サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. こばあるさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年3月)

投稿数順ランキング
先月(2017年3月)

  1. 1

    UP

  2. 2

    UP

  3. 3

    UP

    3月のライオン(1)

    3月のライオン(1)

    羽海野 チカ(著),先崎 学 (将棋監修)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

  4. 4

    UP

  5. 5

    UP

    はらぺこあおむし 改訂

    はらぺこあおむし 改訂

    エリック=カール (さく),もり ひさし (やく)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

こばあるさんのレビュー一覧

投稿者:こばある

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本〈関係〉の詩学

2000/08/18 10:29

亡命と流浪の思考に向けて

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 世界中の端末がインターネットによって接続され、ありとあらゆる情報が、国境を超えてまたたく間に飛び交うようになった。一方でグローバル・スタンダードの名の下に、世界の隅々にまで市場経済化の波が押し寄せている。こうした情報テクノロジーの発達と経済のグローバル化によって、あたかも世界は、単一の構成原理へと統合・収束され、均質で一様なものへと変貌をとげつつあるかのように観念されている。
 そうした中で「世界市民」と称されるような、国家や民族間の矛盾や葛藤を超越し、すべてが共約可能なひとつの普遍的原理に個々人が統合されていく夢が語られたりすることもある。しかし、世界大に拡大した共同体を無邪気に夢想するこうした思考も、結局は国民国家を構成単位として構想された近代の世界観が、かたちを変えて繰り返されているに過ぎない。それは、《その運動が凝固し諸ネーションがみずからを確立した場所であり、いずれそれが地球上の全体に反響》することとなった西欧起源の世界観の延長上にあるものでしかなく、《この凝固、この言表、この拡張が、根という観念に、少しづつあの不寛容の意味をおびさせ》ることになるのに変わりはない。それは、ひとつの全体主義を結晶させるものでしかない。全体主義に抗するのは、それとは異なるもうひとつの根を指し示すことではない。根づくことから絶えず迂回すること、一般化・普遍化する原理への帰属を断念することのうちにある。
 問題は、単一の根によって自己のアイデンティティを希求する、その思考の形式にある。本書の著者グリッサンは、亡命と流浪の思考によって、《根の喪失がアイデンティティをもたらしうる》ことを示し、すべての同一性が<他>との関係に開かれてゆく、そうしたヴィジョンへと私たちを導き入れる。
 実際、世界は無数の世界像にあふれている。国民国家や市場経済といった普遍化原理が、その領土を拡大し、その境界線を再定義していく毎に、そうした秩序や統合原理に同化し得ない無数の亡命者や流浪者を生み出している。ちょうど、カリブ海域に近代の植民地主義が強いた過酷な条件の中から、普遍言語や国家言語に決して回収されることのないクレオール語が立ち上がってきたように。世界はひとつの原理に向かって収斂していくどころか、定住を拒み、国民国家の枠組みにおさまることのできない者たちのエネルギーによって、多様な方向へと絶えず変形・更新・拡散を繰り返していると言ってもいい。
 世界は、さまざまに生きられ解釈され想像/創造されるもの。私たちに求められているのは、そうした多様な世界像をたったひとつの原理によって括り上げていくことではなく、それらが時には共鳴し合い、時には対立・葛藤するものであることを前提としながら、互いの対話と理解を導くための補助線を縦横に張りめぐらしていくことではないだろうか。
 訳者の鋭敏な言葉をそのまま借りれば、グリッサンがここに示した詩学は、《まさに山から野へ、町から都会へ、島から海のむこうへ、首都へ、さらにはさまざまな首都たちとさまざまな周縁へと、投射と帰還、再出発と迂回にみちた果てしない流浪を続けながら、ついには単純に、ありのままに、「世界」と呼ぶしかない地球大の想像力の空間をさしめすところ》に到達している。そしてそうした著者の言葉に謙虚に耳を傾けてみて欲しい。《世界のどんなに小さな場所をとっても、そこには世界の他のすべての場所が響いている。世界のすべての言語には、そのままで世界の他のすべての言語が響いている。中継がわれわれの仕事であり、無数の同時多発的中継により網状組織が編まれてゆく。編み上げられ絶えず変容しつつある<世界というカオス>の<すべて>に、われわれはつねにあらかじめ関わっている》という自覚をみずからの中に生み出していくために。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本凝視録 為五郎覗き・除き人生

2000/08/16 12:07

<覗き>の哲学

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 夜な夜な公園に出没する覗き衆の頭目桑迫氏(通称タメさん)が語る<覗き>の哲学。たかが覗きと思って手にすると、思いがけなく深遠な思想表現に出会ったりする、たいへんに興味深い本です。

 「人間の関係はふつう、見る主体であり同時に見られる客体な のだが、自分たちは見られずに見るだけの絶対主体なのだ。非存在の、いわば純粋視線。」

 タメさんは覗きは性行為ではないと言います。性行為が主体同士の関係の上に成り立つのに対し、覗きの関係は一方的であるからと。そうしてタメさんは「覗きは自殺なんだから。自分の命を除くことなんだから」と言う。

