サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. みなとかずあきさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

みなとかずあきさんのレビュー一覧

投稿者:みなとかずあき

1,021 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本BILLY BAT 1

2009/06/28 23:21

先入観からかもしれないが、「モーニング」らしい仕上がりになっているように見える

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

マンガ家が特定の出版社の専属のようになってしまって久しい。かつての手塚治虫のように、超大御所ともなればあちらの出版社の雑誌、こちらの出版社の本というように作品を発表することができたのだろうが、今ではそんなマンガ家は極めて少ないように思う。
そんな中であの浦沢直樹の作品が小学館の雑誌ではなく、講談社の雑誌に載ったのだ。最初その話を聞いた時には耳を疑った。連載開始の雑誌を本屋で見た時には、タッチを変えたマンガだったので、「それもありか」と思った。
だが、こうしてまとまって読んでみると、やはり浦沢直樹だ。浦沢直樹も、超大御所の仲間入りをしたんだなあ。
などと思いながら読み進めてみると、これまでの作品と多少異なっているようにも思えてきた。
「サンデー」と「マガジン」を取り出してみるまでもなく、小学館と講談社のマンガにはそれぞれ特徴というか雰囲気がある。小学館系は基本的に絵柄は大人しくきれいで、ストーリーも明朗なものが多いように思う。対して講談社系はタッチも多少荒々しくマンガと言うよりは劇画であり、ストーリーも波瀾万丈のものが多いように思う。
そして、これまでの浦沢作品はやはり小学館系につらなるところにあったと思う。
これに対して本作は、絵柄こそ『20世紀少年』や『MONSTER』と変わらないが、全体的に良くも悪くも荒々しさがみられる。ストーリーはまだ1巻だけなので何とも言えないが、それでも実際の出来事を組み込んだところなどはやはりこれまでと違っていると言ってもいいのではないだろうか。
講談社系の雑誌で描くことが先にあったのか、このような話だから小学館系より講談社系が良いと判断したのか、浦沢とストーリー共同制作の長崎の意図したところはわからないが、確かにこれなら「スピリッツ」や「オリジナル」よりは「モーニング」かなと思えてくるから不思議だ。

太平洋戦争後の社会的な事件である下山事件がカギになっているストーリーで、どこまで楽しませてくれるのか。期待をこめて星5つとしたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

昭和40年代の人たちの隠れた楽しみ

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

長い物語の途中をああだこうだ言うのは、非常にむずかしい。しかも、かなり多くの人が実作品を見てしまっているだろうという所でものを言うのは、さらにむずかしい。それでも、何か語らなければという気にさせるものがあるのが、『20世紀少年』であり、浦沢直樹なのだと思う。そしてもう1つ、何かを語らなければという気にさせられるものがあるとすれば、この物語に出てくる主要人物たちが子ども時代を過ごし、作者である浦沢直樹も子どもとして過ごしたであろう昭和40年代を、同じように子どもとして過ごした同世代の者だから、といったところか。
この19巻にも、私たちの子ども時代を思い出させてくれるアイテムが多く登場している。ページをめくるごとに、マス大山の山篭り、眉毛そりの話だし、ゴアは出てくる、デスラー総統も出てくる、ナゾーにショッカーも姿を現す。ところどころ30年代も顔を見せているのは、さらに時代を感じさせようということなのか。
全編を通じて、40年代に子どもだった人の子どもの頃の想像の未来をなぞっているという不思議な感覚があるのだけれど、これが今の若い人たちにどれくらいわかってもらえるのか、自分の子どもたちが面白がって読んでいるのを横で見ながら聞いてみたくなるのだ。でも、聞かない。彼らにはきっと、彼らなりの面白がりがたがあるのだろう。そこへ、「マス大山と言うのはなあ、・・・」なんて言ってみたって、親父の昔話にしかならないのではないか。
すみません。19巻のコメントには何もなっていません。未だ話は途中です。本の帯には「連載六年、物語は、終局へのターニングポイントへ・・・!!」なんて書いてありますが、思わせぶりな大コマが何度も出てきて、「これがどうやって終局へ向かうんだ」という感じです。でも、それはそれとして、やっぱりマス大山なんかが出てくるとほくそ笑んでしまうのでした。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本転移

