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  3. くるぶしさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

くるぶしさんのレビュー一覧

投稿者:くるぶし

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本日本の弓術

2002/11/09 02:15

「的の前ではブッダの前にあたまを下げるときと同じ気持ちになろうではありませんか」

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本の神秘にあこがれ仙台の帝国大学に赴任した新カント派の哲学者が、禅に基づいた愛国心やら武士道を無批判に至高のものと称揚するこの書にも、感動的な部分が二箇所ある。

 ひとつは、的に当てることへの執着を、何度師に諭されてもぬぐい去ることのできないヘリゲルに、師がこう言って、「あなたの悩みは不信のせいだ。的を狙わず射当てることができるということを、あなたは承服しようとしない。それならばあなたを助けて先へ進ませるには、最後の手段があるだけである。それはあまり使いたくない手であるが」、夜もう一度、来るようにと告げる。
 弟子は夜になって師を訪問する。師は無言で立ち上がり、弓と二本の矢をもってついてくるようにと歩き出す。針のように細い線香に火を灯させた師は、先ほどから一言も発せずに、やがて矢をつがう。もとより、線香の火以外の光はない。闇に向かって第一の矢が射られる。発止(はっし)という音で火が消え、弟子は矢が命中したことを知る。そして漆黒の中、第二の矢が射られる。師は促して、二本の矢を弟子に改めさせる。第一の矢はみごと的となった線香の真ん中をたち、そして第二の矢は、第一の矢に当たりそれを二つに割いていた。
「私はこの道場で30年も稽古をしていて暗い中でも的がどの辺りにあるかわかっているはずだから、一本目の矢が当たったのはさほど見事な出来映えでもない、とあなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかも知れない。しかし二本目の矢はどう見られるか。これは私から出たものでもなければ、私があてたものでもない、この暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずにはあてられぬと言い張られるか。まあ、私たちは、的の前ではブッダの前にあたまを下げるときと同じ気持ちになろうではありませんか」。

 この逸話は、のちにドイツに帰った弟子がこのことを『日本の弓術』という講演で語るまで、(師とこの弟子にしか)知られなかった。かつてドイツ人の弟子と、弓道の師との間を通訳した日本人は、講演の速記録を読み、さっそく師にこのことを尋ねた。
「不思議なことがあるものです。「偶然」にも、ああいうことが起こったのです」。
師は笑って答えた。

 もうひとつはそのずっと以前、異国の弟子が、まだそんな域にも達していなかったときの話だ。何事も理屈で納得しようとする頑迷な弟子を持った師は、このうるさい質問者を満足させるものが見つかるかもしれないとの希望を持って、日本語で書かれた哲学の教科書を何冊か手に入れた(!)。その後、しばらく経って、師は首を振りながらそれらの本を投げ出し、こんなものを職業として読まなければならない弟子から、精神的にはろくなことは期待できないわけがだいぶん分かってきた、と親しいものに漏らした。

