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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

イッペイさんのレビュー一覧

投稿者:イッペイ

20 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本北方領土特命交渉

2006/10/01 20:53

あたりまえのことだけれど、交渉というのはまず相手のことをよく知っておかなければならないのだ、日ロ関係の今日的意味に迫る好著

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 鈴木宗男といえば典型的な利益誘導型の代議士、というイメージがマスコミによってふりまかれてきた。しかし、本書を読み終えて、どうしてどうしてなかなかの勉強家、世界史や地政学を研究している戦略家なのである。
 本書はもとは佐藤優による鈴木宗男のインタビューという形式の企画だったという。対論となっているが、主役は宗男である。
 日ロ関係が日中、日朝の問題に直結してくるという視点。またチェチェン問題や中央アジア外交と北方領土がいかにからんでいるのか。目から鱗(うろこ)といえば大げさだが。
 考えてみると、国際関係というのは二国間だけみていても何もわからない。ましてや「好きだ」「嫌いだ」のレベルで問題が論じられるべきではないだろう。
 好き、嫌い、の基準で国際関係をとらえるのは、いまのメディアの非常に悪い点だ。世論調査でも、ある国をあなたは好きですか、などという質問がトップにくるありさまだ。
 個人のレベルでも、好きな相手と仲良くしていれば世の中すべてうまくおさまる、というわけにはいかない。嫌いな相手との賢いつきあい方こそ処世の知恵というものであろう。
 国際関係では、好きな相手(=同盟国)こそ警戒すべし。これは古来より常識なのだ。敵の敵は味方。昨日の敵は今日の友。なんてこともあたりまえ。いずれにせよ、自分の主張をはっきりさせた上で相手のことをよくよく知らなければならない。
 知ることはまさにインテリジェンス(情報、諜報)。佐藤優の出番。これがまさに本書の設定だ。
 日ロ、日中、日韓、日朝、日台、いずれの隣人とも問題をかかえてしまい、八方ふさがりの日本外交。その中で日ロ関係の持つ特別な重さを本書は強調している。外交のダイナミズムを知る上でも本書は役に立つ。

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デジタル時代における人間的な自由をめざすコラージュ・ノンフィクションの実験舞台は満州からインターネットへ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

久しぶりに知的な興奮に誘われる本に出会った。人が生きることは自ら行動することである。行動するためには周りの世界が見えていなければならない。この世界をできるだけ見えるようにしよう。そこで人ははじめて自由を獲得できるのだ。少しでも自由を実感できるとき、ぼくは知的興奮を覚える。
完全とは言わないけれど、世界は既に見えているではないか。あとはどのようにこれに対応するかである。とも思える。しかし、実は見えているようで見えていないのが哀しいかな現実なのだ。
著者は指摘する。たとえば蒙古襲来。ユーラシア大陸を席巻する空前絶後の大帝国の軍団が極東の島国に迫ってきたのだから、これが国難でなくて何であろうか。というのがこれまでのふつうの解釈だ。
しかし、著者によれば蒙古襲来は国難どころか、グローバルなビジネス展開のためのまたとないチャンスだったというのである。危機こそが機会というあの論理である。時あたかも、日本経済新聞に「世界を創った男 チンギス・ハン」を連載中の堺屋太一によれば、モンゴルこそ今日の超大国アメリカに比肩すべきあるいはそれ以上の通商帝国であった(『堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界』)。吉田司と堺屋太一、全く別の人格だけれど、奇妙に符合する。
不思議な本である。それぞれ全く独立な3枚の写真からすべてが始まる。話題は著者自身の個人的な事情から国際政治、漫画や歌謡曲、古代から近現代史、神話からインターネットまでと自由自在に展開する。だから感覚的できままな本かといえばそうではない。感性と理性、アナログとデジタル、日本列島と地球、等々の緊張関係はしっかりと保たれているのである。
本書の舞台はかつて王道楽土の理想郷の建設をめざした満州である。人びとを満州へそして戦争へと駆り立てたものは何であったのか。この本はデジタル時代の情報過多の中で人としての自由を求めるすべての人びとへの贈り物と言っても言い過ぎではない。本書は二巻本の前篇「戦前・戦中篇」である。後篇の「戦後60年篇」とあわせて読まれることをおすすめしたい。

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痛快!「地に境界なく、人に差別ない」モンゴルの世界:草原に展開する堺屋流グローバル文明批評

