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先月(2017年1月)

miyajimaさんのレビュー一覧

投稿者:miyajima

21 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本大俳優丹波哲郎

2017/01/27 10:40

映画人としての丹波哲郎を知るには必携

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丹波哲郎と言えば私の世代で言うとテレビ俳優。「キーハンター」「Gメン'75」を見て育ったと言っても過言ではないかと。ただし、私の中の丹波哲郎はそれだけで終わってはいません。映画版「日本沈没」の首相役、同じく映画版「砂の器」の刑事役の印象が強烈です。

日本沈没の一場面。日本が海底に沈むことが明らかになった際に学者が出してきた日本民族の選択肢の中に「何もしない方がいい」というものがありました。その話を聞いた時に丹波が流す涙。余計な台詞は何一つないけれどもそこに百万語に匹敵する思いが込められていました。のちにビデオを買った際にテープが擦り切れるまで見たものです。これは間違いなく(私の)映画史に残る名演です。

同じく「砂の器」。ここでは殺人事件の犯人を追い詰める警部補の役なのですが、捜査会議の席上、容疑者の生い立ちを述べるシーン。その生い立ちのあまりの苛烈さに語りながら言葉を詰まらせるのですが、ここも間違いなく素晴らしい。

そんな丹波哲郎ファンとしてはこんな本の存在を知ったら買わないわけにいかないということで購入。

対話形式の本でインタビュアーは本書を企画した映画監督ダーティ工藤という人。
丹波哲郎がかかわった映画のお話に加えて、俳優・監督・映画会社関係者などのお話になります。ただし、決して交遊録のような体裁ではなく、すべて映画人としての視線で語られています。映画や映画界についてそれぞれがどのようなスタンスで臨んでいたのか、自身の演技論をふくめて語られる実にまじめなもの。と言いつつ、みんな昭和の映画人たちですから破天荒な話ばかりで、それはそれで決して飽きさせません。

本書がいかに真面目かを示すいい例が丹波哲郎のフィルモグラフィーがついている点。映画テレビはおろかCMまでカバーしており、二段組で150p近くあるという圧巻。あとは出演作品のスチルが満載でこれまた素晴らしい。ただしそのおかげで総量450pもあることと紙がコート紙ということで重たいのなんの。寝っ転がりながら読むのに苦労しました。

あと一点残念なこととしたら、私自身は映画人としての丹波よりもテレビ俳優としての丹波哲郎をもっと知りたかったのですが本書にはテレビ時代のことはほとんど記述が無いのですね。彼にとってはテレビというのは付け足しにすぎないということなのかなあと。

とまあそれだけで十分に価値のある本ですが、あと一つ収穫が。

本書の企画者でありインタビュアーであるダーティ工藤という人。この人は映画監督だそうですが本書を読むまで全く知りませんでした。で、そのインタビューが実に謙抑的で基本は1行、多くてもせいぜい3行という程度なんです。ですが、6年かけたというだけあってそのわずかな問いかけが大変に素晴らしいんです。「東映で名コンビだった石井輝男監督とは新東宝時代には組まなかったのはなぜ?」「“キーハンター”は当時としては珍しい集団アクションもの。第1話と2話は深作欣二が監督をしているが彼の意気込みはどうだったのだろうか」などなど。

もともと引き出しがたくさんある丹波なので、こういう問いかけがあれば実にたくさんの答えが返ってきます。ダーティ工藤はその引き出しを開けるのが本当に上手です。
途中まではあまり意識しないで読んでいたのですが、途中から「あれ、このインタビュアー知識がすごいな」となり、さらに「お、この人すごいファシリテーターだなあ!」となりました。

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アレルギーに対する旧来の常識がすべてひっくり返される

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私の場合、子どもが生まれるにあたって膨大な量の育児書を読みました。その時に書いてあったのが本書にあるように「アレルギー食品への接触はなるべく遅くしなければならない」というものでした。ですがこれが全く根拠なく定められたといことと、それどころかアレルギー発症を抑えるためには逆になるべく早いうちから接触すべきということに死ぬほど驚きました。

もう一点が「衛生仮説」。昔に比べて細菌に触れなくなり、体内に取り込む機会は格段に減った。だから子どもの免疫システムが弱くなりアレルギーが増えた、というもの。この説は1990年ごろから大きく注目され始めたそうです。この説も私は従ってました。ある医師は「赤ちゃんがそこらをなめるのはむしろ良いこと」とか言ってました。

