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  3. yhoshi2さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

yhoshi2さんのレビュー一覧

投稿者:yhoshi2

45 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本バトル・ロワイアル 上

2003/04/27 08:58

親が知らない「子供たちが読んでいる」本

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

バトル・ロワイヤル。99年の刊行以来、これほど世の親たちや「教育者」に嫌悪された小説も珍しい。そして映画化(最近亡くなった深作欣二のメガフォン)でまたまた議論沸騰。結局、作中に多数の中学生が登場するのに、その中学生が劇場では見られない(R15指定)という事態にもなったいわくつき。最近文庫化されてハンディになったのを機会に、出張のお供に読んでみた。なるほど殺戮の描写はなんとも「映画」的で「残酷」なのだが、一方でその残酷に至る中学生個々人がしっかり描かれていて、彼らの中学生活の鬱屈、退屈、嫉妬、嫌悪などがリアルにこちらの心に届いてくる。なるほど、手ごろな武器と戦場(やっぱり無人島が一番)が与えられ、「自分が生き残るため」という「まっとうな理由」があればいまどきの中学生は級友だって殺すかもしれないとだんだん信じ込まされていくという仕掛け。このストーリー、1990年代の日本の中学生の真実に意外にも最も近いところに位置するのかも知れないと思えてくる。たまたま周りの大学生10人に聞いてみたら、なんと8人がビデオでみた答え、本を読んだというのも6人。読書離れの今日、この数字はなるほど驚異的。これだけ読まれているという現実自体がすでに社会現象といってもいい。というわけで、世の親は是非一読すべしというのが私の結論。子供たちは単に「殺戮」場面を面白がっているわけではないのだ。ところで、てっとり早くビデオでというのはお勧めではない。2時間の映像に42人の人生を詰め込むのはさしもの鬼才深作監督にも無理だったようだ。


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慶喜とは不思議な人物

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

明治維新は「薩長連合による倒幕」の結果という、正統的とされてきた歴史観に真っ向から異議を唱え、論争を喚起する著。当時の政治権力が、江戸における「徳川幕府」と、それとは相対的に独立した、京都における「権力」=一橋慶喜、会津藩、桑名藩=いわゆる一会桑政権とに分裂していたと説く。そして、薩長が目指したものはこの後者「一会桑政権」からの権力奪取であり、それを倒幕=打倒「江戸幕府」と単純に理解すべきではないという論旨は明快である。たとえば、同政権は孝明天皇とは不思議なほど親密な関係にあったこと。そして長州の会津藩に対する怨念、敵愾心は蛤御門の変、さらには京都での会津藩(=京都所司代)による苛烈な勤皇勢力への弾圧によって頂点に達していた、などに着目する。なぜ、会津藩が長州を中心とする官軍にあれほど徹底的に攻撃されたのか。その一方で会津藩の側に「会津の殿様は孝明天皇にあれだけ忠義を尽くし、天皇からも厚い信頼を寄せられていたのに」それを「朝敵」(=天皇に敵対する勢力)と断じたのは長州の政治的「欺瞞」とする見方がある。それらを理解するためには、この一会桑政権という不思議な権力の成立と崩壊をしっかり押さえておく必要があることがよく判る。後世の歴史家はしばしば、歴史の結果からみて合理的「原因」を推測するという手順を踏むが、明治維新に至る権力闘争の過程は意図と結果がストレートに結びつくほど単純ではない。ある政治的「意図」が思わぬ結果を生む、そういうプロセスの複合した最後の結末がたまたま「明治維新」に結実したというほうが正解に近い。それにしても一会桑政権の立役者、慶喜とはなんとも不思議な人物。