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

共産主義は20世紀の妖怪だった。いまグローバリゼーションという妖怪が21世紀の地球を徘徊している。
言うまでもなくグローバリゼーションという妖怪の中心にいるのが冷戦の崩壊で唯一の超大国となったアメリカである。
このアメリカに先立つこと800年。モンゴルは、民族も宗教も超えた地球規模の通商世界を構築していた。
著者はアジアからヨーロッパまでも席巻したモンゴル帝国を創業者の名を冠してチンギス・ハン帝国と呼ぶ。
ある意味でモンゴルはアメリカよりもはるかにすぐれたグローバリゼーションを実現していたと著者は指摘する。モンゴルは自らの文化を他に強制することをしない。
著者は言う。大抵の征服者は、自らの文化を誇り、それを全世界に普及することに使命感を持つ。だが、チンギス・ハンは違った。遊牧民の持つ自由度をいい意味で堅持していたのである。
一方、現代の超大国がことあるごとに標榜しているのが近代西洋文明である。近代西洋文明の技術的有効性は否定しがたい。しかし、その価値システムの強制は我慢ならないものがある、と同時にきわめて有害である、と筆者もおもう。
本書は、著者のモンゴル取材調査日記でもある。第1章が著者の書き下ろし。随所にカラーのグラビアが挿入されている。第二章以下では各分野のモンゴル専門家が動員されている。プロデューサー・太一の面目躍如の展開である。
巻末にはモンゴル旅行案内、参考文献リスト、年表、なども用意されている。
おりしも日経新聞で同じ著者によるチンギス・ハンの連載小説が始まっている。グローバルビジネスの展開、そして現代の超大国の行く末、そして日本の進路に関心を持つすべての人びとにおすすめしたい好著である。

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紙の本アルツハイマー病

2007/07/26 20:17

ちょっと待った!そのビール:麻生さんに是非読んでもらいたい一冊

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

外務大臣麻生さんの「アルツハイマー発言」は多くの人びとを驚かせた。麻生さんの言葉は差別発言にとどまらず何という認識不足・無知というのが率直なぼくの感想だ。

 レーガン大統領の例を出すまでもなく、アメリカは既に二十一世紀の国家プロジェクトとしてアルツハイマー病に取り組んでいる。痛みを共有してくれなどとは言わないが。米国の国家戦略に無知な人に外務大臣がつとまるのですか?

 黒田さんの『アルツハイマー病』は九年も前に書かれた本だ。日進月歩の医学の世界で九年は長いとも言える。しかし、この九年の間に人類への挑戦状とも言えるこの病(やまい)について決定的な進歩があったわけではない。むしろ黒田さんが本書で提起している根本問題はまだまだぼくらに共通する課題として受け止められているとはいえないだろう。

 よって本書は依然として新しい。

 脳の細胞はその他すべての人体の細胞と違って再生されたり修復されたりすることはないという。百歳まで生きる人は百年間にわたって同じ細胞を使い続けるわけだ。

 さらに本書で繰り返し強調されているのは脳の仕組みが繊細で超複雑であることだ。その上弱くて傷つきやすい。

 再生不能な生きた脳の細胞が壊れてきたらどうする?考えるだけでもおそろしい話である。老年期に発症するアルツハイマー病は、いわばそれまでの環境(物質的かつ文化的な)から受けてきたさまざまな影響の蓄積の総決算とも言える。本書を素直に読めばそう解釈できる。

 本書の最終章は子供達が成長する環境問題にあてられている。五十年後に思いをはせているのである。アルツハイマー病の問題はまさしく環境問題でもある。

 黒田さんはこの分野で世界に名だたる学者だが。いい意味での常識人である。危険が立証されない限り、ある物質の利用・販売を禁止しないという考えは間違っているという。その代表例がアルミニウムである。

 アルミニウムが脳の組織を破壊することは既に多くの事例により報告されている。日本の基準が甘いだけである。本書でもアルミの問題には多くの紙面がさかれている。

 アルミニウムの問題はひところマスコミでも取り上げられたが。最近はさっぱりである。最終的に犯人と断定されるまで待てというのか。濃厚な疑いがあり、なお避けて通れるなら避けて通るのが常識であろう。

 散歩の途中で近所のスーパーに寄って好きなビール缶をよくよく見て驚いた。「アルミ缶」と書いてある。ガラス瓶のほうに変更したことは言うまでもない。

 ちょっと待った!そのビール。麻生さん、せめて夏のビールくらいは安心しておいしく飲みたいものです。

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デジタル時代における人間的な自由をめざすコラージュ・ノンフィクションの実験舞台は満州からインターネットへ(後篇)

