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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

吉野桃花さんのレビュー一覧

投稿者:吉野桃花

53 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本きょうの猫村さん 1

2005/09/06 18:48

猫って、猫ってこうだよね〜

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

お母さんとはぐれた猫村さんは、新しい飼い主になるぼっちゃんに拾われます。
なんと感謝の気持ちが高じて家事万能になり、ぼっちゃんのお世話をする楽しい日々。しかし、飼い主家の事情によりぼっちゃんとは離れ離れ。猫村さんは家を飛び出し、家事の腕を活かして生きていくべく村田家政婦の扉を叩くのです。
さあ、猫村さんの家政婦としての人生の始まりです。
猫村さんのちょっとした仕草が、猫を飼って16年の私のツボにきゅーっときました。
家事の練習をしているときです。掃除機についシャー!!ってなったり、水をくいっと丸めた手でちょいちょいしたり。くっくっくっ。これこれこの格好!
家政婦として初めてお勤めにでる前の晩。不安と緊張から明け方まで爪とぎをしてしまい爪はぼろぼろ。うひょー!出た!意味不明の不安解消爪とぎ!!
猫村さんは、猫なのに家政婦ということを何一つ不審がられず生きているんだけど、猫の本能的な行動が時折ひゅっと出てくるところがばつぐんにおもしろい。
ストーリーはベタ。絵は小学生が自由帳に書いて友達に見せる感じのテイスト。
でも、ストーリーはベタゆえに先が気になり、猫背の曲線の微妙な上手さにむむっと思う。
物語が、猫が家政婦というシュールさに全く拠っていないところが素晴らしい。ただ家事のすごく上手い猫が暮らしているというところが。
完全にジャケ買いだったのですが、大当たりでした。
猫を飼っている方、猫好きの方にぜひぜひおすすめです。
今月の「ダ・ビィンチ」(2005年10月号)に猫村さんのインタビューが載っているので、まずはそれをチェックしてみて下さい。
ネット上でのお試し版はこちら

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紙の本博士の愛した数式

2006/02/10 17:08

静謐な愛情

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いつも最初に簡単な物語の設定やあらすじを書くことにしていますが、すでに多くの方が書かれているのでここでは省きます。
「数学雑誌の懸賞問題が解け、レポート用紙に清書し、郵送する前にもう一度見直しているような時、博士はしばしば、自分の導き出した回答に満足しつつ、
「ああ、静かだ」
とつぶやいた。」
この物語を読んでいると、まぶしいほど明るくもなく恐ろしいほど暗くもなく、騒がしくもなければ寂しいまでの沈黙もない、そんな静かなところに連れて行かれます。
ほんの少し、人の立場や気持ちを慮ることで、私たちはこんなに静謐な関係を人と結ぶことができるんだ。
この物語の登場人物は皆、何かしら、いわゆる世間一般の平均像からずれています。
博士の《僕の記憶は80分しか持たない》は大きなずれですが、家政婦である私も母一人(文字通り他に人手のない一人)で子供を育てているし、私の雇い主である博士の義妹も心に博士に対する複雑な思いがある。
その点を「変わってるわねえ」「大変ねえ」と解釈してしまったら、たちまち泥沼の愛憎劇になってしまいますが、皆さんごく普通に「そういうことか」と事実のみを受け入れています。そして気の毒がるでもなく、やってあげなきゃでもなく、今自分にできることをさらっとやるのです。
単にいい人ばかりでは嘘くさくなりますが、博士の苦悩も、私の離婚の痛みも、義妹の思いもきちんと書かれています。ちょっとした揉め事も起こります。
それでも、この静かさ。やはりそこには数学をモチーフに使っていることが大きいと思います。
私は文系なので、数学といっても文系数学しかやっていませんが、計算用紙として使っていたB4の藁半紙に数式を書いていくのは快感でした。本当に何かに導かれるように流れていく、ぴたっと解が決まる。それは私にとって静かな数学との時間だったに違いない。その感覚を思い出すのです。
途中で間違ってしまうと容赦なくダメ出しされます。先が続かなくなる。覚え違いとか、しまった!というミスは起こりにくく、数学は間違いをわからせてくれるとところも好きでした。解を差し出す前に正解でないものは突っぱねられる。最後までたどり着いたら、ほとんどの確率でそれは正解なのです。
博士も私も義妹もルートも、ミスの程度はそれぞれですがミスを犯します。しかし素早く”もう一度見直し”軌道修正するのです。そこが博士が教えてくれるさまざまな数の不思議、数学の考え方とリンクして、突拍子もないリアルさを生み出します。博士のそばに居たら、そうするに決まっている!とさえ思う。
最後に話がちょっとずれますが、江夏の背番号28がぞっとするほどこの物語を引き締めています。(これは小川さんご自身も、作品を完成させる最後の鍵、と語られたそうです)
江夏でなければこれほどの凄みもリアルもなかったと思います。彼がこの番号を背負っていた偶然に驚きました。
これから幾度となく読み返す本になりそうです。

