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レビューアーランキング
先月(2017年6月)

B.T.さんのレビュー一覧

投稿者:B.T.

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本君の鳥は歌を歌える

2000/08/05 00:17

歌を歌えるのは鳥だけじゃない……「君の鳥は歌を歌える」

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歌人枡野浩一の新しい短歌集が出るのを楽しみにしているのは決して私だけではないはずだと信じているのだが、恋人を待ちこがれる気持ちでそれを待っているあなた! あなたにはこの本がぴったりだ。

 Bk1.co.jpの本の説明文には「映画や小説、漫画などを勝手に短歌化。名セリフ、名場面が五七五七七のリズムに乗ってよみがえる」とあるが、こういってよければこの本のよいところは短歌化ではなく、僕らが日常使うような言葉で、僕らが愛してやまない映画や漫画について述べているところだと思う。批評家は映画や漫画について喜々として書いているが、どれも僕らの心に届かないわけは、彼らの言葉はあまりにも特殊すぎるからだ。「俺がこの作品から受けた感動はこんなものじゃなかった」とあなたはある映画についての評論を読んで思う。あなたを激しく揺さぶったものは、評論からはこぼれ落ちる。少なくとも枡野浩一はそう言っているように思える。

 特殊歌人という辞書には載っていない言葉で仮装し、短歌をアジテートし続ける枡野浩一がここに紹介している映画や漫画を、私はほとんど知らないし、あらためて読もうとも思わなかった。だが、この世界に仕方がなく生きている私たちが、ふとした瞬間にめぐりあうことのできるほんの一握りの何かを、この本は伝えようとしていると思う。

 私が好きなのは、村上龍の「ラブ&ポップ」の短歌化で、ひょっとしたら原作を読むよりよかったかもしれない。どんな短歌かは原作者お二人への敬意をこめてここでは控えておきます。

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ご主人はひとりぼっち……「マーガレットとご主人の底抜け珍道中(旅情編)」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 夫婦の旅行日記である「マーガレットとご主人」の主要人物であるご主人の名前はあまり知られていないと思うのだが、タルカムという名前がちゃんとついている。僕らがこれを忘れがちなのは、タイトルが示す通り、この短編を集めた長編はマーガレット奥さんを追いかけるご主人(タルカム氏!)の旅行記だからだ。

 ご主人はどんな仕事をしているのだろうか? 僕らが物語から知るのは、彼が園芸を愛する人であるということと、たまに外国へと出張に行くことと、マーガレット奥さんが作った料理を愛する男であるということだけだ。毎回毎回奥さんの気まぐれにつき合わされて、世界各国を旅行しなければならない彼の姿はほほえましく、彼と奥さんは、分かつことのできない絆で結ばれていることがわかり、僕らは幸せな気分になる。人の幸福な姿を見て気持ちが良くない人がいるだろうか。

 だが、ご主人は旅行先でも奥さんを追いかけることになる。カリブ海ではかつての人食い民族のパーティに行ってしまった彼女を追いかけて、熱帯ではトカゲや蛇を百科事典片手にジャングルに入ってしまった彼女を捜して、自宅では「デートに行って来るから」と言い残し子供と遺跡見学に行ってしまった彼女を求めて、ご主人はいつもマーガレット奥さんの姿を探している。まるで彼女が彼の手の届かないところに行ってしまうのではないかと、心配する男のように。僕らは彼がいつも彼女のことを心配して後を追いかけるさまを読んで微笑するが、同時に何か悲しい気分が心の中にあることに気がつく。(もちろん、それぞれのお話はいつもハッピーエンドなのだが)

 マーガレット奥さんは、いつもご主人とは違うところを見つめている。

 それはたとえば遙か昔に滅んだ恐竜の記憶だったり、海に沈んだ都から聞こえてくる鐘の音だったり、幽霊屋敷の幽霊のささやきだったり、ジャングルに生きる変わった形の生き物であったりする。どちらかというと旅行よりも平穏な日常を愛する男であるタルカム氏は、彼女のそういう冒険的なところをはらはらしながらもそれを受け入れていて、マーガレット奥さんが自分といることを本当に幸せだと思っているのだ。

 幸せな生活の中にちりばめられたほんの少しのかなしみが、僕らの心を静かに揺さぶる。マーガレット奥さんが彼には見えないものを見ているとき、ご主人はひとりぼっちなのだ。

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そばにいてくれる人がいないと寂しい……「マーガレットとご主人の底抜け珍道中(望郷篇)」

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 マーガレット奥さんは旅行好きだ。この上下巻に分かれた物語のそれぞれの短編でこの人が旅行に行きたいと言わなかったことがあるだろうか。南極から始まって、アフリカ、中南米、カリブ海、日本、イタリア、オーストラリア……毎度のことだけれども、彼女が旅行に行くといって家を出てしまうとき、僕らは彼女をあわてて追いかけるご主人に思わず同情してしまう。そしてすごくうらやましくなる。
 
