死んでいく、つかの間の友人、恋人がより身近な存在として描かれ、それゆえ戦うバビル2世の懊悩がより近く感じられる、ある意味人間臭いドラマだとも言えよう。
また、今回は3つのしもべもバベルの塔も登場しない。前作での大きな魅力であり、バビル2世という作品の中心を担った、これらの要素を排除することは、相当に勇気のいったことであろう。しかし、それにもかかわらず、本作品の面白さが前作よりもいささかも減じていないのは、新たな構想の基に書かれた人間ドラマの秀逸さ所以であろう。

前作のファンとしては、久しぶりに見る「エネルギー衝撃波」にワクワクし、ついつい超能力による戦いに目が行きがちである。しかし、今作の魅力を演出する隠れた要素の一つとして、CIA等の諜報機関が網の目のように張り巡らす陰謀を挙げておきたい。
インディアン保護区で熊を倒すと、その直後に早速CIAがヘリで終結する。ニューヨークの街中で暴漢から救い、やがて恋に落ちてしまった少女は、実はS国(旧ソ連の暗喩?)諜報機関のハニートラップだった。空港ではいつの間にか麻薬の運び屋に仕立てられる。誘い出されたメソポリスでは、空港カウンター職員は抱き込まれ、警察が動員される街中の騒ぎはおとり、空港の整備士は諜報員であり、たどり着いた先には大量のトラップと万全の迎撃態勢。テレパシーで何でも読み取ってしまうバビル2世が、なぜこんなに簡単に引っかかってしまうのかなどと無粋なコトを言ってはいけない。こういった周到な罠にも関わらず、これら全てをブッチ切り、さらにその先に待ち受ける「自分と同じ能力を持った超能力者」を葬っていく。このドラマこそが今回の魅力であり、「バビル2世の超能力」の物凄さを改めて実感させる仕掛けなのだから。
ともすれば、バビル2世は全てに気付きながら、あえて罠に嵌っていたのかもしれない。メソポリスでは、目的に最短距離でたどり着くために。銀鈴のハニートラップに引っかかったのも、彼女の心の深層にあった愛や優しさ、良心がバビル2世には見えていたのかも知れない。
そして、今回見逃してはいけないことは、バビル2世が戦う目的は、自分の血から生み出された怪物を始末する事だという点である。野心のために知略を巡らし怪物を産み出すCIAは、ヨミの組織にも負けない悪の組織として描かれるが、同時にこれは人間が生み出し、人間社会によって許容され、維持されている組織でもあるのだ。つまり、バビル2世は、「人間の闇」と戦い、その過ちの尻拭いをしてくれているのである。
人間のために人間と戦う。このジレンマが、2巻以降にどのようなドラマとして昇華されていくのか、楽しみである。

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ヒックとドラゴン

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もう。何年前だろう?
夏休みの読書感想文の指定図書になっていたのを子供に買い与えたのは。
暇な時に、何気なくパラパラと読んでいたら・・・
はまってしまった。

数年前に、ディズニーがいかにもアメリカ的な映画にしてしまったが、あんなものに惑わされてはいけない。是非、原作本を読んでみて欲しい。
この物語は、動物の代わりに様々なドラゴンが生きている世界の話だ。今どきのアニメファンが大好きなリアリティなどかけらもない。
もちろん、美男美女は、ただの一人も登場しない。憎たらしい子供たちと不細工なおっさん、逞しいおばはんばかりである。
舞台は北海にうかぶヤバン諸島。美しさとか素晴らしさとはおおよそ無縁の島々ばかりである。
主人公のヒックはやせたヒョロヒョロのいじめられっ子で、親友は出し殻のような少年だ。
そして、登場人物は全員、口が悪い。身もふたもない罵詈雑言が飛び交う。
おおよそ、読者を魅了するような設定は皆無だ。なんでこんな物語が面白いのか?純粋にストーリーが面白いからとしか言いようがない。

