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  3. 濱本 昇さんのレビュー一覧

濱本 昇さんのレビュー一覧

投稿者:濱本 昇

219 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本とてつもない日本

2008/02/28 03:55

リベラリストの愛国論

20人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が、元外務大臣麻生太郎に興味を持ったのは、NHK「英語でしゃべらないと」に出演した姿を見てからである。自民党代議士とは思えない自由な雰囲気に驚いた。また、彼の祖父が大政治家吉田茂である事も、その時、初めて知った。
本書は、彼が自民党総裁選挙での自己PR用に書いたと思われている書であるが、彼の日本を愛する心が如実に表現され、私は、日本の良い面・悪い面を理解していると思っているし、だからこそ日本を愛しているが、改めて、日本の素晴らしさを認識した。
まず、日本のマスコミは自虐的に日本の悪さを強調するが、世界の目で見ると、日本は羨望の的であるし、尊敬の的でもある事を強調する。日本の若者の問題、例えばニート、「ニートでもいいじゃないか」の章で、持論を展開する。日本の若者文化の持つ底力を強調する。地方の力を力説する。一番私が感心したのは、所謂、靖国問題に関する記述である。私は、「靖国問題」という本も読んだ事があるが、本書で書かれているような明解なる解決法は書かれていなかった。靖国神社の意義と意味を説き、政治からの乖離が一番の解決方法だと説く。その手段として、現在の宗教法人からの逸脱を強調する。その財務的な側面にも触れ、国と靖国神社との健全なる関係も説いている。
自衛隊は、外交官だと力説し、日本の文化の世界への普及に言及し、世界にいい影響を与えている一番の国であるとの国際的調査の公表を行ない、日本人としての誇りを強調する。日本人は、自虐的な国民である。自国の素晴らしさを感じている人間は、少ない。私は、日本人として日本の国に住んでいる事を誇りに思う。そういう私の胸をなでおろす一冊であった。かといって、決してナショナリズムを煽る内容では無い。こういう自由人的政治家が、多く居て欲しい、自民党にいては、勿体無いと感じた次第である。

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紙の本国家の品格

2006/09/15 22:01

本書は、良書か?悪書か?

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、世界的に行き詰まった状況を打破し、日本民族に自信を与える良書であった。本書は、ベストセラーである。インターネット書店bk-1の書評を見ても18件も投稿されている。評価は、良し悪し真っ二つである。最低の悪書というものと、最高の良書というものに二極化されていた。これだけの、両極端の評価を得る本書は、インパクトが有り、内容が有った良書であると私は思う。
 本書は、欧米型の論理・合理主義を否定する訳では無いが、それが100%という事は否定する。そして、加わるべき要素として、日本民族が古来から持っていた「情緒と形」を重んじる文化を挙げるのである。何故、論理・合理主義100%がダメなのか?それを明確に解説している。論理展開が100%正しいという事は有りえるし可能である。しかし、論理の出発点には、論理は無く、各人の発想から始まるのである。その正しい論理の始まりを助長するのが「情緒と形」であると著者は、説く。人間に取って、最低の者は、どういう種類の人間か?それは、「情緒と形」の能力を全く持たず、論理展開は、100%間違い無く行えるという人物であると、著者は言う。すなわち、こういう人物は、始まりを誤ると100%謝った結論に達してしまう。仮に論理展開が未熟な人間は、例え、始まりを誤っても、論理展開の紆余曲折で正しい結論に達する場合もあろう。現在の日本の教育は、前者のような人間を育てる教育になっていると著者は、批判する。本書には、記載されていなかったが、論理展開が100%正しい2つの例を示そう。「地球温暖化は避けねばならない」従って、二酸化炭素を出さない発電方式は望ましい。従って、原子力発電所は、有効である。これに対し、「人間は間違いを犯す動物である」従って、巨大システムには事故はつき物である。一旦事故を起こすと取り返しの付かない事態になる巨大システムは避けた方が良い。従って、原子力発電所は、受け入れられない。論理展開は、100%正しくとも、出発点が違っていたら、正反対の結果になる好例だと思う。
 著者は、小学校教育に英語教育を導入するのに反対する。その理由は、本当の国際人は、自国の文化を完全に理解出来た者。従って、文化を理解する手段である自国語を100%マスターする事が、本当の国際人を育てる事になると言う。私も全く同感だ。例え、英語を100%話せても、考える手段が日本語ならば、日本語で考えねば会話は出来ない。更に、話す事が発想出来ねば会話は出来ないのである。考える手段としての言語を初等教育において徹底的に鍛える事は、当然に思う。
 「国家の品格」が成り立つ為の条件を3つ著者は挙げている。(1)美の存在(2)跪く心(3)精神性を尊ぶ風土。これらの要素を日本民族は、全て有しているというのである。いや、有していた、失いつつあると言うべきか?日本は、「普通の国」で無く。「特異な国」なのである。それで良いのである。いや、むしろそれに誇りを持つべきと著者は言うし、私もそう思う。本書を読んだ人であれば、この意味は理解出来ると思う。決して危険な思想では無いと思う。
 本書を読み終えて、dog earを付けた個所を数えると15ケ所もあった。それだけ、私に訴えるものがあったし、納得したのである。
 会社の昼休みを有意義に過ごせたと思う次第である。

