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佐藤哲朗さんのレビュー一覧

投稿者:佐藤哲朗

9 件中 1 件~ 9 件を表示

「生きている人」のための仏教

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「気の向くままどこから読んでも、また、ひと月に一章というようなゆっくりしたペースで読んでも構いません。お釈迦様はいつでも、どんなときでも、みなさんが歩むべき道を示されていると思います。」(はじめに より)

 著者のスマナサーラ長老は、スリランカ出身の上座仏教(テーラワーダ仏教。大乗仏教しか伝わらなかった日本では「小乗仏教」と揶揄されてきた)のお坊さん。ながく日本にとどまり、日本人の心の機微をもわきまえつつ、妥協のない姿勢で釈尊の根本仏教を伝える現代の高僧である。著書は多く、いずれも難解な仏教語を排した平易な話し言葉で書かれているが、ハズレの本にお目にかかったためしがない。

 本書では、釈尊の死後からほど近くまとめられた原始仏典であり、南方仏教圏では最もポピュラーなお経として親しまれる『ダンマパダ(法句経)』が取り上げられている。人生の「苦(ドゥッカ)」を乗り越え、幸せに生きるためのブッダの智慧とは何か?日々の実践を通じて「心を育てる」ため34章の幸福論が淡々と語られている。

 各章の冒頭には、簡潔な韻文で説かれた『ダンマパダ』の一節が掲げられる。二千五百年前の古色蒼然としたテキストだ。しかしスマナサーラ長老という一比丘の口をとおして、人々が直面する具体的な問題に則して紐解かれる時、古ぼけたブッダの言葉は、我々の「いま・ここ」の人生の指針として見事に再生されるのだ。

 これまでも『ダンマパダ』の解説書は数多くあったが、いづれも仏教学者による文献学的な解説や、原始仏典など本当は尊んでいない大乗仏教の立場にたった書籍ばかりだった。あたかも上座仏教圏で催される「法話」の場に居合わせているような臨場感さえ感じさせる本書は、「生きた仏教」のなかで読み継がれる『ダンマパダ』のあり方を実感できるという意味でも貴重な一冊といえるだろう。

 日本で仏教といえば、お葬式や各種法事、あるいは神秘体験を求める弱い精神の寄る辺としてしか接する機会が少ないのが現状だ。しかし釈尊の説いた仏教は、「死んだ人」のものでも、非日常に漂うしか能のない「死にかけた人」のものでもなかったはず。本書で説かれる「生きた仏教」の言葉は、私たちに「仏教を生きる」こと、つまり人間として生きるべき道のありかを説いてやまない。

 本書はあくまで平凡な言葉で説かれている。それゆえに聞く人が抽象概念の迷路(モラトリアム)へと逃げ込むことを許さない。厳しくもまっとうな、もうひとつの仏教の姿がここにある。(佐藤哲朗/@BODDO主催)