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は並みの本ではない。
昔日を懐かしむ歴史回顧でもなく、また月並みな軍国主義批判の書でもない。
戦前そして戦中に満州で開発された技術開発と産業振興さらには都市開発のモデルまでもが戦後の日本において次々と実行されてゆく。そして60年が経過した。
軍事力ではなく経済力での海外進出が進む。米国は既に日本の経済進出を日本が仕掛けた経済戦争と名付けている。それは単なる言葉の言い回し、レトリックではないのだ。このことの自覚が必要だ。
満州モデルについてはよほど慎重に検証してみる必要がある。同じ失敗を繰り返してはならないのである。
著者は全く思いがけない方向から希望を語っている。著者が提示する希望はデジタル時代に棹さすのではなく、これを逆手に取って進もうとする生命力に満ちあふれたものである。
本書は二巻本の後篇に相当する。前篇の戦前・戦中篇と合わせて読まれることをおすすめしたい。

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「人間(じんかん)に差別なし、地上に境界なし」=グローバリゼーションの創業者としてのチンギス・ハンは究極の逆境から立ち直る天才だった

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一年半にわたって続いた堺屋太一による日本経済新聞の連載小説「世界を創った男 チンギス・ハン」が2007年8月5日に最終回を迎えた。本書は全4巻となる単行本化の第1作である。

現在の超大国アメリカに比肩する超大国を世界史に求めてみるとそれはモンゴルをおいてない。これが堺屋太一のチンギス・ハンの基本モチーフだ。アメリカとモンゴルには多くの共通点がある。たとえば大量報復戦略は巨大な版図を安価に維持するための知恵である。無論これは800年間も進歩していない悪い方の模範である。

容赦のない無差別な大量報復戦略は大東亜戦争における日本軍による重慶爆撃、続いて米軍による東京大空襲、広島と長崎への原爆投下へと続く。今日の核兵器体系はモンゴルが提示した悪い模範の究極の姿である。

他方では大量の不換紙幣発行による経済支配。米ドルは金との交換を停止して久しい(1971年以来)。金との交換機能の無い米ドルは紙に印刷した幻影に過ぎないのだが。この幻影もオリジナルは800年前のモンゴル帝国にあったのだ。

しかし、かつてのモンゴルにあってアメリカにないものがある。モンゴルは宗教に対してきわめて寛容であった。複数の宗教の共存を許していたのである。グローバル化という仮説「人間(じんかん)に差別なし、地上に境界なし」とういう思想はかつてのモンゴルのほうが実はよりよく体現していたと言えるだろう。「異教徒」にたいするアメリカの対峙の仕方は偏狭で姑息でありモンゴルの切りひらいた地平からは大きな後退以外の何ものでもない。

汲めどもつきない興味がわくのはチンギス・ハンという人格である。チンギス・ハンは連戦連勝の軍事的天才ではなかった。むしろ大事な戦(いくさ)においては無惨に敗北しているのである。これは世界史におけるモンゴル研究の権威である杉山正明も再三指摘しているところである(『遊牧民から見た世界史—民族も国境もこえて』ほか)。

チンギス・ハンは軍事の天才というよりも究極の逆境から立ち直る天才だった。本書の副題にある「絶対現在」は筆者は西田哲学の用語でもあろうかとおもったが、著者の巻末の解説によれば、最終決戦状態を指す軍事用語だという。絶対現在とは後も先もない生死の限界をも超えた究極の状態なのだ。

チンギス・ハン、少年時はテムジン、の生涯は絶対現在の連続から始まる。まずは「堺屋チンギス・ハン」のスタートである。

なお、本書では新聞連載で読者を魅了した大沼映夫の挿絵が、より高品質に随所に再現されている。巻末の地図、年表、注釈が親切である。

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紙の本イラク戦争と占領

2004/01/26 01:42

緊急現地報告:昨日のサダム、今日のブッシュ。両者は共にイラク社会の抑圧者である。アメリカの占領統治の失敗の根源には、イラク社会についての致命的な誤認がある。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、イラクの外側からではなく、イラク社会の内側からイラク戦争と占領の実相について報告している。著者はイラクの内外に持つ豊富な人的ネットワークを駆使し、さらに米英軍のイラク攻撃後、直接バグダードに取材して本書を書き上げた。

西欧型市民社会を移植しようとする米英の目論見はなぜかくも容易に挫折してしまったのか。著者はいわゆる紋切り型の決めつけを排除する。逆に、現地のキーパースンにひとりひとり面接し、現場を見て歩き、また有力者の素性についても詳細に記述しながら、イラク社会について、特にイスラームを基盤とした地域社会の生きた姿について報告している。

皮肉なことに、アメリカは「民主化」を標榜しながら「民主主義」の芽を摘むことに専念している。今や、大衆参加の直接選挙を最も警戒しているのがアメリカ占領軍なのである。それはなぜか。アメリカはイラク社会を致命的に誤認している。

