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花代さんのレビュー一覧

投稿者:花代

20 件中 1 件~ 15 件を表示

断言します。34年間の人生で出会った最良の書。

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あまりにも有名な著作なので、いまさら私が言うのも間が抜けているのですが、あえて断言します。34年間の人生で出会った最良の書です。ビジネスパーソンだけでなく、専業主婦や子供たちにも素晴らしい人生の指南書となります。

数多くある小手先のビジネステクニックを伝授する書籍とは、根本的に違います。第一の習慣「主体性を発揮する」で、落雷を受けたように感動し、あまりの衝撃にしばらく文字から目を離して、何度も反芻し噛み締めました。

特に第一の習慣の章は、この書の核をなす考え方です。私がここで抜粋したり感想を述べたりしても陳腐なだけ。力あるメッセージの連続にただ圧倒されます。

第三の習慣「重要事項を優先する」の章では、活動の軸として「緊急性」と「重要性」の分類を示し、「緊急ではないが重要」を最重要領域として、その面積を拡大させることを著者は推奨していますが、どの行動を「緊急でも重要でもない」と判断すべきか決めるのが意外と難しい。自分の行動はなんらか意味があると考えたいもの。渋々「緊急でも重要でもない」領域に入れた活動は、私の場合はこれ。
「予定なく当日行く事になった飲み会、TVを見ること、雑誌を読むこと、ネットサーフィン、惰眠、カラオケ」
これらの時間を排除して、「緊急ではないが重要」な活動に時間を割くこと。言うは易し行うは難し。

この書籍を読んで、人生に対する姿勢が正されました。まだ読んでいない方は、私のこの文章が手に取るきっかけになりますように、心からお祈りします。

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スピードが、愛を奪う。私のバイブル。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

六本木ヒルズの「Village Vanguard」で何気なく手に取ったこの文庫本に、光り輝く珠玉のメッセージがこんなに溢れていようとは。大切なバイブルとして肌身離さず持ち歩いている。

私は仕事もプライベートも切実に忙しく、出勤途中にああ今日もこなすべき課題が山盛りだし責任は重いし上司はダメだし部下は私に手厳しく、夜は夜で予定があるからなんとかして早く終わらねば、ああ時間がないないないと歩いていて、同僚から「おはよう、何で恐い顔してるの?」と挨拶されて落ち込むという日々を送っている。ドッグイヤーという言葉さえ時代遅れのこのスピード社会、「癒し系」なぞ、よほど仕事のできないセンスのない人が頼るものだ。

そんな私が、人間関係を大事にするためのマニュアルを買う、くらいの気持ちで手にしたのがこの本。インドに生を受けた彼の珠玉のメッセージとユーモアたっぷりの数々のエピソードは、私の精神と行動を変えたいと思わせる力を持っていた。「本書は、わたしたちが生活のペースを落とし、大切なことにもっと時間をかけ、充実した毎日を過ごせるように書かれたものです」。スローダウンして得られるものは? 大切なことがはっきりと見えて、常にそれを優先することができること。そのためのステップとして「エイト・ポイント・プログラム」の実践をうながしている。

クリスマスに郵便局で起きたエピソード。窓口に並んだ長蛇の列、「建物の中は焦燥といらだち、あからさまな怒りが渦巻かんばかり」。著者のうしろに並んだ男性はイライラして荒い息遣い。そのときに著者が彼にかけた言葉は? 「どうぞお先に。私はぜんぜん急いでいませんから」。善意はリラックスとなり、伝染してゆく。スピードこそが、私たちの心から愛情や思いやり、やさしさを奪い取っているのだ。スローダウンすれば、「一日をゆっくりと丁寧に過ごし、生活の中に起こる一つ一つの出来事に細心の注意を払いながらも、優先させるべきことを常に念頭において生活できる」。

8つのステップ、実践は難しい。たとえば、早起きして30分の瞑想。食事のときに他のことをしない。できるだけTVを見ない。寝る前に啓発的な本を読む。日々マントラを心の中で繰り返す。——私の人生を善くする為の手段だ。ひとつずつ、実践しよう。「今のあなたは、あなたが今まで考えてきたことの結果」なのだから。