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紙の本ラッセル幸福論

2005/12/15 05:47

幸福な人

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は、幸福である。従って、何故、今、このように幸福なのであろうか?という疑問は、常にぶちあたる。幸福論は世に3冊発行されている。ヒルティ、アラン、そして、本書、バートランド・ラッセルである。ヒルティは、宗教的・道徳的観念から幸福を追求した。アランは、文学的・哲学的に幸福を追求した。それに対して、ラッセルは、現実的問題を取り上げる事に依り、万人に分かり易く、実際の生活の参考になるように実例を挙げながら、幸福を説いている。私は、これで全ての幸福論を読破したことになるが、全ての幸福の意味が理解出来、特にヒルティのそれなどは、聖書以上の書物と思え、読み終えた後、涙が出そうになったほどである。
ラッセルの幸福論は、非常に分かりやすい二部構成となっている。まず、「不幸」な人の姿勢、考え方を取り上げ、何故人は、不幸を感じるか?を解説する。その後、「幸福」な人の姿勢、考え方を取り上げ、幸福を感じる生き方、考え方は何かを説く。私は、この「不幸」そして「幸福」をいずれも実生活の中で体験しているので、非常に良く分かった。
「不幸」な人の姿勢は、こうである。
1.幸福は、望ましいものであると、自ら実感出来ない。
2.教育は、以前は、多分に楽しむ能力を訓練することと考えられていたが、幸福を感じられない人は、自分は、楽しんではダメだと、自己暗示を掛けている。
3.単調な生活に耐える能力は、幼年時代に獲得されるべきものだが、近年の親は、過剰に子供に刺激を与え、その能力の獲得を阻害している。
4.自分は、充分得ているのに、他人と比較し、ねたみの感情から、自分は、充分に得ていないと考える。
5.陶酔を幸福と勘違いする。どんな種類であれ、陶酔を必要とするような幸福は、いんちきで不満足なものだ。
6.世評を異常に気にする。
「幸福」な人の姿勢は、こうである。
1.何でも興味を持つこと。イチゴが好きな人は、きらいな人の知らない快楽を知っている。
2.人間、疲れれば疲れるほど、外部への興味が薄れていく。そして外部への興味が薄れるにつれて、そうした興味から得られる息抜きがなくなり、ますます疲れることになる。この悪循環を絶つこと。
3.人事を尽くして天命を待つという姿勢がとれること。
4.客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人。
私自身が考える「幸福論」とは、自らの深層心理に素直に答え、ストレートに それを具現化出来ることである。深層心理の具現化を妨げる要因は、多々ある。常識、世間体等、私は、これを「心の中の無意識の壁」と呼ぶ。この壁を突き破り、自分の深層心理と真摯に立ち向かえるようななった時、人は、真の幸福を得ることができるのである。

