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  3. 吉野次郎さんのレビュー一覧

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先月(2017年8月)

吉野次郎さんのレビュー一覧

投稿者:吉野次郎

7 件中 1 件~ 7 件を表示

紙の本偽満州国論

2001/02/23 16:28

仮構された「国家」に透かし見る国家の本質

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1932年3月1日忽然と現れ、1945年8月18日に跡形もなく消え去った「国家」があった。もはやノスタルジーの対象とする人たちもだんだん少なくなりつつあるが、その名を「満州国」と言う。「」付きなのは、著者の用法であり、それが「なかった」ことになっていることを表現している。ちなみに、中国の旅行ガイドには、旧「満州国」の建物にことごとく「偽」の字が付けられているという。もちろん、タイトルの「偽」も、そういった事情を踏まえたものだ。
 著者が、本書で試みているのは、この幻の「満州国」の姿を通じて、国家の本質に迫ることである。「満州国」の建国には、現在でも一部にカリスマ的人気を持つ石原莞爾などが深く関与しているが、石原が去った後の「満州国」の顔として活躍したのが、関東大震災の混乱に乗じて大杉栄を殺害した元憲兵大尉甘粕正彦である。著者の国家へのアプローチは、清沢洌による「大杉−甘粕架空対談」の紹介に始まり、かつての「首都」である新京(長春)に残された都市開発の検証や甘粕が理事長を務めたことがある満州映画協会(満映)の評価などに続き、吉本隆明の『共同幻想論』を参照しつつ、共同体の形成原理を水平(都市的)と垂直(国家的)とに分ける。
 吉本の国家論の特徴は、個人幻想、対幻想と対比して位置づけられる共同幻想として構想されていることであるが、「満州国」こそ、文字通り「幻想」の礎の上に築かれた「国家」であった。その建国の立役者でもあった石原莞爾が、ユニークな戦争史の研究家であると同時に、熱心な日蓮宗の信者でもあったことは良く知られているが、その石原に大きな影響を与えたのが明治・大正を代表する日蓮主義者の田中智学であった。そして、吉本は批評家として名を成す以前に宮沢賢治の優れた研究家として知られているが、その宮沢もまた田中智学の影響下にあったというような、一見不思議にも見える思想の文脈を繙きながら、著者は吉本国家論の限界を抉る。
 著者の考察は、インベーダー・ゲームで一世を風靡し、TVゲームの世界に確固たる地歩を有するタイトーの創始者ミハエル・コーガンと満州との不思議な縁を辿りつつ、電子マネーやインターネットに代表されるコンピュータ・ネットワークが、近代国家の枠組みに及ぼす影響に及ぶ。最後に、清沢洌による架空対談の続編を著者自身で試み、同じように最終戦争論を唱えた石原莞爾とオウム真理教を対比しつつ、オウム真理教の「幻想国家」と「満州国」の異同を論じ、清沢洌や石橋湛山の視野の広さを高く評価しつつ、国家の形成原理としての都市的・水平的な共同体の可能性への期待を滲ませつつ巻を閉じる。知的刺激に富んだ意欲作である。

