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きょんさんのレビュー一覧

投稿者:きょん

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本気晴らしの発見

2001/02/16 10:58

ストレスは人間を豊かにする

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は重度の「早朝覚醒」にかかった。長くて3時間、短ければ1時間しか眠れず、あとは朝がくるまでふとんのなかで悶々としている。当然、心身に不調をきたし、疲労が綿のように降りつもっていく。それでも勤めにも出ていかなければならないし、ふつうの日常生活を営まなければならない。そういった暮らしがどんなに苦しいものかは、想像するに余りある。

 著者はそれがストレスのせいであると自覚した。それでストレスに関する本を読み漁った。するとストレスがコレステロール値を高めるということがわかった。著者は自分の血管のなかでどんどんコレステロールの小片が作られていくのを自覚する。それでコレステロールに関する本を読み漁った。そして、なんとか気を晴らす方法を見つけてストレスを減らし、コレステロール値を下げようと決心するのである。

 その気晴らしを見つけるための努力は涙ぐましい。なにしろ、笑いが必要だと思いあたると、イッセー尾形のビデオ13本を14時間見続けるのである。目は真っ赤、肩はバリバリ。なにもいっぺんに見なくたって、と思うが、そうできないのがこの著者の性格なのだろう。そんなに生真面目だからストレスがたまるんだよ、と思わずためいきが出る。

 だが読んでいくうちに、生真面目に生きてストレスをいっぱい抱え、そのストレスを減らそうと生真面目に努力している人が、いかに内面的に豊かになっていくかに気づかされる。ストレスのない人は苦しみがないぶん、たぶん軽い。気を晴らそうと努力しなくても、いつでも気が晴れているから何も心配がない。「脳天気」とは、実に言い得て妙な言葉だと、つくづく感心する。

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紙の本キャッチャー・イン・ザ・ライ

2003/05/11 20:49

やれやれ、さ。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 なるほどね、古い映画が何度もリメイクされるように、小説もいまふうに味つけすれば、何度でもリメイクできるものなんだ。それだけ普遍性を持つ作品なんだと言えるのかもしれないけど、若者なんていつの時代だってやけくそで、あらゆるエスタブリッシュメントを侮蔑していて、悲惨で愚かなことは、そう変わらないんだからね、要するに変わるのは語り口と時代の風俗だけなんだ。だけどその語り口っていうのはけっこう重要で、ほとんど文芸作品のすべてとさえ言える要素なんだから、リメイクにはとてつもなく大きな意味があるんだね。その影響力たるや絶大なるもので、読んだあとはぼくの語り口まで自然にこんなふうになっちゃうんだよ。やれやれ。だけど『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルはもうちょっとなんとかならなかったんだろうか。せめて本文に出てくるような『ライ麦畑のキャッチャー』にするとかさ。これじゃ、最近の映画の邦題と同じじゃないか。予告編なんかでナレーターが完璧なカタカナ発音で『リバー・ランズ・スルー・イット!』と絶叫するたび、とことんうんざりさせられるんだよね、まったく。
 でもこのホールデンってやつは、けっこういやなやつだと思うよ。自分でもそれがわかっているから、まじで落ち込んでいるんだろう。この世の中の通俗的なもの、ブルジョア的なもの、インチキくさいもの、偽善的なものを軽蔑しまくっているわけだけど、自分もどうしようもなくそういうものの一部であることを知っているから、とことん気が滅入ってしまっているんだ。彼はガラスのなかで展示品がじっと動かない博物館が大好きで、何十万遍でも行きたいくらいなんだけど、そこへ行く人がこのあいだの自分とはもう違っているということをすごく考えるんだ。時間とともに人間が変わっていかざるをえないことに耐えられないんだよ。きたないおとなになっていくと思うと、心底落ち込んでしまうんだね。そういうモラトリアム小説なんだよ、これは。いまどきモラトリアムなんていう言葉を使うのかどうかわからないけどさ。
 幼くして死んだめちゃめちゃ性格のいい弟や、ものすごくかわいくて頭のいい小学生の妹のことをしょっちゅう思っているところは彼のいいところだし、この本のもっとも泣かせるところでもあるんだけど、彼はそのふたりに救われてもいるんだよ。ふたりが、もっと言えば子どもが、かろうじて彼をこの世に繋ぎ止めているんだ。この本で子どもだけがきちんとしたまともな人間に描かれているのも、自分はだだっぴろい麦畑みたいなところで、崖から落ちそうな子どもを片っ端からつかまえる「キャッチャー」になりたいと妹に言うのも、そういう意味があるんだよ。つまり、俗にまみれないまともな精神を守りたい、そういうものに繋がって生きていきたい、みたいな。
 それでもやっぱり彼は、なんだかんだあったあとで、ハーヴァードみたいなところへ行って、またおおぜいのインチキ野郎に会ってとことんうんざりしながら、すごい美人の感じのいいキャリアウーマンを奥さんにもらったりして、世の中の通俗さに気を滅入らせつつ、人に優しくしたり優しくされてほろっとしたりして、やれやれと思いながら生きていくんじゃないかな。山奥に隠遁するとか、肉体労働をしながら底辺生活をするというような人生は送らないだろう。つまるところニューヨーク生まれのアッパーミドルクラスの育ちで、田舎者や鈍くさいもの、体だけりっぱで頭からっぽの類いには耐えられないわけだからね。そう言われるほうは、へん、なにを甘っちょろいことをとむかつくだろうけど、彼らは本なんて読まないからね。本を読むモラトリアム人間にとっては果てしなく共感を誘う、永遠の青春文学であり続けるわけなんだよ、まったくの話。