サダムが徹底的に弾圧したはずのイスラームがイラク社会の深部のところで、生活や文化として根付いていたのである。イラク戦争後の混乱の中で、人々を導き、地域で自発的な犯罪防止や福祉の仕組みを支えているのがイスラームである。アメリカはこの事実を全く把握できていなかった。

何よりも、現地のイラク人が排除される場面が多すぎる。本書を読んで驚いたのだが、イラク復興事業の入札でもイラク人経営の地元企業は応札への熱意を急速に失っているというのである。発注内容もだれのための復興なのか疑問を抱かせるケースが多いことも事実。電力供給などの生活インフラ建設の取り組みが最優先されていないである。

誤認を認めないというのは、「老化」を測定するための明確な指標であると以前聞いたことがある。超大国アメリカの老化は確実に始まっているのであろう。超大国の今を知り、イラクの人々の苦しみの真実を知りたい人に本書を薦めたい。

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紙の本昭和史 1926−1945

2004/03/02 03:29

歴史は決して学ばなければ教えてくれない。戦争に明け暮れた昭和のむなしさ。日本の指導者は何と根拠無き自己過信に陥っていたことか。いま小泉さんにぜひ読んでほしい一冊。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書はとてもわかりやすい語りの文体で昭和史のひとつひとつの事件をていねいに取り上げて歴史を教えてくれる。たとえば、満州国建国の翌年、昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年である。この年に「関東地方防空大演習」が行われた。非常時日本で敵機空襲を予想した全燈火を消した中での大規模な訓練であった。

このとき信濃毎日新聞の桐生悠々という記者がこの防空演習を痛烈に批判した。そもそも敵の飛行機が日本上空に来るときは日本軍の大敗北ではないか。紙と木でできた東京の街がめちゃめちゃになることは明らか。こうした事態はあってはならないのであり、このような架空的な演習はさほど役に立たないであろう、と書いたのである。

信濃毎日新聞の記者が危惧した事態は11年後に、東京大空襲となって現実化した。実際まったくどうにもできない惨状となったのである。

著者の半藤さんによれば、小泉内閣が取り組んでいる有事法制は、敵が攻撃してきたときに民衆をいかに守るかという議論のようだが、この細長くて狭い日本で敵を迎えて民衆がどうのと言っている暇などないのではないか。これは昭和8年の関東地方防空大演習と同じではないか。まず外交的努力でそんな事態を起きないようにする努力はどうなっているのか。かんじんの国家的な政略や戦略は議論されているのか。

指導者に求められる判断力について考えさせられる事例。たとえば、降伏の仕方ひとつとってみても見逃せない問題があるというのだ。日本のポツダム宣言受諾は意志の表明でしかなく、終戦は降伏文書に署名したときにはじめて有効になるという国際的な常識を日本政府は理解していなかった。

この隙をついてきたのがソ連軍の満州攻撃であった。正式に降伏して戦闘停止の決めごとをしない限り、戦闘は続くのである。指導者の無知、判断の誤り、国際常識の欠如が満州の悲劇を生んだというのである。戦死8万人、捕虜57万人。「ポツダム宣言を受諾したのだからソ連もわかってくれているはずだ」という類の全く主観的な世界認識は今日も続いている。

これが本書の最重要テーマだとおもうのだが、指導者の徹底した責任回避。たとえば、カミカゼで有名な特攻隊による自殺攻撃作戦にはおぞましいばかりの無責任体制が意図的に組み込まれていたのである。この点を著者の半藤さんは見逃していない。その内容は本書で直接確認してほしいとおもう。

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紙の本「ならずもの国家」異論

2004/02/06 01:42

国家は宗教の最終形態。これが基本。昔もテロをやったし、今度もテロをやっている。それがアメリカ。アメリカ人は全然進歩していない。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者は自身の戦争体験から、アメリカは徹底したテロの国であることに何の疑いも持っていない。イラク戦争で急に狂暴になったわけではないという確信。911がテロだとすれば、サダムに対する攻撃はもっとひどいテロなのだ。

しかし、アメリカのもうひとつの顔も著者は重視している。それが自由と民主主義である。第二次大戦後、アメリカが日本に持ち込んだ自由と民主主義を目の当たりにして、軍国少年であった著者は、心から「無条件降伏」したことを告白している。

評者もおもうのだが、暴力支配と自由主義の許容はアメリカの持つ二つの顔だ。今イラクで滅茶苦茶な暴力支配を追求する一方で、大規模な反米デモを許している。もし日本がイラクを占領していたら、まず集会とデモの全面禁止を布告していただろう。ここがアメリカと日本の決定的な違いなのだ。格の違いとも言える。