先述の悲惨な舞台設定にあって、物語は毎巻、毎巻、目も当てられないような大ピンチから始まる。そして、ストーリーが進むにつれ、主人公の自虐的な皮肉を伴いながら事態は絶望的に悪化していく。
しかし、最後はヒックの知恵と機転、そして勇気が呼び寄せる信じられないような幸運が全てをひっくり返し、大団円で終わるのである。
また、巻が進むにつれ、様々な驚きの伏線が明らかになっていく。この辺の作者の手腕は見事。そして、ヒックがとんでもないヒーローへと成長してく様は、不思議な説得力と現実感がある。読者は、この何の変哲もない、身近で親しみやすい少年に心を寄り添わせながら、自らもまたヒーローに成長しているような不思議な錯覚に捕らわれるだろう。

日本全国の、力と勇気が欲しいいじめられっ子の皆さんには、ぜひ読んで欲しい。そして、この不況の時代にあって、出口の見えない閉塞感に苦しむ社会人の皆さんにも是非読んで欲しい。そういう作品である。

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紙の本えんそくバス

2016/10/27 20:35

えんそくバス

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いまだかつて、子供を膝の上に載せた読み聞かせにこれほどピッタリな絵本が存在しただろうか!?

内容はいたってシンプル。
幼稚園のみんなで遠足に行く。それだけの話である。
園長先生の大ボケはなかなかのものだが、そんなことはどうでもいい。
あえてネタをばらしてしまおう。

この絵本の読み聞かせにおける最高のピークは、バス走行中の3ページに集約される。
「みぎに曲がりまーす」「ひだりに曲がりまーす」「おっとデコボコみちでーす」
ここで膝の上に子供を載せたまま、体を右に倒し、左に倒し、膝を交互にデコボコと持ち上げる。
これで子供はもう、興奮の絶頂に達する。

一体、何度これをやってくれとせがまれたことか・・・。
あの頃は毎日必至で、適当に誤魔化して逃げたことも幾度となくあった。
しかし、今なら言える。
子供は5歳までに思い切り可愛がっておきましょう。
「あの時もっと可愛がっておけば・・・。」と、誰もが後悔するんですから。

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でんしゃでいこうでんしゃでかえろう

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幼い子供はなぜ電車が好きなのだろう?
散歩の途中、手をつないで線路わきで電車を見ていると、いつまでも飽きることなく眺めている。
色とりどりのカラフルな模様の電車が、圧倒的な存在感を持って目の前を通過していく。
「あれは○○電車なんだよ」という、親の語りかけがさらに興味をそそるのだろうか?いつまでも口を開けて通過する電車を見送っている。
しかも、その電車に乗って家族でお出かけとなると、もう、興奮して大変である。

しかし、そう毎日毎日、電車見物にも行けない。しょっちゅう電車でお出かけという訳にも行かない。
そういう親御さんにはピッタリの絵本である。

まずは膝の上に座らせてあげよう。
1ページずつ、ゆっくり読み進めていく。
どのページにも、ちょっとした仕掛けがある。
トンネルなどの分かりやすい仕掛けだけではない。
乗客の仕草の一つ一つ、風景の一つ一つに工夫が凝らされている。
ネタはばらさないでおこう。

慌ててページをめくる必要はない。子供が興味を持った所は、満足するまで付き合ってあげる。ゆっくりした時間の流れが、親にとっても癒しのひと時となる。
しかも、この絵本は「やまの駅」から読んでも、逆に「うみの駅」から読んでもいいのだ。どちらから読み進めても話がつながるようにできてる。
やまの駅から出発し、うみの駅にたどり着いたら、今度は逆に戻ってこよう。
子供は飽きることなく、何度も何度も往復を楽しもうとする。それは、あなたの膝の上が、安心できる気持ちいい場所であるからにほかならない。
こうして、幼児期の子育ては夜更けまで続く・・・。
若い親御さん、本当にお疲れ様です(笑)。

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紙の本バビル2世ザ・リターナー 1

2016/09/24 09:17

バビル2世ザ・リターナー(1)