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萩原氏逝く。遺作「遠い崖」は貴重な財産

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2001年10月24日萩原延壽が不帰の人となった。享年75歳。大著「遠い崖−アーネスト・サトウ日記抄」第14巻、最後の巻が発刊されたのが20日。まるでこの著作の完成とともに逝ったという印象が強い。朝日新聞での連載を開始したのが80年、何度かの中断の後1990年に連載終了。そして単行本化がながらく待たれていたが、それも第1巻がでてから8年の間著者の意向で中断。やっと本格刊行が開始されてから足掛け3年。新聞連載の原稿にその後の知見などをふまえて綿密な加筆訂正を施してついに14巻全部が完成したのである。
2年前、まだ単行本の刊行から間もない時期、横浜の開港資料館で開催された萩原氏の講演を初めて聴講した際に、この仕事に賭ける氏の情熱をひしひしと感じる一方で、その高齢(当時すでに72歳)から考えて、果たして全巻刊行まで健康が維持できるのだろうかと(大変失礼ながら)不安を感じたものである。それにしても脱稿後3か月で亡くなられるとはかえすがえすも残念。まだまだ書き残して欲しいこと、氏にしか語れないことが多数あったというのに。
幕末・維新を渦中にありながらも外国人としての客観的かつ冷静な眼で観察したサトウの日記、文書の紹介は維新史研究にとって極めて大きな貢献である。彼自身が当時の日本にとってもっとも頼りにし、かつ警戒すべき列強第一の国であった英国の日本語翻訳官(のち書記官)という第一級の情報を入手しうる絶好の立場にあったこと。のみならず、得意な語学の才能を存分に生かして当時の日本側の多くのキーパーソンと個人的交友を深めていたことなど、がサトウの記録の価値を極めて高いものにしている。従来必ずしも体系的な検討の対象とされていなかったサトウ文書の萩原による発見、そして発掘、解題が維新史を学ぶ者にとってもたらす恩恵は計り知れない。
氏の遺したものは豊富である。その業績を出発点に何かを付け加えていくことができるのか、最後まで在野の歴史家を貫いた萩原延壽の衣鉢は重い。

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日本の中のフランス:たとえばハコダテ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ハコダテには何故かフランスに縁のあるモノ・コトが多い。トラピスチヌ修道院、白百合学園、元町カトリック教会、ラサール学園。7月から8月にかけて史跡五稜郭で開催される真夏のページェント「五稜郭野外劇」の主唱者・フィリップ・グロード神父(老人ホーム経営)もフランス出身。幕末・明治の開港場ハコダテにはイギリス・ロシア・アメリカとならんでフランスが随分と熱心に「文化」を運んできたことがうかがえる。宗教関連が目立つが、他にも戊辰戦争最後の戦い「箱館」戦争で旧幕軍の陣営にフランス軍人が10人も参加していたという史実も。ハコダテの子供たちへの郷土史教育でもほとんど取り上げられていないのが残念ではある。さて、大判の日仏語対照のこの本:「絹と光」はこのフランス軍人たちのリーダー:ブリュネ大尉の研究でも知られるポラック氏による「近代日本におけるフランス」が果たした様々な事跡を写真や図版をふんだんに使って紹介した労作。「絹」は当時の日本の重要輸出品。フランスの絹織物業の中心:リヨンに運ばれた大量の生糸、そしてその見返りにやってきた「光」は当時の日本人にはまばゆいばかりの「文明」の利器の数々であったという。造船、繊維産業、街灯、法律、鉱山開発などなど。もちろんブリュネ大尉の波乱に富むストーリーも「箱館戦争」のタイトルで一章が割かれている。知られざるハコダテにも「光」をあてた貴重な書。ちなみにブリュネ大尉をもっと知りたい方にはは綱淵謙譲氏の「乱」が絶対のお奨め。

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紙の本壬生義士伝 下

2003/05/31 11:05

やっぱり泣ける浅田次郎の技

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幕末歴史小説「壬生義士伝」。初版発行が2000年。浅田次郎の人気で刊行当初から書店では平積み、マスコミでも話題、中井貴一主演で映画化も。そして2年、文庫化もされて、こちらも結構な売れ行きらしい。それらを横目でみながら幕末の歴史マニアを自認する僕が遂に買わずに終わった本。「鉄道員」の終章に不覚の涙して以来この作者には「また泣かされるのか。かなわんな」という予断が働くのだ。ところが最近知人の女性から「ええ! まだ読んでなかったの。私うーーんと感動。是非読むべきよ。本は進呈するから」とまでいわれて発奮。数日後宅急便で上下2冊の単行本が送られてきた。これはもう読むっきゃない。読み始めての発見、なんと函(箱)館も登場するではないか。新撰組幹部の主人公吉村貫一郎は鳥羽伏見の戦いの後、大阪の南部藩屋敷で切腹して果てた筈なのに? なんで函館かというと、実は彼の息子嘉一郎が亡き父に代わって南部盛岡から箱館までやってきて、新撰組とともに千代ヶ岡で戦死するという筋なのだ。この部分はまったくの創作なのだが、この息子がまたなんとも清清しいのである。「自分が戦うのは主君のためでなく家族のため。自分の女房・子供を食わせられなくて何がか」と愚直に思い続け、天性の剣さばきで京の町に屍の山を築く一方で給金全部を南部の妻子に送金し続けた貫一郎の生涯が南部訛りでたんたんと語られる。それにしてもなぜこれほどのブームなのか? ちなみにYAHOO検索で「壬生義士伝」をひくとヒットが28000、「吉村貫一郎」でも2300ものヒット。大半がファンによる勝手連サイト。中には終章の漢文の手紙の書き下し文まである。この手紙、貫一郎自刃の謎を解き明かす格好のお膳立てだなのだが漢文はいまや準外国語扱い。こういうサービスまで登場するとはもはや「壬生義士伝」現象というべき事態。ブームのあとでゆっくり楽しんでもいい本としてお奨め。
ところで浅田次郎がある飛行機の機内誌に「函館の夜景を絶賛する」コラムを書いた。函館がことのほかお気に入りとも聞く。辻仁成、宇江佐真里(おうねすてぃ)、谷村志穂(海猫)に続く「はこだて」のストーリーテラーになってくれないものか。期待。

