サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. saiさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年1月)

saiさんのレビュー一覧

投稿者:sai

16 件中 1 件~ 15 件を表示

相対主義の極北

2001/02/20 14:47

哲学の面目躍如、通俗的「相対主義」解釈を超えるための必読書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「価値観は人それぞれですから……」。これまで何度も耳にし、また自分でも発してきたフレーズだ。このフレーズ、寛容そうに見えて、実はそれ以上会話なり対話の進行を受け付けない。寅さんではないが、それを言っちゃあおしめぇよ、ってな具合に機能することの方が多いのではないか。この「価値観は人それぞれ」は「相対主義」とほぼ同値で捉えられており、言論界のなかでは80年代ほどの勢力はなくなったとはいえ、日常会話レベルでは便利なフレーズとしていまだ重宝がられている。一方で、新保守主義あたりからの相対主義批判は、ロジックとしては「正しい」「説得力あり」とされ、「かといって代替となる価値観の提示ができないのが、新保守の弱点」などと言われている。

 本書は、新保守にありがちな相対主義批判とは一線を画す。また同時に、「価値観は人それぞれ」=「相対主義」という安易な解釈も突っぱねる。たとえば、相対主義は自分自身をも相対化するため自壊する(西部邁センセイの得意なロジックだ!)という批判。その延長は、ニヒリズムの蔓延、道徳的退廃……となるわけだ。しかし本書は、この自壊の証明は失敗しているとし、相対主義をより徹底的に煮詰めていく(その煮詰めていく過程で、「価値観は人それぞれ」の限界も明らかになろう)。この煮詰め方、具体的には、説明の手順や図示の多用、導入されるトピックなど、予備校での教壇経験も手伝っているのだろう、読者の興味を飽きさせない工夫に満ちている。難しい箇所はあるが、論旨は極めて明快、読者は、相対主義がたどり着く場所を著者とともに目撃することになる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

ホンモノの学者の声がここにある

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「学歴の時代は終わった」としたり顔で言う連中は、何にもわかってない−−学歴が関係なくなるのは、会社に入ってからの話で、「就職」のものさしとしては、以前よりも学歴がモノを言っているという「現実」を(外資系に入る連中の学歴を見ればわかるでしょ)。

本書が明らかにしているのは、この「現実」が、社会階層と不可分の問題だってこと、それも以前にもまして根本的に……。どーゆーことかというと、大学入る程度の勉強は、ヤル気とコツがとにかく大事なんだけど、本書は、そのヤル気が、社会階層と相関関係にあるということを実証的に証明してしまった。つまり、階層が高い親の子供ほど、ヤル気があるということ。そしてそれは、文部省(世論も後押ししただろう)が、受験競争を緩和して「ゆとり教育」なんてことを謳い出した結果、(まわりに負けないようにオレも勉強しなきゃ、といった)ヤル気を促す外的な刺激が希薄になり、内的な動機づけが主要因として機能するようになったから、という筋書きで起きたという。

これはもう「金がある家は塾に行ける」とかいうレベルじゃないよね。建前としては、競争はよくないなんてことになっているけど、偏差値の高い大学出の親はホンネを知っているから、あの手この手で子供に勉強させようとする。そして、逆もまた然り……。

こんな分析結果を前に、本書の最終節で苅谷先生がつぶやく「教育にできること・できないこと」−−ホンモノの学者の声がここにある。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本大学で何を学ぶか

2001/03/14 20:24

学問幻想破壊の書

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「大学は学問をするところ」とは、今では誰も口にすることはできない。大学生の学力低下が指摘されている現在、大学は「学問」どころではないのである。そんな中にも生真面目に「学問」に憧れて大学に入ってしまう人たち。著者はそんな彼らの「学問と勉強への幻想」を破壊することを本書の大きな目的とする。なぜか。大学に身を委ねて学問へと身を投じることは、実のところ自由からの逃避であり、四年後に控える入社試験で尋ねられることになる「自己紹介」と「志望動機」に大学の学問など何の役にも立たないからだ。
 用意周到な著者は、彼らの「学者」への憧れも粉々に打ち砕く。その上で「自己紹介」と「志望動機」を書くことのできる4年間の使い方を考えよと説き、大学新入生が読むべき本として『面接の達人』を挙げる。ここまでであれば本書は「現実主義」に貫かれた「大学生マニュアル」でしかないが、最終章で語られる「教養」論こそ著者の面目躍如だろう。難解本を読むことよりも「引用」のカタログを作る作業を優先させる著者の指摘は、大学生のみならず社会人の読書論まで射程に入っているのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本食を料理する 哲学的考察