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なんなんだ、このリアリティは!
しかし、テンポがいい。すぐに引き込まれてしまった。
バビル2世の世界を現代風にリアルに再現すれば、このようになるのだろうという不思議な説得力がある。

随分と勇気のいったことだろう。
原作と全く作風の異なる続編というのは、往年の熱心なファンから総スカンを喰う可能性がある。しかし、原作の作風そのままの続編というのも、横山光輝氏本人でもない限り、陳腐な二番煎じになってしまう。

この作品が私のような原作のファンにも違和感なく受け入れられるのは、作者自身のバビル2世愛によるところが大きいのだろう。原作を愛し、何度も読み込み、自身の創作活動の血肉にしている事が、端々に窺える。
例えば、懐かしい登場人物たち、3つのしもべ、エネルギー衝撃波。
原作の設定を損なうことなく、現代的な新たな設定を加えて再解釈することに成功しているのは、そういう事に違いない。

さて、ストーリーのネタバレ解説は止めておく事とし、この第1巻では、伊賀野に注目したい。
伊賀野は、かつて血気盛んで優秀な若手諜報員として、バビル2世と共に戦った男である(というよりは、足手まといになる事の方が多かったかもしれない・・・)。
それが、本作では、60歳代くらいのハードボイルドなおっさんとして登場する。リアルに一変したその表情には、40年もの歳月が深い皺を刻みつつ、どこか若き日の面影が残っているように感じられるのは、なぜだろう。また、その無鉄砲な行動も若き日を彷彿とさせつつ、しかし40年の人生経験が与えた落ち着きと知性が加わっている。
しかも官房長官!かつて原作で登場した、上司である「長官」と同じ地位に登りつめたのだろうか。
こういう細かい配慮が往年のファンにとっては喜ばしく、作者のバビル2世愛を感じとってしまう部分でもある。かつては「バビル2世、またどこかで会いたいぜ」と呼び捨てでつぶやいていた男が、今は「浩一君」と呼ぶ。こういうギャップすら、40年の歳月がもたらした成長だと了解できるのである。

ガード下でバビル2世に襲い掛かる101部隊に対し、国務長官クリス・サンダーに銃口を向けて「あいつらを止めろ!今すぐにだ!」と叫ぶ伊賀野。クリスは「なに慌ててるの?バカみたい。101が死ぬわけないでしょ。こんなことぐらいで。」と冷たく言い放つ。
いや、違うのだ、クリス・サンダー。
かつてF市の死闘において、サントスの大群から命からがら逃げだす自衛隊を尻目に、ただ一人、「自分はバビル2世を応援するために、ここに残りたい」と申し出、戦いの後、傷つき疲れたバビル2世を背負って進んだ男、それこそが伊賀野である。
クリスの一言がなければ、伊賀野は101部隊に瞬殺されるのも構わずに、躊躇わず引き金を引いていたであろう。
かつて幼い日にTVにかじりつき、バビル2世の活躍に胸躍らせて応援した、我々おっさん世代の代表として、彼は今ここに登場したのである。

頑張れ伊賀野!

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紙の本その名は101 3

2016/09/17 15:38

その名は101(3)

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その名は101、いよいよ最終巻である。そのストーリーには、作者の厭世観が読み取れるように感じられる。

まずは超能力者ランバートとの戦い。彼は、CIAを抜け出して武器商人と手を組み、テロリストに売りさばくための原爆の強奪に手を染める。
見に余る能力を授かった人間にとっては、もはや正義やモラルは何の意味もないのだろうか?ランバートの価値判断は、わが身を守り、我欲を満たす事のみが基準になってしまっている。しょせん人間にとっては、正義やモラルなどは、法律、常識などによってのみ担保されるお仕着せの価値観にすぎず、これらを超える能力を身に着けた時、あたかも神になったかの如く自分中心の価値観に染まってしてしまうものなのか。