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“パーナドゥラ論戦”の全記録

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 西欧キリスト教文明は、中世までは圧倒的な「先進地域」であった中東イスラム文明との対決を通じて自己形成を果たしたという来歴をもっています。彼等の宗教観もまた同じセム系一神教の枠内で培われてきました。その西欧キリスト教文明が、鉄砲だのプランテーションシステムやら泥棒道具を両手に抱えて、アジアに侵略の手を伸ばして以降、思想的に対決したもっとも手ごわい相手はやはり仏教だったんですね。
 『キリスト教か仏教か』は1873年八月、南アジアの仏教国スリランカ(当時は英領セイロン)で繰り広げられた仏教僧とキリスト教宣教師との白熱した言論戦を記録した奇書です。韓国出身のお坊さん、金漢益師の邦訳によって、現在その全容を日本語で読むことができます。
 さて、この論戦に挑んだグナーナンダ(1823-1890)和尚は、当時のセイロン仏教界を代表する論客として知られていました。彼は仏教の正統性を理路整然と主張するばかりでなく、会場に集まったスリランカ民衆の心性にもずっしりと響く、卑俗な比喩を使いこなしてキリスト教を論駁したのです。
 二日間続いた論戦の争点は「霊魂の不滅説と輪廻説の対比」「仏陀とキリストの伝記の検証」「妬む神エホヴァは信仰の対象たりえるのか」「須弥山説に科学性はあるか」など、多岐にわたりました。(スリランカの仏教は大乗仏教を基本とした日本とは伝統の違う、『上座部仏教』に属するので、基礎知識がないとピンと来ないやりとりもあります。) しかし、セイロンきっての学僧グナーナンダが、インド古典や近代聖書研究の知識まで動員して繰り出す鋭い舌鋒に、仏教教理に対する基本的無知をさらしがちの宣教師が対抗できるわけもありません。こりゃぁ相手が悪すぎた。
 論戦の舞台となったパーナドゥラ村には、現在は金色に彩色されたグナーナンダの立像が建立されています。スリランカ観光に行く機会があれば、ちょいと足を伸ばして欲しいと思います。よく手入れされた花壇の直中にそびえるその像は、五色の仏教旗をバックに、一百数十年前その地で雄弁を振るったそのままの姿を保存しているようです。長丁場の論戦のすえ、自らの勝利を確信したグナーナンダは、左足を聴衆に向かって踏み出し、右手を力強く振り上げ天を指しながらこう語りました。「人間がもしそのことに正しさを見出すならば、それを認め実践するというのが、分別のある人の良識であります。したがいまして、皆さんが真の宗教である仏教を信じ、輪廻の苦しみから脱して、ニルヴァーナという安楽の世界で生を営むように精進して下さる事を心より願って止みません。」
 彼のひとことが討論を締めくくると、会場に詰めかけた群衆から一斉に「サードゥ、サードゥ」と賞賛の声が沸きあがったといいます。以上が、『パーナドゥラ論争』と呼ばれた事件のあらまし。この論戦は、数百年にわたる西欧の植民地支配下で圧迫されてきた仏教徒の自尊心をいささか回復し、植民地主義と癒着したキリスト教に対する反撃の狼煙となりました。その影響は近代日本の仏教復興運動にも達しています。
 パーナドゥラの論戦は、諸宗教の融和を大前提に交わされる微温的な「対話」ではなく、“あくまで「対論」であり、「論争」”(金漢益)であったことを何度でも強調しておきたいです。「グローバル化」なる現象によって、世界中で宗教をめぐる紛争が多発している現在、この「歴史の証言」が示唆するものは少なくないと思います。(佐藤哲朗/@BODDO主催)

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近代日本における政治と宗教の関係を根底から捉えなおす

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 仏教と並ぶ日本の代表的宗教が神道(神社神道)です。この神道は明治維新から大東亜戦争に負けるまで「国家神道」という国家宗教の形をとって国民を抑圧し、天皇陛下を「現人神」と崇める狂信的な教えを宣伝していたとされます。で、仏教やキリスト教はそれに抑圧され、あるいはシブシブ戦争にも協力させられたとゆーのが、これまでの「近代日本宗教史」のよくあるお話でした。

 本書ではそんな通説ならぬ俗説に疑問を投げかけます。近代日本の宗教事情はそんな単純ではなく、実際には「宗教とは何か?」という定義すらあやふやのまま、神社神道と仏教諸派の間では、宗教界の主導権を争うものすごい綱引きが行われていたとゆーのです。それもほとんど神道側の負け戦。ある時期には、宗教としての神社神道を、事実上廃滅に追い込む運動が危うく(?)実現しそうになったとゆーんだから、驚きです。

 確かにマイナーな思想家の間では、「国家神道」「現人神」を喧伝する思想が、煮え煮えと形成されてましたが、その流れが日本で主流を占めて国民を圧迫したなんてのは非常に例外的な一時期に過ぎなかったのですね。そのへん、ちゃんと証拠を出して論じてます。

 また、明治には主流だった天皇の「天孫説(天皇陛下は高天原の神様の子孫ですよ、国民も他の神々の子孫だよという説)」を換骨奪胎し、天皇を「現人神」として神格化し、宗教的な国体論イデオロギー(妄想)を喧伝したのは、神道家ではなく、むしろ仏教者たち(主に浄土真宗系の思想家)だったのです。有名な「八紘一宇」というスローガンも、発明したのは仏教思想家でした。そう、「マイナーな思想家」とは仏教思想家のことでした。

 世界宗教である仏教に拠るマイナー思想家が、国内ではほとんと相手にされなかったトンデモ日本国体論を世界に宣伝したもんで、海外の研究者による「日本はキチガイ宗教に支配されている」という偏見を助長しちゃったとゆー笑えない話もあります。

 そんな複雑な経緯をたどった日本の近代宗教史が、戦後日本において、「現人神」「国家神道」という共同幻想(マスク・イデオロギー)によって覆い尽くされたのは何故か? その共同幻想は、日本の宗教界にとってどのような意味・機能を持っていたのか?とゆー今日的テーマまで、著者は踏み込みますよ。