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「皆が思っているより、人生は、生きることは、チョロいもんなのさ」

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いちごちゃん、相変わらずのバカっぷりです。それっておやじギャグ?小学生にバカうけのダジャレ?
でも、いちごちゃんはいつだって真剣なので、おやじ度あるいは小学生度が高いほど可笑しい。決して否定的な気分にはなりません。
桃子ちゃんのツッコミがまた絶妙で、バカらしさ加減に爆笑です。
私はヤンキーが嫌い。ロリータも特に好きではない。前作「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」を気になりつつも長いこと読みそびれていたのはそのせいです。
だけど読んでみたら、いちごちゃんも桃子ちゃんも可愛いこと!こんな子だったらヤンキーでも何でも許す。
というのは、2人の主義・主張にブレがないからなのです。何かの言い訳や人に気にしてもらいたいなんていう甘えた気持ちでヤンキーやロリータをやっているのではないのです。自分の主義・主張を守るためには、自分に不利なことも受け入れます。それは一言で言うと、男前。
スカッとするんです。いちご理論、桃子理論はちょっとみ難しい。しかし、いったん理解するとこれほどわかりやすいことはない。イレギュラーが少ない。
ゆらゆらと腹をさぐり合うようなつきあいが苦手なので、この物語世界にいる時間が本当に楽しかった!
タイトルに引用したセリフは桃子ちゃんのおばあさまの言葉です(このおばあさまはキーマンで要所要所をきゅっとしめる)。チョロいっていうのは、適当にやっていても何とかなるという意味ではありません。長くなりますが引用します。
「(略)経験を重ねれば、バカじゃない限り、変わっていくさ。それは成長ってもんだから、止める必要はない。でも、成長しても変わらず持ち続けていられる小さな宝石がある。その宝石が自分自身なんだよ。大抵の人間は、その宝石を途中で見失ったり、曇らせたりする。そして自分が何者なのか、何をしようとしていたのかが解からなくなる。あんたなら大丈夫だろうよ。もしかすると、お針子の仕事がどんどん調子に乗ってきて、忙しくなって、お金も名誉も手に入れた時、ふと虚しくなるかもしれない。思ったように上手く事が進まず、投げ出したくなることがあるかもしれない。そんな時は、あんた自身である宝石を見詰め直せばいい。そうすれば答えは、進むべき道は見えるだろうよ。皆が思っているより、人生は、生きることはチョロいもんなのさ」
宝石って、人と比べて特別って意味ではないと思います。他人には石でも、自分が大事にしていたいもの。それを守るためには、苦しいことも自分で乗り越えなくてはいけない。当たり前のようなことですが、苦しいことから逃げて何かのせいにしていては先に進めないのです。
2人は高校を卒業して、これから少しずつ大人になっていくのでしょう。
ほろ苦いような、甘酸っぱいようなラストにはちょっと泣けました。
完、とはなっていますが、数年後のいちごちゃんと桃子ちゃんに会いたいな。野ばらさんがいつかまた彼女たちに会いたくなって、書いてくれるのを待とうと思います。
彼女たちが、社会に出ての様々をどう乗り越えていくのか。どんないちご理論、桃子理論が出てくるのか。
極端なことを言うと、彼女たちが死に際に何を言うのかを聞きたい気持ちです。

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逃亡くそたわけ

2005/08/10 17:43

「ここではないどこか」は自分のなかに

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

精神病院から逃げ出した、躁と鬱の2人によるロードストーリーである。
躁の花ちゃんは、行きがけの駄賃みたいに鬱のなごやんを誘って、2人の逃亡は始まる。
なごやんの車で福岡から鹿児島までの九州縦断の旅。いや旅ではなくて逃亡、なのであるがものすごーくのどかな雰囲気なのだ。
途中から、花ちゃんは無免許で運転しだすわ、畑の野菜を盗むわ、ラムを万引きしてラッパ飲みするわで滅茶苦茶なんだけど、切羽詰った悲愴感がない。青春だね!と言うと言いすぎかもしれないけど、そういう感じだ。
頑なに博多弁をしゃべる花ちゃんと、頑なに標準語で通す名古屋出身のなごやんのやりとりが、時におかしく、時に妙に的を射ていて、時に精神の混乱を見せつけ、最高に楽しめた。
福岡で生まれ育った花ちゃんは「ここに来たらこれを食べんと」という感じで道々郷土料理を勧めて2人で食べるわけだが、なごやんの反応がいちいち面白い。名古屋を嫌って標準語を死守しているくせに、なんで諭吉定食が唐揚げなんだよ!」とか(中津の唐揚げは有名)、団子汁を食べて(味噌煮込みうどんのほうが)「百倍洗練されてるよ」とか(確かに郷土食ではあるが団子汁はわざわざ食べたいものではない)、なんか微笑ましいんだな。
生まれ育った土地、言葉、それはやはり人にとって大事なものだのだと、一時は逃げたいと思っても結局はそこにゆったりとはまる自分にいつか気付くものだと思う。物理的にその場に住むということではなくても、あそこで培ったものが自分だと。そこをつかまえるとぐんと生きやすくなる。
違う土地に住んだり、旅行をしたりすると本当にそれがよくわかる。はちゃめちゃな旅の終わりに、2人は自分をつかまえた。
読み始めは「精神病院から逃亡って、もしかして暗いシュールな話?」と思ったけど、全然そういうものじゃなかった。先日大分に帰省したばかりということもあり、ものすごく入り込んで一気読みしてしまった。
読後すぐの感想は「九州ちこげなとこやんなあ」。
ちなみに私の「ここに来たらこれを食べんと」は大分空港のレストランの鳥天定食とゆふいん地ビールです。大分にお越しの際はぜひおすすめです。
あ、この本はもっとおすすめです!

