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dawnさんのレビュー一覧

投稿者:dawn

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本人形の家 新版

2001/05/28 18:39

人形たちの願い

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 トチーは、エミリーとシャーロット姉妹のへやに住む人形。人形のなかまのプランタガネットさん、その奥さんのことりさん、弟のりんごちゃん、犬のかがりたちといっしょに、家族のようにくらしている。トチーがむかし住んでいた人形の家に、今度はみんなで住めることになった。家をきれいにしてくれるよう、トチーたちがエミリーとシャーロットに願うと、そのとおりに家がきれいになっていった。家具やカーテンをそろえるお金がいるため、トチーは展覧会に貸し出された。その会場でトチーは、かつてその家にいっしょに住んでいたマーチペーンという人形と再会する。気どり屋で、自分のことしか頭にないマーチペーンは、ふたたび人形の家に住むことになったトチーをねたむ。やがてマーチペーンは、エミリーとシャーロットのもとへ届けられた。人形の家は、しだいにマーチペーンの思いどおりに変わっていく。トチーたちは、なんとかしてほしい、と強く願うのだが……。

 トチーは人形の家にみんなでくらせるように、みんなの必要なものがそろうようにと、エミリーとシャーロットに願いつづけた。プランタガネットさんや、ことりさん、りんごちゃん、そしてかがりも、それぞれにおたがいを思いやっている。ところがマーチペーンにとっては、自分がいちばん大事だ。子どもたちに遊んでもらいたいとも思わないし、歌のひとつも知らない。さまざまな個性をもつ人形たちの姿に、ふと考えこんでしまった。わたしはどの人形に似ているだろうか。もしわたしがものいわぬ人形だったら、なにを願っただろうか。また、人間としてのわたしは人形の願いを、今までちゃんと受けとめてきただろうか。

 訳者のあとがきによると、作者ゴッデンは、子ども向けということをあまり考えず、「思うさま、自分をゆり動かしてやまない人生の深まを描きだした」という。たしかに、すでに子どもでなくなったわたしの胸にも、ぐさりと突き刺さってくるものがあった。この作品が発表されてすでに五十四年がたつが、人形たちは今のわたしたちにも、静かに、懸命に、なにかを願いつづけているような気がする。

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紙の本ドミニック

2002/05/09 17:27

冒険の道を選ぶこと

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ドミニックは、好奇心旺盛なイヌ。ある日、なぜかとつぜん未知
の世界を冒険したくなり、さっそく出かけました。すると、道が二
つに分かれているところがありました。そこに立っていたワニの魔
女がいうには、右へ行けば退屈な人生、左へ行けば価値ある冒険が
待っているとのこと。ドミニックは、迷うことなく左へ進みました。
 さて、ドミニックにはどんな冒険が待っていたのでしょう? 冒
険には、困難や危険がつきもの。ドミニックの冒険も例外ではあり
ません。たちの悪いギャング団に襲われそうになったり、悲しい別
れを体験しなければならなかったりしました。でも、いい動物たち
との出会いもたくさんありました。フィアンセと離ればなれになっ
たイノシシにプレゼントをあげ、困っているガチョウを助けて、よ
ろこばれたりもしました。そして、ドミニックは、なつかしいにお
いのするぬいぐるみを見つけました。それが、さらにすてきな出会
いへとつながっていったのです。
 心に思ったことはすぐ実行にうつし、困難にぶちあたってもどん
どん立ち向かう。それが、ドミニックの哲学です。わたしはワニの
魔女に会ったことはありませんが、どうやら右の道を歩んできてし
まったような気がします。わたしもドミニックのような気持ちでい
ればよかった、と残念に思います。でも、運のよいことに、この作
品でドミニックと出会うことができました。はじめは目的がわから
なくとも、勇気をもって進んでいくうちに、さまざまな出会いがあ
り、困難にうちかつことができ、もっともっとすてきな人生を送れ
るようになる。ドミニックは、そう教えてくれました。いまから退
屈な道を引き返すのはたいへんですが、わたしにも少し希望がわい
てきたような気がします。

