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  3. ちかげさんのレビュー一覧

ちかげさんのレビュー一覧

投稿者:ちかげ

14 件中 1 件~ 14 件を表示

紙の本手紙

2006/12/17 10:43

本を読むことの意味を思い出す作品

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品には、犯罪加害者の家族(直貴)を中心として、それを取り巻く周囲の人々、犯罪被害者の遺族、さらには犯罪加害者自身の苦悩までが描かれています。作中では、直貴が進学・恋愛・就職という人生の表舞台に立とうとするたびに、「犯罪加害者の親族」という現実が立ちはだかります。そこでは、差別がいけないことだと認識しながらも自己の家族を守るために差別を繰り返してしまう人々の苦しさ、自分が罪を犯したわけではないのに差別され続ける直貴の悔しさが克明に、何度も何度も描かれています。それこそ「お願いだから、もう書かないで!」と叫びたくなるくらいに何度も何度もその現実が描かれています。ぼくはその度に、悩み考えました。「どうすれば直貴は救われるのか」「どうすれば世の中から差別がなくなるのか」「差別ってどうしていけないのか。本当にいけないことなのか」。批判を覚悟のうえで言わせていただくなら、ぼくは正直、直貴のことを差別してしまう人々の気持ちも理解できてしまうのです。でも、それと同時に「やはり差別は決してしてはいけないことだ」とも思うのです。ページを読み進めるごとに、ぼくの中ではいろんな葛藤が広がっていって、ほんとうにつらくなりました。そして、そのつらさはこの本を読み終えた今でもぼくの中で続いています。ぼくの中では、いまだにその答えがでないのです。物語の終盤で直貴がした決断が正しかったのかどうかも、いまだにぼくには分からないのです。
でも、思うのですが、ぼくはこの本を読んで、いろいろなつらい場面を想像して、いろいろなことを考えて、なんだか少し温かい気持ちになれたような気がするのです。それは確かな感触ではなくて、ぼんやりとした蜃気楼のようなものなのだけれど、それでも、そう思えるのです。
私事で恐縮ですが、ぼくがまだ小さかった頃、母が毎晩のように枕元で本を読んでくれました。それは確か、童話だったりディズニーであったり児童文学であったりしたと思います。そして、母とその本について、簡単にではあるけれどいろいろと話をした記憶があります。本の具体的な内容はもう忘れてしまったけれど、それでも母が毎晩のように本を読んでくれた、という記憶はぼくの中に今でも生き続けていて、ぼくの大切な大切なものとなっています。だから、そういう大切な経験があるからこそ、ぼくは今でも本が大好きだし、本を読んでいろいろなことを想像したり、考えたりできるのだと思います。いま、テレビのニュースなんかを見ていると、さかんに「いじめ」の問題なんかが取り上げられています。ひょっとしたら、もっとみんながたくさん本を読んで、いろいろなことを考えて、人の気持ちを考えられるようになったら、「いじめ」ももっと減ってくれるんじゃないかなと思ったりもしてしまうのです(もちろん、それはぼくの中の漠然としたイメージであって、何か科学的な根拠があるわけではないのだけれど)。
だから、ぼくは本当に世の中のお母さんたちに(これからお母さんになる人たちも含めて)お願いしたいのです。どうか、子供が寝る前の十分でいいから、本を読んであげてください。そして、その本についてお子さんといろいろな話しをしてくださいと。そうすれば、きっと豊かな大人に成長してくれると思うから。