2004/01/25 20:09

食をめぐる省察

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

食をめぐる省察

衣食住という人間の「生」を支える大切な営みについての省察を、哲学は長いことほったらかしにしてきた。だが、哲学だの思想だのといった思考の営為は、衣食住という家政の安定があって初めて成り立つものだ。「哲学が、私たちが生きることを真剣に主題にするものであるのなら、食を取り上げないですむわけがない」というまえがきでの著者の言葉に、ぼくは100%同意する。

食の哲学の第一歩は、人にとっての食の独自性をマッピングすることから始まる。植物が水を吸収すること、クルマがガソリンを「食う」こと、呼吸をすること、これらとの比較を通して、人が食べることの内実が浮き上がってくる。人が安定して食糧を確保する道筋を通じて、経済に先立って政治や権力が発生していくという指摘は、なかなかスリリングだ。同時に、食べることが、食べる人がどういう人間かを語ってしまうという、食のメッセージ性についての考察も興味深い。さらに、食と環境問題、食の安全、食事の時間のもつ意味、食の社交性など、扱うトピックは多岐にわたっており、読み進めていくうちに、食がさまざまな人間的事象と結びついていることがわかってくる。

しかし、なんといっても本書の白眉は「味覚」についての議論だろう。といっても、もちろんグルメのような話じゃない。「味わうとは一体どういうことか」「なぜ味を分類できるのか」といった問いをとことん考え詰めていくのが哲学だ。ここで読者は、知覚と感覚との違いを語る、著者独特の哲学的議論の面白さに引き込まれていくだろう。とくに、生理的プロセスでは説明不能な知覚の特異性を解き明かすくだりは、見事の一言に尽きる。少しでも近代哲学をかじったことのある読者なら、ここで認識論のアポリアを思い浮かべて読むといい。

現代社会において、食をめぐる問題はさまざまにある。本書は、その解決は提示しないが、問題の一番の根っこをしっかりとつかまえている。世界のあり方を考えるうえでも、そして個として自らの生き方を考えるうえでも、食の省察は欠かせない。願わくば、本書を読んで少しでも多くの人に、「歓び」の享受としての食について考えてもらいたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

スリリングな科学者の現場を活写

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、ハーバード大学の教授である著者へのインタビューを中心としながら、アルツハイマー研究の歴史を追った本だ。

本書の読みどころのひとつは、単なる研究史だけでなく、それをとりまく研究者の人生模様までをも描いた点にある。そういう意味で、本書はすぐれたフィールドワークとしても読むことができる。

著者のタンジが研究者となるまでの経緯がまず興味深い。歴史と微生物学を学んだロチェスター大学を卒業した後、高校時代から続けていた音楽バンドのキーボディストとして「くる夜もくる夜も演奏し」ていたが、プロのミュージシャンになる気はない。そんな折に、マサチューセッツ総合病院の求人掲示板で、神経疾患遺伝研究の助手を募集する求人広告が目に入る——。  

こうして著者は、研究室のボスであるグゼラのもとで、ハンチントン病の遺伝子を探る研究に参加し、見事な成功をおさめる。その研究とちょうど同じ頃、カリフォルニア大学では、「老練な病理学者」であるグレナーが、アルツハイマー病について「分子レベルの画期的な研究」を進めていた。

偶然のいたずらなのか必然なのか、この二つの研究はやがて結びつき、アルツハイマー病遺伝子の発見に向けた大きなうねりをつくりだすことになる。このあたりの交錯ぶりもじつにスリリングだ。  

グレナーの研究により、アルツハイマー病は脳に沈着するアミロイドと深い関係があることがわかると、アミロイドをつくる遺伝子を突きとめる研究に、著者を含めた大勢の研究者が着手する。

「第一発見者」の栄誉を求め、「ライバルの寝首を掻くような競争」がそこかしこで繰り広げられる。過剰な競争は、ときに人間関係上の大きなトラブルへと発展する。「早く結果を出さなければ」というプレッシャーが心を蝕み、研究の捏造さえおこなわれる。しかし、競争が研究の推進力となり、アルツハイマー病の解明が驚くべきスピードで進んでいったこともたしかなのだ。

「甘い見方をすれば」と断ったうえで著者は次のようにいう。 「対立の火花が散って、私たちのうちの多くの者の尻を焦がしたので、みんな全速力で前に進んでいかなくてはならなかったのだ」。  