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紙の本日本の戦争

2001/03/19 18:46

どこでどう間違えたのか?日本近代史のコンセプト

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 論争的TVジャーナリズムの旗手として活躍している著者には、55年来の大きな疑問があった。「なぜ、日本は負けることが分かっていた戦争を始めたのか?」。その疑問に、5年間格闘して出した結果が本書である。
 太平洋戦争に突入する時点で、少なくとも指導者たちにとっては、日米の国力の差から判断して日本が勝つ可能性がないことは自明のことであったのではないか。それは決して今の時点で振り返っての後知恵ということではなく、開戦の意思決定をした時点において、既に「日本が負ける」と考えることの方が妥当であったはずである。なぜ、明治の時代から西欧を懸命に追いかけてきて、その果ての結果として、失敗するに決まっており世界から糾弾されることも想定される「侵略」に突っ走ったのか。
 日米戦争辞せずの決定は、1941(昭和16)年9月6日の御前会議で決まった。時の首相は近衛文麿であり、近衛自身は非戦派であったが、東条英機らの強硬論を抑え切れなかった。昭和天皇も日米開戦には反対であったが、立憲君主としての立場から、自身の意思を貫くよりも内閣もしくは御前会議の決定を尊重するというスタイルを通してきた。それが独裁を避けるための明治維新以来の知恵であったのであろうが、肝心なところで裏目に出たということになる。近衛以外にも、豊田外相などは非戦派であったし、東条も実際は「開戦強行派」ということだけではなく、海軍の真の決意なくして戦争に突入することが不可能だと承知していた。しかし、もし開戦を回避するように動くとなると、9月6日の御前会議を反故にすることを意味する。その場合は、会議に列席した者は補弼の責任をとって総辞職するのがスジということになる。天皇の意中が9月6日の御前会議の決定とは異なるところにあることを知った東条は、後継首相として東久邇宮を推した。しかし、内大臣木戸幸一や近衛は、東久邇を首相にしたら軍がおみこしにしてさらに強硬路線をとる可能性があると考えた。歴史の皮肉というべきであろうか、陸軍を制御できるのは東条しかない、という判断で、木戸は東条を首相に推した。東条は、軍人の常として、勅命を厳格に尊重する。天皇の命とあらば自分の政策を変更することには拘らないだろう。それが開戦を回避するための唯一の細い道であるという判断である。
 実際に、天皇は東条を首相にするにあたって、木戸を通じて「9月6日の御前会議の決定を白紙に還して、平和になるよう、極力尽力せよ……」と指示したとされる。東条も、何とか開戦を回避しようと動く。しかし、時代の雰囲気は既に開戦に向かって固まっていた。東条が首相になってから開戦までの50日の間に、一般国民から東条宛に、3000通以上の手紙やはがきが届いたという。その内容は、戦争を強く促すものと、優柔不断のような東条批判の二つであった。戦争を強引に抑えたら、内乱が起きて無秩序な戦争に暴走するのではないか。要するに、制御された戦争か無秩序な戦争かという選択肢しか残っていなかったということである。
 日本の近代史には、時代を領導するような言葉がいくつかある。国家のアイデンティティの核となるような言葉、つまり立国のコンセプト、言い換えれば「共同幻想」の拠り所。「富国強兵」「和魂洋才」……「八紘一宇」。著者は、これらの言葉が、いつ、誰によって、どのような文脈で提示されたかのかを探索し、日本が「間違えた」ポイントを見つけだそうとする。歴史に「ればたら」を言っても始まらないが、幕末の開国から開戦まで不可避の必然の連続であったとも思われない。一種の閉塞状況に陥っているわが国の政治と経済の現況を見るにつけ、近代史の過程から学ぶことは多いはずである。この労作によって、著者のTV等での活動もより深い歴史認識に裏打ちされることになるのではなかろうか。