 とゆーわけで、腰が抜けるほどビックリした本でした。個人的に、僕も近代宗教史の原資料をいくばくか読み漁るうちに、「近代日本の宗教について世の中で言われている図式と、事実とはぜんぜん違う」こと、「多くの歴史研究は事実とは関係のない、思想信条的な力学によって筋書きされている」ことは痛感してましたが…。

 書かれている内容の衝撃度は大きいけど、読後感のなんとも爽快なことか。歴史はつねに現在の要請でつくられるといいますが、その「つくられた歴史」が僕たちのものを考えるフレームを決定付けている場合も多いのです。近代仏教史に拘ってきた僕も、本書によってぐっと視野が拡がった感すらします。これからはますます、日本の近代史を勉強するのが楽しくなりそう。

 著者は皇學館大学のセンセイで、「新しい歴史教科書をつくる会」理事もなさっているので、そーゆー傾向がダメな人はきっとスルーパスだと思います。でもそこは我慢して、むしろ自分は心情的にリベラルだと思っている人、戦争や復古主義はキライだ、という人にこそオススメしたい本です。現代の日本社会がうじうじ引きずっている精神の不自由さ、トラウマじみた観念のこんがらがりを乗り越えるための、重要なヒントが記されている突破作を読み逃しなく!

ひじる?オンライン

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紙の本からくり民主主義

2002/09/10 06:35

弱ったなぁ…から深まる洞察

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「席をゆずるにはまず席に座ること。同様に、美談を光り輝かせるには背景を暗くすることが肝要である」(p38)。

最近読んだノンフィクションのなかではピカイチだった一冊、に収められた短編「親切部隊」より一言引用。気に留まらぬほど薄く広く、ヨノナカの恒例行事となっている『小さな親切運動』を論じた作品なのだが、僕達がメディアを通して気持ちよくなれる「善い事」の構造を分析してみると、そこにはえらく倒錯した「感動のテクニック」が見え隠れしていたというオチ。

本書収録の他の作品も、読めば読むほど「う〜ん」と唸って困ってしまうような、でも、“文学”って本来こーゆーことだよな、と、思わされる作品ばかり。村上春樹が解説を寄せた気持ちも分かるなぁ。

高橋秀実は1961年横浜の生まれ。東京外語大モンゴル語学科を卒業後、テレビ番組制作会社でAD(アシスタント・ディレクター)などを経て、フリーのジャーナリストに…という経歴。村上春樹によれば、「ノンフィクションの書き手としての高橋秀実の三要素」とは、

1 とてもよく調査をする 。
2 正当な弱りかたをする(せざるを得ない)。
3 それをできるだけ親切な文章にする。

だそうだ。「関川夏央から僻み根性を抜いたような」というのは僕の印象。背負っている観念や拘りは軽いけど(現場へ持ち込む荷物は少ないけど)、取材先でその都度ひょいと人並み以上の荷物を運んでみせる姿はなかなか頼もしい。

あえて挙げるならば、ハイライトは沖縄米軍基地問題を扱った章(「反対の賛成なのだ」p133〜)だろうか。報道の現場で横行するテレビ的な“つくり”(事実の図式的切り張りやフレームにはまったコメントの演出)と、それに嬉々として協力する“取材される人々”を通して、日本を動かす『からくり民主主義』の弱ってしまう現実を見事に浮かび上がらせてみせる。

著者は誰を非難するわけでもない。誰が傷ついているとか、被害を受けているという問題でもない。でもそれだけに、僕たち日本人の、社会における「当時者性」という深いテーマへの洞察が、上げ底なしに提示されるのだ。弱ったなぁ…から浮かぶ瀬もあれ日出国。

【目次】序章 国民の声--クレームの愉しみ 第1章 親切部隊--小さな親切運動 第2章 自分で考える人びと--統一教会とマインドコントロール 第3章 忘れがたきふるさと--世界遺産観光 第4章 みんなのエコロジー--諫早湾干拓問題 第5章--ガリバーの王国--上九一色村オウム反対運動 第6章--反対の賛成なのだ--沖縄米軍基地問題 第7章 危険な日常--若狭湾原発銀座 第8章 アホの効用--横山ノック知事セクハラ事件 第9章 ぶら下がり天国--富士山青木ヶ原樹海探訪 第10章 平等なゲーム--車椅子バスケットボール 終章 からくり民主主義--あとがきに代えて 解説 僕らが生きている困った世界--村上春樹 

