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レビューアーランキング
先月(2017年2月)

あきらさんのレビュー一覧

投稿者:あきら

15 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本バルタザールの遍歴

2001/07/16 03:15

落日の音。或いは甘い香り

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読むことが酩酊することでもあるとは、なんて心地いいのだろう。火酒に溺れるような快感を感じつつ、一気に読んでしまった。真昼の明るい部屋で、酔ったように。止められなかった。没落貴族の出自、血統の秘密、絵を描く美貌の従姉妹、近親相姦、仮面舞踏会、ナチの拷問、砂漠への置き去り、決闘…と目が離せない。
 それにしても主人公たちのことをなんと形容したらいいのだろう。彼等は自分たちのことを、バルタザールとメルヒオールと呼び交わす。でも、「物質的な」身体は一つ。ナチス台頭期のウィーンを逃れ、パリ、チューリヒからバーゼル、バーゼルからミュルーズ、ミュルーズからディジョン経由でマルセイユ、そして海路でチュニスから海岸を南下し、美しいオアシス都市ジャナダン島へ。共和制への移行期の貴族の、「傷口から溢れ出る朱色の鮮血に似た夕闇のなかに、歪んだ鏡に映して引き伸ばしたような」太陽の下、船と酒に揺られる終わりなき転落と酩酊の旅。それは、死が二人を分かつまで。
 「私は左手でグラスを、バルタザールは右手でエンピツを持ち、私は過去を出来るだけ遠ざけにかかり、バルタザールは手元に引き寄せて検分し、書き付けた。……この人物の中で極限に至る明晰さと人間に可能な限りの酔眼朦朧が依存しているなどと、誰に想像できただろう。」

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紙の本懐中時計

2001/02/19 03:30

日常の時間の中の不意のゆらぎ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ミヤウと澄まし声で部屋に上がってくる妙な猫、池に咲いた姫睡蓮の花、胡桃の木に繋がれたタロウ、壁にずらりと並んだ蝉の抜け殻。そんなものたちに囲まれた日常の時間が、不意にゆらりと揺らぐ瞬間がある。その「ゆらり」を言葉に掬い取るために、すべては収斂していく。その結果に出来上がったのは、素晴らしい文体である。緊張の糸が不意にピーンと張るような瞬間を読み手に味わわせてしまうような文体である。
 妻の死後、気持ちの整理をつけるために書き始められたという「黒と白の猫」「蝉の抜け殻」などの「大寺さん」ものについて作者自身が言及した、「いろんな感情が底に沈澱した上澄みのような所が書きたい。或いは、肉の失せた白骨の上を乾いた風がさらさらと吹き過ぎるようなものが書きたい。」という言葉が、魅力を見事に言い表していると思う。

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紙の本亜愛一郎の狼狽

2001/01/24 02:23

探偵、亜愛一郎のキャラがち!

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 探偵、亜愛一郎のキャラがち!

 整った顔立ちにすらりとした長身の二枚目。職業は雲や虫の撮影を得意とするカメラマン。代表作は『雲の瀑』。でもよーく観察すると…運動神経ゼロでどこか抜けてる臆病者。「亜」が苗字で「愛一郎」が名前という奇妙さに加え、自己紹介で「亜硫酸の亜です」とのたまう。彼の行くところなぜか怪事件が勃発、慌てふためきあたふたするも、ひとたび白目をむくや否や、知力体力ぐぐんとアップ、めくるめく推理で事件を解決してしまう。いまいち頼りなくてこんなので生活していけるのかあ…?と要らぬ心配もしてしまうけど、彼には何やら隠された秘密があるらしい。
 前半はコメディータッチだが白目をむいた後の推理はなかなかユニークで、人のちょっとした仕草や考え方から犯人を割り出してしまう。そうなると前半のどたばた劇の伏線が生きてくる…という寸法。
 短編シリーズもので、ツボを突いてる。小粒でぴりりに完璧中毒。読みきりなのに細かいところでつながっているから、脇役や小道具に妙にマニアックになってみたり。読んで行くうちに完璧に作者の術中にはまってしまった。
 『11枚のとらんぷ』『乱れからくり』などの名作を数々と生み出す作者泡坂妻夫のデビュー作「DL2号機事件」が冒頭を飾っている。