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紙の本蒲生邸事件

2002/01/29 19:15

どんな時代のなかでも人々は懸命に生きるのだ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 予備校受験のために状況した孝史は、宿泊先のホテルで火災に遭い、すんでのところでタイムトラベラーの男に救出される。男が孝史とともにとんだ先は、昭和11年。2・26事件がまさに起きようとしていた。時間をとぶのは非常に体力を消耗するらしく、男の回復を待ち、孝史はしばらくの間、昭和11年を生きる青年として過ごすことになる。

 歴史を振り返れば、なんでそんなことになっちゃったんだろう、という時代がある。日本では、大日本帝国時代。第2次世界大戦での日本の振るまい方は、(今の世界常識、価値観で見れば)間違っていたと言わざるを得ないだろう。しかし、その事実を前提に、その時代を生きた人々の生活、生きざまを否定することは、果たして意味のあることなのか。
 苦い思いが込み上げる。小学校、中学校で軍国主義の悪を教えられ、「国民みんなで反対すれば、あんなことにはならなかったはずだ」という青臭い教師の言葉を鵜呑みにして、戦中を生きぬいたおばあちゃんを罵ってしまったこと。おばあちゃんは私に反論もしなかったが、子供だましに「おばあちゃんたちは馬鹿だったよ」なんてことも言わなかった。ただ、黙っていた。
 ものを知らなかったから言えたことだけど、やはり思い出すたびに、なんであんなこと言っておばあちゃんを責めてしまったんだろう、と激しい後悔に襲われる。黙っていたおばあちゃんの気持ちを思うと、切ない。
 この本を読んで、それと同質の切なさを感じた。物語が収束していくラスト部分では、泣きそうな気持ちになった。

 私たちの後ろには、きちんと記録された歴史が残っている。数年間におよぶ大きな歴史の転換点も、そうして俯瞰してみれば、原因も結果も分かる。どうしてこの時点でこうできなかったんだ、と言うことは容易い。歴史を教訓にして、物事の良し悪し、進むべき方向を考えるのは有効だとも思う。ただやはり、結果を知っているという圧倒的な有利な立場から、渦中の人々を責めるのは、作者の言葉で言えば「ずるい」のだ。
 私は、将来子供から「お母さんたちが食い潰したから、俺たちが苦労しなきゃならない」と責められることだろう。だけれども、ほんとに実感として言えば、バブルで景気が良かったこともはじけて景気が悪くなったことも「え? そういうことがあったの?」って気持ちだ。
 年月が経って総括された評価つきの「歴史」を知ることと、実際その時代その時点での「今」を生きることは、全くの別物だ。歴史を知っているから分かることもあるが、その流れのなかにいなかったら分からないこともある。
 近い未来、遠い未来、私たちは予測をするが、予測はあくまで予測。河をそろそろと渡っていくときのように、予想しなかったくぼみに足をとられ、流れに飲まれてしこたま水を飲んだりしながら、生きているのが現在なのだ。だからこそ。生きるということに尊さを感じるのだろう。泣きたいような切なさを感じるのだろう。
 小さなことであっても、時代に足跡をのこした人々の営みを愛おしく思うのだろう。歴史という客観視されたものとは別の、ある人がその時やるべきことを懸命にやって生きていた、ただそれだけのことが、何故か心にきゅっとくる(NHK「プロジェクトX」を見ると何故か泣きたくなることが多いが、そんな感じの気持ち)。
 私は、今を流れる小さな個体にすぎないけれど、今踏みしめていく一歩一歩を誠実に踏み出したい、と思う。そんな、爽やか切ない読後感だった。

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紙の本明日の記憶

2005/01/11 21:01

病を受け入れた先にあるもの

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ごく普通のサラリーマン。そろそろ固有名詞がぱっと出てこない50代に突入した。うまく眠れない。どうも体調が思わしくない。家族の勧めもあってようやく病院を訪れた佐伯は、数度の通院の後、若年性アルツハイマーの病名を告げられる。
この物語は、佐伯が病を自分のものとして受け入れていくまでの物語だ。