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紙の本本質を見抜く「考え方」

2008/02/20 22:36

考え方を安易に解説

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世の中、何と本質を見抜かないで、日々送っている野からが多いか。本質を見抜かない政治家、教師、親、社員、私は、今の世を見て目を覆いたくなる。本書の著書も同様の思いを抱いて本書を書き上げたものと容易に想像出来る。本書は、「本質を見抜く考え方」を53の論述で纏めてある。その結論は、最後の53番目の論述に記されていると私は、思った。53番目の題目は、「「日本人を明確に意識する」である。自分は、何者で有るかを明確に理解してこそ、初めて本質が理解出来る。日本人としてのアイデンティティを明確に持つ事から第一歩が始まるのである。これは、決して右翼的な考えでは無い。自分が何なのか?を理解出来ない者が、物事の本質が見抜ける訳が無いと私も思う。
考え方08「むずかしい話を「やさしく」言い直す」。むずかしい話をむずかしく、あるいは、やさしい話しをむずかしく言う事は、簡単だが、むずかしい話を「やさしく」言う事は、そのむずかしい問題を本当に理解出来ている証拠でも有り、本質を理解している考え方に通じるのである。
考え方14「「民意」もあやまつ」戦後日本民主主義は、「民意絶対論」がまかり通って来た。「民意」は、間違わないという妄想である。これは、形を変えた絶対主義である。「衆愚」という言葉が、民主主義発祥のギリシア時代から有る。「民意が間違った時にどうするか?」が民主主義の大きな課題であった。今の世界の民意に間違いは、無いのか?今の日本の民意に間違いは、無いのか?常に問い掛ける姿勢が大切だと思われる。
考え方25「「自分に都合のいい論理」を調達しない」常に客観的な論理展開をしないと本質は、見えない。
考え方40「誰も疑わない「美しい言葉」こそ疑ってみる」ストレートに言える事である。
53の題目を全て挙げても良いが、長くなるので止めておくが、53の考え方の題目を読み流すだけでも、本質を見抜く考え方が何なのか?が見えてくると思う。優しい言葉で、深い意味を解説してくれて、とても楽しく、身に付いた、また、身に付いている事を再確認しながら読めた一冊であった。

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紙の本読書について 他二篇 改版

2005/11/23 14:45

著者の主張と私の主張

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「読書について」の他、「思索」「著作と文体」と書物の著者と読書の関係について著者の独自の考えを展開した良書である。
最初に言いたいのは、著者と私の読書の捕らえ方の相違である。著者は、読書とは、著者の思想をそのまま吸収するもので、読者は、自分の思想を持たなくなると読書を批判する。私は、これと全く違う読書感を持っている。私は、読書とは、著者と読者の思想の対決だと思っている。読者は、常に自分の思想と著者の展開する思想を対比し、考え、同調したり、吸収したり、あるいは、批判したりするものである、決して読書により自分の思想が無くなるという事は無いと確信する。事実、私の読書法は、そうである。
「我々の存在」この重要な差し迫った問題に多くの人は、問題意識を持たず、これとは全く異なった問題に心をくだき、ただ日々を単に行きている。著者は、こういう。良く理解出来る言葉である。日々、単に生きている人々は、世間体やくだらない常識に捉えられ、真実を追究しようという姿勢が無い。そういう人達が多く存在するのは、事実である。
ルソーを引用して「名誉を重んずる人間はすべて、自分の文章の下にはっきりと書名する。」と本書に掲載している。現在、インターネットのBBS、新聞投稿等、一般の人も広く公に向かって自分の意見を発信する場がある。私は、これら全てに自分の本名を記載する。それでこそ、自分の意見、発信した情報に責任が持てるのであり、ハンドルネームやペンネームでの投稿に接した時に、こういう理由から、私は、反感を覚えるのである。
「文体は精神のもつ顔つきである。」その人の文章を読めば、その人の知的レベルは自ずと理解出来る。優れた文体とは、「主張すべきものを所有することである。」と著者は、説明する。その通りである。自分に思想が有れば、自ずと彼の文章には、主張がにじみ出る。つまり、自分に思想を持つ人の書いた文章は、どんなシュチュエーションの文章においても、彼の主張は織り込まれ、すぐれた文体、優れた精神を読み取る事が出来るのである。
なげやりな文章を書くのは、自分の思想にあまり価値を置いていないことを告白することである。著者はこう言う。思想に重きを置いている場合、怒りに満ちた時に書く文章でも、文章自体は厳しい事を主張はしているが、決して投げやりの表現には、なっていないものである。そういう(思想に重きを置いて)文章を書く時の気持ちは、神殿や貴重な芸術品、金銀の器等に接する感情と同じなのである。
読書によって熟慮を重ねた(自分の思想と対決された)もののみ、真に読者のものになる。熟慮という消化作用を経て、始めて自分の身体の栄養となる(脳の成長となる)のである。著者の主張に賛意を覚える。
本書は、私の大きな趣味の一つ「読書」について、その著者の立場、読み手の立場から、あるいは文章そのものの意味等、著者の見解を提示した優れた書だと思う。著者の勧める読書法と私の主張する読書法は、表現の違いはあれ、同じ事だと思う。「読書」とは、著者と読者の対決の場と私は理解している。そういう読書法を著者は決して否定しないと私は信じる。