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紙の本この骨董が、アナタです。

2001/02/14 08:33

おかしくも身につまされるコレクターの心理

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルは、かの名だたる目ききの白洲正子さんに、おそるおそる粉引きの徳利を差し出したとき、「この徳利が、あなたです」と言われたことに由来している。
 つまり、どういうものを持つか、どういうものを選びとるか、ということに、その人のすべてが現れているということだろう。これは骨董にかぎらず、その人の読む本でも持っているクルマでもつきあう友だちでも、何にでも通じることで、なかなかこわい言葉だ。
 まったくのしろうとが、こわごわ骨董の世界に入っていって、どんどん深みにはまっていく様子が臨場感豊かに描かれていておかしい。まったく興味のない人からすれば、ばかばかしくしか見えない行動を自分でちゃんとわかっていて、自分で自分を笑いつつ、けっこう本気でのめり込まずにはいられないすべてのコレクターやマニアの心理に、身につまされて思わず苦笑してしまう人も多いはずだ。
 最近は骨董を「お宝さがし」として、投資の対象としてもてはやす傾向が強いが、これを読むと、骨董はひたすらお金をつぎ込むだけで、ぜんぜんもうかるものではないことがわかる。だが著者はためいきをつきつつも、それを後悔している気配はない。つまりそれは自分の楽しみのための投資だからだし、「自分の目」、「その骨董である自分」を磨くための投資だからだ。

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紙の本あの娘は英語がしゃべれない!

2001/03/13 11:33

家族主義のアメリカ

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 「スーパーニュース」のニュースキャスター安藤優子サンの高校生時代の留学記。それから16年後、クリントン政権の誕生となった大統領選挙を取材するため、ふたたびホームステイ先の家族を訪ねるところから話は始まる。

 そしてこの本が書きあがるのはそれからさらに数年後。16歳で交換留学生としてミシガン州で1年間暮らしたときから、ほぼ四半世紀後のことだ。たぶん、そこに大きな意味がある。若い、感受性の豊かな時期にとてつもなく大きな経験をしたあと、その経験を熟成させ、見つめ直すために25年という年月をかけているということだ。それがこの本の視野を広げ、深めている。