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紙の本まちは唄う 函館散歩

2003/04/27 08:44

函館「街の物語」113編、文章と挿画のベストマッチ

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北海道新聞の地域情報版に連載された函館の街の物語113編が本になった。一編ごとに地元画家によるスケッチ風の挿画が入り、そこで生業を営む300人が語る街の過去と現在を記者が丹念に聞き書きをしてまとめたもの。
弥生町で大正3年以来続く銭湯の北洋漁業華やかなりし頃の賑わい、十字街の珍しい「量り売り」の菓子店(その後再開発ビルが建つのを機会に廃業)松風町の創業112年の今では珍しい帽子「専門」店などが登場し函館の昭和を語り継ぐ。一方で元町に移り住んで夫婦で開業したカレー専門店、松蔭町に開店した紅茶「専門」店など、今日風ビジネスの新しい息吹も収録。しかし断然嬉しいのは弁天町の由緒ある和洋折衷住宅をライダー専門の格安民宿としたとか、12年ぶりに復活した松倉川の灯篭流しのようなケース。古くからの価値あるものを新しい感覚で再活用する試みが街のあちこちで起こっているという。こういうケースを知るとハコダテのポテンシャルもまだまだ捨てたものではないと思う。
街ごとの編集だから何処からでも読み始められるので函館出身の人は自分にゆかりの場所の紙上探索から始めるとよい。面白そうなテーマにぶつかったら早い機会に実地検証にいってみよう。きっと更なる嬉しい発見に出会うこと間違いなし。早めに出かけないと無く(亡く)なってしまう場合もある(連載期間の98-00年以降でも死去、転廃業は結構多い)のでご注意。

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紙の本黒竜の柩 下

2002/10/29 07:53

新しい「歳サマ」伝説

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 昨今のハコダテではGLAYゆかりの場所探索ツアーが有名のようだが、かの新撰組副長土方歳三だって依然根強い人気を保っている。市内若松町にある土方「終焉(しゅうえん)の地」の記念碑前も供花が絶えることがないとか。実は土方の最期の地がどこかは諸説あり、遺体が葬られた場所も不明、お墓も数か所にあるというアバウトさなのだが。司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』が描く、あまりにカッコイイ歳三が有名になってしまい、その後に出版された土方「本」はほとんどがその亜流。そろそろ飽きが…、という絶妙のタイミングに現われたのが『黒龍の柩』。ハードボイルド作家北方謙三の最近作だ。鳥羽伏見から箱館へと続く内戦の時代、旧幕勢力の中でも飛び切りの守旧派武闘集団とされる新撰組を率いて各地を転戦、ついに箱館で官軍側の放つ銃弾に斃(たお)れた、とされる歳三を全く違うシナリオで書き下ろしている。歳三が実は、新撰組副長の職責をこなしながら、密かに京都、江戸、箱館、さらには前将軍徳川慶喜が潜伏する東北各地の山野を縦横に駆け巡り、幻の「蝦夷共和国」建国に奔走したというのだ。内戦が長引けば列強の介入から、植民地化のリスクがあるというのは坂本龍馬や勝海舟が当時から唱えていたこと。とすれば旧幕勢力がこぞって蝦夷地(北海道)へ移住し、本州以西の新生「日本」とゆるやかな連邦制をとるという考え方があったとしても不思議ではない、というのがミソ。その舞台回しという役割りをふられた歳三の活躍ぶりが新鮮。大政奉還直前の龍馬暗殺の黒幕は? 江差沖の開陽艦の座礁沈没は官軍側スパイの仕業? 上野寛永寺で謹慎していたとされる徳川慶喜は実は替え玉で?など「新事実」も続出。史実の間を巧みに縫う北方流の演出は不思議な説得力に富む。もちろん歳三の無類の剣豪ぶりも随所に登場、胸のすくような斬り合い場面の描写という読者サービスも十分。そして箱館での衝撃の結末が…(ここで読者は『黒龍の柩』というタイトルの意味に気づくという仕掛け)。新しい歳サマ「伝説」の出現を予感させる、分厚いが読ませるフィクションだ。