しかし、アメリカが導入する自由と民主主義は度量であるよりは実利であり、十分に計算されたプレゼンテーションではないだろうか。このようなプレゼンテーションは圧倒的な暴力装置を背景としてはじめて実行できるものではないだろうか。かつての軍国少年の敗北感はアメリカの実利主義の勝利だったのではないか。

本書は全体として、テレビ感覚で気軽に読める。最後に出てくる「幻想の共同体」以外に難解な表現は一切無い。重たいテーマが軽いノリで語られているのである。話題は拉致問題に始まり、金正日とは、イラク問題、天皇制、石油、軍隊、景気問題へと展開する。そしてシメは「国家と個人」である。

文は人なり。著者の文体からにじみ出てくるのは、人が生きる知恵であり、幸福になるために必要とされるしなやかさである。

ぼくたちはもっともっと自由であってよい。究極のものとしては、個人の国家からの自由である。個人がすっぽり包み込まれているようなアジア的な国家観は幻想以外の何ものでもない。ぼくたちが自由であることで、イラク戦争についても、不況克服についてもよりましな答えが出てくるはずだと著者は語る。まったく同感である。

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紙の本アメリカの保守本流

2003/09/28 07:12

今アメリカを考える−「石油のためのイラク攻撃」という「常識」を覆す衝撃の書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

国際世論を無視したアメリカのイラク占領は、世界第二の埋蔵資源を誇るイラクの「石油利権」をねらう利己的行動であるとの批判がなされてきたのだが。しかし、「ネオコン」が主導する今回のアメリカの行動は実は自分たちの「石油利権」をも台無しにする全く理に適わない危ないものであることを、本書は警告している。

現代の「石油利権」は一方的な軍事占領でどうにでもできるような単純なものではなく、国際石油企業は戦争など全然望んではいないのだという。頭を冷やして考えてみれば全くその通りなのだが。テキサス出身のブッシュ大統領を始めとして、チェニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ライス補佐官、など現政権要人はいずれも「エネルギー人脈」に属している。こうした状況証拠から「石油のための戦争」という思いこみが生まれやすい。

世界の石油利権を理解するためには、最初に軍事超大国アメリカのエネルギー構造を知らなければならない。本書で指摘されているように、実はアメリカの電力供給の半分を占めているのは石炭である。軍事超大国アメリカはエネルギー浪費大国でもあり、世界を驚かせたアメリカ東部の「ブラックアウト2003(大停電2003)」も元はといえばこの十年間のエネルギー消費の急増にある。これを支えてきたのが石炭である。

さらに重要な事実がある。石炭の運搬を担ってきたのが鉄道ネットワークであり、沿線の土地利権をも独占する鉄道資本が過去にあげてきた法外な利益がアメリカの保守本流の人脈を育ててきた。鉄道資本の歴史を知らないで、アメリカの権力構造は語れないというのだ。

ほんの一例をあげると、鉄道王スタンフォードが作ったのが、スタンフォード大学(1885年創立)であり、スタンフォード大学こそITのメッカであるシリコンバレーの仕掛人であることは言うまでもない。スタンフォードにある、第31代大統領フーバーが設立した「フーバー研究所」は保守本流の人材を輩出する代表的な頭脳集団である。モクモクと煙をあげて広大な大陸を疾駆するSLが生み出した富と知恵と権力が今日のインターネット、IT、そしてホワイトハウスへと綿々とつながっている。

著者はアメリカの権力構造を解きあかすべくひとりひとり実名で姻戚関係も含めて克明に人のつながりを追跡していく。日本では家系の研究といってもほとんど興味を引かない話題かもしれないが。欧米では違う。膨大な研究がなされておりかつ公表されているのである。権力構造が日本とは異なり、有力な家系の網目(ネットワーク)が、金融、エネルギー、政治、学問、の世界を覆っているのである。少なくとも欧米の支配層の目にはその事実はあからさまに見えているはずである。

無知は幸せかもしれないが哀しいことでもある。「彼ら」によく見えている世界が「われわれ」に見えていないとしたら、世界認識を誤ることは疑いない。

さて、本書で知ってあらためて驚くのだが、当初は元国務長官のキッシンジャーやベーカーも、対テロ戦争としてのイラク攻撃には反対していたのである。「ネオコン」はアメリカの保守本流が築いてきた国際的な「利権」をも台無しにする「軍事ファシスト」以外の何ものでもない。これに追随している小泉首相は国が選択すべき道を完全に間違えている。平和外交は一国平和主義などではなくて今こそ世界が求めている指針なのではないだろうか。

ところで、評者が考える第一級の良い本とはエンタテインメント性がどこかにある本のことである。本書ではいたるところに映画のエピソードが登場して、映画ファンでなくとも興味をそそられ読者を楽しませてくれる。著者は人も知る映画通である(たとえば『予言された二十一世紀 歴史を目撃した映画』)。