続く話は、バビル2世の世界へ再び回帰するかのようだ。
最後の超能力者レナードは、もはや101と戦う意思がない。変わって戦うのは、様々な罠が仕掛けられた古い研究所のコンピューターである。作戦を指揮する「話すコンピューター」、通路に仕掛けられた可動式のレーザー光線、通路をふさぐ壁と毒ガス。察しの良い読者はお気づきだろうが、これはバベルの塔のカリカチュアである。しかし人間が作った偽バベルの塔などは101に通用しない。しょせん、人間の作るものなどこの程度のものというところか。

ついで、とうとう3つのしもべが救出される。バビル2世は催眠術を操って、いとも簡単にしもべを救い出す。これまでの戦いでは全く出てこなかったこの能力であるが、前作ではこれが当たり前だった。101は実はヨミとの戦いから長い時間を経て能力が低下しており、CIAとの戦いの中で、次第にかつての能力を取り戻して行ったのかも知れない。
101が本来の能力を取り戻した今、もはや人間がかなう相手ではないということか。しもべとともに去っていく101をみて司令官がつぶやいたセリフ、「これであの少年は再び無敵の少年となった。」は象徴的である。

そして最終話、再びよみがえったヨミと対峙する101に、ヨミはこう言い放つ。「世の中には野望を持つ者は多い。その者たちはわしの力を必要とする。」
つまり、これこそが人間の本質なのか。第2巻以降に次第に明らかになったが、しょせん人間は「正義の存在」にはなれない。正義を強制実行できる強大な力を手にしたとき、人間は容易に悪に走る。言い換えると、正義を強制できる力など、人間にとっては身に余る力であり、コントロールできない人間はその力に溺れ、我を見失ってしまうのだ。そして、ヨミこそが正にその象徴であると言えるのではないか。

では101はどうなのか?
彼こそはその力をコントロールし、悲しみやむなしさを噛みしめながら、正義を強制実行できる超人、人間を超えた存在なのだ。
そしてその超人101は、ヨミを始末し、いずこともへとなく消えてしまった。結局、人間は彼に見放されたという事なのだろうか。素晴らしい超能力から、悲しみや憎しみしか生み出せなかった人間。その事を思い知った101は、人間のために、自ら人間との接触を断ったということか。
物足りない終わり方と感じるのは、101に、もう一度戻って来て我々人間に「正義の夢」を最後まで見せてほしいと願う想いゆえか。しかし、我々はもう、正義の超能力少年に見捨てられたのだ。

なお、蛇足であるが、巻末の解説は、明らかに作品をキチンと読んでいない作家(ヨミを生き返らせたのはCIAの陰謀であると勘違いしている!)による底の浅いやっつけ仕事である。いかに有名な作家の文章であろうと、このような解説を掲載することは、ファンに対する裏切り行為であろう。秋田書店の担当者には猛省されたい。

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バビル2世

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70年代を席巻した昭和の名作アニメ、バビル2世の原作本。
バべルの塔に住んでいる、3つのしもべを従えた超能力少年、それがバビル2世である。世界征服を企む悪のカリスマ、ヨミとの死闘を繰り広げる壮大なSFドラマであり、今も斬新な設定の数々は、読者を魅了して止まないだろう。

発表された当時は高度経済成長時代。日本人の多くが科学技術の進歩に心奪われ、夢の未来を目指して奮闘していた頃。その時代になぜに超能力だったのか?
当時は急速な科学の進歩が手放しで称賛された時代だったが、同時に、急速な社会の変化に人々が不安を抱き始めた時代でもあった。公害と自然破壊、核家族化と人間関係の希薄化、政治の腐敗と官僚の不正、そして終末論と宗教的な救いへの渇望。今も時代のキーワードとなっているこれらの社会現象は、すでに当時から時代を支配していたイデオロギーに対するアンチテーゼとして存在した。
当時の科学を遥かに超越したスーパーコンピューターに守られたバベルの塔、超科学が生み出した圧倒的破壊力を持つ3つのしもべ、そしてバビル2世の強大な超能力、こういったものが、人々の不安な深層から共感を得たのかもしれない。
また、平和憲法に基づき不戦の道を歩んでいた日本は、諸外国のように仮想敵国を設定して内政への不満を逸らす手段を持たなかった。悪のカリスマ的支配者ヨミは、いわば人々の不安・不満をエンターテイメントとして昇華させる空想世界の「仮想敵国」として受け入れられたのかもしれない。

