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シロップさんのレビュー一覧

投稿者:シロップ

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本檸檬 改版

2017/08/15 00:55

「檸檬」ーー錯覚としての読み、あるいは誤読

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「檸檬」では、主人公の私が想像力の働きでもって意図的に「錯覚を起そうと努め」ます。
そこで、「檸檬」を読んでの僕の読みの誤り(誤読、錯覚)について書かせていただきます。とくに、びいどろと檸檬爆弾についてです。
主人公の私は「びいどろの味程幽かな涼しい味があるものか」と述べ、そして、このびいどろの味に「幼時のあまい記憶」が喚起されると語ります。それはすなわち、びいどろを「嘗めて見るのが私にとって何ともいえない享楽だった」ことや「それを口に入れては父母に叱られた」ことです。さらには「全くあの味には幽かな爽かな何となく詩美と云ったような味覚が漂って来る」とまで語ります。
僕は、ここではびいどろがまるで飴玉のように語られているので気にしませんでしたが、びいどろは「色硝子で鯛や花を打出してあるおはじき」であり、本来「嘗めて見」たり「口に入れ」たりするものではありません。そのようなものを口にしたから、幼い頃の私は「父母に叱られた」のです。
また、おそらくびいどろに味はないでしょう。でも、この場面で主人公は「幽かな涼しい味」であったり「幽かな爽かな何となく詩美と云ったような味覚が」する、とびいどろの味を表現しています。さらに、このびいどろの味によって幼い頃の記憶が喚起されています。つまり、ある種の「味覚の錯覚」によってそういう記憶がよび起こされていたと述べられているのです。
「別にそれがどうかしたか」と言われればその通りなのですが、僕はそのように語られていることにとても納得、共感してしまいました。僕が錯覚したように、びいどろは飴玉のような味がするのかもしれません(ちなみにこの場面を読んでいて、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』「コンブレー 一」末尾にある「プチット・マドレーヌ」の件が何となく想い出されました。梶井がこの作品に触れていたのかどうかは分かりませんが)。
次に、主人公はいつ檸檬を爆弾に見立てたのかということです。僕が考える可能性としては次の通りです。
1 積み重ねた画集の上に檸檬を置いた瞬間
2 第二のアイディアが思いついた瞬間(「ーーそれをそのままにしておいて私は、何喰わぬ顔をして外へ出るーー。」)
3 丸善を出ての街の上(「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た悪漢が私で、…。」)
1はないです。おそらく、注意しないで読んでいたら、私が檸檬を爆弾に見立てたのは2だと考えてしまうのではないでしょうか。僕はそのように読んでいました。でも実際は3です。つまり、私が檸檬を本棚に置いてそこから出ていこうと決心した時点(2)では、私はまだ檸檬を爆弾に見立ててはいないのです。
このことも、前述のびいどろのことといい、何のことはありません。ただ、檸檬を本棚に置いて爆弾に見立てる(2)のと、檸檬を本棚に置いた後、街の上でそれを爆弾に見立ててほくそ笑む(3)のとでは、少し意味合いが異なるかなと思った次第です。
このように「檸檬」を読むことを通して、僕のなかで、ある種の読みとしての錯覚が起きていました。これらのことを自分の単なる勘違いとして切り捨ててしまえばそれまでなのですが、「檸檬」は読者にも錯覚が起こることを予期して書かれたものなのかもしれません。それは梶井文学の魅力の一つだと思います。梶井の描く錯覚はまったくの、架空のイメージがよび込まれるのではなく、どこか私たちにも共感できるものです。
「檸檬」は名作、古典と言われて久しい作品ですが、何度も繰り返して読んでいるとまだまだ発見があると思います。勝手に誤読、錯覚しながら楽しませていただきます。

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紙の本影裏

2017/08/09 04:53

『影裏』の感想ーー淡々とした描写

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『影裏』、読みました。
芥川賞受賞作ということで、感想を書くのもおこがましいですが、素直に書かせていただきます(なお、このレビューはかなりネタバレしています)。

さて、まず、強く印象に残ったのは、主人公とその友人との釣りの場面の描写がとても詳細で上手なことです。とりわけ、釣り場へ行く道中の自然の描かれ方がとてもリアリティを感じました。
この釣りに関わる描写や会話は、かなりこだわりをもって書いているように読めます。

また、この作品には少しばかり読むのに難しい単語がしばしば出てきます。僕は辞書を傍らに置いて読みました。

おそらく、作者は自分の気に入ったもの、印象に残ったものだけを取り上げ、自分の好きな言葉だけでもって書くというタイプだと感じます。一文一文も集中して、緊張して書いているように文章から窺えました。

作品の構成に関しては、前半が主人公が目で捉えたものや目に入ってきたものを淡々と描写しています。それを読んでいると、意図的に登場人物たちの内面には踏み込まないように、淡々と書いている感じです。一応、前半と書きましたが、全体的にその印象は強いです。一方、後半はある会話文をきっかけに、一気にエンジンをかける書き方で、そのまま最後まで読まされてしまいました。

そして文体に関しましては、興味深い箇所があります。それは、震災(『影裏』では、東日本大震災が主なテーマの一つになっています)の体験について、新聞の投書欄に掲載された小学生の文章を主人公が読み、それについて述べる感想です。それは次のようなものです。「震災の夜に自分がどのように過ごしたかという、淡々とした描写から始まり、それに続く数日間のできごとが、沿岸の津波による犠牲者の追悼と復興への祈りを織りまぜながらさっぱりした文章で綴られている。一読して、巧いなと感じた」(63)。これは、『影裏』の文体にそのまま当てはまると思われます。先程、「淡々と書いている」と僕が感じたところとここは繋がると思いました。
ただ、ここで、作者の文章に対する考え方が登場人物の言葉を通して表れているのではないか、と僕は書きましたが、それはある意味、作者の思惑に嵌まってしまったのかもしれません。というのも、そのように読まれるだろうと、おそらく作者自身も予期して作品を書いていると考えるからです。考えすぎかもしれませんが。
しかしながら、ものや出来事を「淡々と描写」しているということが、この作品を読んで僕が最も強く感じた印象です。全体的に抑制して書かれている。気をつけて書かれている。そんな感じです(釣りに関するところは詳細ですが)。

最後に、この作品はとても面白かったです。したがいまして、作者の次回作にも期待します。ただ、『影裏』を読んで未だに分からないところもいくつかありますので、一度ならず、もっと読み込んでいろいろ考えてみたいです。

かなりふわふわした感想になってしまいましたが、不思議な作品で僕自身分からないところも多いので、そこはご了承下さい。

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