 「偶然」が起こるのは、その数年後である。

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紙の本福翁自伝 新訂

2002/11/09 01:07

これを読むと、福沢諭吉という人は、ほんと何もしてないという感じがする

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これを読むと、福沢諭吉という人は、ほんと何もしてないという感じである。それも意志的に何もしない。明治維新の前後を生きた人だから、その間にはすごぶる事件という事件があったはずだけど、まず事件あるところに福沢なし。けれど、どこか辺境の山奥に篭っていた訳でもないのだから、それどころかおよそ時代の最先端のところにずっといたのだから、これは奇妙である。今読んでも、そうなのだから、当時もそう思われた。これはほとんど、その言い訳のような本である。
 この本を読むと、福沢諭吉という人はまるで偉くないような気がしてくる。自伝だから、自分で自分のことを著しているので、ことさらに謙遜しようと思えばできないことはないが、彼は自慢だってしてる。それも、ほとんど飲み屋の気のいいおやじのような自慢みたいで、稚気に飛んでいて、ほとんどばかばかしくって好きだ。アメリカで15歳の女の子と一緒に写真を撮ってそれを自慢したとか、ロシア人に「日本に帰るな、ロシアにいてデッカイことやれ」とスカウトされた話とか、子供の頃から酒には底なしだとか、洋書を読んで実験がしたくてしたくてたまらない、馬のひづめからアンモニアと作ろうとしたら、これが臭くて臭くてたまらない、近所からも文句が出るから、小舟を借りて実験器具を積み込みそこで実験、川岸から臭いと叱られれば舟を河上へ、河上で臭いと罵られれば舟を川下へ、とまあこういうバカなことばかり書いてある。最後のくだりを「感心な実験精神の現れ」と感動してみせる人がどこかのサイトにいたが、福沢諭吉を最初から偉いとおもって読みにかかるからそうなるのであって、虚心に読むならここは笑うところだ。むしろむやみに有り難がるのは、福翁の意に叶わぬところだろう。虚心に読むなら、ここもかしこも笑うところである。
 事実、歴史を何か英雄の引き起こした事件の連なりみたいに考えることを、福沢諭吉はそこかしこでしっかりと戒めてる(たとえば『文明論之概略』)。
 さて慶應義塾というのは福沢諭吉が興した学校だが、それが三田に越す経緯というのが、福沢が病後で、神経過敏になってるのか気のせいなのか、とにかくなんだかいやな臭いがする。それで引っ越そう、福沢先生が引っ越すなら、塾も引っ越そうではないか、というのが事の始まり。アンモニアの小舟と同じに、要するに「臭い」のせいである。

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ワークショップで学んでいるかのようにエリクソン催眠が学べる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

催眠には、古典催眠、セミ古典/科学的催眠、エリクソン催眠(現代催眠)がある。日本の術者が、ほとんど古臭い古典催眠の域。ビジネス向け改悪でしかないNLP野郎が、恐れ多くも、エリクソン催眠を自称している始末。
これは、ほんとのエリクソン催眠を本だけで学べる奇特な一冊。エリクソンの弟子でも、いちばんわかりやすいオハンロンのワークショップを、声の調子やだじゃれまで分かるように活字の大きさや原語並列等、細かい気遣いで持って翻訳しているのも吉。

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石橋湛山評論集 改版

2002/11/09 01:21

日本では、とってもめずらしい、本物のリベラリスト

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この国で「自由主義者」といえばたいてい「便乗ファシスト」と相場が決まっているが、湛山はめずらしく本物のリベラリストである。
 第一次大戦で漁夫の利を得て戦後それを国際的に承認させた日本が、外には帝国主義、それを背景に内には「大正デモクラシー」を謳歌していたその時に、あるいは「帝国主義批判」がコミンテルンからやってくる「お題目」でしかない時代に、湛山は日本を憂いて、ほとんど政策評価の合理性の観点から、植民地の放棄を称えた。
 田中角栄はかつて「わが党(自民党)は国民政党である。だから共産主義者以外はどんな者でも入れる」と自分では「豪語」したつもりになったが、湛山はといえば、ロシア革命の時に『過激派を援助せよ』を書いた。くどくなるが、ここでいう「過激派」は、ロシア赤軍のことである。
 戦後、湛山は、ほんのわずかのあいだだけ、総理大臣になった。

