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先月(2017年6月)

arayottoさんのレビュー一覧

投稿者:arayotto

39 件中 1 件~ 15 件を表示

予想以上におもしろい

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テレビの雑学番組でこんなことを言っていた。

薬の有効成分は、本当は3割程度の量で充分だが、それだけの量では薬を飲んだという満足感や安心感が得られないため、残り7割ほど(安全な)添加物を加え、飲み応えのある量にしているのだとか。

有効成分が一切ないのに、例えば小麦粉などを、白衣を着た権威ある医師(らしき人)から処方されると、よく効く薬と思い込み、病気も直ってしまうプラシーボ(プラセボ)効果というものもある。


まったくもって人間てのは、理性的合理的な顔をしながら、なんて不合理にできているのだろう。

でもその不合理は予想外なんかじゃなく、予想どおりでもあるのだ。


ダン・アリエリー「予想どおりに不合理」
2008年暮れから読みはじめ、2009年三が日に読みおわった、年越しの一冊。早くも2009年上半期「じつにおもしろい」本トップ3にランクインである。


この本に書かれてあること
~相対性の真理/ゼロコストのコスト/社会規範のコスト/予測の効果~などを、
漫才やコントのネタにある「あるあるネタ」の、行動経済学バージョン、なんて言ってしまっては経済を学ぶ人に怒られるだろうか。


でも本書に挙げてあるいくつかの例は、まさに誰にでもある「あるある」なのだ。

例えば、本書に書いてある事例に似たことで、こんな事はないだろうか。

アマゾンで1500円以上配送料無料につられ、今すぐ必要でない本を足し、1500円を超える価格にして配送料無料にしたが、ついでに買った本を未だ本棚の片隅に置きっぱなしの人、

明日からジョギングを始めようと決意し、翌朝起きたら雨だったので、さらに次の日をスタートの日に先延ばしにした人、

映像編集なんてやらないのにいつか子どもが生まれた時のためにと、映像編集ソフトをインストールした、膨大なハードディスク容量、最大メモリ容量のパソコンを買ってしまった人、

仕事に必要な本と一緒に好きな作家の新刊小説や趣味の雑誌を買い、合わせた金額の領収書を経費にしてしまっている人。

ひとつでも当てはまる人は、
この本を、読んではいけない。絶対に薦めない。
ショックを受けるからだ。


なんたって帯の文句からしてこうだ。
「あなたが無駄使いするのは、前もってわかっている!」

有無を言わせぬ断言だ。


怖いものみたさで人間の不合理さを知りたい人は読むがいい。むしろ一日でも早く読む方がいい。

じっくりと冷静になって考えてみればあの時あんな選択や行動を起こさなかったのに、なぜあの時は理屈に合わない不合理な選択や行動をしてしまったのか。
それらはすべて「予想どおり」だと本書は言う。

だから一日でも早く読み、不合理な行動を起こさないよう身を引き締めねばならないのだ。
特にこの未曾有の不況においては。



実は今も私は悩んでいる。
昨年の暮れ、新聞の折り込みチラシに誘惑的なものが入っていた。大手のスーパーのチラシだ。
2009年1月4日に、そのチラシを持っていけば、お正月特別割り引きとして、1000円以上お買い上げに300円、3000以上お買い上げに1000円割引となるのだ。

約1週間ずっと保管し、さあ、今日はその1月4日。
本書を読む前は、必ず足を運ぶつもりでいた。

特に今買いたいものはないが、こんなお得なチャンスはないと、「なにか」を3000円分買うつもりでいた。
しかし、本書を読み終えた今、悩む。
「予想どおりに不合理」な罠に引っかかるまいと理性と戦う2009年初頭の、私がここにいる。

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紙の本赤めだか

2008/10/22 17:50

落語が聞きたくなる本

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テレビを見ていると、お笑い関係の番組にいろいろな落語家が登場している。名前を見るだけで、この人は落語界(出身)の人だとすぐ分かる。それだけ落語家は身近で、落語そのものも近い距離にあるものだと思い込んでしまっていた。

でも、よくよく考えてみたら、私は真剣に落語を聞いたことがない。寄席に足を運んだこともない。熊さんはっつあん寿限無、という断片的な単語しか知らない。

立川談志?もちろん、名前は知っている。
でもそれは落語とは離れた分野でだ。毒舌とか破天荒とか、そんなイメージだ。
だから、そのお弟子さんの談春さんのことも知らなかった。

普通ならば手にしないジャンルだが、あまりにも評判がいいので読んでみた。

結論。面白い、ではないか。

エッセイというかドキュメントというか、修業時代から真打ちになっていく過程が面白おかしく綴られている。

はじめは、本書にもある名言

「修業とは矛盾に耐えること」

を体験していく単なる青春ものかと思っていたが、ところがどっこい、師匠との関係(単なる師弟なんて関係じゃなく、愛と憎の関係)や、弟子同士の関係(嫉妬ややっかみ)が、赤裸裸に描かれている。
おいおいそこまで書いていいのかよ、と心配になるほど正直に、しかし面白く書いている。