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紙の本バガヴァッド・ギーター

2005/05/05 03:41

ガンディーを理解するための一助として。主題は「無償の行為」。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

インドの二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」の第六巻に編入されているこの有名な聖典を、私が手に取るきっかけとなったのは、ガンディーのギーター信仰である。「ガンジー自伝」第五部「ギーター研究」では、「わたしにとって、ギーターは行為における不可欠の指針になった。それは、わたしの日常必携の辞典となった」としている。
この聖典の主題はシンプルだ。「この世に生きる我々は、定められた自分の職務を、結果を期待せずに、ただ行為のために行為することによって解脱できる。行為の結果は神に預け、成功・不成功に執着してはならない」。つまり、究極の「無償の行為」を説くものだ。
さまざまな宗教書についてほぼ無知の私が、今わかる範囲でギーターおよびヒンドゥー教の特徴を並べると、下記のようになる。
・私たちのような普通の社会人が、特別な修行をしなくとも、自分の仕事をしながら解脱に近づけるのだという明快さ。
・自分の職務は予め定まっており、それを行うべしとする、カーストに立脚した教え。
・よって、武士は人を殺すのが与えられた役割だから、たとえ人を殺しても罪にはならず、気にしなくてよいという教え。
・ブラフマンは最高神であり、他の信仰の対象も実はブラフマンだという解釈。
・しかし、他の信仰対象は最終絶対神ではないので、輪廻を繰り返す。ブラフマンを信仰し一体化した人はもう生まれ変わらない(=安寧)というのが面白い。
・目指す境地は「無我、無私の状態」であり、仏教に非常に近い(当然といえば当然だが)。
・「放擲者(結果を求めず行為する人)」→「ヨーギン(行為の超越を成就した隠棲者)」→「ブラフマン(最高神)との一体化」と、解脱への到達過程を二段階に分けているのが特徴的。
この文庫本の読み方としては、まずp.18の家系図を見ながら、「まえがき」にあるマハーバーラタのあらすじを一気に読む。登場人物が異常に多いがギーター本編にはほとんど関係ないので斜め読みで結構。次に巻末の「解説」を熟読。ようやく本編に入るが、再度「解説」をガイドにしながら読むとよい。訳注は学問的な解釈方法についてなので見る必要はない。

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私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「はじめに」を読み、深く共感し、反省した。
高校球児たちの八月十五日正午の黙祷に疑問を持たない私は、その意味を考えていない。
「なぜ、黙祷する意味があるのか」と。

「『あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか』−−。圧倒的な力の差があるアメリカ相手に戦争するなんて無謀だと、小学生だってわかる歴史的検証さえも充分になされていない」(p.4)。

快進撃→泥沼→半狂乱へと移っていったあの時代。
「反面、この時代ほど、日本国民が“総力を結集した”ことはなかったのも事実」(p.159)。
国民の大多数が冷静さを欠き、「並外れた、視野狭窄ともいえる“集中力”を生み出していた」(p.159)

にも関わらず、日本人は敗戦後、すぐ価値観をリセットした。
「昨日まで全国民の約十人に一人が兵士となり、アメリカ相手に憎悪をかきたてた戦いをしていたのが、まるでウソのように掌を返して好意的になってしまう。こんな極端な国民の変身は、きっと歴史上でも類がないだろう」(p.223)

この不思議さを追求せずに前進する。
それはひとつの、日本人の典型的な姿だと思う。
「あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている」(p.240)

それが善いとか悪いとかいうことではなくて、私たちはそういう気質を持っていることを認識して、考えることが必要だと思う。
八月十五日正午に、球児たちが黙祷することの不思議さを。
マスコミでの悪役(例えば北朝鮮)を無条件に批判することの不思議さを。

