サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 遊民さんのレビュー一覧

遊民さんのレビュー一覧

投稿者:遊民

18 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本14歳の君へ どう考えどう生きるか

2008/06/03 22:41

人間は考える葦である

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中学2年のときに登校拒否をした僕は、高校進学後も勉強することに意味を見いだせず、アルバイトと旅を繰り返していた。自分はどういう人生を歩んでいくのか、何が自分に向いている職業なのか、そんなことをずっと考えてきたが、社会からドロップアウトして旅を続けながらたどり着いた“答え”が、この本の中にはたくさん詰まっている。
「君は、授業で教わったことについて、自分で考えたことがありますか。文法や年号を覚えて、試験でいい点をとることなんか、その意味では簡単だ。自分で考える必要がないからだ。だから、自分で考えずに覚えただけのことなんか、試験が終われば忘れちゃうんだ。……自分の頭を使って自分でしっかり考えたことというのは、決して忘れることがない。その人の血となり肉となり、本当の知識となって、その人のものになるんだ。人間が賢くなるということは、こういうことだ」
 歴史の出来事を覚えるだけではなく、想像して自分で考えること。どこまでも考えていくと答えはない、と著者は説く。そう言われてみると、僕は覚えるだけ(そう思っていた)の歴史や、読解問題の答えが決まっている(受け止め方は人それぞれと思っていた)国語は大嫌いだった。得意だったのは数学や理科の考える教科だったが、歴史も同じように考えればよかったのかと、今ごろになって後悔している。
 勉強に疑問を感じたころ、子どもが「なぜ?」という質問をたくさん投げかけるのは好奇心があるからという文章を読んだ。自分の好きな色が青なら、それはなぜなのか? 青い色は海をイメージさせて、ゆったりとした気持ちになるから? なぜゆったりすると落ちつくのか? もしかしたら……。すべてのことに「なぜ?」と問い続けていくひとり遊びをずいぶん楽しんでいた。
 好きなことがあれば、もちろん嫌いなこともあった。どうしても友だちになれない人もいた。
「人を好きになるようにしようといっても、嫌いな人は、どうしても好きになれない。君がそう感じる人がいるのと全く同じように、君にそれを感じる人もいるというだけのことだ」
 好き嫌いがあるのはしかたない、と著者は言う。嫌いなものを自分で認めて、それにこだわらないこと。嫌いなものがそこに存在することを認めること。好き嫌いを超えて、受け容れることが「愛」だという。
 僕は「物事は肯定することから始まる」と考えるようにしている。最初に否定してしまったら、すれ違ったままでお互いのことは理解できない。フランスの哲学者パスカルの言葉に「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」というものがある。「考えること」と「認めること」、それが自分の人生を豊かにするということを、僕は大人になってから気づいた。
 著者は別の本の中で、14歳のころに人間は言語と論理を獲得して「人として生まれる」と書いている。登校拒否をした14歳のときにこの本を手にしていたら、どういう人生を過ごすことになっただろうか−−。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

庭はもっとも身近な自然

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

庭で一杯のコーヒーを飲むだけでも、日常がちょっと変わって見えてくる。いつものコーヒーなのに、なぜかいつもよりおいしく感じる。風にも音や色があることを発見したり、ふだんは気づかないいろんな小鳥のさえずりがここちよく耳に響いたり……。さらに目を凝らせば、さまざまな生き物たちが見えてくる。そう、庭は生き物たちの宝庫なのだ。
そんな庭のおもしろさを再発見させられるのが、長年、無農薬で庭を維持・管理してきた、プロの植木屋夫妻によって書かれた本書である。
これまで、プロ・アマを問わず「農薬を上手に使いこなす人」が園芸の達人と言われてきた。だがこの本では、化学農薬をいっさい使わず、剪定で日当たりや風通しをよくしたり、オーガニック・スプレー(自然農薬)の使い方や、植物と虫の生態を知ることなどでオーガニックに庭を管理する方法を解説している。今までの園芸書とは価値観がまったく違う一冊。
また、「使いやすい庭」をキーワードに、「農のある庭」「ベランダ・ガーデン」「キッズ・ガーデン」「ペットと暮らす庭」など、目的別に庭のデザインが紹介されていて、イラストを見ているだけでも楽しい。
庭が使いやすくなればますます庭に出たくなり、庭に出ればいろいろな生き物たちのつながりや自然の営みにも気がつくという、庭の楽しい循環を積極的につくっていこうという考え方だ。
庭づくりを計画している人、今の庭をなんとかしたい人、農薬を使わずに庭づくりをしたい人には、とても参考になる一冊。また、庭づくりのいろいろな疑問が紹介されているQ&Aのコーナーも充実しており、意外に知られていない庭道具の使い方や、素朴な疑問にもていねいに答えてくれている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

仏像は見るものではなく、出会って感じるもの

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ある日、J-WAVEを聞いていたら、今日のゲストは「仏像ガール」という言葉が耳に飛び込んできた。仏像+ガールという語感に反応して聞き始めたら、その内容と語り口に引き込まれ、ラジオを聞きながらすぐに本を注文してしまった。

「私たちよりもずっとずっと長く生きてこられた仏像には、たくさんの想いが込められています。……つくったり、直したり、守ったり、拝んだり、長い長い時間の中にある想像できないくらいたくさんの人の力や想いが、仏像の本当の魅力をつくっているような気がします。だから、無条件に感動したり、涙が流れたりする」(はじめにより)