最終章にチラッとしか出てこない偉大なる人間国宝のお二人とのエピソードは、落語(落語界)に詳しくない私でも背中に電気が走るほど、感動してしまった。
これは事実の力なのか、談春さんの文章力なのか、ああ、いいものを読ませていただいたって感じだ。
この人の落語を無性に聞きたくなる。


まだ10代の修業時代、談春さんに師匠(談志)が語る、この台詞が印象的だ。

以下、一部抜粋。

型ができていないものが芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。
型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。
(中略)型をつくるには稽古しかないんだ。
語りと仕草が不自然でなく一致するように稽古しろ。
(中略)進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ。

以上。



伝統的な技の世界に、「守破離」という言葉がある。

伝統(型)を守り、破り、そして離れる。

ああ、ひとつのことに抜きん出た人の語る言葉は重い。

落語界ではないが、私も陶芸界の人間国宝の方と一緒に仕事をさせていただいたことがある。
その方の口からも、そんな言葉をいただいた。

そういう言葉をさらっと口に出せ、似合う人間になりたいと、今さらながら思う一冊であった。満足満足。

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紙の本尾崎放哉句集

2007/12/06 17:02

言葉に力にやられた

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「咳をしても一人」
うーん、なんなんだろう、このあっけなさ。たった7文字なのに、たまらなく切ない気分になってしまう。「咳をしても」の「も」がさらに孤独感を増幅させている。咳だけでなく、笑っても、泣いても、怒っても、何をしていても「一人」。たまらない。

「わが肩につかまって居る人に眼がない」
これはどういった状況なのだろう。誰かが作者の肩に手を置きつかまっている。それはなぜか。それはその人に眼がないから?作者とその人との関係は?なぜそのような状況に?句にうたわれている状況を映像化してみるが、なんかとても痛い。

明治から大正を生きた、尾崎放哉という俳人の句を読んでみた。
季語にとらわれない自由律俳句をいくつか発表している。


たった20字ほどの短い文章なのに、長編小説を読んだ以上の圧迫感がある。この句集はささっと眺めるだけなら、1時間もかからずに最後のページに到達できる。でも、途中何度も何度もページをめくる指が止まってしまった。思いを巡らせてしまった。この句を読んだ状況や背景について。
私はまだ尾崎放哉のことをよく知らない。東大出身で、酒を飲むとよく暴れ、病気で死んだ、という程度のことしか知らない。今無性に知りたくなっている。

小説や映画の場合、作者のことをあまりよく知らなくても味わえるし、楽しめる。作者が送り出した登場人物に気持を移入して客観的に楽しむことができる。
でも句や、例えば写真の場合は、そういうわけにはいかない。もちろん作者のことなど知らなくても、そこに描かれた世界だけを味わうことが出来るが、それだけではもったいない。その句や写真を発表した時、どんな時代のなかにいて、誰とどこで何をしていたのか、健康や財政はどんな状況だったのかを知ると、その短い文章や一枚の写真の意味が大きく変わってくる。作者そのものも表現そのもの。

「すばらしい乳房だ蚊が居る」
「一番遠くへ帰る自分が一人になってしまった」
「すぐ死ぬくせにうるさい蝿だ」
「起きあがった枕がへこんで居る」
「漬物石がころがって居た家を借りることにする」

流し読みすればそのまま通り過ぎていってしまう言葉の連なりだが、ぐぐぐと迫ってくる。ああ、もどかしい。この圧迫感を言葉で表現できない自分がもどかしい。尾崎放哉、恐るべし。

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100年前の栄光に心踊る

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まもなく始まるカナダ・バンクーバー冬季オリンピック。浅田真央ちゃんや高木美帆ちゃん、上村愛子さんの活躍がとても楽しみだ。
そのバンクーバーで、今から100年ほど前、カナダ西海岸を熱狂させた日系人野球チームがあったという。
その名も、バンクーバー朝日軍。
読売ジャイアンツよりも20年も前に、カナダで結成されたらしい。


その結成から活躍、解散までを綴った「バンクーバー朝日軍」という本がある。著者は、父が初代エースだったテッド・Y・フルモトさん。

いやぁ、面白かった。
ほとんど資料は残っていないらしく、試合の描写は、当時の選手のプレイスタイルを参考にしたフィクションらしいが、それでも映像が浮かんでくるような臨場感に満ち溢れている。

100年前といえば、当然グローバルなんて縁遠い過去の話。
日本からカナダに移り住んだ日系人に与えられる仕事は、漁業や林業などの肉体労働しかなく、差別と偏見のなかで必死に生きていこうという苦労があったと思う。そんななか、走塁やバントやスクイズを活かした日本人ならではのスモールベースが、カナダ人のパワーベースボールを次々と打ち負かしていく。その活躍は、さぞ日系人の皆さんを勇気づけ、励まし、誇りをもたらしたことだろう。

「バンクーバー朝日軍」のなかで、はじめは日系人の野球チームなんて、と白い目で見られていた朝日軍が、徐々にカナダ人からも注目を集めていく様子が丁寧に描かれ、2010年の今読んでも誇らしく思える。頑張れと声援を送りたくなる。