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若い女性らしい瑞々しいパワー}経営者としての含蓄の深さ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は自分で会社を作りたいと思ったことはない。昔から、三国志の諸葛亮孔明みたいな軍師が憧れ。信頼できるリーダーに仕える聡明な参謀になりたいと。
最近、責任の重い仕事にヨロヨロ。お酒の席で悪友(男性)に、「そもそもリーダーなんて私に合ってないんだよー、私は参謀タイプだ」と愚痴ると、「そうかもしれない。でもそんなことは誰でも言えますよ」と言われてしまった。本当だその通りだと深く恥じ入り酔いが醒めた。
本書は、7月頃友人のblogで読んで、ちょい気になっていた。買うつもりはなかったのだが、手にとってパラパラと中身をめくってみると、すごく引っかかるキーワードがこぼれている。とりあえず買ってみた。
読後の所感。起業してみたいかも・・・という気持ちになった。自分でもびっくり。著者は私より三歳年下の聡明な美女。若い女性らしい瑞々しいパワーと、経営者としての含蓄の深さが交わって不思議な感じ。すごく新鮮で読みやすく説得力もある。これは男女問わずグッサリ刺さるのでは。
前半は、そもそも女性は世話好きで、経営者に向いているのですよ、という言葉で「私にもできるかも・・・」と思わせるのだが、終盤に近づくと、経営者の資質は目標を達成するまで絶対にあきらめずにやり遂げること、孤独に耐えて数字に厳しくあること、などなど、女性の苦手な部分を厳しく突いてくる。また、「経験もなくカフェをやりたいという突発的なアイディアで起業しても失敗する」と、ありがちな例を出してダメ出し。爽快ですねー。
起業を目指す人、だけでなく、マネージャー職の人も、一読の価値大アリ。男女問わず、ただし若い人向け。誰でも経営者になれるんですよ、と書いてはいるのですが、かえって私は彼女の忍耐強さと、とことん考える努力、それらを生む資質に感銘を受けた。
こういう人だからこそ経営者として成功する。こういう人に、なろうと思って行動すればなれる訳で、なろうと思っても行動しないからなれない、ということなのだなあ。

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紙の本安楽死のできる国

2005/12/11 12:30

死の権利を与えられた国での生き方

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

耐え難い苦痛を受けながら何年も死を待つ。
それが私に与えられた生き方ならと、甘んじて受けることを選択するか。
それとも、安らかに逝くことを選ぶか。

合法的に安楽死が認められる国、オランダ。
著者は読売新聞の麗しい才女で、同国での丹念な取材を元に、
安楽死法成立の歩み、それを支える社会、生と死の境界線の課題、
日本での安楽死法成立の可能性について、緻密に網羅的に語られている。

どこまでを安楽死してよい苦痛と認めるか。
この曖昧で宗教的な境界線を法制度化したオランダは画期的だ。
同国には「安楽死パスポート」がある。
自らの安楽死の意思表示のためのパスポート。

身体の耐え難い痛み、寝たきりで飲食や排泄が自分ではできない場合、
完全な痴呆に陥った場合など、自分にとって耐え難い苦痛とは何かを、
予め具体化しておく。
まるでピザのトッピングを選ぶように・・・。

日本の倫理観と大きく異なるのは、家族ではなく自分自身の意思だけが決定要素というところだ。
いかに家族が反対しても、それが本人の意思なら安楽死を行う。

しかし、この安楽死をめぐる境界線は議論が耐えない。
「もう充分生きた」と言う高齢者が求める「よき死」。
重度の障害を持って生まれた新生児の親。
これらを認めたときには、新たに「姥捨て」「間引き」との境界線が曖昧になる。
「あんなに年をとってまだ生きてるなんて」と言われる社会。

私がヨボヨボのおばあさんになるまで生きる運命だとして、
半世紀後には日本でも安楽死法が制度化しているかもしれない。
その時に、私は安楽死を選ばない勇気を持ちえるだろうか。

寝たきりの日々、家族に迷惑をかける日々、親しい人が喪われる日々。
それも私に与えられた生であれば、その生き方を探す人間でありたい。

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紙の本痴呆を生きるということ

2005/12/04 23:33

重度の痴呆に陥って、自分が生き続けることを赦せるかどうか。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「老いも死も受容する覚悟はついている。ただ痴呆になるのだけが怖い」(瀬戸内寂聴)
この言葉に共感する人、多いと思う。