2010/02/20 18:59

中島梓/栗本薫の最期を知りたくて

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2009年にショックだったことの1つが栗本薫/中島梓の死だった。
ネットのニュースで彼女の死を知った時にはしばらく茫然というか、いわゆる何も手に付かない状態だった。何がどうというわけでなく、ただただショックだったのを今でも覚えている。
もちろん彼女がガンだったというのは知っていたし、『ガン病棟のピーターラビット』の最後で転移について触れられていたので、いずれはこういうことはあるとは思っていたが、それにしてもこんなに早かったとはとしか言いようがない。
ネットのニュースでは中島が亡くなったことと彼女の業績について触れられていたが、彼女の最期がどんなだったかについてはあまり触れられていなかった。でも、ファンとしてはそこを知りたかった。
そう思っていたところ出版されたのがこの本だった。
もっともこの本の「プロローグ」は2008年4月28日付で、当初はエッセイ風のものを意図していたようだ。ところがこの「プロローグ」の後ろに「著者註」として、
「ここまでは「転移」というタイトルで、肝臓への転移が判明した4月から、「ガン病棟のピーターラビット」と同じようなスタイルで書き始めてみたものですが、長い時間かけて書いてゆくにはこのような書き方よりも日記スタイルのほうがふさわしいと思い、10月に、9月の分を起こしてそこから「転移日記」というスタイルにあらためて、そののちいまにいたるまで書きついでいるものです。予定としては、私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもりです」
と2009年2月12日付で書かれており、日記の体裁として書かれるようになった。
日記としては充実したものとは言い難い。もちろんガンを患う身であり、その治療としての化学療法の副作用でかなり体調は悪かったようで、日々の記述は体の痛みの軽重やその対策であったり、どんなものが食べられて何が食べられなかったかということが繰り返し綴られている。それでもその合間に次の小説の進行の程度やライブを行ったことが綴られているのが中島らしいと言えばらしいのかもしれない。
日記という体裁にしたせいだからか、上記のような記述の間に時に中島らしさをうかがわせる記述もあった。
「もう、次の「あらたな年」があるかどうか、それはわからないが、それももう何も考えない」(2008年12月28日)
「ときどき、音をたてて「生きる意欲」が萎えてゆくのがわかる気がすることがある」(2009年1月15日)
「奇妙なことに、私はひどい運命が目の前にやってきたときのほうが闘志がわいて勇気が出てくる」(2009年3月13日)
「そう、世の中は「淡交」でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい」(2009年4月9日)
このような生き方をしてきた人が作り上げたものだから、私はずっと広範囲かつ多量にわたる作品を読み続けてきたのだと思うし、それを改めて確認すればするほどまた悲しくなる。
そしてこの本の巻末に、ノートに書かれた5月15日、16日の日記の写真と、5月17日にパソコンで書こうとしたであろう最期の日記がリターン・キーの記号がいくつも並んでいるのを見ると、悲しみは一層深くなる。

巻末に栗本薫/中島梓 全仕事リストが収められているが、その種類、数を見ると彼女がいかに多彩な作家であったかがわかるが、その最期にこの本が並ぶのかと思うと、これもまた悲しくなってくる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

これがあの『新寶島』だ

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あの『新寶島』が、初版本から復刻されたというだけで、マンガ・ファンならば驚きだ。今の日本のマンガがここから始まったと、あらゆるところで語られているにもかかわらず、今や当時これを読んだ人たちの記憶の中でしか知ることのできない作品であったのだから。しかも、あの手塚治虫の作品であると言われていながら、そこに必ず酒井七馬という名前も載せられているということを始めとして、多くの謎に包まれた作品なのだ。だからこそ、復刻してくれた小学館クリエイティブ及び小学館よ、ありがとうと言いたい。