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紙の本グレート・ギャツビー

2006/12/09 01:48

フィッツジェラルドの伝えたかったこと

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今回の『グレート・ギャツビー』については色々と書評が出ていますが、その大部分は「村上春樹さんの翻訳」についてのもののようなので(『グレート・ギャツビー』自体もう何十年も読み継がれている作品なので当然といえば当然なのですが)、ぼくはあえて『グレート・ギャツビー』の内容を中心に感想を述べさせて頂こうと思います。
ぼくはこの『グレート・ギャツビー』を読み終えて、正直なところ少し(というか「かなり」というか)混乱してしまいました。それは、この作品のなかではいろんな価値観が並列的に提示されていて、著者の主張したいことがよく見えなかったからです。例えば、この作品のなかには西部出身の者が東部に憧れて地元を離れることが描かれているのですが、だからといって東部を美化しているわけでもなく、かといって西部を美化しているわけでもない(と、ぼくには読める)し、また夢を求めて先へ先へと突き進むことへの危惧感や不安感を示しているようにも読めるし、そうかと思えば「明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差しだそう」と述べたりもしている。その他にも、いろんな意味で対立する価値観が対等に並列的に記述されているのです。
それでぼくは必死になって考えました。フィッツジェラルドは一体ぼくたちに何を訴えたかったのだろう。何を主張したかったのだろう。それこそ、夜も眠れないくらいに考えました。それで、ぼくが出した結論は「フィッツジェラルドはぼくたちに考えること」を訴えたかったのではないか、ということです。著者が主張しているからとか、一般的な価値観はこうだからとか、そんなことじゃなく、君たちは自分の頭でどういうふうに考えるんだい? ということをフィッツジェラルドは伝えたかったのではないでしょうか。それは、「いろんなものごとをとにかく公平な目で眺めよう」というニックの視点にも合致するように思うのです。
あと、一応村上春樹さんの翻訳についても簡単に意見を言わせて頂くとすれば、村上春樹さんの感性が十二分に味わえるすばらしい訳だと思います。そして「訳者あとがき」がまた素晴らしいと思います。
以上のように、『グレート・ギャツビー』の内容面を中心にぼくの感想を書かせて頂きましたが、ぼくは文学者でもないし、専門家が書いた評釈等もろくに読んだこともないので、ひょっとしたら全然見当違いの書評を書いてしまったかもしれません。ひょっとしたら、「こいつ、何馬鹿なこと言ってるんだ」と思われる方もおられるかもしれません。どうかそんなときは「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだ」と思って許してやって頂ければ幸いです。お願い致します。

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紙の本秘密

2006/12/07 10:08

「藻奈美」のその後

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品を読み終えて、ぼくはひとりでぽたぽたと泣いてしまいま
した。そして、同時に「もう、この本は二度と開きたくない」と思
いました。それは、この作品に登場するすべての人が、平介であ
り、直子であり、藻奈美であり、あるいはそれ以外のすべての人
が、あまりにも哀しすぎるからです。あまりに哀しすぎて、生きる
ことがつらく感じてしまうからです。
ぼくはこの本を読み終えてから、「藻奈美」のその後の人生につい
て考えました。そして、またぽたぽたと泣いてしまいました。これ
から先、おそらく「藻奈美」は祖父・三郎や父・平介の死に直面す
ることになると思います。そのとき、「藻奈美」はどんな気持ちで
その事実に立ち向かうのでしょうか。それは、とてもつらく、厳し
いことだと思います。あまりに哀しいことだと思います。でも、き
っと「藻奈美」なら、その現実に、真摯に誠実に、立ち向かってく
れることだろうと思います。それは、すごい力だと思います。すご
い勇気だと思います。
そう考えると、「もう一度、この本を開きたい」と思うようになり
ました。たぶんぼくは、生きることにつらくなったとき、何か哀し
い出来事があったとき、その度にこの本を開いて、生きる勇気をも
らうと思います。