ちなみに亜愛一郎の風体、作者のイメージではアラン・ドロンだそう…


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猫の客

2001/10/27 02:50

日常って、好きな時間のことなんだ

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 この本に書かれた文章によって、ふっとまわりの風景が変わって見える、そんな一瞬が何度もあった。昭和ももう終わろうとしている年の秋、妻と二人暮しの家に、ある日お隣の猫がやってくるようになった。猫の名はチビ。それから夫婦の部屋にはチビがつくる流れができるようになる。でも夫婦とチビは干渉しあうわけではない。だってチビはお隣の猫。滅多に啼かず、抱くとするりと擦り抜けていってしまうふしぎな猫。
 
 「チビはいつものようにしていた。つまり自分の関心は天文や動植物相にあり、人間界のことには構わない、という顔のままだった。こちらからは見えない隙間へと無差別に浸透していく流れに対してだけ、尖った耳を澄ましつづけているようだった。」

 いつしかチビは夫婦の部屋で毎晩過ごすようになり、夫婦もチビの訪問を待ちわびるようになる。チビの訪問は事件から日常になる。別れは、チビがいなくなるというだけでなく、彼がいた日常が、彼に染められていた空間がなくなってしまうってことなのだろう。それは時とともに移り変わってゆく街並みにも言える。
 なんでもない日々。でもそんな日々が好きだから、それを日常として生きている。日常って、好きな時間のことなんだ、って思い出した。

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架空の国々への旅

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 ドナルド・エヴァンスは、1945年に生まれ、架空の国々を造り、そこが発行する切手を、1977年に火事で死ぬまで描きつづけた画家。架空の切手には、架空の国に住む、架空の住人達、植物、湖、動物などが、繊細な筆致とやさしいトーンで描かれている。1985年から1988年までの平出さんから、この世を去ったドナルド・エヴァンズへの手紙を集めたのがこの美しい本。
 エヴァンズは自分の造った国々に、名前をつけていくのだけれど、それはエヴァンズ自身に親しい友人やカフェや地名を少し変えたもの。手紙を一葉一葉読み進めて行くうち、何度もほろほろとした。もしかしたらこの国々は、すぐ隣にあるのかもしれない。郵便という制度の不思議な側面を思う。これらの手紙にはドナルド・エヴァンズが描いた切手が貼られていて、たぶん彼の国々に届いている。


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紙の本星の肉体 水原紫苑エッセー集

2001/02/15 02:32

彼女の透明で微かに震える伽藍

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 歌人という存在を知っているだろうか。平安時代の貴族たちのたしなみだった和歌は現代短歌として生まれ変わった。現代短歌の起点をどこに置くかという問題にはいろいろ説はあるだろうが、塚本邦雄、寺山修司、岡井隆、春日井建らの前衛短歌運動は、それまでの和歌=短歌を大きく転換させた。
 著者水原紫苑は彼らの後を受け、今最も注目すべき若い歌人の一人である。この本は歌人である彼女の散文集であり、歌人論と能や歌舞伎などの古典芸能に関するエッセイと言う形をとるが、この一冊が彼女の内部世界への扉へとなっている。
 三島由紀夫や釈迢空、定家といった死者と、馬場あき子や安永蕗子といった生者たちとの両方を等しく眺め、また彼女の世界の中では「もの」はその存在感をます。ものは人間と同じほど彼女に雄弁に語りかけ、彼女はそれを読者に伝える。

