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桐矢さんのレビュー一覧

投稿者:桐矢

67 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本デミアン

2001/03/29 10:36

魂を導く本

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 再再読である。はじめて読んだのは中学生だったろうか、高校生だったろうか。その時からデミアンとアプラクサスという名前が私の頭の奥底に住み着いた。
 そもそも、私はめったに再読をしない。読むべき、読みたい本がありすぎて、一度読んだ本を又読む時間が惜しいからだ。
 去年文庫本で見つけて再読し、感想を書こうとぱらぱらめくっているうちに結局もう一度読んでしまった。私の頭の中に住み着いていたアプラクサス(善悪併せ持つ神の名)は、思っていた以上に、私に影響を及ぼしていたらしい。お恥ずかしいことに、はじめて書いた小説(未刊行)のテーマがこの世は善と悪を併せ持つというものだった。その時は、自分なりのオリジナルな主張のような気がしていたが、これもアプラクサスのささやきだったのかもしれない。
 そして、再読で見方が変わった部分もある。最初に読んだときは、主人公のシンクレールを導き、生涯の友人ともなるデミアンを、私自身シンクレールと同調して読みながら、なかば神化していたらしい。今回読んで、人と違った「しるし」を持つデミアンが、どんなに孤独か、そして内面には悩みも矛盾も抱えていただろうと素直に思える。だから、デミアンがシンクレール(同じくしるしを持つ者)を見出したときの、喜びの大きさが実感として分かる。
 それにしても、ラストは、切なく、深く、感情をおもいきり揺すぶられる。この小説は、ただの自己実現に悩む青年の回想録ではない。善と悪だけでなく、思考と感情もまた、共存することが出来るのだ。

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紙の本詩人の夢

2001/03/29 10:57

待望の「紫の砂漠」の続編

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「紫の砂漠」の続編。
 一生に一度の「真実の恋」によって性別が分かたれる種族が、紫の砂漠を囲んで暮らしている。真実の恋人を亡くした主人公シェプシは、いまだ産む性でも守る性でもないまま、優秀な書記としてのぞまれながらも、詩人になることを選ぶ。
 一方、昔、この星に降り立った「神」の言葉が解明され、禁囲区域だった紫の砂漠が開放され、平和だった種族の間に争いがおこる。
 「紫の砂漠」よりももっとSF色が強く出ているような気がするが、物語はSFの言葉で語られないまま進む。ネタバレになるので、これ以上は言えない。
 シェプシは再び真実の恋に出会うことが出来るのか。これまたネタバレになるので、「読んでよかった」とだけ言っておこう。ラスト前8ページの切々たる叫びに胸を打たれた。
 登場人物のなかでは、争いを嫌うシェプシに
 「わたしはあなたのやり方考え方がとことん嫌いだ。だがその虫酸の走る性格ゆえに、多分あなたは書記の指導者にふさわしいのだろう」
 と言わせたメセジェル、あなどれない。

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紙の本ゲド戦記 1 影との戦い

2001/02/09 15:43

多島海、アースシーへようこそ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 わたしがもっとも影響を受けたファンタジー。
 異世界、魔法、剣、竜、大賢人、冒険……ファンタジーの定番が織り込まれ、古典とさえ言えるこの作品が今も繰り返し読まれるのはなぜだろう。
 「ゲド戦記1」は、大賢人にして竜王となった大魔法使いゲドの若かりし頃の物語である。主人公であるゲドは、傲慢で上昇志向が強く短気で、はっきりいって身近にいたら、普通あまりお友達になりたいようなタイプではない。そしてその傲慢が若いゲドを苦しめる事になる。禁じられていた魔法学校の生徒とのわざ比べで死霊を解き放ってしまうのだ。魔法使いとして独立した後も死霊の影はゲドの後をどこまでも追ってくる。
 一方、ゲドのただ一人の本当の友人、カラスノエンドウは正直でさっぱりしていて親切で本当にいいやつだ。カラスノエンドウも魔法使いとしてかなりの腕を持っているが、歴史に残る大賢人になるのはゲドの方だ。
 偉大な魔法使いは光も闇も自らのうちに持っている。光が強ければその分だけ闇が濃くなる。傲慢で上昇志向が強いゲドは同時に、強大な意志の力を持ち、飽くなき好奇心に胸を躍らせ、真理への困難な道を進む事をためらわない希有な若者でもある。
 いくら美しく楽しく光を描いても光が落とす影まで描かなければそれはただの絵空事でしかない。この物語が人を引き付けるのはその影の深さゆえかもしれない。
 もちろん前提として、異世界をこれだけリアルに緻密に描き出せる筆力があってこそであることは言うまでもない。
「ことばは沈黙に、光は闇に、生は死の中にこそあるものなれ」