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紙の本ひとり日和

2007/02/28 12:15

生きることの寂しさ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この物語で描かれているのは、都会で暮らすごく普通の女の子の、ごく普通の日常です。何か変わった事件が起こるわけでもないし、特に変わった人が登場するわけでもありません。
主人公の女の子には、お母さんがいます(離れて暮らしているけど)。一緒に暮らす親戚のおばあちゃんもいます。アルバイト先の仲間もいるし、彼氏だっています(別れるけど)。でも、それでも彼女は孤独です。とても疲労しています。自分で望んだ都会での生活なのに、どこか満たされない気分でいます。「追うものなどなく、去っていくばかりに思えるのに、わたしの心はあせっている。ピアノをめちゃくちゃに、叩くように弾きたい。箪笥の中の洋服を全部燃やしたい。指輪や、ネックレスやら、ビルの上から投げ捨てたい。煙草を一度に十本吸いたい。そうしたら、振り切れるだろうか。ちゃんとした生活など、いつまでたっても自分にはできない気がした。手に入れては投げ出し、投げ出され、投げ出したいものはいつまでも一掃できず、そんなことばっかりで人生ができている」と思ったりします。
女の子にはある癖があります。出会った人のちょっとした物をこっそり盗んでは、それを自分の靴箱にしまっておいて、たまに眺めてその人のことを思い出す癖です。女の子はそうすることで、そのようにして他者と自分との繋がりを保つことで、その漠然とした寂しさから逃げだそうとしているのだと思います。彼女のまわりにはいろんな人がいて、客観的にみると、どうして彼女が孤独で寂しいのかが理解できないかもしれません。でも、彼女は確かに「寂しい」と感じているし「死んでしまいたい」と思っています。ぼくには、その理屈では説明できない「寂しさ」がとてもリアルに感じられました。ぼくはこの本を大学の図書館で読んでいました。まわりにはいろんな人がいました。資格試験か何かの勉強を一生懸命にしている人。本を読んでいる人。携帯電話を触っている人。隣の人とコソコソと喋っている人。ひたすら眠っている人(その人はぼくが図書館にいる間、ずっと眠り続けていた!)。でも、みんなそれぞれ自分の世界を構築していて、まわりにいる他の人になんて、これっぽっちも関心を払っていないんですね。ちょうどぼくがこの本を読み始めたのは夕方の五時くらいで、窓の外は夕闇が広がろうとしている頃でした。その情景はこの物語で描かれている世界観ととても似ていて、ぼくは思わず泣き出したくなってしまいました。そして、「ああ、そうか。これが現実なんだ」と思ってしまいました。
この物語の中で主人公の女の子は、最終的には、新しい生活へと向けて歩き出します。この女の子がもう「寂しい」と感じることがなくなったのか、それともやっぱり「寂しい」と感じ続けているのか、それは分からないけれど、それでも、感受性豊かな女の子が自立して生きていける、そんな世の中であって欲しいと強く願います。そしてそれと同時に、「ぼく自身、もっともっと強くたくましく生きていこう」と思いました。
最後に、この本の帯に石原慎太郎さんの芥川賞選考会後のコメントとして「非常にビビッドで鮮烈、素晴らしいと思った」と記されていますが、確かにその通りだと思いました(ぼくと石原慎太郎さんの感性が合うことは珍しいので、これまた新たな発見です!)。

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紙の本白仏

2007/06/13 17:45

現代文学のなかにあって希有な作品

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1999年度のフェミナ賞受賞作です。
この小説の読み方については、巻末のカンタン・コリーヌさんの評釈にも記されているように、複数の可能性が考えられると思います。主人公稔の生涯を描いた物語、人間の情愛、無情、記憶の儚さ、あるいは明治・大正・昭和と日本が歩んできた近代史としての物語……等々。でもそういった様々な可能性のなかで、この作品を語るうえにおいて避けて通ることができないのは、やはり「生と死」の問題ではないでしょうか。この作品において「生と死」の問題は、冒頭から結末に至るまで繰り返し描かれ、問われ、論証され、そしてまた反証されています。
このような「生と死」の問題は、文学の最も古典的なテーマであり、古くから何度も何度も文学作品のなかで描かれてきました。もちろん、何度描かれてもその答えがでるはずもないのでしょうが、でもあまりにも頻繁に描かれるテーマだけに、このテーマを扱うことは現代においては非常に困難になっていると思います。あまりに何度も何度も、繰り返し描かれているテーマだけに、余程うまく描かなければ、それは読者の目に陳腐に映ってしまうからです。
その点、この作品は驚くほど見事にこの古典的テーマを描いていると思います。まず、明治・大正・昭和を生きた主人公の人生を通して(しかも、日本の近代史を丁寧かつ効果的に引用しながら)、何度も「生と死」の問題を問いかけているため、長い時間をかけて人類が思い悩んできたテーマとしての「重さ」を表現することに成功しています。また、余計な装飾のない文章がとても美しいため、現代作家の小説というよりも、むしろ今よりも日本文学が盛んだった頃の作家が書いた古典的作品としての「落ち着き」を出すことに成功しています。
この作品は、日本の一地方を舞台としたごく限定された地域の物語ではあるけれども、人類全般の普遍的テーマを見事に描ききった、そういう意味で現代文学のなかにあって希有な作品ということができるのではないでしょうか。

