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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

ゆぎりさんのレビュー一覧

投稿者:ゆぎり

14 件中 1 件~ 14 件を表示

紙の本デルフィニア戦記画集

2001/02/16 03:15

あのデルフィニア戦記のイラストの数々が満載

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『デルフィニア戦記』で使われていた表紙、口絵、本文中のイラストが全て掲載されています。また、新しいイラストも何点か。今までその姿を知られていなかった副団長のガレンスやアスティンも登場しています。見所は、17・18巻で使われたイラストがちゃんと一枚になっているところや、デルフィニアの3人組とボンジュイの3人組の対比図があるところ(リィがちゃんと男になってます)。
 イラストだけでなく、西離宮の見取り図やコーラル城全景もあり、「デルフィニア事典」もあり、以前CDに収録されていた短編もあり、デルフィニアでの優雅な一日を描いた主要人物総出演の中篇『ポーラの休日』もあり、作者のインタビューもありと一粒で二度どころか、4度も5度もおいしい感じがします。値段は多少張りますがその価値は十分でしょう。『デルフィニア戦記』ファンなら是非おすすめです。

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紙の本ライオンハート

2001/02/15 06:32

5枚の絵が創りだすストーリー

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この小説は5つの絵からテーマをとった連作短編である。それぞれある絵をモチーフとして書かれており、たった一枚の絵に込められた作者の思いが綴られていく。
 1978年、ロンドン大学名誉教授のエドワード・ネイサンが突然いなくなってしまったことから始まる。教授の自宅の部屋に残されていたのは、白いハンカチと5枚の絵画。そこから物語は時を何十年、何百年も行き来しながら語られ始める。
 「from E. to E. with love」——「エリザベスからエドワードへ、あるいは、エドワードからエリザベスへ」という言葉が縫い付けられた白いハンカチが時間と空間を越えて互いに受け渡されていく。
 エリザベスとエドワードが現実世界において会うことのできるのはわずかな時間に過ぎない。互いに会うことを想ってきた時間に比べればとても短く瞬きするほどの時間でしかない。そしてすぐに別れの時を迎えてしまう。それほどお互いのことを想い会ってきたにも関わらず、なぜ一瞬の邂逅しか許されないのか。

 刹那的な出会いと別れを繰り返す二人に象徴されているものは、人と人とは決して魂の奥底まで結び付けられることはありえないことであり、そしてそれ故に他人の魂を求めずにはいられないという非常に逆説的なことである。時空を越えることさえ厭わない魂なのに決して結びつくことはないという孤独や絶望、そしてその孤独や絶望をも乗り越えようとする魂の純粋さということを作者は描き出したかったのではないだろうか。

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紙の本クロノス・ジョウンターの伝説

2001/01/30 02:19

愛情は時間の壁をも乗り越える

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「クロノス・ジョウンター」とは正式には「物質過去射出機」という名称である。この装置を使えば、名前通り、過去のある時点に対象物を放り込むことができるというのだ。ただしこの装置では過去へ行くことはできるが、人間の場合は10数分程しか過去に滞在することができず、しかも時間流の特殊な性質のために、遡った時間分よりもずっと先の未来へと飛ばされてしまうのだった。例えば、5年前の過去へ行けば30年先の未来へと飛ばされてしまう、というように。そしてこのクロノス・ジョウンターをめぐって3つの物語は展開される。

 私たちは普段、時間というものは一定方向に同じ長さで流れていくものだと思っている。未来を知ることもできず、過去を変えることもできない世界に生きている。だが、過去を振り返ってこう思うときはないだろうか。もしもあのとき……と。
 ここに描かれる3篇はどれもラブ・ストーリーであり、タイム・トラベルものであるがその時間的制約ゆえに二人の関係が制限される一方で、逆に制限があるからこそ、その愛情が極めて純粋で美しいものとなっている。
 たった一人を救うために周囲に与える影響などを考えずに時間を飛び越える者たち。それはあるいは傲慢で利己的な行為かもしれない。そしておそらくまた、時の神——クロノス——にとって人間が自由自在に時間を行き来することなど、許しがたいことかもしれない。しかし、何かを犠牲にしてでも過去へ行かねばならないという彼らの強い想い、そして自分のぎりぎりのところで精一杯生きようとする彼らの姿が、時間を遡るという非常識な行為を許容し、望みをかなえようとしてくれるように思える。