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「IT革命」の実相とIT用語の基礎知識

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 インターネットとコンピュータの進歩と拡がりが、社会全体に大きな影響を与えつつあることの共通認識が、「IT革命」という呼び方を定着させ、2000年の新語・流行語大賞に選ばれるまでに広く使われるに至った。
 本書は、先ずインターネットの拡がりとコンピュータの進歩の実態を、データに即しながらレビューし、それがビジネス分野や個人生活にどのような影響を及ぼしつつあるか、また、これから先さらにどのような影響が想定されるのかを整理する。「IT革命」と呼ばれるものの結果については、とかくバラ色の夢が描かれることが多いが、当然マイナスの影響を被る人も出てくるであろう。例えば、「IT革命」は、私たちの仕事のあり方を大きく変えていくはずであり、仕事を失う人の数も多いものと想定される。雇用問題は、中長期的に見ても大きな問題となる可能性がある。
 また、コンピュータは、私たちの生活にどのような形で入り込んでくるであろうか。それは半導体の集積度に依存するであろう。1桁の時、企業のコンピュータ活用が始まった。4桁になると、部や課の単位で使われるようになった。7桁では、個人の机の上に乗るようになった。10桁になると、あらゆる場所に存在するようになるだろう。
 半導体の集積度に関しては、集積度が18ヶ月で2倍になるという「ムーアの法則」と呼ばれる経験則が成立している。15年経てば1000倍になるということであるが、今のままの傾向が続けば、2010年頃までに、半導体の集積度は10桁になり、「あらゆる場所にコンピュータが存在する」社会が到来することが予想される。「あらゆる場所に存在する」(いわゆるユビキタス:遍在する)状態とはどういうことを意味するか。それは、私たちがコンピュータを「意識しないで」使うように、あるいは使えるようになるということであり、コンピュータがさまざまな道具の中に組み込まれて、私たちの目からは見えなくなる状態である。それはパソコンの登場に続く2回目の不連続な革新(ダウンサイジング)である。
 ところで、人間は、感情の動物であると共に、理性の動物である。その理性的な側面を発達させてきたのが、文字、印刷術、電信・電話などの発明に代表される情報革命であった。情報革命は、それぞれ文明を新たな段階に移行させる画期となるものであったが、コンピュータとインターネットに代表されるITもまた新たな情報革命である。私たちは、ITにふさわしい文明を築くことができるかどうかを問われているのであるが、五感との関係で人間の知覚の領域を区分すれば、識域(センサーからの刺激を知識として理解できるものに置き換える領域)、思考域(識域で得られた情報を処理して新たな知識を生み出す領域)、覚域(センサーから得られる刺激と同じものを生み出す領域)に分けられる。確かにITの発展は著しいが、この五感を尺度として考えれば、ITでカバーされる領域はまだほんの一部に過ぎない。特に、定性的なものをITでどう捉えていくかは今後の課題である。
 本書は、「IT革命」と呼ばれている現象の実相を平易な語り口で説明しているが、もう一つの特徴は、用語に関して適切な解説が付されていることである。例えば、「組織の中で多くの人が共同して仕事を行う場合、伝票や書類が仕事を担当する人の間を移動する。ネットワークの発達によって、この紙の運搬という形態をなくすことが可能であるが、そのような仕事の進め方を『ワークフロー』という」などである。巻末には数多くのキーワードが索引として掲載されているので、IT関連の用語集としても便利に使える。ITの動向を鳥瞰するための手頃な入門書と言えよう。

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「カリスマ」の実像に迫る

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 いま、国際的な場で最も活躍している日本人として、指揮者の小澤征爾の名を挙げるとすれば、異論のある人は少ないであろう。その征爾の名前は、板垣征四郎の征と石原莞爾の爾をとって命名されたという。満州青年連盟などの運動に携わった征爾の父小澤開作が二人に傾倒していたことを物語っているが、「智謀石原、実行板垣」と並び称せられたことがあるように、この二人は一時期「満州国」を左右する実力コンビであった。
 小澤征爾の父親は、「満州国」に託された理想への共鳴者であったのだろうが、その「理想」は中国側から見れば、どうだったのか。満州事変の発端となった柳条湖事件の現場に建てられている記念館には、首謀者として、板垣と石原の二人のレリーフが掲示されているという。つまり、それが中国側からみた板垣と石原の評価ということである。
 日本人の間でも、石原莞爾の評価には大きな振れ幅がある。石原は、職業軍人としては希有な例であるが、事実として多くの人から、先見力に優れたカリスマとして高く評価されている。偶像として神格化されていることすら少なくない。それは、例えば東条英機の評価などと比べると、対照的ともいえる。本書で紹介されているように、あの市川房枝ですら、『石原莞爾全集』のパンフレットに「石原讃辞」を書いているほどだ。
 しかし、本当に石原莞爾の思想と行動はそれ程讃えられるべきものなのか。著者は、石原莞爾の事績と彼に関して記述されている資料を丹念に洗いながら、この「カリスマ」の実像を明らかにしていく。そして、彼の対支戦線不拡大論などを、放火犯が消火活動をするようなものだと断じ、その本質において、鋭く対立したといわれる東条英機とどの程度の違いがあったのか、と結論づける。石原の評価が全面的に決着したということではないと思うが、石原信者を覚醒させるだけの説得力を持った労作といえよう。