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紙の本神の子どもたちはみな踊る

2007/06/06 23:20

村上春樹さんの今後の小説に対して意義を有する作品

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹さんは大鋸一正さんのインタビュー(「ユリイカ」臨時増刊)に対して、自身の小説観、あるいはこの作品集自体について興味深いことを言っています。
まず、自分が短編小説を書く目的について「ひとつは、これまで長編小説には書ききれなかったマテリアルを用いることであり、もうひとつはこれからの長編小説で使いたい手法を実戦的に試してみることです」と述べています。そのうえでこの作品を書き上げた感想として「これまでに使ったことのない筋肉をかなり存分に使ったという、フィジカルな手応えはあります。そしてこの手応えはおそらく、次の長編小説に持ち込まれるだろうという予感はあります」と述べています。
確かに、この作品集で描かれている登場人物はこれまで村上春樹さんが描いてきた人たちとは少し感性が違うし(ただし、心に満たされない部分を抱えているという点では、本質的な違いはないようにも思いますが)、作品の視点としてもこれまでの一人称から完全な意味での三人称に移行しています。そして、この作品のこのような特徴は、村上春樹さんが前記で述べているように、その後の「アフターダーク」(長編)や「東京奇譚集」(短編)にも影響を与え、持ち込まれているように思います(もっとも、「海辺のカフカ」はむしろ従前通りの村上春樹さんの手法に近いと思いますが)。
僕は正直なところ、この作品集以後の村上春樹さんの小説に対しては、自分のなかで消化しきれずにいるところがあります(「自分のなかにある引き出しの、どの段に仕舞えばいいのか分からない」という感じ)。その原因が僕自身にあるのか、あるいは村上春樹さんの小説自体にあるのか(ものすごく失礼なことを言っているのは認識しています。本当にごめんなさい…)分からないけれど、それでも僕は村上春樹さんが新しい小説を発表するたびに、この作品集を読み返し、消化を試みてみようと思います。この作品集が、村上春樹さんのこれからの小説との関係で、何かおおきな意味を持っているような気がするから。
「これまでとは違う小説を書こう」「夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめていることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても」──
この作品集に、村上春樹さんの強い決意のようなものを感じてしまうのは僕だけではないと思うのです。

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知的財産法に関する深い理解を得られる良書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

知的財産法の権威である中山信弘先生の執筆によるものです。
まず、この本の構成としては知的財産法の意義や重要性から各国の制度との比較、また特許権の生成過程からその運用や侵害に対する救済方法等までが幅広く記載されています。つまり、この本を最初から最後まで読むことで、特許法に関する知識がひととおり身に付くように構成されています(もっとも、この点は本書が知的財産法の基本書である以上、当然といえば当然なので特筆するほどのことでもないのかもしれません)。
本書の内容上の特徴として特筆すべきことは、まず第一にその論述の厚さにあると思います。本書は知的財産法に関する基本論点について一通り解説してあるのですが、特に重要な問題点については、学術論文に匹敵するくらいのスペースを割いて解説が加えられています。判例の引用や注釈書の引用も豊富なので、「本書を読みながら隣で判例集を調べる」といった負担も少なくて済むのではないでしょうか(もちろん、学習態度として常に判決原文にあたることが望ましいのは言うまでもありませんが)。また第二に本書は前述のように知的財産法の権威である中山先生の執筆によるものだけあって、近年の知的財産制度改革に関する問題意識を強く滲ませる内容となっています。例えば、損害論の箇所ではそれまで日本の損害賠償理論では考えられてこなかった懲罰的賠償的な視点が示されていますし、また紛争の一回的解決の見地から裁判所が特許の有効・無効についても判断してしかるべきではないのかという視点等も示されています。これらは、実際に知的財産制度改革に携わってきた著者だからこそ示すことのできる視点ではないでしょうか。
これに対して本書の欠点としては以下の点を挙げることができると思います。まず何と言っても本書は平成12年の出版によるものだけあって最近の法改正や判例に対応していないという点が挙げられます。第二に、上記でも指摘したように本書は他の基本書と比較して論述の厚さが充実しているのですが、それは裏を返せば「初学者にとってはとっつきにくい」という風に言うこともできます。特に本書では折に触れて民法等の他の法概念と比較することにより知的財産法の輪郭を明らかにするという手法が用いられているのですが、これらの論述は法学に関するある一定程度の学習をした人でなければ理解し辛いかもしれません。
本書には上述のような特徴(もちろん他にもありますが、字数の都合上省略させて頂きます)がありますが、上記二点の欠点さえ認識したうえで本書を読めば、知的財産法に関する深い理解を得ることができる良書だと思います。