この普及版(?)は、作品の初版本完全復刻版と『新寶島読本』と題された6人のマンガ関係者の筆による感想や解説などの小冊子から成っている。

完全復刻版はその名の通り。原作・構成 酒井七馬、作画 手塚治虫 となっている。内容は、宝島の地図をめぐる海賊と少年の冒険譚に、無人島漂流記やターザンなどのエピソードがこれでもかこれでもかと詰め込まれている感じで、190ページほどを一気に読むことができる。
冒頭の車の疾走する場面のように映画的手法が使われていると聞いていたが、コマ割りはむしろオーソドックスで、1ページが大きなコマ3段というのが基本だ。映画的なのはむしろコマのレイアウトとでも言うのか、映画で言うカメラアングルの視点を持ち込んだ描き方だったのだろうと思う。現在のような変形コマやコマ割りなどは、もっと後のマンガから出てきたのだろう。

読本は、浦沢直樹を始めとして、藤子不二雄、横尾忠則、竹内オサム、中野晴行、6名の文章からなる。一部他の本などで発表されている文章が再録されているので目新しさに欠けるところもあるが、竹内オサムと中野晴行の解説は、この作品の作られたいきさつなどが現在わかっているところまで説明されているので興味深く読める。

マンガそのものは60年も前のものなので、さすがに古臭く感じるところもあるが、読本と合わせることで、日本のマンガにとっていかに重要な作品か改めて認識することしきりだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本失踪日記 1

2005/07/11 23:21

アルコール依存症の人に見せてあげたい

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幸か不幸か、私は失踪をしたこともなければ、今のところ路上生活もしないで済んでいるし、本格的な肉体労働もしたことがないので、この本が「全部実話です」と言われても、「ああそうですか」という感じで純粋に吾妻ひでおのマンガとして楽しんでしまった。
では、私はアルコール中毒かと言えば、一応自分ではそうではないと思っている。けれどもこの本の後半に出てくる精神科病棟については知らないわけでもない。それで、こと「アル中病棟」の段になると、「そうそう、こうなんだよね」とある種のリアリティを感じながら読んでしまった。
そう、この本に出てくる失踪や路上生活や肉体労働についてはどうか知らないけれど、少なくともアルコール中毒や強制入院については、たぶん実体験だと思います。まあ、今更私が言わなくたって、作者が実話だと言っているのだから実話でしょう。
これも今更私が言うまでもないのかもしれないけれど、このマンガがすごいのは実体験のすごさではなく、マンガとして完成されているところだと思う。話の内容にかかわらず、ここに載っているマンガの1コマ1コマは、往年の吾妻マンガそのままなのだ。自分の体験をただ単に切り売りするのではなく、自分の得意とする手法でもって読み替えて私たちの前に出してくる、というところがすごいのだと思う。
だから、逆に「これは吾妻マンガだ」と思ってしまって、発売当初の反響のすごさにもかかわらず手を出さずにいたのだけれど。
ともかく「アル中病棟」は、すごいです。ここの部分だけでもアルコール依存症の人に見せてあげたい。「酒は止めよう」と思うきっかけになってくれるといい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