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ある半島国家の寿命が尽きようとしている

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日本軍事情報センター J-RCOM(http://www.kamiura.com/)を主催されている神浦元彰さんの著書です。米国のイラク攻めや、北朝鮮の核武装が騒がれて以来、僕はずっと彼のHPを読んできました。そして日々多くのことを教えられてきました。彼のネット等を通じた誠実な言論活動は、より多くの刺激を求めて暴走しがちな日本の軍事報道、特に北朝鮮のミサイル問題に関して、貴重な「冷却棒」の役割を果たしつつあります。その神浦さんの最新刊『北朝鮮消滅』を、いま読んでおくべき一冊としてオススメします。軍事という視点から「北朝鮮はいつ、どのように崩壊するのか。そして統一された朝鮮半島の国は、どのような性格を持った国家になるのか」という展望を淡々と提示しています。ただ事実の重さによって、私たちが何を準備すべきなのかという心積もりを確かにしてくれる良書です。

ひじる?オンライン

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紙の本李登輝学校の教え

2001/07/26 17:21

揺るぎない人からの宿題

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 小林よしのり氏の近年の仕事のなかでも、もっとも美味しい果実にあたるかもしれない。

 話題の本、『李登輝学校の教え』を読了。中華民国(台湾)の前総統として、台湾の民主化と自立への道を切り開いた李登輝氏に、“よしりん”こと小林よしのり氏(マンガ家 『台湾論」著者)がインタビューした記録だ。

 ちょうど親子ほど歳の離れた二人である。「日本人 岩里政男」として生きた青年期。京都大学時代に培った思想。従軍と敗戦。蒋経国のもとでの農政従事。台湾政界をリードした総統時代。中台・日台関係への期待と展望。熱烈なクリスチャンとしての宗教論…。権力を「借り物」として突き放しつつ、戒厳令と独裁の時代に終止符を打ち、民主化と台湾化を推し進めた強靭な政治理念が、あくまで平易な、そして実践によって鍛えぬかれた言葉で語られてゆく。

 ヤンチャな教え子を諭すように語りかける李登輝氏。「人物」と出会った感激と幸福感に溺れそうになりつつ必死に耳を傾ける小林氏、読んでいて本当に羨ましくなる「個人授業」の記録だった。

 李登輝氏が国際社会に台湾の「存在」をアピールするため、いかに研ぎ澄まされた言葉遣いをしてきたかということは、本書のやりとりからも読み取れるはずだ。「哲人政治家」という賛辞も過称には当たらない。単なる日本びいきのおべんちゃらだと思って読み始めたら肝が冷えるぞ。

 日本の南には、“揺るぎない人”が立っている。もっともっとこの人から学びたいと思う。理不尽な制約なしに、自由に日本を訪うてほしいと思う。そのためには、日本がどんな内政干渉や恫喝にも“揺るがない国”にならなければ。

 それが李登輝氏から送られた宿題です。

佐藤哲朗(ライター/@BODDO)

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紙の本お笑い男の星座

2001/02/27 13:27

金玉四つに組んだ星座巡礼記

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 テレビっ子の家人に薫陶を受けてファンになったお笑い芸人コンビ、浅草キッド(水道橋博士・玉袋筋太郎)による金玉四個を賭した怒涛の「エンターテイメント・ノンフィクション」である。

 テレビ情報誌『テレビブロス』連載エッセイをもとにした本書のタイトルとコンセプトはもちろん梶原一騎原作の同名劇画を踏襲したもの。

 さっそく週刊文春に取り上げられたという和田アキ子ネタをはじめ、虚実皮膜の芸能界エピソード集。深夜番組「未来ナース」(TBS系)等々でおなじみのガッツ石松、水野晴郎、鈴木その子、宮路社長etcとのハートウォーミングにして戦慄走る絡みあい。ターザン山本との因縁を含む怒涛のプロレス・格闘技論&観戦記。爆笑問題との積年の確執。師匠ビートたけしへの尽きせぬリスペクト等々…浅草キッドの「星座巡礼」が強制ボディ・ソニック・プラネタリウムのごとく読者の面前に開陳される。

 一読して、彼らの尋常ではない知識量とその構成力、つまり桁外れの頭のキレに圧倒された。『Tokyo Boy』(MXTV)で石原慎太郎都知事と渡り合ってる力量はダテじゃない。『Kid Return』HPの水道橋日記を読めば、彼がかなりの読書家であり、映画への造詣も深いことは一目瞭然だが、浅草キッドはそういうスノッブな表象はどうでも良い、突き抜けた「知性」の持ち主なのだと思う。血まみれの修練の賜物を、むやみに羨むべきではなかろうが、やっぱり羨ましいぞ。

 それでいて、これだけ読んでいて映像や音や時に匂いまでもが想起されるような文章も珍しい。それも、水道橋博士と玉袋筋太郎のつば吐きまくりのナレーション入りで…。「エンターテイメント・ノンフィクション」を標榜する所以である。

 内容の濃さからいって当然のことだが、二人の捨て身の営業も手伝って、『お笑い男の星座』は順調に版を重ねているそうだ。ずっと前から、「本が売れない」だのなんだのという元気のない声はあるが、こういう良書が「売り上げ」という形できちんと評価される土壌が残っているならば、大丈夫である。

参考HP:浅草キッドのネット寄席『Kid Return』

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紙の本旧暦はくらしの羅針盤

2003/01/19 20:32

カレンダーを旧暦に替えて金持ち父さんに?

