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林さかなさんのレビュー一覧

投稿者:林さかな

学校の悲しみ

2010/01/25 11:47

私たちはみんな言葉からできている

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ダニエル・ペナック:職業作家。
 職歴:大学卒業後に中学、高校でフランス語の教師となり、児童文学作家としてもデビューしてからは二足のわらじをはいていた。デビュー10年後に作家活動に専念する。

 ペナックについて知っていることは、著書のうしろに記されている略歴に書いてある上記のことだけだった。作品も全部ではないが、児童文学は読んでいて好きな作家のひとり。みすず書房から出た本書『学校の悲しみ』も最初は小説かと思って手にとったのだが、違っていた。自身が子どものころ劣等生だったことを振り返り、当時の思い、考えを文章にし、教師になってからは劣等生だった経験を土台にした。では教職についたペナックはどのように生徒に接したか、教えたか――。

 終始強い言葉で書かれている。それは上から目線ではなく、勉強ができなかった、わからなかった、教師と意思の疎通ができなかった――そのできなかったこを、しっかり記憶している者の言葉がそこにあるのだ。
 子どもが勉強で苦労し理解できず発する一番の言葉は「わからない」。
 自分自身、何がわかって何がわからないか、それすらも把握できない状態だ。

 ペナックはそれがどんな感情をともなうものかをよく知っている。そんな時、こうして欲しいという思いも、作家となった今はきちんと言葉にすることもできる。作家になる前の教職では、劣等生だった自分を教えるプロである大人が振り返る。

 それは決して楽な作業ではないことも吐露している。振り返ると、当時の自身のない自分を思い出し引きずられ、苦しめられる。ペナックはしかしそこで苦しみから得たことを思い出す技術を手にした。

 「文法の痛みは文法で治す。スペルの誤りは書き方の練習で治す。本を読むのが怖いという場合、薬は読書だ。読んでもわからないという恐怖心は、文章のなかにどっぷりと浸ることによってしか治らない。物事を深く考えようとしない習慣は、今ここの教室で、今ぼくたちが実際にここにイ(y)るこの授業時間中に、ぼくたちが格闘している対象だけを限定的にとらえようとする理性の応援を得て、はじめて治すことができる。」

 これがペナックの達したこと。

 「なんにもわかったためしがない」という不幸な体験を繰り返したペナックが得た確信をもってして、彼は生徒に教える。ちなみにフランス語を教えているので、日本でいうと国語を教えていることになるだろうか。

 「文法が怖い? それじゃ、文法をやろうじゃないか。文学が好きになれない? それじゃ、読もうじゃないか。なぜって、どんなに奇妙に見えようと、生徒諸君よ、君たちは頭のてっぺんからつま先まで、ぼくたちが教えるすべての科目の中身そのものなんだ。」

 生徒たちに徹底的に書き取りを指導し、文章を暗記させるペナック。

 「知とは、まず肉体的なものです。知識をとらえるのは、耳であり、目なんです。知識を伝達するのは口ですが。もちろん、知識は本からやってきますけど、本は、もともとは、われわれの身体から出てきたものですよ。思考って、音を立てるんです。本を読むのが好きだということは、言葉を口に出して言いたいという、居てもたってもいられない欲求が残してくれた遺産なんです。」