しかし、戦争が活躍にストップをかけ、朝日軍の運命を変えた。メンバーは、強制収容や強制移動に追い込まれ、解散に追いやられる。


ストーリーがそこで終わってしまっては、単なる悲劇でおしまいだ。
でも、その後の再評価が感動的だ。

戦中・戦後のカナダ政府による日系人に行った不当な措置に対するリドレス(不正の是正、賠償)が認められ、日系人の名誉回復という勝利を得る。

それは、朝日軍の野球殿堂入り、2002年トロント・ブルージェイズのホーム・スカイドームでの朝日軍OBらによる始球式へとつながっていく。


日本人は今、ひいきのプロ野球チームの勝敗に一喜一憂し、メジャーリーグでの日本人プレイヤーの活躍に熱狂し、地方のあちらこちらでは大小様々な少年野球チームや草野球チームがあるなど、とても野球好きな民族だ。
でも、自分も含めて、100年前、カナダを熱狂させた日系人野球チームがあったことを知らない。

バンクーバーという地で、オリンピックが開かれるのを機に、100年前同じ地で日系人、カナダ人を興奮させた日系人野球チームがいたことに、チラッと想いを馳せるのもいいのかもしれない。

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紙の本異国トーキョー漂流記

2006/09/18 12:37

これこそ真の想像力

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アフリカ大陸のスーダンから日本にやってきた盲目の留学生がいます。彼は生まれてから一度も野球を見たことがないのに、熱狂的なプロ野球ファンです。
目が見えないのにどうして野球が楽しめるかって?
彼は日本語の勉強がてらに聞いたラジオのプロ野球中継を通じて、野球を理解しました。目が見える誰よりも詳しく、熱く、野球を理解しました。
一体全体なんの話しかって?
高野秀行著「異国トーキョー漂流記」第8章<トーキョー・ドームの熱い夜>の話しです。
早稲田大・探検部出身の高野秀行氏は、コンゴでの怪獣探し、中国での野人探し、幻のシルクロード探しなど、多くの冒険記を上梓しています。
わたくし、遅ればせながら最近その存在を知りました。
いやぁ面白い。
冒険の記録そのものも確かに面白い。
加えて、ちょっと客観的で、少し離れたところから自分を眺めている文章がまたクスリと腋の下をくすぐります。
冒頭で紹介した盲目のプロ野球ファンの話しが収められている「異国トーキョー漂流記」は、辺境冒険談ではなく、東京で出会った8人の外国人の話しです。
彼らとの出会いによって、身近な東京が魅惑的なトーキョーへと変化していく様子が心地よいリズムで描かれています。
で、盲目でありながら誰よりも深くプロ野球を理解するスーダン人に接し、高野氏はあることに気づきます。
『人間は言葉と想像力で「見る」ことができる。そうでなければ、誰も19世紀のロシア小説なんか読まない。いや、私が今書いている文章だって読まない。なんでこんな当たり前のことに気づかなかったのか』と。
想像力‥‥
日常のルーティンに浸っていると、時折「想像力」というものをどこかに置き忘れてしまいます。
しかも置き忘れてしまっていることさえも、忘れてしまいます。
ケータイを置き忘れると大慌てするくせに、ね。

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コトバ宝探しの名人・穂村弘

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

寿司屋で食事中,ドアが開きひとりの女性が飛び込んできて,いきなりひと言。
「こんばんは、やどかりなんですけど」
寿司屋でやどかりって、なに?


女子社員がパニクって叫んでいる。
「バーベキュー、バーベキューって何回やっても駄目なんです」


美容院でシャンプー中、上空から降ってくる美容師さんの、例の,あの,コトバとは?


内気で内向的な高校生二人が初デート。共に口下手なので会話が始まらない。これじゃダメだと意を決した女の子が、家族、部活、ペット、将来の夢などを一気に話しだして、さてひと息の後、発したコトバは?


出だしの魔にとり憑かれた校長先生が,運動会開会の挨拶で発した第一声とは?


買ってきたパネルヒーターを持って電車に乗っていたら、向かい側の中年女性がそれを見て「いいもの買ったね」と話しかけてきた。誰だろうと思っていたら…。



これらはすべて現実に発せられたコトバとコトバにまつわるエピソードです。ミステリーでも謎なぞでもありません。
受け狙いや計算というしたたかさが見え隠れしない、偶然から生まれたコトバの、なんと魅力的で興味深く、そして恐ろしく可笑しいことか。

続きが知りたい人は、穂村弘「絶叫委員会」をまずは読むべし。
こんな綺羅、星のごとく輝くコトバの数々がたんまり収められています。



会話、テレビ、看板,広告、世間話、挨拶と、わたしたちは毎日多くのコトバと接しています。
それなのに、なぜこの本に取り上げられているような輝く宝のようなコトバの数々に気がつかなかったのか、「絶叫委員会」を読んでいて,自分のコトバ発掘力のなさに情けなくなってしまいました。

著者・穂村弘は宝コトバ探しの名人だと思います。

これまでも「現実入門」「整形前夜」「世界音痴」「本当はちがうんだ日記」などなどと、その観察力、洞察力、コトバあやつり力の見事さに魅かれ、読みつづけてきましたが,今回の「絶叫委員会」はその蒐集と考察にさらに磨きがかかり、釘付けです。続けざまに二回、三回と読み返してしまいました。