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紙の本トムは真夜中の庭で 新版

2001/06/22 18:00

不思議な庭、不思議な時間、不思議な友情

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 トムは真夜中の庭で……いったいどうなったのだろう? 真夜中の庭って、どんな庭だろう? 想像をかきたてられるタイトルだ。

 弟のピーターがはしかにかかったため、トムはおじさんとおばさんのところにしばらく預けられることになった。そこは年老いたバーソロミュー夫人が家主をしているアパートの一室で、もとは全体で一軒の大邸宅だったという。ピーターと遊ぶ計画がつぶれたうえに外出まで禁止され、トムは不満をつのらせるのだった。ある夜、玄関ホールにある古い大時計が、真夜中になんと十三回も鳴った。驚いたトムが、月の光を入れて大時計をよく見ようと裏口の扉を開けると、殺風景だった裏庭が花や木でいっぱいの広々とした庭になっていた。
 その庭でハティという孤独な少女に出会ったトムは、毎晩いっしょに庭で過ごすようになり、楽しさのあまり、家に帰りたくなくなってきた。あるとき、ハティが木の枝から落ちてしまった。大邸宅に見舞いに行くと、ハティはトムにも見覚えのある部屋に寝ていて、少し成長しているように見えた。やがてピーターのはしかが治り、家に帰る日が近づいてきたが……。

 児童文学の傑作といわれるこの物語の魅力のひとつは、なんといっても、うっとりするほど幻想的な真夜中の庭だ。月光のさす一面の芝生、色とりどりに咲き乱れる花、こんもりと茂る木々、温室や日時計、れんがの塀……。それらを目で肌で感じとるトムの驚きや喜びが、ありありと伝わってくる。それと、バーソロミュー夫人が大事にしている大時計。この時計が真夜中を告げたあとは、トムが庭でたっぷり過ごしてから寝室に戻っても、実際にはほんの少ししか時間がたっていない。
 不思議な時間の不思議な庭で、ハティとトムは不思議な友情を育んでいく。トムはハティのことを幽霊ではないかとあやしむ一方で、庭と時計とハティが織りなす世界に引きつけられていく。ハティはしだいに少女から大人へと成長し、トムを庭から外へ連れ出す。トムとハティのつながりはどうなっていくのか。不思議な世界を味わいながら、見守ってほしい。

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紙の本ナタリヤといらいら男

2002/02/27 17:52

縁は異なもの味なもの

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 文学を愛する繊細な学生ナタリヤは、工科大学の講師トゥニョからプロポーズされた。けれども、自分が本当にこの自信家の男を愛しているのかどうかわからず、その場から逃げてしまった。気持ちを整理するためにしばらく旅に出ることにしたが、姉の頼みで、夏休みを過ごしている姪2人も連れていくはめになった。駅に着くと音楽雑誌を手にした黒ずくめの若者がいて、なぜか電車の中までぴったりついてくる。いぶかるナタリヤを尻目に、小さいほうの姪ラウラが意外なことを口にした。この男は、トゥニョの弟フィリップだというのだ。彼は兄を傷つけたナタリヤを非難し、よりを戻させるつもりなのだ。ナタリヤはフィリップから逃げだそうと、うだるような猛暑のなかを姪たちとかけずり回る。しかし、どこまで行ってもフィリップは執拗に追いかけてくるし、おまけにラウラが水疱瘡にかかってしまった。さあ、どうする、ナタリヤ?
 文学好きのナタリヤと音楽好きのフィリップは、第一印象こそ最悪だったものの、しだいに心を通わせていく。その過程がちょっぴりもどかしく、微笑ましい。個性的な姪たちも、このとんだ追いかけっこをゆかいに盛り立てている。
 表紙や挿絵にはひと気のない町角の風景がモノトーンで描かれており、物語の内容とは一見ちぐはぐにも思えるのだが、こういう静かな町の中をナタリヤたちやフィリップが懸命に走り回っていたのかと思うと、なんとなくおかしさがこみ上げてくる。この作品は、“イェジツェ物語”と呼ばれる連作の10作目にあたり、作者はその後の作品も書き続けているとのこと。他の作品もぜひ読んでみたい。