 著者の廣瀬さんは、中学3年のときに父親が他界し、それをきっかけに「死」と「生」について考えるようになったという。中学生のころから奈良や京都の寺院を訪ねるのが好きで、高校生になって京都の三十三間堂に初めて入り、涙がボロボロ流れ落ちたそうだ。父親のことを考えたわけではなく、自分と同じ人間がこんな素晴らしいものを作ったことに感激したと振り返る。
 仏像を目の前にしたときに、厳かな気持ちになったり、ありがたがったり、手を合わせてみたり、何か感じないといけないのではないかと身構えてしまうところがある。著者も仏像を好きになった最初のころは同じ気持ちだったらしい。
 でも、魅力的な異性がいたら思わず目で追ってしまうのと同じように、見知らぬ仏像に出会ったら、心を無にしてじっと観察してみよう、と著者は言う。「感じる」「調べる」「通う」といった順に、“大好きなあの人”に迫っていけばいいのだ。
 本書は、顔・手・足・髪形・服装・持ち物などパーツごとの解説があり、興味を持つきっかけを与えてくれる。例えば、開いた手を胸の辺りに掲げているのは「安心してね」という意味。手のひらを開いてひざの前にたらしていたり、ひざに乗せているのは「あなたを救いますよ」という意味。また、耳にイヤリングを付けているのは悟りを開く前の菩薩さまで、大きな穴がぽっかり開いているのは悟りを開いた如来さまというふうに見分けられる。
 実は本書を読むまでは、如来と菩薩の違いも知らなかった。仏さまの世界は、悟りを開いた「如来」、悟りの世界と人間界の掛け橋の「菩薩」、怖い姿で悪者を改心させる「明王」、仏さまの世界を守る「天」の4つに大きく分類される。仏像が3つ並んでいたら、真ん中が如来像で、両側は菩薩像という決まりごとがあるらしい。
 仏像は「見るもの」ではなく「出会うもの」。だから、新しい出会いを心から楽しんでほしいと話す著者のもうひとつの肩書きは「仏像ナビゲーター」。「仏像ガール」はまさに菩薩さまのような役目を担っているのかもしれない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

人間は忘れる動物−−もの忘れに悩む人たちへ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 30代後半からもの忘れが激しくなった気がする。というより、それ以前に「もの覚えが悪くなった」のかもしれない。夜になって、今日一日の出来事を覚えていなかったり、昼に何を食べたか思いだすのに時間がかかったりする。「もう年だな」と思ったり、「ボケが始まったのか」と、寂しい気持ちになるのは、僕だけではないだろう。
 脳の仕組みを勉強したり、記憶のメカニズムを覚えようとしても、自分には理解できないかもしれない。そんなことを思いながら本書を読み進めていたら、18ページ目に「記憶」と「感情」は深い関係があるという話が現れた。この部分を読んで、僕は「なるほど」と膝を打ったのである。何かに感動した経験はなかなか忘れないし、おいしいものを食べればその店を人に勧めたくなる。この本は信用できる、と思った。
 脳細胞は2〜3歳のころがピークで、その後はどんどん減少していく。単純計算で1日10万個近い神経細胞が死んでいるそうだ。そんな話を聞くと、自分の脳細胞がどんどん減少し、その影響で「もの忘れ」が激しくなったのではないか、もしかしたらアルツハイマー病への第一歩なのでは、と思ってしまうのもしかたない。
 ところが、本書によると、毎日10万個の神経細胞が消滅しても、仮に100歳まで生きたとして、失われる数は「たった3.6パーセント」らしい。脳細胞の半分くらいが死んでしまうイメージは、大きな勘違いだったのである。また、記憶力の衰えは、神経細胞が減っていくことと無関係だという。
 脳の研究で知られる監修者の池谷裕二氏は次のように訴える。
「日常生活でど忘れしてしまうことは、全体の記憶の容量を考えれば、わずかな量にすぎない。仮にみなさんが一日で数十回ものど忘れを経験したとしても、それは全体から見ればたいした問題ではない。……それなのに、どうして人は些細なことにこだわり、落胆してばかりいて、自分の脳が本当はいかにすばらしい性能を発揮し続けているかという真実に目を向けないのだろうか」
 人間の脳は忘れるようにできていて、覚えようという意識がなければ覚えられないようだ。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、体に触れるもの、それらをすべて記憶していたら、たちまち脳はパンクしてしまう。だから、必要なもの意外は忘れる(覚えない)ようになっているのである。
「もの忘れが増えてもそれに悩んだり、不安になったりする必要はありません。人間は忘れる動物なんだと気楽に受け止めてください。忘れたら思い出せばいいのだし、何度も思い出しているうちにしっかりと記憶されます」
 著者の言葉は非常に簡潔でわかりやすい。第1章「なぜ、ものを忘れるのか?」、第2章「ヒトがものを記憶する仕組み」、第3章「これで万全! もの忘れを防ぐ日常習慣」、第4章「試してみよう! 記憶力をアップさせる方法」と読み進めると、忘れることに対する不安が消え、新たに何かを覚えたくなってくる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