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紙の本虚無回廊 3

2001/02/09 15:19

SF最先端

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 首を長くして待っていた長編SFの3巻が出たので、1・2と合わせて読み直した。
 虚無回廊1は一人の「私」の死から始まる。「私」は意識を持った機械…人工実存…AEを生み出した科学者、エンドウヒデオ。そのころ、彼の意識をモデルに作られたもう一人の「私」…AEの乗ったロケットは、地球の5・8光年先にぽっかりと浮かぶ円筒形の巨大な物体…SSにようやくたどり着こうとしていた。
 『果てしなき流れの果に』もそうだったが、物語の時間軸が複数あって、一巻の途中ですでに、一人の「私」の物語は終わっている。二巻以降は、AEの「私」が主人公となるが、まだ完結していないので、二つの時間軸がどのように交差することになるのか楽しみだ。
 AEの設定が面白い。自由意志を持ち、人間のよき仲間となりえる存在。例えば、エンドウはAEに性欲を持たせるべきだろうかと悩んだりする。だが、生物の定義通り、自己修復、自己改良、自己複製のシステムを持ちながら、肉体という有限の容器をも超越したAEはすでに機械でも生物でもなく、魂そのものなのかもしれない。つまり、時間と場所と生物的限界にしばられた肉の器から、もし意識だけが解き放たれたとしたらという究極のifが一つのテーマになっている。
 さらにAEは、複数の見方をしたほうが問題解決に役立つという理由で、自分自身の中に複数の人格を作り出す。この発想がすごい。
 二巻以降SSに到着したAEは、さまざまな知的生命体と出会う。異なるシステムを持つ生命体同士で交わされるコミュニケーションが、これまた興味深い。
 そしてこの三巻でいよいよ、SSにやってきた知的生命体達が一堂に会して話し合うことになる。
 だがまだすべてのなぞは解明されていない。SSとは何か。精神とは何か。異質なものとコミュニケーションするということは? そして宇宙における知的存在の意義とは? さまざまななぞを残しつつ、わたしとしては、地球に残された女性型AE、アンジェラEの存在が物語のキーポイントになってくるような気がするのだが…。続巻を待ちたい。

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紙の本果しなき流れの果に

2001/02/09 15:12

マイベストワン

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は私のベストワンである。
 ストーリーは、現在過去未来を行き来し、20人を越す登場人物の思惑が絡み合い、一口には語れないほど複雑だ。にもかかわらず……これがこの作品のすごい所だが……完璧なまでに緻密に組み立てられている。まるで、1センチ1ミリまで計算し尽くされた壮大な宗教建築を見ているようだ。
 そう、これは確かにSFならではの宗教建築なのだ。SFの定石通り、時間テーマ、進化テーマ、宇宙テーマを扱っている。そして、作者は「人は、なぜ人としてここにいるのか」という永遠の問いに対して超意識体の言葉として答えている。人を超えたものによって俯瞰した位置からでなくては見えないものがあるのだ。そこからの構図をとれること、これがSFの本当の強みかもしれない。
 そしてこの作品に流れる無常感はまぎれもなく東洋的な感覚だ。全てが明らかになり、鮮やかなパズルの最後の一つが完成したその瞬間全てが無と化す。色即是空。空即是色。それなのに、人はなぜ知りたがるのだろう。
「彼の心、特に「雄」の中に生まれる、ほとんど非合理的な衝動、知的な好奇心というもの、見方によっては何の役にも立たないもの…」
 その「役にも立たないもの」が、文明を進化させ、科学を発展させ、文化を築いてきた。人を突き動かしてきた好奇心が、人そのものであるのかもしれない。「果てしなき流れの果に」あるものを知りたくて。

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紙の本死の泉

2001/03/29 11:09

圧倒的な読後感…

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 ページを開くと音楽が聞こえてくる。変声前の澄んだ声を持つカストラート、去勢された男性歌手。美しい双子の姉妹。古城の地下に広がる岩塩の洞窟。それらが、多重に絡まり合って幻想的な物語を紡ぐ。そして、ナチスによって行われた忌まわしい人体実験の記憶。
 舞台は、大戦中と、その後のドイツ。激動する運命に翻弄されるマルガレーテ。そして、ナチスの医師クラウスに、美声を愛された少年、エーリヒ。戦争というあまりにも大きな流れの前に良心も善人も悪人も飲み込まれていく。
 マルガレーテが、少しずつ狂っていく様子が、哀しい。美しく幻想的な物語でありながら、緻密に構成されている。
 惜しむらくは、この物語は、ドイツ人作の小説を翻訳したという形式になっているのだが、そのあとがきのほんの数ページで、今まで緻密に組み立てられて来た全てが読者を嘲笑うかのように、崩れてしまう。読者を混沌と恐怖の内に陥れるのが目的なら、立派にはたしたといえるのだろうが、個人的好みとしては、気持ちの悪い、居心地の悪さが残った。それでも、ページを閉じた後も、頭の中の音楽は鳴り止まなかった。

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紙の本絵の言葉

2001/03/03 11:16

絵は万国共通?ほんとうに?