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あたたかい画風の原点

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 トミー・デ・パオラの絵は、目の細かい刺繍か織物を思わせる。あたたかい手ざわりが感じられるのだ。また、影絵や切り絵のような黒一色の挿絵は、この作品のタイトルになっている〈フェアマウント通り26番地の家〉のドアの横に飾られた黒い金属板(「枝にはリスがちょこんとすわって、〈26〉という数字ものっかって」いる)のように、くっきりとかわいらしく浮かびあがっていて、見ているだけで顔がほころんでくる。

 作者が4歳から5歳のころ、一家はフェアマウント通り26番地に家を建てることになった。その家が完成するまでには、ハリケーンが来たり、大工さんとうまくいかなかったり、家の前の道路が工事でどんどん削られたり、とにかくいろいろな問題がもちあがった。その一方で、トミーぼうやは、家族やまわりの人たちに囲まれて、のびのびすくすくと育った。そして家はようやく完成し、一家は晴れて〈フェアマウント通り26番地の家〉に住むことになった。この本には、そのあいだに起こったさまざまなエピソードがつまっている。もちろん、作者の絵とともに。

 子どものころから画家になる夢をもっていたトミーは、建築中の家の内側の壁に、家族や親戚みんなの絵を描いた。でも、その絵は、あとから左官屋さんにぬりつぶされてしまった。怒ったトミーに、祖父のトムは言う。「これでいいのさ。こうしておけば、おまえの絵はいつまでもなくならない。これからも、ずーっと漆喰と壁紙の下にあるんだから」わたしは、このエピソードがとても好きだ。大工さんは家を建てたしるしとして、天井裏などにそっと道具を残すことがあると聞く。トミーもまた、自分の絵をしるしとして壁に残したことで、この家への思いがいっそう深まったにちがいない。

 そんな作者の原点ともいえるこの家は、その後どうなったのだろう。続編もあるとのことなので、期待が高まる。

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紙の本家出の日

2001/12/23 17:10

家出をしたくなるとき

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 ほんとうなら学校にいなきゃいけない時間なのに、ジェイソンは駅にいる。けんかばかりの両親から逃れて、リバプールの兄さんのところに行くためだ。でも、このことは誰にも言っていない。つまり、ずる休みをして来たのだ。うしろめたさと不安でいっぱいのジェイソンは、列車のなかでジャムという少年に出会った。ジャムは両親を知らず、施設や里親から逃げて列車に住んでいる「家出屋」だという。そんなジャムを見て、ジェイソンは思った。ぼくも、家出屋になろうかな。父さんと母さんのけんかにはうんざりだし、兄さんだって、ぼくのことを思ってくれているかどうかわからないし……。ところが、目的地の駅に近づくころ、思いもしないことが待っていた。

 家出をしたくなったり実際にしたことがある人なら、ジェイソンの気持ちがわかるだろう。「プチ家出」なんていう言葉も聞くし、家出志願者は多いのかもしれない。でも、どうして家出をしたくなるのだろうか? それは、毎日くらしていると、どうしてもいやなことにぶつかるからだと思う。ちょっとしたことなら、すぐに忘れてしまえるかもしれない。でも、それがあんまり長くつづくと、もうたくさん! という気分になる。そんなときに、家出をしたくなるのではないだろうか。

 ジェイソンとジャムは、家出したものどうしとして、列車という密室をともにする。いやなことだらけのふだんの生活とは切り離された空間だ。ジェイソンはそこでジャムの身の上を聞き、自分を見つめなおす。家出をしていなければ、こんなきっかけもなかったかもしれない。もしいやなことが起こったら、ジェイソンのまねはしなくとも、ふだんの生活からちょっと離れてみたら、何か気がつくことがあるかもしれない。まずは、ジェイソンとジャムの会話に耳をかたむけてみては?