目からウロコの自家製生活

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自給自足に憧れて、かれこれ何年の月日が流れただろうか。自分の食べるものを自分で作りたいと思うものの、実現するのはなかなか難しい。田舎暮らしブームで移住した人も多いが、自給できるものはせいぜい野菜くらいである。
 以前、田畑を耕しながら考えていたのは、調味料類の自給のことだった。味噌は比較的手軽に仕込むことができたが、麹と向き合う醤油はさすがに難しい。塩については、海が近くになければ自分で作ることもできない。食用油を自給している人にも出会ったが、菜種を栽培して油を搾るのは、かなりの労力が必要らしかった。
 この本は、そういった調味料を含めて「え? こんなものまで作れるの?」というレシピが満載である。「自給」ではなく「自家製生活」という部分に、気負いがなくて好感を持てたのかも知れない。しかもそのどれもが少量で、これならちょっとやってみようと思わせる。
 「調味料・だし」編では、ラー油、オイスターソース、XO醤、タバスコ、かつおぶしなど、「魚&肉・野菜・穀物加工品」編では、コンビーフ、オイルサーディン、高野豆腐、ライスペーパーなど、「乳製品・菓子類」編では、ピーナッツバター、モッツァレラチーズ、コンデンスミルク、ポテトチップスなどの作り方が紹介されている。
 いしざわあいさんのほのぼのとしたイラストもよく、さらにページ全体のデザインも素敵に仕上がっている。著者とイラストレーターとデザイナーが、三位一体になって、楽しく作ったということがよくわかり、それがうらやましくさえ思える。
 プロフィールによると、阪神淡路大震災のときに食料を自分で調達できるように調べ始めたのがきっかけだとか。挑戦した「自家製」レシピは、著者のホームページ「男の趣肴」で見ることができる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

オオカミ犬ウルフィーが伝えてくれたもの

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大学の探検部員として北極圏を流れるマッケンジー川を下った著者は、長い間、くすぶり続けていたカナダへの想いを絶ちきれず、卒業から数年後、先住民のフィッシュキャンプで1年間を過ごした。その後、それまで通っていた北極圏ではなく、カナダ西海岸に広がるレインフォレストに興味を持った。
 レインフォレストを歩きたいというだけで「特別な旅の目的はなかった」から、出会った人から聞いた島や人を訪ねていく。オオカミが暮らすという森でキャンプをするときに、心配した人が「ウチの子犬をお供に連れていきなさい」と言ってくれた。生後3か月のオオカミ犬が、この旅のパートナーとなるウルフィーだった。
 ところが、「さあいっしょに旅に行きましょう」と言われても、犬にとってみれば迷惑な話だ。家から10メートルも行かないうちに引き返してしまう。最初は腕に抱かれていたウルフィーも、森に入って自由になり、しだいに著者に心を許していく。
 旅を続けているうちに、彼女とウルフィーの距離がしだいに近くなり、信頼関係が結ばれていく。そしてウルフィーがいることで、いろんな人たちから声をかけられ、また新しい出会いにつながる。
 本のタイトルの「ウィ・ラ・モラ」は、ネイティブの言葉で「誰もがみなともに旅を続ける仲間」という意味らしい。ウルフィーと旅をともにしながら、著者は考える。
「人は目に見えない壁を作って、生きている。それは他者から自己を守るための防御壁であったり、個人のレベルを超えて、国や宗教を背景に長い歴史の中で積み上げられ、受けつがれてきた障壁であったりする。でも、もしかしたら、人は築き上げてきた壁を内側から取り払い、他者と深く共鳴しながら、人生という旅を続けていくことができるのではないか」
 旅の途中、日本にいる祖母が亡くなり、帰国するかどうか葛藤することがあった。旅の目的がはっきりしないのに、ここに留まる意味があるのか−−。けれども彼女は、あることに気づいて、旅を続けることを決意した。
「この旅から、ひとつ確信していることがあるんです。それはすべてに偶然はないってこと。だから、あなたと私が出会ったことも必然なんですね、きっと」
 自分が経験したことを等身大の言葉で表現する著者は、旅から戻ったあと、生体エネルギーやヒーリングを学ぶためヨーロッパにある4年制のヒーリング・スクールに通っているという。スピリチュアルブームに嫌悪感がある人にも、彼女の言葉なら何かが伝わるかもしれないと思えるほど、文章も写真も魅力的だ。
 また「すべてに偶然はない」とするなら、この本を手にしたことにも何か意味があるのだろう。そして、レビューを読んでいるあなたにも、きっと……。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

最後に彼女が手にしたもの

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私は、裂傷の両側から手を差し込み、爪を立てた。メリ、と音がして傷口が簡単に裂けた。目玉と神経、そして筋肉が切れ、道に転がり落ちた瞬間、頭蓋骨に残ったのは、大きな暗いくぼみだった。そのくぼみの汚れをきれいに拭き取ると、私がずっと望んでいたもの、「一番愛するものの白い頭蓋骨」が、腕の中に出現した。(カバー見返しより)

