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heizo64さんのレビュー一覧

投稿者:heizo64

5 件中 1 件~ 5 件を表示

早稲田古本屋街

2006/10/08 21:54

人々の思いの集積としての早稲田古本屋街史。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 古本と古本屋が好きなのでよく神保町へ行く。
 そして、神保町ほどではないが、早稲田の古本屋街へも時折足を伸ばす。
 この2つの古本街を眺めて思うのは、神保町の店が職場であるのに対し、早稲田のそれは生活の場であると感じられることである。神保町の老舗のレジに座っている店主たちから生活の匂いをかぐことはほとんどない。しかし、早稲田の店を覗いていると、近くの店主が遊びにきていたり、店内で孫を抱きながら店番をしている光景にも出会うことがある。もちろん、早稲田の店舗も自宅を兼ねていない店が多いと思われるが、それでもそこには少なからず店の人たちの生活感が漂っているのだ。
 早稲田の街の古本屋の息子として生れ、高校卒業後その店の2代目店主となった著者もそういった生活と古本がともにある場所で育ったひとりだ。著者は自分の育った早稲田という古本屋街の歴史を先輩の店主たちからの聞き書きで残そうと試みた。それがこの「早稲田古本屋街」である。
 まず、序章「昭和二〇年、早稲田古本屋街消滅」に目を通せば、著者が並外れた文筆力を持った古本屋店主であることが納得できるだろう。明治年代に早稲田大学が誕生し、それとともにこの地に根を下ろし始めた古本屋街の発祥から昭和20年の空襲による戦前の古本屋街の消滅までを簡潔にまとめている。歴史記述というやつは、大抵事実の列挙に終始してしまい、退屈で無味乾燥なものになりがちであるが、ここでは歴史をたどりながらも興味をそらさないような工夫がなされている。それは、この街を回想した文章を多く引用することで街と古本屋が人々の思いの中で存在したことを読者に印象づけるという方法である。事実の列挙ではなく、人々の思いの集積としての歴史が読者の気持ちをこの古本屋街に引きつけていく。

 続く第一章「早稲田の三羽烏」、第二章「開店まで」、第三章「店を継ぐもの」が、本書の読みどころだ。各店主への聞き書きというかたちで戦後の早稲田古本屋街の“歴史”が興味深く描かれる。多くの店主たちは戦後の就職難に地方から伝手を頼って上京し、ほとんどが偶然とも言えるきっかけで古本屋の道を歩み始める。それぞれの人生は早稲田という場所を媒体として当然のように交差していく。先程まで物語の主人公だった店主が、次の話では脇役として登場してくる楽しさ、面白さ。ついさっき知ったばかりの店主をいつのまにか旧知の人物のような親しみをもって眺めている自分に読者は気付くことだろう。おおげさな言い方をすれば、まるでバルザックの“人間喜劇”を読んでいるような気分になれるのだ。

 このように著者は各店主の個人的な経歴を出来のよい短編小説のように仕上げ、それを連ねることによって早稲田古本屋街の歴史物語を作り上げている。著者のこの街と人に対する優しいまなざしと、過剰になりすぎることのない適度な詩情をたたえた文章がそれを可能にしたのだと思う。

 「早稲田古本屋街」を読んだ後には、やはりどうしても早稲田の古本屋を歩いてみたくなる。ガラス戸の向こうで不機嫌そうに見える店主たちの物語を胸に収めつつ、棚に並んだ古本という物語たちを求めに行きたくなるのだ。

 本書で初めて向井透史という古本屋店主を知った人は、黒子に徹している著者のことについてもっと知りたいと感じるのではないか。そんな読者には、著者のデビュー作である「早稲田古本屋日録」(右文書院)を読まれることをおすすめしたい。この本には、猫と一緒に店番をする古書現世2代目店主の愉快で優しい日常とそれを描き出すステキな文章があふれている。