針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ

ものとひと、生者と死者の存在が等しい夢幻の世界。そして語り口はやわらかで散文であるにもかかわらず、そこには歌が響いている。想像力と歌により、時間と空間を軽がると飛び越えてゆく、彼女の透明で微かに震える伽藍に触れてみてはいかがだろうか。

殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと秋蜻蛉ゆけ

そこではこのような非現実と思えるできごとも普通に起こってしまうのだから。巻末には彼女自身の手になる短歌二百首も収められており、現代短歌はいまどこにいるのか、どのようなことばで世界を歌っているのかを知りたい人にも格好の入門書となるであろう。

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赤目四十八滝心中未遂

2001/02/15 02:26

迫り来るもの

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 目を背けたい現実を抉るように描写しているにもかかわらず、不快さで途中で投げ出したりせずに一気に読了したのは、著者車谷の、筆で命を削るような真摯さが生み出す小説世界の力に圧倒されたからかもしれない。
 題名から想像されるような、ロマンチックな恋愛ものや、メロドラマもどきではなく、血を吐くような現実、生の一回性。尼崎を舞台に日雇い労働者、刺青師とその情婦、彼の連れ子、屍肉を店の客に出し裏で麻薬の売買をする老婆、もう老齢である売春婦のいる現実に、流れ着いた元「いい大学を出たもの書き」の浮浪者。売春の連れ込み宿となっているアパートの腐臭と黴がたちこめる空の見えない一室で男は毎日病死した獣の肉をさばいていく。孤独な作業の毎日に望むと望まざるとに関わりなく侵入してくる他者の領域、匿名の他者の群の視線。男は最後に他者ともう一度関わり合おうとする。それが現在からの逃避という形であれ…。

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紙の本うろんな客

2001/01/24 00:52

傍若無人な珍客、でもたまらなく魅力的

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 表紙にペンギンのような、かわいいと言えなくも無い奇妙な動物が描かれた黄色く四角い絵本。暗く陰気な、繊細なんだけどぷっと笑ってしまうようなモノクローム線画に、英語原文と短歌形式で訳された訳文が付いている。
 この正体不明のうろんな客がある日いきなりヴィクトリア調の家に出没して、そのまま居座ってしまう。このうろんな客、やることなすこと不可解で突拍子もなく傍若無人、そしてちょっとまぬけ。それに対してきれいに韻を踏んだ原文と、柴田元幸さんが歌人の水原紫苑さんに相談しながら訳したという短歌のリズムが、読んでいてとても気持ちいい。整った形式にシュールな内容がぐっと来てしまう原因なんだろうな。

ともすれば 訳のわからぬ むかっ腹
風呂のタオルを 一切隠蔽

 暗いと面白い、かわいいと凶暴のぎりぎりの存在であるうろんな客はそのぎりぎりさにおいてものすごく魅力的だし、絵物語全体に漂う脱力感がたまらない。1970年代にうろんな客ぬいぐるみが発売されて、マニアの間で人気だと解説に書かれていたけど、なんだか欲しくなってきたぞ。あいつの考えてることはよくわからないけど、なんかいいなあ…という、そんな感じ。この読後感は癖になる。かくいう私がもう何度も読み返してしまったもの。ゴーリーの他の本も集めてしまいそう。



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光る砂漠 矢沢宰詩集

2000/12/18 06:36

感応する微熱

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 14歳から21歳の死の日まで、結核病棟のベッドの上で詩を書きつづけた少年。透明な花びらのような、壊れやすく大切なものに触れている…はらはらとページをめくっていくうち、私の指先は自然と熱を帯びていました。
 奥処と沈んで行ったような幼き日の記憶。ひとつひとつの詩篇の上に、微熱した指をそおっとのせると、光が甦って来ます。緑の風、きらきらと陽光に反射する雪の結晶、ふわふわと飛ぶ綿毛、朝に震えるリンドウ、光を帯びて跳ねる魚。童心社から出ている詩集は薗部 澄の写真がついてとても美しい本です。