世界で飛び交っているおもしろおかしいコトバをただ単に紹介するだけならば、ほぼ日「言いまつがい」があります。
でもそれは、遺跡好きの小学生が近所の河原でちょっと変わった石を見つけ、たまたま貴重な化石だった、というのと同じです。

穂村弘は違います。

見聞した、普通ならば見逃してしまうコトバの数々に独自のスポットライトを当て、そのコトバを発した人の心理、状況、展開、生き様、歴史、人生をも冷静に分析解釈考察しているのです。ただの石を貴重な発見へと変えてしまっています。

そう、穂村弘は宝探しの名人であると同時に、宝磨きの達人でもあるのです。

しかもその文章は,穂村弘独得のちょっと遠慮がちな文体で綴られ、笑えます。エッセイ本としても秀逸です。


ああ、世界はこんなにも驚きに満ちたコトバにあふれているなんて。今まで気にもとめなかった自分に反省です。

コトバに興味ある人は必読の1冊です。

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紙の本横道世之介

2009/12/22 17:53

毎年読みたい傑作

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

迂闊だった。こんな展開になるとは。
吉田修一は好きで、ずっと読んできたが、この本は、単なる作者の若かりし日々の思い出を描いた青春小説だと思い、ちょっと敬遠していた。

タイトルだって主人公の名前そのままの横道世之介ときたから、飛んだり跳ねたり好いた惚れたの毒にも薬にもならない、ほんわか青春物語と思っていた。

ところがどっこい。もっと早く読んでおくべきだった。


世之介はイイ。流されながらも、周囲の人を不機嫌にさせず、カッコよくないけど、なぜだかいつも近くにいたくなり、正直に生きている姿は魅力的だ。
彼女の祥子ちゃんは フシギちゃんで、付き合うには辛いけど見ている分には楽しい。
世之介を取り巻く脇役のみんなもいいね。後半に初めて出てきたキムくんが、その後の世之介を浮かび上がらせる、ある意味象徴となっていて、練り上げたプロットの見事さを感じる。

時折挿入される「みんな」のその後。
はじめは、時代を行き来させていることにとまどったけど、千春のその後で、え!となってしまった。

読者はここから、世之介を見る目を変えざるをえなくなってしまう。


そうか、2001年1月26日に起きたあの事件に世之介は関わっていたのか。
なるほど。世之介ならありえるかも、と納得させる見事さがあった。

あの事件とは…。うーん、書きたいが、書いてしまうと読む楽しさが半減してしまうので、ちょいと我慢。


実際、あの事件は、私自身もショッキングであり、感動であった。なんといっても、当時の新聞記事を切り抜き、今もノートに貼りつけてある。
読み終えたあと、引っ張り出してみた。かなり黄ばんではいたけど、事件を伝える記事を読むたびに悲しくなるが、胸も熱くなる。

吉田修一は、この物語をどういう順番で考えたのだろう。

あの事件がまず最初にあったのだろうか。
あの事件に感銘を受け、モチーフにして何か物語を作りたい。あの事件のあの人だったら、こんな青春だったのだろう、と、逆算して物語を紡いでいったのだろうか。

それとも、横道世之介というキャラクターをまず創造し、彼だったら何をするだろうという帰結で、あの事件を結びつけていったのだろうか。

2009年の終わりがけに読んだ横道世之介。
清々しく美しく愛らしく微笑ましく、生涯何度も読み返したくなる一冊だ。
横道世之介とあの時代を生きた仲間は、彼のことを誇りに思っている。間違いない。

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紙の本プロフェッショナル広報戦略

2006/08/09 17:56

目の前にあるものをそのまま信じるな!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自民党・コミュニケーション戦略チームのリーダー・世耕弘成氏の「プロフェッショナル広報戦略」を読みました。
元NTT広報だった世耕氏が、前森首相にリクルートされ、立候補したのが1998年。
政治家となった彼は、がく然とします。あまりにも無防備で、無計画な自民党広報に。
そして痛感します。
政界にも、戦略的な広報力が必要だと。
幹部に訴えかけますが、必要性がない、と最初はなかなか受け入れてもらえません。世耕氏は、タイミングを図りつつ、自民党内における戦略的広報力を高めていきます。
その結果は‥‥
昨年の衆議院議員選挙で明らかとなりました。
分かりやすく、シンプルなメッセージ‥
ライバル(民主党)の徹底的研究‥
テレビ出演議員の効果的なキャスティング‥
などなど、具体的な広報戦略については同著に詳しく記されています。
さて、この本を読んで思ったこと。
・ホワイトハウスでは当たり前だった広報戦略が、日本の政界では全く練られていなかったという現実。いかに遅れていたか。
・商品販売における大ヒットにもあたる、昨年の選挙における歴史的勝利。
その裏側にあった広報戦略を知ると、見えなかったものが見えてくるから不思議です。
真に消費者(国民)はそれ(自民党)が欲しくて買った(投票)したのかどうか。なぜ多数は、購買(投票)に至ったのか。
大声で呼びかけてくれているから?
分かりやすいから?
考えるのが面倒だから?
なんとなく?
意識的なのか無意識的なのかは分かりませんが、不安定な消費者心理を踊らせる、<笛の音>がそこにあったのは間違いありません。
と考えると、恐ろしいですね。
巧みな戦略があれば、望む結果はある程度導き出せる、ということでしょうか。
「メディア・リテラシー」という言葉があります。特に学校教育の現場でうたわれています。
子どもは目に見えるモノだけが全てと思い込みやすいからと、その必要性が叫ばれていますが、目に見える「現象」だけで判断しているのは、子どもだけじゃないような気もします。
時には立ち止まり、裏側にあるかもしれない「なにか」を想像してみることも大切ではないかと思います。

