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miyajimaさんのレビュー一覧

投稿者:miyajima

29 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本一億人の俳句入門 決定版

2016/12/31 20:05

切れ字だけでなく俳句そのものについて関心を持つようになりました

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まずはこの著者の「古池に蛙は飛びこんだか」(中公文庫刊)というタイトルを見て即座に購入。「む? 飛び込んでないの? そうなの?」ということで。

でもそもそも俳句についての知識が無いので「入門」と書かれた本書を合わせ購入。
いや、面白い。

内容としては俳句の定型・切れ・季語という三つの約束について書かれています。

まずは俳句の定型について。
俳句には「一物仕立て(いちぶつじたて)」と「取り合わせ」という2つの型があります。一物仕立てとはその名のとおり、一つの素材(一物)を詠んで仕立てた句。AはBであるという仕立て。

行く春を近江の人とおしみける

というのがそう。

取り合わせとは2つの素材を組み合わせたもの。

旅人と我が名よばれん初しぐれ

というのがそう。「旅立つ私を人は旅人と呼ぶだろう」という芭蕉の思いと、「初しぐれ」を取り合わせているわけです。

次いで「切れ」について。「切れ」の働きはそもそも何なのか?
切れの部分に何かが省略されていると考える人がいます。そんな人は俳句を「省略の文芸」などと呼んだりしています。あるいはまた強調だという人もいます。

どちらも間違い。
切れと切れ字の働きは強調でも省略でもなくて、その名のとおり句を切ることにあるんです。その効果は、「間」を生むことにあります。絵画で言えば余白、音楽で言えば沈黙。

もし切れの働きを省略と考えると、俳句の解釈や鑑賞は省略されたものを復元する作業になってしまいます。しかし、俳句の切れはそうではないんですね。言うべきことだけを切り出しているんです。言いたいけれど言わないことなど存在しないということです。そこで、登場するのが、

古池や蛙飛びこむ水のおと

です。
この句は古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと言っているのではないんです。蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべたという句なんです。この古池は現実世界にあるのではなく、蛙が水に飛びこむ音によって芭蕉の心の中に出現した幻なのです。この句を一物仕立てと解釈するとまったくつまらない句になってしまうわけなんですね。ここでこの句の説明臭さを払い去っているのが切れ字の「や」。これにより「古池に」の持つ理屈が切断され、大きな「間」が浮かび上がる、ということなのです。

ということで、俳句を解釈する際に理解しておくべき「切れ」と「定型」について詳細に説明がなされています。この二つの重要性を理解するのに芭蕉の「古池や~」の句が大変に参考になるということなんです。

この二つがわからないと、「古池に蛙が飛び込んだ時に音がした」という凡庸な句になってしまうわけなのです。

こんなこと学校で教えてくれませんでした。俳句と「切れ字」と言えば、『ぞ・や・かな・けり』→この字がついているところが俳句の「句切れ」で、この字がついている言葉が「作者の感動の中心という程度の知識しか教わりませんでした。これでは芭蕉の句は決して解釈できないですよねえ。

とか言っても2冊ばかり読んだくらいで上からモノを語るのも間違いだと理解しております。ということで著者の他の本も読んでみることにした次第。

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質的調査というか、社会学や文化人類学の初学者にもぴったり

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「断片的なものの社会学」が面白かったので、同じ著者が書いている資質的調査の本を見つけて早速購入。

本書で扱われる質的調査は「フィールドワーク」「参与観察」「生活史」の3つ。私としては質的分析というのは要するにノンフィクションとどう違うのかという点について、あまり確固たるものが持てないままでしたが、本書を読んである程度納得。

要するに質的社会調査を社会学という学問を支えるものとしているのは、それが私たちと縁のない人々の不合理に見える行為の背後にある理由(これが「他者の合理性」といわれるものです)を誰にでもわかる形で記述し解釈することにあるというのです。