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紙の本はるかな国の兄弟

2001/08/19 16:32

ほんとうの勇気

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 もしもあなたにやさしくてたのもしいお兄さん(お姉さん)がいるなら、この物語の主人公クッキーことカールの気持ちがよくわかるでしょう。

 クッキーのお兄さんはヨナタン・レヨンといいますが、歴史にのこる英雄にちなんで「ヨナタン・レヨンイェッタ」(ライオン・ハーテッド=勇ましくて強い、獅子のような心をもつ人)と呼ばれています。ヨナタンは、体の弱いクッキーに「ナンギヤラ」の話をしてなぐさめます。そこに行けば元気になれるし、ヨナタンともまた会えるというのです。
 ナンギヤラにやってきたクッキーはじょうぶな体になり、またヨナタンと会うことができました。ところがヨナタンは、おそろしい怪物のほこらに閉じこめられている人を助けに行かなければならない、といいます。ナンギヤラには美しくてのどかなところもありますが、とてもおそろしい悪者がいて、クッキーやヨナタンのいるサクラ谷のとなりの野バラ谷に住む人たちを苦しめているのです。
 せっかくまたヨナタンといっしょにいられると思ったのに……。クッキーは、悲しくなりました。けれども、こわがる気持ちをけんめいにおさえて、ヨナタンといっしょにたたかおうと思いました。ヨナタンと同じように、堂々と「カール・レヨンイェッタ」を名のるためにも……。

 病弱でこわがりだったクッキーは、ナンギヤラでヨナタンといっしょに冒険をするうちに強くなっていきます。とちゅうで何度もくじけそうになりますが、ヨナタンにはげまされながら、手ごわい怪物や悪者を相手にたたかうのです。その気持ちは、どこからわいてきたのでしょうか。クッキーは、ヨナタンがいたからこそ強くなれたのだし、ヨナタンがゆうかんな心をもっていたのは、クッキーを守るためでもありました。おたがいを思う二人の気持ちは、とても強くてやさしいものだったにちがいありません。
 ほんとうの勇気とはなにか、そして、なぜ勇気をふりしぼらなければならないのか──命がけでたたかう二人の兄弟の姿に、そのことを考えさせられました。

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ジャイアンツ・ハウス

2001/07/31 18:00

ぎこちなくもいとおしい愛

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 海のそばのひなびた観光地で図書館の司書を務めるペギーは、仕事はきちんとこなすけれど人づきあいに関しては不器用な女性(そして、恋愛経験なし)。そんな彼女が、図書館利用者のひとりに恋をした。お相手は、ひとまわり以上も年下のジェイムズ。十二歳にして大人も見上げるほど背の高い少年だ。ペギーはやがて、ジェイムズの家族(母、叔母夫婦)ともつきあうようになるが、その家族に異変が起こり、ペギーにも変化のきざしが訪れる。

 ペギーの語り口は落ち着いていて品があるが、どこか皮肉がにじんでいる。何せ「わたしは人間が好きではない」という人なのだ。ジェイムズに対しても、一生懸命世話は焼くくせに、いざとなると引いてしまうようなところがある。ときにはライバルに嫉妬したり、ささやかな見栄を張ったりするが、めったなことでは恋愛感情を持ち出さない。こんなことでジェイムズに気持ちが届くのだろうか、と心配にもなってくる。けれども、それがペギーの愛し方なのだ。

 “世界一のノッポくん”を見れば、たいていの人はどうしてもその“大きさ”に目がいってしまう。でも、ペギーがジェイムズを好きになったのは、他人には見えないジェイムズの魅力が見えたからだ。「人間があまり好きではない」ペギーも、ジェイムズと出会ったことで、こうつけ足す。「だが、彼だけはちがっていた」。

 作者エリザベス・マクラッケンの小説(未訳短編も含む)には、心や体、そして社会的にぎこちない部分を抱えた人たちがよく登場するようだ。そうした人たちが出会い、ぶつかりあいながらも心を通いあわせていくさまを、作者はそこはかとないユーモアの漂う誠実な文章で綴り、心温まる作品に仕立て上げている。この8月には長編2作目となる小説が出版されるそうだ。今度はボードヴィルのコメディアン二人組の友情を描いているとのこと。いまからとても楽しみだ。