少年週刊誌創刊の頃

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

およそ2年半ぶりに第9集が刊行されました。
近年、藤子・F・不二雄全集の刊行が告知されたり、赤塚不二夫が亡くなったり、手塚治虫の生誕80周年だったり、石ノ森章太郎生誕70周年だったりと、トキワ荘グループのマンガ家やその作品が話題となることがあり、そのたびに藤子不二雄A氏がインタビューなどで登場していたので、氏の姿を見てはこの『愛…しりそめし頃に…』はどうなったのだろうと思っていました。
一方でこのbk1の書評を見ていても、この作品に対する書評は私の書いたものしか見当たらず、きっとごく一部の古いマンガに郷愁を覚える者にしかアピールせず、雑誌連載も立ち消えになっていたのかとも思っていました。
そこへこの第9集です。しかも刊行早々にぱせりんさんの書評が載ったではありませんか。やあ、やっぱりみんな読んでいるんだなあと、妙に納得してしまいました。奥付の「初出誌一覧」を見てみると、もともとの掲載雑誌そのものが2ヶ月に1回しか出ていないので、単行本としてまとまるには時間がかかるのもやむを得ないということを改めて確認してしまいましたが。
さて、第9集はけっこう充実した話が収められていました。
トキワ荘グループでの年長格の寺田ヒロオの結婚、新婚生活という彼らの生活の変化や、さいとう・たかをの来訪といった、これまでの満賀道雄の個人的なエピソードよりは『まんが道』のようなエピソードが並んでいます。そして、何よりも読みごたえがあったのは、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が創刊される際の藤子不二雄の運命的とも言える関わりのエピソードでしょう。この昭和34年のこの時に彼らがたった1日の違いで「マガジン」でなく「サンデー」に作品を連載することになったというのは、その後の両誌の特徴を考えたり、藤子不二雄自身の作品傾向を考える上で非常にエピソディックに思えてなりません。
第9集になり、久々に『まんが道』青春編と名のっているマンガの面目躍如と言ったところでしょうか。

巻末には、藤子不二雄A氏の当時の日記と家計簿が収録されています。これも、マンガを読む時のイメージを膨らませる上で、また昭和30年代の日本を知る上で貴重な資料だと思います。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

今度こそ終りになるのでしょうか

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

話の途中で姿を消してしまった『20世紀少年』でしたが、『21世紀少年』として復活(?)しました。そのあたりの事情はNHK『プロフェッショナル』を見て納得しましたが、人気マンガを描き続けるのは大変なことだということですね。もっとも読み手としてはそんな大変さは置いておいて、ひたすら面白さを追いかけているだけだとは思いますが。
で、『21世紀少年』です。
タイトルは変わりましたが、今更言うまでもなく『20世紀少年』の続きそのままです。しかも「[20世紀少年]最終章!!!」と帯に書かれていたり、「上巻」となっているので、この巻を含めてあと2冊で完結するらしいです。しかし、これで終わるのでしょうか?実は「中巻」があったりして。
これまでずっと謎となっていた“ともだち”の正体が明かされるはずですし、よげん書の現実化についても何らかの説明がなされるのでしょうが、そのあたりはこの「上巻」ではまだまだ謎のままです。
ただし子どものケンジたちと大人のケンジたちが絡むことで、何か答えを出してくれるのではないかと期待されます。でもこれって、私たちの実人生そのものかもしれません。私たち自身も、子どもの頃の様々な夢や希望などを大人になっていく時に何らかの決着をつけていくはずです。それをヴァーチャルな形で見せてくれるのが「~少年」なのかもしれません。
この巻の表紙には「オ○ナイン」とか「太陽の塔」が描かれています。これだけを見ているとやっぱり20世紀だと思ってしまいますね。
それに今気づきましたが、この表紙絵って『20世紀少年』第22巻の表紙絵と繋がっていませんか?