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暮し上手の家事ノート

2002/11/09 01:16

家事労働の達する高み

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いわゆる「奥様雑誌」の節約特集は、あまりにせこく、みみっちく、「貧しさ」と直面させられるみたいで読んでてつらい。さくらももこがどこかでくさしてた、「キュウリにハチミツかけて、あらメロンの味がする!」にどこか通じるものがある。顔をおおいたくなるような「手抜きのすすめ」もあって、一言で言えば「人の道」に外れている。
 しかし、この本のレベルは高い。「クロワッサン」の特集記事や掲載される悩み事のレベルが「婦人の友」にはるかに及ばないこと以上に、それは明らかである。ここには「せこさ」の微塵もなく「シンプルさ」があり、「みみっちさ」のカケラもなく「合理性」が存在する。家事労働の達する高みがある。
 しかし、この本のレベルは高い。すべての人にこのレベルを要求するのは酷な話だ。世の中には「私もダンナじゃなくて嫁さんが欲しかったんだ」と言えなかったばっかりに、今では「主婦バッシング」で糊口を凌いでいる人もいる。
 しかし、すべての生活者にこの本は役に立つ。この本のレベルは高いが、すべてを実行に移せなくてもかまわない。知恵はいくらでも、そしていくらかずつでも盗むことができるのである。

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いろんな意味で失敗のない一冊

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

催眠を独学するのに、何か1冊というならこれ。
他人に催眠かけるのに最も大切なことは、
いろいろな手を身につけるよりも、まずは失敗しないこと、そして信用されること。
そのための、実に丁寧にプロセスがまとめてある。
越えてはならない(リスクの高い)一線も、そのための対処も触れてある。
いろんな意味で失敗のない一冊。

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戦争論 上

2002/11/09 01:43

クラウゼヴィッツは戦争の本質を述べたが、バカ者たちはそれをハウツウ物へと読み替えていった

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 クラウゼウィッツの「戦争論」は、戦争がどういうものかを明らかにしようとする試みでしたが、その結論のひとつは、「戦争とは、その勝ち方の処方箋を与えてくれる理論(HOWTOもの)が成り立たないようなものだ」というものでした。つまり彼の「戦争論」は、軍人さんが欲しがっていた「戦争論」(HOWTOもの)があり得ないことを示すものでした。役に立たないだけならまだしも、実はこれから現れるかもしれない「役に立つもの」を始めから不可能だとする、まったく気障りなものだったのです。もちろんクラウゼウィッツの後も、軍人さんたちが欲しがる「戦争論」(HOWTOもの)は次々いろいろと開発されました。古典は新時代に相応しく読み返され、新しい戦争理論家が次々登場しました。もちろん戦争だって世の中から廃絶された訳ではありませんでした。
 ジョミニという人は(彼もクラウゼヴィッツと同じく、ナポレオン戦争の申し子でした)、軍人をして思考することを可能ならしめた人です。時は、ナポレオンの登場により、ヨーロッパにおける伝統的な「戦争の仕方」がご破算になり、みんながこれからは何をよすがに「戦略」を立てていけばいいのだろうと思っていた頃でした。ジョミニは、どんなに時代が変わっても(たとえばどんなにテクノロジーなどが発達しても)、あるいはどんな場所や地理的条件においても、共通する「戦争の仕方」のエッセンス、つまり戦略の一般法則が存在し、人はそれを知ることができるし、それに基づいて、戦略を決定することもできる、などと主張しました。彼こそは、普通の意味での「戦争論」の父です。つまり「どんな風に戦争したからいいか、どう戦争すべきか」について語ることが可能であると主張し、また自らもその信念に従い、自説を「戦争論」として語った人です。そしてジョミニは、同時代人であり、先になくなったもののその遺族が編集した著作により、次第ヨーロッパ中に影響を強めていったクラウゼウィッツを、「永遠のライバル」として強く意識していました。実際に罵ったりもしました。
 ジョミニにひきかえ、クラウゼウィッツの主張はこうでした。国民総動員、全面対決、誰もが投入した戦力に見合うなにものも手に入れることのできない絶対戦争においては(もはや人は戦争する以上は、そんな具合に徹底的に戦争するだろうし、そうなってしまう他ない、というのがクラウゼウィッツの主たる主張です)、誰も勝利を得ることはできないし、また戦争においては原理的に「うまくやる」方法なんかはあり得ず、つまり「戦争の理論」は、戦争を分析し、戦争を構成する様々な部分とその結合をよりよく理解させることはできても、決して「戦争の処方箋」を書くことはできないだろう、と。総じてクラウゼウィッツは、戦争がどのようなものであり得るかを分析することで、ジョミニが主張したような「一般戦略論」が不可能であることを示していたのです。
 けれども、先に述べたように、クラウゼウィッツもまた、「戦争のやり方」を求める軍事理論家たちによって、まるでジョミニのように読まれることになります。たとえばMUSTを「〜であるにちがいない」としてではなく、「〜しなければならない」という風に読んでいくこと。クラウゼウィッツが「これからの戦争は、誰もが投入した戦力に見合うなにものも手に入れることのできない絶対戦争となるにちがいない」と書いているのに、軍事理論家たちはそれを「これからの戦争は、絶対戦争(国民総動員、全面対決な戦争)を行わなくてはならない」と読みかえていったのです。
 たかだか、「そのように生きた人があった」と告げただけのことば(自伝)が、例えば「人はこう生きなくてはならない」(人生論)へと読み違えられていったように。