さて、堅苦しい話はさておき、この作品でまず注目したいのは、そのストーリー展開のテンポの早さである。
現代のマンガ業界では、100巻を超えるようなストーリー漫画が当たり前になりつつある。緻密で芸術的ですらある場面描写の積み上げにより精緻な世界観が構築されていく。そのリアリテイが多くのファンの共感を呼び、熱心なマニアを獲得する要素ともなっている。しかしその一方、「話がいつまでたっても進まない」「一体この戦いだけで何年かかってるんだよ」という呆れた声が、ファンの間ですら自虐的に囁かれもする。現代は、漫画家も読者も、緻密な世界観を共有するために、どこか苦行を強いられている感がある。この構造は宗教とどこか似ていると言うのは言い過ぎだろうか。

それに対して本作はどうか。
壮大なスケールと世界観を持ったドラマが、文庫本でわずか8巻(コミック版なら12巻)で表現されている。テンポよく進むストーリー展開は、疲れることなく、飽きさせることなく、そして手抜き一つない構成で読者を楽しませてくれる。次々に展開するストーリーにワクワクし、読後には壮大なドラマを味わい尽くした満足感が残る。なんという贅沢な読書体験であるか!これこそエンターテイメントであろう。

当時は、このような壮大なドラマをテンポよく楽しませてくれる漫画家がいた。火の鳥に代表される手塚治虫、サイボーグ009に代表される石ノ森章太郎、そして本作の横山光輝。
これらの作品こそが日本のマンガの基本であり、クールジャパンのベースである。平成生まれの若者にこそ、ぜひ手に取って読んでもらいたい。きっと、夢の中で追いかけてくる怪物を「エネルギー衝撃波」で倒せるようになるはずである。

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紙の本その名は101 2

2016/09/15 22:24

その名は101(2)

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名作バビル2世の続編、その名は101の2巻目である。
CIAの超能力者との戦いがますます熾烈を極める本巻では、この物語の中で特に印象的な3人の超能力者が登場する。

一人目のドミノは、コンプレックスの強い男である。本来、冷静沈着であるべき諜報員でありながら、自らの能力に溺れて悪の限りを尽くし、ついにはCIAにも見放される。最後は幼稚な感情を爆発させながら101に立ち向かい、無様に倒される。
しかし、我々には彼を「無様」と嘲笑う資格があるのだろうか?
現代の競争社会においては、「資質向上」「挑戦」などという耳ざわりの良いキャッチフレーズを掲げ、常に少し「背伸び」することが求められる。我々もまた、常にコンプレックスに苛まれながら、ともすれば、「天から降ってきた身に余る能力」に溺れてしまう可能性を持った存在なのではないか?ここで描かれるドミノの姿は我々自身のカリカチュアであり、それを「無様」と感じるのは、鏡に映った自分自身に対する近親憎悪なのかもしれない。

二人目のスペンサーは、バビル2世の分身ではない。生まれついての能力者である。そして、先のドミノと同様にコンプレックスが強い。
101に倒されたスペンサーは死の間際にこうつぶやく。「俺が人より優れているというのはこの力だけ。」
それに対して101はこう言う。「こんな力はな、昔なら(中略)尊敬を集めたろうが、文明の世の中ではかえって迷惑がられるとか、悪用されるだけなんだよ。」
冷たいセリフのようで、その奥にはスペンサーの想いに対する101の共感が感じられる。彼もまた、疎外されたアウトサイダーなのだろうか。

