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先月(2017年2月)

宏人さんのレビュー一覧

投稿者:宏人

4 件中 1 件~ 4 件を表示

妖女のねむり

2001/03/12 00:03

まさに職人の仕事、泡坂ミステリの傑作

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 泡坂妻夫という恍惚がある。本物の職人だけが生み出すことのできるrhythm。何者も真似ることのできない心地よい文章のうねりがここにはある。洗練という言葉とは微妙にずれた、角を丸めた匣のような艶かしくも趣を感じさせる文字の塊がどの作品にも横溢している。
 多くの良質のミステリがそうであるように、本作もまた先入観を抱かずに読むことが面白く読む一番の方法である。本作が泡坂妻夫との職人芸を堪能できる傑作であることは間違いなく、連城三紀彦氏のように物語に触れることなく本作の魅力を語ることは、私の能力を超えている。今すぐ作品を読み始めることを強くお勧めする。以下は蛇足である。真相には全く触れていないが物語に触れている。未読の方は読まないほうが得である。これはもう絶対的にそうなのである。読んだ内容をすぐ忘れるという便利なのか不便なのか分からない記憶力をお持ちの方や、既にこの作品を読んでいて、自分で出したマインスイーパの記録を抜くのに向きになり、気が付いたら4時間ほど無駄していてしかも目は痛いわ吐き気はするわ何をしていたんだ俺はと思いつつも新記録が出たことに軽い満足感を覚えたことのある暇な方のみ読んでください。

 本作は泡坂妻夫が度度試みている前半部で示された幻想を後半部で解体するという手法が取られている。「迷蝶の島」もこの手法があからさまに取られた作品であったが、本作はそれをも上回る、幻想小説としてもミステリとしても第一級の傑作に仕上がっている。
 輪廻転生はミステリに比較的よく用いられるテーマの一つである。前半部では輪廻転生は間違いなく存在するものとして物語は語られる。二人の主人公は時の流れを超え、美しき愛を成就させようと現世に転生した悲劇の二人であり、今まさに愛を実らせんとしたそのときにヒロインは何者かによって殺害されてしまう。この前半部は陳腐ともいえる題材と展開ではあるのだが、泡坂妻夫の手にかかればそれは妖艶な魅力を放つ恋絵巻へと様変わりし、読む者はその世界の愉悦にどっぷりと嵌まり込む。
 だが、本書の丁度中心においてヒロインの死が描写される。新潮文庫版で、360ページある本書の179ページである。この職人芸としか表現しようのないシンメトリーの構図はどうだろう。「しあわせの書」や「生者と死者」といった奇跡の書物を著した作者ならではの心意気を感じずにはいられない。
 ヒロインの死により、鮮烈に夢から醒まされた読者は残夢の陶酔感を名残惜しみながらも、ミステリ的興味に惹きつけられることになるだろう。その期待が裏切られることは決してない。関係者が一堂に集まり明かされる真相は残酷ともいえるほど綺麗に、論理的に割り切られ、読者は魔術的な伏線の妙に感動を禁じえないだろう。
 だが、私は一つの疑念を頭から拭い去ることができない。年齢を感じさせない登場人物たち、あまりに多くの本物を越えた作品を生み出す人々、思わせぶりな章タイトル、そして3章の最後の一行。3章で主人公は死んだのではないか。それに続く物語は、誰かが、妖女がねむりの中で視た夜の夢ではなかっただろうか。多分違うけど…。

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光の廃墟

2001/03/08 02:13

「死の泉」にも引けを取らない幻想ミステリの傑作

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 読むことの愉悦。皆川博子はそれを感じさせてくれる文章を書く、数少ないミステリ作家の一人だ。私の知る限り、他には赤江瀑、服部まゆみなど僅かな面々が挙げられるに過ぎない。皆川博子の筆が紡ぎだす空気は例外なく濃密だ。油絵の重厚さに似て、繊細、それでいて荒々しく世界を塗り重ね、読者を見知らぬ場所へと放り出す。確かに一度も訪れたことはないはずなのに、しかし、そこはどこか親しげな表情を垣間見せ、時には残酷なまでの鮮烈の赤で魂を抉る。
 本作「光の廃墟」もまた皆川博子の筆が見事に、昏い異国の空を描き出している。1965年のイスラエル、かつてユダヤ人がローマ帝国の進攻から逃れ、篭城したマサダ砦の発掘現場が主な舞台である。主人公である日下明子はこの地で殺人を犯し自殺したと思われる、血の繋がらぬ弟、高村隼雄の死の真相を知るために発掘隊に入り込む。ここでも謎めいた事件が重なり、様々な推論が提示されるが論理的とはいえないため、読者は手探りでページを捲る他はない。もっとも、その香油のような文章と物語に恍惚となり、推理する余裕などないのだが。
 物語が進むと隼雄の小説と日記が入り混じったような手記が作中に挿入される。もちろんそれは彼の死の真相に大きな示唆を与えるのだが、それより小説の部分に描かれた魂の孤独こそ、本作の根底に静々とたゆたう仄暗い流れであり、皆川博子という作家の原点ではないだろうか。
 家族、廃墟、少年、性、民族、宗教、過去の悲劇といった後の皆川作品で見られるガジェットが散りばめられ、渾然一体となって昏い一枚の油絵を完成させてゆく。その時間の何と優雅でロマンの薫り高きことか。物語の最後で明子が幻視する光の中で隼雄は初めて微笑んだのではないか。そう夢想させる「死の泉」にも決して引けを取らない傑作である。