『吹原和彦の軌跡』のラストのブローチの描写は絶品です。

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紙の本閉鎖都市巴里 下

2001/01/26 15:35

巴里解放へと向う者たち。しかし歴史は変化を見せ始めていた

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 べレッタは巴里の、そして仏蘭西の解放を望んだ。それはすなわちこれまで54回も同じ一年を繰り返してきた時の環を壊すことであり、仏蘭西を正常な時の流れの中に取り戻すことである。ただ、解放のためには3つの条件が必要であった。
 誰にもいえない悩みを抱えた彼女はロゼッタと旅行に出る。次第に近づいてくる運命の8月6日を控えて、束の間の休息を得たかのような日々を過ごす。ところがベレッタの知っているはずの出来事とは違うことが起こり始める。歴史の流れは今まで54回も繰り返してきたもの、つまりベレッタが本来知っていたものとは違った方向へと歩み始めた。何故こうなってしまったのか、その理由も分からず、彼女はとまどいショックを受ける。
 そして運命の日は刻々と近づきつつあった。
 この作品は、普通の小説と違って、「文字情報によってのみ存在が可能」となるが故に登場人物たちのそれぞれの視点から出来事が語られる。その中で特筆すべきはロゼッタの語り口であろう。最初はその文章はだらだらと出来事ばかりがつづられていく、まさに「機械」のようなものであったのが、ベレッタとの出会いから多くのことを学んでいき、次第に人間味を帯びた抑揚のある文章になっていく。その成長の様子が非常に上手く描かれている。こういった手法が可能になったのは、作品世界をこのような設定にした作者の勝利であろう。

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紙の本ラヴレター

2001/01/30 01:38

もうこの世に存在するはずの人から届いた手紙

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この世の中には多くの手紙が存在している。文字が発明されて以来、郵便制度、科学技術の発展などによって様々な変化が現れてきたけれども、根本のところで手紙の持つ本質的意味——誰かに何かを伝えようとすること——は変わっていない。口では伝えることのできない時、口では伝えることのできない内容、あるいは会話で伝えるほどのことでもないとき、多くのシチュエーションで用いられてきた。そしてそれらは、たいていの場合送り人と受取人が存在する。普通は誰も受取人がいないのに手紙を出したりなどはしない。しかし、もしいるはずのない人に手紙を送ろうとするとき、一見無意味に思われるその行為にはどんな想いがこめられているのだろうか。

 渡辺博子のフィアンセだった藤井樹は2年前に雪山で遭難して死んだ。その三回忌の日、博子は樹の家にいき、彼の中学校時代の卒業アルバムを見つける。中学校の時は小樽に住んでいた彼と家族はその後引越し、そのときの家はすでになく、今では国道になってしまっているはずだという。そのアルバムの中から彼の住所を見つけだした博子はふとあることを思いつく。この今はもうないはずの住所あてに手紙を出そうと。それは何処にも届くはずのない手紙。

拝啓、藤井樹様。
お元気ですか? 私は元気です。
                  渡辺博子

 博子にとっては樹の命日をしのぶためのささやかな行為でしかなかった。ところが、思いがけないことにこの手紙に対して返事が返ってくる。何故死んだはずの彼から手紙が戻ってくるのか。誰かのいたずらではないのか。それとも本当に天国の彼から手紙が返ってきたのか……

 博子の想いは過去へと遡り、過去と正面から向き合っていくようになる。

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紙の本ヴェイスの盲点

2001/02/16 05:55

宇宙を翔ける運送屋のドタバタ劇のスタート!