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時代小説盛衰史

2006/02/22 23:04

作家と雑誌と編集者が三つ巴となって繰り広げる時代小説版通読できる「水滸伝」。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「水滸伝」を全巻読んだ人というのはどれくらいいるのだろう。吉川英治や北方謙三によるリライトを読了した人ならいくらでもいるだろうが、 施耐庵による原典の翻訳では随分と少ないのではないかと思う。というのも、自分自身に挫折した経験があるからだ。なぜ、半ばで本を閉じてしまったかというと、余りに登場人物が多すぎて、区別がつかなくなったためだ。出てくる登場人物がすべて大ぐらいと怪力と知略家ばかりで、それぞれに該当するものが二桁はいるというのでは、固有名詞がついていたところでほとんど意味をなさないではないか。
なぜ、「時代小説盛衰史」の書評で、「水滸伝」の話を長々としたのかというと、本書を読んでいて「水滸伝」を思い出したからだ。もちろん、悪い意味ではない。これは楽しんで通読できる「水滸伝」だ。まず、原稿用紙1000枚(517頁)の長さといい、500名をこえる登場人物といい、そしてここに登場する作家たちがそれぞれ文学史に名を残す、手練ばかりであるというのもまさに「水滸伝」といえる壮観さだろう。
数多くの時代小説作家が出てくるが、そのほとんどが時代小説ファンには目になじんだ名前ばかりであるから、誰が誰だか分からなくなる心配はない。また、本書の登場人物は作家だけではなく、多くの時代小説作家の活躍の場となり、あまたの名作の揺りかごとなった雑誌たちも重要な存在として描かれている。そして、作家と雑誌の間をとりもつ編集者たちの姿もしっかりと描かれている。元編集者である筆者の思いをそこに読むこともできるだろう。
作家と雑誌と編集者が三つ巴となって繰り広げる歴史ロマンとも言える本書は、筆者があとがきで述べているように、野間清治による明治44年の雑誌『講談倶楽部』の創刊に始まり、昭和37年の廃刊に到る雑誌盛衰史であり、「大菩薩峠」の中里介山から現在も多くのファンを魅了する司馬遼太郎の登場までを描いた作家盛衰史でもある。このような多層的な構造を持った著作であることで、読者の様々な関心に対応する本書は、その長さを苦にせず通読させる力と面白さをもった作品と言える。
“盛衰史”という名が示す通り、この本は時代小説の通史であるとともに、楽しく興味深い時代小説に関するゴシップ集であり、そして時代小説家の作家辞典という側面も持っている。主要な作家に関しては、その生い立ちや作家としての活動の軌跡が数頁に渡って記述されており、巻末の作家・画家・編集者索引を活用すれば、時代小説を愛好する者にとってうれしい卓上辞典として利用することもできるのだ。
本書を読み終わった後、無性に時代小説が読みたくなる。積ん読のままになっている「大菩薩峠」や白井喬二「富士に立つ影」に挑戦してみようか、それとも岡本綺堂「半七捕物帖」を読み直してみようかなどと考える喜びも与えてくれるのが、また嬉しい。
著者にはこの他にも時代小説以外の中間小説の栄枯盛衰を描いた「文壇うたかた物語」、「文壇栄華物語」、「文壇挽歌物語」という文壇三部作もある。昭和のエンターテイメント小説を思うとき大村彦次郎という存在は無視することができない貴重な書き手だと言えよう。

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“ガイド”ではなく“ものがたり”であるということ。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「店の地図が載っていればいいのに」
ブックカフェのガイドブックとしてこの本を手にしたため、読後すぐにそう思った。しかし、読んだ内容を思い起こしてみると、この本が単なるショップガイドではないことは明らかだった。書名をもう一度見る。
 「ブックカフェものがたり」
 そう、これはガイドではなくブックカフェに携わった人たちの“ものがたり”を追った本なのだ。
 そのことが一番はっきりと現れているのが、「第一部 ブックカフェ・オーナーかく語りき」だろう。ここでは、東京、大阪、京都の9店のブックカフェ・オーナーがなぜブックカフェを開いたのか、そしてどのようにブックカフェを日々営んでいるのかを語っている。それぞれのオーナーたちの話に耳を傾けて、まず感じるのは、商売としてのブックカフェの危うさである。簡単に言ってしまえば「なんと儲からない商売なのだろう」ということだ。オーナーたちは口を揃えて利潤の少なさを語っているし、彼ら(彼女ら)の約半数が店の他に仕事(別の収入源)を持っているということからもそれが分かる。この利潤の少なさは、ブックカフェのオーナーになるということが、単なる職業選択という枠をこえて、生き方の問題という領域に踏み込むことだという印象を読者に与える。取材し、文章としてまとめたインタビュアーも編集者もそれを意識した本作りをしていると感じた。だからこそ「ブックカフェものがたり」なのだろう。情報収集ではない楽しみとしての読書と、利潤を生む商談をするのではないただ自分の時間を気持ちよく消費していくためのカフェという場所。そういう空間と価値観を選びとるオーナーたちの姿に共感を覚えた。
 あとがきによれば、この本は当初メタローグから「ブックカフェ店主になる!」という書名で出される予定であったという。それが出版社の倒産によって宙に浮き、その後幻戯書房からこのようなかたちで出版されたとのこと。最初の題名から分かるようにこの本は「自分もブックカフェのオーナーになりたい」という人向けのハウツー本という側面も持っている。「第二部 ブックカフェを始める、ブックカフェを続ける」がそれにあたる。開業希望者には、カロ・ブックショップ&カフェ(大阪)のオーナーによる「本屋さんになりたい人のためのブックカフェ開業講座」での実体験を踏まえた具体的な説明が参考になるだろう。現実的、具体的であるだけに「カッコいいし、オシャレだから」といった浮ついた気持ちの開業希望者たちの熱を冷ます効果を発揮するかも知れない。しかし、同時に本当にやりたいと腰を据えてかかっている希望者に対して有益なアドバイスでその気持ちを後押しする力を持った文章でもあるといえる。
 別にブックカフェのオーナーになろうというのではなく、単に本屋と喫茶店(カフェ)が好きで、その両方が一緒にあればなおうれしいという自分のような者にとってもこの本は興味深い読物となっている。「ブックカフェ」という名でくくられているもののその形態は店によって千差万別であり、自分の志向がどのようなタイプの店にあるのかをそれぞれの店に照らし合わせて探すのも楽しい。もちろん、気になった店に実際に足を運び、気持ちよい時間を過ごせる場所を見つけることができれば言うことなしだ。
 この本を楽しんだという人には、腹違いの兄にあたる「本屋さんになる!」(メタローグ)もおススメしたい。

