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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

ユヴスケさんのレビュー一覧

投稿者:ユヴスケ

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本脳のなかのワンダーランド

2001/10/10 01:57

脳は研究者のオモチャ箱

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 医学にとって、特に脳に関わる者にとっては人間の脳はオモチャのような物かもしれない。不謹慎かもしれないが、この本を読んでいると脳の研究者達が、人間の脳に翻弄されながらも楽しそうに研究してきたように思える。だが、面白いでは済まない事も多い。てんかんの手術で海馬を取り除いた結果、新たな記憶を蓄積することが出来なくなったH・M氏。彼の覚えていることは手術を受けた27才までに限られる。その記憶も年々劣化しているという。救いは、今のH・M氏が自分の状況をある程度判った上で、自らを幸福だと思えていることだ。

 記憶を蓄積できないH・M氏だが、日常生活には不便がない。会話もきちんと出来るし、短時間ならば何か(電話番号など)を覚えていることが出来る。これは、脳内の様々な機能がモジュール化されており、相互に通信することで全体の思考を生み出しているためらしい。だから、どれかの機能が麻痺したとしても、総体としての思考や自我には余り替わりがないように見える。ただし、やはりある機能が麻痺しているのだから、時折奇妙な現象を生み出す。

 ある脳卒中患者は、右脳を中心に障害が出た結果、「左側」を認識できなくなった。左側から火が出ている家の絵と、同じ家で火が出ていない絵を見せると、両者の区別が付かなくなるのだ。ただし、まったく「左側」が見えていない訳ではなく、どちらの家に住みたいかを尋ねると、高い確率で火の出ていない方の絵を選ぶという。ただし理由を尋ねると、火のことにはまったく触れずに、何か適当な理由を持ち出す。

 似たような事はまだある。先のH・M氏に限らず、脳の機能は実験的な手術によって解明されてきたことは多い。てんかんの手術で左右の脳を繋ぐ脳梁を切り離すという手法は、今でも行われるという。この結果、左右の脳はお互いの情報のやりとりを出来なくなり、別々に思考を生み出すようになる。このような患者の左耳(右脳)にだけ歩きなさいと命令し、歩き出した患者に歩いた理由を尋ねると「ロビーで飲み物を買おうと思った」と答えた。これは左脳に「解釈装置」が存在し、自分がした行動に何でも説明を付けてしまうからだという。左脳が知らないうちに、何かを右脳がしたとしても、その行動が自分のモノである限り左脳は適当な理由を作り出してしまうのだ。

 人間、知らないということは何より恐怖を生み出す。自分自身の思考・行動に知らないことがあったならば、その恐怖は計り知れない。だが、人間の脳は完璧ではなく、機能モジュール間の通信不全や、モジュールそのものの不具合で、知らず知らずに脳の他の部分が知らない行動をしてしまうことがある。そういった行動を、そのまま受け入れてしまったら、それは恐ろしいことに違いない。自分の中に、自分でない者がいるようなものだから。だが、脳はそういった行動すらも自分の行動として解釈することで、受け入れる機能を持っている。しかし、この「解釈装置」ですら、まだまだ謎の多い脳の機能の一端に過ぎない。そう、脳はとても不思議な世界なのだ。

初出、B.M.Factory

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紙の本猫の地球儀 その2 幽の章

2000/08/05 02:50

どっちを選べばいいんだろう?

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 君には夢があるとしよう。えっ?、そんなもん無いなんて無下に言わないでさ、少しは何かあるでしょ? ビル・ゲイツになりたいとかイチローになりたいなんて大げさでなくても、あれが食べたいとか、ゲームをしたいとか、彼女と付き合いたいとか。そんなもんでも良いのさ、夢なんて。
 ついでじゃないが、君には力もある。その夢を現実にするだけの才能があるとしよう。もちろん、努力も必要だ。飯も食わず夜も寝ず、なんて言うと大げさだけど、時には昼飯を食い損ねたり、一日二日は徹夜をしたかもしれない。君はそれに打ち込んで、とうとう実現可能な所にまでこぎ着けた。
 でも、そこでハタと気がつかされた。君が夢を実現するためには、そこで誰かの夢を壊していやしないかと。君があれを食べたために誰かが食べられなくなったり、君と付き合ったために彼女にフラれた誰かがいるんじゃないかと。
 君の夢と、他の誰かの夢。どっちの方が価値がある? それに、どうやってその価値を決める? 古くからあるとか、多くの人が共感できるとか、みんなの為になるとか、それ無しでは生きていけない人がいるとか。君だけでなく、いろんな人がいろんな事を言い出すに違いない。でも、考えれば考えるほど、どれもが誰かにとって大切だってわかってしまい、どれかになんて決められないよね。
 この本は、そういったお話し。本当は、もっと切なくて、悲しくて、腹立たしくて、泣きたくなるような物語なんだけど。
 そうそう、最後になったけど一つだけ方法があるかも知れない。それは、みんなが夢を持たなければいいのさ。でも、焔にはこの方法は選んで欲しくないなぁ。