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 外国語は知らない人には理解できないけれど、絵なら、万国共通。本当にそうだろうか? 日本語の分からない外国人でも、書道を絵としてその形を鑑賞することは出来る。同じようにたとえば日本人が17世紀の西洋の静物画を見るとき、その「意味」を知らずに形だけで鑑賞しているのではないだろうか。
 絵にもそれを「読み解くための言葉」がある。絵の言葉、アイコノロジー(イコノロジー)=描かれた図像の意味を研究する学問について、古今東西さまざまな実例をあげながら、軽く読みやすい対談形式で真相に迫る。
 たとえば、時間を表現するのに、西洋では左が過去、右が未来になるのに対して、日本では逆だ。
 哲学などという抽象的な概念さえも、それを表す表現がある。
 そのほか、さまざまな神話や文化に支えられたシンボル体系・アレゴリー。
 日本で絵とは「情景や情感」を鑑賞するものとしてやってこれたのは、背景(文化的・地理的)を共有しているからではないかという考察が興味深かった。世界を征服した西洋キリスト教的価値観は背景そのものも一緒に植民地に持ち込んだし、価値観を異なる者に伝えるための論理(ロゴス)による体系がしっかり作られていたのだ。
 あるイデアなりイメージなりを想起した芸術家がそれを作品に描き(書き)おこし、作品を見た(読んだ)鑑賞者の内面にイデア・イメージが想起される。そこまでを「芸術」の一つの流れと仮定すると、芸術家のイメージと鑑賞者のイメージは全くかけ離れたものにもなり得る。少なくともかけ離れている可能性があると、知って鑑賞することで、世界が違って見えてくる。
 本書は初版が25年前だが、少しも古びていない。

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紙の本預言者

2001/03/03 10:18

珠玉の言葉を味わいたい

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 予言者は、未来を予言する者で、預言者は、神の言葉を預かる者のことだ。預言者、アムスタルファが人生のさまざまな場面について語った珠玉のような言葉が散文詩の形式で綴られている。へたな解説をぶつのはやめて、一部を引用する。

結婚について
「愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。(中略)お互いの杯を満たし合いなさい。しかし、同じ一つの杯からは飲まないように。(中略)一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。しかし、お互いに相手を一人にさせなさい。ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、同じ楽の音を奏でるように」

子どもについて
「あなたの子は、あなたの子ではありません。(中略)あなたの家に子どもの体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子どもの魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢の中にでも、そこに立ち入れないのです」

施し(ほどこし)について
「施しを受ける人たちよ。…およそ、ひとはみな、受ける者。…重んじすぎてはならない。感謝する事を。自分にも施す人にもくびきを負わせないように」

自由について
「暴君を廃絶したいというのなら、まず見てください。あなたがた自身のなかに据えられてきた暴君の玉座が砕かれたか否かを」

善と悪について
「あなたは善。(中略)しかし、あなたが強く速いとき、足の弱いひとの前でわざと足を引き摺らぬように。それが親切なのだなどと思い込んで。(中略)憧れの激しい者が、そうでない者に向かって、なぜ君は遅いのか、なぜ立ち止まるのか、などと言わぬように」

 まだまだ引用したいが、これくらいにしておく。
 作者、カリール・ジブランは、レバノン生れの、詩人、哲学者、画家。最初アラビア語で書かれた『預言者』は、作者の手で英語に書き直され、世界中の三十カ国以上で出版されている。ちなみに、本の中身はクリーム色の上質紙で、表紙は黒い布張りに金文字の製本である。(850円の携帯版もある)