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

江川太郎左衛門の偉大さを改めて知った巻でした。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「遂に「安政」と改元、風雲急を告げる日本!」との帯コピーのある第8巻です。主な登場人物は、村田蔵六(大村益次郎)とお稲、江川太郎左衛門、坂本龍馬、吉田寅次郎(松蔭)、福沢諭吉と、いよいよ幕末の志士が登場してきました。
 しかし、この巻の一番の見所は、江川太郎左衛門の件でしょう。この『風雲児たち』ではかなり以前から登場しており、学校日本史ではわからなかった活躍をしている人でしたが、遂に亡くなってしまいました。
 今まで幕末というのは、急に内外の情勢の中から生まれてきた変革の時代だと思っていましたが、この江川太郎左衛門などの話を知るにつけ、少しずつ少しずつ時代は変わっていたのであり、時代を見据えて行動していた人たちが少なからずいたのだなあということがわかってきます。
 これからもちろん、幕末の有名人が多数登場するのでしょうが、それ以外の余り知られていなかった人たちにも光を当ててもらいたいものです。でも、きっと描いてくれますよね。「幕末編」も既に8巻になっているにも関わらず、時間はあまり進んでいないのですから。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

高橋留美子の魅力を増している傑作集です

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

そう言えば、高橋留美子は『めぞん一刻』の作者でもあったのだなあ、ということを思い出させてくれる『傑作集』です。別に恋愛ものの短編集というわけではないのですが、登場人物の雰囲気や作者のまなざしとでも言ってもいい描き方のスタンスに『めぞん一刻』と通じるものがあるように思います。
「日帰りの夢」では、同窓会でかつてのあこがれの人に会うという話です。小説などでは、ここが始まりで物語が続いていくというようなネタがよくあるように思いますが、現実はきっとこのマンガのようなものなのだろうなあと、思います。
「おやじグラフィティ」は、ちょっと出来すぎた話かなあという感じもしないではないですが、思春期の子どもをもつ父親がきっと日々感じているであろう気持ちを的確に表現しているように思います。
「義理のバカンス」のような嫁姑だけの旅行なんてきっとないと思いますが、ここで描かれている二人の考えていることのずれというのは、これもまた現実にあることではないでしょうか。
「ヘルプ」は、この頃きっと増えている世代、家庭の問題なのでしょう。世代が違えば笑い話にもできるかもしれないけれど、身につまされるものがある人たちがいると思います。
「赤い花束」はこの本のタイトルにもなっています。死んだ人は何も振り返ることはできないのでしょうが、お通夜や葬式の時に私たちが故人について語るのは、ここで描かれているようなことなのかもしれません。
「パーマネント・ラブ」は、悲しい中年の話です。そうとしか言いようがないと思ってしまうのは、私も中年ということかもしれません。
『うる星やつら』も『らんま1/2』も『犬夜叉』も、それ以外の高橋留美子のものはどれもいいのですが、もっとこの「傑作集」のような話も描いて欲しいものです。この手のものをメインにしてもらっても良いくらいです。でも、片方に『犬夜叉』があり、もう片方に『赤い花束』があるということ、そして『傑作集』は何年かおきに刊行されるということで、高橋留美子の魅力を増しているのかもしれません。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

星野之宣がどう描いていくのかに期待して読み続けたい

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これでも60年代後半から70年代にかけてSFにハマっていた人間なので、J・P・ホーガンの『星を継ぐもの』と言えば有名すぎるほどのSFの名作だということを知らないわけはない。その名作をあの星野之宣が描くというのだから、驚きと言うか、期待と言うか。
まだ第1巻なので、作品全体の評価をすることは難しいし、マンガとしてどう描き切るのかについてはこの後も期待していくしかないので、第1巻から読み取れそうなことだけを考えてみたい。
まず、名作SFとは言え1970年代に発表(日本語訳は1980年)された作品を、30年以上も経過した今なぜマンガにするのかということ。内容から考えれば、宇宙のことや人類発生のことなどについて、以前よりも多くのことがわかってきたからこそ今改めてそれを問うということなのかとも思えなくはないけれども。
また、作品の初め頃から原作をかなり改変している部分があるということ。きっと星野自身に原作ならびにそのシリーズを読み込んできて何か思うところがあるのだろう。それを今後明らかにしていき、ある意味星野の『星を継ぐもの』を描き出そうとしているのかもしれない。
いずれにせよ、星野之宣がSFに戻ってきたということに期待をしたい。原作も原作なので、そう簡単に終わらないでほしい。そんな期待をさせるマンガにこの頃お目にかかってもいないので、余計そう思ってしまう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