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紙の本米原万里の「愛の法則」

2008/05/22 06:04

持論の自由な展開

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、NHK「週間ブックレビュー」にて、南伸坊氏がお勧め本として紹介したものである。私は、その勧めに対して読みたいと感じたものの、メモるのを怠った為に分からず、直接NHKに電話して聞いて購入した次第である。
本書は、叙述されたものでなく、講演をそのまま記述したものである。話し言葉であるので、それだけ読み易かった。演題は、「愛の法則」「国際化とグローバリゼーションのあいだ」「理解と誤解のあいだ」「通訳と翻訳の違い」である。それぞれに関連性は無いので、本書の題名は、最初の講演で代表しているのである。
「愛の法則」では、種としてのメスの優位性について語っている。オスの私としては、悔しさも感じたが、納得出来る語りばかりなので、仕方無しと諦めた。
「国際化とグローバリゼーションのあいだ」では、日本人の考える「国際化」と実際の「グローバリゼーション」の違い、即ち、自らを全体に合わせる事を言う「国際化」と自らに合わせさせようとする米国の「グローバリゼーション」とを対比させ、日本の対応の間違い、誤解を解いて面白かった。
「通訳と翻訳の違い」では、自らがロシア語同時通訳だった経験から、通訳と翻訳の違いを説明し、通訳者から見た文章の成り立ちと言葉の意味を解説し、面白く読めた。
全体を通じて、痛快に自らの主張を展開し、軽快に読み続ける事が出来た良書であったと言える。

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紙の本漢字と日本人

2008/01/21 04:17

漢字と日本語の不思議な関係

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

言語とそれを使用する人間の思想には、深い関係が有る事は、理解出来ると思う。日本語に無い概念は、日本人には理解出来ないし、英語に無い概念は、アメリカ人には、理解出来ない。しかし、日本語には、6世紀頃より「漢字」という得体の知れない文字が入って来た。優秀なる日本民族は、この得体の知れない「漢字」から「かな」を発明した。江戸末期まで、これで矛盾は、起こっていなかった。しかし、明治になり西洋から、また特異な言語が入って来た。西欧を模範にして富国強兵を計った政府の主導で、西洋言語から、色んな今まで日本に無かった概念を現す日本語を造語し、それに漢字を当てはめた。これから、日本語の酩酊が始まる。即ち、日本語は、話された言葉を一端、頭の中で漢字に読み替えて、意味を理解すると言う世界に類を見ない言語になってしまった。これを突き詰めると、文書第一主義、つまり正式な書類は、紙で有り、有印である必要性が生じた。(最終段は、私の想像)
本書は、日本語をこよなく愛した著者が、日本語の歴史を西洋人に説いた原稿が元になっている。そういう意味で、私には、新鮮であったし、とても面白い視点で書かれていると思った。
漢字に関しては、時の知識人或いは、政府の政策に拠り、大きな変遷があった事が良く分かる。しかし、その改革が良いものであったとは、著者は考えていない。所謂、「やまとことば」=元来の日本語には、漢字を使わない方が良いと著者は言う。平安時代、教養のある印として、漢字が用いられた。漢字を男性が使用し、かなは、女性が使用するものとの習慣もこの一つであろう。それを現代でも引き継いでいる日本人を著者は、揶揄する。漢字を多く使った文章は、格調高く見えるのは、確かであるが、それを馬鹿げた事と一笑するのである。私も、なるべく多く漢字を使って、文章を書きたいと思う人間の一人である。著者に嘲笑されて、恥ずかしい気持ちにもなるが、世間一般的にそういう風潮があるので、私は、これを曲げたくない。
明治の知識人は、漢字を捨てて、音をそのまま文字にした「かな」或いは「ローマ字」を日本語を表記する手段に採用するという運動が有ったらしい。これは実現しなかったが、この系譜の元に、当用漢字等の漢字の略字化が為されている。この事の愚も著者は、嘆いている。
漢字が入ってきて、1400年以上が経過し、漢字と日本語は、既に「腐れ縁」になっている。著者は、今のままの漢字との付き合いは、捨てられないと結論付けている。言語を漢字に置き換えて意味を理解する日本語、この世界に類を見ない日本語を使いこなす日本人の頭脳が、今の日本を支えているような気がする。
本書を読んで、著者が、日本人として、日本語をこよなく愛している事が良く分かった。文字が行動原理にまで波及するという意味において、新たな考え方を理解出来て、興味深く読めた一冊である。

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貴方は、何の為に、仕事をしていますか?