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先見性の系譜

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 日本人にとって、1949年の湯川秀樹以来、ノーベル物理学賞は、朝永振一郎(1965)、江崎玲於奈(1973)と受賞が続いたが、化学賞については、1981年に福井謙一が「ようやく」という感じではじめて受賞の栄誉を得た。受賞の対象になったフロンティア軌道理論は、現代化学理論の根幹を成すものとされ、福井門下生を中心とする理論化学における「京都スクール」は、世界の化学界において重要な位置を占めるに至っている。本書はフロンティア軌道理論の誕生に立ち会った著者二人が、同理論の生まれる背景等について記したものである。福井のノーベル化学賞受賞の功績は、もちろん基本的には福井自身の卓越した能力、特にその数学的な実力によるものであるが、それが開花する土壌として、喜多源逸、兒玉信次郎らによって培われてきた学風の果たした役割は決して小さなものではない。
 著者らの執筆の意図も、福井の業績を育む上で、京都大学工学部化学系の伝統が大きな役割を果たしており、その間の事情を後世に伝えるべき語り部としての責務があるという問題意識に基づいている。喜多は、1921(大正10)年に京都大学教授に任官したが、同時に理化学研究所の研究員を兼務し、その自由で基礎を重視する環境に親しむと共に、京都大学工学部化学系教室にその風土を移転した。それは福井の所属した燃料化学教室において、とりわけ顕著に現れている。喜多は、赴任当時工業化学しかなかった化学系教室を、燃料化学、繊維化学、化学機械の四教室に拡充、兒玉に燃料化学教室の運営を任せた。兒玉は「理論的にわかることはなるべく理論で解決し、理論でわからないこと、わからない数値は、必ず実測で求める」を基本方針として掲げ、教室運営の方向性を確立した。当時の化学界においては異例ともいうべき「理論重視」のスタンスである。それは、喜多の教室創設のコンセプトを受け継ぐものであったが、大学卒業後の1930(昭和5)年、量子力学のまさに黎明期ともいうべき時期に、ドイツに留学しマイケル・ポラニー教授を訪ねたとき、化学の研究を志す兒玉に対して、開口一番「君は量子力学を知っているか」と問われたときのカルチャーショックも与っているであろう。
 著者らが繰り返し訴求しているのは、喜多、兒玉、福井と継承されてきた自由を尊び基礎を重視する学風であり、先見性の伝統である(著者らはそれを「山脈」と表現している)。喜多の基礎重視の考えは、例えば、福井が大学に進学する際に「数学が好きなら化学をやりなさい」と言ったアドバイスに端的に現れている。今でこそ、化学が量子力学的に基礎づけられ、数学と密接に関連することは多くの人の理解することであるが、福井が大学に進学する頃、化学は全くの経験科学であると考えられていた。そういう時代に、化学における数学の重要性を認識し、福井を化学の道に導いた喜多の先見性は時代の遙かに先を行くものであった。福井は大学卒業後兒玉の指導を受け、化学反応装置内の温度分布と反応条件との関係について理論的な研究を行った。その成果は「化学工業装置の温度分布に関する理論的研究」として学位論文となったが、長文の論文は全篇数学の式で埋められていたという。理論だけで工学部化学系の学位が授与されたのも初めてのことであった。
 真に独創的な研究は、往々にして非主流の中から生まれる。フロンティア軌道理論も、誕生当時二重の意味で非主流の立場にあった。すなわち既存の反応性理論に対する非主流の立場と、実験的研究に対する理論的研究という非主流の立場である。非主流の立場が、同時代の趨勢を抜け出た先見性に繋がる可能性を導く。基礎もしくは理論重視と先見性とは、どちらが主導的であるかは別として不可分の関係にあり、その学風が福井のノーベル賞受賞という業績に大いに関係していることは疑い得ない。