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四運動の理論 新装版 上

2002/11/04 20:38

いま・ここの社会主義

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読みもしない人たちが、フーリエをユートピア主義者として片づける。
 確かにフーリエは現在の社会や文明を仮借なく批判した。自由放任の原則がドグマになったころ、街路に乞食を生み出してる国富(論)の美辞麗句の欺瞞も暴露し、また哲学者たちの理念にひきいられた革命そのものも批判した。
 フーリエは、理性だけが支配する社会だとか、すべての人を幸福にする文明だとか、無限に完成してゆく人間の能力だとかいう、思想家連中の魅惑的な約束や、イデオローグたちのはなやかな美辞麗句を、現実の物質的・精神的なみじめさとつきあわせた、とエンゲルスだって言っている。
 共通の理想を抱える「自覚した人間」ばかりが集まれば、理想の社会がつくれるなんて戯言は、フーリエから一番遠いものだった(そこでは粛正や内ケバが起こるだろう)。一つの共同体が、個人の人格と生活のすべてを包み込むのであれば、それがどんな理想や思想が指導しようと、かならずや圧制としての共同体になってしまうと、フーリエは指摘した。
 フーリエは、世の中のくつがえし(革命)も必要としなかったし、そのための「手段としての集団」をつくるつもりもなかった。経済的破滅という苦難の末に実現される理想社会なんて、気の長いおとぎ話を信じるなんて馬鹿げていた。エンゲルスは、空想社会主義者はプロセスを描けなかったが故に、「空想的」な成果(ビジョン)を描いたという。しかし常に繰り延べされる革命のプロセス、苦難を強いるプロセスよりも、フーリエの詳細なプログラムは今日のためのものである。
 モットーは「その時に享受せよ」だ。「決していまの幸せを将来の幸せのために犠牲にしてはならない。その時に享受せよ。その瞬間の諸君の情念を満足せしめない婚姻や利害のあらゆる繋がりを回避せよ。なにゆえ諸君は将来の幸せのために働くのか、それが諸君の願望に勝るがゆえにか。そうした秩序に繋がっていても諸君はただ不満を抱くだけであり、そのことが諸君が遍歴しなければならぬ無限の円環における享受に足るほどに日々の長さを倍にするわけではなかろう」(シャルル・フーリエ) 。