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チンギス・ハンの知恵を育んだ家庭環境=女たち

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は日経連載の同名小説の単行本化全4巻の第2巻である。

この巻でテムジンはハン(指導者)へと成長してゆく。いよいよチンギス・ハンと名乗るのである。

堺屋太一の「チンギス・ハン」は何かと興味深い。そしておもしろい。
たとえば西から来訪した商人(あきんど)の使う関西弁。
ムスリムの経済金融の天才少年、のちの「モンゴル帝国」の財務長官となるヤラワチは次のように言う。

「確かにハンの懐具合は厳しおす。馬は二千頭羊は七、八千匹。去年の半分以下、多分冬を越せるのはそのまた半分ですやろ。ところが、要り用は増えます。戦死者の家庭や負傷者を養うのにも相当な物入りですよってに。」(本書、206ページ)

関西弁の使い方がじつに生き生きとしており、全体の流れに見事なリアリティを与えているのだ。

テムジン(のちのチンギス・ハン)の盟友(アンダ)ジャムカとの出会いと別れ。
しかしジャムカの心の中に黒い謀(はかりごと)があるのを見破ったのは妻のボルテであり母のホエルンだった。
これは決定的な情報である。
妻や母が重要な場面でいつも決定的な情報を提供していたのである。
もちろん彼の側にこれを受け入れる感性があった上での話しだが。

知恵を育む場としての家庭環境=女たち。
逆境に強かったチンギス・ハンの原点と言っても言い過ぎではないかもしれない。

(余談:2007/08/13現在、参院選で大敗した安倍首相は四面楚歌の中で首相の地位にしがみついている。夫人の「助言」が非常に悪い影響を与えているのではないかと筆者は邪推している。家庭環境おそるべし。)

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紙の本日本のゆくえアジアのゆくえ

2004/10/15 23:42

アメリカではなくアジアに目を向ける時代が来た。アジアとのゆっくりした共生を説く。カギは「燃料電池」によるエネルギー革命。

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本書は、72枚もの図を使用し、ヴィジュアルな構成により、日本とアジアの現状をえぐり、われわれの進むべき方向を提示する。うち解けた文体で、個人的なエピソードもふんだんにまじえて、お茶の間向きでわかりやすい。

本書で真っ先に指摘されている事実。1999年から2003年までのわずか4年の間に、日本の対中国の輸出額は二倍に膨張している。5兆円から10兆円への増加である。中国への輸出が急増中なのである。製品輸入に関しては、国別で見ると既に米国を追い越して中国からの輸入額がトップになっている。製品輸出総額では、対米国が依然としてトップであることに変わりないが、アジアとEUの総計では既に米国を遙かに上回っているのである。

中国を筆頭にアジアとの関係は深まるばかり。しかし、著者が危惧するのは中国経済の過熱ぶりである。中国経済のバブルが崩壊したら、世界全体に混乱が波及することは目に見えている。中国経済の過熱防止には世界の知恵を動員しなければ、という著者の叫びは切実である。

足元のこの列島はどうなのか。郵政民営化を先頭に、地方切り捨て、農山村・漁村軽視は続く。そうであってはならないと著者は説く。健康な大地と食の安全があってこその「グローバル化」ではないだろうか。

農業の復興を説く著者の主張は空想的に聞こえるかもしれない。しかし、それは現在の日本人の生活感覚があまりにも都市中心の偏った固定観念に汚染されているからに他ならない。

アメリカではなく、アジアに目を向けよ。そして、アジアとのゆっくりした共生がわれわれの生きる道なのだ。このゆっくりした共生を支えるリサイクル型でクリーンなエネルギー革命。その担い手は水素を燃料として利用し、環境汚染は限りなくゼロに近い「燃料電池」なのである。多くの日本企業が既に世界最先端の取り組みを進めているのである。

大いなる勇気と希望を与えてくれる本書を、日本経済を牽引しているビジネスピープルをはじめ、主婦や学生、そして新たな仕事の場・生きる場を模索しているすべての老若男女の方々におすすめしたい。

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「ネオコン」批判を通してアメリカの地殻変動の本質に迫る

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ウォルフレンは本書で一貫して「ネオコン」を批判し、ブッシュアメリカ大統領が「無知」なるがゆえに「ネオコン」の言いなりになって大西洋同盟を基軸とした「国際社会」を破壊してきたことに対して警鐘を乱打している。あれだけ国連離れを標榜していたアメリカが最近になって急に国連を必要とし始めた今日、著者の主張は説得力を持つ。