「特定の状況下におかれた特定の人々についての解釈」を続けることで、仮説や命題の形に収まらないけれど、当事者の体験が量的調査では見えてこない、それまでの思い込みを覆すような視点を提供してくれることになるのことがあるというわけです。
誰かを観察したり、その人の生活史に耳を傾けることで、特定の社会問題の背景知識を得て(歴史と構造」)、その社会構造についての新しい見方を獲得する(理論化)というのが社会学を意味づける手段としての質的社会調査ということなのですね。

初学者向けの本なので、依頼書の書き方とかレコーダーの扱い方といった実に基礎的な事から始まるので、質的調査だけでなく社会学や文化人類学の初学者にもぴったりなのではないかと思います。何より、本書に挙げられた推薦図書がどれもおもしろそうなので、少なくとも買ったままで読んでいない本は読んでみようと思いました。

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文字通り功利主義を学び始めるのに最適の書

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デイヴィッド・エドモンズの「「太った男を殺しますか? 「トロリー問題」が教えてくれること」の次に読みました。

「トロリオロジー」では功利主義を理解していることが必要ということでベンサムを読む前に予習。

功利主義は18世紀の哲学者ベンサムが定式化した倫理思想のこと。何かをなすときに指針となるのは「功利性の指針」をおいてほかにないと説きます。分かりやすく言えば「最大多数の最大幸福」を指針として行動せよ、ということです。

この場合の「功利性」とは人がなすべきことは社会全体の幸福を増やすことであり、社会全体の幸福を減らす行為は不正な行為ということ。「共感・反感の原則」とは、正しい行為とは自分が気に入った行為のことで、不正な行為とは自分が気に入らない行為のこととする考え方。

ベンサムによれば彼以前のほとんどの哲学者の考えがそうです。彼らは自分の考えをもっともらしく見せるために「自然の法」とか「良心」とか「永遠不変の真理」とか言う言葉を持ち出したのです。でも結局多数派が少数派に、権力者が社会的弱者に自分たちの考えを無理やり押し付けることになるとベンサムは批判しました。

そして功利主義では一個人の幸福を最大化することを考えるのではなく、人々の幸福を足し算して最大になるように努める必要があります。つまり利己主義ではないし、一人を一人として数えるという公平性の配慮が働きます。

功利主義への批判として、一例ですが次のようなケースがあります。火事の建物に二人が閉じ込められている。一人は大作家で、もう一人は主婦である自分の母親というものです。この場合功利主義者は迷わず大作家を助けるべしとします。ですがこの点が批判を受けるわけです。ですが、このような原理主義の功利主義者は現代では少数派となっています。

現代の功利主義者は年がら年中功利主義を振りかざしているのではなく、「約束を守る」「家族や友人を大事にする」などの道徳的義務や規則に従って行為することを勧めます。例えば家族を大事にする人は家族以外の身近な人をより幸福にできて功利主義的にも望ましい、とするのです。常識的な規則や義務が功利主義的に見て一部の人を不公平に扱っていると思われる場合の判断基準として機能させるわけです。

ややもすれば「最大多数の最大幸福」というスローガンは「少数派の犠牲の上に多数派が幸福になるための思想」と理解されがちです。ですが、そもそもベンサムが功利主義を唱えたのは産業革命が進行中で、既得権を守ろうとする上流階級がそれ以外の階級を虐げていると考えたからです。

政策決定において無視された労働者や女性などの社会的弱者の幸福も等しく考慮に入れるべきという立場だった点を忘れてはなりません。
ということで、功利主義についての現代的知見というか現在の地図を理解したくて読んだのですが、実にわかりやすく入門書としては大変に優れた本でした。

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美化を拒絶する巨艦の悲劇

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2015年3月にフィリピンのシブヤン海の海底でその船体が発見されて大々的に報道された戦艦武蔵。

大和と並んで知名度の高い戦艦であるが、武蔵は大和と比べて地味な存在である。本書の目的の一つとしてその差がどうして生じたのかを問うことが挙げられている。
武蔵は大和に比べて生き残った者が多く、その沈没後の運命もさまざまであった。1000人以上が脱出に成功したが、その多くは引き続き劣悪な戦地に送られ半数以上が戦死した。それでも約450名が戦後を迎えることができた。ここに武蔵の生還者が自身の体験を美化できない理由がある。その中の一定数が特定の士官を長らく強く非難もしている。一方大和は短時間で爆沈した結果生き残りはわずか276名である。さらに4か月後に終戦となった。生き残った者が少ないことから多くの美談が作り出された。