単なる物忘れとして済ませられないほどの病状になっても、今は会社を辞めたくない一心であがく彼の姿が切ない(何故今は辞めたくないのかは事情があるのだ)。身につまされる。頑張れ、頑張れと思いながら読みすすむ。忘れてしまうので、どんな細かいことでも執拗にメモを取りポケットにメモを詰め込んでいる姿。周りもうすうす何かおかしいと気付いているのに、本人は気付かれていないと思うその気持ち。いやほんとはわかっているのだけど、誰もつっこんではこないのでバレてないと信じたいのだ。痛いほどわかる。
会社という組織のなかで、何かおかしいけど自分がフォローしてでもこの人と仕事をしたいと思ってくれる人もいれば、何か変なのでこれをチャンスと引きずりおろそうという人もいる。この人になら打ち明けても大丈夫と「私はアルツハイマーで忘れてしまうので、おかしなときがあるかもしれないけれど教えてください。」と言えば、利用されて裏切られる。
こう羅列すると何か陳腐なようだけど現実はほんとうにそんなもので、私の父も入院したときに「人が自分をどう思っちょるかようわかるのう。今まで仲良くしてて、こっちもできることは色々協力してやった奴が見舞いにも来ん。そうかと思や何遍も来てくるっ人もおる。」と話していた。

周りの人間。家族、同僚などがどう病を受け入れるかというのも、ものすごく重要なことなのだとわかる。そしてここが難しいのだ。「元に戻って欲しい。」と思ってしまうから。
私は現状を受け入れて、その中でのベストを探って行きたい。受け入れるには少々時間がかかっても、大切な人の今の状態を受け入れて、だけれども投げやりになるのではなく一緒の時間を過ごしたいと思う。そしてそれは闇雲に自分で面倒をみたいということとは違う。介護をされる方も身内でないほうが事務的でいい部分もあるわけだし、そこのところは使い分けたい。
これをきれい事だと思うだろうか。きれい事かもしれない。それでも。愚痴ったり、もう知らん!と思ったりしながらも、芯はその心持ちでいたい。
そう思わせてくれる物語だった。人格とは記憶の積み重ねかもしれない。でも記憶がなくなることが人格の崩壊だろうか。本人が覚えていなくても周りの私たちが覚えているのだ、彼らの今までを。病のせいでずたずたにされた精神も身近な者の心のなかには生きているのだ。それを忘れずにいたい。

ラストシーンは哀しいと思う人もいるだろう。でも私は、病を受け入れられた彼らのスカッとした姿が浮かんで「よかったね。」と思った。ものすごく晴れ晴れとした青い空を思うラストだった。

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紙の本邪魔

2001/09/21 13:40

追い詰められたとき「邪魔」になる家族

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 及川茂則は、会社でちょっとした不正をはたらく。経理をいじって自分の懐に、というあれだ。それを取り繕おうと、狂言の放火事件を起こしてしまう。不正を小手先で何とかしようとする小心者のパターン。自分は第一発見者で、火を消そうとして火傷までした、と言い張って事無きを得ようとするのだが…。事は簡単にはおさまらず、警察、会社、地元のやくざ、それぞれの関係と面子が絡み合い、収拾がつかないような事態になってしまう。もうぐちゃぐちゃ。

 夫の様子がおかしい。会社の態度も警察の動きも、なんだか夫が悪いことをしているみたいじゃないか? 夫は被害者でしょう?妻である恭子の不安はつのっていく。その気持ちの混乱の描写が素晴らしい。
 とにかく子供を守らなければ。この買ったばかりの家を失いたくない。この町での暮らしを失いたくない。1人でいると、様々な考えに押しつぶされそうになってしまう。夫に自分の思いをぶちまけることはできない。言えば何もかもがすぐに壊れてしまう。
 とにかく、パートに出よう。レジ打ちをしていれば、その間は他のことを考えなくて済む。夫への疑念、先行きの不安。それらを考えないようにするために、妙な市民運動にも参加してしまう。普通なら絶対しないようなことなのに。
 何もあるはずはない、と考えたい恭子の気持ち、しかし振り子のように揺れる思い、それに伴う行動は痛々しいほどである。特に、市民運動に参加していき、陶酔していく様子には、「ああ、こういうふうにして何かから逃げるためにはまっちゃうんだなあ」と思う。そうでもしないと、自分を支えていられない。耐えられない。

 私が思ったのは、「人ひとりだと話は簡単なのにな」ということである。茂則は、もうシラは切れないと思えば、自首すればいい。恭子だって、よその町に引っ越して新しい生活を始めることは不可能ではないのだ。何がそれをためらわせるのかというと、夫と妻、そして2人の子供、越してきたばかりの家、その町で落ち着きつつある生活、という「家庭の暮らし」を失うまいという気持ちが大前提にあるからだ。今まで通りに暮らしたい。そして、子供たちを「犯罪者の子」にしたくない、という強い気持ち。
 結婚していなければ、子供がいなければ、ここまで執着心もないだろうし、その先自分ひとりくらい、何とか暮らせるだろう。家族を切っちゃえば、すごく気楽になれる。
 なんかちょっと陳腐だけど、家族がいるって、喜びも悲しみも楽しみも悩みも、1人のときの数倍の重さだな、って思う。
 ただ、この物語のなかでは、夫の茂則は相当情けなくて、その重さを一身に背負って家族に執着しているのは、妻の恭子なんですね。恭子はそれに耐えて家族を守り抜くのか、スパッと家族を切ってしまうのか、恭子の選択を、ぜひみなさん読んで確かめて欲しい。
 ラストの小道具(大道具?)、「自転車」がピリッと効いている。うまい!