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紙の本方法序説

2002/11/04 00:05

哲学は、涙をこらえるのと同じくらい「難しい」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ウィトゲンシュタインは、哲学のむずかしさを「何かを断念する困難さ」だと言っている。彼のことばでいえば、「哲学は、涙をこらえたり、怒りをこらえたりするのと同じくらい」むずかしい。
 そしてこれは哲学書の「難解さ」とはてんで別の話だ。何故哲学書が「解り難い」かといえば(実に多い日本語未満の翻訳を別にすれば)、他の哲学書をやっつけようとするからだ。そのために自分以前の哲学の要約や曲解、批判や中傷を、哲学書の中に組み込むことになり、うじゃうじゃと入り組んだものになってしまうのだ。
 西洋の中世あたりには、「自分以前の哲学」は、「問題」の形になっていた。あらかじめ「問題」が用意されていて、これらの「問題」を考えることだけが、本当に考えること(哲学すること)とされていた。デカルトはそんなことはやらなかった。そうすることが「哲学すること」だとしたら、そんな哲学を「つづける」ことなどデカルトはしなかった。デカルトがやったのは、「つづける」こととは反対に、「はじめからはじめる」ことだった。
 彼は問題についての思考なんかでなく、自分がどうやって「本当に考えること」をはじめたか、どうやって「はじめる」に至ったかを書いた。「どうやったか」が彼の哲学であり、それ故にこの書には「方法」の名が与えられるだろう。そして、この本には、ダーウィンの『ビーグル号航海記』やレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』と同じく、主人公がいる。「はじめる」ために、振りほどかなくてはならなかったものと、振りほどくために必要だった旅や懐疑(それらはデカルトにとって一対のものだった)の記録がここにはある。デカルトは「難解」ではない。そして同時にそれは涙をこらえるとの同じくらいに「むずかしい」。なんとなれば、デカルトの懐疑は、「はじまり」にまで一旦立ち戻るために、うざったい伝統的哲学はおろか日頃親しみ慣れたものごとについてまで、不断の断念を(それは同時に決断でもある)を要求するからだ。

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「貧困」なんかもうこの国にはないと、あの頃ぼくらは思っていた

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いまの日本で「貧困」などを口にする人は、世界に(発展途上国に)目が行ってしまっていて、まるで日本は豊かであって貧乏などとは無縁であるかのごとく考えていた。今は昔。やがてバブルがやってきて、それがはじけ、人々は今後まず間違いなく、自分たちの親の世代よりも「貧しく」なろうとしている。
 ところが高度経済成長期とその前駆期間を通じて、日本の「低所得層」は増大し続けた。むしろその増大が、高度経済成長を準備し支えたとすら考えられるのである。
 この上中下巻の3巻物で、合計で1500ページはあるというシロモノ。内容はまたすごいものだ。この豊かなニッポンで、貧困を研究するというのがまずすごい。日本中を敵に回すようなものである。だから江口氏はそれを徹底的に実証的にやる。分厚い本の大部分が実証に用いられるデータと、加えてその分析法である。結論を読まなくても、時間さえ有れば読者が自分で確かめることができるようにだ。自分が調査に関わったデータ以外に、国勢調査など誰でも手に入れることができるデータを----これはこのままつかっても「貧困」など出てこないように調整されている----いかに、他の統計データとつき合わせて必要なデータを抽出するか、その具体的作業もまたこの本のかなりの部分を占める。
 要するに分厚いのには理由があるのである。
 貧困は「ない」のではなく「見えない」のである。たとえば交際にはいくらかなりとも金が費用がかかり、低所得なほど交際範囲・行動範囲が縮小する。逆の立場からすれば「目にふれなくなる」。加えて低所得者ほど、転居が頻繁である(住宅供給と都市構造)。おかげでますます「目にふれなくなる」。
 もっともっと知られていい本だと思うが(実際、触れられないだけで彼の方法はあちこちで用いられている節がある)、「貧困」を無いことにしようとする人たちは、この本ごと「無い」ことにしようとでもしているのだろうか。

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啓蒙とは何か 他四篇 改訳

2002/11/09 00:56

「あえて賢くあれ!」とカントはいう

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 啓蒙とは、かなり歴史的な偏見を帯びたひどい訳語だ。原語はAufkla"rung(英語だとenlightment)なのに、「啓蒙」とは誰かエライ人がバカをつかまえてほどこすことみたいに思われている(広辞苑で引くと「無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと」とあった)。
 どうしても「蒙(くらい)」をいれるなら、「脱蒙」(笑)と訳すべきだろう。Aufkla"rungとは自分でやるのである。でないと、表題作の最初の一節は理解できない。