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ここから考えることを始めよう

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『人体改造の世紀』や『人体バイオテクノロジー』を読んだとき、遺伝子治療に関する規制が国によって大きく異なることを知ったが、そのような違いがどこから来たものかまではわからなかった。が、この本が大きなヒントを与えてくれている。現在、遺伝子治療は場合によっては優生学的なものと同一視され、それが反対運動や規制のもとになっているが、優生学が忌諱されるようになったのはこの20年以内のことに過ぎない。それまでは世界中の国々で程度の差こそあれ優生学的な施策は当たり前のように行なわれていた。この本では、そういった政策が採用されるにいたった課程や、推し進めた優生学者達の状況を丹念に資料を追って明らかにしている。
 最近の遺伝学者による著作を読むと、人に対しての遺伝子操作を論外だと言い、その可能性を否定することで自分の研究を守ろうとする態度がよく見られる。その気持ちがわかるが、それでは何も変わらないか、一部の人間の突発的な行動で大きく状況が変わってしまうかの両極端な自体を招くおそれがある。人の遺伝子操作を限られた病気の治療にとどめるのか、それともデザイナーベイビーまで許すのか、研究者を含めてまだまだ議論していかなければならないが、その際にこの本のような優生学の研究は重要なとっかかりになる。
B.M.Factory

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紙の本30独身女、どうよ!?

2002/08/26 02:44

女に説教するのは男の性(サガ)?

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『フロン』が「育児をしている女性」に向けたものなのに対して、本書はタイトル通り30歳前後の結婚・恋愛したい盛りの独身女性が対象。とはいいながら、裏のターゲットは30歳前後の独身男子になっている。
 内容をおおざっぱにまとめると、結婚のデメリット、一般的な恋愛幻想の不可能性、男性の幼児化と女性の大人化といったあたり。現代社会は、男に子供のままで居ることを許容するようになったが、反対に女性に対しては大人になることを強要するようになってしまった。その辺のことを覚悟すれば、もうちょっと生きやすくなるよ、という優しいようで厳しい内容。
 おまけだけれども、『恋愛の取説』も同時読んだが、印象として岡田斗司夫の宮台化が進行している様に思えた(笑)。恋愛だけでなくコミュニケーション能力を現代社会で快適に生きるのに必要なスキルだと言い切り、同時に訓練によって向上できるものとしてそれを薦める態度は、まさしく宮台の言葉だ。

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ここから見るか、向こうから見るか、上から見るか

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 オウム真理教に対する強制捜査からまだ間もない頃。オウムに対して真っ正面からドキュメンタリーを撮らしてくれと言ったら、果たして彼らは許可してくれただろうか? 普通は絶対にムリと考えるだろう。だが、著者であるTVディレクター・森は、彼が普段からドキュメンタリーを撮るときのように当たり前にオウムに手紙を書き、許可を求めた。そしてオウムの広報部長・荒木はそれを許した。そこから2年以上を経て完成したフィルムは「A」と名付けられた。

 このフィルムに移っているもの。信者に詰め寄る取材陣。立ち並ぶ警官。ヘッドギアをかぶる信者。怒鳴り声を上げるTVカメラマン。自から転び信者を公務執行妨害で逮捕する公安。家族を否定しながら家族を心配する信者。記者クラブの既得権にかじりつく新聞記者。オウムに人権はないとののしる通行人。歓談する信者たち。残念ながら私は「A」を未見なため、ここに上げた例はほんの一部に過ぎないだろう。

 そしておそらくそのフィルムには映っていないものもある。オウム信者と警察とマスコミの後ろから、または中からカメラを回し続けた森自身が、常に感じ続けた違和感だ。その違和感は、何となくは理解できる。しかし、詳しく説明しろと言われると難しい。かろうじてキーワードにすると「民主主義」「人権」「法律」「日本の民度」「個人の価値観」などと、安っぽい言葉が並んでしまう。だが、これが現実なのだろう。

 残念ながら、現時点では「A」を簡単には見ることは出来ない。表のメディアではけっして流れず、たまに各地で細々と行われる上映会を待つしかない。だけど、これが表のメディアで見られるようになったとき、その違和感が多少なりとも減っていることが期待できるのではないか。そんなかすかな希望が、絶望の中にかいま見える本だ。