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紙の本ペリー来航

2003/12/15 22:24

ペリー来航への新しい評価

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1853年ぺリー艦隊の黒船が浦賀にやってきた。そして翌年再度の来航。日米和親条約を結び、日本は下田・箱館の開港を約しついに開国。それは150年の太平を謳歌した徳川幕府の崩壊の前兆ともなった。実は先日も「当時の箱館の住民はペリーらを歓迎」という新聞記事を目にしたが、それって本当?だろうか。ペリーの報告書にそう書いてあったというが、その種の「公式」報告書がえてして報告者の自己弁護を目的に、修飾(あるいは粉飾)されることが多いことは、今日でもお役所の報告書などでよくある話。現に、箱館港内に停泊したペリー艦隊が、陸上での協議がデッドロックに乗り上げるとすぐにも「砲撃用意」と戦闘態勢をとったのも事実なら、箱館側の役人が「夷人は婦女子に異常に興味を示す」から女子供は絶対に表にださないようにと触れを出したのも有名な事実。ことほどさようにひとつ間違えば偶発的衝突がおきかねない危ない状況であったことは間違いない。しかしそうしたネガティブなことは、とりあえずは成功を収めた遠征の「報告書」には書かないのがむしろ普通。一方で先に述べた「歓迎」も、「庶民にとってはペリー一行はおおいに興味を惹く対象であったので、いく先々で群集が彼らを取り巻いた」というあたりが真実に近いようだ。ことほどさように異なる文化が初めて接触するときには双方とも異常に神経質になるのは当然だし、またその過程で思わぬ誤解・失策が起き、それが外交的なマイナスとして後々まで重大な影響を及ぼすこともある(たとえば本書で紹介されている、米人外交官の下田駐在についての約定が日米双方の公文書上も食い違っていたなどという件など)。本書「ペリー来航」はそうした異文化の「接触」の初期場面の様相をペリー来航にあたっての幕府内部とペリー側双方のさまざまな動きを対比させながら描きだしたもの。それにしても、ペリー来航に周章狼狽、無為無策の末に「不平等条約」を結んだとそしられることの多い当時の幕閣だが、それらの評価が後の明治新政府の意図的な宣伝によるところが大きいという指摘は鋭い。情報不足の幕府側にも事態を冷静に捉えて賢明な策を打ち出した一群の官僚たちがいたこと、一方のペリー側にも数多くの誤算や戦術上のミスがあり、それらの交錯の結果が予期せぬ事態の進展につながったともいう。歴史の面白さが満喫できる。今年がペリー来航150年。本書発刊のタイミングも絶妙。

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「ペリーの白旗」の真偽を巡る旅はほとんどミステリーツアー

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松本健一の「白旗伝説」(講談社学術文庫)は学会に大きな衝撃を与えた。松本によれば幕末浦賀に来航したペリーは米大統領国書の受領について態度の煮え切らない幕府に対し、白旗2琉と秘密書簡を送り「もし国書受領を拒否する場合には戦端を開くことも辞さず、そうなると幕府側の軍事的劣勢はあきらかだから必ずや米側が勝利する。敗北を認めたときはこの白旗をもって降参の意思を表明せよ」と述べたという。幕府が結局は国書受領に傾くにあたって重大な意味を持ったとされるこの文書、原本は喪われその邦訳の写本だけが伝わっている。なぜかペリー航海記(公式の報告書)にもこの秘密書簡のことは全く触れられていない。(松本は、ぺリーが当時大統領から付与されていた権限を逸脱する内容なので、あえて報告書には載せなかったと解釈)これに対して学会はおおむね否定的で松本が挙げた証拠文書は後世の偽書と断じたため論争はこの数年間続いている。最近になって「つくる会」歴史教科書が松本説を採用、日米関係の原点にこうした屈辱的な歴史があったというストーリーに仕立てたことで再度脚光を浴びた。果たして「白旗」は歴史の真実か? ジャーナリストの著者が丹念に関連論文、古文書をあたってまとめた本書は、日本の歴史学界の固陋をあぶり出し、一方で幕末当時の幕府内部の議論とそれが周囲に伝播していく途上でおこる誤解や意図的な情報操作の実態などを明らかにする。結論を書くのは著者に失礼なので省くが、なぞを解明していくプロセスはまるで良質のミステリーの趣、大変楽しめたということはいっておこう。

