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ヒヨちゃんさんのレビュー一覧

投稿者:ヒヨちゃん

7 件中 1 件~ 7 件を表示

紙の本永遠の森 博物館惑星

2002/12/03 18:35

心をのぞく鏡

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

美しい本だと思った。装丁も美しく、1ページ1ページにつづられている物語が美しい。人は物語を読みながら、その中のどこかで自分自身を読み、物語とその人だけの世界を生み出してゆく。この「永遠の森」という物語は、少し悲しく、少し切ない。それは日常の人間の生が、少し悲しくて切ないからだ。それは本人にはかけがえのない宝物が、ほかの人にはただのガラクタにしか見えず、そのようにしか扱ってもらえなかったときの悲しみに似ている気がする。しかし人は、そんな小さな物を大切に胸にしまって生きてゆく。この短編集につづられている人々の宝物は、この物語を読んだ人々の何を映し出すのだろうか。それを拾い集めたら、星屑のかけらを撒いた夜空のようになるのではないだろうか。そして、その中空には、女神の名を冠した博物館惑星が浮かんでいるのだ。

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なんといふ空

2003/07/18 12:40

真昼の空に星は光るか

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 映画の「ココニイルコト」の原案を含むエッセイ集である。映画のエンドロールで、見たことのある名前だな、と思ったら「絶対音感」の作者だった。映画が良い場合、原作本にハズレはそうない、という法則に見事にはまった。この映画とこの本とに出会えた事は、私にとってとても幸せだ。
 この文を作者が読む事はまずないだろうから、好き勝手を言わせてもらえば、このエッセイ(特に自らの思い出や出来事を綴ったもの)を読んでいて思い出したのは、向田邦子という作家の名前だった。作家には、書き込んで書き込んで世界を浮かび上がらせることが上手い人と、あえて書き込まず、余白の中に世界を浮かび上がらせることが上手い人がいる。このエッセイ集は後者である。本を読むという行為は、本を読みながら己を読むという点で鏡に似ている。この「なんといふ空」という作品で、私は人生の「少し、寂しい」を見たように思う。

 がんばれば、物事は上手くいくものではない。一生懸命であっても、かなわない願いがある。生きていて、そんな思いは何度もするが、それはそれでよいのではないか。

 真昼の空に浮かぶ月が、向田邦子の短編小説では出てくるが、最相葉月のエッセイには、真昼に光る星が輝いている。

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紙の本少年は荒野をめざす 1

2003/01/26 18:43

1粒の世界

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この作品は、吉野朔実の描いた漫画の中で、まぎれもない傑作の1つである。
 もちろんこれは少女漫画であり、ストーリーがある。しかし、そのストーリーをここで文章にしても何も伝わらない。そういう類の物語である。何故ならば、この物語は絵と言葉を使いながら「人が言葉ではうまく言いあらわせないもの」が描かれているからである。絵や言葉は形であり、器である。しかし器に入らないもの、形のないものが、この世界には必ずある。<目には見えないもの、形のないもの、手では触れられないもの、しかし確かにここにあると信じられるもの>そんなものを大切だと思える人には、読んでほしい作品だと思う。
 吉野朔実には言葉のセンスがある。形のないものを形ある言葉を組み合わせることによって、表現するセンスがずば抜けている。さらに、この作品のなかで、ちりばめられているシーンの1つ1つは印象的であり、センスある言葉とあいまって、彼女の描く世界の色をより色濃く表現してゆく。つまりストーリーテラーとして優れているということであろう。
 物語は作者の手を離れて読者の目に触れた時点で読者のものとなる。この作品が「わからない」(つまらない)という意見も当然あるのだ。これは著者と読者の【感性の相性】の問題であろうと思う。しかし、書名や表紙の絵や帯の言葉やエピローグに何かしらの引っかかりを感じた人が、読んで後悔する事はまずないはずである。
 限りある人生、どこに宝物が落ちているかわからない。しかし、まずは本を開いて出会わないことには、見つける事ができないのだ。

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よくわからないねじ

2003/02/22 14:24

だめに向かって突っ走る

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「だめに向かって」これは、この本に書かれているエッセイの1つである。私はこの人の本を他にも読んだことがあるが、その中で「バカについて」というエッセイがあった。それがどうした、とつっこまれれば、それまでなのだが、この本自体がそういう本なので、別にそれはそれでかまわないだろう、と思う。
 
私はだめ人間に憧れたことはない。お嬢様になってくるぶしまで埋まるカーペットの敷き詰めてある、都心の高層マンション最上階で、ペットのアフガンハウンドと家事一切を仕切ってくれる執事がいる、そんな生活をしてみたい、とは思ったことがあっても、だめに向かって突っ走りたい、と思ったことはないからだ。こんな小市民的な欲望を持つ私を、彼は鼻で笑うだろう。何故なら彼の視点の焦点は【極めただめ】で結んでいるからだ。このエッセイでは、それを極めたものだけが放つ聖性について切々と語っている。彼の思考の漂流は、これにとどまらない。確認しておくが、これは38編あるエッセイのたった1つなのだ。
 
