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レビューアーランキング
先月(2017年6月)

袋小路さんのレビュー一覧

投稿者:袋小路

3 件中 1 件~ 3 件を表示

今の憲法学業界は面白い

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 憲法本41冊についてのブックガイド。素人が「憲法学業界」の現在の状況を知るにはいい本だ。
 この業界では「55年世代」と呼ばれる一群の学者がいる。1955年前後に生まれた人々で、その顔ぶれや考え方を知るには、本書でも評されている紙谷雅子編著『日本国憲法を読み直す』を読むのが手っ取り早い。彼らは「護憲一辺倒」とみられてきた「戦後憲法学」には距離を置き、護憲・改憲論争にはつきものの9条問題には関心を払わない(本書収録の本秀紀による『〜読み直す』評)。
 そして本書は、「55年世代」(編者は「55年世代」の代表格の長谷部恭男)およびさらに下の60年代生まれの学者たちによる、先輩たちへの批評だ。
 たとえば、教育現場での「日の丸」「君が代」強制に対し「内心の自由」を擁護する論陣を張っている西原博史(58年生まれ)は小林直樹(21年生まれ)を「顧客のニーズを的確に読み取るマーケット・オリエンティドな思考方法と、別のところで自分が書いたことの帰結を気にも留めない思考の柔軟性において、抜きん出た存在だった」と痛烈に批判する。「顧客」とは戦後の護憲勢力のことだろう。小林直樹は環境権、教育権など「新しい権利」を次々に生み出したが、西原は「主権論・民主主義論と混ぜ合わされた、多数者にとって心地よい人権論は、まさに、基本的人権の中で最も権利として尊重する必要のある部分を踏みにじることになる」と批判する。
 読んでいくと、マスメディアでの護憲・改憲論争(その枠組みの一端を、護憲学者も担ってきた)が実は底が浅いこと、今の憲法学者はもう少し深く、興味深い議論をしていることが、わかってくる。

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ヌードをめぐる人生

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 「『アイドルは脱がない』という基本原理から見て、ヌードになることは『アイドルの死』(もしくは転生)を意味するのではあるまいか」と編著者の宝泉はいう。加賀まりこから始まり、宮沢りえ、菅野美穂まで、「アイドルが脱ぐ」ことに(過剰な?)物語を読み込んだ本だ。
 宝泉は元「よい子の歌謡曲」発行人。5、6年前、今はなき雑誌「宝島30」に、斎藤由貴、西村知美といった元アイドルを中心とした女性芸能人の「人生」をめぐるインタビューを加藤秀樹名義で連載していたのが印象に残っている。その名も「女の坂道」。アイドルなんてみんな同じ、と素人は思いがちだが、当たり前のことだがそれぞれ異なる人生を背負っていることを、そこでは示していた。アイドル雑誌周辺での仕事も多かったようだから、おそらく多くのアイドルの「人生」を見つめてきたのだろう。本書にも、その蓄積は生かされている。
 「『アイドルヌード』とは、脱ぐ側にも見る側にも、切なさや痛みを伴うものなのだ」と宝泉は言う。逆に言えば、切なさや痛みが伴わないヌードはアイドルヌードではないのだ。
 本書でいちばん面白かったのは、「切なさや痛みが伴わない」小泉今日子への批判だ。80年代の小泉は「死体ヌード」「人拓」など妙に「アート」がかった仕事を重ね、それがサブカルチャー文化人からの支持を受けていた。宝泉によれば、例えば中森明夫は小泉を「新しいアイドル像の構築」ととらえていたが、宝泉は、小泉は古いアイドル像を破壊するだけだと考えていたという。ここにみられる対立は、サブカルチャーVSオタク本流の対立、ともみてとれる。「『ヌード=アイドルの死』という大前提からいえば、彼女(小泉)は半死半生のまま生き続けている」と宝泉は言う。
 アイドルヌードは今後、どうなるのか。
 「アイドルヌードの妙味とは、『処女喪失』にも似たその『痛み』を、かつてのファンと被写体が共有するところにあった。が、ヘアヌードバブルの頃になると、アイドルもファンもそのあたりの感覚が麻痺してしまい、予定調和的なシラケた雰囲気が漂い始める」「『アイドルヌード』が飽きられれば『アイドル』そのものが死滅していくしかないだろう」と宝泉は予言する。
 宝泉は彩流社からのムック「一発屋」シリーズでも該博な知識を披露している。しかし本書には知識だけでなく、アイドルへの「愛」も過剰なまでに感じられるのがよい。

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「護憲」的立場から少年法を批判する

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 神戸市須磨区の児童殺傷事件(97年)では一部のマスメディアが容疑者の少年の顔写真を報道した。大阪府堺市で起きた通り魔殺人事件(98年)でも、「新潮45」が容疑者少年の実名を報道し、少年が損害賠償訴訟を起こした。こうした動きに対しては、大新聞などの「良識派」マスメディアからは「少年法の精神に反する」といった批判が浴びせられてきた。
 しかし本書の著者の松井氏は、少年事件の報道制限を定める少年法61条は、憲法21条が保障する表現の自由を侵害している、と主張する。
 松井氏は憲法学者。民主制において不可欠である、という理由で表現の自由を極めて重視する(逆に社会権や憲法9条の平和主義などは重視しない)議論で知られている。
 氏は表現の自由の制約は、とりわけ厳しい基準を満たさなければ認められない、とし、実名報道の一律絶対的禁止は正当化しがたい、と結論づける。
 著者はさらに、少年の自己責任を重視する立場から、現行の少年法の背骨となっている保護主義にも疑問を投げかける。
 これまで、少年法の報道制限に対する批判といえば、もっぱら加害者への応報感情を根拠とするものが多かったように思う。その中で、「表現の自由」を根拠とする、いわば「護憲的」観点から少年法を批判している点で、本書の主張はもっと議論の対象とされていいはずだ。特に少年法の専門家からの応答があれば、知りたいと思う。

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