ですが、この説は実態がはっきりしないということで下火になっていたのですね。まずはここを知らなかったのです。ところがTレグの発見で再び脚光を集めているとか。知らないうちにいなくなって知らないうちに戻っていたということですが、「理由はわからないけれどそうらしい」といことと「そのメカニズムが判明している」ということでは雲泥の差だと書中述べられています。まあどちらの説も声高に述べられていたのにその根拠が明確ではなかったということに驚くわけですが。

ということで今まで信じ切っていた説がかくも見事にひっくり返されたということだけでも読んだ価値があるのですが、とにもかくにも不治の病とされたアレルギーが予防可能であること、もしアレルギーになってしまっても治る可能性が開けたということでさらにビックリ。久しぶりに興奮しながら読んだ本です。

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劇団を志望する人だけでなく社会調査をやる人にとっても大いに参考になるんじゃないかと

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サブタイトルにある「アーバニズムの下位文化理論」というのは1920年代から30年代にかけの初期シカゴ学派の都市社会学の中の都市エスノグラフィーを現代の都市文化を解釈するために「復刻」したことを著しています(言い出しっぺはクロード・フィッシャー)。でおかしいのは、「下位文化」とは何かという問いに対して当のフィッシャー自身がちゃんと答えられていない点でしょうか。

要するに「地縁血縁以外の縁(趣味や仕事など)に基づくパーソナルネットワークとそれを媒介する制度(サークル・職場・店などなど)」ということで、都市であるほど下位文化の多様性が増大する、ということ。

フィッシャーによればミュージック店と劇場の数の平均は都市化が進むほど劇場の比率が高まっていくというもの。要するに劇場は都市部で顕著な下位文化の機関だということになります。

本書はその下位文化の担い手である都市の舞台俳優を対象としたエスノグラフィーです。

2つの劇団の劇団員を10年にわたって(途中から1つに絞り込まれますが)追跡した調査です。10年にわたっての人間関係(特に軋轢)や生活状況の時系列的な変化についての記述分析となります。

チケットノルマをどうやってさばいているのかということからはじまり、劇団員の生活手段、恋愛・結婚などが語られます。そして彼らのほとんどは30歳を超えられず、数少ないベテランも30代後半で現役を引退していきます。

本書の白眉は、特に「都市伝説」などといわれた「三十歳の壁」が事実である点を10年にわたっての調査によって明らかにした点でしょうか。

これ、劇団を志望する人はまず読んでみるべき本ではないでしょうか。
単に再考を促すというだけにとどまりません。経験してから初めて知った、ということよりも先行してイメージトレーニングというか心構えを作っておくことは大事なのではないかと思うのです。

社会調査をやる人に対しても、「社会を語るならこれくらいやるべき」ということを示す点でも良書かと。

(実際著者は劇団の公演・打ち上げなどに足しげく通い、自腹で年間数十万を支出しているんですね。調査の後半では極力出費を抑えるようにしてはいたようですが)

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紙の本鱈 世界を変えた魚の歴史

2016/12/31 20:09

鱈という稀有の魚を通じて世界史を読み直す

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鱈という魚は脂肪分を殆ど含まず、かつたんぱく質をたくさん含む魚なのです。干すと非常に長期間にわたって保存が利き、しかも栄養分が非常に高いという優れもの。
スペインの謎の民族バスク人はこの鱈を干物にしていたおかげで生き延びることができた、とも言います。また、バイキングなどが進出していった地域も、大西洋の鱈の漁場とかぶる、といいます。

大西洋の豊富な鱈のおかげでヨーロッパの港は大いに賑わい、発展します。さらには栄養豊富なところに目をつけられて奴隷用の食料としてヒットするし、輸出も盛んになります。(鱈と砂糖などの三角貿易が始まるのです)

ピルグリムファーザーズは鱈の漁場近くに移民をし、鱈漁で大儲けをします。町は大々的に発展し、それがボストンになるのです。(ただし独立戦争後の産業革命によって工業が栄え、漁業はあっさり衰退するのですが)

また、バイキングの末裔の国アイスランドが、寒くて何も無い貧しい国から脱却できたのは、沿岸に巨大な鱈の漁場があり、鱈漁によって二次大戦中に潤ったためです。そのおかげで5世紀にわたったデンマークからの独立も果たします。

しかも、アイスランドは第二次大戦後に漁業区域についてイギリスと激しく争い、殆ど「戦争」といえるような状況に突入するのです。それはアイスランドが漁業区域を拡大するたびに起こるのです。