 ホラー小説なのか、スプラッター描写が特徴なのか、いささか不安を感じる一方で、白い頭蓋骨を抱えたカバーイラストの不思議な暖かさが気になって、本書を手に取った。
 満員電車に乗っている主人公が目の前に座っているスキンヘッドの男性に目が止まったことから、物語はゆっくりと動き始める。退屈しのぎに隅々まで観察しているうちに「想像」が「妄想」になってゆく。
「後頭部に刃物でザクリと一本の切れ目を入れる。その切り口に両手を突っ込み、頭の皮をきれいに剥ぎ取って、脳味噌や目玉をほじくり出して、きれいに洗ったその真っ白な頭蓋骨だけを抱えてみる」
 男性の頭を思わず触りそうになったころ、降りる駅のアナウンスで主人公は現実に引き戻される。主人公の八重桜(ヤエホ)は30代の女性。8歳年下で俳優志望の彼・土折男(トキオ)との生活は、OLと役者という社会的地位を反映するかのように、微妙な関係で成り立っていた。その均衡が崩れたのは、彼がオーディションに合格し、これから演じることになる大正期の洋画家の肖像画を見てからである。画家が手にしていたのは、真っ白な頭蓋骨だった。
 著者はあとがきのなかで「選ぶものと選ばれるものは同等の力で引き合っている」と書いている。八重桜と土折男が引き合っていた力が“何か”によって崩されたとき、物語は転がり落ちるようにクライマックスへ向かった。
「見事に完全な形で、土折男の頭蓋骨が私の前に姿を現した」
 物語の幕が下りてみれば、ホラーでもスプラッタでもなく、身が裂けるようなリアルな恋のストーリーだった。お互いに引き合っている力がバランスを崩したとき、何をすればいいのか? よかったのか? ひょっとして「正しいしゃれこうべの抱え方」というタイトルは、その答えを示しているのかもしれない。



このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

半農半Xという生き方

2004/03/04 18:47

小さな暮らしで好きなことを実践

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年春に発売された『年収300万円時代を生き抜く経済学』(森永卓郎/光文社)という本がベストセラーになっているらしい。そのせいか、雑誌でも「年収300万円」をテーマにした記事が目立つようになってきた。
 僕の目標は「年収100万円で豊かな暮らし」で、できるだけ現金収入を減らしていこうと思っているところだ。そんなわけで、300万円もあったら豪遊できると思ってしまう。
 さて、この本の腰帯にも「『年収300万円社会』を乗り越えて」と書いてあるが、おそらく出版社がブームに便乗して付けたのだろう。著者はもっと前から「半農半X(エックス)」という、農的生活をベースにした新しいライフスタイルを提唱していた。
「自ら米や野菜などのおもだった農作物を育て、安全な食材を手に入れる一方で、個性を活かした自営的な仕事にも携わり、一定の生活費を得るバランスのとれた生き方」
 著者は「半農半X」をそう定義している。その元になったのは、屋久島在住の星川淳(作家・翻訳家)の言葉だった。星川は自著のなかで「半農半著」という自分のスタイルに触れている。おもしろいのは、厳密に5対5の比率ではなく、4対4ぐらいにしておいて、残りの2はゆとりとして考えている点だ。
 生まれ育った綾部を離れて都会に暮らし、環境問題を考えて自分の暮らしを見つめ直していた著者は、「21世紀の生き方はこれだ」と直感したという。
「星川さんには執筆、翻訳という才がある。自分には何があるだろうかと問いかけた。しかし、自分には何もない。大半の人もそう感じるだろう。もしかしたら、誰もが自分の『X』を探しているのかもしれない」
 そして「半農半著」の「著」の部分に「X」を当てはめて、新しい概念を生み出した。僕自身はかなり前から「半遊半労」というキーワードを持っていたが、「半農半X」には大きな可能性を感じた。
 それにしても、「半遊半労」という言葉をあらためて考えてみると、ワークシェアリングにも当てはまる。お金を稼ぐことを第一にしないで、好きなことで暮らしていく気持ちは、「半農半X」にも共通している考え方だ。
 「現代に欠けているのは、与え、分かち合う文化」と著者は言う。すべてを自分のものにするのではなく、今あるものを活かし合い、ともに暮らす人たちと助け合う。日本の田舎には、まだそういった感覚が根強く残っている。自分の「X」を手にして田舎に移り住む人は、着実に増えている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

メロンパンの真実

2004/07/12 20:33

“おまじない”にもなったメロンパンの謎

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここ数年、メロンパンが人気らしい。新宿高野のクリーミーメロンパンは、1個160円。1日3回の焼き上がり時間から10分ほどで売り切れてしまう。その数、なんと1300個。マスクメロン果汁を練り込んだ生地をビスケット生地で包み、中にはメロン果汁入りのカスタードクリームがたっぷり。高級果物店が作った究極のメロンパンといえそうだ。
 1998年ごろから、女子高生の間で「メロンパンで幸せになれる」という噂が流れていた。メロンパンを通学カバンに入れていたそうで、なんとも不思議な現象である。ひたすらカバンに入れておく派と、彼のことを考えながら食べれば両思いになれる派に分かれたようだ。
 それにしても、子どものころから疑問だったのは、メロンパンのどこが「メロン」なのかである。同じことを考えた著者は、辞書でメロンの定義をひもとき、そのルーツを遡る。そしてメロンパンの由来を調べていくうちに、3つの通説が浮かび上がった。焼き上がりの表面がマスクメロンに似ていたという説、高級なメロンが買えないからその代わりに考案されたという説、ビスケット生地に使われるメレンゲがなまってメロンになったという説、である。しかしそう簡単に結論は出ない。
 科学ジャーナリストである著者は、日本のパンの起源を調べ、ときどきあんパンやクリームパンに寄り道しながら、メロンパンの歴史を少しずつひもといていった。帝国ホテルの伝説のパン職人を知る人を訪ね、外国人が経営していた明治時代の横浜ベーカリーに足を運ぶ。そして西へ東へと、まるでメロンパンに翻弄されるように食べ歩くのである。
 米国移民が広島にメロンパンを持ち帰ったという説を調べるため、呉市に降り立った著者は、「元祖メロンパン」を皮切りに、精力的にメロンパンを食べ歩く、いや調べ歩いた。本文に出てくるだけでも7軒の店があるので、食べたメロンパンの数はいくつになったのだろうか……。
「これだけのパンを一泊二日で胃袋におさめた不肖トウジマ、当時三十九歳。その晩、質素なビジネスホテルの一室でおなかを抱えて冷や汗をたらし、ウンウンうなったことはいわずもがな、である」
 著者の情熱は、特許庁に乗り込んでメロンパンの特許または実用新案登録を探すところに至る。特許庁の相談員を巻き込んで、メロンパンのルーツをさぐっていく。その結果「奇妙キテレツなアイデアパンのオンパレード」を拾い出し、洋食パンのルーツと思われる実用新案を見つけ、ついに「パン生地にケーキ生地をかぶせるパン」の実用新案登録にたどり着いた。そこに「メロンパン」の文字はなかったが、その製法はメロンパンそのものだった。
 あんぱんとジャムパンは木村屋が発明し、クリームパンは中村屋が創造したという。けれども、メロンパンのルーツはいまだ謎に包まれたままだ。それはまるで、メロン模様のビスケット生地が、なぜメロンなのかという最初の疑問に引き戻されるようだ。
 ちなみにメロンパン1個は240キロカロリー。油で揚げてあるカレーパンでさえ220キロカロリーだ。ご飯一膳、チキンナゲット5個、肉じゃが一人前より、メロンパン一個のほうがカロリーが高い。
 メロンパンをそれほど好きでなかった僕だが、この本を読み終えて、近くのコンビニに飛び込んで思わずメロンパンを買ってしまった。「ひとつで240キロカロリーか」とつぶやきながら……。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