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何か面白いことねーかなーと思っている人へ

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 物語。近年、この言葉が持つ力強さを本書ほど堪能させてくれるものを他に知らない。ここには、誰もが持っているであろう物語の元風景が広がっている。あの決して消費されることのなかったもう一つの世界が。
 一言でいってしまえば主人公の成長譚である。ストーリーはわき道を駆け巡りながらも王道を突っ走る。好敵手がいて、冒険があり、別れがある。そうやって主人公は一人前になってゆく。舞台は沖縄諸島のある島。その島では開発の波が押し寄せてはいるが、根強く昔ながらの風習や方言が受け継がれている。そこで暮らす主人公と親友の老女は67歳の年齢差をものともせず、自由気侭に遊びまわっている。この二人のキャラクターが実に楽しい。
 日本国にありながら外国の雰囲気を持つ沖縄という舞台とその方言が読む者を抒情を伴って幻想の楽園へと誘ってくれる。この世界は酷く心地いい。水底を漂うように流れる時間、速度を操るユーモア、距離を見極めた登場人物、どれも愛しくてたまらない。
 “わが島のはなし”がここの方言では“バガージマヌパヌス”となってしまう。いわれてみれば確かに理解できるが、解説なしに理解することは不可能であろう。この絶妙な距離感を感じさせる方言が本書の強固な物語世界を支えていることは間違いない。だが、それよりもなお本書に物語の持つ力強さを与えているのは作者の暖かな眼差しであろう。主人公の弾く三線の音を聴くことはできないが、池上永一の奏でる至福の物語がここにある。

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シメール

2000/12/04 01:19

オレンジの灯火

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 以前から漠然とは感じていたのだが、今はっきりしたことが一つある。それは服部まゆみが全体の作家だということだ。もちろん文章はあくまで薫り高く、いみじくも、かの皆川博子女史が評したように“薔薇の香油のような”孤高の頂きに達している。しかし、それは単語、センテンス、フレーズ等における鋭さや輝きに対しての表現ではなく全体、つまり読中や読後に感じる幻想的雰囲気に対しての形容なのである。その点において牧野修とは対極に位置する幻視者だと言えるだろう。
 牧野は断片における鋭さを積み重ねることで大傑作「MOUSE」をものにした。牧野は一瞬で飛翔する。いわば、ガラスの破片で創られたモザイク画といえるだろう。それに対して服部まゆみは油筆で丹念に、幾重にも重ね描かれた抽象画に例えられよう。一つひとつの細部にはさほどの意味は感じられない。むろん時間を忘れるほど心地良くいつまでも留まっていたいと思わせるのだが、はっと全体を見渡せばいつのまにか知らない場所に一人で放り出されている。
 全体の4分の3、242ページまで読み終えた。そう、いつだって楽園は崩壊する。それは予感と呼ぶにはすでに遅い。心地良かった世界は徐々に不協和音に蝕まれてゆく。無垢の天使が世俗にまみれようとしている。それでもおそらく彼は己を貫くだろう。だが、服部まゆみがミステリ作家と認知されている限り世界は反転するだろう。それは本格ミステリより壮大な地響きを立てて顕れるに違いない。
 もちろん私はそれを望んでいる。しかし、それと同時に畏れてもいるのだ。この幻想は解体される宿命にあるのかもしれないけれど、あまりに惜しい。鼻孔をくすぐる廃頽の薫りが失われてしまう。とはいえ、女史はページという時間軸に支配される小説という分野において幻想と解体が並列に存在する奇跡の作品「この光と闇」を創り上げた才能だ。心して読み進めるとしよう。

(以下は未読の方は読まないで下さい)

 服部まゆみはついに殻を破った。確かに楽園は崩壊した。だが、幻想は解体されるのではなく完成されたのだ。何たる眼差しの夢幻なることか。物語は二人の視点だけで交互に語られる。二元論に支配された作品世界は一方のみが真実であり、曖昧な第三者の入り込む余地はない。幻想とは観察者にとってのみ幻想であり、それ自体は現実である。そして、幻想は現実を凌駕しなければならない。故に、観察者は身を引きルシは死に世界は閉ざされ彼は永遠に墜ち続けなければならない。
 読後に疑問に感じたのが第三章のタイトル「ナジェージダとナジャ」である。これは何を意味しているのか。ナジェージダはロシア語で希望、ナジァは希望という言葉の始まりである。だがここに描かれているのは希望ではなく絶望だけではないか。いや、本当にそうだろうか。観察者はルシが墜ちることを望んだではないか。幻想が完成することを、世界が閉ざされることを望んだではないか。ならばルシの死は希望であり、また始まりでもある。彼の死の瞬間から観察者は無限の世界の住人となり甘美な廃頽の花園で過ごすだろう。閉じた瞬間から世界は再び始まり、決して終わろうとはしないだろう。
 この読後感は何なのだろう。ここに描かれていたのは日常と非日常の狭間で揺らめくひとひらの華だったのか。それとも、光と影の終わり無き戦いの物語だったのだろうか。華は散り、影は闇となり、それでも残る仄かな光。このオレンジの灯こそこの作品の本質であり、そしてそれは「この光と闇」と対を成していると言えるのではないだろうか。決して混じり合うことのなかった光と闇が本作に至り僅かではあるが融合したのではないか。
 服部まゆみはミステリの枠組みから抜け出した。今後どのような作品を創り出してゆくのか見当もつかないが、ただシメールを上質のシメールを、と望まずにはいられない。

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