本書は、痴呆という病を外から見るのではなく、痴呆を病む人の心に「寄り添って」、痴呆老人の見える世界を見ようとしている。

読み進むほどに激しく感動した。
「老いる」ということを、自分のものとして理解する瞬間があった。

痴呆によって起こる代表的な症状に「もの盗られ妄想」がある。
財布など大事なものを、自分が置き忘れたのに、「お前が盗っただろう、この泥棒!」と激しく責め立てる。
あろうことか、最も身近な介護者(多くは嫁)に対して。
どんなに寛容な介護者でも、執拗に責められて平静ではいられない。
それでも、介護の毎日から逃れられない。

この症状を、医師や介護者の立場ではなく、痴呆老人の立場から考える。

「老いるということは喪失体験を重ねることである」
「社会的、家庭的役割の喪失があり、人の面倒を見てきた人が一方的に面倒を見られる側に回る。心身の衰えが生じ、病が襲い、死が現実のこととして迫ってくる。そして、親しかった人と死別しあるいは離別し、なじみの人間関係が喪われる」(p.90)

こんな状況が、“今この私”に襲いかかったらどうなるか。
しかも、この喪失はもう、取り返しのつかないことなのだ。

この「老い」の現実を自分のものとして受け入れられない人が、「もの忘れ」を自分の責任とするには辛すぎて、「盗られた」につながってしまう。

重度の痴呆に陥って、それでも生き続けることを受容できるか。
それも私に与えられた生き方だと、受け入れられるか。
その生き方を見つけることが、「痴呆を生きるということ」なのだろう。

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紙の本ガンジー自伝 改版

2005/03/27 12:53

自伝なのに、歴史的偉業は出てこない。これは自己鍛錬の実験記録。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この自伝は本当に風変わりで、ガンジーの歴史的偉業についての記述がない。これは彼の自己鍛錬の実験記録である。

東洋には自伝を書くという風習がない。ガンジーは自伝に着手するにあたり、友人から西洋文化特有の自伝を書くという行為は慎むべきとの忠告を受けているが、それでも自伝を書き始めた理由を序文にこう記している。「わたしは単純に、わたしの行ったかずかずの真実に関する実験について話をしようと思っているにすぎない。そしてわたしの生涯は、これらの実験だけでできあがっているのだから、話といえば自伝の形をとってしまうことはまちがいない。」

この自伝は、真実を求めるための圧倒的な自己抑制と、精神の鍛錬を、起きた出来事をつづることで表現している。自分の行動すべて、ひとかけらの塵も見逃すことなく点検し、鍛錬と奉仕に捧げることを、意志の力で実行する。それが彼の「真実に関する実験」である。凄まじい精神鍛錬の歴史である。

後年神格化され、民衆から聖人の称号「マハトマ」を捧げられたガンジーはしかし神ではなく、私たちと同じ欲望を感じる人間である。その欲望を戦いながら内省に内省を重ね、なおも内省を重ね、真実を探求した。自らの欲望に立ち向かい実験を繰り返す彼の姿に、わたし自身もこのように生きたいと思わないはずはない。

特に序文である「はしがき」と、第五部、第六部、文末の「別れの辞」は読み応えがある。この自伝を読んで、こういう便利なことを思いついた。自分で、あることをした方がよい、でも面倒だなあ、嫌だなあ、と思ったことがあったら、このように言ってみる。「是々を行うことはわたしの義務であり特権である」。たとえば、毎日運動したいとき、勉強を始めたいとき、使えます。ガンジーに一歩でも近づくために、実験してみよう。「ガンジー関連の書籍を読むことは、わたしの義務であり特権である。」

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紙の本ロゴスに訊け

2003/01/14 01:28

人間は、「生きている」、ただそれだけで値打ちは、『ありません』。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「考える日々」の続編のような形式。NYテロ事件後に書かれたということで、テロに纏わる彼女の思索も随所に散りばめられている。

原則は、彼女が一貫して訴えている、「存在」のわからなさ、「存在する」ということはどういうことなのか? 「生きる」とは?という疑問に対して、腹を括って己で考え抜けという提言。彼女の答えはない。