徳島出身の写真家がたどりついた“最後の楽園”

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年12月、三好和義・写真展「巡る楽園 四国八十八ヶ所から高野山へ」を見た。会場に入って最初の写真を見たときに、その不思議な質感にとりこになった。「このプリントは何だ!」と思っていたら、阿波和紙にエプソンのインクジェット・プリンタ(PX-10000)で印刷したという説明があった。エプソンの顔料インクのプリンタの実力は、新宿のepSITEに何度も通って実感していたが、和紙との組み合わせは初めてだった。
 重いザックを背負ったまま会場を2周し、けっきょく荷物を預けて、もう一度じっくりと見ることにした。なかでも、会場中央に飾られた3m近い巨大プリントは仏像の原寸大ではないかと思えるほどで、その迫力に思わず涙がこぼれそうになった。
 三好和義は「楽園」シリーズで知られる写真家だ。これまでも何度か写真を目にすることはあったが、正直なところ、きれいなリゾート写真という印象しか持てなかった。ところが、吉野川を撮った『ぼくのふるさと』(1998年、小学館)や屋久島の森をまとめた『世界遺産 屋久島』(2000年、小学館)を見てから、少し気になる存在になっていた。そして今回の四国遍路の写真で、僕のイメージは完全に逆転したのである。
 徳島生まれの著者は、子どものころから巡礼者が町を歩いているのを目にしていた。「菜の花、鈴の音、お接待」がセットになったイメージがあった。特に「春は『お遍路さん』の季節」で、母親や近所の人たちは、鈴の音がするとミカンやお餅を手渡していたのを覚えているという。
 1998年、著者はチベットのカイラス山へ撮影に行く。砂ぼこりにまみれて五体投地をしている巡礼者の幸せそうな表情を見て、「そういえばこういう情景は徳島にもある」と思った。
「カイラス山で感じていた気配のようなものを、屋久島でも感じながら、考えながら撮っていました。(略)10年かけて屋久島の本を作り、やっと八十八ヶ所を撮る時期が来たなと確信したのです」
 その人にしかできない仕事、いや、天に呼ばれた仕事というものがある。この本は、「空海がつくった楽園」を表現するために、徳島生まれの写真家が選ばれたということなのだろう。だとすると、声をかけたのは、弘法大師・空海なのだろうか。
 3年間をかけて、4万キロを走破し、88のすべての寺から特別な許可を得て撮影を続けた。撮影はできる限り自然光で行ない、スポットライトやストロボは使わなかったそうだ。ときにはろうそくの炎で撮影したこともあった。
 写真展でもそのことは触れられていたが、ライティングされている写真もあり、それはどうやって撮ったのか疑問だった。この本の巻末にある「撮影メモ」を読むと、色調が変わらない撮影用の蛍光灯を1本だけ使って、長時間露光したと書いてあった。「普通のきれいな風景写真ではなく、神聖な雰囲気を撮る」ために、著者がこだわった部分である。
 四国遍路は、一度回れば終わりではなく、何回も巡りたくなるという。しかもそれは同じところをずっと回っているのではなく、螺旋状にだんだん昇っていくような感覚だと、著者は説明する。
 非公開の秘仏を含む300点による写真集をあらためて1枚ずつ眺めるていると、写真展の感動が蘇ってくる。最後の写真は、高野山の奥の院・弘法大師御廟。八十八ヶ所を回って「結願」したあとに、高野山へ詣でることで「満願」する。機会があれば、ぜひ写真展にも足を運んでもらいたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

「たい焼」の豊かな表情にびっくり!