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 「クレギオン」シリーズの第1弾。
 時は未来、人類は宇宙に飛び出し、遥かな星々の先までその生活圏を延ばしている。しかし、いつの時代になっても人間にとって必要なものというのはそう代わり映えはしないようである。そして星と星との間を飛び回り物を運ぶ運送業もしっかりとその代わり映えしない中に含まれている。もちろん、輸送手段に変わりはあるけれども。
 さて、ここに登場するのはポンコツ宇宙船一台のみを所有しているミリガン運送。中年社長のロイド・ミリガンはいつも酒を飲んでリクライニングを倒して寝ている。一方パイロットはマージ・ニコルズ、美人で気が荒いが、一流商船大学を出て確かな腕を持っている。たった二人でなんとかやりくりしているミリガン運送は今日も星系間を荷物を積んで飛んでいる。
 あるとき、かつての戦争の名残で機雷に封鎖された惑星ヴェイスに荷を運ぶことになった。その機雷のばらまかれた領域を通るには複雑な読みが必要で、専門の教育を受けたナビゲーターが船につくのだった。ミリガン運送にやってきたナビゲーターは今回が初めてだという16歳の少女メイ・カートミルだった。
 「あの、私なんです」
 とおずおずと答える彼女とともに、恐ろしい機雷原を渡っていくロイドたち。果たして行く手に待ち構えるものは———

 決して派手にドンパチやる戦闘などはないけれど。宇宙空間のリアリティある描写や、隠された陰謀などが物語をそこはかとなく盛り上げてます。いつかはこんな時代が来るんだろうな、なんてことを思い浮かべながら楽しんでみてください。

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こんなに緑の森の中

2001/01/30 02:07

緑に囲まれたアパートでの、終わりがあるからこそ、貴重で大切なひととき

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 人間には、一見無為に過ごしているように見えても実はそれがとても重要なことであったりすることがある。よく「モラトリアム」というような言葉が使われたりもするが、これは子供が大人になるための見習期間といった意味で用いられる。そのモラトリアムとも違い、大人になった人でもふと自分を省みたときに何かを見つけ、そしてすりへった生命の充電をするために自分の世界にこもるというようなことがあってもいいと思う。
 この物語の主人公・大内純一は野球の推薦で入った高校で肩を壊し、野球ができなくなったため、高校を中退した。そして大学に入るための大検の資格をとろうと勉強するため、アパートで一人暮らしをすることになった。このアパートには何人かの人々が住んでいて、それぞれの人たちが心の中に簡単には言い出せない「何か」を抱えている。そしてそんな人々の思いを反映して、アパートでは不思議な現象が起こっていく。
 そんなアパートで生活していく中で純一は過去の自分や、両親と上手くかみ合わない現在の自分との軋轢に苦しみ、なんとか折り合いをつけようとしていく。

 森に囲まれたアパートでの生活はとても居心地よく、安らげる場所のように感じられる。しかしそこは永住の地ではない。いつか終わりがあるからこそ、それは切なく貴重なものだ。もし、いつまでも永遠にいることのできるのならばそれほど大切なものとは思わないだろう。束の間の休息を得ることができる場所を持てた純一たちはかなり幸運な人たちかもしれない。
 自分が自分のままでいられる場所。それを求めて止まない人は多い。だがそんな場所はほとんどない。だから自分を無理にでも周囲に合わせてなんとか生きていく。そんな役割をしていく自分に疲れたとき、この小説を読んで貰いたいと思う。