 その結果、ニュースキャスターとなって数々の経験をし、世界を見てきた筆者が、その1年間がいまの自分の根っこになっている、と言う。大事なのは人と人とのつながりと、「扉をたたきなさい」でなければ、何も始まらない、という姿勢だ、と言っている。

 たぶんニュースの世界で危険なアメリカ、殺伐としたアメリカばかり見ているから、そうでないアメリカを書きたかったのだろう。だからアメリカのいいところしか書いていないような気がするが、子どもたちの早い自立、高い離婚率などから、一見、家族のつながりが希薄そうに思われるけれども、実はアメリカの基本は「家族」にあるのだということが、よくわかる。

 しかも、閉じられた家族ではない。血縁を超えてどんどんしなやかに拡大していくような「家族」のありかた、そのなかでの人と人との濃いつながりがアメリカの基本なのだという観察がおもしろい。

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紙の本父の輝くほほえみの光で

2002/02/17 22:06

死ぬことに希望が持てる物語

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 アフリカ系アメリカ人の人類学者の夫婦が、マグダレーナとスザンナという二人の娘を連れて、キリスト教の宣教師としてメキシコの山奥の村に赴任する。そこに住むのは南北戦争時に逃げてきたアフリカ人奴隷とメキシコ先住民の混血ムンドだが、彼らのおおらかな性と生と死の文化と、禁欲的なキリスト教的価値観との葛藤、教会から研究資金の援助を得るために自分では信じてもいないキリスト教の宣教師になった父親の偽善によって、二人の娘たちは傷つき、歪んでいく。

 というのが物語の骨組なのだが、これは実に不思議な小説だ。冒頭から語り手は死んで霊になった父親で、結局和解できなかった娘たちの、成人後の歪んだ生活をのぞき込んでは後悔して苦しんでいる。死んだムンドの少年マヌエリートの手引きで、生きているあいだに傷つけた人々との関係を修復する方法を学ぶのだが、やがて死ぬマグダレーナもスザンヌも自由にあの世とこの世を行き来して、自分の人生を完結していく。霊になって、生きているあいだに犯した間違いや、傷つけた人との関係を修復し、そして初めて本当に死ぬことができる、という考え方が、アリス・ウォーカーらしく希望に満ちていて楽天的だ。

 そういった骨組は理解できるのだが、そのほかにもこの小説には、かなりの生活レベルにある現代の知的アフリカ系アメリカ人の葛藤から、他民族を「研究」するヨーロッパ人、洗練されたアフリカ系アメリカ人にコンプレックスをもつ貧乏白人移民、ヨーロッパで差別される「ジプシー」、同じギリシャ人に疎外される「小人」、ヴェトナム戦争でしたことに苦しむ帰還兵、ただ働きさせられる刑務所の囚人に至るまで、あまりにも多くの問題要素が盛り込まれているために、焦点がぼやけてしまっている感じがする。

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紙の本上海ベイビー

2001/05/03 13:47

風俗は世界の文化を均質化する

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 本国では、性描写の多さとドラッグをあつかっている内容から発禁処分になったという、いわくつきの本。だが同じ著者の近作(『蝶々の叫び』)は、扇情的な内容でたいへんな物議をかもしたというから、発禁にはならなかったわけで、中国もずいぶん変わってきたんだなあというのが第一の感想。

 ひとことで言うと、中国の「新人類」と呼ばれているらしい若者を代表する27歳の女性作家による、半私小説的アバンチュールの物語。「上海バンスキング」などからも想像できるように、戦前から西欧文化的雰囲気が色濃かった上海という独特な都市だからなのか、あるいは中国の大都市が多かれ少なかれ西欧化しているからなのか、タイトルと著者の名を知らなければ、ニューヨークかパリか東京の六本木あたりを徘徊する若い女性の物語と思ってしまう。

 同じ本を読み、同じ音楽を聞き、同じブランドの服を着て、同じファーストフードを食べていれば、たぶんどこの人たちも同じような生活をするようになるのだろう。同じ風俗が世界の文化をどんどん均質化していくのだなあ、というのが第二の強い感想。