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紙の本薄紅天女

2001/02/22 23:58

勾玉三部作完結編

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 流れは複雑に入り組み、絡まり、そして読み終わったとき振り返ってみると、織りなされた作品の緻密さに感服してしまう。
 勾玉シリーズ三作目。
 シリーズに共通するタイプがある。男の子キャラは、一見超然としていて、でも天然ボケがかわいい。女の子キャラは活発、感情の幅も大きい。阿高と苑上がそういう子達。
 今回は阿高がそうなのだが、人の力に余る力を持たされて生まれてきてしまったことへの深いあきらめと重みがいつもある。そして、勾玉ストーリーだからかもしれないが、女の子が彼を支えて、癒す役。
 脇役も魅力的だ。藤太。チキサニ。そして、田村麻呂、賀美野、安殿親王など歴史上の人物も登場する。平安時代の枠組みを借りていながら、悩み成長する主人公に感情移入して違和感がない。
 主人公の成長の仕方は、空色勾玉と同じだ。男の子は、何も知らずそして知ったことで苦しみ、超えて、豊かな存在へ。女の子は、初め女でもなく男でもなく子供の状態から、男の子に会い、反発しながらも、彼を救うことで、女である自分を認めることが出来るようになる。
 そして、いつもハッピーエンドなのがいい。
 それにしても、今回で勾玉の力は天に帰ってしまったし、勾玉ストーリーは完結ということで、もう読めないのが残念。

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紙の本記憶の果て

2001/02/22 23:45

好きになる人はものすごくはまります

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 第5回メフィスト賞受賞作だが、賛否両論あるようだ。ストーリーはともかく、主人公の独白で進行し、自虐的に悩み続け、苦悩と傷痕をさらけ出すようなこういうものを受け付けない人もいるのだろうが、わたしはすごく好きな世界だ。
 ストーリーは、主人公安藤直樹の父親が自殺したその朝から始まる。脳の研究をしていた父親がのこした一台のコンピューター。あたかも意志をもつかのように会話し、自分を安藤裕子と名乗るこのコンピューターはIE(人工知能)なのか? なぜ父親は裕子と名付けたのか? そもそも人工知能とは? 意識とはなんなのか? 裕子の正体を探るうちに直樹は自分自身の出生の秘密に向き合うことになる。
 直樹が友人の二人と過ごす何気ないシーンもいい。理屈っぽい金田は京極堂をほうふつとさせる。ならば直樹は関口君か。わたしは、こういう自虐的なキャラクターがよっぽど好きみたいだ。
 作者は弱冠19才。どうりで若者同士の会話が自然だ。だがここまで書き上げる実力は19才とは思えない。

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紙の本木かげの家の小人たち

2001/02/22 23:38

リアルの中のよりリアルなファンタジー

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 初めて読んだのは、小学校高学年か、中学生くらいだったろうか?
 児童文学の傑作であるけれども、決して、子供向けに媚びてはいない。読み返してその思いを強くした。
 物語は太平洋戦争のすこし前から始まる。
 「美しい心」を求めて日本に渡ってきた英国婦人が、日本の心が忘れ去られていくのを悲しみながら故国に帰ることになったとき、森山家に預けていった四人の小人たち。小人たちは、人間の運んでくるミルクがないと生きていけない。だが、時代は刻々と戦争へ向かっている。イギリス生れの小人たちを大切にしているゆりを腹ただしく思う兄。非国民として警察に連れてゆかれてしまう父。疎開したゆりは熱を出し、空色のコップにミルクを入れて運ぶことができなくなってしまう。思いを引きずりながらもゆりの元を出て行く小人たち。
 回復したゆりは、小人たちが帰ってきてくれる事を祈りながらミルクを運び続ける。
 舞台は戦時中であり、不穏な時代だ。底辺に流れるテーマは決して軽いものではない。それでも、子供のときに読んだわたしが今でも思い出すのは、小人のアイリスが編んでいた虹色のクモの糸であり、ミルクの入った空色のコップであり、小さなかばんや靴や、本にかこまれて本棚の一番上で暮らしている小人たちの足音なのだ。戦時中というリアルにかこまれたファンタジーが何よりもリアルにわたしの中に残っているのはなぜだろう。
 この作品を子供の頃に読めた事を感謝している。

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紙の本ゲド戦記 3 さいはての島へ

2001/02/09 15:47

円熟と若さと

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 ゲド戦記3巻目。ゲドはいまや中年を過ぎ初老の円熟を迎えている。魔法学院の長であり、大賢人でもある。実質的にアースシーをその手に全て治めていると言ってもいい。
 今回のもう一人の主人公は、若き王子アレンである。宮廷の作法と歌や踊りを知っているということと、王の血を引くものであるということ、そして若いということそれ以外にはとりたててなにが優れているわけではない。その身にあまる誇りを持ち、かつ臆病で、向こう見ず。そんな若者を最後の旅のただ一人の供として、ゲドはさいはての島を目指す。
 ゲドはむやみに魔法を使わない。世の中の均衡を保つ事の大事さを知っているからだ。
「何もなさいますな。そのほうが正しいことあり、ほむべきことであり、りっぱなことでありますゆえ。なさらねばならぬこと、それしか道がないこと、ただそれだけをなさいますように」
 それはかつてゲド自身が賢人達に言われたことであった。今はそれをゲドが言う。若く愚かだった頃のゲドを思うと、分別くさい今は物足りないような物悲しいような気分にもなる。多分それは私が30をもう過ぎたというのにまだ青く若いからなのだろう。まだしばらくはそういう境地になれそうもない。
 今回、いかだに乗って一生を暮らす海の民とのシーンが幻想的かつリアルですばらしい。
 そして最後は愉快で壮大な大円談で物語は終る。ゲド戦記4が書かれるのはずいぶんと間があいてからだ。