「私」が存在することの底抜けの不思議さ。私はこの物質である躰あるいは脳とイコールではない。ではどこからきたのか? 考えれば考えるほどわからないが、そこに答えもない。安易に答えを求めると、半分いかがわしい宗教の世界に入り込んでしまう。「人は誰でも使命を持って生まれてきた」という友人もいるが、私にはそうは思えない。使命はない。単に存在しているだけであって、その存在に意味を与えるとすれば、「善く生きる」ということ。「なぜ売春はいけないのですか」「なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問に対する答えはここにあった。「理由などありません。自身で考えなさい、それは善い行いだと思いますか?」 真の善と悪は、われわれは共有している。

彼女はいつも、真っ向から問いかけ、己で考えるべしと説く。形而上でモノゴトを考えているので、形而下の話は皆無に等しい。私は形而上だけで話されると掴めない場合もあるが、彼女が形而下の事象に触れて問いかけてくれると、より理解しやすい。今回の著作では、いくつかそのような事象が現れ、私も理解しやすかった。

「老犬介護で夜も眠れず」の章では、結びに、「生死についての哲学的見解を各自で所持していることと、安楽死制度等の整備が、これから必須のはず」とある。人が「生きる」と「死ぬ」の間に、多く訪れる「老いる」という状態。老いて思考が定かなら問題ないが、さて思考が失われたら? 若い私でさえ、元気な時は死ぬのは怖くないが、病気の時は死ぬのが怖い。難問だと思う。

「天賦の権利は誰のもの」の章では代理母の賛否に触れ、その権利に要求に対して、「人は欲深だから、どこか別のところにそれ(幸福)があるように思い、それを請求する。請求しようにも、誰に請求すればいいのかわからないから、それを社会に請求する。これが今日通用しているところの『権利』の正体(中略)。自分の幸福を他人に請求して、誰の人生を生きているつもりでいるのだろう」と説く。そう、私もTVなどで、「これは私たちの正当な権利です」なぞと大勢でのたまっている人々を見ると吐き気がする。そんな社会に生きることを選んでいるのは、それその人である。

「自分で生きたいと思って生きてるんだから、人のせいみたいに文句を言いなさんな。家族や社会やしがらみだって、その人に生きることを強制することは決してできない。それがイヤなら生きない自由は、いつだってあるのである」。私たちは、どのような事に対しても、「完全に」自由だ。もしくは、「選択することができる」。人や社会に請求するのではなく、自身で「生きる価値」を生み出したい。

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紙の本非暴力の精神と対話

2005/03/28 02:05

『わが夢のインド』への切々たる無限無私の愛のメッセージ。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ガンディー思想の根源である「真実と非暴力」のうち、特に「非暴力」についてのエッセンスを選び抜いた良書。特に第二章は、第二次世界大戦という、力こそが唯一信頼足りえる価値観の時代において、ガンディーが非暴力という旗印をあげ、ヒトラーや日本人に対する非暴力のメッセージを出していた事実を知り、驚愕した。現在なら非暴力というメッセージも先進国を中心に賛同できる人も多かろうが、当時はそれらの国からはまったく相手にされなかったようだ。

特にこの書で素晴らしいのは、第二章「わが夢のインド」と、第三章「不可触民制の罪と償い」。「わが夢のインド」では、彼のひりつくような祖国インドへの愛、さらにその愛をも凌駕する神への愛を、余すところなく表現している。「不可触民制の罪と償い」では、ガンディー生涯の使命として取り組んだ「不可触民の解放」と「ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和」、それにしかインドの救いはないと断言するそのメッセージに圧倒される。

ガンディーのメッセージは心の底から打たれる。「インドにあるいっさいのものが、わたしの心をひきつける」と、果たしてどれだけの人が祖国に対して断言できるか。わたしはこの日本に対して言えるのか、その責を果たしているか。

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弱さを許し、苦しみながら生きてゆく術を知る。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