 ヒロインは世間を騒がせた著作をもつ作家で、情事の合間に、次の作品を書くために七転八倒しているが、作家として「成功」することに強く執着していて、人から作品を誉められると大いに喜び、サイン会などにほいほい出かけていくところが、妙に「前向き」で「健康的」だ。えんえんと描かれる刹那的で退廃的なライフスタイルのなかで、その現実的な感覚が妙な違和感をもって浮かび上がる。

 作者は確かにたいへんな読書家で、世界の最先端の映画や音楽や美術やファッションに通じていて、鋭敏な感覚でそれらすべてを吸収して自分のものにしているが、そのなかにどっぷりハマっていて、醒めた目、皮肉な目がないところが、たぶんこの作品を少し薄っぺらにしているかもしれないなあ、というのが最後の感想。

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ヨーヨー・マニア向けのお楽しみ本

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 副題が示すとおりの内容の本。天才——とくに音楽家の天才は、人並みはずれて音楽と子どもの教育に情熱をもつ親のもとにしか生まれないことを、つくづく思い知らされる。つまりこれは、「わが子ヨーヨーをいかにして“天才”に育てたか」という親の思い入れをつづった本だ。子どもを“天才”に育てることにその家庭の全生活が捧げられるわけだが、それがむだに終わらなかった幸福なケースといえる。もっとも、そのような大変な親の期待と重圧につぶされなかったのだから、やっぱりヨーヨー本人が並外れた才能を持っていたということだろう。
 だがこの本は、音楽家としてのヨーヨー・マとは何の関係もない。彼がどんな思いで音楽に向かってきたのか、音楽に対してどんなビジョンをもち、何を表現したいと思っているのかといったことは何も知ることはできない。それを知るためには彼の音楽を聴くか、いつか彼自身が書く本か、彼をよく知る人の書く伝記を読むしかないだろう。
 それでも、この本にはめずらしい写真がいっぱいおさめられている。おしめのとれない大きなお尻でよちよち歩きをしているころの彼が、しっかり“ヨーヨー・マ”の顔をしているのがおかしい。初めて見るヨーヨー・マの家族の写真などが盛り沢山なので、ヨーヨー・ファンにとっては、やっぱりうれしい一冊かもしれない。

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あなたは優れたマーケッターだ!

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なんてうまいタイトルだろう!! 『なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか』? そこまで極端ではなくても、多かれ少なかれ自分の収入や資産の程度と自分の消費行動のギャップに、つまり、こんな安月給なのに、こんな高いもん食っていいんだろうか? 時給800円なのにパックでパリまできてリッツに泊まったりして笑われないかしら……などと、つねに後ろめたさを感じている人は非常に多いので、こんなタイトルを見ると、なにかそういった行動を正当化してくれる力強い理論があるのではないか、そんな不可解な行動を解き明かす鋭い現代の真理が述べられているのではないかと期待してしまうのだ。

だがはっきり言おう。驚いたことに、ここにはそんなものは何ひとつないのである! 目新しい視点も批判精神も何ひとつないのである。ぶっちゃけて言えば、この本が言っていることはただひとつ、「買い物は楽しいんだから、なんだって買ったらいんじゃない」ということだ。なるほど、うかつであった。何を買ったって大して変わらないんだから「厳選」などする必要はないのであって、そうやって際限なくモノがたまれば「捨てれば」いいだけなのだ。この著者の名を見たとき、その結論に最初から気づくべきであった。なんてばかなわたし。

しかしたとえつまらないものを買ってしまったとしても、その「『がっかり』も、お金を出して買わなければ体験できないもの」なんだそうだ。「お金を払うからこそ、『がっかり』という実感が手に入る」ものなんだって。この世の中、がっかりすることなどほかにも山ほどあるんだから、お金を払ってまでそういう実感を手に入れたいとは思わなかったが、「がっかりを買う」というのは「高度な消費」なんだって。う〜む、実に実に高度な消費をしてしまったわたし。

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