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紙の本リセット

2001/04/06 17:40

時を越えてめぐり逢う魂の物語

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 <時と人>三部作の三作目。締めくくりのこの作品は、すんごくロマンチックである。
 戦中に、女学生だった真澄と、ほんの数回すれ違うようにして会っただけの修一は、互いにひかれあう。二人の間に何が起こったというわけでもないが、相手がなんとなく自分のことを好きだというのはわかるものである。しかし、空襲という、どうにもならない時代の産物に二人は引き裂かれてしまう。
 相手を想う気持ちは時間を超え、その魂がまたこの世に生まれてくる(話の大すじは「海のオーロラ」(里中満知子)みたいな感じ。あんなに何回も生まれ変わらないけどね。)。

 もし、これが現在の話だとすれば陳腐に感じてしまっていたかもしれない。でも!戦中に青春期を過ごした少年少女の心残りというのは、なるほど生まれ変わってしまうほど強いだろう、と納得できる。そこがうまいな、と思う。
 亡くなった人も、生き残れた人も、大いなる心残りがあるはずだ。いや、生き残れた人の方が、その後の時代を見、戦中を俯瞰できるようになったことで、余計に苦しいかもしれない。
 「おばあちゃんもこんな娘時代を過ごしたのかな。そして戦後の混乱を生き抜いた。今は、ああして笑っている。人生を振り返ってみたとき、幸せだったというだろうか。」と祖母のことを思い、切なくなった。
 せめて戦前、楽しい子供時代があり、胸に残る思い出があればいい、と思う。が、それを聞くのはなんだか恐くて、ずっと聞けずにいる。戦争のことを思い出させて辛い気持ちにさせるのが嫌なのだ。
 もう祖母も80歳になった。祖母に会えなくなる前に、昔のことを聞いておきたい。楽しかったこと、悔しかったこと、いろいろ。
 そういうタイミングと時間が訪れてくれることを願う。読み終えて、そういうシンとした気持ちになった。心のなかに、じんわりとしみこんでくる上品な物語だ。

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紙の本くすだま日記

2001/01/26 11:43

生涯いち傍観者

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 年末恒例「サンデー毎日」に連載のエッセイをまとめた本。もう14冊目!こんなに中野さんを追っかけているとは我ながらすごい。っつーかしつこい)。さすが、ツボを押さえた話題が満載。例えば「ミイラ事件」「西鉄バスジャック事件」「ひきこもり」などなど。私が中野さんの本を出会ったのは、もう10年近く前で、それから毎年毎年単行本を楽しみに待っている。年末年始に「ああ、こういうことあったなあ。中野さんはこう思ったわけね。ふむふむ。」と読むのが至福の時だ。とにかく、自分のいる位置からしっかり自分の意見を言うところが、とても心地よい。中野さんは正しい、と思っているわけではない。話を一般化しないで、「自分は」というスタンスでいるところが好きなのだ。立ち読みで拾い読みするのもいい。とにかく一度ぱらぱらとめくってみて。

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単なるスプラッタにあらず、人の生きる力を感じる

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東洋の全体主義国家、大東亜共和国。この国では毎年、全国の中学3年生から任意の50クラスを選び、戦闘シュミレーションと称する殺人ゲーム“プログラム”を行っていた。
 ゲームはクラスごとに、ある閉じられた空間(例えば島)で行われ、生徒たちは与えられた武器でお互いに殺し合い、最後まで残った一人だけが家に帰ることができる。クラス全員で結託して、”このゲームには乗らない”とした場合は、全員が殺されることになってしまう。24時間以上誰も死ななかった場合、自動的に全員が殺される、という“ルール”なのだ。
 1999年の今年の1冊、といった企画にこの本を挙げているのを、あまりにも複数見たので、読んでみた。とにかく、殺し合ってしまうし、かなりスプラッタなので、そういうのが苦手な人にはちょっとおすすめできない。でも!絶望的な状況の中、“人間捨てたもんじゃないよ、やっぱり”と感じる。
 作者は人間を信じている人なんじゃないかな、と思える。
 裏表紙のあらすじの最後は、「凶悪無比のデッド&ポップなデス・ゲーム小説!」と締めくくられているけど、私は、絶望的な状況で逆に“思春期のみずみずしさ”が際立った、青春小説だと思う。これもまた詳しく言っちゃうとまずいので止めとくけど、“続きが読みたい”と思う小説だ。