3人目のジェームスは、家族を愛し、家族のために超能力者になった男である。家族の幸せを守るために、危険も顧みずに与えられた使命を真面目に果たそうとする。不安がる妻と小さな子供たちに笑って手を振り出かけるその姿は、職業の特殊さを差し引いても、現代のサラリーマンそのものと言える。
最後は家族を思い浮かべながら息を引き取っていくその姿は、哀れである。しかし、恐らくそれを分かっていながらジェームスを倒さざるを得なかった101の心境やいかに。
これは何のための戦いなのか?しかし101には迷いがない。彼もまた、ジェームスと同じく、「与えられた使命」に縛られ、不本意な戦いを強いられてきたという事なのだろうか。

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紙の本バビル2世ザ・リターナー 2

2016/09/25 02:22

バビル2世ザ・リタ-ナー(2)

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前巻の宣戦布告を受けて、戦いが本格化し始める。
展開が早いのはいいが、絵柄が荒い。時折何を描いているのか分からなくなるのが少々不満ではある。
しかしそれを差し引いても面白いと感じるのは、懐かしいキャラを、惜しげもなくふんだんに登場させているからか。

とうとう全容を現した3つのしもべは、原作とはまるで異なる異形の姿形であり、武器・能力もかなり大胆に再解釈されている。けた外れの強さは原作と比べても遜色ないが、本巻ではあまり活躍できていない。
絵柄が荒いため、全身像が分かりにくく、能力も十分に提示されない。新たな解釈のキャラ設定が十分に飲み込めず、ただ吠えるだけの異形の存在という印象しか受け取れないところが、原作ファンには不満が残るところだ。まあ、全貌が明らかになるのはこれからのお楽しみという事だろう。

本巻の最大のお楽しみは、やはりヨミの登場だろう。
原作のヨミは、古典的な老年期の独裁者であり、己の悪行に苦しむ人を見てニヤリとしたり、バビル2世に邪魔されて地団太踏んだり、老人らしからぬ幼稚な仕草が随所に見られる、分かりやすい悪党だった。
これに対し、本作のヨミは知的で紳士的なカリスマだ。原作の面影が残るのはすらりとした長身の体形のみ。年齢は若干若く、壮年期というところ。皺一つないハンサムガイである。その能力も素晴らしく、コンピューター・情報ネットワークから他人の心の中までスキャンできる、超絶的なテレパシーを操る。
やはり新作のヨミはこうでなくてはいけない。
新たな敵を迎えた時に再登場するライバルというものは、主人公を引き立てる愚か者ではなく、主人公と肩を並べる品性を持たねばならない。

原作におけるバビル2世とヨミの関係は、いわゆる善v.s.悪の分かりやすい関係だった。しかし、本作ではヨミは最初から敵ではないため、バビル2世との関係性も大きく変化しているようだ。
物理的攻撃中心でアクティブなバビル2世に対し、知的操作に長け、静かに動くヨミ。この二人が力を合わせた時、どれほどの力が発揮されるのか?また、バベルの塔がヨミを受容した時、何が起こるのか?
おそらく、原作のファンなら誰もが一度は疑問に思い、しかし話の設定上、永遠に知ることはできないと諦めていたこういった疑問が、新たな設定で蘇った本作において明らかになるかも知れない。
やはりこの作者はバビル2世を熟知し、味わい尽くした熱烈なファンに違いない。

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「空間の謎・時間の謎」の書評

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ニュートンとライプニッツの論争に始まる冒頭部は刺激的だったが、途中から理論物理学のへたくそな解説にすり替わってしまったのが残念。
難解かつ中途半端な解説ばかりで、予備知識がない一般読者には何を言っているのか理解できないだろう。
各節ごとに、紹介した理論の哲学的意義を解説しているが、その内容はライプニッツ哲学との類似性を語って、「ライプニッツおそるべし」と称賛しているのみで、哲学的考察と言えるようなものではない。
「時間・空間について考える際に、理論物理学を考慮しない哲学的直観に基づく考察のみでは危うい」と主張するのであれば、著者自身が現代物理学を踏まえた時間・空間の「哲学」をしっかりと提示してほしかった。
ニュートン以降の現代物理学の発展を概観するには良いかもしれないが、内容的には「他人の褌で相撲を取った」ような作品と言わざるを得ない。

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