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は、たい焼を魚拓に採るという、ちょっと変わった性癖を持つ人の記録である。ひと昔前のご老人が聞いたら、「食べ物を粗末にしたらいかん」と怒るかもしれない。
 有名店の行列に並んだ著者は、ようやく手にしたたい焼を抱え、店の近くに腰かけて、半紙と墨を取り出しながら熱々のやつを1匹ほうばる。そしておもむろにたい焼に墨を塗るのである。周囲の視線やひそひそ声など気にしていられない。「活きのいいところで、さっと墨を塗るのだ」「こうしてたい焼の熱さを、指に感じながら採取するのが本道」と思っているらしい。
 写真家である著者が最初にたい焼の魚拓を採ったのは、1983年8月27日のこと。当時、日光の自然を撮影するために暮らしていた自宅での作業だった。宇都宮にフライフィッシングの道具を買いに行った帰りにたい焼を手にし、その足で湯の湖へ釣りに出かけた。
 ヒメマスを4匹釣り上げ、帰宅してから大物を魚拓に採った。マスの横には食べ損ねたたい焼が冷たく置かれていた。墨が残っていたこともあり「ほんの冗談」でたい焼の魚拓を採った。
 それを自宅の壁に掲げておくと、訪ねてきた友人たちが口を揃えて「魚種」を聞いてきた。その反応がおもしろく、しばらく楽しんでいたという。
 その2年後、麻布十番の浪花家へたい焼を買いに出かける。そこでたい焼の奥深さに気づいた。
「1匹ずつが大きな植木鋏のようなもので焼かれていた。鋏の先端に、たいの鋳型が設えてある。(略)こうした昔ながらの1匹焼きの型を使ってるところは、絶滅寸前と教えられた」
 すでにそのころは、2連や3連の焼き型を使う店がほとんどだったらしい。なかには6匹、8匹焼きというのもあり、その背景には「およげ! たいやきくん」のヒットがあり、大量生産が必要になったと著者は言う。
 だとしたら、1匹ずつ焼くのは「天然物」で、何匹も同時に焼けるのは「養殖物」ではないかと思いつく。初めてたい焼を魚拓にしたおもしろさが蘇った。
「全国で天然物を探してみようと思った。魚拓による絶滅危惧種の『レッドデータブック』が作れないかと考えたのだ」
 こうして、最初に魚拓を採ってから約20年。著者が集めた絶滅寸前の「天然物」は、34軒・37種に及んだ。こうしてたい焼の魚拓を眺めていると、今まで気づかなかった表情がよくわかる。たいの形に似せたあん入りの茶色い食べ物、と思っていたのが、急にほのぼのとした気分になって、たい焼って意外と本格派だったんだなと、見る目が変わってしまった。
 取材後に閉店してしまった店もあるようだが、それぞれの店の歴史や、たい焼に対する店主の愛情が隅々に感じられる。たい焼の魚拓の横には、体長・体高・体重・値段・採取地などのデータが添えられている。店先で魚拓を採りながら、メジャーを当てたり秤に乗せたりしていたのだろうか。その姿が目に浮かぶようだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

脱ダム村に移り住んだ家族が見たもの

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 徳島県那賀郡木頭村−−。「ダムに反対する小さな村」として、以前から気になっていた場所だった。この本の著者も、新聞記事をきっかけにして、「どんな村だろう、どんな川だろう、どんな人たちが住んでいるんだろう」という気持ちを抱いたようだ。
 そして1995年の夏に木頭村を訪ねてみた。「深い山々の緑から流れ出る川を見て身震いするほど感動」し、「巧みに暮らし(文化)を築き上げてきた山の民」にも興味がわいてきた。
「私たちの知らない、ここでは当たり前の暮らしを、もっと知りたい、見てみたい、できることなら自分たちもそんな暮らしに近づきたい——」
 けっきょく著者は、家族揃って木頭村へ移住してしまう。初めて木頭村を訪ねてから、4年後のことだった。当時はダムの反対闘争の真っ最中だったが、人々の暮らしはそれとは無関係に思えるほど平和に見えた。
 けれども、ダム建設の推進派と反対派の間には、少しずつ亀裂が生じてくる。これはどの地域でも必ず聞く悲しい現実だ。著者も、移住してから少しずつそのことに気づかされ、心を痛めていく。
 2000年11月、ダム建設完全中止が決定。「行政史上初めて小さな村が国の巨大公共事業計画を跳ね返した」。僕はそのことをニュースで知り、ほっと胸をなで下ろした。しかし、“ダム問題”はそれで終わらなかった。
 中止決定の2か月後、藤田村長が社長を勤める「きとうむら」が、柚子の皮を山林に不法投棄したとして県警から処分を受ける。自動車や農機具、産廃扱いの工業用シルト(砂と粘土の中間の細かさの土)が放棄されているのは何も言わず、自然に還りやすい柚子の皮が問題にされた背景には、数か月後に迫った村長選挙があった。そんな“裏工作”の影響もあって、翌年4月の村長選ではダム推進派の候補が当選する。
 再び、木頭村に公共事業の波が押し寄せ、村を二分した“ダム問題”は、このまま終わりなく続くのだろうか。そんなときに、「山のババたち」が立ち上がった。「ダム闘争の苦労を無駄にせられん(できない)」と、村議会を傍聴し、県知事選挙や村議会選挙の宣伝活動を行ない、「きとうむら」の株を買い上げて村民セクターにしよう走り回った。
「木頭のこれからを思うと胸が苦しゅうなる。〈きとうむら〉を守ることは子や孫や村を守ることじゃ」
 第1章の「アクション編」では、政治とはまったく縁がなかった「ババたち」の、そんな奮闘ぶりが見事に描かれている。議会のヤジに腹を立て、議員に嘆願書を手渡し、県知事選の応援に駆けつけ、柚子皮事件の裁判を傍聴し、日本のODAでダムに沈んだフィリピンの村人の言葉に涙を流す。
「社会も環境も悪化の一途をたどり、ちまたでは気が滅入る事件ばかりが頻発している。何をしても無駄なのかな−−ふと、そんな無力感に襲われる。でもそんなとき、どんな苦境に立たされても『おもっしょうなってきたのぅ』と、不敵に笑っている素敵な山のババたちがいることを、ぜひ思い出してほしい。きっとあふれんばかりの元気を分けてもらえるから」
 後半に当たる「山暮らし編」は、「ババたち」の日々の暮らしをスケッチしたものだ。これこそ、木頭村に移り住んだ著者が描きたかった世界なのかもしれない。ほのぼのとしたイラストや、四コマまんがが楽しい。タイトルの「山もり」は、「山守り」と「山盛り」の意味があるそうだ。思わず、もっともっと、日本の田舎の魅力を描いてほしいと注文したくなってしまう。
 PCJF(平和・協同ジャーナリスト基金)の第9回平和・協同ジャーナリスト基金賞・奨励賞を受賞した好著。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