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紙の本ゲド戦記 2 こわれた腕環

2001/02/09 15:44

その身にあかりを!

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 ゲド戦記2巻目のこの作品ではゲドは二十代後半か三十代になっている。すでに1巻で影との統合を果たし、その後竜退治もした大魔法使いである。この作品では、伝説のエレスアクベの腕輪を取り戻しに神殿の地下の迷宮に侵入する。
 今回は一貫して、「食らわれし者」であるテナーという少女の目線で語られている。ゲドが登場するのは半分近く過ぎてからだ。テナーは、闇の神々を祭る神殿の大巫女。「あなたさまは食らわれし者。中身は名なき神々にささげられました。もうなんにもないのでございます」年長の巫女から繰り返しこう言われて育つ。
 人間として生まれながら、中身がない空っぽであるということはどういう状態なのだろう。この作品ではゲドはもう血気盛んな若者ではない。自分の力を信頼しつつその限界(魔法使いの、人間の)も知っている。ゲドはテナーに言う。
「あんたはたしかに邪なるものの器だった。だが器はあけられた。ことは終って邪なるものはその自らの墓に埋められたんだ。(中略)あんたはあかりをその身に抱くように生れてきたんだ」
 作者の願い……全ての人がその身にあかりを抱く事……をわたしも同じく願いたいと思う。

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紙の本火怨 北の燿星アテルイ 上

2001/03/15 16:33

判官びいきのつぼ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時は平安時代、東の果てに住む蛮族、蝦夷(エミシ)は、長い闘いの末、征夷大将軍、坂上田村麻呂によって制圧される。そして、最後まで抵抗した頭領、阿弖流為(アテルイ)は都で斬首刑になる。…とここまでは史実として明らかになっているから、歴史物は、読み進んでいて感情移入するほどつらくなる。主人公の行く末が決まってしまっているのだから。
 ヤマトタケル、源義経などと同様の、志半ばで散った不遇の英雄への贔屓目…をぬかしても、主人公の阿弖流為(アテルイ)は魅力的だ。冒頭、まだ年若い阿弖流為は、蝦夷の決起を密告しようとして裏切った男を、身を賭してかばい、かけがえのない腹心を得る。読者を落とすつぼが、なんとも上手い。
 そして、かたい信頼で結ばれた仲間と共に、数の上では圧倒的に劣る蝦夷が、奇襲作戦で何度も勝利を手にする。
 本書は、制圧された蛮族側から描かれた戦の記録の物語でもある。

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紙の本わがままな脳

2001/03/15 15:54

ひざ突き合わせて最新の脳の話を

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 口語体で読みやすいし、面白かった。
 脳科学者で認知神経科学専門の著者が、脳と心にまつわる話を「大学生になりたての方や高校生を相手にひざを寄せつつ話す」ような感じ。大学の講義では脱線につぐ脱線ばかりという著者のキャラクターがうかがえて楽しい。
 読みやすいが、内容は今最新の研究が取り上げられている。絶対に再生しないといわれていた脳細胞が生後も増えることがあるというのもごく最近分かったことだ。
 著者は、自分とはなにものなのかという問いに取りつかれて以来、哲学にその答えがあるものと思って探しつづけた。だが、得た答えは、そんなことは誰にも分からないというニヒリズムの境地だけだった。本人いわく「哲学にずっと恋していたのに、ふられた」のだそうだ。
 そして、その情熱は、最新の脳科学に向けられることになる。
 まだ手探りの段階とはいえ、脳科学なら、「自分とは何か」「意識とは何か」「なぜ人を殺してはいけないのか」「愛とは? 」「宗教とは?」などの問いの答えになる手がかりがある。これは、驚くべき事だ。
 しかしこれをもって著者が唯物論者であるとは言いきれないと思う。「いまだに哲学にじくじくと未練を持ち続けている」そうだし。
 並外れて、好奇心が強く、問いへの答えを情熱をもって探しつづけている…その姿勢に共感した。

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