この人の書名センスは独特だ。「よくわからないねじ」「牛への道」「わからなくなってきました」「彼岸からの言葉」一体何なのだろう。いや、きっと何でもないのだ。書名だけの見かけ倒しではないことが、良いことなのか、悪いことなのか…。

まあ、そんな本なので、良いのだろう。きっと。

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ターニングポイント

2003/01/24 22:33

金子達仁という料理人

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金子達仁というライターを御存知だろうか? 私は名前だけは記憶にあった。名前は聞いたことがあったのだが、手にとって本を開いてみるということをした事のない著者の一人だった。理由は簡単。私はサッカーにもスポーツ関係の対談にも評論にも興味がなかったからである。

この本は金子達仁というライターと、馳星周・野田秀樹・平尾誠二・三谷幸喜などの各界のそうそうたる面々との対談集である。とにかくこの本の目次を見て、彼がどのような人と話をしたのかをみてみて欲しい。それで興味がわかないのなら、敢えてこの本を勧めはしない。勧めはしないが、この面々の中の一人にでも興味の持てない人とはどんな人だろう、その人と会って話をしてみたい、と変な興味まで抱かせる。そんな面々である。書名にもなっている「ターニングポイント」とは【彼等が今の彼等になったのは、なるべくしてなったわけであり、その人生の中にはその分岐点があったはずである】という、著者の彼等に対する切り込み点であり、対峙する際の1つの視点でもある。

この本は読みやすい。読みやすく、世界に入りやすく、わかりやすい。文章というものは第三者に読まれることを想定して書かれるもの、という事を考えれば当たり前であるが、その当たり前の事を敢えて挙げたくなる本である。そしてライターが魅力的である。著者の対談相手が魅力的であるのは、その顔ぶれを見ればある意味当たり前であるが、その対談相手に対峙するライターの「羨望」「嫉妬」「驚き」「戸惑い」「後悔」これらの心の動きが魅力的であり、対談相手の魅力に負けていないのだ。彼等は材料として一流である。それだけでおいしい。だからこそ難しかったのではないだろうか。金子達仁という料理人は、これら一流の素材を、自らの視点や思考や思い、また変化してゆく自己をもをスパイスとして、読者の前に差し出してみせた。読者は彼らの話を読みながら「金子達仁」を読んでいるのだ。

<出会いという化学反応>こんな言葉が頭に浮かび上がった。

金子はこの人達に出会って、明らかに変化をしている。ならば、金子と出会った人々はどうであったのだろう。そんな、この本の外の世界にも思いを馳せてしまう一冊である。

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放浪の天才数学者

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エルデシュの財産はエルデシュ自身の数学だった。エルデシュがリチャード・ガイに言った「ガイ、君は無限にゆーふくだ。」という言葉は、エルデシュ自身にも当てはまる。エルデシュには数学があり、それ以上の持ち物は必要なかったのだ。こういう本は数学の好きな人がまず手に取るのだろうが、そうでない人にもぜひ読んでみて欲しい。そこには、はた迷惑で、エネルギッシュで、深い洞察と確とした自分自身というものを持った1人の人間の生き方がある。エルデシュに魅せられた人々が、彼自身に魅せられたのか、彼の数学に魅せられたのか、それとも…。どうか本を読んで確かめてみて欲しい。

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紙の本コフィン・ダンサー

2000/11/06 18:16

荒鷹の猟場

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 リンカーン・ライムの隣人、いつの間にか住み着いたハヤブサは、頭脳と左手薬指そして首から上を動かす以外の自由は、取り上げられてしまったライム自身の象徴だ。幾度となくあらわれる鷹の話、そして各章の扉ページに引用される様々な鷹の引用文。あれらは犯罪者を捕らえようとするライムの姿だ。鷹は生きるために狩りをしているのか、それとも狩りをするために生きているのか。そんな疑問さえ抱いてしまうほどに洗練された動きとテクニック。そして、自由。「美」と見まごうほどの。

 ライムを正とするのならば、負の鷹がコフィン・ダンサーだ。ライムが犯罪者を捕らえようとする為に、あらゆる洗練されたテクニックを駆使するのと同様、コフィン・ダンサーは殺人の依頼を成功させる為にあらゆる洗練されたテクニックを駆使する。死というものを恐れないこの2羽の荒鷹は、出会うべくして出会った。同じ猟場に2羽の鷹は生きられない。どちらかが猟場を去るしかない。

 誰にも真似出来ないテクニックを駆使して獲物を狩る。ライムは 犯罪者にとっては恐るべきハンターだ。しかし鷹が思うように狩りをするには自由な空が必要であるのと同様、ライムが思うように狩りをする際には、その自由を確保する、または守ろうとし、サポートするライムの理解者と、最新鋭のハイテク技術が必要となる。はっきり言って、本で読むのならば物凄く好きだが、現実の場では「絶対に」隣にいて欲しくない、と思わせる、この主人公を理解する人々は、ライムに負けず劣らず魅力的だ。ジェフリー・ディーヴァーはこの先もライムものを書いてくれるらしい。次回作が楽しみだ。

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