捨てるな、うまいタネ

2005/10/04 01:47

タネまきの喜び

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 お米や大豆のように、タネそのものを食べているものもあるが、野菜や果物のタネは取り除いて捨てられる運命にある。ところが、生ゴミを畑に埋めたら、そこから立派なカボチャが育ったというほど、タネの生命力は強い。
「捨てていたタネが、芽を出し、葉を広げ、樹になる!! 今日のおかずに使ったカボチャのタネ、デザートのリンゴのタネ、なんでもいいからとにかく今すぐまいてみてください。たった一粒のタネに、楽しいことがたっぷりとつまっています」
 そんな提案をする本書は、ゴミ同然に捨てられていたタネが、植物の生命の元であることをあらためて気づかせてくれる。園芸店でタネを買わなくても、ガーデニングを始めようと気負わなくても、食べ残したタネから芽が出ることがわかれば、植物をもっと身近に感じられるのではないだろうか。
 市販されているタネは、しっかり発芽して育つことが当たり前。ところが捨てられるはずのタネは、発芽するかどうかもわからない。果物のタネならば、成長して実を結ぶまでの期間も長いし、育てる場所も必要だろう。
「ガーデニングと無縁のあなたにこそ、発芽を体験してほしい。タネが芽を出すということが想像以上に感動的なことであり、しかもその芽が葉をつけ、茎を太くし、ぐんぐん成長していく過程を見守るのがどんなに楽しいか、ぜひとも味わっていただきたいのです」
 著者は「タネまきは文化である」と言う。江戸時代、大名から庶民まで、朝顔ブームに沸いた時期があったそうだ。花の形や色に特徴があるものをかけ合わせて、オリジナルの「変わり咲き朝顔」を育てて品評会が行なわれていた。
同じように、捨てられるはずのタネをまいて、どんな芽が出て、どんな花が咲くのか、じっくり観察してみるのも楽しい。新しいタネが採れたら、それをまいてみよう。そのうちに、自分だけの品種が生まれるかもしれない。そう考えたら、タネを捨てるのがもったいなくなってきた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

足で稼いだ情報源・マスコミ版“地球の歩き方”

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 あなたがどこかで働こうとしたときに、最初に聞くのは何だろうか? 仕事の内容はもちろん、労働時間や時給も気になるところだ。それらを考えたうえで、そこで働くかどうかを決めるはずである。
 ところが、マスコミで仕事をする場合、自分の“給料”がいくらか聞かないのが慣例であり、聞いても教えてくれないケースが多い。フリーランスのなかには、「原稿料を聞くと仕事が来なくなるのでは」と心配する人もいるほどだ。
 2001年1月、ライターやフォトグラファーのための売り込み・持ち込み情報源である『メディア アクセス ガイド(MAG)』(現代人文社)が創刊された。それを手にした僕は、これまでの胸のつかえがとれた気がした。
 実は『MAG』が登場する前に、ライターたちが集まるメーリングリストにギャラや経費の情報交換をしようと呼びかけたことがある。僕が書き並べたリストに興味を持ってくれた人は多かったが、ほかのメンバーからの情報提供はまったくなかったのだ。
 フリーランスに必要な情報をシェアすれば、持ち込みや売り込みの基準を得ることができるし、必然的に条件のいい媒体に有能なフリーランスは流れていく。その結果、雑誌のレベルも上がり、相乗効果で業界全体のレベルも上がっていくだろう。
 ところが、10年以上もこの業界で仕事をしているのに、原稿料はまったく上がらない。「少し上げて欲しい」と言おうものなら、駆け出しの(安く使える)若手ライターに仕事が回っていく。けっきょく、フリーランスとして生き残るためには、自分にしか書けないものを手にするしかなかった。
 本書が手本にしたのは、アメリカで発売されている『Writer's Market』である。2003年版で創刊82周年を迎えたというから、その歴史の古さに驚かされる。前半には企画書の書き方や仕事へ向かう心がけなどが紹介され、後半には編集部や出版社の所在地や掲載記事の傾向、契約内容や具体的なギャランティーが8000件以上も掲載されている。
 『MAG』1号は133件、『MAG』2号は234件と、まだまだ“本家”の数には及ばない。これはおそらく、今まで表に出なかった情報に対する反感もあるのだろう。創刊号が出たあとに、出版社や編集部から苦情が寄せられたという話も聞く。
「情報をオープンにしシェアすることで、フリーランスが安心して仕事ができる基盤をつくり、そして市場への新規参入を促す。これは実力本意の自由な競争につながるが、結果的に媒体の質をあげることになるだろう。そうして業界全体の活性と向上をはかることが目的だ」
 記載されている内容は、それぞれの立場によって異なるはずで、普遍的なものではない。初版1万部と書いてある出版社に持ち込んだら、初版3000部と言われるかもしれない。情報の質を高めるには、元になる分母の数が増えなければいけない。
 これは“ビンボー旅行”のバイブルとして存在しているガイドブック「地球の歩き方」シリーズにも似ている。「親切なおばさん」がいつも親切とは限らないし、「清潔で安いホテル」は人によって汚いと感じるかもしれない。だからといって「間違っている」と声高に怒るのは無意味だ。書かれている情報をひとつの判断材料にして、自分で選択しながら旅を進めていくことが大事なのだ。
 出版社や雑誌編集部は、どういう企画や原稿を求めているのか公開し、それに対するギャランティーも明らかにすべきだ。フリーランス側も、それぞれの経験をシェアし、自らのスキルを高めて売り込む努力をしなければならない。
 定期的に(理想は毎年のようだが)刊行される『MAG』の次号では、企画書の書き方や具体的な売り込み方法なども紹介してもらいたい。この本がますます充実し、メディアにアクセスするときの「定本」になることを期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