 こうした<非存在の純粋視線>がとらえるのは、時代とともに移り変わる都市の姿や、人と人との関係の変貌であったりします。読者は、タメさんの肩越しに、時の流れにつれて変化する都市とそこに暮らす人々の風景を定点観測できるのです。

 私たちは、日々テレビやインターネットなどを通じて、映像化された戦争の光景や、痛ましい犯罪の痕跡、赤の他人のスキャンダルを<覗き>見ています。メディアによって穿たれた節穴が、時空を超えて、世界中あらゆる場所に偏在しているのです。<覗き>というのは、私たちの日常生活そのものであり、また私たちの欲望の根底に横たわっているものでもあります。タメさんの言葉に耳を傾けていると、不思議とそんな私たち自身の姿が浮かび上がってくるように思えるのです。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

もうひとつのセーフティーネット

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 少しづつではあるけれど、「地域通貨」というものへの関心が高まりつつあります。経済のグローバル化が進み、私たちが日々身近に触れたり利用したりしているモノやサービスにしても、私たちが提供する日々の労働への対価にしても、それらは世界経済との関係を抜きにしては全く考えられなくなっています。別の言い方をすれば、私たちの日常の生活は、まるごと地球規模の経済の動向に大きく影響を受けてしまうような仕組みに、否が応でも組み込まれざるを得なくなっているのが現実です。こうした、私たちひとりひとりにとっては全くコントロール不能な巨大なシステムに、私たちの生活のほとんど全てが翻弄されざるを得ないというような状況に、「何かが間違っているんじゃないか?」といった疑問が芽生え始めていることが、「地域通貨」への関心が高まっている理由であろうと思われます。

 本書は、メンバー間の信頼関係や相互扶助の原理を基に、ごく身近で小さな規模のコミュニティーの中でのみ通用する「地域通貨」について、現在世界のあちらこちらで行われている実験を具体的に紹介しながら、その仕組みや考え方をわかりやすくていねいに解説した入門書です。また、自分たちで「地域通貨」を立ち上げたいという読者がいれば、その方法を記した「導入マニュアル」も採録されています。

 「地域通貨」は、既存の貨幣制度に対する根源的な批判の視点をもっているのですが、現実の仕組みとしては、既存貨幣制度に真っ向から対立し、それを否定するというものではありません。また参加者の積極的な意志がありさえすれば、実際に導入することも比較的容易なものです。そうした意味では、ひとりひとりの市民のレベルでも実現可能な、軽やかでしなやかな貨幣革命の試みと言うことができようかと思います。

 「地域通貨」は、限定されたコミュティー内部で、モノやサービスを循環させる仕組みをつくることによって、そのコミュニティーへの巨大な経済システムからの影響を軽減させようとするもの、言わば地域経済の<セーフティーネット>です。そして、そうした「地域通貨」のシステムを成り立たせる根底にあるのは、法的強制力でも市場のルールでもなく、参加する人々の自由な意志と能動的な実践行為に他なりません。もちろん「地域通貨」は、既存の通貨制度がもつ矛盾や課題をすべて解決する魔法の杖ではありませんし、まるごとそれにとって替わる仕組みでもありません。しかし、私たちひとりひとりが、自発的な意志によって自分の身の回りの世界を現実に変えていくための、ひとつの契機となるものには違いありません。政治や法律といった制度に依存するのではなく、私たち自身の手によって、まず身近なところから暮らしやすい世界をつくっていこうとする運動として、たいへん貴重な試みだと思われます。

 本書は、現在行われているさまざまなタイプの「地域通貨」実験の事例紹介も豊富で、また基本的な考え方から導入のための指針まで包括的にやさしく解説されています。現在「地域通貨」に関心をもつ者にとっては必携の参考書であろうかと思います。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

とんかつ…和洋折衷の精華

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 黄金色に輝くご神体に手を合わせた後、あらかじめ数片に切り分けられたそのご神体のひとつを、お箸でおごそかにつまみ上げる。口にそっとふくむと、その瞬間には衣のザラッとした粗い舌触りが残ると思いきや、またたく間にそれが油とともに舌の上にすーっと溶け出して、やわらかな甘みが口中に広がる。心地よいサクッという音を立てて突き立った歯が肉の分厚な感触を得るのもつかの間、肉汁の深い甘みが一気にはじけとぶ。時折、皿からあふれるように盛り付けられたキャベツの千切りを口にすれば、口中の油が洗い落とされて、ともすると圧倒的なボリュームの前で萎えがちになる食欲が再び奮い立ってくる。しじみの味噌汁にしようか豚汁にするか、レモン汁はふりかけるか、からしはどれくらい、ご飯はやはり大盛りか。とんかつのことを思い浮かべるだけで、唾液は溢れ出し、心中は穏やかではいられなくなる。とんかつは、日本が生み出した肉料理の至上の逸品だ。