戦後の高度成長期に大和のエリート士官たちの視点による海軍賛美(吉田満「戦艦大和ノ最期」など)がもてはやされた。「プレジデント」あたりの主要読者である50代ビジネスマンが仕事上くみ取るべき種々の「教訓」の源として消費可能であったからだ。一方、下士官主体の武蔵の物語は、遠い昔の貧しい日本の象徴にしかなれず、したがって彼らの消費に適さなかったわけだ。

さらに言えば、レイテ沖海戦で米機の投下する魚雷や爆弾を次々と回避して「冴える森下(艦長)の操艦の腕」と評されたのに対し、実践経験が乏しく直進を主張した猪口艦長の武蔵は次々と被弾して横転転覆した点は大和の格好の引き立て役、あるいは創意工夫を怠り競争に敗れたビジネスマンを重ねる扱いとなった。

武蔵の生還者たちは美化も否定もともに強く拒絶するものが多い。武蔵に対する他者からの意味付けの拒否だ。どういうことか?武蔵に対するマイナスの評価は「真実」ではないから拒否する。だが、自らの手でプラスの意味付けもまたできない。第二次大戦は負け戦であり武蔵は間違いなく沈められたからだ。だとすればそこには武蔵という物語を「脱文脈化」するよりほかに無いということなのだ。

武蔵に乗艦して戦争をした人にとって、なぜ自分がひどい目に遭ったのかを他ならない自分のために真剣に問えば問うほど武蔵は何者かであり得た。だが、そうではない人に向かい合った時にその物語は誰のものでもなくなるのだ。

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アデナウアーをトレースすることは戦後西ドイツの外交政策をそのまま学ぶことということ

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日本では今一つ知名度のない西ドイツ初代首相。ですが当地ドイツでは今なお歴代首相としての評価は常にトップレベルに位置する偉人。

2003年のテレビの企画で「もっとも偉大なドイツ人」を視聴者から募ったところ182万人の投票があり、堂々1位になりました。これはルターやマルクスを退けてのものです。

一方日本では「保守」「反動」といったマイナスイメージでかたずけられているのです。本書はそのアデナウアーの生涯とその業績を論じたものです。そういう点では本書は読んでよかったです。

アデナウアーをトレースすることは戦後西ドイツの外交政策をそのまま学ぶことということが実によくわかりました。ほとんどのページに付箋が付くほど。これは何度でも読み直したい本です。

さて、アデナウアーの業績は大きく2点。第一は内政における自由民主主義の定着を成功させたこと。ワイマール憲法の反省のもとにその人民民主主義・価値相対主義を排し代表制を徹底したこと、民主主義の敵には寛容を排除したことです。これを強権的に進めたことで「宰相民主主義」と揶揄されたりもしました。

第二は外交における「西側選択」。これはアデナウアー個人のイニシアチブが徹底的に発揮されました。それまでのドイツ外交は東西を天秤にかけたり西欧を出し抜いてソ連と結んだり中東欧を勢力圏に入れようと画策したりしてきたのですが、それが周辺諸国の緊張を生んできました。

しかしアデナウアーは東西冷戦という国際情勢を背景に、「西欧」を決して裏切らないドイツを築いたのです。スターリンからのちょっかい(中立化など)にも一切惑わされることなくこの路線を貫きます。

アデナウアーはライン地方のカトリックの中心都市ケルンで生まれました。南ドイツのバイエルンのようにカトリックが反自由を代表していたのとは異なり、ケルンのカトリックはリベラルで社会改良志向が強かったのです。アデナウアーは国家に先行するものとして個人の尊厳と自由を守ろうとしましたが、この価値を基礎づけたのがキリスト教的自然法だったのです。