具体的な研究の進展経緯をここで紹介しても煩雑になるので省略するが、詳細な図解、用語集、索引などが非常に充実しており、専門的な議論の理解を助けてくれる。本書にじっくりつきあえば、遺伝子の「基本のき」がわかるようなしかけになっているのもありがたい。

さらに、各章の冒頭におかれる、遺伝性のアルツハイマー病に直面したヌーナン家の物語は、単なる導入としての役割を超えて、本書には欠かすことのできない要素となっている。アルツハイマー病の当事者が抱える痛みに想像力を働かせことを忘れてはならない。  「アミロイド遺伝子発見競争の一番の勝者はアルツハイマー病の患者であるように」——科学者の倫理が著者のこの一言に集約されている。サイトー商会

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

モテるための哲学

2002/06/20 14:11

「ギラギラ」から遠くはなれて

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は男にとっては耳の痛い言葉やフレーズがそこらじゅうにちりばめられている。たとえば、こんなのどう?

 「マメな男が結局モテるよ、という説も、よく聞きます。しかし、あなたのことを何とも思ってない女性に対してしつこくマメにしているんだとすると、それは(あなたはそう思ってないかもしれませんが)ギラギラしているということです。」

 男の勘違いをこれほど的確に述べた表現を僕は知らない。さらに、二村さんは、こういうギラギラ勘違いの処方箋まで用意してくれている。曰く、

 「自分のギラギラは、笑っちゃうしかないことだと思います。モテないあなたは、自分の性欲さえも冗談のネタにしてしまうコンパのりの軽い連中がわりとモテるのを苦々しく思っていたかもしれませんが、あなたもたまには、自分のギラギラを冗談にしてみましょう。」

 男の勘違い(あるいは女の勘違い)に悩んでいるあなた、なにはともあれ、この本を読ませて、彼(彼女)にリハビリしてもらってください。モテない女性が読んでも、もちろん有効ですよ。上野千鶴子の解説も秀逸。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本からくり民主主義

2002/06/12 00:22

奇妙な賛否のハーモニーを笑え

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あたかも実在するかのような「国民」という言葉。よくよく考えてみれば、どこにも実体はありはしないのではないか。政治家もマスコミも「国民の声」至上主義だが、そんな「国民の声」幻想に乗せられたくない人に、本書は有効だ。

著者は、沖縄、若狭湾、諫早湾、上九一式村といった「国民の声」が拾えそうな場所に足を運び、マスコミで喧伝された従来の対立図式やら問題の構図やらをいったん括弧にくくって、現地の人の話に耳を傾ける。そこで見えてくる賛否の奇妙なハーモニー。

沖縄にせよ若狭湾にせよ、米軍基地や原発で潤っている人々が少なくない割合で存在し、さらに彼らは、借地料や補償金アップのために一定程度の「反対の声」までほしがっている。からまった釣り糸のように解決の見えない事態を前にして、著者は絶妙なツッコミを入れる。筆者と一緒に笑ってしまうこと——それが本書の「正しい」読み方である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

ハイ・フィデリティ

2002/06/08 11:56

オタクのための成長小説

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ポップ・ミュージックにどっぷりハマり、つきあう女性をはじめ、人間関係、その他すべてを自分の音楽的価値観から見てしまう主人公のロブ。フラれたことをきっかけに、大学を中退して冴えない中古レコード店を経営するに至っても、ダメを繰り返すロブは、こんなことを考える。

「ぼくは不幸せだからポップ・ミュージックが好きなのだろうか。それとも、ポップ・ミュージックが好きだから不幸せなのだろうか」

 この「ポップ・ミュージック」という言葉はいろんな言葉に変換可能だ。哲学、思想、学問、文学、サブカル、アニメ、マンガ……。「どういう人間であるかより、何が好きかのほうが大切」な人たちのおかしくも淋しいショットを描いたこの作品、では、そんな人たちにとって「大人になる」とはどういうことか? ヒントは本書の結末にある。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

実用哲学を兼ね備えた爆笑本

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

旅行の道中で、「一体誰がこんなところに来るのだろうか?」と思ってしまうようなスポットを見かけた経験はないだろうか。荒んだ遊園地や公園の片隅にひっそりとたたずむ資料館、あるいは意味不明なオブジェ。本書は、そんな「テレビ・新聞・雑誌では絶対紹介されない」スポットの見学記だ。税金の無駄遣いを糾弾するためといった目的も、知られざる名所発掘といった冒険心も本書の著者にはまったくない。ただただ退屈をいとおしみ、普通の人が足を向けない場所を訪れる。