で、都合三回の「鱈戦争」にアイスランドはすべて勝利。自己の権益をしっかりと守り抜きます。(沿岸警備艇にワイヤーカッターを曳かせ、イギリスの漁船の網を切って回ったりするのです)

あんなちっぽけな国にそんなガッツがあるとは知りませんでした。これもひとえに鱈の権益を守るためです。そりゃ「これだけしか国の存立基盤が無いんだ」となれば必死ですよね。

で、あれだけ海に満ちていた鱈も、乱獲が進み、結局アイスランドも一部を除いて鱈の禁猟を決断するのですが、、、、

要するに、本書は、鱈という稀有の魚を通じて世界史を読み直すということを試みた本で、それなりに上手くいって、面白く仕上がっています。特に鱈は洋の東西を問わず、また極めて古くから食用にされていた魚で、相当普遍性がある魚であることも、それを可能にした理由でしょう。

著者は一流の雑誌や新聞に数多く寄稿をしてますが、学生時代には学資稼ぎのために漁船に乗り込み、またシェフをしていたこともあるのだそうです。巻末には実にたくさんの鱈料理のレシピが載っています。そのうち何か試してみようという気持ちにさせます。

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紙の本一億人の俳句入門 決定版

2016/12/31 20:05

切れ字だけでなく俳句そのものについて関心を持つようになりました

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まずはこの著者の「古池に蛙は飛びこんだか」(中公文庫刊)というタイトルを見て即座に購入。「む? 飛び込んでないの? そうなの?」ということで。

でもそもそも俳句についての知識が無いので「入門」と書かれた本書を合わせ購入。
いや、面白い。

内容としては俳句の定型・切れ・季語という三つの約束について書かれています。

まずは俳句の定型について。
俳句には「一物仕立て(いちぶつじたて)」と「取り合わせ」という2つの型があります。一物仕立てとはその名のとおり、一つの素材(一物)を詠んで仕立てた句。AはBであるという仕立て。

行く春を近江の人とおしみける

というのがそう。

取り合わせとは2つの素材を組み合わせたもの。

旅人と我が名よばれん初しぐれ

というのがそう。「旅立つ私を人は旅人と呼ぶだろう」という芭蕉の思いと、「初しぐれ」を取り合わせているわけです。

次いで「切れ」について。「切れ」の働きはそもそも何なのか?
切れの部分に何かが省略されていると考える人がいます。そんな人は俳句を「省略の文芸」などと呼んだりしています。あるいはまた強調だという人もいます。

どちらも間違い。
切れと切れ字の働きは強調でも省略でもなくて、その名のとおり句を切ることにあるんです。その効果は、「間」を生むことにあります。絵画で言えば余白、音楽で言えば沈黙。

もし切れの働きを省略と考えると、俳句の解釈や鑑賞は省略されたものを復元する作業になってしまいます。しかし、俳句の切れはそうではないんですね。言うべきことだけを切り出しているんです。言いたいけれど言わないことなど存在しないということです。そこで、登場するのが、

古池や蛙飛びこむ水のおと

です。
この句は古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと言っているのではないんです。蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべたという句なんです。この古池は現実世界にあるのではなく、蛙が水に飛びこむ音によって芭蕉の心の中に出現した幻なのです。この句を一物仕立てと解釈するとまったくつまらない句になってしまうわけなんですね。ここでこの句の説明臭さを払い去っているのが切れ字の「や」。これにより「古池に」の持つ理屈が切断され、大きな「間」が浮かび上がる、ということなのです。

ということで、俳句を解釈する際に理解しておくべき「切れ」と「定型」について詳細に説明がなされています。この二つの重要性を理解するのに芭蕉の「古池や~」の句が大変に参考になるということなんです。

この二つがわからないと、「古池に蛙が飛び込んだ時に音がした」という凡庸な句になってしまうわけなのです。

こんなこと学校で教えてくれませんでした。俳句と「切れ字」と言えば、『ぞ・や・かな・けり』→この字がついているところが俳句の「句切れ」で、この字がついている言葉が「作者の感動の中心という程度の知識しか教わりませんでした。これでは芭蕉の句は決して解釈できないですよねえ。

とか言っても2冊ばかり読んだくらいで上からモノを語るのも間違いだと理解しております。ということで著者の他の本も読んでみることにした次第。

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今も「全球15億熱愛的巨星」として評価される偉大な歌手の物語

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台湾出身のテレサ・テンほど国籍・階層・性別・世代を超えて愛された華人歌手はいない。一連のヒットソングはアジア各国でスタンダードとなって生き続けている。「北国の春」「グッドバイマイラブ」「知床旅情」のように彼女がカバーして海外に広まった日本の歌謡曲も何曲もある。