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失敗体験をどう活かすか?

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 異色の組み合わせである、と言っていいだろう。板倉雄一郎さんは、倒産経験のあるベンチャー経営者、米倉誠一郎さんは、一橋大学教授で、同大学イノベーション研究センター長。しかし、「失敗」に対する両者の波長は見事に一致している。偶然だろうが、確かに名前まで良く似ている。
 シリコンバレーで、ナスダックへの株式公開を果たした経営者の大半は、過去に倒産などの失敗経験があるという。これに対して、日本の店頭市場やナスダック・ジャパンに登録した企業の経営者は、ほとんどが無傷である。そのことは何を意味しているか。果たして日本の経営者が優秀だということかと言えば、決してそうではない。日本では、一度失敗したら、その後の機会が奪われてしまうことを意味している。当事者の板倉さんが言うのだから、間違いないだろう。
 これに対して、米倉さんは、失敗に寛容でない風土は合理的ではない、と言う。環境問題で、よくリサイクルということが言われるが、それは下策であって、上策はリデュースつまり先ずゴミを出さないことだ。次が、一度使ったものをもう一度使うリユーズである。失敗も同じことではないか。上策は、先ず失敗を少なくすることであり、次は、失敗の経験を生かして二度と同じ失敗をしないことであり、最後が、失敗の体験を広く再利用すること、つまり多くの仲間の失敗を防ぐことであろう。そして、それを実践していくためには、大量の失敗データや経験の共有が必要である、とする。
 IT時代ということが言われているが、人間とコンピュータの最大の違いは、人間は間違いを犯すが、コンピュータは間違えない、ということではなかろうか。ただし、コンピュータが間違えないというのは、人間が決めたルールを踏み外さないということであって、コンピュータが自ら新しいルールを作り出すわけではない。新しいことをする場合に、失敗はつきものである。トライアル&エラーの中からしか新しい価値あるものは生み出されない。その意味においてはじめて、「失敗は成功の母」となり得る。
 また、机上で学ぶことには限界がある。アメリカのビジネス・スクールでMBAを取得してきても、実務経験が不足していればなかなか現場の役に立たないことは、多くの人が実感していることであろう。MBAの机上の知識だけでは、生きている経営のしくみの中では通用しない。現場で実際に問題に向き合うことによって発生した問題意識を基に、その問題意識に照らして、自分の知識を位置づけ、活用してみること、つまり自分の頭で考え、自分の視点で咀嚼してみることが重要だ。
 ところで、失敗を生かせるような社会に変えていくためには、制度的な変革だけでなく、生活者の側の意識の変革も必要になる。倒産しそうな企業は、なるべく早い段階で手を上げることにより、外部から再生の支援の手が差し延べられる可能性がある。日本でも、民事再生法によって、経営破綻が予測される段階で、再生の申請ができるようになり、制度的には一歩前進したが、民事再生法を申請することによって、顧客がその企業から離れていくことになりがちであり、結果として再生に支障が出ることも多い。
 日本の社会に充満する閉塞感に対して、構造改革の必要性は多くの人が口にするが、どこから手をつけるべきか、議論は右に行き左に行って、なかなか前に進まない。そうこうするうちに事態はさらに悪化してしまう。著者らは、構造改革の糸口として、ベンチャー支援をすることの有効性を強調する。それは、日本人の意識を改革し、若者の心を奮い立たせることになるだろう、と。