 余談だけど、“プログラム”を指揮する教師(?)の名前が「坂持金発」、その部下が「田原」「近藤」「野村」。坂持は時折、“昔、加藤という生徒に苦労させられた”と愚痴る。主人公の名前は、「七原秋也」。これって中原中也?もしかして、生徒の名前(男子21人・女子21人)全部、元ネタ(?)があるのかなあ、と思ったが、あとは「南佳織」(南沙織)くらいしか、思いあたらない。なんか、ありそうな気がするんだけど。
 「バトル・ロワイヤル」に詳しい人いたら、教えて下さい(笑)

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紙の本失踪日記 1

2005/05/19 16:44

失踪生活もアル中生活も楽しそう。そう書いたところがプロ!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトル通り、失踪中の生活を描いた漫画である。
一読しての感想は、なんか楽しそうだなあ、むしろ本人は気楽なのかもね、だった。
失踪に追い込まれた気持ちは別として、逃げちゃってからはほんとに楽しそう!
ほんと人って、生きられるものだ。生きようとするものだ。
実は、数年前私の弟が失踪した。
母は出て行ったその部屋を見て、身も凍る思いがしたらしい。普通にがばっと布団を跳ねのけて起きて、そのまま出て行った感じだったという。これはまずい、普通に仕事が嫌になったというレベルではない雰囲気。家族はみんな「とにかく生きていてくれ」と祈った。年取ったばあちゃんも私に電話してきて泣き崩れた。
結果的には1週間ほどで捕獲されたのだけど、その間の気持ちといったら、とても今でも漫画とかにできない。笑える部分がない。
でもね、見つかって家に帰った弟にそのことをいうと「死ぬわけねえやん」とか言うんですよ。
さすがに怒りましたよ。「おのれが死ぬ気がねえでも、こっちとは連絡取れんし、仕事ほっぽりだして行くちゅうのは普通やねえやん。うちがどんな気持ちでおったと思うちょん!!ばあちゃんにもよう謝れよ!あんな年寄りにこげな思いさせて」
逃げた人は自分のことは自分で把握できているからいいのだけど、ふっといなくなられたこちら側からしてみれば、生き死にすらわからないのだ。
弟は、お金も持っていたし車で出たし、たった1週間で見つかったので、吾妻さんみたいにサバイバルはしていないと思うが、途中からはこんなふうに楽しくもあったのだろうなあ、と思う。何にもつながれてなくて、義務も権利もない自由。
さすがプロというか、その客観性、その生活で見たものが克明に描かれている。
こんな工夫して生きているんだったら、家族も心配ないね、ってもんだ。ほんとそれくらい笑える。
作品として、徹底して笑いに終始しているところにプライドを感じる。
余談だけど、失踪しても大人の場合は警察に真剣に探してもらえません。しょっちゅういなくなるという人は別として、そうじゃない場合は「自殺する可能性が高い」というと腰を入れてもらえるらしい。父の友人からそう助言されて「もう死んじょるかもしれん」くらいのことを言ったみたいです。ほんとにそう言うと有効なのかどうか謎ですが、弟は高速に乗ろうとしたところで警察につかまりました(もちろんナンバーは伝えていた)。
ちなみに、弟は今は別の会社で元気に働いています。

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紙の本告白

2005/05/19 14:11

表現のすべを持たない表現者

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

河内十人切りをモチーフに、人の内面、内省に言及した物語である。
熊太郎は常々「俺は自分の本当の気持ちを人に上手く話せない」「自分の言葉は人に通じていない」と感じている。それもそのはずで「ええ天気やねえ」とか当たり前のことを話すのはばかばかしいと思っており、かっこ悪いと思っている。しかし実際そういうしょうもないことで人はコミュニケーションを図っているのだ。「私はこの件をこのように考えておるのですが、あんたさんはどう思いまふ」などと急に言い出しては、相手はポカンとするばかりだろう。
それは熊太郎もわかっているので、こう話しかけたら相手はこう返事して、なんてシミュレーションするのだけど、相手が想定どおりに答えるわけもなく、しどろもどろの変な人になってしまうのである。
早い話が自意識過剰なわけだ。私、この熊太郎の感覚すごーく思いあたる。私、子供のときこんなやった気がする。
例えば、道で知っている大人に会って「どこ行くん?」と聞かれたら、「ちょっと」とか言っておけばいいのに、くどくどと「えーっとお母さんに頼まれてこれを誰それさんのとこに持って行って、それから・・・」と必死に説明していて、私がどこ行こうと関係ないやん、うるさい、と思っていた。
母に「そんなん真面目に返事せんでいいんよ。挨拶やき。向こうも本気で聞きよるわけじゃねえし」と言われ、ふーんと思ったが、なら「おはよう」とか「こんにちは」だけでいいじゃないか、意味がわからない。
田舎の町はそのようなことだらけで、その意味は?などと考えてしまうとバカを見るというか、大して意味なんてないので、結局どうなるかというと、あいつらアホやで、となってしまうのである。
周りからみたら、みんなが何の疑問も持たずにすっとやっていることを、くどくど考えて「それはおかしいのでは?」とか思っているほうがアホだ。
お互いどうしても通じることができない。
最近知ったが、私が子供の頃、父が友人にふっと「うちのねえちゃんは難しい」とこぼしたことがあるらしい。
私は今でもちょっと偏屈なところがあるけど、まあ年を取るにつれてごまかし方を覚えたし、本を読んだり物を書いたりすることで、くどくど考える部分を発散している。
熊太郎はその発散の矛先が殺人に向いてしまったわけだけど、この本を読んでいると身につまされすぎて、うーん私も紙一重だったのかも、とちょっとぞっとした。
河内弁が楽しくてかなり笑えるのだけど(町田康のユーモアはすごい!)、読後全体を振り返るとやはりどしーんとくる重さがある。
私だけじゃなくて、けっこう思い当たるところがある人、多いのではないだろうか。
だって日常の話し言葉って便利だけど、本心というか自分の芯の考えと、人に伝わっているものって、その乖離の程は千差万別としても、必ず乖離しているものだ。
その乖離があるから、人は表現するのだろう。表現されたものを見たいと思うのだろう。
仕事にしているいないは別として、表現に関わる人にぜひおすすめです。