これって私のことですか

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何ともやっかいな本だと思います。
昨年刊行されて比較的すぐ読んだのですが、どうにも書評が書きづらく、今日までためらってしまいました。ですが、このまま放っておくのも居心地が悪く、何とか落としどころを見つけたいと思うのですが。
何がそんなに書きづらいかと言えば、この本のタイトルを読めばたちまち私にとっては『私は腹の底で何を考えているか』になってしまいますし、あるいは『同僚は腹の底で何を考えているか』とか『部長は腹の底で何を考えているか』や『医局長は腹の底で何を考えているか』とか『教授は腹の底で何を考えているか』と、本当のタイトルの「精神科医」のところに何人も具体的な名前が浮かんでしまうため、読めば読むほどその誰かのことになってしまうからです。まあ何と言っても私自身に突き付けられているようでしんどいというところなんでしょう。
それだけ内容は、さすが(?)ずっと精神科臨床を行ってきた著者ですから、これまでいろいろな本で語られてきた精神科医よりはるかにリアリティに富んでいます。すでに私自身が感じていたことや常日頃考えていることに近いことも書かれていて、
「けれども精神科医が動じることなく、一貫した態度を取り続けることは重要だと思う。そのことで、精神的な視野狭窄状態になっている患者へ視野の外に潜在している可能性を示唆することの出来る医師こそが、良い医者なのだと思う」(p.39)
とか、
「所詮は他人事でしかない。だが、せめて他人の心を推し量ることはとんでもなく難しいのだという「謙虚さ」を持っていなければまずいだろう」(p.58)
といった言葉には改めて考えさせられるところがありました。
一方で、「そうでもないだろう」ということもあるにはあるのですが。
本書の最初のうちは比較的客観的に精神科医療一般の現状や問題点、課題を挙げているような書き方だったと思いますが、後半へ進むにつれて著者自身の問題や反省、課題が語られているような印象もあり、そこがまたリアルで余計考えさせられるところでもあります。
この本の他の書評やコメントを見ると、この本が誰に向けて書かれたものなのかと疑問を呈しているものがあります。私も読んでみて確かにその点は感じました。この本を一般の人が読んでも何を言っているのかと思うだけのような気がします。多少精神科医療に関心があったり直接関わりのある人(患者、医療関係者)ならば、精神科医が確かに「腹の底で何を考えているか」を知って今後に役立つこともあるかもしれません。
けれども、私がこんなに考えさせられ、いろいろと思いめぐらしたのだということを考えると、これは実は精神科医へ向けられた本なのかもしれませんし、もっと言えばこれは春日武彦が自身に向けて書いたものではないかとも思えます。そんな話に付き合わされる読者はたまったものではないかもしれませんが。

この本の帯などには「100人の精神科医」が登場するとなっており、実際本文中にゴシック体でいろいろなエピソードを持った医者の姿がかっこ書きされ、さらにご丁寧に巻末にも100人のリストが挙がっていますが、ただ羅列されているだけでこの100人(というか医者のエピソードと言うべきか)が良い医者なのか悪い医者なのかは明確にされていません。新書としてアピールするにはこのように一見わかりやすそうな記述の仕方が必要だったのかもしれませんが、わざわざ「100人の精神科医」などと挙げる必要もなく、いつもの春日武彦の文章だけで十分伝わるのではないかと思います。
ちなみに私自身はこの100人のエピソードの半分以上が当てはまりそうな気がします。著者は「およそ3分の3はわたしの分身としか思えない」と書いています。だからどうだ、というわけではありませんが。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本BILLY BAT 2