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紙の本羊をめぐる冒険 下

2006/12/28 20:29

村上春樹さんの分岐点になる重要な作品

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ぼくはこの作品を久々に読んで、「この作品の書評を書くにあたっては、村上春樹さんの他の作品とのコントラストを提示するのがいいのではないか」と思いました。
まず、この作品はいわゆる青春三部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)の完結編なわけですが、ほかのふたつの作品は文章の巧みさやそのノスタルジーな雰囲気で読者を引きつけるのに対して、この作品は摩訶不思議なストーリー展開で読者をぐいぐいと物語のなかへと引き込んでいきます。そして、その深い森のなかを歩いているような不思議な感覚は、後の「ねじまき鳥クロニクル」につながるものがあるように思います。また、この物語はそのタイトルの通り一匹の羊をめぐって「僕」が冒険をする内容なのですが、「僕」が目の前に立ちはだかる苦難や謎に立ち向かう姿は「世界の終りとハードボイルト・ワンダーランド」に通じるものがあります。そして、「僕」とガール・フレンドが愛を語り合うシーンなどは「ノルウェイの森」のように甘美な、それでいてどこかもの悲しい雰囲気を漂わせています。
このように見てみると、本作品はそれ以前の村上春樹さんの作品とは少し違ったテイストを出しつつ、それ以後の村上春樹さんのストーリー・テラーとしての本領を暗示するようなものであると思います。そういう意味では、この作品は村上春樹さんの分岐点になる重要な作品であるとも言えるような気がします。
ちなみに、この作品で「僕」はあらゆるものを失ってしまいます。それは妻であり、仕事であり、友人であり、恋人であったりします。でも、「僕」は本当に全ての、ありとあらゆるものを失ってしまったのでしょうか? ぼくにはそうは読めませんでした。「僕」がどこに行けばいいのかわからないけれど、とにかく立ち上がって歩き出すために必要な大切なもの、決して無くしてはいけない温かいものは、ちゃんと「僕」のなかに残されているようにぼくには読めました。それは、救いのない喪失のなかで、村上春樹さんから読者の皆さんに対する温かい贈り物なのではないでしょうか。

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使い勝手のいい本

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルの通り「特許のとり方・使い方」について説明した本です(特許以外の知的財産についても簡単に説明してあります)。特許制度の必要性から特許出願手続の流れ、トラブル(権利侵害)に対する対処方法までが、原則として見開き1ページにつきひとつのテーマ(合計70のテーマ)として説明されています。
この本の特徴としては、「見開き1ページにつきひとつのテーマ」が記述されているため、説明が冗長にならずテンポ良く読み進めることができる点にあると思います。また文章での説明だけでなく、必要に応じて随所にチャート図やイラスト、実際の明細書等が掲載されているため、直感的にも理解し易い工夫がされています(欲を言えば、チャートやイラストがカラーであればもっと見やすいのかも分かりませんが、そうすると値段が上がってしまいますね)。
内容的には、これからはじめて知的財産・特許制度の勉強をしようと思っている人が最低限おさえておくべき事項を中心としつつ(この説明が全体の約9割)、最新の裁判例の動向などについても、この本の特徴である簡易な叙述を崩さない範囲で触れられてあります。
知的財産の重要性が増すなか、これから知的財産の勉強をはじめようと思っている人には使い勝手のいい本ではないかと思います。あと、このような使い方を勧めていいのかどうか分かりませんが、文章を読むのが苦手という人は(この本の文章は簡潔で読みやすいとは思いますが)、チャートやイラストを眺めているだけでもそれなりに知的財産制度の概略は掴めるのではないかと思います。