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無名というなかれ英雄である

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

転がったボールに大勢の子どもが一斉に集まる小学生のサッカーのようだ。
原発事故に直面し、免震重要棟内で右往左往する東電社員の姿を、自衛隊統合幕僚幹部がこう例えていました。

事故発生当初から、そして一年後の今でも、東電の変わらぬ当事者意識のなさを象徴するようで、うなずくと同時に、情けなくなってしまいました。
「外事警察」「宣戦布告」「奪還」で知られる麻生幾のルポ「前へ!東日本大震災と戦った無名戦士の記録」の一節です。

3部構成第1章は、目に見えぬ放射線のなか、福島原発放水作業に向かった自衛隊、警察、消防の決死の作業を。
第2章は、キレイな道を作る必要はない。人命救助と捜索部隊のために、まずはとにかく最低限車輌が通る道を確保し、また、その迂回路を探すことに徹した、国土交通省東北地方整備局を。
第3章は、訓練やシミュレーション、対処計画を遙かに超えた現実に、省庁の壁を超えて立ち向かった内閣危機管理センター、自衛隊、地方警察、災害派遣医療チームを。

丹念丁寧な取材に基づき、震災当日から数日数カ月間を臨場感ある筆致で再現したルポです。あの日あの時あの場所で起こったことが凄まじい衝撃で突き刺さってきます。

メディアにはあまり登場しないこうした無名戦士たち(いや、英雄です)の決断と行動には賛辞しか思い浮かびません。ホント頭が下がります。

しかし悲しいことに、こうした栄誉が描かれれば描かれるほど、反面鮮やかに浮き上がってくるのが、冷静さを失った、ただ「声が大きいヒト」たちの醜さです。


早々に総理専用室にひきこもってしまった菅直人、指揮命令系統を無視して怒鳴り散らすだけの海江田経産省大臣、放水作業に向かう決死隊に不鮮明な原発建屋写真だけを渡して「この辺りです」としか言えない東電社員、爆発という現実を受け入れず「確認できていません」と後送りにし、避難を遅らせてしまった官邸、東電、保安院などなど。

ひょっとしてこの国は、無能な少数のリーダーと、有能な多数の無名戦士によって、ようやくなんとか保たれているのでは、と感じざるを得なくなってくるから悲しくなります。


1万5千を超える犠牲はたしかに大きく、防げなかったのか、と今後も問いかけられ続けていくでしょう。
でも、この本で紹介されている英雄たちの不断の決断と行動があったからこそ、1万5千でとどまったとも、言えるのかもしれません。

南海トラフの危険性が高まるなか、必ず起こるであろう次なる災害に対して、適切に迅速に対処するためにも、あの震災を、立ち向かった人々の側面から、今一度振り返ってみることが必要で重要です。
そのためにも多くの日本人が読むべき一冊だと強く感じました。

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紙の本考えの整頓

2011/11/29 12:13

歩きながら考えてみる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

雑誌「暮らしの手帖」に連載されていた27篇のエッセイ(というか考え方)。
著者・佐藤雅彦さんの対象の捉え方、思考・分析の妙にはいつもいつも惚れ惚れします。

両手がふさがっているなか、地図を持ち歩くにはどうすればいいか。道を教えるおまわりさんの姿から導きだされる、その創意と工夫の発見を綴った「おまわりさん10人に聞きました」

蓋の蝶番の近くにある小さな針金を手で押さえることによって、オルゴールは蓋が閉まっていると思い込んで音を鳴らさない「〜と、オルゴールは思い込む」

読者を次々とふるいにかけながらも、該当しない読者をも最後まで読まざるを得ない思いにさせる「ふるいの実験」は、ミステリーを読んでいるような巧妙さを感じました。

最後の一篇「その時」。
東日本大震災のその時を題材にとりながらも、1854年の東海大地震で被災した著者地元の、その出来事の伝え方を紹介しています。悲惨な出来事をありのままに伝えていくのではなく、地元への誇りへと転換させたその伝え方には、感動さえ覚えました。


普段暮らしていて、何だろう、変だな、面白いな、と感じることがよくあります。
私を含め多くの人は、その違和感や関心をほんの一瞬のものだけで終わらせてしまっています。
それは日常の出来事だけではありません。テレビや活字メディア、ネットからの情報にも疑問や興味、関心を多く抱きながらも、それらへの引っかかりは、ほんの一瞬で終わってしまっています。

それについて考えている間に、次々と新しい情報が押し寄せてくるからです。
考えている暇なんてない。次なる情報をインプットしなくては、の強迫観念が支配しているからです。