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紙の本魍魎の匣 文庫版

2000/12/18 06:20

ただ彼女が好きだっただけなんだ

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 二人の少女にいきなり心を奪われる。男の言葉を使う加奈子と、美に敏感な頼子。頼子は「加奈子がその瞳を閉じて、じっと音楽に聴き入っているような時、頼子はその桜色に上気したその頬に、そしてその瞼に、そおっと唇を当てたくなる」ような少女。そんな頼子に加奈子は言う。「楠本君。せいぜい月の光を浴びるがいいよ」と。彼女達は猫のように生きることを目指し、いつまでもみずみずしく透明な存在であるために、月の光を浴びに、夜の散歩に出かける。そんなとき街は見知らぬ異都になる。
 月の光を求めて夜の湖に向かう途中、加奈子が列車に轢かれ重症をおう。自殺未遂?それとも?そこから「みっしりと」匣詰めにされた少女たちの連続ばらばら殺人事件、匣を奉る謎の新興宗教と、匣を巡って物語は加速度的に展開し、いつのまにかいつものメンバーが顔をそろえている。少女たちとこれらの事件はどうつながって行くのか?探偵榎木津の「はははは、やっと僕等の素性を尋きましたね!普通は最初に尋くんです。何を隠そう、別に隠しちゃあいませんが、僕等は日本でも指折りの霊能者なのです。その名も御亀様。こちらがご本尊です。」という高らかな宣言で、ついに関口、御亀様として教祖デビュー?
 タイトルにもなっている魍魎とはいったい何なのか?そして匣の中には何が入っているのか。匣の中を覗いてみたくはない?

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内的世界の冒険者

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 村上春樹の世界の魅力は、その現実感の希薄さにあるかもしれない。舞台になるのは、主人公の内的世界である。そしてその主人公にしても、生命感覚、身体感覚が薄い。「僕」にはいつも「家族」がなく、仕事も失業中かそれに準ずる形でほとんど描写されない。
 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』もまた登場人物の内的世界の物語である。この小説においては[世界の終わり]の「僕」と、[ハードボイルド・ワンダーランド]という世界にいる「私」の物語が、同時進行で交互に描かれる。二つの世界はまるで違っていて、「僕」そして「私」だけが共通の登場人物であり、同一の人格を付与されているようである。
 冒頭「私」はエレベーターの中に閉じ込められている。彼にはエレベーターが動いているのか、止まっているのか、上っているのか、下りているのかわからない。金属で出来た無音の密室に一人閉じ込められ、場所と時間の感覚を失った状態で登場するのである。自我が不安定な状況に晒される中で、「私」は現実と思われていた世界に潜む異世界、[ハードボイルド・ワンダーランド]に足を踏み入れたことを悟って行く。「私」は老科学者に意識の核にある映像を操作されたと告げられ、その秘密を探るため、地下の闇へと冒険に出る。
 それに織り込まれる形で[世界の終わり]というまちに住む「僕」が描かれる。高い壁に囲まれ、外界との接触を絶ち、それだけで完璧に自立した世界。「僕」は影を切り取られてそこの住人となり、毎夜一角獣の頭骨から昔の夢を読んで暮らしている。その世界の住人達は、影と同時に心も失った人々。心がない世界はなにも変わらない安定した世界である。しかし「私」は心を取り戻すため、影と共に[世界の終わり]を脱出するべくそのまちの秘密を密かに探る。
 交錯する二つの冒険の果てに[ハード・ボイルドワンダーランド]の「私」は、[世界の終わり]の「僕」に近づいていく。それは自分が作り出した世界に住む、もう一人の自分であった。鬼気迫る冒険の世界と、静寂な幻想の世界が同時に自分の中で進行していく。様々な人々が主人公の前を通りすぎ、言葉を交わしていくが、最後に残ったのは…。
 彼が主人公とともに描き出したのは、他者や社会という自己を取り巻く現実との、コミュニケーションの不在である。しかし自己の存在は、他者をとおして再確認されない限り、非常に不安定になるということも同時に明らかになっていく。「自分ではないもの」を削ぎおとし、「自分」を探究して行きついた先に、「僕」あるいは「私」が何を発見するのか。自己の内的世界がファンタジーをつくりだす、不思議な物語。