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大谷崎の対幻想

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 本書は、『瘋癲老人日記』の颯子のモデルと言われる渡辺千萬子と谷崎潤一郎との間で、昭和26年から40年にかけて交わされた膨大な書簡集である。年譜によれば、谷崎潤一郎は、明治19年に生まれ、昭和40年に亡くなっているから、65歳から79歳で亡くなるまでの間ということになる。渡辺千萬子は、昭和26年に、潤一郎の三番目の妻松子の息子と結婚した女性であるが、未亡人だった松子の妹渡辺重子に子供が無かったので、夫婦養子に入った。つまり、谷崎にとっては、息子の嫁ではあるが、同時に義妹の息子の嫁でもある。千萬子からの手紙に、伯父様とあるのは、このような事情による。書簡集は、千萬子が結婚した年から始まっているが、そのクライマックスは、『瘋癲老人日記』の執筆の前後である。
 『瘋癲老人日記』は、『鍵』と共に、老人の性欲を描いた晩年の傑作として高く評価されている作品であるが、昭和36年11月号から翌年の5月号まで『中央公論』に掲載された。この書簡集の中の「瘋癲老人日記雑感」という文章でも、千萬子は自分が颯子のモデルであることを認めており、谷崎からの手紙を見ても、千萬子が谷崎の創作の上で大きな影響を及ぼしたのは疑い得ない。もちろん颯子と現実の千萬子とは多くの点で異なっていると考えるべきであろうが、この書簡集を読んでも、谷崎と千萬子の間には、45歳という年齢差を越えて男と女という意識があったと思われる。
 例えば、以下のような千萬子からの手紙に見られる文言は、千萬子の意図はどうであれ、谷崎から見れば、恋しい女性からの言葉として作用していると考えるのが自然であろう。
「かういふことをぶっつけ合ふ相手がほしいなあと思ひついつい伯父様を思ひ浮かべます」(36年10月2日)「生きてゐたらもう一度 恋 などをする時がありますかしら?」(36年12月4日)「……でなくて何もなしのたゞの『千萬子』の方が好きです」(37年5月28日)「伯父様のお手紙は大したきゝめがございました。少しは食欲も出ようかと云ふところです。/今誰かを本気で好きになったらどうなるかなと思ひます。バカな事云ってごめんなさい」(37年7月23日)「伯父様とは いつ、どこで デイト するのでせうか。おしらせ下さい」(11月9日)「伯父様、もっと元気になって下さいな。どこへでも一っしょに行ける位に」(37年10月15日)。
 谷崎が、女性に対して強い執着を持っていたことは、三回の結婚ということからも窺えるところであるが、千萬子こそ最高にして最終の女性であったのであろう。現実の男女の関係性は個々にそれぞれ異なっているが、吉本隆明はその本質を「対幻想」として捉えた。吉本は、個体としての幻想と逆立する「共同幻想」が国家を形成するキーワードであるとして、有名な『共同幻想論』(角川文庫(1999))を書いているが、それらとは位相を異にするものとして「対幻想」を位置づけている。「対幻想」とは、一組の男女が生み出す観念的な世界であり、人間の性的な関係が他の動物と異なるのは、その幻想性においてである、ということであろう。『鍵』や『瘋癲老人日記』のテーマでもあるが、フィジカルな面での性欲の減退と反比例して「対幻想」への欲求がますます昂進するというメカニズムがあるのではなかろうか。千萬子が受け取った時、ドキッとしたと言っている次の歌などは、谷崎の狂おしいまでの「対幻想」への希求を表現したもののように感じられる。
  飼猫の身をうらやみて狂ひけん人の心は我のみぞ知る(柏木)(38年3月7日)
 一人の男として言えば、千萬子のような女性を意識しつつ死を迎えることができた谷崎を羨ましいと思う。

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