 この本をまるまるすべて読み終えると、おいしいものを食べた時のような幸福感が味わえる。

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だって、小鳥がそういったんだもん

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ちょっぴり長いタイトルは、元気よく闊歩するフラニー・B・クラニーの様子をぴったり言い当てている。
 フラニー・B・クラニーは赤毛の巻き毛をもっている少女、表紙をみればわかるように、ただの巻き毛ではなく、ながーい髪の毛をもっている。はたから見ると、この巻き毛はフラニー・B・クラニーの生活を快適にしているとは言い難い。着替えをすればボタンにからむし、冷蔵庫のドアにも挟まりやすい。でもね、本人は、そんなささいなことはてんで気にしていない。長くなればなるほど、自分の髪の毛に愛着がわくのだ。だって、ながーい髪の毛をばさっと前にたらすと、「まっくらでどうくつにいるみたい」で、髪をぐっとおしつけてパッと手を放した時に「ボワンとばくはつする」のがお気に入りなんだもの。さて、ある日、自宅で親戚を呼んでパーティをすることになり、常日頃、髪の毛を短くすればと言っているお母さんが言い含めて美容院に連れて行く。髪を上の方にひとまとめにしてもらったのだが、フラニー・B・クラニーはまったくもって気に入らない。でも、そこへ……。
 文章を書いたのは姉妹。妹は家族関係を専門とする心理学者で、姉は生物学者。このふたりの物語に絵を描いたのが、ヘレン・オクセンバリー、絵本の有名な賞(ケイト・グリーナウェイ賞など)をたくさん受賞している、人気画家だ。絵本ならではの発見する楽しみに満ちた絵は、決して詳細に描き込んでいるわけではない。それなのに、ささやかな、そして話の本筋とはさほど関係ないけれど、家族の個性がきちんと描きわけられている。この細やかさが、絵本のリアリティをつくり、物語をよりふくらませている。たとえば、フラニー・B・クラニーのちりちり巻き毛は誰に似たのか、なんてすぐにわかって、にやりとしてしまう。
 わが家の4歳の娘は、一読してこの絵本を気に言った。お気に入りのセリフ「だって、小鳥がそういったんだもん」は、さっそく自分のボキャブラリーにいれて、日々の生活でも使っている。話しの流れから私には疑問にも思わなかったところを、「どうしておこった顔をしたのに、すぐにっこりしているの?」と、フラニー・B・クラニーと妹のバーサとのかけあいを何回読んでも同じところで同じ質問をしてくる。そして今度は、自分のわかったことを、お兄ちゃんやお父さんにせっせと聞かせ、おかげで、家族中、フラニー・B・クラニーがなんでバーサとケンカしたのか、すっかりわかる。
 こうしてまた一冊、わが家の愛読絵本が増えた。

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紙の本ワニてんやわんや

2004/01/22 17:22

てんやわんやの騒動のあとは、心がほくほく。読んで楽しい兄弟物語

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

兄テディは、弟ボビーのことをちょっとばかにしている。
ボビーは「おりこうさん」の弟。
いじわる(!)しても気づかないのか、いつもニコニコ。
クリスマスプレゼントに、安物の白いくつしたをプレゼントしても、「すっごくすてきなくつした!」と大喜び。
こんな風に、にぶい弟だから、8歳の誕生日プレゼントだってたいしたものじゃなくて充分だと思っていた。それなのに、母さんは、動物好きの弟に、ペットをプレゼントしなさいと、半ば強制的にペット売り場の広告をテディに渡す。
ふん! と思ったテディはボビーを困らせてやろうと、ワニを買う。さて、ボビーの反応いかに、と思うと予想に反して本気で大喜びのボビー。
さてさて、それからテディ一家のてんやわんや騒動の日々がはじまるのだ。
誕生日パーティには、たくさんの親類たちもお祝いにやってきたのだが、みな、ワニに心うばわれる。唯一、ワニのえさになったために、大好きな鶏肉のカシューナッツいためを食べ損なった父さんをのぞいては。

兄弟とは不思議な関係なり。友だちと違ってひとつ屋根の下、いやでも毎日顔をあわせなくてはいけない。ちょっとしたことでも腹がたったり、親がどっちをかわいがっているのか気になったり。そんな兄弟にワニが加わることで、ちょっとした変化が起きてくる。てんやわんやの騒動だけではなく、兄弟の機微がていねいに描かれ、読後はさわやかだ。チャイナタウンに住んでいるテディ一家は親戚たちもよく訪れる。親族の結びつきを大切にするという中国系の人たちが、この物語でも登場している。

作者イェップは、中国系アメリカ人として生まれ、黒人街で育った。テディには、イェップの子ども時代が反映されているようだと訳者あとがきに記されている。イェップの場合は、立場が弟で、兄を困らせてやろうとワニをプレゼントした実体験があるとのこと。ワタナベユーコさんの挿し絵も、物語の雰囲気にぴったりで、特にテディやボビー、父さん、母さんら、人の表情が楽しい。