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紙の本リゾート世紀末 水の記憶の旅

2001/02/15 02:35

水で辿るフランス世紀末文学

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 19世紀末フランスでは交通網が整備され、パリの社交界やブルジョワ達の間に、休暇を海浜で過ごす「リゾート」が流行し始めた。コート・ダジュールやイタリア、ノルマンディーは「シック」な場所となり、移動するサロンとなったのである。それと同時に海浜を舞台とした「旅の文学」が次々と書かれるようになる。本書はそのような海浜を舞台にする小説を追いながら、その時代の文化にも光をあてた、19世紀フランスの「水の記憶への旅」となっている。
 モーパッサン、プルースト、ピエール・ロチ、ジュール・ヴェルヌらの世紀末文学を「水」という視点から切り、モネやマネ、シャネルと絡め合わせつつ、実証的に論じている。また図版が多く、丁寧に付されているので頁をぱらぱらとめくるだけでもその時代の匂いやさざめきを感じることが出来、十分楽しめる。
 肺結核、温泉、景観論、電気やガス、交通、スポーツ、そして万博と、水を辿り、ヨーロッパの19世紀末の文化をも探究している本書は文学をそれが生み出された時代の雰囲気と共に味わいたいという人にもいい道標となるであろう。それは光を反射してゆらゆらと煌く水のように微妙で動的であった。

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ふと足を止めたものにのみ、咲き誇る幻影の薔薇が見える

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 薔薇といえば、明治期に西洋から来て以来、戦前の「ばら新」をはじめ、詩人や小説家を虜にし、文学に登場する機会の最も多い花のひとつ。現在も薔薇が一番好きだという人は多いのでは?
 地上に咲く薔薇、その手入れや育て方について書かれた園芸書は書店に溢れている。しかし自分の住宅を“黒鳥園”“流薔園”と名づけ、庭に薔薇園をつくり、耽美かつダンディな生活を生涯続けた著者が描くのは、虚の薔薇に誘われる幻影の美への旅。
 「私の内部にはいわば地下の暗黒に向かって伸びる虚の薔薇がいつ知らず蔓り、それはいまも暗い輝きに満ちて咲き継いでいる。その地下の薔薇園にひとときご案内しようというのが本書の意図である。」(p.51)
 幻の青い薔薇への夢、フランスや、地中海や、倫敦にある高雅な薔薇園を巡りつつも彼が見たのは、薔薇を離れた海であり街であり人間であり人形であった。それは“薔薇ならぬ薔薇の旅”。美しい写真に付された詩や散文により、著者の美的幻想世界をうっとりと味わえる。すこしアンニュイな午後に…。

 著者の香水や香りへの思いをつづった『香りへの旅』も収録。


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紙の本姑獲鳥の夏 文庫版

2000/12/18 05:31

非日常への扉はいつでも開いているのだよ。

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 東京・雑司ケ谷の医院で次々と起きる奇怪な事件。密室からの娘婿の失踪、娘の二十箇月に及ぶ妊娠、そしてその医院からの連続赤児失踪。
 この事件の噂を手土産に、文士関口巽が古本屋にして陰陽師である京極堂を訪ねるところから、物語は始まる。冒頭は二人の衒学的な会話が滔々と続く。本気か嘘かわからない、京極堂の粘着質な理論の前に、おろおろと自分を見失う関口。
 最初はこの京極堂の語りが鼻について萎えかけるのだけれど、それは「現実に起きている」事件へと読者をいざなうための準備。戦略としてのペダンなのだ。二人の会話を聞き終えた頃、読者は自分の世界観がどこかずれてしまったことに気づく。冒頭の会話には、読者の思考回路に巣食う、非現実と現実との境界を無くすような仕掛けがしてあるのだ。今まで信じていた現実を少しだけ狂わせ、裂け目を入れるような…。
 仕掛けに嵌ったなら、楽々と事件の中へと巻き込まれて行ける。そこからはエンターテイメント!関口や京極堂、妹の敦子、超能力探偵榎木津に頑固刑事木場など、複数の個性的な探偵キャラも魅力のひとつ。