そうした理念の担い手とされたのがキリスト教民主同盟(CDU)でした。その一方で共産主義とソ連を全体主義・無神論として徹底的に拒否しました。
戦後は憲法(正確にはボン基本法)を改正し再軍備を行い。ヨーロッパ統合を推しすすめました。さらにイスラエルに対して「過去との和解」に着手します。

実はアデナウアーの対ユダヤというかイスラエル政策としては「ドイツ人の集団的罪責を否定し、むしろドイツ人はナチスの被害者と位置付けた」として後世に批判をされるのですが、1951年の連邦議会でなされた演説では「ドイツ民族の名において」犯された「言語を絶する犯罪」を認めている点は留意すべきでしょう。(でもやっぱりドイツ国民の罪責は決して認めていない点は気を付けないといけないのですが)。

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ウォーラーステイン理解に適した本

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自由貿易の歴史を勉強中。

となると近代ヨーロッパ特にオランダとイギリスの歴史を知らないわけにいかないということで選択。

特に私が学生時代に西洋史学の世界で一世を風靡したエマニュエル・ウォーラーステインの「近代世界システム論」がいったい今どんな評価をされているか、さらにそのベースとなったブローデルなんてものの現在の評価を知りたいと思っておりました。

本書はその双方に答えてくれるとの期待で読んでみたのですが、ドンピシャ。単なるウォーラーステインの解説ではなく、世界の(特に日本の)史学界では傍流扱いされているオランダの学者やポメランツとか川北稔あたりをしっかりと押さえてウォーラーステインだけでなく通説を斬っているあたりが実にエキサイティング。久しぶりに面白い歴史書を読みました。

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紙の本ヨーロッパ覇権史

2017/10/25 14:41

玉木史観を理解するのにいい本

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ヨーロッパが世界に対して影響を継続的に持てるようになったのはせいぜい19世紀になってから。その影響力をもたらしたきっかけは、15世紀にはじまる火器の導入による戦術の大変化をもたらした「軍事革命」。

そして影響力を持続させられるようになったのはヨーロッパが「近代世界システム」を完成させたから、というもの。その中でヨーロッパが大西洋を経済的な支配下に置く課程が重要でそれには実に長い時間がかかったが、それを成し遂げたことがヨーロッパ(特にイギリス)が世界の覇権を握らせたというもの。

その中でも、オランダを乗り越えてどうしてイギリスがヘゲモニー国家となったかについて詳述されている点が本書のキモ。

ウォーラーステインとブローデルを批判的に継承・再解釈した玉木史観とでもいうものをなんとなく理解できたような気になる本。この後に同じく玉木先生の「海洋帝国興隆史」を読んでいるところ。

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米作からみた植民地支配の光と影

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日本帝国が植民地朝鮮にコメを栽培させ、しかもその米が日本国内で競争力を持つように検査制度を充実させ、商品として競争力を持つように品種改良を施し、その結果日本で大きな競争力を持つようになったと説く本。そんな視点をいまだかつて持ったこともないし、誰も教えてくれなかったので大変に面白く読めました。

1920年代には朝鮮米に対抗しえた日本産米は東北米と越後米に絞られるほどになったというのですね。まずは東北米は耐冷性があって食味に富む「陸羽132号」を開発します。越後米はというと東北米と違って直球勝負ではなく、極早世の「農林1号」を開発。朝鮮新米が出回るまでの端境期に市場に出荷するという戦略を取って対抗したそうです。

もちろん負の側面もあって、戦時体制下では農民に供出を強要し家宅捜索まで行ったりしたのですが。要するに、市場メカニズムに従った朝鮮産米の日本市場統合というあえて言えば光の部分と、総督府の農民支配という明らかな影の部分をしっかりと描いた労作と言えましょうか。

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日本人の多くが信じ込んでいる誤り「鉄道忌避伝説」について詳述

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日本全国に鉄道にまつわるこんな話があります。

「明治の人は鉄道がとおると宿場が寂れるといって通過や駅の設置に反対した」
「蒸気機関車からでる火の粉で火災がおきたり、煤煙で桑が枯れる(以下略)」
「鉄道が通って便利になると若者が町に遊びに行って堕落するから(以下略)」
「江戸時代に栄えたこの町に鉄道が通っていないのは、先祖たちが鉄道通過に反対したからだ」