テレサ・テンは1974年の日本デビューの段階ですでにアジア各国の華人社会でスターの座を確保していたし、没後はさらに華人社会では巨星としての再評価が進んでいる。

1995年に亡くなってから20年(本書の出版は2015年)たってもなお人気が衰えない。どの国のチャイナタウンでも突出した売れ行きが続いている。リリースした曲は1000曲を超えている。アジア各国でミリオンセラーとなった曲は30を超えた。

一方で、テレサ・テンといえば大多数の日本人にとってみればすでに懐メロでしかなく、しかも40代未満の人にしたら名前すら知らないということなんじゃないかと。

だが、実際には没後20年以上を経過した今も「全球15億熱愛的巨星」として台湾・大陸を問わず世界の華人社会に圧倒的な存在感をもって生きている偉大な歌手だった。本書は何といっても存命中の本人にインタビューをしているし、親族を含めた関係者に精力的にインタビューをしているという点で類書中で一番素晴らしいものであった。

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シュミットを読む前の予習本としては良いのでは?

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ワイマール共和国と言えばワイマール憲法とワンセット。

だとするとワイマール憲法を理論面で葬り去った法学者として名高いカール・シュミットを読まないわけにいかないなと。ただし、シュミットの本は難解すぎて瞬殺されてしまったので、数少ない概説書を読んでみました。

実にわかりやすくまとめてあったので、この前提を理解していれば少しくらい難しくてもシュミット本は読めるような気がしてきております。

で、シュミット。
今でもシュミット本人の本は禁書にもならず焚書もされずたくさん出版されています。「政治の本質」や「政治の実態」を鋭く分析しているからだとのこと。いやまあそれでも1970年に初めて著者がシュミットの論文を発表したところ大いに批判されたそうですが。ですが、それをきっかけに研究が進んだと言います。
シュミットの説を乱暴を承知でものすごく簡単にまとめると、、、

議会制度が全く機能しなくなり共和国の危機がやってきた

共和国を救うためには独裁によって政治を進める必要がある

その任にふさわしいのは国民の直接選挙で選ばれた大統領だ

第一次大戦終結直前から第二次大戦に至るまでのドイツの混乱ぶりについては、二つ前のエントリをご覧いただきたいのですが、確かにドイツはぐちゃぐちゃでした。不安定という状態を通り越してクーデターや暴動が頻発していてハイパーインフレが起きて、フランス軍が工業地帯を差し押さえたり、などという具合。議会は極左と極右が伸長して多数派が形成できず組閣ができない状況でした。

そのような状況下では誰かが独裁的に国の進路を決めないとどうしようもない、となるのはまあ当然と言えば当然の流れ。

でもそれを正当化したシュミットはどう評価されたのか? 

当然ワイマール憲法を葬りヒトラーに道を空けた犯人という評価が一般的だろうと思いますよね。でも逆に「共和国と憲法を救おうとして失敗した人」という微妙に肯定的な評価もそれなりにあるんです。

まあ、シュミット自身はナチスからは結局迫害されたんです。というのもナチスは民族的な視点を重視していたのですがシュミット自身はあくまで自身の理論は共和国の危機を救うためであって、民族がどうという論点は関係ないと思っていたので。

ともあれ、何でプラスの評価が? 

シュミットは独裁はあくまでも議会政治が機能しない例外状態の解消のためであり一時的なものを想定していました。つまり共和国を救うために独裁を正当化したのであってナチスのように恒常化を認めていたわけではない、ということなんです。

著者自身もシュミットについては批判をしつつ、「歴史発展の方向性に逆行していたとしても、分析ツールとしては切れ味の鋭い優れた理論を提起していた」「政治の世界における例外状態の重要性を把握し強調したことによって現代政治理論の発展に大きく貢献した」とも述べています。(本書のサブタイトルは「魔性の政治学」とあります)

このあたり、本書だけでは理解が及ばず。
だとするともうちょっとカール・シュミットについては勉強してみようと思った次第。

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「生態系は完成された隙の無いもの」というイデオロギーに一石を投じる

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侵入生物学という学問分野があります。
生態系は一つの場所でともに進化してきた動植物の緊密な連合体だという考えをもとにしています。生態系は順調に動いている機械のようなもので、在来種だけで完成された状態にあるから侵入者が入り込む余地はない、と説きます。