 別世界に案内するのではない。不思議だけどあり得ること、と思わせる。
 「日常と非日常は連続している。確かに日常から非日常を覗くと恐ろしく思えるし、非日常から日常を覗くと馬鹿馬鹿しく思えたりする。しかしそれは別のものではない。同じものなのだ。世界はいつも、何があろうと運行している。個人の脳が日常だ、非日常だと線を引いているだけのことなのだ。…この世に不思議なことなど何もないのだ。」

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紙の本サラサーテの盤

2000/12/10 04:29

あの音がお前には聞こえないのかい?

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 冒頭、雨戸をがたがたと言わしていた風が止んで、主人公は静かな所へ沈みこんでいく様な気配を感じる。その時頭の上で瓦の上を小石が転がって行くような音がする。庇を滑って庭に落ちるか落ちないかのその瞬間、「総身の毛が一本立ちになる」ような気がして、はっとして身震いする。
 その後、死んだ主人公の友人中砂の後妻おふさがサラサーテのチゴイネルヴァイゼンを返してくれと訪ねてくる。中砂の家庭は変に静かであった。中砂が無口な上におふさは陰気なたちなので、喧嘩なども二言三言言葉を交わし、後はふっつり黙りこくってしまう。中砂はおふさのことを、外見は普通でも、気持ちを自分の殻の中に閉じ込めたまま日々を過ごす女だと言う。
 中砂の遺愛の蓄音機にチゴイネルヴァイゼンを掛けると、サラサーテの声がいつもの調子よりも高く、はっとした気配で、小さな丸いものを潰しているように何かを言い出す。おふさはその解らない言葉を拒むように中腰になり、「違います」と言って、腰に前掛けをあてて泣き出した。
 情景が現実味濃く描写された後に、身震いするような不可解な狂気の瞬間が不意に顕われる。読者は最後に「総身の毛が一本立ちになる」ような恐怖感を味わわされるのである。おふさは何かを聴いたのだ、と。音というのは他者と共有できない。主人公は何かを聴いたおふさの様子を見て、気配を感じるだけである。ないもの、しかしあるもの、としての音とそれを発する誰かの気配を。著者には、このような現実の中に狂気が開示される瞬間を描いた作品が多いが、この作品は特に秀逸である。

 「ツィゴイネルワイゼン」は、十九世紀の早熟の天才バイオリニストであり作曲家、サラサーテの作品である。彼はこの曲を十歳にしてイサベラ女王の前で演奏し、その時に賜ったストラディヴァリウスで、以来多くの聴衆を魅了した。彼は亡くなる少し前の1904年録音のSP盤に、謎の言葉を残している。その明かせない言葉が百間に『サラサーテの盤』を書かせ、また鈴木清順監督に映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980)を撮らせた。この映画、原作は百間だが、エロでダークな味付け(誉め言葉)の全く別の作品となっている。「水蜜桃は腐りかけているときがおいしいのよ」と官能的に舐めまわす大楠道代と、死の妄想遊戯に耽る原田芳雄がなんともいえず官能的で、スクリーンに漂う死の影に魅了された。しかしおふさを演じる大谷直子が子どもの手を引いて立っている場面など、得体の知れない怖さに竦んでしまう。

 怖い。あの背筋の凍りつく一瞬が。静かな夜にツィゴイネルワイゼンを聴く勇気がない。何かをその音の中に聴き、そして異世界へと沈んで行きそうで。



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