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「何故、働くのか(仕事をするのか)?」この問いは、私が、「貴方は、何故、生きているのですか?」という問いの代案として考えた問いである。後者の質問は、あまりにも哲学的である為、誰も答えられないだろうと思い、前者の質問を考えた。この質問に対する答えに拠り、その人の知的レベル、思想等が、大体分かるのである。この質問を多くの人にぶつけたが、私が期待する答えは、ほぼ返って来ない。
本書は、正にこの私の質問を書名にした本である。著者は、「仕事に思想を持て」という一つの回答を示している。この「思想」を持つためには、「死生感」「世界観」「歴史観」を持ちなさいと説いている。「死生感」とは、所謂、「死」と対峙した経験を持つ事。現在の日本では、そういう体験は、困難であるから、「想像力」で体験しなさいと言う。「世界観」とは、世界のあらゆる生き方(好むと好まざるに関らず)をしている人々を考えられること。「歴史観」とは、「人類の歴史」が、どこに向かおうとしているのか?を考えると言う事です。
私は、仕事上の事故に拠り、死に直面した事がある。更に、精神的悩みから想像上の自殺も試みた。「死」というものをタブー化せずに、真摯に考え抜いた事も有る。従って、「死生感」は所有している。「世界感」は、世界を旅し、色んな人を見ている。また、ニュース等にも感心を寄せ、世界の実情を提示するニュースには耳を傾けている。従って、「世界観」も持っている。「歴史観」は、過去の歴史を勉強する事に拠り、この技術あるいは、出来事が未来へどう影響するかを常に考えている。従って、「歴史観」も持っている。従って、私は、著者の言う「仕事への思想」というテーゼを具現化出来るのである。私の「仕事に対する思想」は、あえて述べないが、「仕事」は、人生において、大きなウェイトを占める一つの要素である。これに生き甲斐を持って、楽しく取り組む事が出来るか否かが、「良き人生」の一つの要素となり得ると私は、思うのである。そういう事を鑑みた時に、世の人々は、何と多く、惰性で仕事を流しているか?人生を如何に無駄に過ごしているのか?と憐れみさえ、感じる。
著者は、最後に「本当の知性」について述べている。本当の知性=疑問を持ち続ける心。と定義している。全く、その通りであると思う。人間、疑問を持たなくなった時は、死であると思う。
これからも、仕事に思想を持ち、世間に疑問を投げかけながら、充実した生き生きした「生」を送りたいと思った次第である。

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紙の本流れる星は生きている 改版

2007/04/20 18:48

本当に希望した事のみ実現する

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

人は、自分が本気で成りたい、したいと思う事以外は、実現しないという説がある。私は、全くこの説に同感していた。しかし、私は、幸せな事に、戦争も飢餓も知らないで今まで生きていた。即ち、外乱が私の人生に影響した事は一度も無いのである。だから、この説が正しいと思えるのかも知れない。
本書は、藤原てい女史が、第二次世界大戦後の中国からの引上げの状況を赤裸々に綴った一年間のドキュメンタリーである。終戦後のある朝、突然、身支度して家を出ろと言う通達が流れる。平和な日々に、突然やってきた晴天の霹靂を私は、想像することも出来ない。この通達後、ていは、御主人とも別れ、3人の子供を連れて、中国国境を越え、38度線を越え、日本海を渡って、故郷にたどり着く。その凄まじい引上げの描写を読むと、今も尚、問題となっている中国残留孤児が生じた理由も分かるような気がした。それから、故郷にたどり着いた時の虚脱感の描写等、何一つの誇張も無く、真実の訴えであることが、読み終えた後に手に取るように分かるのである。
「人は、本当に希望した事のみ実現する」という説から言えば、ていは、子供3人を連れて、本当に生きて帰りたいと思い、その希望を遂に一度も諦めなかったのであろう。だから実現したのであると思う。
この脱出の旅に同行した次男は、「国家の品格」と言う書物を書き、日本人にセンセーションを起こすような大人物に育っている。ていは、本書を我が子への遺書のつもりで書いているが、実際には遺書にはならず、こうして本として出版されている。遺書となれば、子供達だけの物になったが、実際は、世の人全ての物になった。これで、良いと思う。
5歳だった長男、3歳だった次男、生まれたばかりの長女。母との旅と同行した彼らは、それぞれ立派に育っている。私は、それは、ていの頑張りの結晶であると思う。

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紙の本ベトナム戦記

2007/04/18 00:06

ベトナム戦争とは何か?