「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである、ところでこの状態は、人間がみずから招いたものであるから、彼自身にその責めがある」(「啓蒙とは何か」)。

 ここでいう「未成年状態」というのは、本文で続いて説明されるように、他人まかせの状態、他人の指導を必要としている状態のことである。だから人から「啓蒙される」ような輩は、まさに「未成年状態」にとどまってるのであって、全然「啓蒙」じゃないのである。
 では、「未成年状態」にとどまってる原因は何か。それは、そいつがバカだからではなく、自分の悟性(アタマ)を使用しようとする決意と勇気を欠いているからである(とこれもカントが言ってる)。
 だから啓蒙の標語は、「自分の悟性(アタマ)を使う勇気を持て!」であり、「あえて賢くあれ!」である。

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紙の本大乗仏典 7 維摩経

2002/11/09 00:44

対戦につぐ対戦、見せ場満載。おそらく大乗仏典中、最高の傑作。

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 おそらくは大乗仏典中、最高の傑作。
 効力は、般若経に劣るかも知れないが(なにしろ今昔物語には、「般若経、くそったれ」と罵ったのに、それでもその経典の名前を口にしたんだからと、地獄に堕ちずに済んだおばあさんの話がある)、おもしろさは随一である。

 まずは出家してない在家の人、維摩居士さんが、有名なブッダの十代弟子を、それぞれの得意分野で、コテンパンにやっつける。
 それどころか、弥勒菩薩をやっつけ、光厳童子菩薩をやっつけ、持世菩薩をやっつけ、善徳菩薩をやっつける。
 痛快でドラマティックであるだけでなくて、反語的でかつクリティークな「法」の定義、「菩薩」の定義が、やさしくまくし立てる維摩のセリフ中にリストアップされていたりして、きちんとマニフェストにもなっている。
 そのあとも、維摩居士V.S.文殊菩薩という見逃せないカード(対戦)に、宇宙中から神様をはじめいろんな存在がうじゃうじゃ集まってくる。
 それまでの説法についてのテスト(笑)、これには各31菩薩がいろいろ述べたてるのだが、最後に文殊菩薩が「一切は無言、無説、無示、無識だよ」とそれら諸問答を一蹴する優等生な解答を示し、さらには維摩居士が、《なにもこたえない》ことで、文殊菩薩の答えの正しさといたらなさ、を同時にあばいてしまう超有名な入不二法門の下り。さらに、そこから十万世界を飛び回るは、神通力(サイキック!)を使いまくる、……と、ド派手な展開が続き、見せ場が絶えない。

 何でこんなに面白いのかと考えるに、演劇的な構成よりもむしろ、全編にちりばめられたクリティシズム(批評性)が、キラキラしているせいだろう(ここらへんがとっても大乗仏典だ)。「仏教なんてこんなもの」とタカをくくっている読み手を、これでもかこれでもか、とばかりに投げ倒す。
 こんなにおもしろいお経も、「○○経はすばらしい」と自身を褒めちぎるだけのお経たちに隠れて、あまり省みられなくなった。日本人はバカになったんじゃあるまいか?