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紙の本理由

2002/12/25 00:32

ひとそれぞれの「理由」が殺人にいたるまで

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東京の下町に突如現れた巨大なマンション、その20階で起きた凄惨な「一家」4人殺害事件が小説の発端。ところがこの4人、実は全く赤の他人同士であったことが判る。なのに数か月あたかも家族のようにこの豪華マンションでひっそり暮らしていた。彼らは「占有屋」の実行部隊。ローンが払えなくなって競売に付されたマンションに善意の賃借人を装って住みつき、新しい持ち主の入居を妨害するという悪質な新商売。ところが事件の背景を探っていくとそこにはなんとも多彩な人間たちと、彼らの織り成すもつれた関係がつぎつぎに明らかになってくる。ローン地獄のサラリーマン、お受験戦争に巻き込まれた小学生、老人介護施設からふっと掻き消えた老婆、20歳の未婚の母、やっぱりうまくやっていけない嫁と姑などなど。総勢6家族15名以上のユニークなキャラクターが登場。現代の都会の片隅に確実に生息していそうな人たちのやりとりや実感がリアルに描かれていて飽きない。誰しもが経験したおぼえのありそうな「せりふ」が随所にでてきて身につまされることしきりなのである。人が生きていくにはそれぞれにとってのかけがえのない(と信ずる)「理由」があり、それらが日常の中で他人の「理由」と様々な衝突や葛藤を生み出していく。その挙句が殺人もという次第。読み進むうちに、この小説のテーマが実は殺人事件そのもではなく、登場人物それぞれの心理のひだを描き出すところにあるらしいことがわかってくる。わたしたちの周りにもひとりやふたりは容易にみつかりそうな一見フツーのヒトたちの心の中に潜んでいる「闇」。それが本当は怖いのだというお話。

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2002/10/16 08:46

幕末を新しい視点から描いた一級の史伝:フランス軍人の箱館戦争

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箱館戦争は1か月の陸海での激戦の後、明治2年5月、榎本武揚率いる旧幕府軍が降伏して終わった。1年半におよぶ戊辰戦争がこれにて終結、明治新政府の基盤が完全に固まったのである。その降伏の2週間前の深夜、箱館湾上に停泊中のフランス軍艦にひそかに収容されたのは砲兵大尉ブリュネ以下のフランス軍人9名。徳川幕府が軍隊の洋式化に備えて、フランスから招いた軍事顧問団から脱走、榎本軍に参加した者たちであった。新政府軍江戸進駐後の江戸湾から新鋭の洋式軍艦開陽艦以下8隻で脱走。はるばる北辺の地、箱館に立てこもった榎本軍に、なぜフランス軍人らが加勢したのか。歴史小説家、綱淵謙譲がブリュネの心境の変化を縦糸、幕末の日本史を横糸に、真相を解き明かそうとしたのが本書である。
この時代を敗者の側から描いた本は発行当時としてはまだ珍しかった。それだけに意外な歴史の事実が数多く収録されている。たとえばブリュネらが当時のフランス領事らの監視の目をかいくぐって、舞踏会の会場から夜陰に乗じて品川沖の榎本艦隊の艦船に乗り込むあたりなど迫真の叙述。資料収集から10年を費やしたという著者の執念が伝わってくる。ストーリーとしてもテンポよく、読者を飽きさせないだろう。また、ブリュネらの動きに沿って、当時の箱館や渡島半島が随所に記述され、郷土にこんなに面白い史実が埋もれていたのかという驚きもあった。結構なボリュームだが、休日の何日かを費やす値打ちは十分。ところで、函館にはトラピスト修道院はじめ、フランスに関係のある史跡が多いが…。もしかするとフランス人が特別に函館に思い入れが深いのもブリュネに端を発しているのでは? 想像は膨らむ。それにしても著者の急逝で未完に終わったのは残念。