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繊維業界で40年勤めた著者は、タイの合弁企業で華僑と交流を持つうち、東アジアの風土に根ざした農暦(旧暦 太陰太陽暦)の魅力に注目するようになったそうです。ここまでは良くある話。

本書のユニークな点は、単なる古典教養や、健康志向の「癒し」趣味に留まらず、旧暦を使って気候予測をしてビジネスに役立てよう!という現実的な提案をしているところです。

季節に左右されるモノを売るとき、「前年同期比較」に尺度を求めて、売上不振だと「天候不順」のせいにする。そんな慣行が、旧暦(農暦)の視点から見ていかに「非合理」なものか、著者は力説します。旧暦の知識を駆使した気候予測によってマーケティングを行えば、ライバル企業に差をつけて金儲けができるのだと。

実際に、業界紙で著者が行っている気候予測は好評で、旧暦カレンダーもけっこうな勢いで売れているとか。僕も欲しくなりました。

第一章はそんな具合で、楽しい金儲けの話に終始しますが、第二章以降は日本人の豊かな季節感を支えてきた、旧暦の基礎知識を丁寧に解説してくれます。

明治五年十一月に突如行われた明治の改暦(太陰太陽暦から太陽暦へ)は、日本を近代国家として成り立たせるための施策(ほんとは公務員の給与対策)でした。しかし改暦を命じる太政官布告に、「諸祭典等旧暦月日を新暦月日に相当(つりあわせること、あてはめること)し施行致すべき事。」との項目が挟み込まれたことで、日本人の季節感は大きく狂わされました。後遺症はいまも引き続いています。

上記の布告により、日本人は年中行事に以下の三つの基準を使い分ける羽目になりました。

1)旧暦を尊重する行事 
例:中秋の名月。これを新暦の8月15日に合わせて執り行うと、お月様が満月になるのは30年に一度程度になってしまうそうです。
2)季節に合わせるために、旧暦の日付を一ヶ月遅くした行事
例:修二会(奈良東大寺のお水とり)、祇園会、盂蘭盆(新暦で行う地域もあり)など。
3)旧暦の日付をそのまま新暦の日付とした行事
例:」お正月、五節供、両国の花火、べったら市、山王祭etc 。

これは意識されていない事ですが、明治維新以降、日本人はものすごくグチャグチャで分裂した暦の無秩序を行き来しながら生きてきたのです。よくもまぁ頑張ったものだと思います。

また、よく「(旧暦にもとづく)迷信」として槍玉にあがる六曜(仏滅・大安など)ですが、この六曜が「迷信」として神秘的に扱われるようになったのは、旧暦の知識が失われた近代以降であり、旧暦の知識を持っていれば六曜は不思議でもなんでもないのだと著者は指摘します。

要するに国家の近代化、迷信の追放、合理的な社会の構築、といったスローガンを掲げた明治の近代化が、単なる暦の約束事に過ぎなかった六曜を再解釈して「新しい迷信」に祭り上げてしまった。現在の日本政府もまた、明治維新が作り出した六曜の迷信に左右されている(六曜の吉日を選んで政策を行っている)という笑えない事実も明らかにされます。

そんなこんなで、お金儲けのヒントを得る本として手軽に読めて、なおかつ僕たちが日常疑うことなく受け入れている暦やカレンダーの正統性を問い直すところまで思索の幅を拡げられる、おトクな一冊なのです。

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知ってるつもり?「中道」と「八正道」

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 「本来、仏教はこの世を生きる人間の生きた知恵として存在しなければならないはずのものです。事実、仏教を学んでいくとその教えの新鮮さ、科学性、合理性にはただ驚くばかりです。」(プロローグ より)
 釈尊の教えのエッセンスである「中道」の意味と、その具体的な実践方法である「八正道」を易しく正確な解釈で説いた著作。巻末ではテーラワーダ仏教の立場から見た仏教の歴史が概説される。もうひとつの「仏教入門」として読んでおきたい一冊だ。

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