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2001/07/23 18:31

不謹慎だが面白い

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 主人公バーク・デヴォアは、解雇される前はさぞかし有能な社員だったろうと思う。げんに、解雇されたのは彼が無能だからではなく、会社が合併して彼の居場所がなくなったからに過ぎない。再就職の面接を受けるにあたって、彼はある計画を立てた。独自の方法で調査をおこない、ターゲットを絞り込み、入念に下準備をしたうえで、ひとつひとつ着実に実行してゆく。なんとしても目標を達成せねばという使命感に燃え、不屈の精神で挑む。不慮の事態が発生しても、すばやい判断で切り抜ける。失敗を糧にし、すみやかに自信を取り戻す。じつに見事な仕事ぶりだ(仕事の成功には、本人の力以外の要素も絡むものだが)。彼の目標が、並みいるライバルたちを殺すことでなければ、どんなにか賞賛されるだろう。

 製紙会社の主任として妻と子供二人を養ってきた彼の生活は、仕事を失ったことで大きく変わった。経済的にはもちろんのこと、家庭にも少なからぬ影響を及ぼした。何よりも当の本人が、恐ろしい性質に目覚めてしまった。リストラという、苦々しくも現実味のある設定のなかで暗躍するこの男は、本当にいたら困るが、犯罪小説のなかにおいては優秀な人材だ。

 「わたし」という一人称で書かれているので、読者はいやでもバーク・デヴォアと行動をともにせざるを得ない。ムカムカする場面もある。けれども、あちこちに散りばめられている皮肉の効いたディテイルには、ついニヤリとしてしまう。不謹慎だ。でも面白い。これぞ「ブラック・ユーモア」というものだろう。

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少年時代 上

2001/07/06 17:26

色褪せぬ少年時代

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 魔法、冒険、宝箱。大人になったら縁がなくなってしまいそうなものばかり。アメリカ、60年代、夏休み。映画で見るような、明るくて楽しくて甘酸っぱいイメージ。
 そんな世界に、容赦なく立ちはだかる現実。
 暴力、差別、時代の変遷。
 柔らかい心を持った好奇心いっぱいの少年にも、それは訪れた。

 アメリカ南部の小さな町に住む12歳の少年コーリーは、父の仕事を手伝うために今日も早起きして出かける。ところがある朝、二人は湖で思いも寄らない──そして奇妙な──事件に巻き込まれる。それ以来、父親は毎晩のように悪夢に悩まされるようになる。死者の身元も犯人の手がかりもまったくつかめない。だが、コーリーが現場で見つけたあるものが意外な秘密を握っていた──。

 町の風景や住人たちのようすが、とにかく生き生きとカラフルに描かれている。映画や音楽など当時の娯楽要素もふんだんに盛り込まれ、音や匂いまでもがじかに感じられそうなほどだ。かつて少年だった語り手が当時を思い出しながら語る物語がこの小説、という形式。少年時代に体験したさまざまな驚きや喜びや悲しみを心のなかにずっと持ち続けているからこそ、すべてを色褪せぬままに伝えることができるのだろう。

 ラストでは、成長して大人になった語り手が久しぶりに故郷を訪れる。楽しい思い出もつらい思い出もみんなよみがえり、新しい時代と重なり合う。時の流れは残酷だと思うこともあるが、こうして振り返ることのできる懐かしい時代のためにも、一日一日を大切に生きたい──そんな気にさせられた。

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ニューヨーク・バナナ

2001/05/09 06:12

もぐもぐと味わおう

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 黄色い表紙に惹かれて買ってから、なぜか三年以上も読まずに放っておいてしまった。すぐに読んでいれば、このいとおしい世界にもっと早くふれられたのに、くやしい。

 目次には八つの物語のタイトルが並ぶ。一つめの物語『来たぞハービー』の「僕」は、少年時代にあらゆる心の病気を抱えていたうえにアレルギー体質でもあった。医者に通うため、ニューヨークの端にある家からマンハッタンまで、ひとりでバスや地下鉄を乗り継いでいく。少年の母は心身ともに病んでいて、息子に付き添うことができないのだ。何にでも不安をおぼえてしまう少年にとって、医者通いはまさに恐怖の連続だ。だがある日、地下鉄の電車のなかで見た別の少年の姿が、主人公の少年の心をほんの少し強くしてくれる。