田口ランディさんのメールで本書を知り、購入。北海道・襟裳岬に近い浦河町の、精神科病棟を退院した人たちが集う「べてるの家」での、地道な社会復帰への足取りの様子が、ある意味コミカルに描かれている。自分たちが突き放されたはずの「会社」「商売」を、自分たちで興すことによって、清く正しいボランティア精神とは全く異なる、現世のゴタゴタ・もやもやに七転八倒し、生き難さに向き合い、そして生きてゆく。病気(幻覚や妄想、おかしな行動)を抱えながら、仲間との「ミーティング」によって、乗り越えてゆく。というか、「乗り越えようとしない」ことによって、その苦しみを乗り越えてゆく物語である。

精神を病んでいる人は、人とのコミュニケーションに大きな障害のある人だが、多かれ少なかれ、私たちも人とのコミュニケーションに悩み、疲れている。そのときに、自分自身のその悩み(嫌悪や妬み)を打ち消し自己否定にはまるのではなく、いったんその自分を認めて(許して)、仕方ないと割り切ってしまえば、その悩みとどう付き合っていけばよいかを考えることができる。

自分が万事順調なら右上がりの前向きさでもってドンドン突き進めばよいが、うっかりすると人にも押しつけがちである。「あんなウジウジ悩まずに前向きに生きればよいのに」「あんなドンくさい人は放っておけばよいのに」なぞと、自分の価値観でお説教なぞする人が多いが、全くもって「大きなお世話」、しかも、それを本人が全く気づいていないから始末が悪い。

自分と人の弱さを、否定するのではなく、許して、その弱さに苦しみながら生きてゆく術を身につけたい。

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たった1回の坐禅で悟ってしまった東海林センセ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東海林さだおさんの本は丸かじりシリーズを中心に色々と楽しく読んでいます。
本屋さんの平台にあったので、いつもの感じかなーと思って目次を見ると、
最初の章に「レッツ・トライ・ザゼン」とある。
え?ザゼンって坐禅?これ以上ないほど俗っぽい東海林センセが、坐禅とな?
不思議・・・とりあえず買ってみた。
さすが東海林センセ。
坐禅についてまずこう定義してます。
「(坐禅は)“何もしないゲーム”と考えてもいいような気がする。
何もしないというのはけっこう辛いことだ。
辛いことを耐え忍ぶと言うのはけっこう楽しい。
辛いことを耐え忍ぶゲーム。」
そんな定義聞いたことないぞー(笑)
坐禅をしても、無想の境地に達するというソコノトコロが非常に難しい。
なのに、さすが東海林センセ。
「実をいうと、ぼくはたちまちのうちにそこのところがわかっちゃったんですねー。
たちまちのうちに解脱しちゃったんですねー。」
ほんとかよ!
と、突っ込みたくなるのですが、これが本当だということが、読み進むとすぐにわかります。
たった1回の坐禅で、喝破してしまった東海林センセ。
ますます尊敬の気持ちが深くなりました。

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紙の本戦争プロパガンダ10の法則

2003/01/21 01:42

疑うことがわれわれの役目だ。

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日曜の朝、ぼんやりTVを見ていた。相変わらず、北朝鮮メディアを半ば侮辱したような報道。歌を詠むようなアナウンサーによる紹介で金正日氏を褒め称える子供たち…、こういう映像を何度見たことか、ああなんだか胸がむかむかする、チャンネルを変えよう、と思ったとき、この本が紹介された。一瞬画面に映った目次を見て、息が止まった。目次はこうだった。

第1章「われわれは戦争をしたくはない」
第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(以下、第10章まで続くが、ここでは省略)

今まさに、アメリカ・イラク・北朝鮮のそれぞれの指導者たちが、同じ事を言っているではないか? 日本も、北朝鮮の指導者を侮蔑しその人民の滑稽さを憐れんでいる。これらの言葉は普遍の戦争プロパガンダだったのか。

すぐに本書を購入した。上述のようなプロパガンダが10章に渡って続く。結論めいたことを言うと、本書はこの目次だけで90%の価値があり、あとの10%はこの目次の言葉を歴史的な事例から丹念に検証しているだけである。