頁をめくり最初に紹介されるのは、カップルにぎわうお台場にある「船の科学館・羊蹄丸」。トップバッターが船の科学館じゃインパクト弱いよなぁ、と思いつつ読み進んでひっくり返った。羊蹄丸とはもと青函連絡船で、それがフローティングパビリオンになっているのだが、なんとその船底の一フロアを使い切って再現されているのは、昭和三〇年時の青森県の「闇市」。写真を見ると、闇米を背負った老婆やら道端のリンゴ売りやら、これがまたリアルなのだ。続いて紹介される「ふれあい下水道館」も負けていない。「体験コーナー」の扉を開くと、そこには本物の下水道があり、当然のことながら想像を絶する臭気の襲来。「こんなの『ふれあい』も『体験』も、しない方がいいに決まってます!」という著者の本音にウソはない。

こんな調子で著者は全国各地を駆け巡る。毒草がわんさかとある「東京都薬用植物園」、日曜日でもガラガラの「比叡山頂遊園」、バンジージャンプ台となってしまった「びわ湖タワー」……日本中の「奇所」を集めた本書は「奇書」と呼ぶにふさわしい。

こんな紹介をすると単なるおふざけ本かと思われるかもしれないが、随所に織り込まれる著者の批評性も見逃せない。たとえば——

「他人から与えられた『ゆとり』なんて、有効に使えるわけありませんよね……『ゆとり』ってのは取って付けたようにして作るんじゃなくて、要は『気付く』ことで作れるんです。そして自分で気付いた『ゆとり』ならば大事にすると思うのです」。

日本最高の交通量を誇る、人ごみにあふれかえった渋谷ですら、「渋谷東急屋上」というガラガラの空間がある。「ちょっと視点を変えれば、これぐらいの『日常のスキ間』はどこでも見つけることができる」のだ。

退屈で平板な日常をもて余して鬱屈していても、事態は一向に変化しない。だったら「積極的に後ろ向き」でいこうじゃないかと著者はいう。そう思えたとき、あまたの退屈スポットは私やあなただけのゆとりの空間となるかもしれない。誇張を恐れずにいえば、本書は、実用哲学をも兼ね備えた爆笑本だ。よし、さっそく出かけてみることにしよう。 サイトー商会

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本文壇アイドル論

2002/07/21 16:17

アイドルは時代を映す鏡

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者も述べているように本書はいわゆる「作家論」ではない。80年代に登場した活字村のヒーロー、ヒロインの「人となり」ではなく、読者に「いかに消費されたか」を、彼らが「何を書いたか」ではなく、「どのように書いたか」を考察することで、著者なりの80年代論という「物語」を提供することが本書の目論見だ。読後、とくに筆の冴えを覚えたのは、ヒロイン4人の読み解き。俵万智と相田みつをの読者との共通性、ばななとコバルト文庫との影響関係、「『女の時代』のネガとポジ」としての林真理子と上野千鶴子との対照性など、大量の書評、批評文を渉猟しつつ、著者お得意の攻撃的レトリックを駆使した解説は説得力満点。ないものねだりを言えば、村上春樹の『アンダーグラウンド』以降の転換をもう少し説明してほしかった。私見では、村上龍、田中康夫と重ね合わせることで、男性文学の「記録文学」化の進行が見えてくると思うのだが。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

主権在民の逆説

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時代は近未来ニッポン、平成の大革命によって新たに樹立された「国民クイズ体制」では、「国民クイズ」(国家規模のウルトラクイズみたいなものを思い浮かべてくれればいい)の勝者になれば、どんな欲望であれ、国家権力を用いて叶えてくれる——という荒唐無稽な設定が時としてぞっとするリアリティーをもつのは、たとえば次のようなやりとりだ。

−ほっときゃ資本主義だって法律の力で個人の欲望を抑えつけられなくなるんだ。ひと昔前の日本がいい見本さ。法律を作る政治家こそ性悪説の権化、強欲ザウルスだった。
 そんな世の中で国民の求める平等とはやりたい事をやりたい様にやれる特権の配分しかない!!

>それが救世主 国民クイズの真骨頂ってわけね

−そう! それが国民クイズの画期的な所だ。恵まれない子のために養護施設を作りたいという奴……双子の処女と3Pしてみたいという変態……どっちの希望も同列に扱っている。(略)
 主権在民の国民クイズ体制の下では官僚たる者、政治の決定に従わねばならん!