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紙の本ぶたふたたび

2004/01/16 21:29

あの“ぶた”がまた読める、その至福

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

フィンランド出身の“ぶた”といえば、ユリア・ヴォリの『ぶた』。
きりりとこちらを見つめるぶたに惚れた。今回の表紙も、色あざやかな花にかこまれた、その美しさに満足しているぶたの笑顔がすばらしくいい。

友だちが大好き、食べることも好き、ちょっと変わったことに挑戦するのも好き。そして哲学的思想にふけることも。

コマ割りではないのだが、見開きに赤いふちどりが描かれ、そのふちどりの中でぶたと友だちのやりとりが、1シーンごと細かく、時に重なるように絵が置かれ、文字がおかれる。
最初はこんなぶたのつぶやきから。

  夢の中でかん高い歌声をきいた。
  「きのうはどこへ行ったの? 花開き、のびるよ麦の穂。なのに今日はどこも真っ白。なにもみえない」

そうして目覚めたぶたのかわりに、今度は掃除機(?!)がぶたのベッドで寝ている。なぜ! なんて無粋なことを考えずに、そんなものねと思いながらこの世界を楽しんで読みすすめる。

  アナグマまたお金に手を出した。
  ブタ貯金箱はさびしい状態に。
  それで色々な諺について考えてしまったよ。
  「最後のたのみはブタ貯金箱」

  「ブタに真珠は似合わない」

こんな言葉を読んでは、ぷはっと吹き出し、どんどんぶたの魅力にたっぷりひたる。

絵本の最後にぶたはこんな言葉でしめくくる。

  夢と現のはざまで私は自分自身のすがたをながめた。
  天井のランプの高さから。新しい発見はなかったけれど、自分だと頷けるすがただった。これがまさに私だ。

文章すべて手書き文字。書いたのは「バムケロ」シリーズで人気が高い島田ゆかさん。島田ゆかさんも、この絵本に惚れ込んでいるひとりらしい。

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ワイルドかつチャーミングな写真集

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ジョージア・オキーフが夫の死後40年にわたって住み続けた家、そしてミス・オキーフが愛した風景を写している。文章はミス・オキーフの晩年を共に暮らし、みずからも絵を描くパッテン氏が書いた。

20世紀のアメリカ美術を代表する女性、ジョージア・オキーフ。
私は特別にジョージア・オキーフの絵を追いかけてみていたわけではないが、今日、この本を読みひきこまれた気持ちをなんといいあらわしたらいいのだろうか。美しさが凜と向かってくる。

写真集の依頼はことごとく断ってきたミス・オキーフが、92歳の時に、写真家マイロン・ウッド氏に、撮影を許可する。マイロン・ウッド氏はもともとピアニストを目指していたが、第二次世界大戦後、光に魅せられ、戸外で写真を撮りたいという思いにあらがえなくなり、写真家になる。文章を書いたパッテン氏は「アビキューでのオキーフの生活を写したマイロンの写真は、オキーフ自身と同じくらい無駄のないものだ」と言っている。

被写体に手はいっさいくわえなかったとマイロン・ウッドも言っている。ただひとつ、インディアンルーム(オキーフはネイティヴたちがアビキューを通りかかると家で休ませていた、その部屋がインディアン・ルーム)の壁にかけてあったカレンダーを撮る時以外は。風で揺れるため、木製の洗濯ばさみでカレンダーを止めたそうだ。シンプルな部屋におけるひとつの洗濯ばさみは、しかしきちんとなじんでいる。

ミス・オキーフの家は日干しレンガでできている。それらは、男たちが土をこねて壁を造り、女たちが泥を塗りつけた。そういうふうに仕事をすることになっている。このアドービ(日干しレンガ)でつくられた壁の写真をじっとみていると、人の手がみえるようだ。そこに光があたる。家の外観が数ページにわたり連続している。それらは日本のお寺に通じる、静けさと単純な美がある。