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近寄れず、振り向かれず、報われないサリエリ

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 「モーツァルトが実は女だった?」というフィクションではちょくちょく見られるパターンの、「歴史のif」をあつかったマンガ。
 描かれている宮廷音楽家たちの日常は大変面白いが、具体的な音楽のシーンが少ないのが残念。さそうあきらの『神童』や、ハロルド昨石の『BECK』の様に絵から音が流れ出してくるかのような演奏シーンがあれば、より素晴らしいものになっただろう。近寄れず、振り向かれず、報われないサリエリには男として思わず同情してしまった(笑)。
 余談だが、作者の福山庸治が1950年生まれだということに驚いた。『臥夢螺館』で福山を知ったクチだが、そのときはもっと若い作者だと思っていた。確かにこの『マドモアゼル・モーツァルト』では、この年代の人間らしく絵に手塚の影響が色濃く見て取れる。

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紙の本聖の青春

2000/08/22 00:38

怪童と将棋と少女マンガ

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 命を懸けて将棋を指す。この言葉が比喩でも冗談でもない棋士が実在した。しかも、この平成の世に。村山聖は腎臓の病を抱えながらプロの将棋打ちになり、天才・羽生善治の最大のライバルと目された。この本は彼がガンの為に29歳で亡くなるまで、本当に命を削りながら棋士として打ち続けた記録である。
 年の離れた兄のあとにくっついて遊び回る人なつっこい子が、高熱を出したのは3歳の時。診療所の誤診などもあり、腎ネフローゼの診断がなされたときには既に5歳になっていた。この遅れが少年から平凡な日常生活を奪った。入院生活で将棋と出会ったのは、せめてもの代償だったのかも知れない。
 聖がプロ棋士を志した時、師として出会った森信雄もまた、特異なキャラクターだ。病で動けない弟子のために、少女マンガを探して書店をさまよい歩く。これだけでも一般的な棋士のイメージを大きく覆すが、それ以外にもエピソードには事欠かず、彼と聖のコンビの共同生活はまるでコントを見ているかのようだ。
 プロ棋士となってからの聖は、自分の体とも戦い続けた。わずかな不摂生が、あっという間に体を蝕み、将棋を打つことすら困難にする。それでも彼は、這うように会場に向かい、最後まで将棋を指しきった。聖の目標であった谷川浩司と羽生善治。彼らを追いつめながらも、ままならぬ体調によってチャンスは逃げる。もし、聖が健康体だったらとも思うが、将棋に命を懸ける姿勢と集中力は、病を抱える身だったからこそかもしれない。入院を余儀なくされ、7回の不戦敗を記録しているが、勝負の途中でリタイヤしたことは一度もなく、病院から脱走して大勝負に挑んだこともある。
 なにより惜しいのは、その才能ではなく、周りの人間に愛された彼自身だ。彼の将棋に対する姿勢は、見ず知らずの人間にも手を貸さずにはいられなくする。この本にから伝わってくるのは、将棋の怪童・村山聖の凄さではなく、愛嬌ある物静かな、だが頑固でどん欲な一人の人間への、周りの人達の愛情である。

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紙の本猫の地球儀 焰の章

2000/08/03 04:06

クレージーでカワイイ猫たち

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 地球にほど近い宇宙に浮かぶスペースコロニー。そこに暮らすのは人ではなく、宇宙人でもなく、電波で会話しロボットを操る猫たち。彼らは頭上に見える青い星を地球儀と呼び、死せる魂が向かう場所と信じている。
 その地球に生きたまま到達することを目指し、クレージーと呼ばれた猫たちがいる。迫害され、時には死に臨みながらも、あきらめることなく次へと希望を託し、今それを受け継いだ第37代スカイウォーカーの幽(かすか)という黒猫。
 一方で戦うことでしか自分を表現できない者たちがいる。己の肉体と、ヒゲからの電波で操るロボットで戦う「スパイラルダイバー」。そこでのチャンピオンにまで上り詰めた白猫・焔(ほむら)は、自らの人気や特権のための戦いを否定し、彼もまたクレージーと呼ばれる。
 世間に自分の居場所がないことを知っている彼らは、互いに目指すモノを理解し合え、だからこそ幽は焔を利用しようとし、焔は幽を激しく拒絶する。
 要素だけを並べると、何とも殺伐とした作品に見えるかも知れないが、それを補ってあまりある幼い三毛猫、楽(かぐら)の存在。時には作品すら壊しかねない言動をとる楽が、ただの狂言回しではもったいない。
 「猫の地球儀」2部作の前編となるこの本では、彼ら3匹の猫の出会いと因縁が語られる。まだ物語は序章だが、スピード感あふれる戦闘シーンと、猫好きでなくても頬がゆるんでしまうユーモラスな猫の描写が、ページをめくる手を止めさせない。クレージーな猫たちが、猫の社会にもたらすのは革新なのか、それとも新たな混乱なのだろうか。どちらであれ彼らの真剣さが、とてもうらやましく思えて仕方がない。