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紙の本東電OL殺人事件

2002/07/09 23:13

東電OL事件とは1990年代日本人の意識の反映

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事件発覚当時あれほど世間を震撼させた「異常」事件も、その後の「さかきばら」「毒入りカレー」事件など相次ぐ異常事件の続発の中に埋もれてしまったかにみえる。出稼ぎネパール人の逮捕、そして一審無罪。異常な長期拘留などその後の展開もまた異常。しかし被害者の「昼と夜」のダブルフェイスの裏に潜むものにしつこく迫る佐野眞一ルポルタージュは円山町という渋谷暗部から発して日本という国全体を覆う、退廃と堕落を容赦無く照らしだす。1990年代後半の日本の現実そして日本人の意識を考察する上でも見逃せない本。大部だが久方ぶりに一気に読んだ。

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「何時でもヒマですさかい」という生き方

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天野忠という詩人はまったく未知であったが、筆者の山田先生が私の大学在学時のフランス語の担任であったこともあり、つい懐かしくなって手にとった。北園町という京都・洛北の地にも懐かしみもあったし。それにしても不思議な本である。天野忠という生前それほど有名とはいえなかった詩人とひょんなことから知り合った山田先生。その山田先生が天野氏のお宅に時折訪れては酒を飲み交わし、語り合ったというだけの話。しかし、次第にこの不思議な感性と知性をもった「稀有」の詩人の生き方、感じ方にぐんぐん引き付けられていく山田先生の様子が、淡々と、しかしある種名状しがたい臨場感をもって語られる。「またどうぞ。わたしは何時でもヒマですさかい」がいつもの別れの挨拶。ヒトの老いかたのひとつの典型がここにはある。一個の人生の終焉に至る10年間をまるでいまそこにあるかのような、なにげさを装って描ききった秀作。私にとっての2000年の最高の収穫。なお山田先生こと山田稔氏はフランス文学者、翻訳家にして、軽妙洒脱なエッセイ(スカトロジア、幸福へのパスポート、いずれも入手困難)でも知られる。

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外国人による美しく豊かな日本語表現の優れた到達点を示す

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この本を読むと、外国語というコトバで、みずみずしい、読む者のこころにストンと落ちてくるような感性の表現が可能になっていることに驚嘆する。以下、筆者を直接知る、私の友人の某国立大学教官の推薦文からの転記、

皆さん,たまには留学生が日本語で書いたエッセイなどを読んでみませんか。外国人が日本語で書いたこんな見事な文章を読むと、日本語を見直したくなると同時に、日本人として恥ずかしくなります。こんな日本語を書ける日本人がどれほどいるのだろうか、と。法政大学大学院を卒業した内モンゴル出身の中国人留学生ボヤンヒシグさんが日本(ナラン)への置き手紙として書いたエッセイ(詩を含む)です。私は、たまたま彼と知り合い、相談を受けた間柄ですが、話が発展し「お前、帰る前に何か書き残して行け」と言ったら、数ヶ月後に出てきたのがこの本の原稿でした。 通常の私費留学生として日本に来た学生ですが、慣れない日本語でかくも見事に表現していく彼の感性と表現力に驚かされ、サポーターを集め出版に至ったものです。現代詩人の第一人者荒川洋治氏が感激し、これを機に「留学生文学賞」を作るという具体的な話も進んでいます。日本でさまざまな苦労をしてきただろうにそのことには触れず、日本を批判するでもなく媚びるでもない、草原の風のように吹き渡る文の流れに私自身おおいに感動を覚えています。是非ご一読下さい。

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海峡の記憶 青函連絡船

2002/07/07 09:06

青函連絡船を語り継ぐ

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1988年廃止された青函連絡船の姿を記録に留めた写真集。函館駅から連絡船乗船口へいたる空中回廊(!)など、今は喪われた懐かしい場面が数多く収録されている。
昭和30年代まで北海道のほとんど唯一の玄関口だった函館には青函連絡船にまつわる多くの記憶が残されている。現在、旧桟橋付近に永久係留されている「摩周丸」はその記憶の最後の具体的なモニュメント。観光・商業施設としての運営に赤信号がともり、第三セクターから市が買い取り、あらたに歴史・産業遺産としての活用が検討されている。
ちなみに著者は函館生まれ、父親が国鉄職員。それだけに青函連絡船への思いには年期が入っている。この写真集の発行を機縁に「摩周丸」の再生・活用の運動に取り組み、ついにはNPO法人「語りつぐ青函連絡船の会」を設立。最近「摩周丸」の汽笛の再開という快挙をなしとげた。「本」と現実の世界との切り結び方のひとつのタイプを示したともいえよう。

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