これらの話はとても有名で、近世交通史研究の第一人者の書物や郷土史や教科書(特に副読本)にまで掲載されていることが多数あります。私自身も小学校の頃にこの話を担任の先生から聞いて今まで信じ込んでおりました。

ところが本書によれば、実際には各地ともかなり早い段階で鉄道の有効性を認識し、導入を積極的に働きかけていたというのです。そして宿場が寂れるからとか、沿線の桑が枯れるからという理由での反対は全くといっていいほど確認できなかったというのです。

先に挙げた研究も鉄道忌避を示す一次史料を示していないのです。だから本書のタイトルは「鉄道忌避“伝説”」というわけ。これは久しぶりに興奮する本を読みました。
著者は鉄道忌避伝説のある各地の路線を徹底的に調べました。その結果、多くの場合が地形の制約でそこしか線路を通すことができなかったり(岡崎とか上野原とか船橋とか)、すでに栄えていた中心街を地上げするには予算が足りなかったり、会社の都合だけによるものだったり(流山)。あとは茂原のように隣村との駅誘致合戦の結果両村の中間に駅ができた例ばかりだったのです(にもかかわらずいまだに忌避伝説が信じられているのですが)。

最も常識化している全国にある宿場町や水運関係者による反対についてはほとんどなかったというのが史実のようです。

アカデミズムは地方史を軽視してきており、研究は地域の教養ある階層によって進められてけれど、史料吟味の訓練を受けていない人が多かったことから厳密性を欠いて進められてきたと著者は指摘します。

そのような環境の中1950年代以降の地方史ブームの中で一次史料の検証がないまま鉄道忌避伝説が広まっていったと。その後地方史研究が盛んとなりアカデミズムの参入も広まったのに、鉄道史については研究人口が少ないままであったのがこの伝説を野放しにした理由になっているということです。

それでも救いは最近になってようやく地方史誌などでも鉄道忌避伝説を扱うトーンがダウンしてきているケースが出始めていることでしょうか。といいつつ圧倒的多数はこの伝説を史実として扱っているのですが。

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シベリア出兵100年を前に繰り返し読みたい良書

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ロシア革命を勉強すると避けられないのがシベリア出兵。といつつ私にとってはせいぜい米騒動で出てきた記憶程度のもの。あまりに知識がないのでいろいろ本を探したのですが、意外にも新書レベルはおろか研究書も現代のものがほぼ見当たらないということに気が付きました。そんな中で本書は2016年の刊行ということで読んでみました。

なるほど、もともと何も知らないに等しかったので本書の内容はどれも大変に新鮮なものばかりでした。ほぼすべてのページに付箋がついてしまいました。

最大の収穫は、日本では対ソ戦というとシベリア抑留に言及されることが多く、しかもそれは日本人にとって悲劇として描かれるわけですが、ソ連(ロシア)では研究者以外にシベリア抑留に言及するケースは皆無で、逆にシベリア出兵は日本の軍国主義の象徴として今でも歴史書・教科書に取り上げられているという点です。

本書を読む限りではまさしく日本のやったことは侵略に間違いはないんだろうなあという感想を抱きます。そして本書が素晴らしいのは、そもそもなぜこれほどの長きにわたって撤兵ができなかったのかという点について言及がされている点です。

なお、多くの犠牲を払って得るものが無かったシベリア出兵。もともと英仏が第一次大戦でドイツに対抗するために思いついた補助的な作戦に過ぎなかったはずなのに、なぜこの戦争は7年の長きにわたって続いたのか。著者によれば以下の通りです。

・統帥権の独立により軍に対して政府は命令できなかった。参謀本部の権力は絶大であっただけでなくその背後にいた元老山形有朋の権力は絶大であった。
・派兵は戦争ではないという建前なので講和条約を結ぶこともできない。というよりそもそも日本はソヴィエト政府を国家として認めていないので交渉の相手がいなかった。
・山形だけでなく原内閣も北満州や北サハリンでの利権獲得に執着していた。しかも出征して亡くなった兵士の死を無駄にできないという心情も作用した。