 一人で旅行に行きたい人はいると思うが、たぶん二人で旅行するほうが楽しいと思う。僕らはつき合っている相手(あるいは結婚している相手)のことをそんなによく知っているわけではないから、相手のことを少しずつ理解しようとしたり、わからなくて喧嘩したり、すれ違って悲しい思いをしたりしながら、二人だけの記憶を少しずつ分け合って、生きていくんだと思う。それは何にもかけがえのないもので、僕らはそういう大切なものをお互いに与え受け入れることによって、幸せになってゆくはずだ、とこの物語を読んでいると考えてしまう。

 マーガレット奥さんはご主人を困らせる名人だ。園芸をたしなむご主人タルカム氏の庭に、害虫を呼ぶ植物をきれいだからと持ち込んだりする。旅行先ではご主人を置いて、一人で遊びに行ってしまって心配させたり。ネッシーを見に行くといって家を出てしまったり。ご主人の気苦労はたえない。それでもご主人は幸せそうだ。まったく読んでいるこっちが困ってしまう。

 読んでいると、仲良しの二人にあてられてしまうのだが、ふとそこに何か怖いものや、悲しいものがあることに僕らは気がつく。なんだろう? 僕らは幸せな夫婦の生活を読んでいるはずなのに、何が悲しいのだろう、何が寂しいのだろう。それはたとえば、二人きりの夜に奥さんがふともらした言葉にあるのかもしれない。

「そばにいてくれる人がいないと寂しいでしょ?」
 そうだった。二人で暮らすということは、一人でいるときの寂しさを知るということだったんだ。そんなこと、ひとりぼっちで生きていた時には気づかなかったよ。

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残酷な思い出

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 友達を殺すことは難しいと思う。
 それが仲の良い人であるならなおさらだ。

 クラスメイトどうしが殺し合わなければならない状況に陥ったパラレルな架空の日本を描いたこの小説は、遠回しにそういうことを書いていると思う。昔学校にいたときのことを思い出すと、クラスメイトにはいろいろな人間がいた。プログラマー志望のY君。ピアノのうまいO君。特に特徴のないKさん。人付き合いが好きなNさん。みなそれぞれの生き方があって、興味が重なり合えば友達になったし、そうでなければ無関心で、もしくはささいなことで嫌いだったり、好きだったりした。

 人を傷つけることで自分が傷つくことも、学校で学んだ気がする。だけどそれは10代も後半の話で、もっと幼かったころは平気で生き物を殺して遊んでたし、自分より力の弱いものをいじめていたこともたくさんあった。六年生ぐらいのころは、下級生を殴っても全然心が痛まなかった。いま、そのことを思い出す私の心は痛む。何の痛みも感じなかったことに対して心が痛むのだ。誰しもがそうではないのかもしれない。ただ私はそういう子供だった。

 16ぐらいのころ、四人兄弟の末っ子で、あまり学校の成績がよくない同級生がいた。彼の兄や姉はみな「よい学校」に進学していて、その彼をからかうためにつけられたあだ名が「でがらしくん」だった。でがらしくんはそのあだ名で呼ばれたとき、いつも黙っていた。顔を少しうつむき加減にして、黙っていた。私を含めて、誰もそのあだ名をおかしいと思わなかった。同じ学校にいた彼の姉が、とても優秀な学生だったからだ。でがらしくんはやがてオーストラリアの学校に転校していった。私は彼の表情をとてもよく覚えている。

 人を傷つけることを意図的にできるような人はどこかおかしいと私は信じている。でもそういったおかしさが間違いなく存在するのが私たちの生きるこの世界だし、その中でうんざりしながら生きていくしかないのかもしれない。自分の卑しさに耐えながら。人の残酷さに憤りながら。

 『バトル・ロワイアル』は残酷な本だと思う。中学生を殺し合わせるから残酷なのではなく、人がいくらでも人を傷つけることができる生き物だという現実を読者につきつけるから残酷なのだ。私はそんなこの本を憎んでいる。

 友達を傷つけるのは難しいはずだ。
 そう信じている私は、それを思い出させてくれたこの本を強く読者にお勧めする。

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「てのりくじら」雑感

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 こんなにもふざけた今日がある以上どんな明日でもありうるだろう、という読者への強烈なメッセージで始まるこの短歌集は、一ページに短歌一つというストイックな原則をほとんど曲げようとしない。僕らが知っている短歌といえば、おそらく中学高校で詰め込まされたものぐらいだろうし、また歌人の雑誌などいまどき読者がいるとも思えない。そんな短歌不在の日本文化圏への挑発ともとれるこの短歌集は、どこにも存在しないある生き物の名前で仮装された枡野浩一の肉声であり、日常であり、今日と昨日そして明日であると思う。それはこの退屈な世界に住む僕らの日常とも重なり合う。
 彼が取り上げるのは単純なことだ。それはたとえば激しく降る雨の音だったり、まだ明けぬ夜の前の一瞬のきらめきだったり、ラムネ味のドロップが醸し出す叙情であったりする。日々汗を流してだらだらと生きる僕らは、痛みと倦怠の中にあるほんの少しの優しさをここに見る。鏡に映った自分の姿にふと悲しみを覚えるように、気づくことは傷つくことと彼の言葉を口ずさみ、僕らはこうして短歌を初めて知った人間のように、ああ、僕の今日にもこんな怒りやいらだちがあったな、寂しさや優しさがあったな、とうわごとのようにつぶやくのである。

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