2009/11/23 18:28

あまりの壮大過ぎて、どう理屈をつけていいのかわからない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その昔、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』だったかで、雑誌連載の時には連載の1回ずつに見せ場がなくてはいけなくて、特に最後は続きを読ませたいという気持ちにさせるような終わり方をしなくてはならないというようなことを読んだように思う。そんなことをこの第2巻を読んで思い出してしまった。
以前からその傾向はあって、それが時に批判的にも言われているのだけれど、浦沢直樹の作品は基本的に雑誌連載をベースにしているので、1話ごとに見せ場や決めのコマなどがある。それが大きな物語全体として伏線になったり、サイドストーリーになったりするのだから、そのような物語を作り出し描くことができる浦沢直樹はやっぱりすごいと思う。
だけど、いくらなんでもこれはないでしょう。
1冊の中に、敢えて言えば4つも物語を詰め込んでしまっているのだ。
どこまで書くとネタバレになるのかわからないので、帯にある文章をそのままのせると、その4つの物語がある程度わかるだろうか。

六十年前、戦後最大の闇の中を跋扈し、
二千年前、救世主と信じられた男の運命を紡ぐ……。
そして五十年前のニューヨークでは、恋人たちに光をもたらす……。
はたして謎の漫画・ビリーバットの正体は!?
人類にとって、その存在の理由は!?

そうか、これだけ読むと4番目の物語が何かわからないか。
4番目は何と戦国時代なんだな、これが。
もちろん、浦沢マンガなので、これらはすべて伏線であるだろうとは思うけれど、どうやって収拾していくのか今から心配になってしまう。
まあ、そんな心配も杞憂なんでしょうけれど。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

別冊付録の表紙を見ただけでワクワクしてしまった

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いやあ、終わりました!
この頃の浦沢直樹は雑誌連載と言う制約のせいもあるものの、話がどうしても冗長気味になっていましたが、これは8巻できっちり終わってくれました。もちろんオリジナルである『鉄腕アトム 地上最大のロボットの巻』自体が現在のマンガの尺でいくと短めの話ですから、どんなにがんばっても話の伸ばしようがないということもあったのでしょうが。
それでも7巻から引き続き、物語が確実に収束へ向かっていく雰囲気というかリズムが感じられて、これまでのエピソードを積み重ねていくストーリーよりも小気味よい読みやすさがあります。
そして何と言ってもアトムの活躍があるからこそ、小気味よさが伝わってくるのかもしれません。
当初物語はゲジヒトをメインに話が進んで行きましたし、彼の記憶が重要な役割を果たしているので、あたかもゲジヒトが主人公と思って読み続けてきましたが、やっぱりアトムですよ。
確かに最後にきてアトムの活躍で締めてしまうと、ゲジヒトの苦悩はどこへ行ってしまったのか、人工知能が感情を持つことがどんな事態をもたらすのかといったこの物語で何度も語られてきたものがどこかへ行ってしまったような気もします。
それでも、アトムで締めてしまう。そこか『鉄腕アトム』のアトム足るところだと思いますし、浦沢にとってのアトムもこのアトムだったのだろうと思います。

最終巻の豪華付録は何と2冊!
雑誌連載の最終回と最終回1回前の分がそれぞれ1冊になり、往年の月間少年マンガ誌の付録のような装丁で付けられています。
この作品を一気に楽しむという点では、この肝心の2回分を分けてしまうのは勢いを削がれる感じもありますが、これもまたアトム足るところなのでしょう。そう、昔はこの別冊付録こそがマンガの醍醐味だったのですから。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ガン病棟のピーターラビット