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ベトナム戦争は、私が小学生の頃の出来事である。小学生だった私は、意味も分からず悪い戦争をしているという感覚しか無かった。そして、TVの映像としてはっきり覚えているのは、ベトナム戦争からアメリカが撤退し、空母の上からエリコプターを海に投げ捨てるシーンであった。
開高建は、ベトナム戦争そのものを知ろうと、ベトナムに入った。戦闘にまで従軍したのは、日本人で初めてでは無かったろうか?それは、事実を知りたいという一心から出た行動であろう。小田実の「何でも見てやろう」の精神であると思う。
開高建は、言っている。ベトナム人にもベトナム人が何か分からない。複雑怪奇な心理行動を持ったベトナム人。アメリカが戦闘をすればするほど、ベトコンは増える。何故なら、ベトコンと農民の区別がつかず、無作為農民殺戮の結果、農民が反米からベトコンに走るのである。ベトナムは、アメリカに勝った。世界史上、アメリカに勝った国は、未だにベトナムだけである。その忍耐強さには、舌を巻くものがある。
私は、開高建のインタビューを聞いた事が有る。「あのベトナム戦争への従軍の時、今引き返せば、命は安泰である。しかし、明日の戦闘に従軍すれば、命は分からないという夜があった。私の思考は、従軍すると流れていた。つまり、危険を体験する事は、生きている事を確認することになる。」この従軍の様子が、「姿なき狙撃者!ジャングル戦」と言う一章を設けて時間系列で説明している。そのどこから玉が飛んでくるか分からない恐怖。そして生きて帰れた時の脱力感。ベトナム戦争の事実を世に伝えた優れたドキュメントだと思った。
ベトナム戦争終結から30年以上経っている。そして、今、ベトナムの勢いは世界に躍り出ようとしている。アメリカを倒した底力を持った勤勉な国民が一致団結すれば、この国の将来は、明るいと思う。

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紙の本ベートーヴェンの生涯 改版

2006/08/06 01:27

人類への珠玉のプレゼント

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 音楽の世界を垣間見た学生時代から続いて20代私は、最高の音楽は、ドボルザークの「交響曲第8番」であった。しかし、人生経験を重ね30代、それは何時の頃からかベートーヴェン「交響曲第9番合唱付」に変わって行った。そして、今現在も、それは同じである。「第九」の荘厳な第一楽章、第三楽章の神の言葉としか思えないような美しいメロディ、そして続くシラーの詩を荘厳に盛り上げる合唱を奏でる第四楽章。どの楽章を取っても、神がベートーヴェンを介して人類にプレゼントした作品に思えてならない。
 本社は、ロマン・ロランが親愛の念を持ってベートーヴェン研究を行なった、その成果である。本書を読むと、ベートーヴェンがその耳の病を大いに苦にしていた事が良く分かる。自分の職業に取って、致命的な病を彼は隠しに隠した。その悩みは、我々凡人には思いも付かないところであろう。しかし、何故、彼は、その致命的な病に犯されながらも、人類への多くの数々のプレゼントを残し得たのであろうか?私は、神の存在を確信しているが、ここでもその証明が有ると思う。神の意志が彼の頭脳に舞込みベートーヴェンの手を介して作品にしたとしか思えないのである。
 「第九・歓喜の歌」は、ベートーヴェン自身でも特別な交響曲であったようである。シラーの「歓喜の歌」を取り上げるのは、彼の全生涯の目論見であったのである。そして、それは、「第十交響曲」の構想にまで及んでいた。歓喜の主題が初めて現れようとする瞬間に、オーケストラは突然中止する。急な沈黙が来る。歓喜の歌の登場へ、この沈黙が一つの不思議な神々しい性格を与える。本書でこう記述する部分を私は、思い当たる事が出来る。そして、改めて、「歓喜の歌」と「第九」と「ベートーヴェンの思い入れ」の関連を思い浮かべるのである。毎年、暮に私は「第九」を聴く。今年は、改めてこの部分に注意して聴いて見ようと思う。1828年5月7日にこの歴史的作品は、初演された。その成功は偉大で、ほとんど喧騒にまでなったのである。ベートーヴェンは演奏会の後で、感動のあまり気絶したのである。想像を絶する人類の偉大な作品は、生身の人間には、通常では、絶えれなかったのであろう。
 ロマン・ロランは、ベートーヴェンの生涯を嵐の一日に例えている。最初さわやかに澄んでいる朝。にわかに天候は崩れ、重くるしい予感がある。突如、悲劇的な雷鳴と、凄いざわめきに充ちた沈静と、猛烈な嵐の打撃が来る。「第三交響曲エロイカ」と「第五交響曲」である。1810年以後、魂の平衡は破れる。魂の平衡が破れた精神は、深い静寂と平穏を求める。「第六交響曲田園」と「第七交響曲」である。そして、稲妻を荷って膨張している重い真っ黒な雲の団塊、それが「第九交響曲」の最初の部分である。しかし、嵐は去り、静寂と歓喜に充ちた空が甦る、それが、最初の部分に続く「第九交響曲」の第三、第四楽章である。
 本書は、音楽という人類の無形文化遺産に大いに貢献したベートーヴェンの生涯を彼の書簡、手記と共に纏められた優れた書である。楽しみながら、感心しながら、あっと言う間に読めた一冊である。