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紙の本閉鎖都市巴里 上

2001/01/26 15:31

二人の少女は出会い、自らの生き方を定めていく

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 手記をもって自らを世界に伝えなければならない都市。数百年前に仏蘭西(フランス)をつくる遺伝詞が変換されたことにより、そこは「正確な手記によって、ものが存在できる世界」となった。それ故、文字情報によってのみ存在が可能となる。
 第二次大戦中、巴里(パリ)は独逸(ドイツ)軍によって占拠されていた。しかし、独逸軍は連合国側に徐々に押され始め、ノルマンディー上陸を許す。そして、連合軍が巴里解放戦をおこなっているとき、独逸軍の運び込んだ言詞爆弾(ヴォルト・ボンベ)が爆発したことにより、時空間の遺伝詞をも変えてしまい、巴里を中心として仏蘭西は閉じられてしまった。それ以来、世界は1998年になっているにもかかわらず、仏蘭西は爆弾が爆発した1944年8月6日より先に時間は進まなくなり、1943年8月6日から1944年8月6日までの一年間を何度も何度も繰り返すことになった。巴里を含んだ仏蘭西はその同じ一年間をすでに54回も繰り返していた。
 アメリカ人のべレッタは留学生として、1998年からこの閉ざされた世界である巴里にやってきた。そしてこの巴里で一人の少女・ロゼッタと出会う。いや少女というには語弊があるかもしれない。なぜならその少女とは自動人形、すなわち機械だったからだ。しかし機械とは言っても、それは自分の意志を持ち、成長していくものでもあった。それ故、べレッタと出会ったことにより徐々に感情を表し始めるようになり、変化していく。
 一方、べレッタもロゼッタとの交流を通して「自分はどうありたいのか?」という疑問にぶつかっていく。自分の今まで住んでいた世界とは全く違うこの閉ざされた世界にやってきて何をすればいいのか、何ができるのか。多くに人々と関わっていくことで自分の行く道を思い定めようとする。
 ここで語られる物語はその世界の特殊性故に、登場人物たちの日記形式で語られる。各々の登場人物の視点で語られる物語は始めの内は錯綜し、混乱する。しかし、次第にべレッタを中心として、一筋の方向性を見せる。そしてべレッタは一つの決断へと至る。

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紙の本ポーツマスの旗

2001/01/14 14:17

困難な状況の中、銃や剣を持たない戦いへと立ち向かっていく一人の男

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 ポーツマス条約。この名前を知っている人は多いだろう。日露戦争の講和条約である。
 このときの日本全権が外相・小村寿太郎。彼が日本の代表として、ロシアと条約を結んだ。日露戦争は日本の命運をかけた戦争であり戦闘は激しいものになっていた。そして戦場では、陸軍、海軍ともに勝っていたが日本の戦力は底を突き始めていた。

 戦争とはただ戦場においてのみ決着がつくものではない。戦場で一方的に勝敗が分かれる事はむしろ希である。戦争に終わりを告げるのは、戦後処理のための会議、条約である。ヨーロッパでは中世から大小の国が入り乱れて戦争を繰り返し、覇権を争ってきた。そして、華やかな戦争の裏ではしたたかな外交でもって相手を封じ込めようとしてきた。「バランス・オブ・パワー」といわれるような、力の均衡状態をつくってきたのだ。
 そうした伝統ある表裏を知り尽くした外交技術を持つヨーロッパの国の中でも大国のロシアに対して、日本は開国してからたかだか50年。外交に関しては素人同然である。
 そんな状況の中で時の外相・小村はロシアとの話し合いの席に望まねばならなかった。
 小村はさらにまた「外」の敵だけでなく「内」の敵も抱えていた。日本国内ではロシアに対する連戦連勝の報が流れ、あたかも日本が圧倒的優位に立っていると思われていた。日清戦争のときは2億両もの賠償金を得る事ができた。ならば、今回はもっと多くの賠償金をとる事ができる——と世論はそう期待していた。

 しかし、内情は当時の国家予算の数年分もの戦費を費やしてやっと戦線を維持している状況だった。それももう限界に近く、戦争続行はもう不可能だった。しかし、それを公表するわけにはいかず、だが何とかして講和にこぎつけようと考えていた。だから、賠償金などはとても取れないだろう政府はと考えていた。
 講和条約を結べなかったら、戦争は続きついには日本は敗北するだろうし、もし講和することができても国民に批判されることは分かりきっていた。
 そんな難しい大役を小村は引き受けた。小役人で人生を終えるはずが自分を外務大臣まで抜擢してくれた人々に恩を感じ、その恩返しのために誰もが嫌がる役目を引き受けた。
 伊藤博文は「君が帰国した時には、他人はどうあろうとも私だけは必ず出迎えに行く」といって、送り出した。小村は、ささやかな応援を受けながら、多くの苦難の道へと踏み出していく。
 それは、銃や剣を持たないもう一つの戦いだった。