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ガンダムの見方と作り方と読み解き方

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 ファーストガンダムTV放送の第1〜6話までをメインにして、主に視聴者の側からドラマにおけるリアリティの読み解き方を追うことで、富野監督のドラマツルギーを示し、我々がガンダムの画面から何を受け取ったかを明らかにしていく。“リアル”というのは決して設定に凝るのではなくて、そういうメカニックや世界観とは違ったところの、細かい人の表情、会話の妙で作り出され、作中の人物が置かれた状況がまた視聴者の心象へと投影されることで、より強度を増す。「禁じ手」には後書きを読むまで気がつかなかったが、それも著者の技量のなせる技。

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紙の本軟弱者の言い分

2001/05/17 05:15

いかにして小谷野が「妻の誕生日」と書くに至ったか

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 小谷野のいいところは、物言いが平易で、符丁的な言葉の使い方をしないこと。そして、書いていることが判りやすいというのがある。確かに、特定の学問分野に触れるときは、多少なりの専門用語は使わざる得ないが、エッセイなどではとことん普通の文章を書く。他人の文章を引いてきたときも、意味不明のフレーズにはきちんと突っ込み、判らないと言う。

 もうひとつ、文学界のならいなのかもしれないが、なぜか文学者や評論家には読みづらい名前が多く、ふりがなもないことが多い。だが、小谷野の本ではきちんと振っているのだ。「大佛次郎」の読み仮名が振ってある本なんて、実はそうない(読めない人は小谷野の本を読もう)。団塊世代には常識かもしれないけど、今どきの20〜30台は知らないよ。

 また、小谷野の文章を読むときは、裏読みの楽しみがある。揚げ足取りではなく、『もてない男』であれだけ私憤を吐き出してくれたのだから、一見なにげない文章にまで私憤の陰をパズルのように探してしまうのは、それほど穿った読み方ではないと思う。例えば師弟間の年齢差に着目した「師弟関係と年齢」という文では、「もっとも、本当に引退していただきたいお方はたくさんおられるけれども」なんてセリフで軽く締めながら、遠回しに(?)アカデミズムの老害をくさしてみたりする。小谷野も苦労しているんだろう。

 どうやら結婚してもラディカルさは失っていないようだ。でも、現役のもてない男としては、前著『恋愛の超克』の後書きを「妻の誕生日」で締めるようになってしまった彼には、やはりちょっと反発を覚える。
B.M.Factory

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現地に足を運び、話を聞き、そこで何を考えるのか

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 アフガン、パキスタン、サウジアラビア。NYでの9.11テロ後に、戦争の舞台となった地域を数年にわたって取材したルポタージュ。各地で著者が実際に目にし、話しに聞いたものを、ほぼそのまま著わしている。話しを聞くことができた人は、タリバンの役人の娘、サウジの富豪の家族、子供を何人も抱えた難民など非常に多岐に渡り、それだけでも貴重な証言になっている。
 ただ、気になる点もある。それは各証言にほとんど吟味が成されていないのだ。本の趣旨が違うのかもしれないが、視点が常に著者が通ってきた場所にしかないため、読んでいて常にその時点での著者の主観しか読みとれない。著者が現場で見たり聞いたりした後に、そこからさらに他の情報を仕入れて、分析なり考察をすることがないのだ。
 このため、最後の2ページの結論部が非常に浮いていて、あたかもとってつけたように見える。全体的にはジャーナリストのルポタージュと言うよりも、ツーリストによる紀行文のようになってしまっているのが惜しい。