遍路のタブーに挑戦した本

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 全行程約1400キロの四国遍路は、歩いて回ると2か月は必要だという。車やタクシーを使っても1週間は必要だ。この本は、遍路をする若者に迫ったルポである。
「遍路の本はすでにさまざまな種類が出ているが、僕の知るかぎりではインタビューで構成した本はこれが初めてだと思う。遍路する者に旅の動機を聞くのはタブーだといわれているせいかもしれない。しかし、今僕は彼らがどんな思いで四国を歩いているのか、いたのか、それを多くの人に知ってほしいと思っている」
 著者は「二十歳の春から(四国遍路が)ずっと気になっていた」。大学のサークル仲間から遍路を歩き通した話を聞いたのがきっかけだった。そして、大学卒業後も気になっていたものの、海外への旅を繰り返していた。
 その後、著者は大学のサークル仲間の10年後を訪ねて、『バブルエイジ』(ワニブックス)という本にまとめた。そのなかに登場する人物で、ミャンマーで出家僧をしているのが、著者に遍路を意識させた人物だった。
「彼の現在の生き方と一三年前のあの旅は確実につながっていた。四国遍路には若者の生き方を変えてしまうほどの力があるのだろうか」
 四国遍路をする若者が増えているというマスコミ報道に触れ、ついに著者は四国へ旅立った。徳島のバスターミナルに降り立ち、最初に見かけた遍路に声をかけようと思うが、その鬼気迫る雰囲気に負けてしまう。何かを祈るために遍路に来ている人に、その動機を聞くことは、取材する側にも覚悟が必要だ。「とても自分の手に負えない」と弱音をはく。
 それでもレンタカーを借りて、若者の遍路を探しながら一番札所から回り始めた。すると周囲の目が気になる。茶色に染めたばかりの髪、赤いTシャツ、アーミーパンツ。そしてカメラを持ってうろうろしているせいか、ひそひそ声も耳に入ってくる。形だけでも白装束を買おうか悩む。
 小林キユウのいいところは、自分の感情を素直に書いているところだ。悩みながら取材を進めていることがよくわかる。取材相手に「歩いたほうがいいですよ」と言われ続けて、レンタカーで徳島と高知を回ったあと、菅笠をかぶり、金剛杖を持って、歩き始めた。
「自分自身が遍路になって歩くことなど考えてもみなかった」
 しかも、一番札所から回る「順打ち」ではなく、3倍難しいといわれる八十八番からの「逆打ち」だ。道標が整備されていなく、すぐに道に迷う。それでも結願すると3倍の得が得られるという。順打ちだと取材相手の遍路に追いついたり追い越されたりしにくい。車で回った罪ほろぼしの意味もあって、逆打ちに挑戦したわけだ。香川の遍路は、8日間で130キロを歩いた。
 インタビューに登場するのは、一組の親子を入れて31名。歩いて回っている人、自転車やバイクで回っている人、いっぺんに通して回る人、少しずつ区切りながら回る人、野宿をする人、民宿に泊まる人など、それこそ数え切れないスタイルと動機で遍路を行なっていた。
 ところが、どのインタビューも見開き2ページに満たない。数えてみると、1000字前後しかない。そこに著者の苦悩がうかがえる。
「東京での通常のインタビューでは相当図々しいことまで聞く僕だが、遍路に対しては本書に書いてあることがほぼすべてだ。今の僕にはこれが限界だった。(略)千数百キロを歩き通そうとする者にその覚悟を問いただすことは本当に畏かった。声をかける瞬間は身が震えた」
 現在、年間10〜20万人の遍路が四国を巡っているという。そのうち1000人程度が歩き遍路をしているようだ。この長大なルートをたえず人が循環しているというのは、にわかに信じがたい。その一方で、遍路という文化を支えている人たちがいる。遍路は弘法大師の生まれ変わり。四国で暮らす人たちは、当然のように遍路を「お接待」しているのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

18 件中 1 件~ 15 件を表示