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ゴシップによる情熱と冷静の間。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 “ゴシップ”というものの楽しさ、面白さを教えてくれたのは丸谷才一のエッセイだった。そして、役者や藝人に関するゴシップの腕のいい伝え手として「ちょっといい話」シリーズの戸板康二の存在を知った。しかし、戸板は既に故人であり、そのゴシップ集が新たに出版されることは残念ながらない。しかし、悲しむことはない。戸板康二を師と仰ぐ矢野誠一がその欠落をしっかりと埋めてくれているのだから。
 この「酒場の藝人たち」には、対象とする人物の勘所を的確に読者に伝えるとともに、その人に対する筆者の思いがにじんでくるようなゴシップがたくさん収められている。本書の特徴は、先に触れた戸板康二の死を惜しむ「先生さようなら」を初めとする追悼文が数多く収められていることだろう。レクイエム集と言ってもいいと思う。色川武大、大地喜和子、いずみたく、古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭圓生、春風亭柳朝、林家三平などその死を惜しまれる者は多岐にわたるが、やはり藝人(落語家)が多い。演藝評論家とも呼ばれる著者だけに、落語家追悼文を集めた第4部の充実ぶりが際立っている。
 本書の副題にもされている「林家正蔵の告白」(現在の元こぶ平ではなく、彦六を名乗った先代)などは、ゴシップをうまく組み合わせていく方法による愛情ある人物評のお手本のように思える。そこに寄席へ通う定期券を持っていた正蔵に関する次のようなゴシップが載っている。
 《ところがこの定期券を、仕事以外の私用で地下鉄に乗るときには絶対に使用せず、わざわざ切符を買ったものである。定期券とは、仕事をするひとのために割引になっているので、遊びに行くときにまで使うものじゃないというのだ。》
 このエピソードひとつで林家正蔵という人のありようが具体的な手触りを伴って伝わってくる。
 数ある追悼文の中でも「さらば柳朝」が白眉だと思う。志ん生、文楽、圓生といった著者より上の世代の名人ではなく、ほぼ同年代で下積みの頃から観てきた春風亭柳朝を語る著者の文章は熱い。決して文章が熱を帯びて上段に振りかぶっているわけではない。余裕のある語り口の中に、時折どうしても押さえきれないものがこぼれ出る。柳朝がこれからというときに病に倒れ、落語家の命である言語機能に障害を負ってしまった悔しさを本人とともに著者も強く感じているのだろう。
 つい、本書のレクイエム集的側面ばかり強調してしまったが、それ以外の文章にも見るべきものは多い。特に巻頭に収録された「浅香光代・西海道御難旅路」は、収録された文章の中でも分量が多く、また筆者の文体も軽く弾むようなリズムがある。これは、女剣劇の一座を久し振りに組んで九州巡業に行く浅香光代に同行した随行記。旅そのものは、御難続きで終わるのだが、それを感じさせない浅香光代という天性の明るさを持つ座長とそれを支える役者と裏方たちに囲まれた著者の喜びが手に取るように伝わってくる。癖があり、どうしようもなく人間臭い役者や藝人たちだからこそ、あらがいようもなく著者は惹かれてしまうのだろう。
 そんな思いを感じさせる役者や藝人の死に直面し、著者の胸中に浮かぶ思い出やゴシップがその対象への冷静で熱い想いと合わさったとき、味わい深い追悼文が生まれるのだ。
 昭和10年生まれで、70歳になる著者には、これからも現役として活躍してほしい。読み応えのあるゴシップ集をもっと読みたいのだ。
 最後にひと言触れておくと、本書は1993年11月に発行された「圓生とパンダが死んだ日」(青蛙房)を改題したものである。