しかし、「ネオコン」批判そのもの以上に重要なことがある。それは、「ネオコン」の跳梁が可能となったアメリカの国家、社会、の環境の変化についての著者の洞察ではないだろうか。

今日のアメリカを考えるとき、まず軍事を抜きには考えられない。アメリカ社会における「兵士」の傭兵化が第一に指摘される。ベトナム戦争当時は息子や親しい縁者が戦場にいたので、海外の戦場について論じるときに道徳的・政治的議論の余地がまだあった。しかし今は違う。徴兵制は30年以上前に廃止され今は志願制である。兵士の出身階層はマイノリティや新参の移民の割合が多い(評者が読んだ新聞記事では、航空母艦の乗員の3割は米国市民権の無い外国人。兵役が市民権獲得への近道となるため)。

つまり、戦争の流れについての意志決定者にとって、「兵士たちのことをわが身にひきつけて考える感情的理由がない」ということである。

もうひとつ、軍事について重要なのは「キーボード戦争」である。アフガニスタン攻撃が最初のキーボード戦争であった。地上戦は地元の軍閥まかせ。ほぼ100パーセントの安全地帯から敵をせん滅するのである。「地上での実際の戦闘を、アメリカの目的とは異なる目的を持つ軍閥たちに任せたために、アメリカは本来の目的を達成できなかったのだ」という著者の分析はタリバン再集結の報が伝えられる昨今の状況と符合する。

さて、肝心のアメリカの人々が今おかれている社会的環境変化のひとつとして「公共領域の崩壊」を著者はあげている。公共の領域とか公共圏とよばれるもの、すなわち「社会で起きていることを成員に知らせ、彼らが自分の意見を表明できるようにして、社会を豊かにしてくれる諸々の制度一式」が存在してはじめて政治を望ましい方向に動かしていく基本条件が成り立つと著者は言う。

娯楽産業のクーデターによるメディアの乗っ取りが起きているのであり、テレビが代表するメディアにはもはや問題を掘り下げる意志も気力も無くなっているというのである。一方では有力な軍産複合体によるメディア支配も進み、公共領域の崩壊に拍車がかかる。

「公共領域の崩壊」はネットワーク化、情報化による公共空間の囲い込みによって進行していくことは文明批評家のリフキンなどによって既に指摘されている(『エイジ・オブ・アクセス』)。今日アメリカで起きていることは明日の日本で起きてもおかしくはないのであり、他人事ではない。

軍事の問題といい、メディアの問題といい、いずれもネットワーク化、情報化をきっかけとして起きてきた問題ばかりである。もともと情報技術(IT)は人と人との生きた関係を切断するところに本質があると評者は考えているのだが、このようなITのはらむ問題が先鋭に突出して現れているのが今日のアメリカではないだろうか。

評者はウォルフレンの結論に心から賛成もしないし、特に彼の政治的立場も的外れの部分があると思うのだが、それでも本書には興味深い洞察が随所にあり、知的刺激にあふれていることは疑いない。ここで紹介したのはこのような洞察のほんの一例である。アメリカの暴走にいくらかでも危惧を抱き、明日の世界、明日のわが身に不安を持つ人たちに読んでもらいたい良書である。

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「このエネルギー革命は一刻も早く成功させたい。それには、われわれが傍観者とならず、誰もがこの普及に積極的に参加すればよい」:エネルギー・環境問題の実相に迫る警世の書

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近頃つくづくおもうのだが、アメリカには二つの顔がある。ひとつは世界に向けた外向けの顔であり、ひたすら傲慢で狡猾な醜い表情を持つ。しかし、内側はどうか。国内ではアメリカという「地上の楽園」を守るための官民挙げての真摯な取り組みが進む。それは特に燃料電池を牽引車とするエネルギー革命への取り組みについて言える。草の根のパワーも大変なものである。

燃料電池は、水素を燃料として最終的には酸素と化合させて、電気と熱と水を発生させる全くクリーンなエネルギー発生(変換)装置なのである。燃料である水素は水から生まれ、また水に戻るのであるから、燃料電池は「究極のリサイクル」技術と言っていい。

本書によれば、現ブッシュ大統領がテキサス州の知事時代に、燃料電池を中核とするクリーンなエネルギー利用を推進する条例に署名している。1999年のことであった。テキサスと言えば、かつてのテキサコの発祥の地であり、現在なお石油王国の名をほしいままにしている場所である。

本書は燃料電池の発明の歴史、この新しい技術に取り組む企業群、科学者、技術者、また政治家の動きまで詳細に追跡している。とりわけ、現在世界のエネルギー、つまり石油・天然ガスなどの化石燃料の大半をおさえているメジャーと呼ばれる企業群の取り組み、また化石燃料の最大の消費者でもある自動車産業の取り組みは注目に値する。刊行から三年を経過しているが、エネルギー・環境問題の実相に迫る警世の書としての価値はむしろ高まってきた。