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異常心理学

2004/03/17 12:39

いろいろ買うくらいなら、これ一冊を

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心の病について、いいかげんな本をいろいろ読むくらいなら、この本を思いきって買え。そして3度読んで、ここに載ってる言葉くらい使えるようにしとけ。学部レベルの教科書で、分厚いがすらすら読める。

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紙の本催眠面接の臨床

2004/03/17 12:37

悩みながら成長しようとしているすべての臨床家に

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人間心理および心理療法について「ずぶの素人」だった著者が、「日本一の名医」とまで言われるまでになったその経緯を、自らの手で書き記したもの。催眠療法がうまくいかず(難しい患者がつづいて)落ち込み、あるいは全快を伝えに最訪してくれた患者に感動し、さらに勉強への熱意をたぎらせる。 その文章の手は素朴だが、よき先達やよき患者に、ひとりの町医者が文字どおり育てられていく様に、深く感動する。
 悩みながら成長しようとしているすべての臨床家に捧げたい名著。

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「白毛女」は女の人が髪の毛が白くなるまで革命を戦い抜く、らしい

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現代中国で「人気」の連環画(絵物語)を、3冊分(「孫悟空」「白毛女」「東郭先生」)まとめたもの。いわゆる「ふきだし」などはなく、絵のとなりにセリフやナレーションが別の並べてあります。絵のタッチも実に中国していて楽しいですが、それよりもそのストーリーに喜びを感じずにはいられません。
 マンガを文字で説明するのは至難の業ですが、幸いにもそれぞれの物語冒頭に、「内容提要」なるものがついてます。今回はそれを利用させてもらいましょう。

 まずは1冊め。「孫悟空三打白骨精(孫悟空、白骨の妖精と三度闘う)」から。「本書は、我が国の神話小説「西遊記」の中から関係各章を改編して、仏教経典を求める唐僧を護衛してインドへ行く途中に孫悟空が人を食う妖怪 白骨精を討ち滅ぼすという物語を描いたものである。白骨精は三度化けて唐僧を惑わすが、そのつど孫悟空に見破られてしまう。唐僧は妖怪のペテンにひっかって、真偽を見分けられず、人間と妖怪をあべこべに受け取り、危うく命を落としそうになるが、最後にはこの事実の前に教育されることになる。この物語は、愛憎の区別をはっきりさせ、妖怪に出会えばすかさず闘い、機知に富み、勇敢であり、しかも不撓不屈の精神を持つ孫悟空を褒め称えている」。
 なんだか少し変です(笑)。三蔵法師は名前すら呼ばれず(唐僧よばわりされて)、徹底的に馬鹿にされています。それに対して、孫悟空はすごい持ち上げようです。

 では、次に「東郭先生」を紹介しましょう。
「この物語は、古代から伝わる中国の有名な寓話であります。東郭先生という、お人好しの教師が、自分の「善意」から、災難にあった狼を助けましたが、そのためにかえって、自分の命を落としてしまいそうな羽目に陥りました。東郭先生はこの事件の教育から、敵味方の区別無く、すべてのものに善意を持っておれば、必ず良い報いがあるという、おのれの誤った思想に対して、深刻な自己批判を行いました。所詮、狼は、それ以外の何者でもなく、狼でしかなかったのです。さて、現在の社会関係でも同じ事が言えるのです。我々労働者人民の敵階級は、所詮は敵でしかありません。彼らが自分の本身をかくすために、どんな装いをこらそうとしても、それが彼らの本質を変えてしまうことはできません。帝国主義、修正主義及び一切の反動派もこういう徒輩なのです。ですから、我々は常に敵階級に対する警戒心を高めなければならず、彼らと徹底的に闘いぬき、プロレタリア独裁を絶えず強化してこそ、社会主義建設事業の偉大な成果を更に打ち固めていけるのです」。
 お人好しの教師(インテリ)がここでも徹底的にやられています。東郭先生は結局、プロレタリアの猟師さんによって狼から助けられるのですが、さっきの孫悟空といい、なんだか傾向が少し分かってきました(笑)。

 あとの一つ、「白毛女」は、女の人が髪の毛が白くなるまで革命を戦い抜くという、ミュージカル仕立ての作品なのですが(笑)、登場人物はみんなどのシーンでも、バレイみたいに足を高く上げてポーズをとっているという、とても芸術性の高い連環画で、おそらくこの本の白眉でしょう。

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