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紙の本ひとかげ

2006/12/14 16:33

心に「かげ」を抱えながら生きること

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この物語には、心に深い深い「かげ」を持つ女性(とかげ)が登場します。とかげはそんな「かげ」の存在を静かに受け入れ、自分を苦しめ続けて生きています。自分を楽しませることをせず、おいしいものを食べることもせず、きれいな景色を観ることもせず、自分を苦しめ続けて生きています。治療院を開いて、多くの人を救って生きています。よしもとばななさんの清潔な文章が、そんなとかげの寂しさをとても綺麗に描いています。ぼくはこの本のページをめくる度に、何度も何度もせつなくなってしまいました。とかげがあまりに寂しくて、それでいてとても強く描かれているからです。
「私」はとかげに恋をしていて、とかげを幸せな方向に向かわせるために、切々ととかげに訴えかけます。「私」は何か特別なことをするわけではないのだけれど、とにかく誠実に語りかけるのです。結局とかげは温かい幸せな世界に踏み出してもいいなと思うようになるのですが、それでもとかげの中の「かげ」は消えません。「私きっと死んだら地獄におちるよ、たとえ生きてるあいだ幸せになれてもね」、でも「いいのいいの」「地獄のほうが、患者さん多そうだから」「地獄のほうが絶対患者さん多いから」って、あっさり言ったりします。
心に「かげ」を抱えたまま生きていくなんてとてもつらいような気もするけれど、でもぼくはこの本を読んで「でも、それでもいいかもな。それもいいな」って思ってしまいました。心に「かげ」があるからこそ、だからこそ人は優しくなれるのかもしれませんね。
大きなテーマや、大きな事件が起こるわけではないけれど、読んだ後にちょっと温かくなってしまう小説だと思います。

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ようちゃんの夜

2007/01/06 22:54

ようちゃんの記憶

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

──ねぇ、ようちゃん。どうして、ようちゃんの描くうさぎには人
間の体がついているの?
「あたしには、そう見えるんよ」
──ねぇ、ようちゃん。どうして、ようちゃんは田畑を焼いてし
まったの?
「それは、焼かなあかんもんなんよ」
──ねぇ、ようちゃん。どうして、ようちゃんはフェンスの上に
立っているの? 危ないのに…。
「あたしがそれを望んでるから、危なくなんかないんよ」
──ねぇ、ようちゃん。どうして、ようちゃんの周りには、ちっ
ちゃいようちゃんがいっぱいいるの?
「こびとさんがいっぱいいたら、あたしは健康になれるんよ」
──ねぇ、ようちゃん。どうして、ようちゃんは親指と人差し指
で、車や、人や、信号機や、いろんなものを潰していくの?
「みんな、みんな嫌いやからよ。もう、どれもこれも、イライラし
てしまうんよ」
──ねぇ、ようちゃん。私ね、ようちゃんみたいになりたいの。私
のなかに、ようちゃんが欲しいの…。
「アサコのなかに、あたしはおるよ。誰のなかにも、あたしはおる
よ」
──どういう意味?
「瞳を閉じて、思い出してごらん。むかしむかし、アサコがまだ
ちっちゃかった頃を。うさぎさんが人間に見えたり、こびとさんが
ちょこちょこ歩いてたり、いろんなものに腹を立ててた頃。みんな
みんな、忘れてしまうんよ。そして、それを覚えてる人のことを
『変わってる』って言ってしまうんよ。だから、あたしはイライラ
するんよ。だからあたしは、死んでしまいたくなるんよ。ねぇ、思
い出してよ。アサコのなかにも、あたしは生きてるんよ」