この一冊を読んで、そんな生活スタイルを改めようと思いました。消化不良のまま貯まりに貯まったいくつかの出来事をもう一度考えなおしてみようと。

あとがきのタイトルは、「歩きながら考える」でした。そのなかで「暮らしの手帖」編集長がこう語っています。

「この文章には、ものごとの輪郭を辿っていく面白さがあります。突然ものごとの核心に行くのではなく、その輪郭を歩きながら、考えていることを文章にしているように感じます」

そうなのかもしれません。そうそう簡単に考えがまとまり、結論が出るとは限りません。
ゆっくりゆっくり歩きながら考えていく。
回り道かもしれませんが、案外それが、自分なりの結論への近道なのかもしれません。そう感じた一冊です。

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紙の本新世界より 下

2008/04/16 13:20

今私たちに欠けているものは

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

上下合わせて1000ページ強。にもかかわらず一気読みだ。

未来というと現在からの連続の先にあるもの、すなわちもっともっと文明・科学が進んだ世界というイメージがあるが、「新世界より」の1000年後はそうではない。
ある事件によりリセットされた新世界なのだ。

「ある事件」の原因(要因)を封じ込めからリスタートしたその世界は、表面上はとても牧歌的で、プリミティブだが、その奥底にはとても深い秘密が隠されている。


かつてトンデモ科学の世界で、「人類は核戦争で一度滅んだ」なんて説があったが、この「新世界より」で描かれる「ある事件」は、核戦争なんかよりも、ある意味もっともっと恐ろしい。

まったく同質ではないが、
「誰でもいいいから殺してみたかった」とか「無差別殺人」なんかが頻繁する現代社会にも、その根はどこかに隠れているのかもしれないと、読んでいてゾッとした。



下巻は、すさまじいエンタテイメント。
大友克洋の「童夢」や「AKIRA」の世界がそのまま活字でノンストップ。
面白いけど怖い。
ページをめくる手が止まらないが、めくった後のページで展開される「出来事」が衝撃。

惜しいのは全体の構成が主人公の手記という形をとっていること。
だから危機に瀕する主人公は死なないのだ。必ず助かるのだ。
でも、それを差し引いてもくぎ付けだ。



「新世界より」で描かれているのは、決して1000年後のフィクションではない。
今まで人類が繰り返してきた愚かな歴史の再現であるともいえる。

バケネズミが、誰の、何のメタファーなのかは、読む人、読まれる時代、読まれる言語・国によって異なると思う。
でも誰もがきっと思い当たる。
私たちはバケネズミ的なものを、多数の強い力で封じ込めてきたことを忘れてはいけない。


蚊やハエ、ゴキブリは平気で殺すが、同じ人間以外の生き物でも愛玩となった生き物は殺せないように、強者と弱者、多数と少数、美と醜、支配と被支配、今この世の中に占めているあらゆる問題が、「新世界より」には描かれている。

この本を読んでいる間、中国ではチベット問題が起きた。
「新世界より」で描かれていることと結びつけてしまったのは、私一人ではないはずだ。


1000年後のために、今、私たちに欠けているもの。今、私たちに、もっとも必要とされているもの。
その答えが、ラスト一行にはあった。

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「変」もいつかは当たり前になる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ウエブ上にアップされた情報を共有することで新たな価値が生まれる。昨今のWeb2.0ブームを語る時に良く出てくるフレーズがこれです。
情報の共有?
分かったようで良く分からないこの概念を、至極身近な場面に置き換えて語っている夲と出い合いました。
(株)はてなの近藤淳也氏が書いた「へんな会社のつくり方」です。
それはこうです。
Bさんとの待ち合せに遅れたAさんがいます。Aさんは、遅れた理由を語ります。
「ごめんごめん。駅に着いたときに財布を忘れたことに気づいて、家に一度戻ったんだ」
この遅れた理由はAさん個人の理由であり、問題。
ここでBさんがこうアドバイスしたらどうでしょう。
「財布はいつもカバンに入れるとかしておいたら?」
この瞬間、「Aさん個人の問題」は、「AさんとBさんの問題」に変化します。
「遅刻」という情報を共有したことで、個人の問題が2人の問題へと変化したのです。
情報共有とは、「自分のこと」を「多くの人のこと」に変えることであると、近藤氏は語っています。
なるほど。
こんな形の情報共有なら、今までだって誰だってどこでもしてきたはずです。
家庭や会社や学校や、地域の小さなコミュニティのなかでごく自然にごく当たり前にやってきました。
それがウェブというバーチャルな世界に場が置き変わると、とても難しいことのように語られてしまうから、不思議です。こんなふうに大仰な現象をシンプルにとらえることができる近藤氏の会社、(株)「はてな」もユニークです。
いくつかの例を同書のなかから上げてみます。
■全ての情報は社内で共有しあう。
社外とのメールでの打合せ内容についても、守秘義務契約などに違反しない範囲で、社内で共有しあっているそうです。その際のルールは、その情報をだすべきかどうかを情報発信者が判断しないということ。すべての情報を出しておいて、情報閲覧者がその情報を読むべきかどうかを判断すればいい、としています。
■二人一組でプログラミングを行うペアプログラミング
一人で行うよりも作業量が二分の一になってしまうのではないか。
いやいや違う。
このペアプログラミングの利点にはなるほどと思いました。たしかに一人で作業をするよりも、効率の面からいえば有効的です。これは社員全員のオープンさ(情報の共有)が徹底されているからこそ、のメリットですね。
この他にも、
■会議は立って行う
■毎朝好きな席に座る
■サービスのディレクターをコンペで決める
■人材採用も、履歴書などという一日で書けてしまうものよりも、その人自身がたっぷり含まれている***で判断しているとか。
どれもみな、なるほどって感じです。
旧来のシステム、従来のヒエラルキーに基づく会社で過ごしている人たちにとって、この「へんな会社のつくり方」に上げられている内容はとても刺激なのではないでしょうか。
だからといって、現象だけを簡単に真似できるものでもありませんがね。
生産者と消費者
上司と部下
ルールをつくる人と守る人
などといった二極構造の境界線がどんどんグレーになってきています。面白くもあり、難しくもあり。
いつまでも俺は、
上司だ、売り手だ、経営者だ、送り手だ、と思っていたら大変なことになってしまうかも?いつの時代も変化はゆるやかだから、その時代の真ん中にいる人は案外気づかないものです。時代を過ぎ去ったり、時代の手前にいる人の方が、冷静に、敏感に感じ取れるものなのです。