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紙の本雨・赤毛 改版

2001/02/15 06:11

降り止まない雨

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 「南海もの」と呼ばれる、南洋の島を舞台とした3つの短編を収録。なかでも、『雨』がやはり絶品。

 雨は様々な性質を持っている。どんよりと心を沈ませるような雨、乱れた心を優しく静めてくれる雨、語りかけるように穏やかに降る雨、いら立たせるように降る雨、など。それは見る人によって違う感情を抱かせることもあれば、一様に同じ感情を抱かせることもある。
 宣教師のデイヴィドソン氏はキリスト教を布教することが正義だと信じて疑わないような人で、ある太平洋の小島に着き、信仰心のなさそうな女性に会ったときも教化しようと必死になる。
 その島では雨がポツリポツリと降っていた。やがて雨は強く土砂降りになる。雨は断続的に降りつづける。その雨は神経に突き刺さるように鋭いものを秘めた感じで降る。そして次第に人々の感情を狂わせてゆく。たまに雨が止んだかと思えば、風ひとつなく、肌にねとつくような暑さが押し寄せる。
 そんな島に何日もとどまらざるを得ない人々はその雨に理性を侵食されるかのように、次第に穏やかならざる気分になってくる。そんな中で、デイヴィドソン氏の女を教化するという試みは成功するように思われたのだが……

 雨は降り止まず、狂おしく、雨は降りつづける———

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紙の本おもいでエマノン

2001/02/14 19:51

膨大な記憶を抱え旅を続ける少女

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 100億年以上も前に宇宙が誕生し、太陽が生まれ、地球が生まれた。さらにそれから、多くの歳月をかけて地球に生物が誕生し、海中から地上に上がり、二本足で歩き始め火を使うようになり、人類が現れ文明を起こし、多くのものを築き上げてきた。それは数えてみれば地球が生まれてからでさえ、何十億年という気の遠くなるほどの年月。
 21世紀を迎えた今、人間の寿命は医療の進歩などによって「人生五十年」よりは多少延びたものの、それでも地球が生まれてからの年月に比べれば瞬きするほどのことでしかない。もし地球と同じだけの年月を生きているものが存在するとすれば、一人の人間の生などは一瞬に目の前を通りすぎていく風のようなものであろう。

 旅を続けているエマノンという少女がいる。彼女はこう言う。「私は地球に生命が発生してから現在までのことを総て記憶しているのよ」 言葉どおりに、彼女は30億年分の記憶を持っているのだった。
 いったい彼女はなんのために存在するのか。そんな生命が生まれてからの何十億という年月の記憶を抱えて彼女はいったい何をしようというのか。それは彼女自身もわかっていない。そのために彼女は旅をしながら様々なところに現れ、人々と出会っていく。「きっと、私が生命発生から総てを記憶しているというのは“おもいで”のためなのよ。誰にとっても“おもいで”って必要なものでしょう。人類全体にとっても……。」

 そして今日も彼女は“おもいで”を残すために旅をしている。

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紙の本

2001/02/15 06:42

立ちはだかる城

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 測量師のKは夜遅く、深い雪に囲まれた村に到着した。彼は「城」からの依頼を受けてこの村にやってきたのだったが、仕事の内容を聞こうと城へ行こうとしてもなかなか行くことができない。
 村から見える山の上の城。見た目はそれほど立派でもなければ、威容を誇っているわけでもない。ごく平凡な田舎の建物のように見える。Kは城への道を歩き出すがいくら歩いてもつかない。道は曲がりくねり、わざと遠ざかるかのように、Kと城との距離は縮まらない。そうやって村をふらふら歩いているうちに幾人かの村人たちと関わっていく。
 Kと城との間には物理的・空間的距離だけではなくて、それを上回るほどの心理的・精神的距離もはるかに長く横たわっているのだった。