というもの。「広大な空間を舞台に神出鬼没の非正規軍に悩まされる」「その敵とつながっているとみなした現地の住民を敵視し、討伐し、結果的に四方を敵に回し兵士も疲弊する」という状況はまさに日中戦争で繰り返されました。これらの教訓が全く生かされなかったことが日中戦争での悲劇につながったという著者の分析は大いに首肯するところです。

著者が強調するように、多くの日本人にとって印象が薄いシベリア出兵。2018年はその100周年に当たります。日本人はこの戦争をもう少ししっかりと総括するべきではないかという思いを強くしました。本書は繰り返し読むべき本とします。

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紙の本大俳優丹波哲郎

2017/01/27 10:40

映画人としての丹波哲郎を知るには必携

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丹波哲郎と言えば私の世代で言うとテレビ俳優。「キーハンター」「Gメン'75」を見て育ったと言っても過言ではないかと。ただし、私の中の丹波哲郎はそれだけで終わってはいません。映画版「日本沈没」の首相役、同じく映画版「砂の器」の刑事役の印象が強烈です。

日本沈没の一場面。日本が海底に沈むことが明らかになった際に学者が出してきた日本民族の選択肢の中に「何もしない方がいい」というものがありました。その話を聞いた時に丹波が流す涙。余計な台詞は何一つないけれどもそこに百万語に匹敵する思いが込められていました。のちにビデオを買った際にテープが擦り切れるまで見たものです。これは間違いなく(私の)映画史に残る名演です。

同じく「砂の器」。ここでは殺人事件の犯人を追い詰める警部補の役なのですが、捜査会議の席上、容疑者の生い立ちを述べるシーン。その生い立ちのあまりの苛烈さに語りながら言葉を詰まらせるのですが、ここも間違いなく素晴らしい。

そんな丹波哲郎ファンとしてはこんな本の存在を知ったら買わないわけにいかないということで購入。

対話形式の本でインタビュアーは本書を企画した映画監督ダーティ工藤という人。
丹波哲郎がかかわった映画のお話に加えて、俳優・監督・映画会社関係者などのお話になります。ただし、決して交遊録のような体裁ではなく、すべて映画人としての視線で語られています。映画や映画界についてそれぞれがどのようなスタンスで臨んでいたのか、自身の演技論をふくめて語られる実にまじめなもの。と言いつつ、みんな昭和の映画人たちですから破天荒な話ばかりで、それはそれで決して飽きさせません。

本書がいかに真面目かを示すいい例が丹波哲郎のフィルモグラフィーがついている点。映画テレビはおろかCMまでカバーしており、二段組で150p近くあるという圧巻。あとは出演作品のスチルが満載でこれまた素晴らしい。ただしそのおかげで総量450pもあることと紙がコート紙ということで重たいのなんの。寝っ転がりながら読むのに苦労しました。

あと一点残念なこととしたら、私自身は映画人としての丹波よりもテレビ俳優としての丹波哲郎をもっと知りたかったのですが本書にはテレビ時代のことはほとんど記述が無いのですね。彼にとってはテレビというのは付け足しにすぎないということなのかなあと。

とまあそれだけで十分に価値のある本ですが、あと一つ収穫が。

本書の企画者でありインタビュアーであるダーティ工藤という人。この人は映画監督だそうですが本書を読むまで全く知りませんでした。で、そのインタビューが実に謙抑的で基本は1行、多くてもせいぜい3行という程度なんです。ですが、6年かけたというだけあってそのわずかな問いかけが大変に素晴らしいんです。「東映で名コンビだった石井輝男監督とは新東宝時代には組まなかったのはなぜ?」「“キーハンター”は当時としては珍しい集団アクションもの。第1話と2話は深作欣二が監督をしているが彼の意気込みはどうだったのだろうか」などなど。