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紙の本ほたる館物語 1

2004/09/06 16:34

ワクワクする、ドキッとする、泣けてくる。物語の魅力満載!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ほたる館は小さな老舗旅館。女将の孫である小学5年生の一子を中心に、日々のちょっとした出来事を描く。
子供向けなので、設定がものすごくわかりやすい。
引退なんて考えられない元気な女将(一子のおばあちゃん)、口下手だけど料理上手のおとうちゃん、おばあちゃんとバリバリやりあう気の強い若女将(おかあちゃん)。
と聞けば、ありがちと思ってしまうでしょうが、それが嫌らしくなくてすっと入れる。
そしたらもう、ほたる館の日々を一緒に過ごしているような気持ちで一気に3冊読み通してしまった。

女将と若女将の掛け合いのおかしいこと! けっさく!と大笑い。
ぽんぽん物を言ってしまう一子とじっくり考えて黙ってしまう雪美ちゃんとの行き違いに気を揉み、戦争で子供を亡くしたおばあさんの本心に迫っていくところでは涙があふれた。
子供向けなので、細かく書いてあるわけでないのに、心にきゅっと伝わってくるのだ。何だろう。上手く言えないけど、生きてるってこういうことだよなあ、嬉しいことだよなあ、というような。
著者のあさのさんは、子供だからわからないってことはないと信じている人なんじゃないだろうか。
子供にこの意味通じるかな?と思うようなセリフが沢山ある。でもそこを丁寧に真剣に書いているなと思うのだ。子供だってちゃんとわかる。それに何も初めて読んだときにわからなくてもいい。ある時ふと「ああ、あれは」と思ってくれれば。いい加減なことは書きたくない、という。
だから大人にとっては1粒で2度おいしい。一子の気持ちも「ああわかる! その感じ」だし、女将や若女将の気持ちも「わかるわ〜。大人だっていつもいい顔してられないよね」と思う。
一緒に物語のなかを過ごしたような、なんとも言えない幸せな気分になれる。

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紙の本絶対毎日スエイ日記

2004/09/09 18:10

くつろげて、心に残る言葉がある

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私が末井昭さんを知ったのは、2年前に買った神蔵美子さんの「たまもの」でだった。
「たまもの」は神蔵さんが、前夫の坪内祐三さんと暮らすことより現夫の末井昭さんと暮らすことを選び、二重生活のような奇妙な暮らしと精神的な葛藤を経て、物理的にも精神的にも末井さんのところに落ち着くまでの私小説のような写真集である。
「たまもの」を見て、まずは神蔵さんである主人公の女のことを「鼻持ちならない人だなあ」と思い、自分の鼻持ちならない部分を主人公にして、こんなにストレートに表現してしまうとは肝がすわっているなあと思った。普通は自分を美化してしまいそうなものだけど、美化はなし。全くみっともない姿。そこまで自分を見つめてしまうと息苦しいだろうな。そして、そんな神蔵さんと一緒にいる末井さんという人、この茫洋としたおじさんは一体誰なのか、田舎に帰ったらそこら辺にいそうな人だが、とちょっと気になっていたのだ。末井さんが名物編集長だということも、「素敵なダイナマイトスキャンダル」という著書も全く知らなかった。(私はエロにもパチンコにも興味が薄い。)
そして今回この本の広告を見て、急いで買って、3日間かけて読んだ。