 おっかないでしょ。諸権利は矛盾し、衝突する。これはいま現に起きていること。さてこれが「国民クイズ」じゃなく「国民投票」だったらどうか? おそらくさほど変わらない結果を思い描いてしまうのは、悲観的過ぎるかな……。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

生物学から見た環境問題の真相

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「脳と遺伝子との共生」。これが本書の副題だ。なぜ、環境問題に脳や遺伝子が関係するのか。筆者によれば、ぼくらの遺伝子は「地球上のあらゆる生物と類縁関係にある」。なにせ人間とチンパンジーとでは、99%遺伝子がダブっているのだから。その意味で、人間は他の動植物とともに、自らの適応情報であるDNA遺伝子を持った存在だ。
 でも一方で、チンパンジーと異なる1%がある。これが脳が監督役となって生み出した「ミーム」と呼ばれる文化の遺伝子である。たとえば避妊法やら酒、タバコなど、どうみたって適応に反するような(生物的な遺伝情報としては引き継がれない)文化を、脳は、わずかの時間で作り出してしまった。そういう意味では、文化の幕開けを告げる大規模な農耕から現在の森林伐採にいたるまで、どれも「ミーム」の仕業なのだ。ここから筆者は、環境問題を、遺伝子情報を無視した脳の暴走と解釈する。では脳の暴走を食い止める、すなわち脳と遺伝子との共生のための秘策はどこに求められるか? 本書の最終章にそのヒントが記されている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

環境倫理学のすすめ

2001/07/01 01:44

格好の環境倫理学入門

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書によれば、環境倫理学の基本的テーゼは、三つある。

一.人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない。
二.現在世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
三.地球の生態系は開いた宇宙ではなくて閉じた世界である。
 
 環境倫理学とは、これらの基本的テーゼを土台にして、現実の環境問題を解いていこうとするもの。本書は具体的な環境問題を例にとりながら、上に挙げたテーゼが、説得力を持ちうるかどうかを丁寧に検証していく。たとえば、〈時代によって価値観が違うんだから、未来の問題は未来で解決するべき〉という歴史相対主義は、命の選択と趣味の選択を混同している、といった具合に。こうした典型的な反論の可能性を検討しながら、自らの主張を展開していく方法論は、同時に論理構成力も養ってくれることだろう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本もてない男 恋愛論を超えて

2001/03/14 20:19

恋愛の無根拠性を暴く学問エッセイ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「これが学問?」と言うなかれ。古今東西の文学・マンガ・評論を自在に引用しつつ展開される「もてない男」論は、これまでの恋愛論やフェミニズムが扱うことを忘れていた新たな議論領域を切り開くきわめて思想的な試みだ。
 著者によれば「恋愛教」は勝利し、「恋愛不要論」は連戦連敗する。我々は生まれてから歌謡曲やら恋愛映画、恋愛小説、トレンディドラマに「恋愛賛美」の方向へ向けて「洗脳」されており、「『恋愛教』は一般社会に完全に浸透している」。そう、かつて「家父長制」が社会の常識だったように。恋愛イデオロギーに支配された現在の社会では、「もてない男」は「恋愛弱者」にほかならず、著者をも含めた「もてない男」を救済するには、「恋愛教」の無根拠性を暴く作業を進めねばならない。おそらくはこうした意図で説かれる本書が強い説得力を持つのは、「私」の経験をあけっぴろげにさらしたところで語られているところにあり、著者はその文体を「エッセイ」と呼ぶ。
 本書の議論そのものの面白さもさることながら、著者の文体が「評論教」に対するアンチテーゼになっていることも見逃してはなるまい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

消費をめぐる有限と無限

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 僕らが生きている「現代社会」とはどんな社会か? 本書は、社会学の道具を用いて、「現代社会」にメスを入れていく。ぼくらがものを買う場合、機能や性能は二の次、三の次、まずは商品のデザイン・イメージから選ぶ。テレビのCMでも、商品の性能にはほとんど触れやしない。「情報をとおして欲望をつくりだすことができる」こと、情報は無限につくりだせること、この二点から、ぼくらの消費には限界がない。
 しかし、大量生産の前には「大量採取」が、大量消費の後には「大量廃棄」が、あることを忘れてはならない、と著者は説く。消費の欲望に限界がなくても、「大量採取」「大量廃棄」には限界がある。それになかなか思い至らないのは、「限界」が身近に感じられず、遠い南の国々の出来事となってしまうからだ。こうした現代社会の問題に対する分析は極めてシャープだが、本書後半部での「解決」案は、やや現実性を欠くので、「分析」部分(第一〜三章)だけを読んでもよい。評論用語が頻出しているため、受験生には現代文の勉強にも役立つはず。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

16 件中 1 件~ 15 件を表示