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映画篇

2007/08/12 16:13

映画篇を読むと観たくなる

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もしも、もし、自分がレンタルビデオ店の店員で、お客さんが「ローマの休日」を借りようとパッケージを持ってカウンターに現れたなら、こう尋ねるかもしれません。
「もしかしてお客さん、金城一紀の『映画篇』読みました?」


この作家の物語り方(ものがたりかた)は、とてもステキです。
ゾンビーズシリーズにしろ、「対話篇」にしろ、物語りを紡ぐ一文一文に、登場人物に対する愛情が見事に注がれているからです。
そして今回の「映画篇」は、その愛情が「映画」というものにも惜しみもなく向けられています。しかも、収められている5つの物語どれもが、とてつもなく優しく、切なく、力強く、愛らしい。

優れた小説の条件のひとつに「連鎖」があると思います。
小説の中で登場人物や作者が語る事柄、物事を、もっともっと知りたくなるかどうか、という連鎖です。
この「映画篇」はその条件を見事に満たしています。
登場するすべての映画を見たくなってしまうからです。
だから急げ!レンタル店へ!

でも…
それではダメなんだ。

レンタル店で借りてきて、明るいリビングルームで、ポテトチップスでもつまみながら、友だちから届く携帯メールに応えながらという「簡単な方法で観ても」「その感動は簡単に手から離れていってしまう」からダメなんだ。
と、実はこの小説は語っているような気がします。

ラストの一編「愛の泉」で、教授が主人公に、人を好きになったらどうする?って尋ねます。
「君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何も知っていなかったのを思い知る」

このセリフは痛い。
人を好きになることだけでなく、今、あらゆる面であらゆるモノを簡単に手にすることができる半面、イヤ、簡単に手に入るからこそ、簡単にどこかに置き忘れてしまう。
映画に関して言えば、まだビデオなど一般的でなかった70年代(私が10代の頃)に映画館で一瞬たりとも見逃さないよう目を凝らして観ていた映画の方が、最近DVDで観たあの映画なんかよりも、深く深く記憶に刻まれていることからも明らかです。



「太陽がいっぱい」の中で主人公と友だちが、これまで観た中で面白かった映画のタイトルを次々と挙げるシーンがあります。こういう時必ず読み手はそのなかに自分の好きな映画がどれだけ入っているか探すものです。ありますあります、かつて公開を待ちに待って映画館で胸ときめかせて観た映画ばかりです。
ただひとつ残念なのは、私の生涯ベスト1である「冒険者たち」(ロベール・アンリコ監督/アラン・ドロン/リノ・バンチェラ/ジョアンナ・シムカス出演)が入っていなかったことかな。
とはいうものの、
そんなのを差し引いても、何度も読み返し、大切に記憶にとどめておきたいと願う小説です、これは。