さかのぼれば19世紀の植物学者フレデリック・クレメンツは、植物は群落をつくることで平衡に達すると考えました。これは今で言う生態系です。世界の気候帯はそれぞれに恒久的な植物群落が出来上がっていて、それを「極相」と名付けました。平衡状態が崩れると「遷移」を通じてかつての安定した状態を取り戻そうとするというものです。

20世紀に入るとクレメンツの考えは生態系の概念へと発展します。部分の総和よりも全体が大きくなる植物共同体であり、多数の個体が集まって一つの個体のようなふるまいを見せる「スーパーオーガニズム」だと規定されます。さらにそれが進んで、熱帯雨林は単なる樹木の集合体ではなく、システムとして機能しているという発想や、さらには地球全体が生態系の集まりだとする「バイオスフィア」論も出てきます。ジェームズ・ラブロックはバイオスフィア自体が一つの生命体だととらえ「ガイア」と命名しました。

さて、侵入生物学はこの四半世紀で学問分野として確立しました。ですがその狭量な姿勢に批判の声も高まっています。中でも問題視されているのは「外来種は悪者」という前提から出発しその見立てにあうテーマしか取り上げない、しかも引用の誤り、局所から地球全体への無茶な飛躍などがこれでもかと出ている点です。著者は実際に影響力のある学者の論文を丹念に調べ、あいまいな点は著者自身はあるいは引用元の原典に当たってそれらの嘘や誇張を明らかにしているのです。さらには新たな、あるいは古くからあっても無視されてきた研究を丁寧に紹介してもいます。

外来種は在来種を押しやると批判されますが、実際には在来種の減少でできた隙間にうまくはまっただけ、という場合の方が圧倒的に多いのです。それどころか外来種が生物多様性を高めていたケースの方が多かったのです。

このような事例がこれでもかと挙げられています。つまり、「自然は壊れやすく一度変化した生態系は二度と戻らない」という信念を揺るがすものばかりです。著者が挙げる事例を見れば、自然が一定の状態を続けることはなく、ダイナミクスこそ重要だということが分かります。

生物の活動単位は「個体」単位であり、自らの遺伝子や生理機能にしがって生命活動を営んでいるだけであり、より高次の目的とかスーパーオーガニズムなるものに制約されることはない、排他的で独立した群落をつくるために関係を結ぶわけでなない、という考え方も出てきています。偶然の出会いの積み重ねが複雑な生命相を形成したのであって、生態系で起きているのは共進化よりもむしろこういった「エコロジカルフィッティング」だというものです。

ということで、「外来種は何が何でも排除せよ」という自然保護論に対して当の生態学から寄せられる異論を丁寧に紹介することで一石を投じる本です。巻末に岸由二先生が解説を寄せていますが、この「旧来の自然保護論」に対してきわめて厳しい口調で批判をしておられます。ご自身の体験を踏まえたその論説は、本書の主張を大いに補強するのではないでしょうか。私も岸先生が批判的な解説をしていたことから本書に俄然興味を持った次第です。そうでなければ手にしなかった可能性が大です。

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紙の本うなぎ一億年の謎を追う

2016/12/31 19:42

ウナギのふるさとを追い求める科学書であり、科学者ロマンの書

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うなぎ博士塚本先生の本。先行して読んだ「世界で一番詳しい ウナギの話」は大人向けで、本書は中学生向け。ですが、馬鹿にしたものでなく前者の内容をそれなりにわかりやすくかみ砕いてくれているので復習には最適。しかも科学のロマンみたいなものを子ども向けに訴求している熱さがいい感じでした。

ウナギの卵を採集するのは決して山師の仕事などではなく、立派なサイエンスだということ、いろいろな証拠を積み重ねて仮説を作り上げていくあたりはつまらない推理小説よりはるかに面白かった。ウナギの卵は産卵後わずか36時間で孵化します。卵採集のチャンスはこの36時間に限定されるわけです。それを立て続けに理論と仮説をもとに突き止めるんだから科学すげー、となるわけです。いい本読みました。

ウナギは知的ロマンを掻き立てるなあと改めて感動。何が改めてかと言えば、私が小学校4年生の時、当時の夏休みの課題図書で「長鼻くんといううなぎの話」というのがあったんです。課題図書と感想文が世界で一番嫌だった私は夏休みの最後まで読まずにいたのですが、いやいや読み始めたら面白いのなんの。うなぎの長鼻君がサルガッソで生まれてスペインかどこかの民家の水道に紛れ込んだりしながら最後にまたサルガッソにもどるという大冒険譚。読み終わるのが残念でなりませんでした。