彼の地の人は言う、「アッラーに捧げる魂こそ尊い、我が命など惜しくない」。
また彼の地の人は言う、「至上の自由主義、民主主義を守り貫くことこそ我が国の使命」。
さて、何が違う? それぞれの「神聖な価値観」を守るための戦い。

本書の結びはこうある。「疑うことがわれわれの役目だ」。肥大化したメディアが垂れ流す滑稽な情報を疑うことから、本当の理解が始まるはずだ。

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紙の本超ジャズ入門

2003/01/11 20:56

まず、マイルスのカインド・オブ・ブルーから聴いてみようかな。

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従来のジャズ入門書とは全く異なる切り口で、ジャズを聴くにあたって大事なことは何なのか、無視すべきことは何なのか、どうしてジャズはわかりにくいのか、安易なジャズCDを発売するレコードメーカへの批判などを、語り口調で、わかりやすく伝えてくれる入門書。
著者の中山康樹氏は、元「スィングジャーナル」編集長で、著書に「マイルスを聴け!2001」「マイルス・デイヴィス完全入門」などがあるマイルス狂だが、この著作ではマイルスだけではなく、様々なジャズプレイヤーの作品を例に出しながら、ジャズはその成り立ちがいいかげんで、しようもないCDも数多くあるが、曲そのものよりもその場に集まったプレイヤーが即興的に奏でる演奏のすばらしさで、その価値が決まるし、同じ曲でも全く異なる演奏によって、その魅力が倍増することがわかる。
第一章は従来のジャズ入門書や、いわゆるジャズおたくへの批判によって、ジャズの「怖さ」をうち砕くことに注力(ちょっとしつこいが)、第二章と第三章では、具体的にジャズにどう触れてゆけばよいのか、逆に無視すべきは何か、そして第四章では、より具体的に、マイルス・デイヴィスとブルーノートレーベルに限定して、どういう聴き方をすれば、ジャズの素晴らしさを堪能できるか、が書かれている。
とかく「識る」「集める」ことで敬遠されがちなジャズだが、大事なことは「聴く」ことだ、ということを念入りに色々な側面から教えてくれる一冊。

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一気に読める、シンプルな内容です。

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私の仕事は買う方だ。売る方ではない。しかし、買う方も営業テクニックの知識がないと、トップセールスに太刀打ちできないし、対等な交渉に持ち込めない。著者は「セールス・マネージャー世界大賞」なるものを受賞した経歴を持つ経営コンサルタント。そのテクニックとは?

語り口調の本書、一気に読めた。最後まで読んでわかったのは、本書自体が彼の営業活動のひとつである「集客」であること。彼の経営コンサルタント会社の「集客」活動に、私も見事にはまったわけだ。やられた。トップセールスは、顧客に商品を売り込む前に、見込み顧客の方からアプローチさせ、その人に情報を与え、最後に売るのだと。ヒット率は8割を超える。すでにその商品に興味があり情報を得ている人が対象であるからこそ。ここでキメの言葉はこう。「無理に買っていただかなくて結構です。当方をよく理解しご賛同いただけた方にのみ、お買いあげいただきたいのです」。

買う方としては、これほどに強い言葉はない。相手の営業マンが「お願いだから買って下さい」と言うからこそ、「であればこの条件でないと」という交渉ができるわけで、最初から「買っていただかなくて結構」と言われてしまうと、交渉のテーブルにさえ乗らない。しかし、結局買いたいから買うわけで、その場ではストレスも感じないのだろう。営業がすべてこのスタイルになれば、私の仕事はなくなるかもしれない。

ちょっと抵抗があるのは、著者の「教えてあげる」スタイルがもろに出ている表現方法。「ちょっと真剣に考えてみて下さい。」「よ〜く聞いてくださいね。」などなど。コンサルタントってこういう話し方、する。この表現に嫌悪感を抱く人は、最後まで気持ち悪いかもしれない。しかし、小難しい抽象的な表現の羅列より、ずっと読みやすいことは確か。

営業する相手が新規顧客と継続的な顧客の両方であり、かつ競合厳しい商品やサービスを売ることが仕事の営業マンには、即、役に立つ。一気に読めるので、オススメです。

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