 余韻にひたりつつ次の物語へ。どうやら次の主人公も不安に苛まれ、同じく大病人の母親をもっている(タイトルはずばり『母』)。さらに物語を重ねるにつれて、子供のころに母と別れて出ていった父や、恋人、妻、子供など常連が増えていき、主人公の名前は全編とおして作者と同じ「マイク・フェイダー」であることがわかる。要するに、この八つの物語の主人公はすべて作者であり、この本は作者による自伝的な作品なのだ。

 マイクはたくさんの恐怖症とたくさんの神経症を抱えきれないほど抱えている。精神を患うユダヤ人の母とヘミングウェイそっくりの偉大な父の影響をたっぷり受け、不安定な精神状態と死にものぐるいで戦いながら成長したマイクが職を転々としたのちに見つけた天職。それはしゃべる仕事だった。ラジオのレギュラー番組をもち、現在も活躍しているようだ。

 本の帯には「微笑、苦笑、そして爆笑!」とある。微笑、苦笑、まではできたが、爆笑までいった場面は少なかった。わたし自身、何々症と診断されたことこそないものの対人面で不安をおぼえることが多く、どちらかというと身につまされてしまったのだ。でも、基本的にこの作品のトーンは、軽やかで、のびやかで、明るい。黄色くておいしいバナナを食べるように、もぐもぐと味わうのがいいと思う(ただし原題は “NEW YORK BANANA”ではなく“NEW YORK SON”だが)。

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コンラッド

2001/12/20 07:01

個性のたいせつさ

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 設定はどこかでお目にかかったような感じもするのですが(原作発表当時の1975年ではどうだったでしょか)、ドタバタ喜劇のようなおもしろさを感じました。
 でも、この物語のよいところはそれだけではありません。登場人物はそれぞれにはっきりとした個性をもっていて、なかでもバートロッティ夫人は異彩を放っています。掃除はしないわ甘いものばっかり食べるわ、なんでもかんでも後まわしにするわ(でも化粧はバッチリする)という年齢不詳の女性。型にはまったことが大嫌いな彼女が子どもを育てることになったらどうなるか、という点は注目に値します。
 そしてコンラッドは、「優秀」という規格どおりにしか行動できないために苦しみます(そういうお友達やお知り合いが、あなたの近くにもいないでしょうか)。そんな彼が、“両親”や友達に支えられながら、自分自身の個性を獲得するためにがんばる姿は、とてもけなげで微笑ましいものがあります。

 人に言われたとおりのことをするだけでは、誰でも不満がたまって、つらくなるばかりですよね。コンラッドはそれを克服しようとするのです。自分自身がしたいようにすること、そしてそのための努力をすることは、生きていくうえで欠かすことのできないたいせつなエネルギーになるのだと思いました。

(※この本は、1985年に出版された『かんづめぼうやコンラート』(榊直子訳/佑学社)の原作をあらたに翻訳したものと思われます。)

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紙の本バレエをおどりたかった馬

2001/09/26 17:07

まっすぐな気持ち

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 この本の主人公である馬は、ぶたとめんどりとひつじといっしょに、いなかの家でくらしていました。ある日、道にまよっていたバレエ団の人たちをたすけて、お礼にバレエをおどってみせてもらったことから、馬はじぶんでもバレエをおどりたくてたまらなくなりました。そしてとうとう、たったひとりで町へ向かい、バレエ学校でバレエをならいはじめます。ところが──。
 馬がバレエをするなんて、聞いたことがありません。片足で立って、くるりと回ったり、ジャンプしたり。そんなことが、馬にできるのでしょうか? バレエ学校では友だちができるでしょうか? いなかでくらしていた馬は、町のどこでくらしていくのでしょうか? 馬は、いろいろとたいへんな目にあいますが、それでも「バレエをおどりたい!」というまっすぐな気持ちをまげることなく、一生懸命がんばりぬきます。そんな馬の気持ちを、あたたかく見守ってくれる人たちもいます。
 ほんわかとした味わいのあるさし絵も、かわいくてすてきですね。

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