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紙の本ICカード革命

2002/08/20 17:51

ICカードの先に見える社会

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 著者たちは全員が経済産業省におけるICカード関連の実務担当者。まず始めに書いておくと、この本は読み物としてはさほど面白いわけではないし、資料やデータの大部分もウェブにあるものの上、技術解説も詳しいわけではないので、好奇心だけで買うと後悔する。ただし、ICカードに関する官僚側の思惑を記した資料としての価値は大きい。
 気がついたことは2点。まず1点目は、経済産業省のICカードにおける狙い。個人でのICカードのメリットは、各種カードが1枚のカードの乗り入れることで持ち歩くカード枚数を減らすことや、免許など各種の身分証明書に替わるものということを、大きくアピールしている。が、もっと突き詰めて考えると、これはハードウェアで暗号を処理できるツールを常に個人が持ち歩くようになる、ということなのだ。
 今後の社会生活を送る際の個人の身分証明に、もっとシステムレベルで堅いものを導入しようとする流れは、レッシグのCODEを持ち出すまでもなく当たり前のものになりつつある。そのソリューションとして公開鍵暗号を処理可能なカードを国民一人々々に携帯させる、というのが経済産業省の考える答えのようだ。
 2点目は、これはICカードに限らないのだけど、経済産業省の人間をはじめとする頭の良い人間が考えている未来の社会像について。第8章でこんなことを書いている。少々長いが引用しておく。
< 「どこの会社」、「どこの学校」といった「ブランド」が意味を持たない時代になれば、会社や学校が私たちの身分を認め、その証明書を発行するという方法ではなく、所属する会社や学校を私達が選択し、私達が生まれたときに与えられたIDカードの中の「所属」欄のデータを書き換えるという方法があり得るのです。運よくICカードはそういうことを得意としています。主役は会社や学校ではなく、私達なのです。会社や学校などの組織が私達を管理しているのではなく、私達が組織の一員になっているのです。会社や学校から与えられるカードは、終身雇用や学閥などにもつながる妙な帰属意識を煽っていると思うのは考えすぎでしょうか。(P172)>
 また、
<私達は自分の存在が絶対であることを認識し、所属する組織は一時的なものであることを認識すべきなのかもしれません。「流動性の時代」にICカードが登場したことの因果を感じざるに入られません。(P173)>
という記述もある。縦割りの最たる行政の人間がいっても説得力がない、というのは置いといて、いかにも頭の良い連中が考えそうなことだ。唯一、個々人を絶対のものとして、社会的なものを後天的な「属性」として書き換え可能なものと見なす。これは「原子論的な個人」そのものだ。
 確かに流動性は必要だと思う。ただし、社会における流動性といったとき、「アイデンティフィケイション(ID)の流動性」と「関係の流動性」のふたつの面があると思う。現在では、このふたつはほぼ重なっているが、ICカードはこれを分断して「関係」の流動性は高めても、「ID」においては逆に著しく減少させるおそれがある。そうなったとき、最終的に残るのは「個人と国家」の関係だけになる可能性がある。良いか悪いかは別にして、これは監視社会を通り越してディストピアそのものだ。
 では、その属性を記した「ICカード」と「本人」を具体的に結びつけるものはなんだろう。指紋、声紋、光彩などバイオメトリクスに利用できる要素は各種あるが、「生まれたときから」という条件が付くとどれも難しい。ではどうするのか。究極的にいってしまえば、生誕時から変化しない個人を特定する物理的に唯一のものは遺伝子しかない。つまり、行政の進めるICカード社会は必然的に遺伝情報を必要とすることになるのだ。
B.M.Factory

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元聖歌隊の告白

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 子供の頃、プロテスタントの教会が経営する幼稚園に通っていたのが縁で、小学校の4年生くらいまでは毎週日曜日に教会へ通っていた。今から思えば、半分くらいは遊び感覚で、友達と会えるから行くぐらいの軽い気持ちだったけど、ボランティア活動などいろいろとやった記憶がある(これでも聖歌隊やってたんだぜ、白いポンチョみたいなのを着て)。その頃から思ってたことがある。「神様って何で不親切なの?」「人に足へキスさせるなんてイエスって偉そう」「イエスの家族ってどうしてるんだろう?」etc..。たぶん聖書には書いてあるのだろうとは思ったけど、冒頭から始まるイエスの家系を示す名前の羅列にめげて、通読したことはなかった(その頃は本を飛ばしながら読むことはいけないことだと思ってた)。

 話がそれたけど、この本は聖書をネタにした、トンデモ本シリーズみたいなもので(山形浩生自身も本家と学会に「アイアンマウンテン報告書」でネタにされたことがあるけど)、聖書の記述を全部字面通りに追って、矛盾、どう見てもウソ、気狂いじみた記述なんかをあげつらっていく。軽く読める良い本だし、これで聖書に興味が湧けば、最近の硬めの聖書学の本を読んでみても言いんじゃないかな。一時期、死海文書がらみの本を、律儀に読んでいたワタシとしても、ようやくまっとうかつ面白い聖書の本を読めた気がする。訳者あとがきで山形が、死海文書関係の本を十把からげに切って捨てているけど、ホントに日本で出たのにはろくな物がなかったからね。

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