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紙の本夢を与える

2007/05/23 22:37

成功をおさめたとは言えない小説

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

綿矢りささんの久々の小説です。
ぼくは綿矢りささんの前二作(「インストール」「蹴りたい背中」)を読んでから、次回作をそれなりに期待して待っていたので(そのくせ発売から三ヶ月も経ってからようやく読み始めたのですが)、前二作との比較を中心にこの作品についての感想を述べさせて頂きたいと思います。
まず、前二作に比べると情景描写等が精緻になっていて、作者が努力してこの作品を書き上げたことがうかがわれます。ただ、その反面、前二作の特徴であった瑞々しい心理描写は影を潜めてしまっています。そして、読み終わった後に読者に例えようもない疲労感を与える作品になってしまっているように思います(主人公の人生を時系列で、まるで取扱説明書のように懇切丁寧に解説しているため、小説というよりも伝記を読んでいるような錯覚に陥ってしまいました)。また、前二作より幾分は改善されていますが、相変わらず文章が洗練されておらず、句読点の用法にも疑問を感じるところが多いです。例えば、「コンビニで母親が買ってきたデザートを食べている夕子の口元についたクリームをぬぐいながら母は、もちろんよ、と言った」という文章があります。確かに注意深く読めば作者の言わんとしていることは理解できるし、文法的に誤りとは言えないかもしれない。しかし、作者の言わんとしている状況が一読して脳裏に浮かぶような明瞭とした文章とはお世辞にも言えないし、「難解だけれど美しい文章」というほどの文章とも思えません。
また、前二作との比較ではなく、この作品自体の設定についても疑問を感じるところがあります。例えば、主人公が父親の浮気を知らされて深い衝撃を受ける場面があるのですが、この物語のなかで主人公は「大人びた感性を持つ中学生(この場面の当時)」という設定のはずなのですが、大人びた感性を持つ中学生であれば、それ以前の両親のやり取り等から、当然に父親の浮気について予測しているはずで、いまさら「深い衝撃」を受けるというのはどう考えても不自然だし、また何か衝撃的・印象的な出来事があると、決まって主人公にその出来事を象徴するような内容の夢を見させる設定も安易だと思います。
ぼくは小説というのは、予想外の物語展開や登場人物に感情移入・共感させることによって読者を楽しませるものだと思っています。しかし、この物語のストーリー展開は読者の予想の範囲内のものだし、この物語の主人公はあまりにも世間知らずで、芸能界で没落して当然というような生活を送っているため、読者の共感を得ることも難しいと思います。少し厳しい評価かも知れないけれど、前二作に比べて描写が精緻になったという点を除いて、この作品が小説として何らかの成功をおさめたと評価するのは難しいのではないでしょうか。
綿矢りささんがこの作品を書ききることで身につけた精緻な描写に、前二作のような瑞々しい感性をのせることができるような、そんな素晴らしい次回作を強く希望します。

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紙の本聖餐

2007/01/12 10:07

完璧な逸脱、完全な冒涜

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この物語で主人公のふたりは、あるいは復讐のため、あるいは完璧なる芸術のために、一本のヴィデオを制作します。そのヴィデオのなかで、人は犯され、殺され、家畜のように臓腑を引き出されます。それはまさに「完璧な逸脱、完全な冒涜」といえるかもしれません。
こういう芸術論を描いたものとしては、芥川龍之介の「地獄変」が代表的なものだと思うのですが、はたしてこの「聖餐」が地獄変ほどの成功をおさめているでしょうか。地獄変では、芸術家の性と悲哀が迫真の筆致で描かれています。それに対してこの聖餐では、単に公序良俗に反する描写が生々しく描かれているだけのように思います。ぼくは決して残酷な描写、生々しい描写を否定しているわけではありません。それを描く必要があるのであれば、それは描くべきだと思います。でも、残念ながらぼくにはこの作品におけるそのような必要性を読みとることができませんでした。確かにこの作品の描写には素晴らしいものがあります。血の吹き飛ぶ様子や、臓腑の蠕動する様子などは、筆者の技量を見事に表していると思います。ただ、ぼくにはその描写も、ただ単に筆者の技量を示すためだけに描かれたもののように思えてならないのです。筆者の技量を示すためであれば、もっとほかに方法はあると思います。本質的に残酷無慈悲な人間というのがこの世にいるのでしょうか? やはり残酷さの裏側にはそれなりの哀しさのようなものが存在するのではないでしょうか。そういう側面を克明に描くことで、作者の類いまれな技量を示して欲しい作品だったように思います。
ちなみに、この作品に「聖餐」というタイトルをつけることこそ、「完璧な逸脱、完全な冒涜」といえるかもしれません。そういう点においてのみ、この作品は成功しているといえるのではないでしょうか。