末井さんは、孤高の人だ。今この時から、友人や家やお金をすべて失っても「ま、それならそれで」というような。だから執着がない。自分は自分、人は人、なので、この時にこそ!って時に人に冷たい。自分ならそんな時に優しくされなくても全く平気だから、何か言ってあげなければなんて思いつかない感じだ。
美子ちゃんに言われたという「私の腕がなくなっても何とも思わないんでしょう」「どうして悲しんでる人にトンカチで打ちつけるようなこと言うの」という言葉が印象的だった。
美子ちゃんの言葉はきつい。私だったら一緒に暮らしたくない、と思うくらい。でも、それを話し合って仲直りして、投げ出さないで一緒にいるというのは、やっぱり「好き」なんだな、と思う。恋愛中の、お互いに「私(俺)のこと認めてるの?」「私(俺)はあなたにとってなんなの!?」というやりとりをお互いが真剣にしているのが胸にせまってくる。ここでどっちかが、もう止める!と言ってしまえばお終いなのだけれども、お互いにムチ入れ合って、そこまでえぐるか!?と思いながらも一緒にいる。「好き」ってすごいな。

2000年4月から2003年4月までの、910ページにもなるこの分厚い本。だけど日記という形で書かれているからこそ、しんみりと伝わってくるものがある。誰に会った、何を食べた、パチンコの結果。そのなかにふっと現れる気持ちが、ゆっくりゆっくり、連続した日々の記録から伝わってくる。連続してるってことが大切なんだ。
後半、猫のねず美ちゃん登場ですっかり喧嘩しなくなった、ってところで、末井さんも美子ちゃんもピリピリした感じが薄くなり、生活だなあ、日記だなあ、って嬉しい気持ちになってしまった。
ごろ寝して読むのは大変だけど(私はほとんどごろ寝して読んだ。肩と腕が痛くなった)、つらつらと寝物語に読むのにおすすめの1冊です。くつろげて、心に残る言葉がある。

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紙の本フジ子・ヘミング運命の力

2001/10/24 11:49

自分だけの力では開かない扉が開くのを待て

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 NHKの番組でとりあげられたことから、一躍有名になったフジ子・ヘミングのエッセイ。語り下ろしなのかなあ? それはよくわからないが、とにかく耳に心地よい文章である。気持ちが良い。
 1961年ベルリン国立音楽学校への留学、1970年ウィーンでのリサイタル決定、と彼女の成功は目の前だった。しかし、リサイタルを目前に彼女の耳は聞こえなくなってしまう。そこからは、長い長い不遇の時代だ。聴力はいくらか回復したが、のがしたチャンスは2度とやってこない。もちろん彼女は絶望する。しかし。あまりに才気ばしった人だったら自殺してもおかしくないような、そんな状態のなかでも、彼女は「普通」である。もうピアニストにはなれないと落ち込む。生前は不遇で死後認められた音楽家たちの伝記を読み、私も失意のまま一生を終えるのだろう、と思う。反面、私のピアノは最高だ、という気持ちも絶対忘れない。とにかく食べていくために働くことをきちんと考える。
 自分の才能を信じるあまり、妙にロマンチックになって自意識のなかにのめり込んでいったりしない。希望も絶望もないまぜに「生きていく」ということ。ほんとに普通の当たり前のこと。芸術家というのは、この点が弱い人が多いように思うので、いいなあ、普通だなあ、と嬉しくなる。
 ピアニストになる夢は、捨てない。そのための努力も惜しまない。だけど、有名になること脚光を浴びることは、彼女のなかでは、目的を達成した結果としてついてくるものであって、それ自体が目的ではない。彼女が練習するピアノを聞いて、通りがかりの子供がリズムに合わせて踊っていたというだけで、私のピアノが人を喜ばせている、と感じる人なのだ。高飛車な人だったら、子供になんて気付きもしないだろうし、万が一気付いたとしても、「あんな子供を喜ばせたってな」と逆に暗ーい気持ちになりそうな出来事が、彼女にとってはとても幸せな出来事。
 それから、貧乏な時代にいつも食べていたというじゃがいもを今でも好き、という話も好きだなあ。苦しい時代の象徴として考えてなくて、ずーっと食べていたから今も好き、って言うの。いい!
 笑われるのを承知で言うが(ほんとにほんとに恥ずかしいのだけど)、私は自分の書くものをけっこう本気で「すげーじゃん!」と思っている。落ち込むことも多いのだけど、それでもしつこく止めないのは、いつも最後にはこの気持ちがムクムクと回復してくるからなのだ。自分で書いて自分で誉めて、単なる自己満足じゃん、ってとこなのだけど、どうしても気持ちはそこに着地してしまうのだから仕方ない。根拠はないが確信してしまっている。私にとっての「自分だけの力では開かない扉」が開くかどうかはわからない。けれど、「いつか開くだろう」と思いながら生きて、「ふ。やっぱ開かなかったか」と死んでいくのも、それは楽しい幸せな一生だろうと思っている。
 そうそう。やはり、というか、これを読むとピアノの音が聞きたくなります。この本と彼女のCDで元気回復セットになるかも。
 図書館で借りて読んだのだけど、これは買おう! と思った本です。

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