 現代に生きる私たちの社会にはさまざまな矛盾がある。それは普段の生活の中で背中を隔てたすぐ隣にぽっかりと黒い大きな穴をあけて待っているかのように存在している。そしていつその穴にはまり、あるいは落ち込んでしまってもおかしくはない状況が待ち構えている
 社会という名の大きな機構に対する人間の困惑、あるいは焦燥、いやその感覚は言葉では表しきれないものかもしれない。それを含んだ社会が、あたかも社会システムが一つの生命を持ったものであるかのように一個の人間に対して迫り、容易にその全貌を明かすことのなく、人間を追い詰めていく状況をも指し示しているように感じられる。
 そして明快な解決方法も得られないままに彷徨するKは、がんじがらめに社会の網の目に縛られた私たちを写し出しているかのような気配を漂わせる。

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紙の本冬の教室

2001/02/14 19:55

雪に閉ざされた街に言葉は吸い込まれていく

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 冬の雪の降りしきる夜は動きを静止させる。そして、雪は音を吸い込む。雪と夜の闇の両方に音は吸い込まれていく。そこでは、何を語ろうと何を叫ぼうと、発した音は吸い込まれていってしまう。私が冬、特に雪に抱く印象はそんなものだ。
 
 氷河期の到来によって半世紀も冬に閉ざされた都市。放課後、図書館で眠り込んでいるうちに僕は、冬の教室に閉じ込められてしまった。「千野くんは夏をみたことがある?」クラスメイトの嶝崎人魚(とうざきにんぎょ)はそう問い掛けてきた。この冬の都市で生まれ育った高校生の人魚は夏を見たことがない。だから「ぼくがいつか君に夏を見せてあげるよ」そう約束した。

 ここは死が覆う街。長い冬に囲まれ、この街では自殺がよく起こる。「だって死はここではたった一つの権利よ」人魚ははっきりと言い放った。
 ある日、高校の女子生徒が胸を銃で撃たれて死んだ。そして、その後一週間の内に立て続けに3人の生徒が殺されていく。

 この物語はいったい何を語ろうとしているのだろう?日常の一こまのように起こる人の死。そこに見出すことのできるのは、感情を伴った死ではなく、記号化された死にしかすぎない。閉ざされたままどこにも出口のない少年少女。彼らはどこにも行くことはできない。 
 語りかける声も降り続く雪に吸い込まれていく。

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紙の本百年の孤独

2001/02/14 19:46

果てしなき物語

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 マコンド村のブエンディア家の歴史はホセ・アルカディオとウルスラによって始まった。この物語はそのブエンディア家がマコンド村とともに始まり、百年の歳月をかけてマコンド村と共にブエンディア家がその歴史を閉じる、ブエンディア家の者たちを描いたものである。

 物語のための物語——時に耳にする言葉であるが、この作品にはこの言葉が当てはまるかもしれない。ここで語られる物語の数々は、時に単調であり、平凡であり螺旋階段のごとく同じような構造を繰り返している。しかし、その物語の根底にはある一つのテーマが流れていてそれに沿って進んでいく。そのテーマとはタイトル通りに『孤独』である。ブエンディア家の者たちの孤独——彼らは多くの波乱万丈の人生を歩み多くの人々と関わって生きているようでありながら、その実、孤独を抱えている。他者には理解し得ないという孤独、そして自分もまた他者を理解することはできないという孤独。その絶望の淵で踊っているかのような一族の者たちの生き方がつづられていく。
 ジプシーのメルキアデスが書き残した羊皮紙。これまで何年経っても解読できなかったその羊皮紙を、ブエンディア家に最後に残されたアウレリャノ・バビロニアは読み解く。彼が優秀だったからではない。読み解くべき時がやってきたから読めるようになったのだ。そしてその羊皮紙はブエンディア家の百年にわたる歴史を書き綴ったものであると気づく。はるか昔に書かれたのに百年の歴史があますところなく書かれている。そこにもまたいくらあがいても定められた歴史の枠を打ち破ることのできなかった一族の孤独がみてとれるのではないか。
 非常に多くの挿話を取り入れたこの物語を持ってしてもまだブエンディア家の孤独は語り尽くせていない。いくら物語を重ねてみてもこの『孤独』を表現しえないという孤独をも内包しているこの物語に対して私もまた孤独を持って接しなければならないのだ。

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