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形式、叙述に対する意識

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

福田和也氏いわく、阿部和重さんは「その形式、叙述のあり方などについて意識的な作家」だそうです。この作品についても、そのような「意識」は窺うことができます。では、この作品におけるそのような意識=作為は、奏功していると言えるでしょうか。以下では、この点に重点を置いて検討していきたいと思います。
まず、この作品は「ある公園」における「ある爺さん」の「語り」という形式で物語が進行していきます。ぼくは当初この物語を読んでいてそのような形式を採用することの必要性をまったく感じなかった(むしろ主人公「シオリ」の単純な三人称として構成するほうが自然と感じていた)のですが、最後まで読み終えて阿部和重さんがこのような形式を採用したことの意味が理解できました。そういう意味では、この物語の叙述の形式は一応は奏功していると言えるのかもしれません(最後になるまで疑問を抱かせるのもいかがなものかと思わないでもないのですが…)。
つぎに、この作品はとにかく論理的に構成されています。登場人物の言動のひとつひとつに論理的な理由が付されています。しかも、それが逐一説明されているのです。ただ、そのように論理的に物語が進行していくにもかかわらず、物語の本質ともいうべき部分(例えば、どうしてマヌエルは主人公に核爆弾を託したのかという部分)については、あまり明確な根拠付けがされていないのです。この物語が感覚主体の作品ならそれも理解できるのですが、本格ミステリーを思わせるほど論理的な作品であるにもかかわらず、本質的部分の根拠が曖昧なのは、やはり納得できない部分があります。そういう意味では、こういう作品にするのであれば、もうちょっと頑張って詰めて欲しかったように感じました。
あと、この作品は阿部和重さんの作品としては読みやすい部類に入ると思うのですが、それでもまだ難解な表現が随所に散りばめられています。この作品が「純真無垢な女の子」の物語であることからすれば、正直少し違和感がありました。確かにあまり表現をやさしくしてしまうと、阿部和重さんの持ち味が薄れてしまうのかもしれないけれど、こういうモチーフを描くのであれば、もっとやさしい文体を使ったほうが自然なように思いました。
また、この物語の主人公「シオリ」は見事なくらい純真無垢な女の子に描かれています。それに対して、シオリ以外の登場人物はどれもこれも(すべて!)とんでもない人間に描かれています。ぼくはどんな人間にもいろんな側面があると思うので、こういう極端な描写をされると悩んでしまいます。うーん、どうなんでしょう。「マヌエル」は両側面が描かれているかな…。
あと、細かい点をあげれば、外国人であるはずのマヌエルが日本人でも使わないような古風な言葉を使っている点や、前半ではあれほど意識的に使われていた「ノゾミ」が後半ではほとんど登場しない点など、どうなんだろう? と思ってしまうところが多々ありました。
最後に、物語の内容について簡単に触れておくと、物語自体はなかなか面白いと思います(シオリがあまりに不憫で泣きたくなるけど)。ラストの場面などは思わず手に汗握ってしまうし、胸のあたりがじーんと温かくなってしまいます。
以上、なんだか批判的なことばかり書いてしまいましたが、あまり深く考えずに読むと(ぼくはいろいろと考えながら読んでしまう癖があるので)、なかなか面白い物語だと思います。

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