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紙の本靖国問題

2007/11/21 05:06

根深い問題

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「靖国問題」、私はA級戦犯を合祀した神社に首相が、参拝するという事に対する中国、韓国の反発という単純な構造の問題と考えていた。しかし、本書を読んで、それは、歴史・文化・感情等、国家の存在の意味を問う程、複雑で根深い問題であると再認識した。
著者は、まず、「感情の問題」として「靖国問題」を捉える。それは、遺族の感情である。戦場で死ねば、靖国で神になると信じて死んで行った人々の遺族。或る遺族の夫人の思いを伝える文章が掲載されていたが、それには、「靖国を悪く言われると、断腸の思いだ」との内容であった。この感情の問題は、国家が国に殉じる事を上手く奨励し、戦死を美化した賜物である。
次に「歴史認識の問題」、「宗教の問題」、「文化の問題」、「国立追悼施設の問題」と記述は、続いていく。「文化の問題」の中で、日本人は、死者の目線も感じながら風景を見るという記述があった。これは、日本人である私には、分かる感覚であるが、日本人以外には、理解出来ない感覚であろう。この美しき謙虚なる日本人の感情も深く「靖国問題」を形成していると思う。
靖国神社に首相が参拝して、外交問題となる度に、私は、無宗教の国立追悼施設を作るべきだと思う。しかし、千鳥が淵戦没者墓苑は、既にそういう機能を有しているのである。しかし、靖国神社に代えられないという所に、「靖国問題」の根深さが有る。
自国の戦争(憲法で戦争をしないから戦争と言わないでも)正当性を主張するための死没者の顕彰、これは、人間として自然な感情であるだけに、深い問題を感じる。
本書は、「靖国問題」を表面上の問題から、国家の存在自体を問う深い問題である事を認識させてくれた書であった。

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学校と社会

2006/07/25 02:24

教師にお勧め

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 私は、学校教育に大いに関心が有る。それは、一個の人格形成に係る家庭、社会と共に大きな一要素だと思うからである。学校には、初等、中等、高等教育が有るが、本書で述べる学校は、初等、中等教育に関するものである。著者の主張する学校とは、社会との交わりがある教育、職業訓練の場としての学校である。本書は、我が国の戦後教育に大きな影響を与えたと解説されている。しかし、今の教育現場を見てみると、それは、過去のものと思えてならない。何故ならば、今や、我が国の学校社会は、一般社会と隔絶された閉鎖的な特殊社会となっていると見えるからである。ゆとり教育の名の元に、社会との係りをカリキュラムに取り入れているように見えるが、実体は、教師と生徒の閉ざされた社会に有るように思う。中には、生徒を社会に交わらせる有効な教育を行なっている例も散見されるが、それはあくまで例外だと思う。
 今の教師及び教師の卵達は、この閉ざされた教育の中で教育理論を学び、実践している。従って、開かれた教育とどう向き合えば良いか、教師自体が知らないし、当然実践も出来ないのである。今の教師、何が忙しいのか、忙しがって読書等の自己啓発にも乏しいと推測する。自分が教師の端くれだと考えている人達は、少なくとも本書を手にし、その昔のアメリカの実践教育の何たるかを勉強して欲しいと思った次第で有る。