テキサスに象徴されるように、現代の石油メジャーは、エクソン、シェルやBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)を先頭に、化石燃料に依存しない新エネルギー体制構築に向けて、巨大投資を行って、着々と次代のエネルギー産業としての地歩を確保すべく動き出している。これが現実である。あえて言えば、いずれ化石燃料は過去の利権に成り下がる運命にあるのだ。

自動車産業では、ダイムラーやGMが先陣を切って燃料電池車の実用化に取り組んでいる。ダイムラーやGMなどの巨人が燃料電池専門メーカーとの提携の道を進んでいるのに対して、トヨタは自社開発という全く独自の路線をとっていることが紹介されている。さらに興味深いのは、トヨタのハイブリッド技術が、現行のガソリン車を基礎とするにもかかわらず「ハイブリッド」という概念が燃料電池を搭載した未来カーに応用可能なものとして注目されてきていることである。トヨタのハイブリッド技術は最近(2004年)フォードにも供与されることになったと報道されている。

著者の本領は、実証的で緻密である点にある。たとえば、夏の高校野球と電力消費のピーク問題との関連の嘘についての説明がおもしろい。電力消費問題の本当の犯人は、家庭ではなくて、オフィスビルの電力販売量の増加を商売にする電力会社、これに便乗して膨大な電気を浪費するように設計施工してきた建設業者や自治体の計画担当者たちであるという。関連して、用途別の燃料電池の開発目標について論じられている。このようにきわめて実践的な問題への接近の方法は本書の大きな特色である。

新しいエネルギー革命はクリーンで自立的な生活の創造をめざす。しかも、燃料電池というその中心技術は現在まだ発展の途上にある。この革命には、個人が今すぐ参加できる。著者は言う、「このエネルギー革命は一刻も早く成功させたい。それには、われわれが傍観者とならず、誰もがこの普及に積極的に参加すればよい」と。資金のある人は技術への投資を、あるいは自宅や会社に新エネルギー技術の設置を薦めている。

本書には冒頭からウォール街が登場する。また一方では、巨大な天然ガス田をめぐる国際戦略が論じられている。本書に、同じ著者の『世界石油戦争』と『世界金融戦争』(ともに2002年刊行)を加えて、現代を読み解く三部作としておすすめしたい。

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昨今の英語ブームの過熱ぶりを「何かヘンだ」と思っている方必読

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電車に乗っていても町を歩いていても大変な英語ブーム、「英語学習広告の洪水」である。ともかく勝ち組に残るためには英語ができないとダメだという。しかし莫大な時間とお金を費やしても、読めない、書けない、話せない、という「ないないづくし」はなぜなのか?そもそも英語を学ぶことに人生を左右するほどの意味があるのだろうか?
本書はこんな疑問に丁寧に答えてくれる。英語を学ばなければという強迫観念の根っこには、「長いものには巻かれろ」という意識があるというのだ。かつては「長いもの」はドイツであった。ナチスドイツの勢いが世界史の流れを決めると期待して三国同盟まで締結して、ついに日米開戦したのが1941年。そして2005年の今、「長いもの」はドイツからアメリカに変わった。過剰な英語情報にもわざわいされて英語ブームは高まるばかりである。
薬師院さんは端的に次のように言う。「英語の時代は、もう終わりつつある。いや、ある面ではすでに終わってしまったのかもしれない。今や、問題は、いつ、どの時点で、人々がその事実に気づくのかということでしかないだろう」
事実、1941年12月、日本国が官民をあげて真珠湾の大勝利に酔いしれていたそのとき、陥落寸前と思われていたモスクワから期待のドイツの大撤退が始まっていたのだ(半藤一利『昭和史』)。何という皮肉、いや悲劇。
ぼくも思うのだが、アメリカの凋落が始まってから、かえって英語ブームは過熱してきた。幼稚園や小学校での英語教育。JR車内の英語による案内放送も最近のことである。文部科学省が「英語が使える日本人」の育成のための行動計画の策定を発表したのもつい2年前の平成15年だった。だが時代はちょうど逆に動いている。日本の貿易相手のトップは既に中国がアメリカに取って代わった。EUは25カ国となり、ユーロは国際通貨としての存在感を日々高めつつあるのだ。
余りにも偏った均質的な文化の押しつけは、その反作用として「文化的アイデンティティ」への強烈な願望を引き出すという本書の警告も重要であろう。英語一辺倒も困る、しかし日本文化至上主義も困るのだ。健全な考えだとおもう。

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