もともと引き出しがたくさんある丹波なので、こういう問いかけがあれば実にたくさんの答えが返ってきます。ダーティ工藤はその引き出しを開けるのが本当に上手です。
途中まではあまり意識しないで読んでいたのですが、途中から「あれ、このインタビュアー知識がすごいな」となり、さらに「お、この人すごいファシリテーターだなあ!」となりました。

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アレルギーに対する旧来の常識がすべてひっくり返される

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私の場合、子どもが生まれるにあたって膨大な量の育児書を読みました。その時に書いてあったのが本書にあるように「アレルギー食品への接触はなるべく遅くしなければならない」というものでした。ですがこれが全く根拠なく定められたといことと、それどころかアレルギー発症を抑えるためには逆になるべく早いうちから接触すべきということに死ぬほど驚きました。

もう一点が「衛生仮説」。昔に比べて細菌に触れなくなり、体内に取り込む機会は格段に減った。だから子どもの免疫システムが弱くなりアレルギーが増えた、というもの。この説は1990年ごろから大きく注目され始めたそうです。この説も私は従ってました。ある医師は「赤ちゃんがそこらをなめるのはむしろ良いこと」とか言ってました。

ですが、この説は実態がはっきりしないということで下火になっていたのですね。まずはここを知らなかったのです。ところがTレグの発見で再び脚光を集めているとか。知らないうちにいなくなって知らないうちに戻っていたということですが、「理由はわからないけれどそうらしい」といことと「そのメカニズムが判明している」ということでは雲泥の差だと書中述べられています。まあどちらの説も声高に述べられていたのにその根拠が明確ではなかったということに驚くわけですが。

ということで今まで信じ切っていた説がかくも見事にひっくり返されたということだけでも読んだ価値があるのですが、とにもかくにも不治の病とされたアレルギーが予防可能であること、もしアレルギーになってしまっても治る可能性が開けたということでさらにビックリ。久しぶりに興奮しながら読んだ本です。

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劇団を志望する人だけでなく社会調査をやる人にとっても大いに参考になるんじゃないかと

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サブタイトルにある「アーバニズムの下位文化理論」というのは1920年代から30年代にかけの初期シカゴ学派の都市社会学の中の都市エスノグラフィーを現代の都市文化を解釈するために「復刻」したことを著しています(言い出しっぺはクロード・フィッシャー)。でおかしいのは、「下位文化」とは何かという問いに対して当のフィッシャー自身がちゃんと答えられていない点でしょうか。

要するに「地縁血縁以外の縁(趣味や仕事など)に基づくパーソナルネットワークとそれを媒介する制度(サークル・職場・店などなど)」ということで、都市であるほど下位文化の多様性が増大する、ということ。

フィッシャーによればミュージック店と劇場の数の平均は都市化が進むほど劇場の比率が高まっていくというもの。要するに劇場は都市部で顕著な下位文化の機関だということになります。

本書はその下位文化の担い手である都市の舞台俳優を対象としたエスノグラフィーです。

2つの劇団の劇団員を10年にわたって(途中から1つに絞り込まれますが)追跡した調査です。10年にわたっての人間関係(特に軋轢)や生活状況の時系列的な変化についての記述分析となります。

チケットノルマをどうやってさばいているのかということからはじまり、劇団員の生活手段、恋愛・結婚などが語られます。そして彼らのほとんどは30歳を超えられず、数少ないベテランも30代後半で現役を引退していきます。

本書の白眉は、特に「都市伝説」などといわれた「三十歳の壁」が事実である点を10年にわたっての調査によって明らかにした点でしょうか。

これ、劇団を志望する人はまず読んでみるべき本ではないでしょうか。
単に再考を促すというだけにとどまりません。経験してから初めて知った、ということよりも先行してイメージトレーニングというか心構えを作っておくことは大事なのではないかと思うのです。

社会調査をやる人に対しても、「社会を語るならこれくらいやるべき」ということを示す点でも良書かと。

(実際著者は劇団の公演・打ち上げなどに足しげく通い、自腹で年間数十万を支出しているんですね。調査の後半では極力出費を抑えるようにしてはいたようですが)