2009/04/29 00:19

それでもがんと闘い続けていく意志表明の1冊

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2008年に新たに創刊されたポプラ文庫の書き下ろしで、2007年秋から冬にかけての中島梓のガン闘病記です。ポプラ文庫としてはこちらが先に刊行されましたが、同じくポプラ文庫に収められた『アマゾネスのように』から続けて読むと、それだけで中島梓のガン体験記が一まとめに読めることになります。中島梓はスーパーウーマンのように思っていましたが、55年の人生で2回もガンの手術をし、今も尚薬物療法を続けてみえるわけで、けっこう病者だったのだと改めて気づきました。
そんなことを改めて気づくほど、基本的には人生に対して積極的に向かっている人なので、ガン体験記とは言えあまり暗いとか辛いとかいった印象はありません。しかし、前作(?)『アマゾネスのように』ではひたすら前向きだった著者が、この本では何だか達観したかのような文章がところどころに出てきます。まあさすがに37歳と54歳では思うところが違って当然なのでしょうが。
また以前の乳がんとは異なり、今回はすい臓がんであったためか、内蔵に触れる(と言うより取り除く)手術を経験するとどのように大変なのかを知ることができました。やむを得ないこととは言え、食事が摂れず、体も衰弱して起き上がるのも困難な状態が続くと言うのは、自分の命を守るためであっても辛そうです。そのあたりが、作家という仕事を持った人の手によって詳細に書かれているのは、同じ病を経験したり、今後そうなるかもしれない私たちに非常に参考になるのではないでしょうか。
残念なのは、この本のあとがきで肝臓へのがんの転移が明かされていることです。手術や化学療法が無駄であったとは云えないものの、はかばかしくない結果を知らされるのは、他人のことであってもうれしくはありません。それが中島梓/栗本薫のことであるというのが、また一層辛くなります。彼女にはこのような体験記はもちろんですが、もっともっと私たちが待ち望んでいる物語を多く書き続けてもらいたいからに他ないからです。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本戦争と罪責

2006/10/03 22:21

戦争における罪を感情を伴って認めることの大切さこそ、今重要なこと

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小泉さんの信念があるともないとも言えない行動のお蔭で、中国や韓国がなぜあんなに靖国に拘るのかということを改めて考えさせられた。もちろん外交とか政治の問題は単純ではないので、靖国問題も一言では片付けられないのだが、少なくとも日本人が戦争と言う時にアメリカやヨーロッパの国々を相手にしたことしか考えないというのは方手落ちのように思えてならない。私たち日本人が中国大陸や朝鮮半島で行ってきたことをきちんと考える必要が、やはりあるのではないだろうか。
 正面切って、歴史的事実として日中戦争を知るという方法もあるだろうが、それよりも何故今に至るまで日中戦争について公に語られることが少ないのかを考えてみたくて、この『戦争と罪責』を読んでみた。
 正直、辛い。
私たちは結局、単に日中戦争について語らなかっただけでなく、抑圧してきただけだったのではないか。そうしなければ戦後を生きていくことがむずかしかったと言うこともできるのだろうが、じゃあそう言ってしまえば許されるのだろうか。中国や韓国が今も尚私たちに問うていることの中には、そこの問題があるのではないだろうか。
 この本に登場する人の中には、自分が戦争中に行ったことの残酷さ、悲惨さを自ら引き受けて生きている人がいる。戦後世代である私たちは、彼らの話を真摯に受け止め、その上でどのように現在を生きていくのかということを、何度も何度も問い続けなければいけないのではないのだろうか。
 この本の中で語られている、中国に抑留された人たちが戦犯管理所等で経験した中国人の対応に驚かされる。自分の身内を殺したかもしれない日本人に罪の意識を抱かせ感情を取り戻させる為に根気良い対応をしている、その内に秘められた悲しみや怒りがどの程度のものなのか。それを知れば、今中国や韓国が、日本の総理大臣の靖国神社参拝を問題視するのも当然のように思える。
 すぐに答が出るものでもないのだろうが、改めて60年、70年前に私たち日本人が大陸で、世界で何をしてきたのか、歴史的事実としてだけでなく、そのような過去の延長線上にいるのが自分だと言うことを肌で感じながら考えることが必要ではないかと思い知らされた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

1,021 件中 1 件~ 15 件を表示