 本書は、律令国家以来の肉食忌避の慣習が破られ、西洋料理と日本料理とが本格的に邂逅することとなった明治の初めから数えておよそ60年の後、和洋折衷料理の精華として登場したとんかつの成立史を丹念に跡付けた好著である。

 一見単純なことに見えるけれども、表面の衣を焦がすことなく分厚い肉の芯まで火を通すということは、揚げ油の温度を微妙に調整していく繊細な技術が要請されるものであり、「天ぷら」によって培われた日本の独特の揚げの技術がなければ可能とならなっかったものと著者は指摘する。その他にも、きつね色にふんわりとしたボリューム感のある揚げあがるように、大粒のパン粉を利用するといった工夫、添え物としてのキャベツの発見等、とんかつは日本人が培ってきた料理に関するノウハウや創意工夫が結実して誕生したということが、本書を読むことで自然と理解されてくる。

 政府が鹿鳴館など社交の場を通じて、本格的な西洋料理の普及に躍起になっている一方で、高級な西洋料理になかなか馴染むことのできない庶民の方は、カレーライスやコロッケなど、米飯に適応しやすい独特の和洋折衷料理を生み出した。とんかつは、そのような庶民が生み出した、日本の土壌に根づいた肉料理の精華として結実した逸品。「折衷」と言うと、どこか節操のなさやオリジナリティーの欠如といったことをイメージしがちだが、多様で柔軟性に富んだ食文化を形成してきた日本人のしなやかでしたたかな智恵を、そこには見ることができるように思う。

読後はやはり…とんかつ屋へ!

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

直接民主政〜理想か悪夢か

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカの大統領選挙も佳境を迎え、全世界からの注目を集めている。その中であまり目立ちはしなかったが、予備選挙の過程では、インターネットによる投票という注目すべき試みがなされていた。有権者は、あらかじめ登録しておけば、暗号化されたパスワードを使って、自宅あるいは投票所のパソコンから投票を行うことができるというもの。実際かなりの数の有権者がインターネットを利用したと伝えられ、この実験は一定の成果をおさめたものとみられているようだ。

 パソコンさえあれば、わざわざ投票所に足を運ぶことなく、家庭、職場、商店、コンビニ、あるいは路上でも投票が可能となるインターネット投票は、選挙に無関心となっている若年層などの政治への参画を促し、投票率を高めていくことのできる手段として、以前よりその導入の可能性については議論されていた。確かにインターネット投票が、有権者の利便性を増し、その政治参加を促すものであることは容易に想像され、そうした意味では、今後さまざまな国や地域で、こうした手段が積極的に活用されることになるのは確かであろうと思われる(投票率が上がっては困るという与党がいる国を除いてはという注釈つきだが)。

 しかし、インターネットと政治というテーマの射程は、これだけにとどまるものではない。インターネットを活用すれば、有権者の意思を即座に集計することができるということは、これまで技術的な問題からその実現が困難とされてきた直接民主政を現実のものとする可能性が生まれてきたことを示すものでもある。民主主義の極限に位置する直接民主政が、もはや単なる<夢>ではなくなってきているのだ。これまで直接民主政は、その技術的な実現困難性から、抽象的な理念あるいは単なる夢や理想(あるいは妄想?)でしかなかった。しかし、インターネット利用が爆発的に拡大し、現にインターネットを通じた投票実験も始まるに至った現在では、現実的な選択肢のひとつとして検討されるべき課題となったと言ってよい。

 しかし、本当に直接民主政は民主主義の理想的形態なのだろうか。これは、政治というものの根幹に触れる極めて重い問いである。直接民主政を究極の理想とする立場からすれば、現在の代表制民主主義は、理想に至る途上の過渡的形態あるいは次善の策に過ぎないということになり、技術的問題が解決しさえすれば、すぐにでも直接民主制に移行すべきということになる。一方、間接民主主義は、本来理性的であるべき政治を、民衆の恣意的・感情的かつ移ろいやすい意見によって極端に左右されないようにするための仕組みであると考える立場からは、直接民主政の実現は理想どころか悪夢以外のなにものでもないことになる。前者と後者は、<民主主義とは何か>ということについて、根本的に矛盾・対立するものである。メディア技術の発展は、これまで観念的・抽象的な水準の議論でしかあり得なかったこのような問題を、まさに現実の問題として、私たちに突きつけようとしている。

 本書は、直接民主政の実現を肯定的にとらえる立場からの議論である。直接民主主義の実現を懸念するどのような議論も、結局は民主主義そのものを否定せざるを得ず、自己矛盾に陥ることになると著者は指摘する。著者の立論に共鳴するかどうかは、読者それぞれの考え方に委ねられているのはもちろんのことだが、少なくとも、こうした問題から眼をそらして<民主主義>を錦の御旗のごとく無邪気に掲げられる時代ではなくなりつつあることについては正しく認識する必要があろう。本書の問題提起などを契機に、得てして「裸の王様」となりがちな<民主主義>について、まっとうな議論が湧き起こってくることを期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

5 件中 1 件~ 5 件を表示