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紙の本鱈 世界を変えた魚の歴史

2016/12/31 20:09

鱈という稀有の魚を通じて世界史を読み直す

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鱈という魚は脂肪分を殆ど含まず、かつたんぱく質をたくさん含む魚なのです。干すと非常に長期間にわたって保存が利き、しかも栄養分が非常に高いという優れもの。
スペインの謎の民族バスク人はこの鱈を干物にしていたおかげで生き延びることができた、とも言います。また、バイキングなどが進出していった地域も、大西洋の鱈の漁場とかぶる、といいます。

大西洋の豊富な鱈のおかげでヨーロッパの港は大いに賑わい、発展します。さらには栄養豊富なところに目をつけられて奴隷用の食料としてヒットするし、輸出も盛んになります。(鱈と砂糖などの三角貿易が始まるのです)

ピルグリムファーザーズは鱈の漁場近くに移民をし、鱈漁で大儲けをします。町は大々的に発展し、それがボストンになるのです。(ただし独立戦争後の産業革命によって工業が栄え、漁業はあっさり衰退するのですが)

また、バイキングの末裔の国アイスランドが、寒くて何も無い貧しい国から脱却できたのは、沿岸に巨大な鱈の漁場があり、鱈漁によって二次大戦中に潤ったためです。そのおかげで5世紀にわたったデンマークからの独立も果たします。

しかも、アイスランドは第二次大戦後に漁業区域についてイギリスと激しく争い、殆ど「戦争」といえるような状況に突入するのです。それはアイスランドが漁業区域を拡大するたびに起こるのです。

で、都合三回の「鱈戦争」にアイスランドはすべて勝利。自己の権益をしっかりと守り抜きます。(沿岸警備艇にワイヤーカッターを曳かせ、イギリスの漁船の網を切って回ったりするのです)

あんなちっぽけな国にそんなガッツがあるとは知りませんでした。これもひとえに鱈の権益を守るためです。そりゃ「これだけしか国の存立基盤が無いんだ」となれば必死ですよね。

で、あれだけ海に満ちていた鱈も、乱獲が進み、結局アイスランドも一部を除いて鱈の禁猟を決断するのですが、、、、

要するに、本書は、鱈という稀有の魚を通じて世界史を読み直すということを試みた本で、それなりに上手くいって、面白く仕上がっています。特に鱈は洋の東西を問わず、また極めて古くから食用にされていた魚で、相当普遍性がある魚であることも、それを可能にした理由でしょう。

著者は一流の雑誌や新聞に数多く寄稿をしてますが、学生時代には学資稼ぎのために漁船に乗り込み、またシェフをしていたこともあるのだそうです。巻末には実にたくさんの鱈料理のレシピが載っています。そのうち何か試してみようという気持ちにさせます。

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今も「全球15億熱愛的巨星」として評価される偉大な歌手の物語

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台湾出身のテレサ・テンほど国籍・階層・性別・世代を超えて愛された華人歌手はいない。一連のヒットソングはアジア各国でスタンダードとなって生き続けている。「北国の春」「グッドバイマイラブ」「知床旅情」のように彼女がカバーして海外に広まった日本の歌謡曲も何曲もある。

テレサ・テンは1974年の日本デビューの段階ですでにアジア各国の華人社会でスターの座を確保していたし、没後はさらに華人社会では巨星としての再評価が進んでいる。

1995年に亡くなってから20年(本書の出版は2015年)たってもなお人気が衰えない。どの国のチャイナタウンでも突出した売れ行きが続いている。リリースした曲は1000曲を超えている。アジア各国でミリオンセラーとなった曲は30を超えた。

一方で、テレサ・テンといえば大多数の日本人にとってみればすでに懐メロでしかなく、しかも40代未満の人にしたら名前すら知らないということなんじゃないかと。

だが、実際には没後20年以上を経過した今も「全球15億熱愛的巨星」として台湾・大陸を問わず世界の華人社会に圧倒的な存在感をもって生きている偉大な歌手だった。本書は何といっても存命中の本人にインタビューをしているし、親族を含めた関係者に精力的にインタビューをしているという点で類書中で一番素晴らしいものであった。

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