その美しい家のなかで、オキーフは絵を描き、音楽を聴き、石をなで、骨をかざる。暖炉には、庭師エスティベンの手仕事、薪が積まれている。井戸の蓋 には石が4つ。オキーフとエスティベンはこの石でチェスのようなことをしていた。どちらが勝つというのではなく、ただずっと。

この写真集の最後を飾っているのは、タオスのそばを流れるリオ・グランデ川。ミス・オキーフは1986年、99歳の誕生日を目前にして、永久の眠りについた。

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紙の本げんきなグレゴリー

2003/12/16 13:16

ヤッホー!おばあちゃん、そんなのかーんたんさ

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話を聞くより、体が先に動いてしまう。聞いたつもりが耳に入っていなくて、思いこみで飛んで行く。そんな子どもって、いまも周りにきっといるはず。30年以上前に描かれたこの絵本にでてくるグレゴリーは、元気いっぱい。いつもヤッホーっていいながら、走りまわっている少年だ。
グレゴリーのおばあちゃんは、とってもおいしいホットケーキをやく。グレンジャー村で一番おいしいホットケーキを。グレゴリーは、おばあちゃんのところに、駆けて行く。「おばあちゃん、ホットケーキやいて!」グレゴリーの声があんまり大きいので、耳をふさぎながら「そのまえに、ちょっとしてほしいことがあるの」というおばあちゃん。それを聞いた瞬間、グレゴリーは丘へ駆け上って……。話をちっとも聞かないのに、おばあちゃんの欲しいものはきっとこれだ!と、くまやろばを連れて帰る。グレゴリー、ホットケーキ食べたくないの?

少しなつかしく感じるようなあったかい色あいが、元気なグレゴリーを優しく見守っているようだ。おばあちゃんも、あらあらと思いながらも、愛情たっぷりにグレゴリーのすることをながめている。絵本の紙も描かれた色をきれいにのせてやさしい手触り。ページを繰る手にしっくりなじむ。元気っていいな。おひさまみたいなおばあちゃんっていいな。楽しい一日が終わるラスト、どんな味がするかな。訳者のなかつかささんは、児童図書館や幼稚園、小学校でたくさんのお話や読み聞かせをしてきたという。たくさんの物語が体に入っているからだろう。訳文はとても読みやすく、心地よいリズムがある。ヤッホー!

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紙の本相剋の森

2004/01/29 17:15

欲を半分殺す——森で生きるマタギの暮らし

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なんともひきつける冒頭だった。
編集者、佐藤美沙子は取材で、マタギの集いに参加した。懇親会で聞き出したい言葉を得た彼女は、次の日のディスカッションで会場を凍らせた。
「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と。
わかりすぎるくらいの、自然保護を丸出しにしたような発言、もちろん彼女自身はそんな短絡的はことで発言したのではないといいながら、読者を苦笑させてしまうこの言葉のおかげ(?)で、いったいどうなることやらという興味が先に立ち、あとは二段組み368頁の長編をあっという間に読了した。

クマ狩りなどせずとも、必要な栄養もお金も得ることができる21世紀に、マタギの存在は必要なのか。動物保護の観点ではどうなのか。自然は。里に暮らす人々の安全は——。そのどれもが、相反してしまう。

著者は都会人である編集者が、マタギを知ることで価値観が変わっていく様を描き、田舎、都会、森、山を伝えていく。

食べていくこと、生きていくこと、きれいごとではないのだという当たり前のこと。狩猟についてどう思うかと問われた登場人物のひとりがこう答える。

「人間が狩猟によってクマやウサギを捕らえて食べてもびくともしないだけの、豊かな自然の実現。」

私の住むこのあたりにもクマが出る。鈴を鳴らして歩くようにという警報が近所の駐在所からちらしでまわってきた。もう少し奥へ行くと、いまでも、猟銃をかついでいる人たちがいる。

欲をすべて満たすのではなく、半分殺して命をもらって生きていくこと。
それが共生につながるのではないかとこの本は語っていた。

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