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紙の本新・日本共産党101問

2016/12/31 15:29

マルクスレーニン主義から説き起こす日本共産党についての入門書

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著者が「治安問題研究会」という何ともおどろおどろしいところ。警察の内部向けというよりも警備公安関係者が一般向けに書いた体裁。なので実に丁寧に書かれています。

そもそも日本共産党がその理論的支柱としており、その実現を目指すマルクス・レーニン主義とはいったいどういう思想なのかということから始まります。そのマルクスレーニン主義を綱領に掲げる日本共産党とはいったいどんな政党なのかと続きます。

その上で、なぜ警備公安が日本共産党の動向を注視しているのかについても。
この本では、同党の関係者の論文や赤旗などの主張をベースに反論の根拠としている点が類書と大きく異なる点。(「党大会でこう言っているけれど、何とか委員長の論文ではこう言っているではないか」といった具合)

マルクスレーニン主義とは何ぞや、というところだけでもすごくわかりやすくまとめられていて実にためになります。

この本は、日本共産党について批判的な立場の方にとってみればご自身の立場の補強に大いに役立ちますし、逆に「共産党を敵視する国家権力けしからん」と思う方にはその国家権力が共産党をどう考えているのか根拠を理解するのに役立とうかと。反駁の対象というかハードルとしては優れた本なのではないでしょうか。

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紙の本翻訳できない世界のことば

2016/12/31 15:18

まさに「言葉とは文化である」ということを実感しました

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私が大学受験生だったころ。ということはもう30年以上前の話。当時通っていた予備校の現国講師が薦めていた鈴木孝夫の「ことばと文化」。入試に頻出するということだけでなく内容もおもしろいということだったので早速読んでみたらこれが面白いのなんの。

「ことば」というものはその言葉を話す人たちにとって文化が歴史的重畳的に折り重なったもの。現在話されているものはいわば氷山の一角のようなもので、海面下にはその数倍・数十倍の歴史・文化の背景がある、というあたりが一番印象に残っています。

その鈴木孝夫を再発見の巻、と言うほどのものでもないのですが、その当時ことを思い出させてくれる本でした。

ある言語ではたったの一語で語ることのできるのに、他の言語にしようとするとものすごく面倒くさかったり、共有がむずかしくなる言葉を集めた本です。しかも何が素敵かといえば、一語一語に可愛らしいイラストがついている点。この本を購入したジュンク堂では「芸術:イラスト」のコーナーにあるほど。

それぞれの言語がどうしてそのような意味を持つようになったのか、話者同士でその言語を共有することが有益だったり必然だったりする背景を考えながら読みました。通読するのであればほんの10分もあればいいのですが、そんなもったいないことはせずに、寝る前や入浴中に2~3語選んでいろいろと妄想しながら過ごすことにしております。

一例をあげますと、「HIRAETH:帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち。過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても」なんてウェールズ語。この本に書いてある解説はたったこれだけです。そうするとなんでまたこんな言葉が、ということでいろいろと思いをはせることになるわけです。

ウェールズと言えば産業革命の前後で町の景観も居住民も一変した街だからかなあ、しかも石炭から石油へのエネルギー革命でももう一回転したしなあ、なんて思うわけです。(でもそれ以上のことを知らないので、ついつい余計な本を買ってしまった次第)。

あ、あとね「BOKETTO:なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」って解説を先に見て「おお、いいじゃないか。どこの言葉だ」って見てみたら「ボケっと 日本語」ってね。

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ドングリが生き延びるために獲得してきた戦略の数々

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日本人にとってあまりに当たり前の存在である「ドングリ」ですが、実はわかっていないことだらけだとか。

国内には22種類ものドングリがあるそうですが、そもそも「ドングリ」の明確な定義はないそうでして、まずはここから驚かされます。まあ要するに形が似通った「ブナ科の樹木が作る果実」をドングリと言っているわけなんです。

ふるまいにもわからないことがあります。

ドングリのなる数は毎年大きく変動していています。これは「結実変動」と呼ばれるのですが、これまで実にたくさんの仮説が出されたものの決定打はいまだに無いそうです。たくさん説がありますが、どれも決定的ではないそうです。

それ以外にも、本書に上げられているのはドングリが生き延びるために獲得してきた戦略です。本当にいろいろとあるものだなあと思いますが、一方でそのほとんどが推論というあたりがその奥深さを物語ります。

「ドングリだから」ということで一般化できる部分はあまりなくて、それぞれが生きる場所の特性、共存する動物の特性に応じてカスタムメイドされてきたということなんだろうということが示唆されております。ともあれ頭の体操的な感じで読める本でした。

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「テキヤとは都市を彩ってきた身近な人々」である

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本書は縁日や祭りに定期的にやってくる「テキヤ」のうち東京を中心としたお話。
そのテキヤはどこからやってくるのか?