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青山光二を知らなくても楽しめる昭和を彩った作家たちの姿。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 青山光二という作家をご存知だろうか?

 ご存じなくともこの本を読むのに差し支えはない。そういう僕自身もこの「文士風狂録」を読むまで、ほとんど知るところがなかった。装幀家で美術評論家の青山二郎(白洲正子や宇野千代の著書で知られている)と混同していたくらいだ。
 心配しなくとも、この本を読んだ後では、青山光二という1913年生まれで90歳を越える現役最高齢作家について一通りのことは分かるようになっている。そして、彼が関わってきた多くの作家たちのことも。
 この本は、旧制第三高等学校で織田作之助と知り合い、ともに文学を志した青山氏が昭和を彩った作家たちとの交遊を語ったものだ。話を聞き、このような回想録にまとめたのはちくま文庫の織田作之助作品集の編者でもある大川渉氏。大川氏は、青山氏の発言の引用を最小限にとどめ、インタビュー内容を三人称による客観的な文章で再現する方法を選択している。それによって、談話による冗長さをまぬがれ、簡潔で読みやすい作品となっている。
内容の話に移ろう。
はじめに語られるのは青山氏が「無二の親友」と言う織田作之助。三高で知り合った二人は文芸部の機関誌に関わった。その合評会の参加者は、二人の他に、野間宏、富士正晴、桑原静雄(筑摩書房社長となるのちの竹之内静雄)、そして顧問がフランス文学の翻訳で有名な伊吹武彦教授という錚々たるメンバー。これから、昭和の文学の一翼を担っていく人々がまだ己の才能を内に秘めたままでここにいる。それだけで、なにかウキウキとした高揚感を感じてしまう。この席で、織田作之助は野間宏の小説を酷評し、野間の友人である富士正晴ともやり合った結果、野間と富士は袂を分かって自分たちの雑誌を作り始めるのだ。このように、若い力がぶつかり合って、それぞれの道に踏み出していく。文学史というのはこのように作り出されていったのだなと思う。
 その後、流行作家となった織田が東京へ出て、太宰治や坂口安吾と知り合い、あっという間に命を落としていく姿が印象的に描かれる。織田作之助に割り振られたのは第1章だけなのだが、太宰治(第2章)、坂口安吾(第3章)、林芙美子(第4章)までは、織田作之助との関係を中心に描かれており、語り手の青山光二氏と書き手の大川渉氏にとって織田作之助という存在がいかに大きいかが伝わってくる。この4章までが、前半のハイライトだと思う。
 5章以降、田中英光、花田清輝、丹羽文雄、舟橋聖一、三島由紀夫、梅崎春生、色川武大、笹沢左保、木々高太郎、芝木好子、田宮虎彦といった作家たちとの思い出が語られる。それぞれ、面白く読めるのだが、後半のハイライトは笹沢左保の章と木々高太郎の章だろう。この2つの章を通じて語られるのは、直木賞の選考委員であった木々高太郎に対する青山氏の憤りである。笹沢左保も青山氏もともに木々高太郎選考委員によって直木賞の受賞を阻まれるのだ。あるバーで「木々高太郎を殺す」と言う笹沢と会った氏は、それをなだめながらも「やるときは俺も一緒にやるよ」と口にする。まるで筒井康隆「大いなる助走」の世界だ。このような思いがまた二人の文学を押し進める力となっていく。これだから、文学の世界は面白い。
 装幀に関しても触れておきたい。
 カバーの紙は布地を思わせる触感のものが選ばれ、装画は林哲夫氏による味わいのある本の絵である。デザインは間村俊一氏。このような外身も中身も充実した本を読むのは楽しい。

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