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簡潔な文章で真理が述べられた仏典

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ブッダの教えをブッダ自身から発した言葉として纏められた経典と言われる本書は、仏教の真髄、人間の行為・思考としての正しい方向性を示唆するに相応しい書であった。訳者の力量に負うところが大きいが、それぞれ、2〜3行の分かりやすい、簡潔な文章で纏められ、ダンマパダは、423の詩句より成り、ウダールヴァルガは、33の章から成り立っている。両者の間には、全く同じ文章もあり、ブッダの教えの普遍性を明示していると思う。
 それぞれ、感銘を受けた部分、考えさせられた部分を取り上げたい。
[真理のことば(ダンマパダ)]
50:他人の過失を見る無かれ。他人のしたことしなかったことを見るな。ただ、自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
他人は、自分の思うようにならない事を知れ。自ら律する事が可能なのは、自分だけである。自分の思うようにならないもの、それは、他人と過去。自分の力で切り開けるもの、それは自分と未来。
210:愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
 211:それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。
 212:愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか。
この3つの詩句は、他と違った意味で私は捕らえる。他の詩句は、文字通りに読み取れるが、この3つは、そうで無いように思う。普通我々は、愛するものを持とうと努める。しかし、この3つは、それを否定している。愛する人をもつ事は憂いの根源と見るのである。たしかに、愛する人、愛さない人を持たなければ、わずらいの絆は存在しないであろう。しかし、にもかかわらず、我々は、愛するものを持たずに生きられない弱い存在であることを認識せよという意味で私は捕らえる。
  284:たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。-乳を吸う小牛が母牛を恋い慕うように
私は、束縛から解かれなくとも、この欲望は失いたくない。
  
[感興のことば(ウダールヴァルガ)]
 一章22:いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終には落ちてしまう。結びついたものは終には離れてしまう。生命は終には死に至る。
「諸行無常」を解いている。
 二十五章5:劣った卑しい者になじむ人は堕落してしまう。しかし等しい者に付き合う人は実に堕落することはないであろう。すぐれた者に近づく人はすぐれた状態に達する。それ故にこの世では自分よりもすぐれた人と付き合え。
だから私は、「書」に親しむ。
 二十五章14:聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えてもただちに真理をはっきりと知る。-舌が汁の味をはっきりと知るように。
真理を僅かな言葉で理解出来る者こそが聡明である。自画自賛であるが、私も、これに近いと思う。
 三十章38:この世で教えをよく説き、多く学んで、何物をももたない人は楽しい。見よ!人々は人々に対して心が縛られ、何物かを持っているために(かえって)悩んでいるのを。
全ての悩みは、「執着」から発している。「執着」を見出す事こそ、悩み無き行方
の本質である。
 三十二章37:執着の条件に依って苦しみが起こる。苦しみは執着の条件から生じるものである。執着の条件がすべて滅びたならば、苦しみの起こることはない。
正に真理である。私は、これを完全に理解している。

以上、素晴らしい「教え」を読ませてくれた本書は、私にとって素晴らしい体験
となった。中村氏翻訳の原始仏典は、いずれも生きる上での教訓を提示してくれ、
素晴らしい経験をさせてくれる。これからも、氏の訳書に親しんでいきたい。

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紙の本人生は愉快だ

2009/01/26 18:48

生きる事への応援歌

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著者、池田晶子とは、どんな人物だったのだろう。彼女は、故人である。帯に「死んでからでも本は出る」とあったので、本書は、彼女の死後出版されたのだと思う。著者の紹介には、文筆家とあった。
本書は、3章からなっている。第一章では、「死を問う人々」と題して、古今東西の哲学者、宗教家等30名の思想を端的にそれぞれ5~6ページで語り挙げている。私もかなりの哲学書を読んだが、それぞれの哲学者の思想を端的に第三者に説明する事は出来ない。とてつもない理解力だと感心した。第二章では、「生を問う人々」と題して、質問に対する答えという形で人生相談である。まるで男性の如くズバズバ物言う姿勢には驚かされ、また納得してしまう。第三章では、「人生のあじわい」としてエッセイ集である。ここでも読み易く、興味深い内容が綴られる。
全体を通して、生きる事は、楽しいものだという応援歌のようにも感じたし、真面目に生きているか?と真髄をスバッ見られたような気にもなり、興味深く読めた一冊である。

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