ニュース番組などで桜前線を追いかけて日本列島を北上する露店商が取り上げられることがあります。ですが、現実には露店商はどこの地域でも地縁に基づいた何らかの同業者集団に加入しています。しかも商売の上でリスクが高まる文化の壁がいくつもあることから、それぞれの集団が持つ「ナワバリ」から越境することは難しいとのこと。

ただし、東京下町には「アイニワ」という慣行があって、複数の集団の縄張りが重なり合っているのが普通です。一か所の祝祭空間を複数の系統のテキヤたちが力を合わせて切り盛りする。天気が悪くて売り上げが期待できない日でも場所をにぎやかにする責任感から商いにやってきます。アイニワには安定的にバラエティに富んだ露店が並ぶ、祝祭空間をつくるためにとても優れた慣行でした。

それでもテキヤは自営業ですから交通費は自腹です。ということは縄張り内のほうが経費は少なくて済むし、他集団の縄張りでは露店の割り付けや電気工事の手配など気を遣います。なれない場所ですから売り上げの予測も立てづらいし。ということで、露店商の大半は普段から身近にいる商人です。遠くから来る人はまれなのに露店商の全体が異人のようなイメージをまとっているのは、彼らの慣行が外部に見えないからです。

で、暴対法や暴排条例との関連ですが、露店商自らが「七割商人、三割ヤクザ」というように露店商の中にはほぼヤクザといっていい人がいます。テキヤ集団は前科前歴を問わずにやる気のある人をどんどん取り込んできたからやむを得ない側面でしょう。

テキヤの周辺は法に抵触するかしないかのきわどい部分があるのは事実です。それを許容するかどうかは地域性と時代に大きく影響されます。日本は伝統的に露店商はヤクザなどの反社会勢力と何らかの連絡があるというのは暗黙の了解でした。その一方でたこ焼きや水風船を売るおじさんやお姐さんのすべてがヤクザではないことも知っています。客の意識としては商人の一部は暗い過去があるかもしれない、でもいつも付き合うわけではないし、祭りなんだからみんなで楽しくにぎやかにやればいいじゃないか、このような気分が日本の祝祭空間には満ちていたのです。

著者は「昨今の社会的風潮は“三割ヤクザ”を絶対に許さない。現代社会はテキや社会に“十割商人”になれと要求する」と批判します。そして最後に「彼ら彼女らが昔から都市を彩ってきた身近な人々であることに気づいていただければ幸いである」と結びます。

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憲法秩序の守り方・あり方についての先行事例

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本書はアメリカ合衆国憲法とりわけ権利章典と呼ばれる修正条項全10条に重きを置いて述べると同時に、これらの条項にまつわる権利について、憲法改正によってアメリカが大きく変容した部分と、憲法改正を経ないで変容した部分の双方を取り上げています。

立憲の父祖たちは、憲法が最高法規であることを認めているがゆえに改正がその基本性を損ねることも、同時に、だからと言って改正を不可能とする憲法は暴力による体制変革を招きかねないことを理解していました。そのバランスを入念に検討したのです。とりあえずは安易な改正に否定的だったマディソン(フェデラリスト)主導で改正手続きが相当高いハードルに落ち着きました。

主権を君主が有している場合に、恣意的な権力乱用に歯止めをかける点では、例えば1689年の権利章典などは意味がありました。ですが、マディソンは共和国において恐れるべきは政府による権力乱用ではなく、むしろ主権を有する人民の多数による権力の乱用だと考えていた点は注意が必要です。そこで憲法の基本は統治機構と呼ばれるものの基本的な制度のありかたを定めることが中心となります。権力分散と抑制、均衡によってそれを防ぐことです。

1788年に憲法の成立を受けたのち1791年に第1修正から第10修正までの権利章典と言われる改正条項が発効します。マディソンは国民の同意なしには憲法の正統性が得られないことも理解していました。権利章典という憲法改正を自らが手掛けて、この憲法が改正可能であること、それゆえ正統なものであることを証明したのです。

で、制定から230年たっても当初の憲法典が解釈と改正によって少しずつその形を変えていながらも機能しているのは、憲法典が時代の価値観を盛り込まなかった点に負うと考える学者も多いようです。それを物足りなく思う進歩主義勢力が積極的に憲法改正を実現しようとした経緯があります。