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紙の本九月の四分の一

2006/08/27 16:43

さらば冥王星

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

【冥王星がまだこの世に存在していなかった時代、というよりも、その存在がまだ認知されていなかった時代。一人の日本人青年が、遥かイギリスを目指して海を渡っていった。】
こんな文章から始まる短編小説があります。大崎善生さんの「ケンジントンに捧げる花束」(「九月の四分の一」収録)です。
親しんだ「水金地火木土天海冥」という語呂合わせがこの先変わってしまうというニュースに接し、改めて読み直してみました。
1910年樺太で生まれたその日本人青年・吉田宗八は、1929年に留学生としてイギリスに渡り、一人のイギリス人女性・ジェーンと出会い、恋に落ちます。しかし時代は戦争の嵐に。イギリスの敵国、ドイツの同盟国である日本人の彼は、スパイ容疑をかけられ、逮捕、拷問を受けます。それでもジェーンは彼を信じ続けます。
「イギリスを嫌いにならないで。私を嫌いにならないで」と。
戦争が終わり、二人は結婚をし、宗八はイギリス国籍を取得します。
晩年の彼の楽しみは、日本から届く将棋雑誌。月遅れで届く将棋雑誌を楽しみながら、宗八は90歳で他界します。
この短編小説の主人公は、その将棋雑誌の編集者です。彼のもとに、未亡人となったジェーンからの手紙が届きます。
日本を捨て、イギリス人となった宗八の唯一の楽しみであった将棋雑誌編集者への感謝の手紙が。
編集者は、そんな宗八の墓前に花束を捧げようとイギリスへと渡ります。
遠く離れていても、人と人はどこかでつながりあっている、それを信じあうことで心豊かになれる、そんな思いが淡々とした文章で綴られています。とてもステキな作品です。
この小さな物語の、小さなモチーフのひとつとして冥王星が登場していきます。
発見される以前から確かにそこにあった冥王星という小さな星。発見され、プルートと名づけられることで、途端にその存在が明らかとなった冥王星。今、その存在がまた消え去ろうとしています。
現実に会ったことはないが、確かに存在していた吉田宗八という日本人。自分が編集していた雑誌を通じて、確かにつながりあっていた二人。
主人公にとって、吉田宗八という人物は、存在は確かめられないが、確かに存在している(していた)冥王星のような存在だったようです。
作者・大崎氏はこう綴っています。
【僕たちはきっとただの知識として、冥王星の存在を知っているに過ぎない。それを見たこともないし、またおそらくはこの先もこの目で見ることはないのだろう。それを本当に存在と呼べるのだろうか。
しかし、と僕は思う。
自分にとって存在していなかっったはずの吉田宗八は、しかし確実に存在し、今僕の心の中でいまだかつてなかったような小さくはあるが明るい光を放っている。存在の不確かさの象徴のようなあの星と同じように。】
何100人か何1000人かは知らないが、プラハに集まった天文学者たちの挙手によって、惑星としての存在を否定されてしまった悲しき冥王星。科学というものはなんと非情で無責任なのでしょう。
惑星としての冥王星は存在しなくなってしまいましたが、小さな星としての冥王星は確かにそこに存在しています。
「存在」ってなんでしょう。
死界の王という意味を持つプルート。それを冥土の「冥」の字を当てて、「冥王星」という和名をつけたのは、作家大仏次郎の兄・故野尻抱影さんという人らしいです。
「冥土」の「冥」という当て字に、当時は反対や議論もあったそうです。
76年という惑星人生に終わりを告げた冥王星の冥福をお祈りいたします。
でも、かつて必死に覚えた「水金地火木土天海冥」という心地よい響きは、教科書に書き込まれたペン跡や教室の匂いとともに、この先きっと忘れることはないでしょう。

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紙の本スコーレNo.4

2009/06/08 19:22

震える一冊

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

宮下奈都「スコーレNo.4」
日曜の午後一杯かけて読み終える。

惜しい。
読み終えてしまうのがもったいない。
ずっとずっと「スコーレNo.4」の世界に浸っていたい。

本を読んでこんな想いに浸るのはいつ以来だろう。思い出してみる。
そうそう、ロバート・R・マキャモン「少年時代」以来だ。


夏、一杯汗をかいた後、ゴクリと飲むビールが、喉を通過し、食道をつたい、胃に落ち、血管や神経の隅々に染み入っていくのが感覚的に分かる。ぷはぁと思わず漏れる吐息にひとときの幸せを感じる。
「スコーレNo.4」の1頁1頁1文1文ひと文字ひと文字が視神経から脳へと伝わり、胸のずっと奥に染み渡っていき、うわぁと潤む瞳に幸せを感じる。

なんていう下手な例えだと我ながら恥ずかしくなる。

が、

「スコーレNo.4」には、こんな例えじゃない、もっともっとステキで洗練された言い回しや描写が随所に散りばめられている。
しかも、どれもが心に沁みてくる。
真っすぐな想いが美しい言葉で綴られている。


タイトルのスコーレとは「学校」のことで、主人公・麻子の成長を4つに区切って描いている。
小学生のNo.1 
高校のNo.2
社会人1年のNo.4 
そして、いまのNo.4

なんといってもNo.3とNo.4が、秀逸。絶妙。絶品。極上。
なんだろうこの感覚。大げさでなく、No.3とNo.4に関しては、頁をめくる度に、震えが来た。

仕事をするという意味と価値と誇り。自分の仕事を愛するためにはなにが必要か。そして、単なる異性がときめきの対象へと移り変わる瞬間の揺れが見事に描かれていて、ホント、気持ちよい。

男性である自分がこんなにもときめく想いになれるのなら、主人公と同じ女性だったら、どうなんだろう。たまらないんじゃないだろう。
仕事に悩み、恋に悩み、自分にとって大切なものってなんだろうと思い、いつも誰かと自分を比較してしまってもがいている、そんな女性に是非とも読んでもらいたい。


宮下奈都はまだそんなに本を出していない。
この「スコーレNo.4」ともう一冊「遠くの声に耳を澄ませて」があるだけのようだ。追いかけるにはまだ間にあう。いまからでも充分浸ることができる。

こうやって見ると、最近本を読んで震えるのは、
有川浩(「図書館」シリーズ以外)、
椰月美智子(「十二歳」「体育座りで、空を見上げて」「しずかな日々」)、
小川洋子に森絵都。
と女性作家ばかりだ。


今回のような震える小説を読みながら、その合間に、穂村弘のエッセイで大笑いをする。ああ、いいバランスで本を読んでいるなと、思う。

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