一方で日本国憲法はニューディーラーの起草した非常に進歩的な条項が盛り込まれ、国内の革新派が支持したという事情もあり、憲法改正をめぐる議論はとかく価値観に関する対立になりがちです(愛国心・家族・公の秩序など)。この点、著者は「好ましくない改憲に対抗するための、あるいは好ましい改憲を実現するための改憲運動が保守派だけでなく進歩派にあっても良いのではないか」とします。

さらに、アメリカの憲法改正が特定の条項ごとに行われるのに対し、日本国憲法の場合は根本的に改正するかあるいはまったく変更しないかに傾きがちです。アメリカの場合は最初の10の修正条項が一気に制定された以外は修正条項の一つ一つがそれぞれかなり慎重に制定されてきた経緯があります。憲法を大きく変更したら国のかたちの根本が崩れるという暗黙の了解があるように思われるとも指摘します。

それを受けて、完全な書き直しや大幅な現行憲法の改定は戦後70年にわたって築かれた憲法秩序を不安定にするおそれがあるから、全体のバランスを崩さぬように確かめつつ、一歩一歩進むほうが安全であろうと説きます。

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紙の本イレズミと日本人

2016/12/31 14:51

一律に「イレズミはけしからん」とは言えない時代です

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「刺青をしていると公衆浴場やプールには入れないよね」というのがなんとなく常識になっているような気がしますし、条例で規制されることも多くなりました。

一方で、昨今海外からの観光客をたくさん招こうという動きや2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催を控えて、「でも外国人にも同じマナーというかルールを強要するのか」問題がにわかに浮上してきました。

そもそもなんで日本では刺青がダメなのか、海外では刺青はどんな扱いを受けているのか。

文化人類学的に見れば「身体変工」とか「身体装飾」というものはどこにでも存在しています。それどころか、良くも悪くも加工のない身体は無いとさえ言えます。

江戸時代に入ると刺青が行われるようになりました。鳶や火消し、飛脚、職人などに好まれるようになったのです。一方で幕府は中国を参考に刑罰の付加刑として入墨を採用します。一例ですが、額に「一」、再犯は「ノ」、最後は「犬」になるように数回にわたって墨を入れたり、線を入れたりといったものです。

ともあれ、江戸時代から1950年代までは鳶・大工や職人は刺青をしていないと格好がつかないとの意識があり、ごく一般的なものでした。

一方で、第二次大戦後、各都道府県・市町村で青少年健全育成条例が制定され、67年には愛知県で青少年が刺青をすることすすめることが禁じられます。これが刺青に対する規制の第一号です。その後、88年には千葉の旅館組合が刺青のあるものの入浴を断るという宣言を出し、94年には岡山県牛窓町が海水浴場への「入れ墨お断り」を決めます。その後同種の条例が続々と制定されるのです。

では海外に目を転じるとどうか?
現在タトゥーは世界中で大流行をしています。アメリカでは40代以下の25%、30~39歳が38%という調査結果があります。フランスでは全人口の1割、18から24歳に限れば25%がタトゥーを入れているそうです。

それだけではありません、太平洋の各民族は一度過去のものとなった刺青を民族文化復興の一環として復活させる機運が高まっています。特に先住民族の伝統的なデザインを現代風にアレンジしたものは「トライバル」と呼ばれて人気があります。

あれ?ではそもそも刺青はアウトローがするもの、という日本人の意識はいつ形成されたのか?

新興の映画会社であった東映が時代劇映画で行き詰まり、代わりに作った任侠映画が大ヒットします。そこで東映はその後量産するのです。1963年から80年までの全制作映画の三分の一が任侠路線となりました。他の映画会社もそれに追随します。著者はこの大量に生み出された任侠映画、ヤクザ映画が「ヤクザ=刺青」という日本人のイメージ形成に影響を与えたとしています。

ということで、「入れ墨をした人間はすべてアウトロー」というのはせいぜいここ30年程度の認識というのが本書の主張。日本において刺青は職人の証しでありましたし、海外ではファッションとして幅広い年代に受け入れられているのです。さらには民族の誇りをしめす記号としても認識されています。

だとすると「入れ墨お断り」というセリフはそろそろ別の表現にするべきではないかと著者は説きます。もともと暴力団関係者、ガラの悪い客を断るための遠回しな言い回しであったとするならば、現状には即していないということです。刺青に関する規制を取り払えということも難しいのは理解しつつ、「いったいどのような事態を避けたいのかをより絞り込んで示すべき」と述べています。

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